地下生活者の手記

ЗАПИСКИ ИЗ ПОДПОЛЬЯ

ドストエーフスキイ

米川正夫訳




第一 地下の世界




 この手記の筆者も『手記』そのものもむろん、架空のものである。が、それにもかかわらず、かかる手記の作者のごとき人物は、わが社会全般を形成している諸条件を考慮にとり入れてみると、この社会に存し得るのみならず、むしろ存在するのが当然なくらいである。わたしはきわめて近き過去の時代に属する性格の一つを、普通よりも明瞭に、公衆の面前へ引きだしてみたかったのである。それはいまだに余喘よぜんを保っている世代の一代表者なのである。『地下の世界』と題するこの断章において、この人物は自分自身とその見解とを自己紹介し、あわせてかかる人物がわれわれの周囲に現われた理由、いな、現われなければならなかった理由を、闡明せんと欲しているかのごとくである。次の断章においては、この人物が自己の生活中のある事件を叙述した本当の『手記』が始まるのである。
フョードル・ドストエーフスキイ


 わたしは病的な人間だ……わたしは意地悪な人間だ。わたしは人好きのしない人間だ。これはどうも肝臓が悪いせいらしい。もっとも、わたしは自分の病気のことなど、これっからさきもわかっていないし、それに自分の体のどこが悪いのか、それさえ確かなことはわからないのだ。わたしは医術や医者を尊敬してはいるけれど、医療というものを受けていない。またこれまでもかつて受けたことがない。その上おまけに、わたしは極端に迷信家なのである。まあ、いわば、医術など尊敬する程度のかつぎ屋なのである(わたしは迷信家にならないですむくらいには、十分教育を受けているのだけれど、それでもかつぎ屋なのである)。なに、意地でも、医者の治療なんか受けたくない。これなぞは、確かに諸君の理解を絶したことに相違ない。ところが、わたしにはそれがわかっているのだ。この場合、わたしがこんな意地をはって、いったいだれに面当てしようというのか、その辺はわたしもむろんうまく説明ができない。わたしが医者の治療を受けないからといって、それでやつらを「困らせる」わけにはゆかないのは、自分でもよく承知している。そんなことをして損をするのは自分一人だけで、ほかのだれでもないということは、百も承知なのである。が、それにしても、わたしが治療を受けないのは、やはり意地っ張りのためなのだ。肝臓が悪いのなら、もっともっと、うんと悪くなるがいい!
 わたしはもう前からこんな生活をしている、――かれこれ二十年にもなろう。いまわたしは四十だ。以前は勤めていたが、いまは浪々の身の上だ、わたしは意地の悪い役人だった。人に乱暴に当たって、それをもって快としていた。なにしろ、わたしは賄賂を取らなかったのだから、せめてそれくらいの報酬は受けてしかるべきだったのである(これは悪い洒落だが、わたしはこれを消さないことにする。これを書く時には、なかなか辛辣にゆきそうな気がしたものだが、今になってみると、ただ醜いから威張いばりがしたかったにすぎない、――が、意地にでも消さないでおく!)。わたしの陣取っていたテーブルの傍へ、人民どもがいろんな問い合わせなどに寄ってくると、わたしはがみがみと、噛みつかないばかりにどなりつけて、うまくだれかを取っちめた時なぞは、抑え切れないほどの満足を感じたものだ。しかも、それは大ていうまくいった。彼らはおおむね臆病な連中ばかりだった。いわずと知れた請願人気質というやつである。が、ダンディ連の中には一人我慢のならない将校がいた。こいつはいっかな降参しようとしないで、虫唾むしずが走るほど軍刀をがちゃがちゃ鳴らす癖があった。わたしはこの軍刀のことで、やつと一年半ばかり戦争をつづけたが、とうとう勝利はこっちのものになった。やっこさん、がちゃがちゃをやめてしまった。ただし、これはまだわたしの若かった頃の話である。しかし、諸君、わたしの天邪鬼あまのじゃくのおもなる点がどんなところにあったか、諸君に想像がつくだろうか? そうだ、もっとも肝要なのは、――一ばんいまいましい話というのは、ほかでもない、わたしは単に意地悪な人間でないばかりか、世を拗ねた人間でさえもなく、ただいたずらに雀のような連中を驚かして、ようやくみずから慰めているにすぎないということを、一刻一分のやみ間なく、――思いきり癇癪を破裂さした瞬間でさえ、羞恥の念をいだきながら自覚する、その点にあったのである。たとえ口から泡を吹くほどいきり立っていても、もしだれかがわたしに玩具の人形でも当てがってくれるか、お茶に砂糖でも添えて持って来てくれたら、それでわたしはおとなしくなりかねない人間なのだ。それどころか、心底から歓喜の念を禁じ得ないであろう。そのくせ、きっと自分で自分に歯がみをするくらい腹を立てながら、恥ずかしさのあまり、何か月も何か月も、不眠症でくるしむに相違ないのだ。それがもうわたしのきまった癖なのだ。
 さっきわたしが意地の悪い役人だったといったのは、あれは自分で自分を中傷したのだ。依怙地になってわざと中傷したのだ。わたしは請願人や将校を相手に、ただの悪ふざけをしただけなので、本当のところ、一度も意地悪になれたためしがない。それどころか、まるで反対の要素が、自分の内部にあまるほど充満しているのを、ひっきりなしにかんじた。そいつが、その正反対な要素が、わたしの体の中でうようよしているのだ。これが生涯、わたしの内部でうようよしながら、どうかして外へ出ようとしていたのは、自分でもちゃんとわかっていたけれど、わたしはそいつを出さないように抑えていた。わざと外へ出さないようにしていたのだ。それが恥ずかしくて、顔から火が出るほど苦しんだ。体じゅう痙攣で慄えるほどの苦しみだった。それでも、――結局あきあきしてしまった。それこそうんざりしてしまったのだ! しかし、諸君、いまわたしは何か後悔して、諸君にゆるしでも乞うているように思われはしないだろうか?……きっと、そう思われるに違いない……もっとも、誓っていうが、たとえそう思われたって、わたしには同じことなのだが……
 わたしは単に意地悪な人間ばかりでなく、結局なにものにもなれなかった。悪人にも、善人にも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにもなれなかった。今やわたしは自分の片隅に最後の日を送りながら、賢い人間は本気で何かになることはできない、ただ馬鹿が何かになるばかりだという、なんの役にも立たない毒々しい気やすめで、自分で自分を愚弄しているていたらくだ。そうだ、十九世紀の人間は精神的な意味で、もっぱら無性格な存在たるべき義務がある。ところで、性格を有する人物、すなわち活動家はもっぱら浅薄な存在でなければならない。これは、わたしの四十年来の持説である。わたしはいま四十だが、しかし、四十年といえば、これはもう人間の全生涯だ。それこそもう大変な老齢である。四十年以上も生き延びるのは無作法だ、卑劣だ、不道徳だ! いったいだれが四十以上も生きている? 正直に誠実に答えてみたまえ。では、わたしがそれに答えよう。馬鹿とやくざ者が四十以上も生きるのだ。わたしはありったけの老人どもに、面とむかってそういってやる。世の尊敬を受けている、鬢髪に霜をおいた、芳香馥郁たる老人どもにいってやる! 世間のやつら一同に、面とむかっていってやる! わたしはこういう権利をもっているのだ。なぜなら、わたし自身、六十まで生き延びるからだ。七十までも生き通すからだ! 八十までも生きつづけるからだ!……ちょっと待ってくれたまえ! まず息をつがせてもらおう……
 諸君、おそらく諸君は、わたしが諸君を笑わすつもりでこんなことをいうのだ、と思っていられるだろう。とんでもない間違いだ。わたしは諸君の考えていられるような、或いは諸君の考えられるかもしれないような、そんな暢気千万な男ではけっしてない。もっとも、こんな饒舌に癇癪を起こした諸君が(どうもわたしの直感では、諸君は癇癪を起こしていられるらしい)、いったいお前は何者だ、と尋ねる気持ちになられたら、わたしは一個の八等官だとお答えしよう。わたしは食わんがために(ただそれのみのために)、勤務していたが、去年遠い親戚の一人が六千ルーブリの金を遺言して死んでくれたので、わたしはすぐに辞表を提出して、自分の小さな片隅に閉じこもってしまった。わたしは前からこの一隅に住んでいたのだが、今度はそこに閉じこもってしまったのだ。わたしの部屋は汚いやくざなもので、町はずれにあるのだ。女中は田舎出の婆さんで、馬鹿なために意地が悪く、おまけにいつもいやな臭いをぷんぷんさせている。わたしは、ペテルブルグの気候が健康に好くないし、わたし風情の貧弱な資力でペテルブルグ住いをするのは非常に骨が折れると、人から注意を受けるのだが、そんなことは自分で百も承知している。それをもっともらしく忠告する、経験と知恵の塊りみたいな連中よりも、ずっとよく心得ている。が、それでも、わたしはペテルブルグに踏みとどまっているのだ。ペテルブルグを出て行きはしない! わたしが出て行かないわけは……ええ! わたしが出て行こうと行くまいと、そんなことはまったくどうでもいいではないか。
 それにしても、ちゃんとした人間が心から、満足しながら話すことができる話題というのは、そもそもなんだろう?
 答、――自分自身のことである。
 では、わたしもひとつ自分の話をしよう。


 ところで、諸君、わたしはいま諸君が聞くことを望むにしろ、望まないにしろ、なぜわたしが虫けらにさえなれなかったかというわけを、話して聞かせたいとおもう。堂々といってのけるが、わたしは今までなんど虫けらになりたいと思ったかしれない。けれども、わたしはそれにさえ値しない人間だったのだ。諸君、誓っていうが、あまり意識しすぎるということは、それは病気なのである。間違いのない本ものの病気なのである。人間の日常生活にとっては、ありふれた世間なみの意識だけでも、十分すぎるくらいなのだ。つまり、不幸なわが十九世紀に生まれ合わせて、しかもその上に、地球上で最も抽象的な作為的都市であるペテルブルグに住むなどという、とんでもない不幸を持ちあわせた、教養の高い人間に与えられた意識量の、半分どころか、四分の一もあったらたくさんなのだ(実際、街にも作為的なのと、そうでないのとがある)。たとえば、いわゆる直情径行の人とか、活動家などが生活の資としているような、あの程度の意識があったら、十分なのである。わたしはかけでもするが、諸君はわたしがこんなことを書くのを、から威張りのためだ、――活動家のことで警句を吐くために、悪趣味なから威張りをして、例の将校のように、軍刀をがちゃつかせているのだと、こう考えていられるに相違ない。しかし、諸君、自分の病気を自慢するものがどこにあろう? しかも、それを種に威張るなんて、もってのほかの話である。
 もっとも、わたしはいったいなにをいっているのだ? だれだって、それをやっているではないか。つまり、病気を自慢しているのだ。わたしなどはおそらくそのさいたるものだろう。とにかく、議論はよそう。わたしの抗弁などは馬鹿げて聞こえるから。が、それにしても、わたしは心から確信している、――意識の過剰どころか、どんな種類の意識でも、意識はすべて病気なのである。わたしはそれを主張する。けれど、この問題もしばらく措くことにして、ひとつこういう疑問に答えてもらいたい。どういうわけでわたしはいつも、最も大切な瞬間に、つまり一時われわれの間でやかましくいわれた「すべての美しくして高遠なるもの」のあらゆる微妙な陰影を意識するのに、最も適当な心的状態に置かれた瞬間に、それを意識しようとはしないで、あのような見ぐるしい所業をやってのけるような仕儀になったのか? しかも、それは……まあ、それはひと口にいえば、みんながやっていることかもしれないけれど、わたしとしてはけっしてやってはならないと十二分に意識しているその瞬間に、当てつけがましくわざわざ頭に浮かんでくるのである。わたしは善だとか、例の「美しくして高遠なるもの」だとかを、はっきり意識すればするほど、いよいよ深く自己の内部の泥沼にはまりこんで、まるで抜きも差しもできなくなってしまうのだ。なによりも困ったことは、それがすべて偶然でなく、どうしてもそうならざるをえないように思われる点なのである。いわば、まるでこれがわたしのノーマルな状態であって、けっして病気でもなければ変態でもないらしいので、結局この変態と戦おうなどという気持ちが、すっかりなくなってしまったのだ。で、わたしはとどのつまり、おそらくこれを自分のノーマルな状態のように、ほとんど信じかねないばかりになった(ことによったら、本当に信じ切ったかもしれない)けれど、初めしばらくの間は、この闘争のために、わたしはどれくらい苦しんだかしれない! わたしは、だれでもみんなそうだとは思わなかったので、その後ずっとこのことを、まるで大秘密のように秘しかくしていた。わたしはそれを恥じた(もしかしたら、今でも恥じているかもしれない)。それが嵩じてくると、なにか常軌を逸した、下劣な、秘密の快楽めいたものをかんじるようになった。どうかすると、あのなんともいえない、いまわしいペテルブルグの夜に、自分の侘び住居へ帰ってきながら、今日もまた陋劣なことをやってのけた、しかしできたことは取り返しがつかないと、一生懸命に意識の中でくり返しては、心ひそかに自分を責めさいなみ、われとわが身を噛み裂き、引き※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)るのだ。そうするとしまいにはこの意識の苦汁が、一種の呪わしい汚辱に満ちた甘い感じに変わって、最後にはそれこそ間違いのない真剣な快楽になってしまう! そうだ、快楽なのだ、まさに快楽なのである! わたしはそれを主張する。わたしがこんなことをいい出したのは、ほかの人にもこんな快感があるものか、それを確実に知りたくてたまらないからだ。わたしは諸君に説明しよう。この場合の快感は、あまり強烈に自己の屈辱を意識するところから生じたのだ。つまり、自分がどんづまりの壁にぶつかって、その苦しさを痛感しながら、しかもほかにどうもしようがない、のがれるべき途がない、今さら別人になるわけにはゆかない、よしまた何かほかのものに変わり得るという信念もあり、時間の余裕があったとしても、おそらく自分からそんな変化を望まなかったに相違ない。それに、そんな気を起こしてみたところで、結局どうもしなかったろうと思われる。なぜなら、変わるべき目標がないからである。――こんなふうに考えるところから、一種の快感が生ずるのだ。しかし、もっとも肝要な最後まで煎じつめた要点は、ほかでもない、こんなことはすべて、強烈な意識に含まれているノーマルな根本法則と、その法則から直接に生ずる惰力によって行なわれるのだから、したがってこの場合、何かに変わるなどということはおろか、もうてんで手も足も出ないのである。たとえば、強烈な意識の結果として、こんなことがいえるのだ。もし当人が本当に自分を卑劣漢だと感じているなら、卑劣漢であるのも正しいことだ。そして、それが卑劣漢にとって気休めになるのだ。しかし、もうたくさんだ……ああ、さんざしゃべり散らしはしたものの、いったいなにを説明することができただろう?……わたしのいう快感はどう説明されたのだ? しかし、わたしは説明してみせる! わたしはいやでも最後までけりをつけずにはおかない! わたしが筆をとったのも、つまりそのためではないか……
 早い話が、わたしは恐ろしく自負心が強い。まるで背むしか小人こびとのように、猜疑心が強くて、怒りっぽい。けれど、本当のところをいうと、もしかりに平手打ちでも喰わせられるようなことがあったら、わたしはかえってそれを喜んだかもしれない、そういったような時が、わたしにはよくあるのだ。真面目な話、わたしはそんな場合でも、一種独得の快感を見つけだしたに相違ない。むろん、それは絶望の快感である。絶望の中にも焼けつくように強烈な快感があるものだ。ことに自分の進退きわまった窮境を痛切に意識する時などは、なおさらである。で、その平手打ちを喰った場合は、自分が二度と世間へ顔出しができないほど、面目をまる潰しにされたという意識が、いや応なく頭からのしかかって来るわけである。とにかく、肝腎な問題は、なんと理屈をこねてみたところで、結局、要するに、わたしがいつもすべての点において、第一ばんの悪者になってしまうということなのだ。何よりも癪に障るのは、罪もないのに、いわば自然の法則で、悪者になってしまうことである。まず第一に、わたしは周囲のだれよりも賢いのが悪いのだ(わたしはいつも周囲のだれよりも賢いと自認して、ときには、諸君は本当にされないかもしれないが、それをきまりわるく感じるくらいだった。少なくとも、わたしは一生妙にそっぽばかり見ていて、けっして人の顔をまともに見たことがない)。第二には、たとえわたしに高潔心があったにもせよ、それがなんの役にも立たないと意識することによって、かえってよけいに苦しい思いをするばかりなので、それもわたしが悪いことになるのである。わたしはおそらく自分の高潔心から、何一つしでかすことができないだろう。ゆるすこともできまい。なぜなら、無礼者がわたしを殴ったのは、たぶん自然の法則に従ったものだろうが、自然の法則をゆるすなどということは不可能だからである。それかといって、忘れることもできない。たとえ自然の法則とはいいながら、それでもやはり癪だからである。最後に、たとえわたしが全然高潔ぶろうなどと思わないで、無礼者に復讐しようと望んだにもせよ、結局、だれにも何ひとつ復讐することができなかったろう。なぜなら、よしんばできることであっても、きっと何一つ決行する気になれそうもないからである。どうして決行できないか? このことについて、わたしはとくに一言したいのである。


