大江山

楠山正雄




     一

 むかし源頼光みなもとのらいこうという大将たいしょうがありました。その家来けらい渡辺綱わたなべのつな卜部季武うらべのすえたけ碓井貞光うすいのさだみつ坂田公時さかたのきんときという四にんつよ武士ぶしがいました。これが名高なだかい、「頼光らいこうの四天王てんのう」でございます。
 そのころ丹波たんば大江山おおえやまに、酒呑童子しゅてんどうじばれたおそろしいおにんでいて、毎日まいにちのようにみやこまちへ出てては、方々ほうぼういえ子供こどもをさらって行きました。そしてさんざん自分じぶんのそばにおいて使つかって、ようがなくなるとべてしまいました。
 するとあるとき池田中納言いけだのちゅうなごんという人の一人ひとりきりのおひめさまがきゅうえなくなりました。中納言ちゅうなごん奥方おくがたもびっくりして、ぬほどかなしがって、上手じょうずうらなしゃにたのんでみてもらいますと、やはり大江山おおえやまおにられたということがわかりました。
 中納言ちゅうなごんはさっそく天子てんしさまの御所ごしょがって、大事だいじむすめ大江山おおえやまおにられたことをくわしくもうげて、どうぞ一にちもはやくおに退治たいじして、世間せけんおやたちの難儀なんぎをおすくくださるようにとおねがもうげました。
 天子てんしさまはたいそうどくおぼして、
「だれか武士ぶしのうちに大江山おおえやまおに退治たいじするものはないか。」
 と大臣だいじんにおたずねになりました。すると大臣だいじんは、
「それは源氏げんじ大将たいしょう頼光らいこうと、それについております四天王てんのうさむらいどもにかぎります。」
 ともうげました。天子てんしさまは、
「なるほど頼光らいこうならば、かなら大江山おおえやまおに退治たいじしてるに相違そういない。」
 とおっしゃって、頼光らいこうをおしになりました。
 頼光らいこう天子てんしさまのおいいつけをうかがいますと、すぐかしこまってうちへかえりましたが、なにしろ相手あいて人間にんげんちがって、変化自在へんげじざいおにのことですから、おおぜい武士ぶしれて行って、ちからずくでとうとしても、おににうまくげられてしまってはそれまでです。なんでもこれは人数にんずうすくなくともよりぬきのつよ武士ぶしばかりでかけて行って、ちからずくよりは智恵ちえ工夫くふうをしなければなりません。こうおもったので、頼光らいこう家来けらいの四天王てんのうほかには、一ばんなかのいい友達ともだち平井保昌ひらいのほうしょうだけをつれて行くことにしました。世間せけんではこの保昌ほうしょうのことを四天王てんのうならべて、一人武者ひとりむしゃといっていました。
 それからこれは人間にんげんちからだけにはおよばない、神様かみさまのおちからをもおりしなければならないというので、頼光らいこう保昌ほうしょう男山おとこやま八幡宮はちまんぐうに、つな公時きんとき住吉すみよし明神みょうじんに、貞光さだみつ季武すえたけ熊野くまの権現ごんげんにおまいりをして、めでたい武運ぶうんいのりました。
 さていよいよ大江山おおえやまけてつことにきめると、頼光らいこうはじめ六にん武士ぶしはいずれも山伏やまぶし姿すがたになって、あたま兜巾ときんをかぶり、篠掛すずかけました。そしてよろいかぶとおいの中にかくして、背中せなか背負せおって、片手かたて金剛杖こんごうづえをつき、片手かたて珠数じゅずをもって、脚絆きゃはんの上に草鞋わらじをはき、だれの目にも山の中を修行しゅぎょうしてある山伏やまぶしとしかえないような姿すがたにいでたちました。

     二

 六にん武士ぶしはいくつとなくけわしい山をえて大江山おおえやまのふもとにきました。たまたまきこりにえばみちき、おに岩屋いわやのあるという千丈せんじょうたけひとすじにざして、たにをわたり、みねつたわって、おくおくへとたどって行きました。
