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責任のある
あの頃のことは、私も幼な心に薄々と覚えておりまして、思い出してみても物なつかしいような気がいたします。
図は、二十七、八から三十くらいの
私の母は、よく髪を結いに出かけたり、また女髪結がうちにまいったり致しました。私は幼い頃から髪を結うことがほんに好きなものでしたから、よく傍にちんと坐って髪結う手元に見入っていたものでした。あの頃は今時と違いまして、女の
女中の髪でも、その
手がらなどでも、若い人だけがかけたものではなくて、年とった人でもかけておりました。鼠色の手がらなどあって、そういうものがいろいろとありました。私の記憶にあるものでも、様々変った女風俗があります。
帝展に限らず展覧会の女風俗画は、ほとんど今風のものが多かったのですから、私の描くようなものは流行不流行は別として、また幾分か物なつかしさがあるだろうと思いまして、思いついて
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新しいものが流行で、だんだん旧いことが
今申した女風俗などでも、新しい人たちは旧いことを顧みようとはしないでしょうし、また顧みも出来ますまい。やはり旧いことは私たちが守るより外はないと思います。しかし新しい人たちだからといって、まるで旧いことには頓着しないというわけでもございますまいが、何しろ、御当人たちは、その境涯を経て来ておられるのではありませんから、それを描こうにも、なんだかしっくりしないところがあって、出そうにも出にくいだろうと思います。そこにまいりますと、私などは明治の初年中年の空気の中をずっと乗り切ってまいっておりますから、それらのことは見たり聞いたりしておりますだけに、深い感じをもっているわけです。
私も
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京の花は、どこもかしこも
京には、花の寺の保勝会というものがありまして、年に僅か二円の会費を納めますと、花の時分にそこへ招待をうけまして、一日ゆっくり花を見て、食事からお茶から、休憩なども自由に出来るようになっております。
花の寺と申しますのは、その名はきいておりますが、何しろ常には大そう交通の不便な土地ですから、めったに行けるところではございませんが、花はほんとうに
花の寺は西行法師に
赤土の、すがすがしい、春の光線の透いている藪があったり、五、六軒の農家があったり、椿、
ですから、そういう景色を好む人なら、少しも退屈どころか、却って興味の多い道筋です。いろいろな情景に目をひかれながらゆきますと、やがて大原野神社に着きます。この神社も古雅な、なかなか結構な社地で、とても
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この社地の隣りが花の寺です。少し上り気味の坂にかかると、両側の松や雑木の間から、枝をひろげて、ハミ出ている桜が、登ってゆく人の頭の上にのしかかって咲いております、それはとても見事な美しさでした。
山門をはいってずっと奥にゆきますと、鐘楼があって、そこにまた格好のいい見事な
この花の寺の後ろに小塩山という山がありますが、これが謡にある「小塩」です。その謡の文句によりますと、昔花に修行の僧侶があって、この花の寺を訪ずれますと、花の精が出てきて、いろいろと由来を説くという筋になっておるのですが、実際の花の寺も、そんな
このくらい[#「このくらい」は底本では「このくら」]京を離れて、このくらい寂然としておりますと、もう俗人などはあまり寄りつきません。人がいてもほんの五人か十人、村の人が三人か五人、そこらに二、三脚のベンチが据えられてあるだけで幽趣この上もないのでした。
私はつい二、三日前そこにまいりまして、ことしこそ、ほんとうの花見をしたような気分になったわけでした。