 自分の恨みを晴らしたり、全体に自己の主張を通したりするような人間は、――たとえば、どんなふうにやるのだろう? 思うに、彼らは復讐の念に駆られると、その時は彼らの全存在に、この感情以外の何ものも残らなくなってしまうに相違ない。そんな連中は、まるで猛り立った牡牛のように、角をぐっと下のほうへ傾けながら、まっしぐらに目的を指して突進するので、壁にでもぶっつからない限り、引き止めることはできない(ついでにいっておくが、こんな連中、つまり、直情径行の人だの活動家だのは、壁にぶっつかると、真っ正直に兜をぬいでしまうのである。彼らにとっては、われわれのように考えてばかりいて、したがってなんにもしない人間とちがって、壁は方向転換の理由でもなければ、途中から引っ返す口実にもならない。われわれのような連中なら、普通、自分ではそんな口実など信じないくせに、いつもそれをもっけの幸いにしたがるものなのだが、直情径行派はなかなかどうして、真っ正直に兜をぬいでしまうのである。壁は彼らにとって、なんとなく心を落ちつけるような、道徳的な解決を与えるような、決定的な、というより、ほとんど神秘的な意義を有しているのだ……しかし、壁のことは後廻しにしよう)。さて、こうした直情径行的の人間を、わたしは本当のノーマルな人間だと思う。これこそ慈母のごとき自然が、わたしらをいとも優しく地上に生みおとす時、かくあれかしと望んだような人間なのである。わたしはこういう人間を見ると、腸が煮えくり返るほど羨しくなる。こういう連中は頭が鈍い、それはわたしもあえて争わない。ノーマルな人間は馬鹿なのが本当かもしれない。諸君はなぜかそのわけをごぞんじのことと思う。それはきわめて立派なこととさえいえるだろう。わたしがこのいわば一種の疑念に類したものを、ますます堅く信じこんでしまったのは、ほかでもない。もしかりにノーマルな人間のアンチテーゼ、即ち自然の懐から出たのでなしに、蒸溜器レトルトから生まれたような(これはもうほとんど神秘主義に属するが、諸君、わたしはそれをも多少信じている)、強烈な意識を有する人間を例にとってみると、このレトルトの人間がどうかすると、自分のアンチテーゼの前に兜を脱いでしまい、強烈な意識を有しているにもかかわらず、好んで自分を二十日鼠かなんかのように考えて、人間扱いをしなくなるのである。たとえ強烈な意識を有する二十日鼠にもせよ、要するに鼠は鼠である。ところが、一方は人間だから、したがってその他のいっさいが備わっているわけだ。しかも、肝腎なのは彼が自分で自分を二十日鼠扱いにしていることで、だれもそんなことをたのみはしないのだ。これが重要な点なのである。ところで、今度は、この二十日鼠の行動ぶりを一見しよう。かりにこの鼠も同様に侮辱を受けて(こいつはほとんど年じゅう、侮辱を受けているのだ)、やはり復讐を念じているとしよう。この鼠の心中には、おそらく l'homme de la nature et de la v※(アキュートアクセント付きE小文字)rit※(アキュートアクセント付きE小文字)(自然と真理の人)よりも、もっと憎悪の念が、つもりつもっているに相違ない。おなじ悪をもって敵に復讐しようという穢らわしい下等な欲望が、鼠の腹の中では、自然と真理の人ロンム・ド・ラ・ナテュール・エ・ド・ラ・ヴェリテよりも、もっと醜悪なかたちでひしめきあっているかもしれない。というのは、自然と真理の人ロンム・ド・ラ・ナテュール・エ・ド・ラ・ヴェリテは生まれつき愚鈍なために、自分の復讐をただお手軽に正義と考えているからである。ところが、二十日鼠は強烈な意識のためにこの場合、正義などというものを否定してしまう。そして、結局、仕事そのもの、復讐行為そのものに走ってしまうのである。不幸な二十日鼠は、最初しでかしたたった一つの穢らわしい行為のほかに、いろんな問題や疑惑といった形で、さまざまな穢らわしいものを、自分の周囲に早くも山のごとく積み重ねてしまった。数限りない未解決の問題を、一つの問題にもっていってしまうので、そのまわりには何かしら宿命的なごった汁ができあがってしまう。このごった汁というのは、鼠自身の疑惑や煩悶を初めとして、裁判官や独裁官といった体裁で、その前に威風堂々と控えながら、健康なのどを一杯に拡げて、からからと笑い飛ばしている直情径行的な人間どもの唾、――こういうものでできている悪臭ふんぷんたるどぶ泥みたいなものなのだ。むろん、鼠はただいっさいを無視するように手をひとつ振って、自分でも信じていない付け焼刃の軽蔑の微笑を浮かべながら、自分の穴のなかへ見苦しく潜り込むよりいたし方がないのである。そこで悪臭ふんぷんたるいまわしい床下で、侮辱と冷笑に打ちのめされたわが二十日鼠は、さっそく冷たく毒々しい、しかも永劫消えることのない憎悪に浸るのだ。四十年くらいぶっつづけに、自分の受けた浅ましい侮辱をきわめて零細な点まで、残りなく思い起こすのだ。そうして、その度にいっそうあさましいデテールを勝手につけ足しながら、自分の空想で意地悪く自分を嘲弄し、いら立たせるのである。われとわが空想を恥じながらも、やはりいっさいのことを思い起こして、再三再四こころの中で捏ね返したあげく、こんなこともやはり起こる可能性があったのだというのを口実に、とんでもないことを考えだして、自分で自分を侮辱する。こうして、何一つ容赦しようとしない。たとえ復讐を始めるにしても、こちょこちょと小出しにこっそりやるので、自分の復讐の権利もその成功も、まるで信じてはいないのだ。そして、自分の復讐の試みのために、相手よりもかえって自分のほうが百層倍も苦しんで、先方はけろりとすましているに相違ないのを、前からちゃんと知り抜いているのである。臨終の床に横たわりながら、またしても、根こそぎありったけのことを思い出すが、今度は長年の間につもりつもった利息までが、おまけにくっついているのだ、そして……けれども、つまりこの冷ややかな、いまわしい、半ば絶望的な、半ば希望を蔵しているような状態の中に、――自棄半分に四十年間も意識的に自分を床下に生埋めにしたという事実の中に、――強いて造り出してはみたものの、多少怪しいところのあるこうした救いのない境遇の中に、内訌してしまった満たされざる欲望の毒素の中に、躊躇ののちに永久変わらぬ決心を取ったと思う間もなく、すぐ次の瞬間に湧き起こる悔恨の中に、――こうした熱にでも浮かされたような混沌のなかに、さっきわたしのいった不思議な快感の真諦が蔵されているのである。それは、きわめて微妙な、時とすると、意識で捕捉できないようなことがらなので、少しでも頭に融通の利かない人間や、太い神経の持ち主などは、この問題になると、てんで何が何やらわからないのである。『ことによったら』と、諸君はにやにや歯をむきながら、自分の意見をつけ加えるだろう。『一度も平手打ちを喰ったことのない連中も、やっぱりよく飲みこめないでしょう』こういったわけで、わたしが今までの生涯で、おそらく平手打ちの一つくらい喰ったものだから、そこでこの問題の通人らしい口をきくのだろうという意味を、婉曲に当てこするに相違ないのだ。諸君がそう思っていられるのは、賭けをしてもいいくらいである。しかし、諸君、乞う、意を安んぜよ。わたしはまだ平手打ちを受けたことはないのだ。もっとも、この点、諸君がなんと思おうと、わたしにとってはまったくどうでもいいことなのだけれども、わたしはことによったら今までの生涯で、自分から人に平手打ちを喰らわせる度数が少なかったのを、残念に思っているかもしれないのだ。しかし、もうたくさんだ。諸君にとって並み並みならぬ興味を有するこの主題については、これ以上もう一言も語らないことにしよう。
 そこで今度は、快感のもつある種の繊細味を解しない神経の太い人間のことを、冷静に語りつづけるとしよう。こうした連中は、ある場合に際会すると、たとえば牡牛のごとくのど一杯に咆え散らして、そのために非常な名誉をかち得るには相違ないだろうけれども、しかし前述したごとく、彼らは不可能事にぶっつかると、すぐおとなしくなってしまうのだ。不可能事、――これは即ち石の壁なのか? では石の壁とはどんなものなのか? それはまあ、いうまでもなく、自然の法則であり、自然科学の結論であり、数学である。たとえば、人間は猿から進化したのだと証明されたら、もう顔を顰めたって始まらないから、そのまま頂戴しておかなければならない。また、自分自身の脂肪の一滴は本質的に見て、同胞の脂肪の数万滴よりも貴重であらねばならぬ。したがって、あらゆる善行も義務も、その他あらゆる偏見も世迷い言も、この結論を基礎として解決さるべきである、とこんなふうに証明されたら、もはや仕方がない、やはりそのまま受け取らねばならない。なにしろ、それは二二が四であり、数学なのだから、うっかり口答えでもしようものなら、それこそ大変だ。
『とんでもない』とみんな叫び出すだろう。『反抗なんかするわけにはゆきません、これは二二が四なんだから! 自然はきみの意見なんか聞きゃしません。自然はきみの希望がどうだろうと、自分の法則がきみの気に入ろうと入るまいと、そんなことは無関心なんです。きみは自然をあるがままに受け容れるべきで、したがってその結果をもすべてありがたく頂戴しなければなりません。壁はとりもなおさず壁なんですよ……しかじか云々』ええじれったい、わたしにはなぜかこの法則や二二が四が気にいらないのに、自然律だの数学だのに、なんの係わりがあるというのだ? むろん、わたしは自分の額でこの壁を打ち抜くことはできない。そんな力は本当に持ち合わせがないのだから。けれども、わたしはけっしてこの壁と和睦しやしない。なぜといって、わたしの前に石の壁が突っ立っていて、しかもわたしにそれを打ち抜く力がないという、ただそれだけの理由でたくさんなのだ。
 こうした石の壁は本当に鎮静剤か何かで、じじつ平和をもたらす一種の呪文を含んでいるように、世間では考えられている。それはこの石壁が二二が四であるという、ただそれだけの理由にすぎないのだ。おお、なんという愚の骨頂だ? それに比べると、いっさいを理解し、いっさいを意識し、すべての不可能事や石の壁を達観しながら、もし妥協がいまわしく思われたら、その不可能事や、石の壁のどれ一つとも妥協しないほうが、どれだけ堂々として立派かわからない。どうしても避けることのできない論理的なコンビネーションの道を辿りながら、この石壁についてもなぜか自分に罪がある、などという永久不変のテーマに溺れて、思いっきりいまわしい結論に到着する(もっとも、自分に何一つ罪がないのは、ここでも火を見るより明瞭なのだけれど)。その結果、無言のまま力ない歯がみをつづけ、腹を立てようにも、結局、相手がないのをぼんやり考えながら、蕩然と惰性の中に感覚を麻痺させてしまうのだ。実際、怒ろうにも相手がない。或いは永久にそんなものは出て来ないのかもしれない。これは、いかさまカルタ師がやるような札のさし変えに類した手で、何かごまかされているのだ。これはもうなんのことはない、本当のどぶ泥だ、――何がなんだかだれがだれだか、まるっきりわからない。しかし、こうしたごった返しやさし変えにかかわらず、やはりある痛みを感ずる。そして、わけがわからなくなればなるほど、ますます痛みがひどくなって来るのだ。


『はっ、はっ、なるほど! してみると、きみは歯痛にも快感を見つけだそうというんだね!』と諸君は笑いとともにこう叫ぶだろう。
『それがどうしたのだ? 歯痛にだって快感はありますよ』とわたしは答えよう。『わたしはまるひと月、歯痛に悩んだことがあるから、確かに快感のあることを知っていますよ。この場合はむろん、黙ってぷりぷりしているのじゃなくって、唸り声を立てるのだけれども、その唸り声は真っ正直なものじゃない。それは意地悪を伴った唸り声なんで、つまりその意地悪の中にこそ、曰くがあるのです。この唸り声の中にこそ、苦しめるものの快感が表現されるのです』もし快感を覚えなかったら、――当人おそらく唸りはしなかったろう。これはいい例だから、諸君これをひとつ発展さしてみよう。この唸り声のなかには第一、当人の意識にとって屈辱的な苦痛の無目的が表現されている。つまり、それは自然の合法性であって、そんなものは諸君にとって一顧の値打ちもないけれど、やはり諸君はそのために苦しんでいる。ところが、自然は平気なんだからね。そこで、敵はどこにもいないのに、痛みは存在するという意識が表現されるわけだ。つまり、諸君はありとあらゆるヴァーゲンハイム(ドイツ人の名歯科医)も十把ひとからげにして完全に自分の歯の奴隷となっていて、もしだれかがその気になれば、歯痛は止まってしまうけれど、もしその気にならなかったら、まだ三か月もいたみとおすのだ。そして、諸君がいつまでもそれを納得しないで、相変わらず反抗をつづけるとすれば、諸君はただ気休めに自分で自分をぶん撲るか、拳固をかためてこっぴどく邪魔物の壁を叩きつけるか、それよりほかの手はまるで残されていない、――こういったような意識の表現なのである。さて、こんな血の滲むような屈辱感や、たれのとも知れない嘲笑がもととなって、ついには情欲のきわみに達するほどの快感が始まるのだ。諸君、わたしは諸君にお願いがある。いつか十九世紀の教養人が歯痛に苦しめられて、唸っている声に耳を澄ましてもらいたい。それも痛み出してから二日目、ないし三日目あたりがよろしい。その時は初めの日に唸ったのとは、大分ちがった唸り方をするようになる。つまり、単に歯が痛いからといって、がさつな百姓男が立てるような唸り声ではなく、ヨーロッパ的文化の洗礼を受けた発達した人間のような唸り方、つまり、今のはやり言葉を使っていえば、「祖国の土と国民的本質から絶縁された」人間のような唸り方をするのである。彼の唸り方はなんとなくいやな、胸の悪くなるほど意地悪い調子になって、それが毎日毎晩ひっきりなしにつづくのだ。そんなに唸ったところで、なんの役にも立たないことは、当人もちゃんと心得ているのみならず、ただいたずらに自他の精根を疲らせ、いら立たしい気持ちにさせるばかりなのを、だれよりもよく知り抜いているのだ。彼がそれを目当てに骨折って自分の苦痛を見てもらおうとしている公衆も、家族ぜんたいも、彼の唸り声を聞きながら、今ではもう嫌悪の念さえいだくようになり、その真実さをこれからさきも信じないで、妙な節をつけたり技巧を凝らしたりしないで、もっと率直に唸ることができそうなものだ。あれはただ面当てから意地になって、悪ふざけしているだけの話さ、などと腹の中で考える、――それも当人はすっかり知り抜いているのである。まあ、こういうさまざまな自意識や屈辱の中に、情欲にも似た快感が含まれているのだ。いってみれば、『わたしはあなた方を悩まして、みんなの心を掻きむしっている。そして、家中の者を寝させないようにしている。だから、みんな眠らないでいなさい。わたしは歯が痛いんだということを、あなた方も一刻一刻やみ間なしに感じるがいいんだ。以前わたしはあなた方の目に英雄らしく見られたいと思ったものだけれど、今ではもうそれどころか、ただの穢らわしい人間で、一個の無頼漢にすぎない。なあに、それならそれでかまわないさ! あなた方がわたしの本性を見破ってくれたので、わたしは結句ありがたいくらいだ。あなた方はわたしの下品な唸り声を聞くのがおいやなんでしょう。ふん、それなら勝手にいやがるがいい、今にもっといやなやつを、節をつけて聞かしてやるから……』諸君、諸君はこれでもまだわからないだろうか? 駄目だ、この快感のありとあらゆる陰影を解するためには、深く深く徹底的に精神的発達を遂げて、底の底まで自覚しつくさなければならないらしい! 諸君は笑っていられるのか? それならこちらも愉快だ。諸君、わたしの洒落はむろん下品なところがあって、なだらかでなく、筋を外しがちで、おまけに自分で自分を信じないような調子だが、しかしそれというのは、わたしが自己を信じないからである。いったい自意識の発達した人間が、いくらなんでも自己を尊敬するなんてできるものだろうか。


 さて、借問するが、自分自身の屈辱感の中にさえ、快感を見いだそうなどと企らむような人間が、はたして多少なりと自己を尊敬し得るものだろうか? わたしが今こういうのは、変に甘ったるい慚愧の念などのためではない。それに、全体からして『ごめんなさい、パパさん、これからはもういたしません』などというのが、わたしは我慢のできないたちだった、――それも、わたしにそれがいえないからではない。それどころか、あまりいえ過ぎるためかもしれない。まったく大いにいえるのだ! わたしはてんで夢にも悪いことをした覚えがないような時に、よくわざとへまなことをやってのける。それが何より一番いまわしいのだ。そうすると、わたしはまたしてもしんから感激して、後悔の涙を流したものである。むろん、わたしは自分で自分を欺いたのだが、何もけっして芝居を打ったわけではない。ただなんとなくわたしの心がそんないやな真似をさせるのだ……この場合、自然の法則さえも責めるわけにはゆかない、もっとも、この自然律はなんといっても、一生涯の間、こっぴどくわたしを侮辱しつづけたのだけれど。こんなことは思い出すのも穢らわしい、それに、その当時だって穢らわしかった。実際ものの一分もたつと、わたしはもう毒々しい気持ちをいだきながら、こんなことはみんな嘘だ、いまいましい嘘だ、とってつけた嘘だ、こんな後悔も、感激も、更生の誓いも、みんな何もかも嘘だと考え直すのである。そもそもわたしはなんのために、ああ自分で自分をひん曲げたり、苦しめたりしたのか、ためしに聞いてみるがいい。その答えは、――ぼんやり懐手をしているのが退屈でたまらなかったので、それでいろんな軽業をしてみたのだ、とこう来るに違いない。まったくそのとおりなのだ。諸君、よく気をつけて自分を観察して見たまえ、なるほどそのとおりだと合点がゆくから。つまり、なんとかして生きてゆくためには、自分でいろいろな冒険を案出して、人生を創作しなければならなかったのだ。まあ、早い話が、わたしはいままでどのくらい腹を立てたかしれない。それも理由あっての話ではなく、ただなんということなしに、わざとやるのだ。自分でも腹を立てるわけはないと承知しながら、自分で自分に油をかけて行くうちに、とうとうまったく心底から腹を立てるようになってしまうのだ。わたしはどうも、一生涯、こういう芝居を打ちたい気もちに取りつかれて、しまいにはもう自分で自分の意志を支配することができなくなった。いつかは無理に恋をしようと思ったことさえある。しかも、それが二度まであったのだ。正直なところ、諸君、わたしはずいぶん苦しんだ。魂の奥底では、自分が苦しんでいるなどとは信じられない。むしろ冷笑の気分が動くのだけれど、それでもとにかく苦しんだ。本当に正真正銘の苦しみをした。嫉妬の念に駆られて、前後を忘れたこともある……それもこれも、みんな退屈から出たことなのだ。諸君、すべては退屈から生ずるのだ。惰性に圧倒されてしまうからだ。実際、意識というものから直接生ずる合法的な結果は、ほかでもない、この惰性なのだ。いい換えれば、意識的な拱手傍観の生活である。このことはもう前に述べておいた。くり返していうが、とくに強調してくり返しておくが、すべて直情径行的の人間や活動家は、彼らが鈍感で浅薄な人間であればこそ、そのために実行的にできているのだ。これをどう説明したらよかろうか? そうだ、こういったらいい。彼らは自分の浅薄な性質のために、もっとも手近かな第二義的の原因を根本的なものと取り違えて、自分の仕事の絶対不変の基礎を発見したと、恐ろしくせっかちに、気軽に確信してしまって、そこでほっと安堵の息をつく。それがもっとも大切な点なのである。実際、活動を始めようというのには、まずあらかじめ安心し切っていて、それこそなんらの疑惑も残らないようにすることが必要である。ところで、たとえばわたしなどは、どんなふうに自分を安堵させることができるだろう? 自己の支柱とすべき根本的の理由はどこにあるのだ、肝腎かなめの基礎はどこにあるのだ? どこからそれをとって来たらいいのだろう? わたしは思索の自己鍛錬をしているので、したがって、一つの根本的原因が更により以上根本的なやつを引きだしてくる、これが無限にどこまでもつづくのだ。これがすなわちすべての意識とか、思索とかいうものの本質なのだ。してみると、もうこれこそ、例の自然律というやつに違いない。そうすると、最後は結局どうなるのだろう? やはり同じことなのである。ついさっき、わたしが復讐のことを話したのを思い出してもらいたい(諸君はおそらく、ろくすっぽ聞いてはいられなかったのだろう)。前にもいったとおり、人が復讐するのは、そこに正義を見いだすからである。つまり、彼は根本的な理由、いい換えれば正義を見いだしたわけだから、したがって、あらゆる点において安心を得たことになる。そこで、潔白な正しい行為をしているという確信をいだきながら、落ちつき払って復讐の目的を達することができる。ところが、わたしはその行為に正義も発見しなければ、徳行などもいっこうに見いださないので、もし復讐するとすれば、要するにただ面当てのためにすぎない。この面当てというやつは、もちろん、疑惑にしろ何にしろ、いっさいのものを克服する力があるのだから、したがって、立派に根本的原因の代わりを勤めることもできたはずなのである(というのは、そんなものがなんの原因でもないからである)。しかし、もしわたしに面当ての気持ちなどまるでないとしたら、いったいどうしたらいいのだろう(わたしはさっきここから議論を始めたのであった)。憤怒はここでもまた、例のいまわしい意識の法則の作用で、化学分解的にばらばらになってしまう。みるみるうちに、肝腎の対象がちりぢりになって論証は霧のごとく消え失せ、責任者は見つからないで終わってしまう。そして、侮辱はもはや侮辱でなく、宿命みたいなものになってしまうのだ。いわば、だれを責めることもできない歯痛のようなものに変わるのである。そこでまたしても、やはりたった一つの方法しか残らないことになる。つまり、壁をこっぴどく撲りつけることなのである。まあ、こういうわけで、結局、諦めてうっちゃらかすより仕方がない。なぜなら、根本原因が見つからなかったからである。かりに根本原因も理屈も抜きにして、ちょっとのま意識をおっ払いながら、盲目的に自分の感情に引き摺られてみるのもよかろう。ただ腕組みしてぼんやり坐っていないために、憎むなり愛するなりしてみるのだ。そうすると、どんなに遅くも三日目ごろには、自分で自分を軽蔑するようになるだろう。つまり、みすみす自分で自分をだましたからである。その結果として残るのは、ただしゃぼん玉と惰性ばかり。ああ、諸君、わたしがわれから賢者をもって自認しているのは、生涯なに一つ始めることも、完成することもできなかったからである。なに、わたしがおしゃべりだってかまわない、みんなと同じような毒にも薬にもならない厄介なおしゃべりだって、少しもかまうことはない。しかし、もしあらゆる賢者の直接にして唯一の使命が饒舌にあるとしたら、語を変えていえば、故意に空虚な議論をこね廻すことだとしたら、なんともいたし方がないではないか。