 だんだんふかはいって行って、まっくらなはやしの中の、いわばかりのでこぼこしたみちをよじて行きますと、やがて大きな岩室いわむろまえに出ました。その中に小さな小屋こやをつくって、三にんのおじいさんがんでいました。頼光らいこうはこんな山奥やまおく不思議ふしぎだとおもって、これもおにけたのではないかと油断ゆだんのない目でていますと、おじいさんたちはその様子ようすさとったとみえて、にこにこしながら、ていねいにあたまげて、
「わたくしどもはけっして変化へんげでも、おにけたのでもありません。一人ひとり摂津せっつくにから、一人ひとり紀伊きいくにから、一人ひとり京都きょうとちか山城やましろくにからたものです。あの山のおく酒呑童子しゅてんどうじのためにつまや子をられて残念ざんねんでたまりません。どうかしてかたきりたいとおもって、ここまでのぼってはましたが、わたくしどものちからではどうすることもできませんから、ここにこうしてあなたがたのおいでをちうけていました。山伏やまぶし姿すがたにやつしてはおいでになりますが、あなたがたはきっと酒呑童子しゅてんどうじ退治たいじするために、京都きょうとからおくだりになった方々かたがたでしょう。さあ、これからわたくしどもがこの山の御案内ごあんないをいたしますから、どうぞあのおに退治たいじして、わたくしどものかたきをいっしょにっていただきとうございます。」
 といいました。
 頼光らいこうはそれをいてやっと安心あんしんしました。そしてしばらく小屋こやの中にはいって足のつかれをやすめました。そのときにんのおじいさんは、
「あのおにはたいそうおさけきで、名前なまえまで酒呑童子しゅてんどうじといっております。好物こうぶつのおさけんで、たおれますと、もうからだかなくなって、けることも、にげることもできなくなります。わたくしどものこのおさけは、「かみ方便ほうべんおに毒酒どくざけ」という不思議ふしぎなおさけで、人間にんげんめばからだかるくなってちからがましますが、おにめばからだがしびれて、通力つうりきがなくなってしまって、られても、つかれても、どうすることもできません。このおさけをあげますから、酒呑童子しゅてんどうじにすすめていつぶした上、首尾しゅびよくおにくびってください。」
 といって、おさけのかめをわたしました。
 それから三にんのおじいさんはさきって、千丈せんじょうたけのぼって行きました。十じょうくらいながさのある、まっくらな岩穴いわあなの中をくぐってそとへ出ますと、さあさあとおとてて、ちいさな谷川たにがわながれているところへ出ました。そのときおじいさんたちはふりいて、
「ではこの川についてどんどんのぼっておいでなさい。すると川のふちに十七八のむすめがいますから、その子にたずねて、おに岩屋いわやへおいでなさい。」
 といったとおもうと、三にんともふいと姿すがたえなくなりました。
 みんなはあの三にんのおじいさんは、住吉すみよし明神みょうじんさまと、熊野くまの権現ごんげんさまと、男山おとこやま八幡はちまんさまがかり姿すがたをおあらわしになったものであることをはじめてって、不思議ふしぎおもいながら、うしろから手をわせておがみました。そしてこのとおかみさまのあらたかな加護かごのある上は、もうおに退治たいじしたも同然どうぜんだと心強こころづよおもいました。
 そこでおそわったとおり川についてどこまでものぼって行きますと、十七八のきれいなむすめが、川のふちでのついた着物きものあらいながら、しくしくいていました。
 頼光らいこうはそのそばへって、
「あなたはだれです。どうしてこんな山の中に一人ひとりでいるのです。」
 ときました。むすめはまたぽろぽろとなみだをこぼしながら、
「わたくしはみやこから、あるばんおににさらわれてこの山の中にたのでございます。おとうさまやおかあさまや、ばあやたちはどうしているでしょう。その人たちにも二うこともできないうえになりました。」
 といいました。そして、
「あなたがたはいったいどうしてこんなところへいらしったのです。ここはおに岩屋いわやで、これまでよそから人間にんげんたことはありません。」
 といいました。頼光らいこうは、そこで、
「いや、わたしたちは天子てんしさまのおいいつけで、おに退治たいじたのだから、安心あんしんしておいでなさい。」