 おお、もしわたしの無為が単に怠惰のためであったら、ああ、そのときわたしはどんなに自分を尊敬したかわからない。たとえ怠惰にもせよ、あるものを自己の内部に持つことができたという、その点に対する尊敬なのである。つまり、たとえ一つだけでも、自分で確信のできるような、積極的な性質を持つことになるではないか。あれはいったい何者だと人がたずねた時、なまけ者だと答える。自分に関してこんな評言を聞くのは、きっといい気持ちのものに相違ない、『なまけ者!』これは実に一個の肩書であり、使命であり、履歴であるのだ。冗談じゃない。まったくそのとおりなのだ。その時こそ、わたしは第一流のクラブの堂々たる会員で、絶えず自分自身を尊敬するだけが仕事なのだ。わたしはある紳士を知っていたが、その人は赤葡萄酒ラフィットの通であることを、一生自慢にしていた。そして、これを押しも押されもしない人間的長所と心得、かつておのれに疑いをさし挾んだことがない。彼は穏やかな良心どころか、さながら勝ち誇れるがごとき良心をいだいて死んでいったが、それはまさに当を得たことといわねばならぬ。もしそれがわたしだったら、ちゃんと生涯の方針を立てたに相違ない。わたしはなまけ者の大食らいではあるけれど、ありふれたものとはちがって、曰くつきのもの、たとえば、すべての美しくして高遠なるものに同情するなまけ者の大食らいなのである。諸君、如何です、これはお気に入りませんか? わたしはもう前からこれを夢想していたのだ。この「美しくして高遠なるもの」は、四十年間おそろしくわたしのうしろ頭を抑えつけていた。しかし、それはわたしの生涯の四十年間だけれど、その時は、――おお、その時はすっかり話が別だったに相違ない! わたしはさっそくもっと適当な活動を見いだしたことと思う。ほかでもない、すべて美しくして高遠なるものの健康のために、祝盃を挙げることである。わたしはあらゆる機会にしがみついて、まず初め自分の盃に一滴の涙をそそいだ後、すべての美しくして高遠なるもののために、それを飲み乾したに相違ない。その時は、この世のいっさいを美しくして高遠なるものに変えてしまい、思いっきり穢らわしい疑う余地のないやくざなものの中にも、美しくして高遠なるものを見つけだしたろう。わたしは濡れた海綿のように、涙っぽくなってしまったろうと思う。たとえば、一人の画家がゲー(ニコライ・ニコラエヴィチ。ロシヤの画家、一八三一―九四年)そこのけの画を描いたとすれば、わたしはさっそく、そのゲーそこのけの画を描いた画家の健康を祝して飲むだろう。なぜなら、すべての美しくして高遠なるものを愛するからである。一人の作家が『みんなそれぞれお好きなように』という本を書けば、わたしはいきなり、「だれのでもかまわず」健康を祝して飲む。なぜなら、すべての「美しくして高遠なるもの」を愛するからだ。わたしはそれに対して、他人の尊敬を要求し、わたしに敬意を表さないものを懲らしめてやるつもりだ。平静に生きて荘重に死んで行く、――これは素敵ではないか、実に素敵なことではないか! わたしはそのとき、思いっきり大きな腹をつき出し、顎を三重になるほど太らせて、赤っ鼻をうんと脂ぎらせてやるのだ。すると、出あう人がみんなわたしを見て、『なるほど、これは有益な材だ! なるほど、これこそほんとに肯定的な現象だ!』というに違いない。諸君、諸君はなんといわれようとも、この否定的な時代にこうした評言をきくのは、実にこよなく愉快なことなのである。


 しかし、それはみんな、おめでたき空想にすぎない。ああ、いったいだれが真っ先にあんなことをいい出したか、それを聞かしてくれ。人間が穢らわしい行為をするのは、ただ自己の真の利益を知らないからである、などといったのは、いったい何者だ? この手合いの考え方によれば、人間というものはその知性を啓蒙してやって、本当のノーマルな利益に目を開いてやったら、すぐに穢らわしい行為をしなくなって、善良潔白な人間になりすますに相違ない。なぜなら、啓蒙された知性を持ち、自分の本当の利益というものがわかったら、善行のうちにおのれの利益を見いだすからだ。どんな人間だって、みすみす自分の利益に反するような行為をするはずがないから、いわば必然的に善を行なうようになるわけだ、とこうなのである。ああ、なんという子供らしい考え方だ! ああ、まるで純潔無邪気な赤ん坊の夢だ! 第一、開闢以来ただの一人でも、単におのれの利益のみのために行動した人間があるだろうか? 人間というものは、みすみす自分の本当の利益を承知しながら、それを二の次にしてしまって、だれにも何ものにも強制されているわけでもないのに、別な冒険の道へ突進してゆく。これを証明する無数の事実を、いったいどうしたらいいというのだ! 人間は指定された道を正直に踏んでゆくのがいやさに、それと違った骨の折れる馬鹿馬鹿しい道を、ほとんど暗闇で手探りしないばかりの苦労を重ねながら、われから好んで強情に開拓して行くのだ。してみると、この強情とわがままは間違いなしに、どんな利益よりも気持ちがいいわけである……利益! そもそも利益とはどんなものか? 人間の利益ははたして那辺に存するか? それを諸君は絶対正確に定義し得る自信を有していられるか? ところで、もし万一人間の利益なるものが、自己に有利なことでなく、不利を欲することに帰着するとしたら、いったいどんなものだろう。もしそうとしたら、もしこの万一の場合ばかりがおこるものとしたら、すべての法則は木っぱ微塵に消し飛んでしまうわけだ。いったいこんな場合がちょくちょくあるものか。諸君はどう考えられます? 諸君は笑っていますね。笑いたまえ、諸君、しかし、ただ一つお返事が聞きたい。いったい人間の利益というものは、絶対正確に計量されているだろうか? 今までいかなる分類にも当てはまらなかったのみならず、全体に当てはまり得ないような利益が、はたして存在しないだろうか? 諸君、わたしの承知している限りでは、実際のところ、諸君は人間の利益台帳を編成するのに、統計表の数字や経済学の方式の平均数をとって来たのではないか。諸君の利益というのは、ほかでもない、幸福とか、富とか、自由とか、安寧とか、まあ、そういったようなものをさすので、したがって、こういったような利益の台帳を無視して、意識的にそれに逆行する人間は、諸君の考えによると、いや、もちろん、わたしの考え方によったって同じことだが、そんな人間は頑迷固陋な非開化主義者か、それとも正真正銘の気ちがいということになるのだろう。そうではないか? けれど、ここに不思議なことがある。こうした統計学者や、賢人や、人類愛を標榜する連中が、人間の利益を算出する際に、いつも一つの利益を見落としているのは、いったいどういうわけだろう? 当然とり入れなければならないはずなのに、それを勘定に入れようとしない。ところが、そこで全体の帳尻がすっかりくるってくるのだ。ちょっと考えれば、なにも大したことではないから、その利益を取り上げて、表に記入さえすればよさそうに思われるが、ただこの厄介な利益が、いかなる分類にも当てはまらないし、どの表にも入らないので、そこに難関が存するわけである。たとえば、わたしに一人の友だちがある……あっ、諸君、この男は諸君にとっても友人なのだ。それに、だれだってこの男の友人でないものはない! この先生は、仕事に取りかかるに際して、さっそく立て板に水を流すごとく滔々と、理性と真理の法則にしたがって行動するには、どうしたらいいかということを、諸君に説明して聞かせるだろう。のみならず、本当のノーマルな人間の利益を、興奮と熱情に満ちた調子で弁じ立てた上、自分の利益も徳行の真意義も解しない近眼者流の愚輩を、軽蔑したり非難したりするに相違ない。ところが、――やっと十五分くらいしか経たないうちに、突然これというきっかけもなく、ただいっさいの利益よりも強い力をもった一種の内部衝動に駆られて、まるっきり別な突飛な芸当を演じるのだ。つまり、たったいま自分がしゃべったこととは明瞭に正反対なことをやり出すのである。理性の法則にも、自分自身の利益にも、それから、――ひと口にいえば、あらゆるものに反したことをやり出すのである……断わっておくが、わたしの親友というのは集合名詞的存在だから、この男一人だけを責めるのは、ちょっと具合がわるい。諸君、つまりここのとこなのである。事実、ほとんどすべての人にとって、最上の利益よりもまだ貴いような何ものかが存在していないだろうか? それとも(論理を犯さないようにいい直せば)、――何より最も有益な利益が存在するだろうか。これは、さっきいった一般に見落とされている利益であって、ほかのいかなる利益より最も大切であり、有利なのである。この利益のためには、人はもし必要とあれば、いっさいの法則に逆行することを辞さない。つまり、理性、名誉、安寧、幸福、――ひと口にいえば、こうしたすべての美しく有益なものに逆行しても、ただ自分にとって最も貴重なこの根本的な、最も有利な利益を獲得することさえできればいいのだ。
『ふん、それならやっぱり利益には違いないじゃないか!』と諸君はわたしの言葉をさえぎるだろう。しかし、失礼ながら、われわれはお互いにまだ十分話し合わなければならない。それに、問題は地口じゃない。この利益の特色は、いっさいの分類を破壊し、人類愛論者が人類の幸福のために設けた体系を、残らず叩き壊してしまうところにあるのだ。要するに、この利益はすべてのものの邪魔をするのだ。しかし、この利益の名を諸君に明かす前に、わたしは自分で自分の信用を傷つけるのもかまわず、大胆に宣言しておくが、こうしたさまざまな美しい体系は、――人類に本当のノーマルな利益を説明して『これを獲得することに努力さえすれば、すぐさま、善良かつ高潔な人間になるぞ』といって聞かせるような理論は、目下のところ、わたしにいわせれば、ただのへぼ論理にすぎない! さよう、へぼ論理なのである。実際、自己の利益などという体系によって、全人類を更生させようという理論を肯定するのは、それはわたしにいわせれば、ほとんど……たとえばバックル(イギリスの文明史家、一八二一―六二年)の尻馬に乗って、人間は文明のおかげで温良化し、したがって残虐性を減じて、だんだん戦争などができなくなると、こんなことを肯定するのと同じではないか。論理を押しつめてゆけば、彼の所説はこんなことになるらしい。しかし、人間というものは、体系とか抽象的機能とかに執し過ぎて、ただ自分の論理を是認せんがためには、見れども見えず、聞けども聞こえずというようなやり方で、故意に真実を曲げることさえしかねなくなってしまった。わたしがこの例を引くのは、それがあまりに明瞭な実例だからである。まあ、ひとつ自分の周囲を見廻してみたまえ。血潮は川をなして流れているばかりか、おまけにシャンパンかなんぞのように、さも愉快らしく噴き出しているのだ。これが諸君の讃美する十九世紀であり、バックルの生きていた時代であるのだ。まだナポレオン、――かの偉大なる現代人ナポレオンも控えているし、永遠の連邦国たる北アメリカという例もある。それから最後に、かの滑稽画めいたシュレスヴィッヒ・ホルシュタイン問題……いったい文明は、人間の内部のいかなる性質を和げるというのだ? 文明はただ感覚の多面性を発達させるばかり……それ以外の何ものもありゃしない。この多面性の発達を突きつめてゆくと、人間はおそらく血の中に快感を発見するようになるだろう。いや、実際そのとおりになったのだ。諸君は気がおつきになったか知らないが、最も洗練された流血魔は、ほとんど一人の例外もなく、最高の文化に浴した連中ばかりで、こんなのに比べると、かの盛名を馳せているアッチラカンとか、スチェンカ・ラージンなどといったような手合は、まるで足もとにも追っつかない場合も珍しくない。ただこの連中がアッチラ汗やスチェンカ・ラージンほど、華々しく人目につかないのは、要するに、彼らがあまり頻繁にその辺をうろうろしているので、見馴れ過ぎて当たり前のようになってしまったからである。少なくとも文明のおかげで、人間がいっそう血に飢えて来たといわれないまでも、確かに昔より穢らわしい飢え方をして来た。昔は流血の中に正義を見出して良心のやましさを感じることなしに、当然制裁すべき人間を殺戮したものだ。ところが、いまわれわれは流血を穢らわしいことと考えているくせに、やはりその穢らわしいことをやっている。しかも、昔よりもっと大仕掛けにやっているのだ。いったいどちらが悪いか? それは諸君のご判断におまかせする。伝うるところによれば、クレオパトラは(ローマ史などから例を引くのをご容赦ねがいたい)好んで女奴隷たちの胸に金の針を突き刺し、彼らが叫び声を立てたり身をもがいたりするのに、快感を覚えたそうである。諸君はこれに対して、そんなことは比較的に見ると、野蛮時代のことだといわれるだろう。それに現代だって(やはり比較的に見れば野蛮時代だから)、いまでもやはり人の体に針を立ててもいる。そのうえ人間は、野蛮時代よりはっきり物を見ることを覚えたとはいいながら、いまだに理性や学問の示すとおりに行動することを、いっこうに習い覚えていないのだ、とこんなふうにいわれるに相違ない。しかし、それにしても諸君は心の中で、古い悪習がなくなって、常識と科学が人間の本性を完全に再教育し、定式どおり指導するようになったら、必ず習い覚えるに違いないと確信をいだいておられるはずである。諸君の確信にしたがえば、そのときには人間がみずから好んで過誤を犯したり、自分の意志をノーマルな利益と、撞着させたりするようなことは、自然なくなるはずである。そればかりか、諸君にいわせれば、その時は科学そのものが人間を教導して(もっとも、わたしにいわせれば、それはあまり贅沢すぎる話だが)、人間はかつて自由意志も気まぐれも持たなかったように、すっかりそういうものが影を潜めてしまい、人間自身はピアノの鍵盤か、オルゴールの釘みたいなものになってしまう。それどころか、この世界には自然の法則というやつが厳存しているので、人間が何をしてみても、それはけっして自分の意欲によって実行し得るのではなく、自然の法則によっておのずとできてゆく、とこういうことになるのだ。したがって、ただこの自然律を発見しさえすれば、もう人間は自分の行為に責任をもたないですむから、生活が恐ろしく楽になってしまう。その時はすべての人間の行為が、自然とこの法則によって、数学的に分類され、まるで対数表かなんぞのようになって、その数およそ十万八千にのぼり、年鑑の中にも編入される。それとも、もっと良い案としては、今の百科辞典式の公益を慮る出版物が現われて、人生のことをいっさい正確に計量し、明示してくれるので、もうこの世には行為もなければ、突発事件もないことになってしまうのだ。
 その時こそ、――これはみんな諸君の言葉を代弁しているのだ、――数学的な正確さで計算された据え膳式の新しい経済関係が始まって、問題は瞬時にして、一切合切消滅してしまう。それというのも、すべての問題に対するレディメードの答えを、見つけることができるからである。その時には、水晶の宮殿が建立されるわけである。その時は、――まあ、ひと口にいえば、その時は鳳凰が舞い下りるわけである。むろん(これはすでにわたし自身の意見としていうのだが)、たとえば、そのとき恐ろしい倦怠がおそって来ないとは、いっこうに保証しかねるのである(なぜなら、すっかり何もかも表に計上されてしまったら、何もすることがないではないか)。その代わり、いっさいのものが非常に合理化されて来る。もちろん、退屈まぎれにどんなことを考えださないとも限らない! まったく金の針を刺すのも退屈ざましのためではないか。しかし、そんなことは別に大した問題ではない。ただ一ついけないのは(これもやはりわたしの言い分なのだが)、ひょっとしたら、その時は金の針を刺されて喜ぶようになるかもしれない、その点なのである。なにしろ人間は馬鹿なのだ。あきれ返るほど馬鹿なのだ。いや、けっして馬鹿ではないのだけれども、その代わりまたと類がないほど恩知らずなのである。だから、たとえば、何かこう恩知らずな、というより、退歩的な、人を小馬鹿にした顔つきの紳士が、出しぬけになんのきっかけもなく、見渡すかぎり分別で充満しているような未来の世界のただ中で、両手を腰に当て肘をはりながら、一同に向かって、『どうだね、諸君、この分別くさい世界をひと思いに足で蹴飛ばして、木っぱ微塵にしてしまったら? それもほかに目的があるわけではない、ただこの対数表を悪魔どもの餌食にしてしまって、また自分の馬鹿げた意志通りに生活してみたいからだ!』などといい出したにしても、わたしはいっこうに驚かないつもりだ。実際、これくらいなら、大したことはないのだけれど、必ず模倣者が出てくるに違いない、それが困りものなのである。また人間はそういうふうにできているのだ。これというのも、みんな口にする価値さえなさそうに思われるほど、くだらない原因から起こるのだ。ほかでもない。人間はたとえ何者であろうとも、時と場所とを問わず、自分のしたいように振舞うのが好きなので、理知や利益の命ずるところにしたがうのは、けっして本望ではないからである。意欲するということは、自分自身の利益に反してもできるばかりか、時によると、断然そうしなければならないことがある(これはもうわたしの思想なのだ)。自分自身の自由勝手な意欲、たとえどんなに突拍子もないことでもかまわない、とにかく自分自身の気まぐれ、時には気ちがいめくほど興奮したものでもかまわない、ともあれ自分自身の空想、――これこそすなわち、世人の見のがしている最も有利な利益なのであって、こればかりはどんな分類にも当てはまらず、またこいつのために、いっさいの体系や理論が、木っぱ微塵になってしまうのである。あの賢人などという連中が、たれも彼も、人間には何かしら常軌にかなった徳行的な意欲が必要だと決めこんでいるのは、いったいどこから割り出したのだろう? なんだって彼らは判で押したように、人間には必ず合理的に有利な意欲が必要だなどという、変な妄想を起こしたのだろう? 人間に必要なのは、ただ独立不覊の意欲だけであって、この独立不覊なるものがどんなに高価につこうとも、どんな結果をもたらそうとも、かまってはいられないのである。いや、まったくこの意欲というやつは、途方途轍もないしろ物なのだ……


『はっ、はっ、はっ。だって、意欲なんていうものは、本当のところ存在しやしないんだ、もしお望みなら申しますがね!』と諸君は大声に笑いながら、こうさえぎるだろう。『科学は今日でさえ人間をすっかり解剖し尽くしたので、今ではもう周知の事実になってしまったじゃないか。意欲とか、いわゆる自由意志とかいうものは、ただその……』
 ――諸君、待ちたまえ、わたし自身もそういうふうに切りだそうと思っていたところだ。正直なところ、わたしはぎょっとしたくらいなのだ。わたしはたった今、意欲なんてまったくえたいのしれないものに左右されるしろ物だが、しかしそれも結局、好都合かもしれない、とこうどなろうと思ったのだけれど、ふと科学のことを思い出したので、それで……やめてしまった。ちょうどそこへ諸君が話しだしたというわけだ。まったくそうじゃありませんか。ね、もし本当にいつかわれわれの意欲や気まぐれ全部の方式を発見してしまったら、つまり、それらのものが何に左右されるか、いったいどういう法則によって発生するか、どんなふうに蔓延するか、またかくかくの場合にはいかなる方向に進んで行くか、といったような問題について、本当の数学的な方式を発見してしまったら、――その時はおそらく人間はすぐに意欲することをやめてしまうだろう、いや、確かにやめてしまうに相違ない。ね、ひょうによって意欲するなんて、何が面白いものかね。そればかりでない、そのとき人間はさっそく人間でなくなって、手廻しオルガンの釘か、ないしそれに類したものになってしまうだろう。だって、希望も意志も欲望もないような人間は、手廻しオルガンのシリンダーについている釘でなくって、いったいなんだというのだ? 諸君はいったいどう思う、そんなことが起こり得るかどうか、ひとつ可能性を数え上げてみようじゃないか?
『ふむ……』と諸君は結論を下すだろう。『われわれの意欲は、われわれの利益に関する誤った見解のために、大部分は間違っているのだ。われわれが時として、とてつもない馬鹿げたことを望むのは、つまりわれわれが馬鹿なために、何か前もって仮定した利益を獲得する一番らくな道筋が、この馬鹿げた行為の中にあるように思うからだ。そこで、こういうことがすっかり説き明かされて、紙の上で計算されてしまったら(こういうことも大いにあり得る話だ。なぜといって、ある種の自然法則はけっして人間に知られる時がない、などと頭から信じ切ってしまうのは、いまいましいことでもあり、無意味なことでもあるのだから)、その時はもちろん、いわゆる欲望なるものは存在しなくなるだろう。もしいつか意欲が理性とこっそり談合し完全に合意してしまったら、われわれはそのとき意欲しないで、理性の働きに従うだろう。というのは、たとえば、理性を完全に保ちながら無意義を欲するのは、みすみす理性に逆らって自分の害になることを望む結果になるので、そんなことをする馬鹿はないからである……まったくいつかそのうちには、いわゆる自由意志の法則が発見されるだろうから、すべての意欲や理性判断が本当に細かく計上されるかもしれない。すると当然、冗談は抜きにして、本当に何か表のようなものができあがるかもしれない。すると、われわれは本当にこの表通りに意欲するようになる。たとえば、わたしがある人に赤んべをして見せたとする。そうすると、それはわたしが赤んべをしないでいられないからそうしたので、しかも必ずあるきまった指を使わざるを得なかったのだというふうに、正確な計算の上で証明されるとすれば、その時はいったいどんな自由がわたしに残されることになるだろう。ことにわたしが学者で、どこかの学校の課程を終了していたら、なおさらおかしい話ではないか。実際そうなれば、自分の生涯を向こう三十年間くらい、きちんと割りだすことができようではないか。ひと口にいえば、もしそういうことが実現されるとすれば、われわれはもうなんにもすることがなくなってしまう。どちらにしても、理解だけはしなければならないのだ。それに全体として、われわれは倦むことなしに、こういうことをしじゅう腹のなかでくり返していなければならない、――これこれの瞬間に、これこれの状況においては、自然がわれわれの意向など顧慮してくれないから、こっちで勝手に空想しているようなふうでなく、あるがままに自然を受け入れなければならない。で、われわれが本当にこうした表や、年鑑や、それから……例の蒸溜器レトルトさえも、目標として進んでゆくものとすれば、仕方がないから、レトルトさえも受け容れるべきである! でなければ、レトルト自身諸君を煩わさないで、勝手に納まりこんでしまうだろう……』
 まさにそのとおり。だが、つまりここのところで、わたしにとってはコンマが入るのだ! 諸君、わたしが調子に乗ってへぼ哲学を捏ね廻すのを、どうかゆるしてもらいたい。なにしろ四十年間、地下生活をしてきた人間なのだ! 少しばかり空想を逞しゅうさせてもらおう。さて、諸君、理性はけっこうなものに相違ない。それには議論の余地がないけれど、理性は要するにただ理性であって、単に人間の理知的能力を満足させるにすぎない。ところが、意欲は全生活の発現であって、理性も卑近な生理的作用をも含む人間全生活の発現なのだ。この発現におけるわれわれの生活は、かなりしばしばやくざなものになることがあるけれど、それでもやはり生活であって、単なる平方根を求めるような仕事とは違う。早い話がわたしにしても、単に自分の理知的能力、すなわちわたしの生活能力の僅か二十分の一くらいのものを満足させるためでなく、生活能力の全部を満足させるために生きたいと思うのは、あまりに自然すぎる話ではなかろうか。理性はそもそも何を知っているというのだ? 理性はただ今まで認識できたものを知っているにすぎない(ことによったら、ある種のことがらは永久に知り得ないかもわからない。これは悲しむべきことではあるが、それだって率直にいってはならぬという法はあるまい?)。ところが、人間の自然性は、自分の内部に存するいっさいのものを挙げて、意識的に或いは無意識的に全一的の活動をしているのだから、見当違いもあるけれど、とにかく生活をしているわけだ。諸君、どうやら諸君は気の毒そうな目つきをして、わたしを見ていられるらしい。諸君はまたくり返してこういわれるだろう、――知性の発達した教養のある人間、つまりひと口にいえば、未来人としての資格を有する人間が、みすみす自分の不利益になることを望むわけがない、それは数学的に明瞭なことだ、と。重々ごもっとも、それはまったく数学的に明瞭である。しかし、くどいようだが、くり返していっておく。この世にはたった一つ、たった一つだけ人間がわざと意識して、自分の不ためになるような馬鹿げたことを、この上なしの馬鹿げたことさえ望む場合がある。というのは、賢明なことよりほか望んではならないという義務に縛られないために、この上もない馬鹿げたことさえのぞむ権利を持ちたいからである。諸君、まったくこの馬鹿げきった行為、つまり、自分自身の勝手な気まぐれこそ、われわれのような人間にとっては、この地上に存するいかなるものにもまして、本当に尊い有益なものかもしれないのだ。ことにある場合などは、なおさらなのである。部分的にいえば、かかる行為がわれわれに明瞭うたがいなき害毒をもたらし、利益にかんするわれわれの理性の健全なる結論に矛盾するような場合でさえ、それはいっさいの利益を束にしたよりもっと有利なのかもしれない――なぜなら、それはいずれにしても、われわれにとって最も重要で貴重なもの、すなわちわれわれの人格と個性とを保持してくれるからである。なかにはこう主張するものがある、なるほど、これこそ人間にとって何より尊いものだ。意欲というものは、その気にさえなれば、当然理性と合致することができる。もしそれを濫用しないで、適度に利用してゆけば、ことにしかりである。そうすれば、単に有益であるのみならず、時とすると、賞讃に値することさえある。しかし、意欲というやつはきわめてしばしば、というより大ていの場合、強情と思われるほど完全に理性と撞着するものだ。そして……そして――そして、ごぞんじかしらないが、これも単に有益なばかりでなく、時によると、大いに賞讃に値するくらいである。諸君、かりに人間は馬鹿でないと仮定しよう(実際、人間のことをそんなふうにいうのは、断じて不可能である。なぜなら、もし人間が馬鹿だとすれば、そのときはいったいだれが利口ものなのだ? これだけの理由でも、明瞭なことではないか)。しかしたとえ馬鹿でないとしても、やはりあきれ返るほど恩知らずである! 類がないほど恩知らずである。わたしはこんなふうにさえ考える。人間というものの最も適切な定義は、二本足で歩く恩知らずの動物なり、ということになる。けれども、これではまだ全部をつくしているのではない、これはまだ人間の主なる欠点ではないのだ。人間の最も主なる欠点は、ほかでもない、永遠不変な不徳義である。人類史の大洪水時代からはじめて、シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン事件にいたるまで、常に変わることなき不徳義である。この不徳義から当然の結果として、無分別というものが出てくる。なぜといって、無分別が不徳義の結果にほかならぬということは、とうの昔から知れ渡っている話だ。試みに、人類の歴史に一瞥を投じて見たまえ。いったい諸君はそこに何を見いだすか? 荘厳といわれるか? 或いはじじつ荘厳かもしれない。たとえば、ロードス島の巨像(多島海中の二島嶼に両足を踏んで立っていたといわれる伝説の像)だけでも、どれだけの価値があるかしれない。アナーエフスキイ氏(アファナーシイ・エヴドキーモヴィチ、文学史上で有名な文学狂、一八六六年没)がそれについて、ある者はそれを人工によって造られたものだといい、またある者は自然そのものの創造物のごとく主張すると述べているのは、故なきことではないのである。――それとも、あまり雑然とし過ぎるというか? 或いはじじつ雑然としているかもしれない。あらゆる時代あらゆる国民の武官や文官の着用していた礼服を調べてみるだけでも、それだけでもなかなか大したものである。もしそれに略服まで勘定に入れるとしたら、それこそ五里霧中に彷徨してしまい、どんな歴史家だって、悲鳴をあげずにはいられないだろう。それとも、すべては単調なのだろうか? いや、おそらく単調でもあるだろう。闘争、闘争。人は今でも戦っている、昔も戦っていた。今後も戦うだろう、――ねえ、これではもうあんまり単調すぎるではないか。要するに、世界歴史に関しては、どんなことでもいえるのだ。混乱し切った頭脳にうかんでくるどんなでたらめの想像でも、これに当てはめることができるくらいだ。けれど、ただ一ついえないことがある、――それは分別に富んでいるということだ。そんなことをいおうものなら、最初のひと言で舌が縺れてしまうだろう。それどころか、こんな妙なことさえしょっちゅう持ちあがっているのである、――この世の中には非常に徳操の高い、分別に満ちた人たちや、えらい賢人や人類愛論者などが、ひっきりなしに現われてくる。彼らはできるだけ徳行と賢慮とに満ちた行動を取って、いわば自分の徳によって隣人のために道を照らすことを、生涯の目的としている。それというのも、つまり、この人生は、実際徳行と賢慮とによって暮らし得るものだということを、世人に示さんがためなのである。ところが、どうだろう? 周知のごとく、こうした人類愛の先生たちは、大ていおそかれ早かれ生涯の終わりになって、何か変てこな逸話を製造し、自分自身に裏切るような結果におわってしまう。しかも、その逸話たるや時とすると不作法この上ないものさえあるのだ。そこで、今度は諸君におたずねするが、こういう奇妙な性質を賦与された動物としての人間から、いったい何を期待することができよう? まあ、試みに、ありとあらゆる地上の幸福を人間に浴びせかけ、幸福というものの中に頭ごとずんぶり沈めてしまって、その幸福の表面に、まるで水面みのもにうかぶ泡のようなものが、ぶくぶくと浮きあがるような目にあわして見たまえ、また人間に十二分の経済的満足を与えて、ただぐうぐう寝たり、生姜餅を食ったり、世界歴史の永続を心配したりするよりほかに、仕事がないような境遇に置いて見たまえ、――それでもやつは、その人間先生は、ただ恩知らずな気持ちのために、穢らわしい天邪鬼あまのじゃくのために厚顔無恥なことをしでかすに相違ない。生姜餅の幸福さえも棒にふる覚悟で、わざわざ身の破滅になるような、思い切って非経済的な、馬鹿げたナンセンスを欲求するに相違ない。それもただ、この道理ずくめの分別くさい世界に、破滅と幻想の分子を混和させたいというだけの話である。まったくこうした突拍子もない空想や、俗悪きわまる馬鹿げた欲望を、どこまでも失うまいと望むのだ。それもただただ人間はなんといっても人間であって、ピアノの鍵盤ではないということを、自分で自分に、確認させたいがためにすぎない。ピアノの鍵盤を叩くものは、自然の法則そのものには違いないが、こいつがあまり調子にのって弾きまくると、もう表を無視しては何一つ意欲することができなくなるおそれがある、そのことを自分に警告したいのだ(まるでそんなことがこの上もない必須事か何かのようにさ)。そうだ、そればかりではない、人間はたとえ本当にピアノの鍵盤にすぎないとして、それを自然科学で数学的に証明された場合でも、それでもなかなか目がさめないで、かえってわざと何か変なことをしでかすに相違ない。要するに、単なる忘恩の気持ちから自己を主張したいというだけの目的なのだ。もし適当の手段がない場合には、破壊と混沌とを考えだし、さまざまな苦痛を考案し、それでもとにかく自我を主張し通すのだ! そのとき人間は全世界に呪詛を放つだろう。呪詛というやつは、ただ人間のみに与えられた能力なので(これこそ主として、人間を他の動物から区別する特権なのだ)、おそらくただの呪い一つだけで、自分の目的を達するだろう。すなわち、自分が人間であって、ピアノの鍵盤でないということを、本当に確信するだろう! 諸君はことによったら、そんなものはみんな、混沌も、暗黒も、呪詛も、すべて表によって計算できるから、この予備的計算の可能ということだけでも、いっさいを阻止することができ、結局は理性の勝利に終わるだろう、などといわれるかもしれないが、――そうすれば、人間はわざと気ちがいになって、理性をもたないようにしてでも、自分の主張を貫徹するだろう! わたしはそれを信ずる。わたしはそれを保証する。なぜといって、人間は絶えず自分が人間であって、単なる釘でないことを証明したがるもので、人間の仕事は実際のところ、ただそのこと一つに尽きているからである! たとえ自分が痛い目をしても、とにかく証明しようとしたのだ。よしんば穴居生活などという形式によっても、それを証明しようとしたのだ。こうなってみると、そんな表は存在しない。意欲はまだ今のところえたいの知れないものに左右されていると、度し難い主張をしてみたくなるのも、一概に無理とはいえない。
 すると、諸君はこう叫ぶだろう(もし、諸君がわたしなどに声をかける値打ちがあると認めるならば)、だれもきみの意志を奪おうというものはありゃしない、ただなんとかしてきみの意志がみずから進んで、きみのノーマルな利益や、自然の法則や、算術などと合致するように、うまく仕組みたいと心配しているだけだ、と。
 ――えいっ、諸君、何をいうのだ、問題が表や算術なんてところまで行ってしまって、ただ二二が四だけ幅を利かすようになったら、もう自分の意志も何もないじゃないか? 二の二乗は、わたしの意志なんかなくたって、やっぱり四になるんだからな。自分の意志となると、そんなものじゃありゃしないんだ!


 諸君、わたしはもちろん、冗談をいっているのだ。これが悪い洒落だということは、自分でも承知している。けれど、それかといって、何もかも冗談にしてしまうわけにはゆかない。ことによったら、わたしは歯を喰いしばりながら、冗談をいっているのかもしれない。諸君、わたしは多くの問題に苦しんでいる。どうかそれを解決してもらいたい。早い話が、現に諸君は人間を旧習から解放して、科学と常識の要求通りに人間の意志を強制しようとしている。しかし、人間をそんなふうに改造できるというだけでなく、またそれが必要だなどということを、いったい諸君はどうして承知しておられるのか? 人間の意欲はどうしても匡正せねばならないなどと、諸君はどこから割りだしたのか? 手っ取り早くいえば、こうした匡正がじっさい人間に利益をもたらすなんてことを、どうして諸君は心得ていられるのだ? また、こうなったら何もかもいってしまうが、理性や数学の推論によって保証された本当のノーマルな利益に逆行しないということが、いつも人間にとって真に有利であり、かつ全人類の服膺ふくようすべき法則であるなどと、どうして諸君はそれほど確実に信じ切っていられるのか? そんなことはまだ今のところ、単に諸君の仮定にすぎないではないか。かりにそれが論理の法則であるとしても、けっして人類の法則ではないかもしれぬ。諸君、諸君はおそらくわたしを気ちがいだと思っていられるだろう? ここに一言留保をさせていただきたい。わたしは諸君のご意見に同意しよう。人間というものは主として創造的動物であって、意識的に目的にむかって突進し、土木技師的事業に従うべき運命を担っている。すなわち、よしや行く手はどこであろうとも、絶えず永久におのれの道を切り拓いてゆくのだ。けれども、つまりこの道を切り拓くべき運命を担っているがために、人間はどうかすると、ちょっと脇道へそれたくなるらしい。それに、直情径行的な活動家はかなり愚鈍なものだが、その彼らさえ時々は、自分の道がほとんど常に出たらめな方向をさしているということを、思いうかべるのである。肝腎な問題は、その道がどこをさしているかではなくて、とにかくただつづいていさえすればいいので、模範的な子供は土木技師的な仕事を蔑視しないで、恐るべき怠惰に身をまかさないことが必要である。この怠惰というやつは、周知のごとく、あらゆる悪徳の母なのである。人間は創造を愛し、行路の開拓を好むもので、それは議論の余地がない。しかし、また人間が破壊と混沌をも前後を忘れるほど熱愛するのは、いったいどうしたわけだろう? これにひとつ答えてもらいたいものだ! けれど、このことについては、わたし自身もとくに一言したいと思う。人間がそれほど破壊と混沌とを愛するのは(それは今さら論ずるまでもないことで、人間はどうかすると、夢中になるほど破壊を愛する。それはまさにそのとおりなのだ)、ほかでもない、つまり目的を達して、自分の造っている建物を完成するのを、本能的に恐れているからではあるまいか? 諸君はごぞんじないかもしれないが、人間は自分の建物をただ遠くのほうから愛するだけで、けっして近く寄って愛玩するものではないらしい。人間はそれを建設することにのみ愛を持って、その中に住むことを好まないのかもしれない、建ててしまうと、後はその建物を aux animaux domestiques(家畜どもに)たとえば蟻とか、羊とか、そういったようなものにまかせてしまいたいらしい、現に蟻などは、ぜんぜん変わった好みをもっている、彼らはこれに類した一つの驚くべき建物、永久に壊れることのない建物をもっている。――つまり蟻塚をさすのだ。
 この尊敬すべき蟻どもは、まず蟻塚からことを始めたので、またきっと蟻塚で終末をつげるに相違ない。それは彼らの堅忍不抜の精神と確実性とを証明することで、非常な名誉といわなければならない。けれど、人間というやつは軽薄で下品な動物だから、ちょうど将棋さしと同じように、ただ目的に達する径路を愛するのみで、目的そのものはどうでもいいらしい。実際、全人類が精進している地上の目的なるものは、あげてことごとくこの目的獲得の絶えざるプロセス、すなわち生活そのものの中に含まれているのであって、目的それ自身のなかには存在しないのかもしれない(それはだれしも保証のできないことである)。目的なるものはいうまでもなく二二が四で、公式以外の何ものでもない。ところが、諸君、二二が四はもはや生活ではなく、死の始まりにすぎないのである。少なくとも、人間はいつも妙にこの二二が四を恐れていたが、わたしは今でも恐れている。よしんば人間はこの二二が四の発見を唯一の仕事にして、この探求のために大洋を泳ぎ渡ったり、生命を犠牲にしているにもせよ、本当にさがし当てること、発見することは、――誓っていうが、なんとなしに怖いのだ。つまり、発見してしまえば、もうそのときは何もさがすものがなくなる、と直感するからである。労働者なら仕事を終えると、少なくとも金をもらって、居酒屋へ出かけて行き、そのあとで警察のご厄介になる、――これでまあ、一週間ぐらいの暇潰しにはなろうというものだ。ところが、人間はいったいどこへ行ったらいいのだろう? 少なくとも、そういったふうの目的を達するたびに、そのつどなにか具合の悪いところが感じられる。人間は到達を好むには相違ないけれども、しかし、完全に到達してしまうのは考えものなので、これはむろん、恐ろしく滑稽なことに相違ない。手っ取り早くいえば、人間は滑稽にできあがっているのだ。これにはどうやら地口が交っているらしい。しかし、二二が四というやつは、なんといっても、実に我慢のできないしろ物である。二二が四、これなどはわたしにいわせると、ただ人を馬鹿にしたしろ物なのだ。二二が四は、おっちょこちょいのような恰好をして、両手を腰にあてたまま、人の行く手に立ちふさがりながら、ぺっと唾を吐いているという感じだ。二二が四が立派なものだということには、わたしも異存がないけれど、しかしいっそ何もかも賞めることにするなら、二二が五も時によると、愛嬌のあるしろ物なのだ。
 いったい諸君はどういうわけでそれほど堅く、しかも勝ち誇ったような態度で、ただノーマルな積極性をもったもの、――ひと口にいえば、――ただ安寧無事というものだけが、人間にとって有利だなどと、信じ切って疑わないのだろう? いったい理性は、断じて利害の判別を誤らないだろうか? じっさい人間が愛しているのは、安寧無事ばかりではないかもしれないのだ。人間は苦痛というものも、やはり同じくらいに愛しているのではあるまいか? ことによったら、苦痛も人間にとっては、安寧無事と同じくらいに有利なのではあるまいか、人間はどうかすると夢中になるくらい、恐ろしく苦痛を愛するものだ。それは間ちがいのない事実である。この場合、今さら世界歴史など調べるまでもない。もし諸君が人間で、いくらかでも生活したことがあるなら、自分の胸に聞いてみるがいい。わたしの意見はどうかといえば、ただ安寧無事のみを愛するのは、何となく不しつけにさえ思われる。善いにせよ悪いにせよ、何かぶち壊すということは、時によると、やはり愉快千万なものである。わたしはこの場合、なにも特別に苦痛の肩をもつのでもなければ、安寧無事の弁護をするわけでもない。わたしが主張するのは……自分の気まぐれというものと、その気まぐれがいつでも、必要な時に、間違いなく保証されているということである。苦痛というやつは、たとえば、ボードビルなどにはご採用にならない。それはわたしも承知している。水晶宮の中となると、そんなものはてんで考えることもできない。苦痛は疑惑であり、否定であるが、疑惑の余地があるようなものだったら、それはもはや水晶宮でもなんでもないのだ。ところで、わたしは確信しているが、人間は本当の苦痛、いい換えれば、破壊と混沌とをけっして拒もうとしないものである。苦痛――これこそ実に自意識の唯一の原因なのだ。わたしはこの手配の[#「手配の」はママ]初めで、自意識は人間にとって最大不幸であると、ご吹聴申し上げたけれども、人間がその不幸を愛して、いかなる満足にも見替えようとしないのを、わたしはちゃんと知っている。自意識というものは、たとえば、二二が四よりも無限に優れているのだ。二二が四のあとでは、もういうまでもなく、何一つすることがなくなるばかりか、知ることさえ尽きてしまうのだ。その時になってなし得るすべてのことは、ただ自分の五感を塞いで、瞑想に沈むだけのことだろう。ところで、自意識を保っていれば、結果からいえば同じになってしまうけれど、つまり、やはり何もすることがなくなってしまうけれど、少なくとも、時々自分で自分をぶん撲ることはできる。これはなんといっても、多少気付けにはなるのである。退嬰的ではあるけれど、それだって何もないよりはましに違いない。