 といいきかせますと、むすめはたいそうよろこんで、
「それではこの川をまたずんずんのぼっておいでになりますと、てつもんがあって、もん両脇りょうわき黒鬼くろおに赤鬼あかおにばんをしています。もんの中にはるりの御殿ごてんがあって、そのにわにははるなつあきふゆ景色けしきがいっぱいにつくってあります。しゅてんどうじはその御殿ごてんの中で、夜昼よるひるさけんで、わたくしどもにうたうたったり、おどりをおどらせたり、手足をさすらせたりして、あきるとつかまえて、むごたらしくって、ほねかわばかりにしてててしまいます。このとおり今日きょうも、ころされたお友達ともだちのついた着物きものをこうしてあらっているのです。」
 といいました。
 頼光らいこうむすめなぐさめて、おしえられたとおり行きますと、なるほど大きないかめしいてつもんこうにえて、黒鬼くろおに赤鬼あかおにばんをしていました。もんちかくなると頼光らいこうたちは、わざとくたびれきったように足をひきずってあるきながら、こちらからおにこえをかけて、
「もしもし、たびものでございますが、山道やまみちまよって、もうつかれて一足もあるかれません。どうぞおなさけに、しばらくわたくしどもをやすませていただきとうございます。」
 と、さも心細こころぼそそうにいいました。
 おにどもは、
「これはめずらしいものがやってたぞ。なにしろ大王様だいおうさまもうげよう。」
 といって、酒呑童子しゅてんどうじところへ行ってしらせますと、
「それはおもしろい。すぐおくへとおせ。」
 といいました。
 六にん武士ぶし縁側えんがわがってっていますと、やがてかみなり稲光いなびかりがしきりにこって、大風おおかぜのうなるようなおとがしはじめました。するともなくそこへ、一じょうにもあまろうという大きな赤鬼あかおにが、かみ逆立さかだてて、おさらのような目をぎょろぎょろさせながらました。その姿すがた一目ひとめただけで、だれだっておどろいてうしなわずにはいられません。けれども頼光らいこうはじめ六にん武士ぶしはびくともしないで、酒呑童子しゅてんどうじかおをじっと見返みかえして、ていねいにあいさつをしました。童子どうじはそのときおうへいな調子ちょうしで、
「きさまたちはいったいどこからた。よくこんな山奥やまおくまでがってたものだな。」
 といいました。
 すると頼光らいこうが、
「それはわたくしども山伏やまぶしのならいで、みちのない山奥やまおくまでもけて修行しゅぎょうをいたします。わたくしどもはいったい出羽でわ羽黒山はぐろさんから出ました山伏やまぶしでございますが、このあいだ大和やまと大峰おおみねにおこもりをしまして、それからみやこへ出ようとする途中とちゅうみちまよって、このとおりこちらの御厄介ごやっかいになることになりました。」
 といいました。酒呑童子しゅてんどうじはそういて、すっかり安心あんしんしました。
「それはどくなことだ。まあ、ゆっくりやすんで、さけでもんで行くがいい。」
 こういうと頼光らいこうも、
「それはごちそうです。失礼しつれいではございますが、わたくしどももちょうどさけってまいりましたから、このほうんでいただきたいものです。」
 といいました。
「それはありがたい。それでは酒盛さかもりをはじめようか。」
 童子どうじはこういって、おおぜいの腰元こしもと家来けらいにいいつけて、さけさかなをはこばせました。酒呑童子しゅてんどうじはそれでもまだ油断ゆだんなく、六にん山伏やまぶしためしてみるつもりで、
「それではまず客人きゃくじんたちに、わたしのすすめるさけんでもらって、それからこんどはわたしがごちそうになることにしよう。」
 といって、酒呑童子しゅてんどうじおおきなさかずきになみなみ人間にんげんしぼってれて、
「さあ、このさけめ。」
 といって、頼光らいこうにさしました。頼光らいこうこまったかおもしないで、一息ひといきみほしてしまいました。それから保昌ほうしょうつぎつなと、かわるがわるつぎからつぎさかずきをまわして、おしまいに酒呑童子しゅてんどうじかえしました。