10


 諸君は永遠に不壊ふえの水晶宮を信じていられる。つまり、内証で舌を出して見せたり、袖のかげでそっと赤んべをしたり、そんな真似のできない建物を信じていられる。ところで、わたしはそれが水晶でできていて、永久に不壊のものであり、おまけに内証で舌を出して見せることもできないので、そのためにこの建物を恐れるのかもしれない。
 そこで、こういうことを考えてみてもらいたい。もし宮殿の代わりに鶏小屋があって、そこへ雨が降ってきたとしたら、わたしはおそらく体を濡らさないために、鶏小屋の中へ這いこんだろう。しかし、それでも鶏小屋を宮殿などとは考えはしない。というのは、雨宿りをさしてくれたことに対する感謝のためである。諸君は一笑に付してしまって、この場合、鶏小屋も宮殿も同じことだ、とこんなふうにさえいわれるだろう。すると、わたしはこう答える、さよう、もしただ濡れないためのみに、生きなければならないとしたら。
 けれど、もしわたしが、人間はただそれのみのために生きているのではない、いっそ生きるくらいなら、宮殿で暮らすのが本当だ、などという妄想を起こしたとすれば、いったいどうしたものだろう。それはわたしの意欲なのだ。それはわたしの願望なのだ。諸君はわたしの願望を取り替えた時に、はじめてこの考えをわたしの頭のなかから削り取ることができるのだ。さあ、取り替えてもらおう、代わりのものでわたしの目を眩ましてもらおう、別の理想を当てがってもらおう。が、今のところ、わたしは鶏小屋を宮殿に受け取りなんかしやしない。たとえ水晶宮が空中楼閣で、自然の法則から見てそんなものはあり得ないとしてもかまわない。そんなものはわたし自身の愚かさのために、現代の古くさい非合理的な習慣の結果、わたしが自分で考えだしたものであってもかまわない。しかし、そんなものがあるはずはなくたって、わたしにはなんの関係もないことだ。よしんばそれがわたしの願望の中に存在しているとしても、ないしはより正確にいって、わたしの願望が存在する間だけ存在しているにしても、どうせ同じようなものではないか? 諸君はまた一笑に付してしまわれることだろう。どうか遠慮なく笑ってもらおう。わたしはあらゆる嘲笑を甘受するが、それにしても飯が食いたいときに、わたしは満腹ですなどとはいうわけにいかない。とにかく、わたしにはわかっている。わたしは単に自然の法則によって、実際に存在しているからというだけの理由で、いい加減な妥協や、無限の循環零の上に胡坐をかいてはいられないのだ。わたしはむこう千年間の契約で、貧乏な間借人に貸す部屋をたくさん仕切って、万一の場合のためには、歯科医ヴァーゲンハイムの看板をかけた、素晴らしく大きなビルディングを持って来られても、それを自分の欲望に与えられた月桂冠としては、受け取らない。どうかわたしの欲望を殲滅し、わたしの理想を抹殺した上で、何かより以上すぐれたものを示してもらいたい。そうすれば、わたしは諸君の後からついて行くだろう。諸君はことによったら、そんなことにかかわり合うだけの値打ちはない、といわれるかもしれない。けれど、そうなればわたしだって、同じ言い草で答えることもできるのだ。われわれは真面目に考察しているのに、諸君は「お前のいうことなどに注意を向ける価値がない」という態度をとられる。それならわたしもお慈悲など願いはしないつもりだ。わたしにも自分の地下の世界があるのだから。
 とにかく、わたしも今のところまだ生きていて、自分の欲望を働かしている。――だから、もしわたしがそんな宏壮な建築を手伝うために、たとえ煉瓦一つでも運ぶようなことをしたら、その手が腐ってもいいくらいに思っている! わたしがさきほど自分でこの水晶宮を否定する時に、唯一の理由として、舌を出してからかうわけにゆかない、ということをあげたが、どうかその点にあまりこだわらないでほしい。わたしがああいったのは、舌を出すのが好きでたまらないからではさらさらない。ただ舌を出さないですむような建物が、今まで諸君の造ったあらゆる建物の中に、一つとして見たらないので[#「見たらないので」はママ]、そのことに腹を立てただけかもしれない。それどころか、もし二度と舌などだす気にはならないように、この世の中がうまくいったら、わたしは感謝の念だけでも、自分の舌をすっかり切り取らせてもいいほどに思っている。そんなふうにはうまくゆかないから、せいぜい間借人向きのアパートで満足しなければならないなんて、そんなことがわたしになんのかかわりがあるというのだ。いったいなぜわたしはこんな希望をもつように創られたのだろう? まさかわたし自身を構成しているものが、ただのごまかしにすぎないという結論に到着するために、ただそのためのみに、こんなふうに創られたわけでもあるまい。まさかそれが目的の全部ではあるまい。わたしはそんなことなど信じない。
 もっとも、こういうことも考えている。わたしの確信によれば、われわれ地下の住人は、ちゃんと轡をはめて、抑えておく必要がある。彼らは四十年でも無言の行をすることがでるけれど[#「でるけれど」はママ]、もし万一世の中へ出ようものなら、まるで堰が切れたように、それこそしゃべって、しゃべって、しゃべりまくるのだ……

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 諸君、とどのつまり、なんにもしないのが一番いいのだ! 瞑想的惰性が一番いいのだ! だから地下の世界万歳というわけである。わたしは癇癪が立ってじりじりするほど、ノーマルな人間を羨むとはいったけれど、しかし、わたしが現に見ているような彼らの状態そのままでは、そのお仲間入りをしたくない(ただし、それでも相変わらず羨みはするけれど。いや、いや、地下の世界のほうがいずれにしても有利だ!)。そこでは少なくとも……ちょっ! ここでもまたわたしは出たらめをいっている! たしかに出たらめだ。なぜなら、けっして地下生活が一番いいのではなくて、わたしの渇望しているのは何かしら別なもの、まるっきり別なものだということを、二二が四というほどはっきり知っているからだ。ただそれがどうしても発見できないのである。地下などくそ喰らえだ!
 それからまだ、こんなこともけっこうだと思う。ほかでもないが、わたしがいま書いたことの中で、何か一つでも自分で信じることができたら、どんなにいいかしれない。諸君、誓っていうが、わたしはいま書き散らしたことを、ひと言も、それこそただのひと言も信じてはいないのだ! というより、信じているのかもしれないけれど、どういうわけか、自分ではずうずうしいほらを吹いているような感じがする、そんな気がしてしようがないのだ。
『では、なんのためにこんなことを書いたのだ?』と諸君はこういうだろう。
『なに、わたしは諸君をものの四十年も、いっさい仕事をさせないで閉じこめた上、四十年の期限が切れた時、諸君がどういう結果に到達されたか、それを伺いに地下へお訪ねしてみたいと思うのです。いったい四十年も人間をたった一人で、仕事もさせずにうっちゃっておいていいものでしょうか?』
『それは恥ずかしいことじゃないかね、それは卑怯なことではないかね!』おそらく諸君はさげすむように頭を振りながら、わたしにむかってこういうだろう。『きみは生活に渇しているものだから、自分で人生の諸問題を混乱した論理で解決しようとしているのだ、きみの突拍子もない言い草は、いかにも小うるさくって生意気千万だけれども、同時に、きみは実に戦々兢々としているじゃないか! きみはばかなことばかりいって、それで満足しているのだ。きみは不敵なことを口にしながら、しかも、のべつそれをびくびくして、言いわけばかり、しているではないか。きみはなんにも怖くないと広言を切っているくせに、それと同時に、われわれの歓心を買おうとしている。きみは切歯扼腕してると主張しているが、同時にわれわれを笑わすために、くだらぬ駄洒落を振りまわしている。きみは自分の洒落が、洒落になっていないのを承知しながら、しかも見受けたところ、その文学的価値に大満悦のていだ。きみは本当に苦しんだことがあるかもしれないが、自分の苦痛をいささかも尊敬していないのだ。きみという人には真実はあるけれども、処女性がない。きみは思い切り小っぽけな虚栄心に駆られて、自分の真実を見せびらかしに市場へ持ちだして、恥さらしをしている……きみは本当に何かいいたいくせに、危惧の念のために最後の言葉をかくしているのだ。それというのも、きみはそれをいい切るだけの決断力がなくて、ただ臆病なずうずうしさしか、持ち合わせていないからだ。きみは自意識を自慢しているが、本当はただ、狐疑逡巡しているだけだ。なぜって、きみの内部では理性こそ働いているものの、心は淫蕩に曇らされているからだ。純潔な心がなかったら、完全な正しい意識もありはしない。きみはなんという煩い男だろう。きみは実に押売りばかりしたがって、芝居じみた真似をしたがる人間だ! 虚偽、虚偽、ことごとく虚偽だ!』
 もちろん、こういった諸君の言葉は、みんなわたしがいま自分で創作したのだ。これもやはり地下生活から生じたのである。わたしはそこで四十年間ぶっとおしに、こういったふうな諸君の言葉を、ものの隙間からこっそり盗み聞きしていたのだ。わたしはそれを自分で考えだしたのだ。事実、こんなことばかりが頭にうかんでくるのだから、自然そらで暗記されて、文学的な形式をとるようになったのも、あながち不思議ではないのだ……
 しかし、はたして諸君は、わたしがこれをすっかり印刷して、おまけにそれを諸君に読ませるつもりだなどと、そんな想像をするほど、軽はずみな人たちだろうか? それから、もう一つわたしには疑問がある、本当にわたしはなんだってあなた方を『諸君』などと呼ぶのだろう? またなんだって本当の読者にでもむかうような態度を、あなた方に対してとっているのだろう? わたしがこれから叙述にかかろうと思っているような告白は、印刷すべきものでもなければ、他人に読ますべきでもない、少なくとも、わたしはそれだけの確固たる意志を持っていない、また持たなければならんとも考えていないのだ。しかし、実のところ、わたしの頭に一つの空想がうかんできたので、是が非でもそれを実現したいと思う。それはこういうわけなのである。
 どんな人の追憶のなかにも、少数の親友を除いては、だれにもうち明けたくないようなことがあるものだ。それどころか、親友にもうち明けることができないで、ただ自分自身にだけ、しかもごく内緒に告白すればするような、そんなことすらもあるのだ。ところが、さらに一歩すすめて、自分自身にさえうち明けるのを、恐れるようなことさえある。そういうことは、どんな身分のいいちゃんとした人でも、いい加減たくさん殖えてゆくものである。というより、むしろちゃんとした人であればあるほど、ますますそういうことが多くなるのだ。少なくともわたし自身なども、過去に起こったある種の出来事を追想してみようと決心したのは、つい近頃のことで、それすら今日にいたるまで一種の不安さえ感じながら、いつも避けるようにばかりしていたのだ。ところが、単に追想するばかりでなく、手記に残そうとさえ決心した今となっては、はたして自分自身に対して完全に赤裸々な態度をとり、いっさいの真実を恐れないということができるかどうか、それを実験してみたいのである。ついでにいっておくが、ハイネの断言するところによると、正確な自伝というものはあり得ない、人間は自分自身のこととなると、間違いなく嘘をつくものだそうである。彼にいわせれば、たとえば、ルソーなどもその懺悔録の中で、いつも必ず自己中傷をやっている、虚栄心のためにわざと嘘をついているのだ。わたしはハイネの説を正しいと信じる。わたしにはよくわかっているが、時によると、ただただ虚栄心のためのみに、大それた犯罪を捏造して、それを自分の仕業にすることもある。そして、これがいかなる種類の虚栄心であるかも、十分に了解ができるのである。しかし、ハイネは公衆の面前で懺悔する人間のことを論じたのだが、わたしはただ自分自身のためのみに書いているのだ。そこで、きっぱり断わっておくが、わたしは読者をまえにおいたような書き方をしているけれども、それはただ見てくれだけの話で、つまり、そうしたほうが書きいいからである。それは形式、ほんのつまらぬ形式だけである。わたしにはけっして読者などできっこないのだ。このことはもうちゃんと声明しておいた……
 わたしはこの手記の体裁については、いっさい何ものにも拘束されたくない。順序とか体系とかいうものも取り入れない。ただ思い出すままを書きつけてゆくのだ。
 ところで、諸君はわたしの言葉尻をつかまえて、たとえば、『もしきみが本当に読者を念頭においていないとすれば、順序も体系も取り入れないとか、ただ思い出すままを書き留めるのだとか、そういったような条件を自分一人で、おまけに紙のうえで取り決めるのは、いったいなんのためだろう? どういうつもりできみはそんな説明をするのだ? どういうわけでそんな言いわけをするのだ?』と、尋ねるかもしれない。
『さあ、それはどうも』とわたしは答えるだろう。
 もっとも、これには込み入った心理があるのだ。ことによったら、それは単にわたしが臆病者だということかもしれない。が、またことによったら、わたしのこの手記をしたためる時、できるだけ作法を守るために、わざと自分の眼前に公衆を想像しているのかもしれない。とにかく、原因は無数に存在し得るのだ。
 しかし、まだこういうことがある。いったい私はなんのために、どういう目的で書こうとしているのだろう? もし公衆のためでないとしたら、何もわざわざ紙に移したりしないでも、心の中ですっかり思い起こすだけでさし支えないではないか?
 それはなるほど、そのとおりだが、しかし紙に書くと、なんだかずっと荘重になってくるようだ。そうすると、なにかもっともらしく見えるし、自己批判も行き届くだろうし、うまい言葉もおのずと出て来ようというものだ。そればかりでなく、わたしは手記を書いてゆくということによって、じっさい気持ちが軽くなってゆくのである。早い話が、現に今日もある古い追憶が、かくべつわたしの心を押しつけるのだ。それはもう二、三日前からはっきりと記憶によみがえって、それ以来まるでうるさい音楽の節のように、こびりついて離れようとしない。ところが、こいつは振り離してしまわなければならないのだ。わたしには、こういった追憶が何百となくあるのだが、どうかすると、そのたくさんな中から、何か一つひょっこり浮かび出して、わたしの心を圧迫するのだ。わたしはどういうわけか、それを紙に書きつけたら、自然と離れてゆくものだと信じている。だから、それを試してみてもよいではないか?
 最後の理由として、わたしは退屈なのだ。わたしはいつもなんにもしていない。ところが、物を書くということは、本当に仕事らしく感じられる。仕事をしていると、人間は善良で正直になるという。まあ、少なくとも、これは一つの好機会だ。
 いま雪が降っている、べたべたに濡れた、黄いろい、濁ったようなやつだ。昨日もやはり降ったし、二、三日前もやっぱり降った。わたしはこのべた雪の連想から、いまわたしの頭にこびりついて離れない例の逸話を思い出したらしい。そこで、これはべた雪の連想からできた物語としておけ。
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第二 べた雪の連想から




わたしが迷いの闇のなかから
火のごとき信念にみちた言葉で
その淪落の魂をひきだしたとき
お前は深い悩みにみちて
双の手を揉みしだきつつ
身を囲んでいる悪趣を呪った
そうして追憶の鞭をふるって
忘れやすき良心を罰しつつ
お前は過ぎこし方の身の上を
残らずわたしに語ってくれた
と、不意に両手で顔をおおって
恥と恐れにやるせなく
お前はわっと泣きだした
悩みもだえ身をふるわし……
云々 云々 云々
N・A・ネクラーソフの長詩から


 そのころわたしはやっと二十四だった。わたしの生活はもうその時分から、陰気くさい、だらしのないもので、野生に近いくらい孤独だった。わたしはだれとも交際しないで、話をするのさえ避けるようにしながら、しだいしだいに、自分の片隅の世界へ閉じこもっていった。勤務先の役所でも、だれの顔も見ないように努めていたほどである。わたしははっきり気がついていたが、同僚たちはわたしを変人扱いにしていたばかりでなく、さもいとわしそうな目つきでわたしを眺めていたらしい、――どうもそんな気がして仕方がなかった。よくわたしの頭にこんな考えがうかんだものである。自分が人からいとわしそうな目つきで見られているらしいなんて邪推が、なぜわたしだけを例外にして、だれの頭にも浮かばないのだろう? 役所の同僚の一人は、見るも気持ちがわるいくらいな、ひどいあばた面で、おまけに強盗のような人相をしていた。もしわたしがそんな不しつけ千万な顔をしていたら、おそらくだれの顔も見上げる勇気があるまい、と思われるほどであった。もう一人の同僚は、傍へ寄るとぷんといやな臭いがするほど、さんざんに着古した制服を着ていた。ところが、この先生方はどちらも平気なもので、服のことでも、顔のことでも、また何か精神的な意味でも、いっこうにきまりの悪そうな様子を見せなかった。彼らはどちらも、自分が人からいとわしそうな目つきで見られているとは、夢にも考えなかった。またそんな考えを起こしたにもせよ、彼らにとっては風馬牛であった。ただ上官から睨まれさえしなければいいのだ。いまになってみれば、もはや明々白々の事実なのだが、わたし自身、方図のしれないほど虚栄心が強く、したがって自分自身に対する要求が厳格なために、ほとんど嫌悪の念に近いくらい気ちがいじみた不満をいだきながら、自分自身を眺めることも珍しくなかった。そのために、わたしは心ひそかに自分の観察眼を、すべての他人に当てはめようとした。たとえば、わたしは自分の顔を憎んで、それをいまわしく感じたばかりか、そこには何となく下劣な表情があるのではないかと、そんなひがみさえ起こしたほどである。だから、いつも役所へ出勤する時には、人がわたしの下劣さを感じないように、できるだけ独立不覊の態度をとり、顔にはできるだけ上品な表情をうかべようと、一生懸命に苦心したものである。『顔は美しくなくたってかまわない』とわたしは考えた、『その代わり上品で、表情に富んでおればいい、それに第一、飛び離れて賢そうでなければならない』けれど、こうした完成の美は、とうてい自分の顔で表わすことができないのを、わたしは確実に知っていたので、そのために苦しい思いをした。しかし、何より恐ろしいことには、わたしは自分の顔を間違いなく馬鹿っ面と感じたのである。でも、自分は賢いということになれば、それでわたしは完全に諦めたはずである。それどころか、下劣な表情といわれても、納得したかもしれない。ただそれといっしょに、わたしの顔をすばらしく賢いものと見てもらう、という条件つきである。
 むろん、わたしは役所の同僚たちを、一人残らずことごとく憎みかつ軽蔑していた。けれど同時に、彼らを恐れているような具合でもあった。どうかすると出しぬけに、わたしは彼らを自分よりえらいもののように考えることもあった。当時は他人を軽蔑したり、自分よりえらいもの扱いにする気持ちの変化が、妙に唐突に起こってくるのであった。頭脳の発達した、ちゃんとした人間は、自分自身に対して無限に厳格な要求をいだき、時とすると、憎悪に達するほどの自己軽侮を感ずることなしには、虚栄的な人間になり得ないのである。しかし、軽蔑するためか、自分よりえらいもの扱いにするためか、とにかくほとんどいかなる人に出会っても、わたしは必ず目を伏せてしまったものだ。わたしは実験までもして見た。自分は今だれそれの視線を受けているが、はたしてそれを持ちこたえることができるだろうか、とこう自分の心に問うてみたけれど、いつもわたしのほうがさきに目を伏せるのであった。そのために、わたしは気が狂いそうなほど煩悶した。それからまたわたしは、滑稽に感じられるということも、やはり病的なくらい恐れていたので、すべて外面上のこととなると、奴隷じみるほど常套を盲拝していた。わたしはほとんど愛の感情さえもいだきながら、世間の軌道に合致することに努め、すべて異常なことを心底から避けるようにしていた。しかし、わたしなどにどうして最後まで持ちこたえることができよう? わたしは、現代人として当然なことではあるが、病的に頭脳が発達していたのだ。ところが、同僚たちときたら、みんな鈍感で、まるで羊の群れのように、お互い同士似かよっている。ことによったら、役所に勤めている連中のなかでも、自分は臆病者で奴隷みたいな人間だと絶えず感じているのは、わたし一人だけかもしれない。つまり、それがために、自分は頭脳の発達した人間だと感じられたのだろう。しかし、それはただわたしの気のせいばかりでなく、本当にそのとおりだった。わたしは臆病者で奴隷なのだ。わたしはこれを別に悪びれもせずにいっておく。すべて現代のちゃんとした人間は、臆病者で奴隷なのである。またそうでなければならない。これが現代人のノーマルな状態なのだから。わたしはそれを深く確信している。現代人はそういうふうに作られている、そうなるように仕組まれているのだ。それはあえて現代のみならず、また単なる偶然の事情によるばかりでなく、概してあらゆる時代においても、ちゃんとした人間は臆病者であり、奴隷であるのが当然なのだ。それはこの土地におけるいっさいの相当な人間の自然律である。たとえ彼らのだれかが、なにかで武勇を示すようなことがあるにせよ、そんなことで得意になったり、夢中になったりしないほうがいい。どうせほかのことでは尻っ尾を出すに決まっている。これが唯一にして永久不変の結果なのだ。えらがるのはただ驢馬とその亜流くらいなもので、それさえ何かある障壁にぶつかったら、もうおしまいなのである。そんなものには、注意を払う価値がない。なぜといって、彼らはてんでなんの意味も持ち得ないからだ。
 当時またある一つのことが、わたしを苦しめていた。ほかでもない、だれもわたしに似ている者もなければ、わたしもまただれにも似ていないということである、『わたしは一人きりなのに、やつらはみんながかりだ』とわたしは考えた。――そして、すっかり考えこんでしまった。
 これから見ても、わたしがまだからっきし小僧っ子だったということが、明瞭なわけである。
 かと思うと、また正反対のことも起こった。実際どうかすると、役所へ通うのが、どうにもいやでたまらなくなった。ついには半病人になって、勤めから帰ってくるようなことも、珍しくないほどになった。けれど、不意になんのきっかけもなく、懐疑と無関心の時期がおそってくる(わたしのはなんでも、むらになって起こるのだ)。ところで、当のわたしが自分で自分のせっかちと気むずかしさを冷笑し、自分で自分のロマンチシズムを非難するのだ。時には、だれとも口をききたくなくなるかと思うと、また時には、夢中になってしゃべり込むのみならず、おまけに、友だちづきあいまでしようという気になるくらいである。気むずかしさは、なんのきっかけもなく、忽如として消えてしまう。もしかしたら、そんなものははじめっからなかったので、書物から取ってきた借りものだったのかもしれない。わたしはいまだにやっぱり、この問題を解決できないでいる。一度などは、すっかりやつらと仲好しになりすまし、その住居を訪問したり、かるたを闘わしたり、ウォートカを飲んだり、昇進を取り沙汰したりしたものだ……が、ここでちょっとわき道へそれるのをゆるしてもらいたい。
 われわれロシヤ人の間には、概括的にいって、ドイツふうや、ことにフランスふうの現実離れのしたロマン派は、かつて存在したことがなかった。この手合は、どんなことがあったってびくともしない。よしんば、大地が足もとで裂けようと、フランス中の人間が防塞の上で死んでしまおうと、彼らは依然としてもとのままである。ほんのお体裁にも変わろうとしないで、相変わらず自分たちの現実ばなれのした歌を、死ぬまで歌いつづけるだろう。それというのも、彼らが馬鹿だからである。しかるに、わがロシヤの土地には馬鹿がいない。それは周知の事実であって、つまりそこにこそ、ほかのドイツ的な土地との相違点があるのだ。したがって、わが国には現実ばなれのした人間も、純粋の形では存在していないのである。ただ当時の「実証的な」わが社会評論家や批評家連が、その頃コスタンジョーグロ(ゴーゴリ『死せる魂』の人物、善玉的性格)や、ピョートル・イヴァーヌイチ叔父などの後を追っかけ廻して、馬鹿正直にそれをわれわれの理想のように思いこんだために、ロシヤ・ロマン派をドイツや、フランスのと同じような現実ばなれ人種とみなして、とんでもない捏造をしたにすぎない。ところが、事実はその反対である。わがロシヤのロマン派の特質はヨーロッパの現実ばなれ人種とは対蹠的なもので、ヨーロッパ的尺度はいっさいここへ当てはまらないのである(どうかわたしにこの「ロマン派」という言葉を使うのをゆるしてもらいたい、――これは古風な押しも押されもせぬ立派な言葉で、だれにでも耳馴れているのだ)。わがロシヤのロマン派の特性は、すべてを理解し、すべてを見ることであるわが国で最も実証的な頭脳を有する人々よりもしばしば比較にならぬほど明瞭に見ることである。何人とも何ものとも妥協しないが、同時になにひとつ毛嫌いしないで、すべてのものを迂回し、すべてのものに慇懃に譲歩することである。つねに有益な実際上の目的(たとえば官舎、年金、勲章など)を見失わないで、それを抒情詩集や感激を通して眺めながら、同時に「美しくして高遠なるもの」を生涯のおわりまで、神聖不可侵なものとして保存したうえ、ついでに自分自身をも、まるで宝石を綿のなかへしまっておくように、完全に保存することである。それはたとえば、例の「美しくして高遠なるもの」を益するためとしてもよろしい。わがロシヤ・ロマン派は多面的な人間であって、わが国のありとあらゆる悪漢のなかでも、指折りの悪漢である。わたしはそれを……経験上からでも、諸君に誓うことができる。もちろん、それらはすべてロマン派が聡明な場合の話である。だが、いったいわたしは何をいっているのだ! ロマン派はいつだって利口なものに決まっている。ただ、わたしがいいたかったのは、わが国にも馬鹿なロマン派がいたにはいたけれども、それは勘定にはいらないということである。そのわけはほかでもない、この連中は、まだ力の張り切っている最中に、すっかりドイツ人に生まれ変わってしまって、自分の大事な宝石を保存するのに都合がいいように、ドイツの国のどこか、といってもおもにワイマールか、シュワルツワルドあたりへ越して行ったからである。わたしなどは早い話が、自分の役人生活を心の底から軽蔑していたが、必要上やむを得ず、後足で砂をかけずに我慢していた。なぜなら、自分がお役所へ納まって、そのために金をもらっていたからである。その結果として、――よろしいか、――とにかく後足で砂を引っかけなかったわけだ。わが国のロマン派は、もしほかに、人生活動の目当てがなかったら、後足で砂など引っかけないで、むしろ発狂するほうが勝ちである(もっとも、そういうことはごくたまにしかないけれど)。また役所のほうでも、けっしてわがロマン派をお払い箱にするようなことはない。ただ「スペインの王様」(ゴーゴリ『狂人日記』の主人公)といったような名前をつけられて、瘋癲病院へ送りつけられるくらいなものだが、それも発狂の度がひどかった場合に限る。けれども、ロシヤで発狂なんかするのは、ただ白っぽい髪の毛をした腺病質の連中に限るのだ。しかし、数え切れないほどうようよしているロマン派どもは、やがてその中に相当な官等に昇ってゆく。実に並み並みならぬ多面性といわねばならぬ! まったく相反した感覚を味わう点で、実に驚くべき能力をもっているのだ! わたしはその当時からこの点に喜びを感じていたが、いまでもやっぱり同じ考えでいる。このためにこそ、ロシヤには「広汎なる天性」の所有者が多いわけである。彼らは堕落のどん底に落ちた時でさえ、けっしておのれの理想を失わない。たとえ、彼らが金箔つきの強盗や泥棒であっても、また自分の理想のために指一本うごかすだけのことをしなくても、とにかく有難涙の溢れるほど自分の第一義的な理想を尊敬しているので、その心中たるや、きわめて潔白なものである。さよう、ただロシヤにおいてのみ、金箔つきの紛れもない悪党が完全に、高遠なる意味において潔白な魂をもち得るのである。そのくせ、同時に依然たる悪党であることをいっこうに妨げない。くり返していうが、わがロマン派の中からは、ひっきりなしに腕っこきの悪玉がでてきて(わたしは「悪玉」という言葉を好きで使うのだ)、俄然おどろくべき現実に対する敏感さと、実証的なものに対する知識を示すので、呆気にとられた警察や世間のものは、ただ茫然として舌打ちをするばかりである。
 この多面性は真に驚嘆に値するほどで、次に展開される状況のなかでいかなる変化をとげるか、また将来どう落ちつくかということは、ただ神さまばかりがごぞんじである。こんなのもなかなか悪くない材料といえよう! わたしがこんなことをいうのも、あえて滑稽な、古臭い愛国心などのためではない。もっとも、諸君は今度もまたわたしが茶化しているのだと、てっきり考えていられるに違いない。しかし、或いはその正反対で、わたしが本当にこういう考えでいるものと、思いこんでいられるかもわからない。それはだれにも保証できることではない。いずれにしても、諸君、わたしはこの両様の意見をどちらも光栄とし、特別な喜びと考えるだろう、どうかわき道へそれたことをゆるしてもらいたい。
 わたしは自分の仲間とは、もちろん、交遊をつづけることができないで、きわめて僅かな間に後足で砂をかけてしまった。そして、当時まだ若くて無経験だったために、まるでぷつりと糸でも断ち切ったように、彼らに会釈することさえもやめてしまった。ただし、これはわたしの生涯でたった一度しかなかった。概して、わたしはいつも一人ぼっちだったのである。
 第一、家にいるとき、わたしは何よりも一ばん読書に耽った。つまり、内部に絶えず湧き立ってくるものを、外部から受ける感覚で紛らしたかったのである。外部から受ける感覚の中で、わたしの力に及ぶものといっては、ただ読書よりほかになかった。むろん、読書は非常に役に立った、――興奮させたり甘美な気持ちを与えたり、苦しめたりした。が、それでも時には、うんざりするほど退屈になった。なんといっても、動きが恋しくなってくるのだ。で、わたしは急に地下生活者らしい、暗澹とした、いまわしい淫蕩に耽った、――というより、淫蕩の真似事に沈湎したのである。わたしの哀れな情欲は、いつもの病的ないら立たしい性質のために、焼きつくような鋭さを持っていた。その発作はヒステリイじみていて、涙や痙攣を伴うのであった。読書のほかには、どこへも行くところがなかった、――といって、当時わたしの周囲には尊敬に値したり、牽引を感じたりするようなものが何もなかったのだ。おまけにふさぎの虫が暴れ廻った。矛盾とコントラストを渇望するヒステリイじみた欲望が頭をのぞける。そこでわたしは淫蕩にむかって飛びこんだのである。わたしがいまこんなに多言を弄したのは、けっして自己弁解のためではない……が、しかし、ちがう! わたしは嘘をついた! ほかならぬ、自己弁解がしたかったのだ。諸君、これはわたしが自分のためにちょっと断わっておくのだ。わたしは嘘をつきたくない。もう前に誓ったとおりだ。
 わたしは夜々そっと、内緒で、恐る恐る、穢らわしい淫蕩に耽った。羞恥の念は、思い切り醜悪な行為をしている瞬間にも、わたしの心を離れることがなかった。そんな時は、ほとんど呪詛の気持ちにさえ達するほどであった。わたしは早くもその頃から、心の中に地下心理を蔵していた。わたしは何かの拍子で人に見つかりはせぬか、だれかに出会いはせぬか、顔を見分けられはせぬかと、恐ろしくびくびくものだったのである。わたしはいつもできるだけ曖昧な場所を、所々方々とあさり歩いた。
 ある夜、とある安料理屋の前を通りかかったとき、煌々と輝く窓ごしに、客が玉突台の傍で、キューを持って撲り合っているのを見た。やがてそのうちの一人が窓から突き出された。これがほかの時であったら、わたしはたまらないほどいまわしくなったところなのだろうが、その時はふと妙な気持ちにおそわれてわたしはこの窓から突きだされた客を羨ましく思った。なんともいえないほど羨ましくなったので、わたしはその安料理屋の玉突部屋へ入って行ったくらいである。『ひとつおれも喧嘩をしてみるかな。そしたら、同じように窓から突き出されるかもしれないて』といったような気持ちなのだ。
 わたしは別に酔ってはいなかったが、しかしなんともいたし方がない、――ふさぎの虫というやつは、こんなヒステリイじみたことをさせるほど、人の心を喰い破るものだ! が、何事もなくてすんだ。で、自分は窓から飛び降りるだけの能もない人間であるとわかったので、わたしは喧嘩をしないで、すごすごとそこを出て行った。ここへ入ると早々、わたしの度胆を抜いたのは、一人の将校だった。
 わたしは玉突台の傍に立って、作法を知らないために、通り道をふさいでいた。その将校はそこを通り抜けなければならなかったので、いきなりわたしの両肩をつかんで、無言のまま、――前触れもしなければ言いわけもせずに、わたしを立っていた場所からほかの場所へ据え直した。そしてご当人は、まるで気もつかぬような顔をしながら、そのまま向こうへ行ってしまった。よしこれがぶん撲られたのであっても、わたしはゆるしたかもしれないけれど、彼はわたしを道具のように据え直して、しかもてんで気のつかない顔をしている。これはどうにも勘弁ならない。
 わたしはその時、もっと正則な、もっと作法にかなった、いってみれば、もっと文学的な本当の喧嘩をするためなら、それこそどんな代償を投げだしたかしれないほどである! わたしはまるで蠅のような取扱いを受けたのだ。この将校は六尺ゆたかな大男であったが、わたしはまた背の低い貧弱な体をしている。もっとも、喧嘩をするもしないも、わたしの自由だった。ちょっとたてついてゆきさえすれば、むろんわたしは窓から突き飛ばされたのだ。けれども、わたしは考え直して、むしろ……むかっ腹を立てたまま、こそこそと姿を消すことに決めたのである。
 わたしはばつの悪いような、興奮した気持ちで料理屋を出て、まっすぐに家へ帰ったが、その翌日はなお臆病な、意気地のない、わびしい気持ちで、例の哀れな淫蕩をつづけた、――まるで目に涙を宿したような有様ながら、それでもとにかくつづけたのである。もっとも、わたしが臆病なためにあの将校を恐れたなどとはどうか考えないでほしい。わたしは行為の上でこそ、絶えずびくびくはしていたけれども、心の中ではけっして臆病ものではなかった。しかし、笑うのは少々待っていただきたい。これにはわけがあるのだ。わたしには何にでもわけがあるのだ。どうか信じてもらいたい。
 ああ、もしこの将校が、決闘を承諾するような人間だったら! しかし、駄目だ、――それはキューを振りかざしたり、或いはゴーゴリの描いたピロゴフ中尉(『ネーフスキイ通り』中の人物)のように上官に告げ口したりするような、そんな手段を選ぶ連中の一人だった(悲しいかな! 疾くに消えてなくなったけれど)。彼らは決闘などには応じなかった。それに、われわれ文官仲間を相手の決闘は、いずれにしても、無作法なものと考えたに違いない、――概して、彼らは決闘というものを、何かフランス輸入の自由思想的な、考えることも許されないようなものと見なしていた。そのくせ、自分のほうではかなりよく人を侮辱したもので、六尺ゆたかな大男の場合などは、なおさらの話である。
 わたしがそのとき臆病風を吹かしたのは、何も卑怯なためではなくて、方図の知れない虚栄心から出たことなのである。わたしは六尺ゆたかな背丈を恐れたのでもなければ、こっぴどく殴りつけられて、窓からほうりだされるのが怖かったのでもない。まったくのところ、肉体上の勇気にはことを欠かなかったろうけど、精神的の勇気が不足していたのである。わたしが恐れたのは、ほかでもない、そこにい合わせた連中が、生意気なゲーム取りを初めとして、脂じみたカラをつけた太鼓持ちのような、にきびだらけのみじめな腰弁にいたるまで、だれ一人としてなんの理解をも持ってくれないで、もしわたしが彼らに楯ついて、文学的な言葉でしゃべり出そうものなら、たちまち笑い草にされてしまうということだった。なぜなら、名誉の点に関しては、つまり、単に名誉に関してではなく、名誉の点(point d'honneur)に関してはロシヤでは今日にいたるまで、文学的以外の言葉では話ができないのである。人間なみの言葉では「名誉の点」について語るわけにはゆかない。わたしは心底から確信していたが(いくらロマンチシズムで一杯になっていても、現実に対する敏感性というものがある!)、彼ら一同はいきなり抱腹絶倒するに違いない。将校などはただ単純にわたしを殴りつけるばかりでなく、つまりいい加減人を小馬鹿にした殴り方をするばかりでなく、必ずわたしの尻を膝小僧で蹴ちらしながら、玉突台のまわりをぐるりと廻ったあげく、やっとお慈悲に窓からほうりだすに違いない。むろん、このみじめな出来事は、ただこれだけで終わりを告げるわけにはゆかなかった。その後、わたしはしょっちゅう往来でこの将校に出会って、よく注意し観察したものである。ただし、先方でわたしに気がついたかどうかはわからない。きっと気がつかなかったに相違ない。これは二、三の徴候によって結論することができる。けれど、わたしのほうは、わたしのほうは憤怒と憎しみとをもって、彼をじっと見つめていた。こうして……幾年かつづいたのである! わたしの憤怒は年とともに堅く根を張って、しだいに成長していった。初めの間、わたしはそっとこの将校のことを探りにかかった。それはわたしにとって骨の折れる仕事だった。だれも伝手つてがなかったからである。けれど、わたしがまるで縛りつけられたもののように、見えがくれに彼の跡をつけて歩いているとき、だれかその苗字を呼びかけたものがあったので、はからずもこの将校の姓を知ったわけである。その次に、わたしは彼の住居まであとをつけて行って、門番に十コペイカ玉を握らせ、彼が何階のどこに住んでいるか、独身かそれとも同居人があるか、などといったようなことを、ひと口にいえば、門番から聞きだし得るいっさいのことを、知ったのである。わたしはけっして文学者めいた真似をしたことがなかったけれど、ふとある朝、この将校を暴露小説の形式で、カリカチュアふうに描写してみようという考えを起こした。わたしは快感を覚えながらこの小説を書いた。わたしは大いに暴露した。それどころか、中傷までやった。苗字はすぐに想像がつくように作り替えたが、その後とくと熟考の上、すっかり変えてしまった。わたしはそれを『祖国雑誌』へ送ったが、当時はまだ暴露文学などというものがなかったので、わたしの小説はついに掲載されずに終わった。わたしはそれがいまいましくてたまらなかった。どうかすると、狂憤のあまり、ただもう息がつまりそうになった。とどわたしは相手に決闘を申し込もうと決心した。わたしは彼に宛てて、魅力に満ちた素晴らしい手紙を書き、哀願的な調子で謝罪を求めた。そして、これを拒絶した場合には、いよいよ決闘だということを、かなりきっぱりと匂わしてやった。手紙は素晴らしい出来ばえだったので、もし将校が少しでも「美しくして高遠なるもの」を解していたら、必ずやわたしのところへ飛んで来て、わたしの首にしがみつき、交誼を求めたに相違ないとおもわれるほどであった。もしそうなったら、どんなにいいだろう! わたしたちはいい生活を始めるのだ、まったくどんな気持ちのいい生活を始めることだろう! あの男はその高い官等によってわたしを保護するだろうし、わたしは自分の教養と、それからまあ……理想によって、あの男の心を薫陶してやる、そのほか、何やかやいろんなことができるはずだ! しかし、想像してみていただきたい、その時は将校がわたしを侮辱して以来もう二年から経っていたので、わたしの挑戦は、アナクロニズムを掩蔽し説明する巧妙な手紙の書き方にもかかわらず、醜悪をきわめたアナクロニズムには相違なかったのだ。しかし、いいあんばいに(わたしはいまだに涙をうかべて天帝に感謝しているが)、この手紙はとうとう出さないで終わった。もしそれを出していたら、どんなことが持ちあがったかとおもうと、身の毛がよだつような思いである。ところが突然……まったく突然に、わたしはこの上なく簡単な、しかもこの上なく天才的な方法で、復讐を遂げたのである、わたしの脳裡に忽然と素晴らしい考えがうかんだのだ。ときどき日曜日や祭日にわたしは午後三時ごろネーフスキイ街へ散歩に出て、日当たりの側をぶらついたものである。といっても、けっして散歩気分にはならないで、無数の苦悶と、屈辱と、いら立たしい憤懣とを味わったのだが、しかしわたしにとっては確かにそれが必要だったらしい。わたしはあるいは将軍に、あるいは近衛騎兵に、あるいは軽騎兵将校に、時には貴婦人たちに道を譲りながらきわめて見苦しい恰好で、まるでどじょうのようにちょろちょろ泳ぎ廻った。そういう時、自分の身なりの見すぼらしさや、ちょこちょこと動く自分の姿の下劣な浅ましさを考えただけで、わたしは心臓に痙攣的な痛みを覚え、背中に熱気ねつけを感じるのであった。それは不断の耐え難い屈辱の悩みで、つまりこうした社交界の人々の前に出ると、自分は一匹の蠅にすぎない、なんの役にも立たない穢らわしい蠅にすぎない、という自意識から生じるのであった。この自意識は、しだいしだいに、絶え間なく、直接に神経をつつく感覚に移るのであった。自分はだれよりも賢い、だれよりも頭脳が発達している、だれよりも高潔だ、――それはもうわかり切っているけれど、それでものべつみんなに道を譲って、みんなに辱しめられる一匹の蠅にすぎないのだ。なんのために自分から好んで、この苦しみを背負おうとするのか、なんのためにネーフスキイ通いをするのか、それは自分でもわからない。ただなんということなしに、機会さえあればそこへ牽かれていったのだ。
 わたしはもうその時から、前に第一章で述べた快感の潮来を感じるようになった。例の将校とのいきさつがあって以来、わたしはいっそう強くそちらへ引きつけられていった。ネーフスキイ街では彼に出あう機会が一ばん多かったので、ここでわたしは彼の姿を眺めつづけたのである。相手もやはりおおむね休日にそこへ出かけて行った。彼も将軍や高位高官の人たちの前では、やはり同様に道を譲って、まるで鰌のように、その間を縫って歩いたが、われわれ級の仲間はいうまでもなく、それよりもっと気の利いた連中に出あった時でも、いきなり踏みつぶさんばかりの勢いだった。まるで、まえのほうは何もない空間のように、どんどんまともに歩いて来て、けっして道なんか譲ろうとしない。わたしは憎悪に燃える眼ざしで、吸いつくように彼をみつめたが、それでもいつも憎々しげに彼の前で身をかわすのだった。往来でさえどうしても対等になれないのを、わたしは心の中で苦しく思った。『どうしてお前はいつもさきに身をかわすのだ?』ときおり夜中の二時すぎに目をさまして、わたしはもの狂わしいヒステリイの発作に駆られながら、自分で自分につめ寄るのであった。『なぜ必ずお前のほうがよけて、あいつがよけないのだ? だって、こんなことに法律はないはずだ。そんなことはどんな本にも書いてないじゃないか? まあ、礼儀ただしい人たちが出あったとき普通やるように、五分五分にしたらいいじゃないか。むこうが半分よければ、こっちも半分よける。こうして、お互いに尊敬し合いながら、すれ違うこともできるわけだ』しかし、そんなふうにはゆかなかった。やはり身をかわすのはわたしのほうで、将校はわたしが道を譲っていることにさえ、気がつかないのであった。――つまりそのとき、感嘆すべき妙案が突如わたしの心を照らしたのだ。『どうだろう』と、わたしは考えた。『もしあいつに出あった時……わきへ寄ってやらなかったら? たとえやつにぶっ突かるはめになるとしても、わざと脇へ寄らないんだ。そしたらいったいどんなものだろう?』この不敵な考えが、だんだんわたしの心を支配して来て、ついにはじっとしていられないくらいになった。わたしはのべつやたらにこのことを空想した。いよいよとなった時どんなふうにそれを実行するか、自分ではっきり想像に描いてみるために、わたしは前より頻繁にネーフスキイまで、わざわざ行ってみたものである。わたしはうちょうてんになってしまった。しだいしだいに、この目論見がまんざらの空想ではなく、可能性をもっているように思われてきた。『もちろん、本当に突き飛ばすのじゃない』もう前から嬉しさのあまり気を好くしながら、わたしはこんなふうに考えた。『ただ身をかわさないために、ほんのちょっとぶっ突かるのだ。それも、ひどく痛いようにしないで、礼儀上きまっているだけの程度に、肩と肩を合わせるだけでいい。だから、むこうでこっちを押しただけ、こっちも押しかえしてやるんだ』わたしはとうとう本当に腹を決めてしまった。けれど支度に恐ろしく手間がかかった。まず第一に必要なのは、実行の場合、もう少しきちんとした恰好をしているということで、したがって着物のことを心配しなければならない。『いずれにしても、いよいよ公衆の中で騒ぎが起こったら(なにしろ、あそこの公衆は余りものスペルフリュで、伯爵夫人も歩いていれば、D公爵もおひろいになっているし、文壇ぜんたいが練り歩いているのだからな)、相当な身なりをしていなくちゃならない。それはかなり効果のあることで、上流社会の目から見て、いきなりわれわれ二人をある程度まで対等の位置に立たしてくれるのだ』この目算のために、わたしは俸給を前借りして、チュルキンの店で黒手袋と、りゅうとした中折れとを買った。わたしは初めレモン色のに狙いをつけたが、黒手袋のほうが貫目があって、上品に思われたのである。『レモン色はあまりぱっとし過ぎて、いかにも見てくれがしに思われていけない』で、わたしはレモン色をやめにした。白い角製のカフスボタンのついた上等のシャツは、もう前から用意しておいた。ただ外套が引っかかりになった。外套そのものとしてはさしてわるくもなく、暖かくてよかったけれど、しかし綿入れもので、浣熊あらいぐまの襟がついていた。これなどはもう下男趣味の骨頂だ。是が非でも襟をとり替えて、将校連がしているような海狸かいりにしなければならない。そのためにわたしは勧工場ゴスチヌイ・ドヴォールをぶらつき始めた。そして、二、三いろいろな試みをした後で、安いドイツ物の海狸に狙いをつけた。このドイツ物の海狸は非常に早く擦り切れて、実にみじめな姿になるしろ物だが、はじめ新しい間はなかなか立派に見えるのである。ところで、わたしにとっては一ぺんきり用に立てばいいのであった。値段を聞いてみたところ、やっぱり高かった。とっくり熟考した末に、わたしは浣熊の襟を売ることに決めた。それでも、わたしにとってはかなり大枚の金が不足したので、わたしは課長のアントン・アントーヌイチ・セートチキンから借りることに決めた。これは、温厚なたちだったけれども、真面目な手堅い人で、けっして人に金など貸さなかった。しかし、以前役所へ入る時にわたしを世話してくれた有力者が、この人に特別な紹介の労をとってくれたのである。わたしは大いに煩悶した。アントン・アントーヌイチに金の無心をするなんてことは、奇怪千万な恥ずべきことに思われたのである。わたしは二晩三晩、寝ないことさえあった。概して、その当時はあまりねむらないで、まるで熱にうかされたような具合だった。心臓がなんだかどろんと痺れたようになるかと思うと、今度は急にぴくぴく、ぴくぴくと躍り出すのだ!……アントン・アントーヌイチははじめびっくりしたが、その次には顔をしかめ、その次にはとくと思案をして、とにかく金を貸してくれた。むろん二週間たったら、貸しただけの金額を俸給から天引にする権利がある、という意味の証文を、わたしに書かしたのである。こういうわけで、やっとすべての準備が整った。美しい海狸が、もと見すぼらしい浣熊のついた場所に、堂々たる威容を輝かすことになった。で、わたしはぼつぼつ仕事に着手していった。何しろむこう見ずにいきなり決行するわけにはゆかない。こんな仕事は巧者に、つまりぼつぼつと仕上げてゆかなければならなかった。けれど、白状するが、幾度となく小手だめしをしたあげく、わたしはほとんど絶望に陥らないばかりであった。なんとしても衝突できない、どうにもならないのだ! わたしは一生懸命に心がまえをして、用意おさおさ怠りなかったのだから、今にも間違いなくぶっ突かりそうに思われるのだが、見ると、――わたしはまた道を譲って、相手はわたしなどには気も止めずに行き過ぎてしまうのだ。わたしは傍へ寄って行きながら、どうか神さまがわたしに勇気を授けてくださるようにと、心の中で祈念さえ唱えたほどである。一度などは、もうすんでのことで決行しかけたけれど、結局、相手の足もとに倒れたのが落ちだった。というのは、最後の瞬間に、あと二、三寸という距離のところで、気力が足りなかったのである。彼は平然と落ちつき払って、わたしの体を踏んで行き、わたしは毬のように横っちょへ飛びのいた。その晩わたしはまた熱病やみになって、しきりに譫言をいった。ところが、思いがけなく、すべては願ってもないほどうまくけりがついた。前の晩、わたしはこの自滅的な計画を中止して、いっさいを徒労のまま放棄することに、すっかり腹を決めてしまった。こういう目的をもって、この徒労のまま放棄するというやつを、実地に見てやろうと思って、最後の思い出にネーフスキイ街へ出かけて行った。すると突然、わたしは自分の敵手から三歩ばかり隔てたところで、思いがけなく決心がついたのだ。わたしが目をつぶったと思うと、――二人の肩と肩とがぴったりぶっ突かったのである! わたしはちょっとも道を譲らず、完全に五分と五分で傍を通り過ぎたのである! 彼は振り向いて見ようともしないで、なんにも気のつかないような顔をしていた。しかし、それは要するに、ただ顔をしただけにすぎない。わたしはそれを確信している。いまだに心底から確信している! むろん、わたしのほうがよけいに痛い目をした。相手のほうがずっと強いのだから。しかし、そんなことは問題じゃない。問題はわたしが目的を達して、自己の品位を保ち、一歩も敵に譲らないで、公衆の面前で社会的に彼と対等の位置に立った、ということである。わたしはすっかり仇を打ったつもりで、家へ帰って来た。わたしはもううちょうてんになって、得々としながら、イタリア・オペラのアリアなど唄ったものだ。もちろん、その後三日たってから、わたしの身の上に起こった顛末は改めて書きたてないことにする。わたしの手記の第一部『地下の世界』を読んだ人は、おのずと会得がゆくはずである。将校はその後どこかへ転任になった。もうかれこれ十四年ばかり、わたしはこの男に逢わない。わが親愛なる将校先生、今頃はいったいなにをしているだろう? いったいだれを踏みつけているだろう?