さけばかりではさびしい。さかなもえ。」
 酒呑童子しゅてんどうじはこういって、こんどはましい人間にんげんにくしました。頼光らいこうたちはそのにくって、さもうまそうに舌鼓したつづみをうちながらべました。酒呑童子しゅてんどうじ頼光らいこうたちがわるびれもしないで、のおさけでも、にくのおさかなでも、けてくれたので、るから上機嫌じょうきげんになって、
「こんどはおまえたちのってさけのごちそうになろうじゃないか。」
 といいました。頼光らいこうはさっそくつなにいいつけて、さっき神様かみさまからいただいた「かみ方便ほうべんおに毒酒どくざけ」をして、酒呑童子しゅてんどうじ大杯おおさかずきになみなみとつぎました。酒呑童子しゅてんどうじ一息ひといきみほして、これもさもうまそうに舌鼓したつづみをうちながら、
「これはうまいさけだ。もう一ぱいくれ。」
 とさかずきしました。頼光らいこうこころの中ではしめたとおもいながら、うわべは何気なにげないかおをして、
「どうもお口にかなって満足まんぞくです。それではおさけだけではおさびしいでしょうから、こんどはおさかなをいたしましょう。」
 といって、がって、おうぎをつかいながらいをいました。四天王てんのうこえわせて拍子ひょうしをとりながら、ふしおもしろくうたうたいました。
 それをると、酒呑童子しゅてんどうじも、手下てしたおにたちも、おもしろそうにわらいながら、すすめられるままに、「かみ方便ほうべんおに毒酒どくざけ」をぐいぐいけて、いくらでもみました。そのうちにだんだんおさけのききめがあらわれてきて、酒呑童子しゅてんどうじはじめおにどもは、みんなごろごろたおれて、正体しょうたいがなくなってしまいました。
 頼光らいこうたちはおにのすっかりたおれたところをすましますと、おいの中からよろいかぶとして、しっかりこみました。そして六にんかたなをぬいて、酒呑童子しゅてんどうじている座敷ざしきにとびこみますと、酒呑童子しゅてんどうじはまるで手足を四方しほうからてつくさりでかたくつながれているように、いくじなく寝込ねこんでいました。頼光らいこうはすぐかたなをふりげて酒呑童子しゅてんどうじの大きなくびをごろりととしてしまいました。酒呑童子しゅてんどうじの手足はそのままうごけなくなりましたが、られたくびだけは目をさまして、すっとそらがりました。そしていきなり頼光らいこうをめがけてかみついてようとしました。けれどもかぶと前立まえだてのきらきらするほしひかりにおじけて、ただ口から火をくばかりで、そばへ近寄ちかよることができません。そのうち頼光らいこうに二三つづけてりつけられて、くびはどんと下におちてしまいました。
 手下てしたおにどもは、しばらくのあいだはてんでんに鉄棒てつぼうをふるって、ちかかってきましたが、六にん武士ぶし片端かたはしからてられて、みんなころされてしまいました。
 おにおおぜいつかまえておいたむすめたちの中には、池田いけだ中納言ちゅうなごんのおひめさまもじっていました。頼光らいこうおにのかすめた宝物たからものといっしょにむすめたちをつれて、めでたくみやこかえりました。天子てんしさまはたいそうおよろこびになって、頼光らいこうはじめ保昌ほうしょうや四天王てんのうたちにたくさん御褒美ごほうびくださいました。そしてそれからはおにが出て人をさらう心配しんぱいがなくなりましたから、京都きょうとの人たちはたいそうよろこんで、いつまでも頼光らいこうや四天王てんのうたちの手柄てがらかたつたえました。





底本:「日本の英雄伝説」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年6月10日第1刷発行
※「千丈せんじょうたけ」の「ガ」は底本では小書き。
入力:鈴木厚司
校正:大久保ゆう
2003年9月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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