 けれども、わたしの淫蕩時代は終わりを告げて、わたしはなんともいえないほど、くさくさしてたまらなくなった。悔恨がおそって来た。わたしはそれを追い退けるようにしていた。もうあまりくさくさしてたまらないからだ。とはいうものの、わたしはそれにもだんだん慣れてきた。わたしはなんにでも慣れていった。いや、慣れるというよりも、なんだか進んで我慢する気になるのであった。しかし、わたしにはいっさいを諦めさせる逃げ道があった。それはすべての「美しくして高遠なるもの」のなかへ遁れこむことであった。むろん、空想の中での話だ。わたしはやたらに空想した。ものの三か月も自分の貝殻に閉じこもって、ぶっつづけに空想するのだ。そしてそれこそ本当にしてもらいたいのだが、こういう瞬間のわたしは、牝鶏じみた哀れな心の狼狽にまかせて、自分の外套の襟にドイツ出来の海狸を縫いつけた先生などには、まるで似ても似つかなかったのである。わたしは俄然英雄になった。例の六尺ゆたかな中尉殿なんか、たとえ向こうから訪問して来たって、そんなとき閾を跨せることではなかった。そういう時には、そんな男など想像に描くこともできなかった。わたしの空想がどんなものであり、どうしてわたしがそれに満足できたか、――そのへんの消息は今のところいいにくいけれど、当然わたしはそれで自足していた。もっとも、わたしは今でもいくらかそれで自足しているのだ。とくに甘く強い空想が訪れるのは、みじめな淫蕩をやった後だった。それは悔恨と涙と、呪詛と歓喜とともにやって来た。どうかすると、疑いもない陶酔と幸福の瞬間が訪れたので、わたしは自分の内部にいささかの嘲笑も感じなかった。本当の話である。そこには信仰と希望と、愛とがあった。つまり、そこのところなのだ、――わたしはその当時なにかの奇蹟で、何か外面的な事情の力で、こうした現状が急に開けて拡がってゆくものと、盲目的に信じていたのである。急に働きがいのある有益な、美しい、しかも(これが肝腎な点なのだが)、すっかり準備のできた活動の領域が、開けてくるように思われた(それははたしてどんなものか、まるでわたしにはわからなかったけれども、要はすっかり膳立てのできたものでなければならない)。こうしてわたしは堂々と、ほとんど月桂冠をいただき、白馬に跨らないばかりの勢いで、いきなり世の中へ乗りだしてゆくのだ。わたしは第二流の役割など、考えることもできなかったので、ほかならぬそのために、現実では平然として末流の役割を演じたのである。英雄にあらずんば塵芥ちりあくた、中庸などは存在しなかった。これがそもそもわたしの身の破滅となったのだ。なぜなら、わたしは泥の中にまみれながら、ほかの場合には自分も英雄になることがあるのだと、こんなことを考えて、自分で自分を慰めていたからである。ところで、英雄は穢れをおおいつくす力をもっている。並みの人間なら、泥にまみれるのは恥ずかしいけれども、英雄はすっかり泥だらけになってしまおうにも、あまり高いところに立っているのだから、したがって少々くらい泥をつけてもかまわないわけである。ここで注意に値するのは、この「美しくして高遠なるもの」の発作が、みじめな淫蕩の間にもわたしを訪れたことである。つまり、わたしがすっかりどん底に落ちこんでいる時、ぱっぱっと火花のように燃えあがりながら、やって来るのだった。それは自分の存在を思い出させるような形だったが、しかしその出現によって、淫蕩を揉み潰すのではなかった。それどころか、かえってコントラストの力で淫蕩を活気づけてくれる。いわばうまいソースの役目をする程度に訪れるのであった。この場合のソースは矛盾と、苦痛と、悩ましい内部分析から調合されていた。こうした苦悶や悩みは、わたしの淫蕩に一種ぴりっとした味と、ある意味さえも添えてくれた、――ひと口にいえば、完全に上等なソースの働きをしてくれたのである。これらすべてのことは、まんざら多少の深刻味がなくもなかった。まったくわたしとしては、平凡俗悪な純粋の腰弁式淫蕩に満足して、その穢らわしさをことごとく忍ぶなんて、そんなことができた義理ではないではないか! その当時、こんな淫蕩のどういうところがわたしの気に入って、よる夜中、わたしを街頭へ引っ張りだしたのだろう? なに、わたしは何にでも通用する上品な抜け穴を持っていたのだ……
 しかし、わたしはこうした空想の中に、こうした「美しくして高遠なるもの」への逃避の中に、どれだけの、ああ、どれだけの愛情を経験したろう! それは、幻想的な愛であり、けっして事実上なんら人間的なものに当てはまらない愛ではあったけれども、しかしそれがあまり豊富に満ちあふれていたので、その後、実際に当てはめようなどという要求さえも感じられないほどであった。これはもうよけいな贅沢というものだ。とはいえ、すべてはいつもきわめて平穏無事に、ものうい陶酔的な気持ちで、芸術に移ってゆくのが幕切れだった。それはつまり、一から十まで出来合いの美しい生存形式を指すので、詩人やロマン派から臆面もなく剽窃して、ありとあらゆる要求に、ご用を足すように順応された形式である。たとえば、わたしはあらゆる人間に対して勝ち誇ったような気持ちでいる。人々はむろん顔色なしで、わたしの備えているあらゆる完成の徳を、進んで認識せざるを得なくなる。すると、わたしは彼ら一同をゆるしてやるのだ。わたしは有名な詩人であり、侍従武官であって、恋をしたり、巨万の富を受け取ったりする。けれど、その金はすぐ人類のために寄付してしまって、しかもその場で、公衆一同に自分の汚辱を告白する。が、その汚辱はむろん単なる汚辱でなく、はなはだしく多量に「美しくして高遠なるもの」、いい換えれば、マンフレッド式の何ものかを蔵しているのだ。みんなは涙を流しながら、わたしと接吻する(それをしなかったら、やつらはあきれた間抜けぞろいだ)。ところが、わたしは飢えを忍びながら、あたらしい思想を宣伝するために、跣足はだしで出かけて行く、そして、アウステルリッツの戦場で退歩主義者どもを撃破する。マーチが吹奏されて、大赦令が公表せられ、法皇はローマからブラジルへ出発を承諾する。それから、コモ湖畔にあるボルゲーゼの離宮で、イタリア全国民のために大舞踏会が開かれる。というのは、コモ湖がこの催しのために、とくにローマへ移転されるからである。その後は、茂みの中の場面があったり何かして、――以下は諸君のご想像におまかせする。諸君はそれに対して、今お前が自分で告白した無量の感激や涙の後で、そんな月並みを今さら市場へもちだすのは、俗悪で下劣だといわれるだろう。だが、なぜそれが下劣なのです? いったい諸君はわたしがそれを恥じているとでも思われるのか? これが諸君の生活の何かに比べて、馬鹿げているといわれるのか、諸君? それに、誓っていうが、わたしの書いたものでも、多少はかなり気の利いたところがあるのだ……何もぴんから切りまでコモ湖畔の出来事ではない。もっとも、諸君の言は正しい。実際、俗悪でもあれば低劣でもあるのだ。何よりも低劣なのは、わたしがいま諸君の前でいいわけなど始めたことだ。それより更に低劣なのは、わたしがいまこんな断わり書きをしていることだ。しかしもうたくさんだ。こんなことをしていては、けっして終わりっこない。何もかも次から次へと、ますます低劣になってゆくばかりだ……
 わたしは三か月より長く、ぶっつづけに空想することがどうしてもできない。そのうちに、人間社会へ飛びこんでゆきたいという、やみ難い要求を感じ始めるのだ。わたしにとって、人間社会へ飛びこむということは、課長のアントン・アントーヌイチ・セートチキン氏のところへ客に行くことを意味する。これはわたしの一生を通じて変わることのない、たった一人の知人で、わたしはいま自分でさえもこのことを不思議に思っている。けれど、わたしがこの人のところへ出かけてゆくのは、わたしの空想が幸福の頂上に達して、ぜひともすぐに世間の人々、いな、全人類と抱擁せずにはいられないような、そうした時期が到来した時に限るのである。が、そのためにはせめて一人の人間でも、現に実在している人物を持つ必要がある。もっとも、アントン・アントーヌイチのところへ行くのは、面会日となっている火曜日に限るので、したがって、全人類と抱擁する内部要求を、いつも火曜日に当てはめなければならなかった。このアントン・アントーヌイチはピャチ・ウグロフ(五辻)に近い建物の五階に住んでいた。それは天井の低い小さな部屋四つの住居で、いかにもしまつ屋らしい、黄いろっぽい感じを帯びていた。家族は娘二人と、いつも茶の注ぎ役になっているその伯母であった。娘の一人は十三、いま一人は十四で、どちらも鼻が低かった。わたしはいつもこの二人の娘に、ひどく間の悪い思いをさせられた。それは二人がひそひそささやき合ったり、盗み笑いをしたりするからである。主人はたいてい書斎に納まって、われわれの役所か、でなければ、ほかの省に勤めている官吏らしい胡麻塩頭の客といっしょに、テーブルを前に控えた皮張りの長いすに腰かけていた。いつも顔ぶれの決まった二、三人の客よりほか、わたしはかつてだれにもそこで出会ったことがない。消費税、大審院の競売、俸給、昇進、長官閣下、上官のお気に入る秘書、等々が、その話題であった。わたしは四時間くらいぶっつづけに、間の抜けた顔をして、こういう連中の傍にじっと畏まりながら、その話を聞いているだけの忍耐力があった。しかも、自分から話に口を入れる勇気もなければ、それだけの働きもないのだ。わたしはぼっとなって、幾度も冷汗をかきそうになった。なんだか卒中の気が頭のへんを渦巻いているような気がした。しかし、これがいい気持ちであり、かつ有益なのであった。家へ帰ると、わたしはしばらくのあいだ、全人類と抱擁する希望を延期したものである。
 もっとも、なおそのほかに、もう一人シーモノフという知人らしいものがあった。学校時代の同窓なのである。学校時代の友だちは、ペテルブルグにたくさんいたろうと思われるが、わたしはその連中と交際していなかったのみならず、往来で逢っても、挨拶ひとつしなくなったほどである。わたしがほかの役所へ転任して行ったのも、彼らといっしょになるのがいやで、癪にさわる自分の少年時代と一気に絶縁するためだったかもしれない。あんな学校やあんな懲役じみた時代は呪われるがいいのだ! 要するに、わたしは自由になるが早いか、さっそく学校友だちと手を切ってしまった。けれど、それでも出会った時に挨拶する友が、まだ二、三人は残っていた。その中にシーモノフが入っていたのだ。学校時代にはいっこうなんの特色もなく、なだらかな静かな男だったが、わたしはこの男にある程度の独立独歩の気性と、廉潔心さえみとめていたのである。それどころか、彼がそれほど浅薄な人間だともおもわない。かつてわたしと彼の間には、かなり晴れやかな友情の時期もあったが、それはあまり長くもつづかないうちに、とつぜん妙な霧みたいなものにおおわれてしまった。彼は察するところ、この追憶を荷厄介にしているらしく、わたしが以前のような調子に立ち返りはしないかと、絶えずびくびくしている様子であった。わたしは彼に嫌われているのではないかと疑いながら、確かにそうという確信もなかったので、相変わらずこの男を訪問していた。
 ところで、ある木曜日のこと、わたしは自分の孤独に我慢し切れなくなったにもかかわらず、木曜日にはアントン・アントーヌイチの客間が閉ざされているのを承知していたので、ふとシーモノフのことを思い出した。四階の住居へ昇って行きながら、この先生がわたしを迷惑がっていたことを思いだして、自分がこうして出かけて来たのはいけなかったかな、と考えた。けれど、結局、こうした考えはまるでわざとのように、わたしを尻くすぐったい立場へ追いこむのが常だったので、わたしはずんずん入って行った。この前シーモノフに逢ってから、もうほとんど一年たっていた。


 わたしはこの男のところで、ほかに二人の学校友だちに逢った。見受けたところ、彼らは何か重大な相談をしているらしかった。わたしが入って行っても、だれ一人としてろくすっぽ注意も向けなかった。わたしたちはもう何年といって逢わなかったのだから、こうした態度は不思議に思われるくらいだった。明らかに彼らはわたしという人間を、ごくありふれた蠅くらいにしか心得ていないらしい。彼らはみんな学校時代からわたしを憎んではいたものの、その頃はまだこれほどのひどい扱いはしていなかった。いま彼らがわたしを軽蔑するのは当然すぎるくらいだ、そのことはわたしにももちろんわかっていた。なぜなら、わたしが官吏生活の方面で失敗したために、すっかりなりふりをかまわなくなって、ひどい服を着たりしていたからである。――こういうことは、彼らの目から見ると、わたしに働きがなくなって、つまらない人間だという看板を上げているに等しいのだ。しかし、それにしても、これほどまでの軽蔑は予期していなかった。シーモノフはわたしの来訪に、面くらった様子さえ見せた。もっとも、彼は前からいつもわたしの訪問に面くらうらしかった。わたしはこういう事態に出鼻を挫かれたような形だった。わたしはいくらか沈んだ気持ちで腰を下ろし、彼らの話に耳を傾け始めた。
 それは、現職将校として遠い地方へ転任してゆくズヴェルコフという友だちのために、この連中が集まって、明日さっそく送別宴を張ろうというので、真面目くさって熱心に相談しているのであった。ムシュウ・ズヴェルコフはわたしにとっても終始かわらぬ同窓の友だった。わたしは上級になった頃から、別してこの男を憎み出した。下級生時代には、彼は単にかわいい活溌な少年にすぎなかったので、みんなにかわいがられていた。もっとも、わたしは下級生時代にもこの男を憎んでいた。つまり、彼がかわいい活溌な少年だったからである。学業の成績はいつも決まって悪く、さきへ進めば進むほどいけなかった。そのくせ、ひきがあったものだから、まんまと卒業することができた。学校を卒業する前年に、二百人の農奴つきの領地が遺産として彼の手に入った。ところが、仲間の連中はほとんどみんな揃って、貧乏人ばかりだったから、彼はわたしたちに対しても大風呂敷をひろげるようになった。それはもうこの上なしという俗物だったけれども、悪気のないいい男で、大風呂敷をひろげる時でさえ愛嬌があった。われわれ仲間では、うわっ面だけの廉潔とか、名誉とかいうものについて、突拍子もない美辞麗句的な形式が喋々されていたが、それでもごく少数の者を除いては、みんなズヴェルコフの前でぺこぺこしていた。それで、当人はいっそう肩で風を切るようになったのである。しかし、それは何かさもしい目当てがあって、ぺこぺこするのではなく、ただ彼が自然の恩恵を賦与された運命の寵児だからにすぎない。その上、どういうわけか、われわれ仲間ではズヴェルコフのことを、洗練された身だしなみとか作法とかにかけては、立派なエキスパートのように考えていたのである。このことはとくにわたしを憤慨させた。自分の価値を疑ったこともなさそうな、きんきんした彼の声の響きや、自分で自分の洒落や警句に満足し切っている様子などを、わたしは心の底から憎んでいた。彼はしゃべるほうにかけては勇敢だったが、その洒落はいつも馬鹿げ切っていた。わたしは、美しいけれど間のぬけた彼の顔や(もっとも、わたしはいつでも喜んで自分の利口そうな顔を、その間ぬけ面と取りかえてやるつもりだが)、四十年代の遺物めいた磊落な将校式態度を、ひそかに憎んでいた。また未来における女性征服の勝利を語り(彼はまだ将校の肩章をつけていなかったので、女に手を出すのを躊躇していた、そのために、一日千秋の思いで肩章を待ち焦れているのだ)、のべつ決闘ばかりしていたいといった空想を語る癖も、同様に憎らしく感じていた。今でも覚えているが、いつも無口なわたしが、突然ズヴェルコフとつかみ合いを始めたことがある。あるとき彼が放課時間に、友だちと未来の情婦のことをしゃべっているうちに、とうとう日向ぼっこをしている仔犬のように浮かれだし、自分は領地の村娘を一人だってただではおかない、それは droit de seigneur(領主の権利)だから、もし百姓どもが生意気に反抗したら、そういう髯むじゃの悪党どもを、一人残らず鞭で叩きのめしたあげく、年貢を倍に値上げしてやるなどと、出しぬけに宣言したからである。仲間の下司どもは拍手喝采したが、わたしは取っ組みあいを始めた。それはけっして村の娘やその父親がかわいそうだったからではなく、こんな青二才にみんなが本気で喝采したからである。わたしはそのとき首尾よく勝ちを制したが、ズヴェルコフは馬鹿とはいいながら、快活で※(「さんずい+闊」、第4水準2-79-45)達な性質だったので、笑いにまぎらしてしまった。だから正直なところ、わたしの勝ちも完全なものとはいえなかった。最後に笑っただけ彼のほうに分があったのである。その後、彼に二、三どわたしを負かしたが、別に悪意があったわけではなく、ちょっとついでに笑いながら冗談をしたという形だった。わたしは憎悪の念をいだきながら、その返報をしようともしなかった。卒業後、彼は一歩だけわたしに接近してきた。わたしは悪い気持ちもしなかったので、大してそれを拒まなかった。しかし、間もなく、当然の結果として、二人は別れてしまった。その後わたしは、陸軍中尉としての彼の成功や、その遊蕩ぶりなどを噂に聞いた。それから、また別な噂も耳に入るようになった、――彼が勤務のほうで、成功しているという消息だった。往来で出会っても、彼はもうわたしに挨拶しなくなった。でわたしは、自分のようなぴいぴいと挨拶して、沽券を下げるのが心配なのだな、と邪推した。それから、またあるとき劇場の三階で顔をあわしたが、そのとき彼はすでに参謀肩章をつけていた。そして、ある老齢の将軍の令嬢たちに、せっせと愛嬌を振り撒いていた。三年ばかり経つと、急に風采が落ちて来た。相変わらず相当に美しくて、動作も軽快だったけれど、妙に皮膚がたるんで、脂ぶとりに肥ってきた。三十前後にはすっかりぶよぶよになってしまうのが、目に見えるようだった。そこで、今度いよいよ転任して行くズヴェルコフのために、仲間の連中が送別の宴を張ろうとしているのである。彼らはこの三年間、絶えず彼と交遊をつづけていた。そのくせ心の中では、自分たちを彼と対等の人間だとは思っていなかったのだ。わたしはそれを確信している。
 シーモノフのところにいる客二人のうち、一人はフェルフィーチキンといって、ロシヤに帰化したドイツ人であった、――背が低くて猿のような顔をしているくせに、人をだれでもおちゃらかす馬鹿者で、わたしとは下級生時代から犬猿もただならぬ間柄だった、――むろん、しんはみじめな臆病者のくせに、下劣な人を喰ったから威張り屋で、しかも神経質な野望をいだいている。彼は目算あって世辞を使いながら、しじゅう金を借りだすという、そうした種類のズヴェルコフ崇拝者の一人だった。もう一人の客はトルドリューボフといって、あまりぱっとしない先生だった。背が高く冷たい顔つきをした軍人で、かなり正直者ではあったけれど、いつも成功というものばかりありがたがって、ただ昇進を談ずるよりほか、なんの能もない男だった。ズヴェルコフとは何か遠い親戚関係になっていた。いうも馬鹿馬鹿しいことながら、それがわれわれの間で、彼に一種の箔をつけていたのである。彼はいつもわたしなどまるで眼中に置いていなかったが、応対ぶりは大して丁寧といえないまでも、まあ我慢のできる程度だった。
「よかろう、一人あたま七ルーブリ当たりとすれば」とトルドリューボフはいい出した。「われわれの人数は三人だから、二十一ルーブリになる、――それなら立派な食事ができるさ。ズヴェルコフはもちろん会費なしだ」
「そりゃ当然だよ、われわれが招待するんだからな」とシーモノフが断案を下した。
「いったい諸君は」ご主人の将軍が持っている勲章を自慢する、厚かましい下男のような態度で、フェルフィーチキンが熱くなってえらそうに口を入れた。「いったい諸君は、ズヴェルコフがわれわれにだけ払わせると思うかい? そりゃ礼儀上、受けるには受けるだろうが、その代わり、シャンパン半ダースくらいは提供するだろうよ」
「ふむ、われわれ四人きりで、どうして半ダースなんか」ただ半ダースということばかり気にしながら、トルドリューボフが注意した。
「それじゃ人数は三人、ズヴェルコフを入れて四人、金は二十一ルーブリで、場所はオテル・ド・パリ、時間は明日の午後五時だ」幹事に選挙されたシーモノフが、最後的決定といった形でこう結んだ。
「どうして二十一ルーブリなんだ?」わたしはいくらか興奮してこう口を入れた。どうやらむっとしたらしい。「ぼくを勘定に入れたら、二十一ルーブリでなくて、二十八ルーブリじゃないか」
 わたしがこんなふうにとつぜん仲間入りを申し込むと、非常に綺麗なやり方にみえて、みんながたちまち兜を脱いでしまい、尊敬の目をもってわたしを見るようになるだろうと、そんな気がしたのである。
「へえ、きみもお望みなのかね?」シーモノフは妙にわたしを見ないように努めながら、不満そうな調子でこういった。彼はわたしという人間をそらで知っていたのである。
 わたしは、この男が自分の性質を知りぬいてるのだと思うと、むらむらと癇癪が起こって来た。
「それはなぜだね? ぼくだってやはり同窓の友じゃないか。それに、ぼくを除けものにするなんて、正直なところ、失礼といっていいくらいだよ」とわたしはまたごて始めた。
「だって、どこへきみをさがしに行けばよかったんだい?」とフェルフィーチキンがぞんざいな調子で口を入れた。
「きみはいつもズヴェルコフと折合いが悪かったものだからね」とトリドリューボフは顔をしかめながら、こういい添えた。けれど、わたしはもうしっかり喰いさがって、放さなかった。
「そんなことは、だれもとやかくいう権利はないはずだと、ぼくは思うがね」まるで天下の一大事でも起こったように、わたしは声を慄わせながらいい返した。「つまり、むかし折合いが悪かったからこそ、いま仲間入りがしたいというのかもしれないじゃないか」
「ふむ、きみの心持ちなんか……そんな高遠な感情なんか、だれにわかるものかね」トルドリューボフはにたりと笑った。
「じゃ、きみも入れよう」シーモノフはわたしのほうへ振り向きながら、勝手にこう決めてしまった。「明日の午後五時、オテル・ド・パリだから、間違わないようにしてくれたまえ」
「だが、金は!」とフェルフィーチキンが、わたしのほうを顎でしゃくりながら、小さな声でいいかけたが、急にぴったり言葉を止めた。シーモノフでさえ、へどもどしてしまったからである。
「もうこれくらいでよかろう」と、トルドリューボフは立ちあがりながらいった。「それほど来たいなら、来させるがいいさ」
「だって、これは、ぼくら親友だけの、内輪の集まりじゃないか」やはり帽子に手をかけながら、フェルフィーチキンは憎々しげにいった。「何も、改まった会じゃないんだから」
「ぼくらにいわせれば、ちっともきみなんかに仲間入りしてもらいたくないかもしれないんだ……」
 彼らは別れて行った。フェルフィーチキンは帰りしなに、てんでわたしに挨拶しなかった。トルドリューボフは見向きもしないで、申しわけのように顎をしゃくった。わたしと鼻を突き合わせて残ったシーモノフは、なんだかいまいましそうな、合点がゆかぬといった様子で、不思議そうにわたしを見つめていた。彼は腰も下ろさず立ったままで、わたしに坐れともいわなかった。
「ふむ……そう……では、明日ね。金に[#「金に」はママ]いますぐ払うかい? ぼくただちょっと、確かめておきたいので」と、彼はてれた様子でつぶやいた。
 わたしはかっとなった。しかし、かっとしながらも、いつの昔からかシーモノフに十五ルーブリの借金があることを思い出した。ただし、それは一度も忘れたことがないけれど、けっして払いもしなかったのだ。
「だって、シーモノフ君、察してもくれたまえ、ぼくはここへ来るとき、そんなことを知るはずがなかったじゃないか……いまいましくってたまらないんだけれども、つい忘れちゃって……」
「よろしい、よろしい、どうだっていいさ。あす食事の時に払ってくれたまえ。ぼくはただ念のために……きみ、どうぞ……」
 彼は急にへどもどして、前よりもっと癪な顔つきで、部屋の中を歩き廻りにかかった。歩き廻りながら、彼は踵のほうへ力を入れて、こつこつと大きな音を立て始めた。
「邪魔じゃないだろうか?」二分ばかりだんまりでいた後、わたしはこう問いかけた。
「いいや、けっして!」彼は急にぴくっとした。「いや、なに、正直なところ、そうなんだよ。実はね、ぼくまだ行かなくちゃならないところがあるんで……つい近所なんだがね……」彼はなんだか詫びでもするような、また多少恥じ入ったような調子で、こういい添えた。
「や、そりゃ、大変だ! なんだってそういってくれなかったんだ!」わたしは帽子をつかみながら叫んだ。この調子は、どこから出て来たかと不思議に思われるほど、くだけたものだった。
「だって、大して遠くないんだから……ほんの一足のところでね……」まるでご当人に不似合いなせわしない顔つきで、控え室までわたしを見送りながら、シーモノフはくり返した。「じゃ、明日は正五時だよ!」と彼は階段を降りてゆくわたしのうしろからどなった。わたしが帰ったので、しごく大満悦なのだ。わたしは前後を忘れるほど腹が立った。
「ちぇっ、よくまあ、本当によくまあ、出しゃばる気になったもんだ!」わたしは通りを歩きながら、ぎりぎりと歯がみをした。「しかも、ズヴェルコフなんて豚の仔みたいな俗物のためにさ。当然行かないことにするんだ。当然唾を引っかけてやるんだ。何も約束に縛られてるわけじゃあるまいし。明日はさっそく市内郵便で、シーモノフに断わってやろう……」
 けれど、わたしが夢中になるほど腹を立てたのは、自分が明日は出かけてゆく、意地にでも出かけてゆくということを、間違いなく承知していたからである。わたしの出席がまずいやり方で、無作法に感じられれば感じられるほど、なおさら出かけて行くに相違ないのだ。
 それにもう一つ、わたしの出席には決定的な障害があった。金がなかったのである。わたしの手もとには一切合切で、たった九ルーブリしかなかった。そのうち七ルーブリは、明日必ずアポロンの月給として渡してやらなければならなかった。この下男は食事手もち、給金七ルーブリという条件で、住み込んでいたのである。
 アポロンの気性から推してみても、やらないわけにはゆかなかった。わたしの生活の癌になっているこの悪党のことは、そのうちにまた話すとしよう。
 とはいえ、わたしはやはり給金を渡さないで、必ず会に出席するということを、自分でちゃんと知っていた。
 その晩わたしは醜悪きわまる夢を見た。それもそのはず、わたしは学生時代の懲役人じみた生活の思い出に夜っぴて悩まされ、それを振り払うことができなかったのだ。わたしをこの学校へ押しこんだのは、遠縁にあたる親戚の連中だった。わたしはこの連中の勝手にされていたのだが、そのくせ彼らとはどんな関係があるのか、いっこうなんにもわかっていなかった。――もういいかげんこの手合いの小言にいじめつけられて、もの思いに沈みがちになり、むっつり黙りこんで、人づきの悪い目つきで周囲を眺めるようになった、その頼りない孤児のわたしを、勝手にそこへ押しこんでしまったのだ。同級生は、わたしが彼らのだれにも似ていないというので、容赦のない毒々しい嘲笑でわたしを迎えた。しかし、わたしは他人の嘲笑を我慢できないたちだった。みんながお互いに馴れあうようなふうに、安っぽく馴れあうことができなかったのだ。わたしはたちまち彼らを憎んで、一同と絶縁してしまい、自尊心を傷つけられたまま、神経質に高調された限りないプライドの中に閉じこもった。彼らの粗暴さがわたしの憤懣を呼びさますのだった。彼らはシニックにわたしの顔を笑い、わたしの粉袋みたいな恰好をわらった。そのくせ、彼ら自身がどんなに馬鹿げた顔をしていたかしれないのだ! わたしたちの学校へ入ると、みんなの顔の表情が格別ばかげてきて、生まれ変わったようになるのであった。どれだけ大勢の美少年がわたしの学校へ入ってきたかもしれないが、何年かたつうちに、見るもいまわしいような顔つきになって来た。まだ十六ばかりの年に、わたしは気むずかしい目つきで、みんなの顔をあきれて眺めたものである。もうその時分から、彼らの考え方の浅薄さや、彼らの仕事、遊戯、会話の愚かしさにわたしは一驚を吃した。彼らは必要欠くべからざるものを理解せず、感激や驚異に値する事柄に興味をもたなかったので、わたしは自然かれらを自分より低級な人間と考えるようになった。それは辱しめられた自尊心の当然な帰結などではない。またお願いだから、胸の悪くなるほど飽きあきした決まり文句、――『お前はただ空想していたばかりだが、彼らはもうその頃から、現実生活を理解していたのだ』なんて公式的な文句で、わたしにお説教しないでもらいたい。彼らは現実生活も何もまるで理解していなかった。誓っていうが、つまりその点こそ、わたしを憤慨させた最大原因なのである。実際はその正反対で、彼らは明々白々、一見して目に映るような現実を、あきれ返るほど馬鹿げたふうに受けいれて、もうその当時から、ただ成功のみをありがたがる癖がついてしまっていたのだ。たとえどんなに正しいものでも、辱しめられ虐げられているものは、なんでも情け容赦なく冷笑した。彼らは官位を叡知と見なし、十六やそこらで、もうぬくぬくと暖まれる地位を空想していた。むろん、それは少年にまぬがれ難い愚かしさや、彼らの幼年時代を絶えず囲繞していた良からぬ手本によることも、少なくなかったに相違ない。彼らの淫蕩さは醜怪なくらいであった。むろん、そこにも外部からくっつけた人為的なシニズムのほうが多く、青春と新鮮の感じがその淫蕩の間から閃いていたのは、いうまでもないことだけれど、しかし彼らにおいては、新鮮ささえ醜い感じを与え、その現われはなんとなくいじけているのであった。わたしは心底から彼らを憎んでいたが、或いは自分のほうがかえって劣等だったのかもしれない。彼らもまた同じ態度をもってわたしにむくいながら、嫌悪の情を隠そうともしなかった。けれど、わたしはもはや彼らの愛情などを望まなかった。それどころか、絶えず彼らの屈辱に渇していたのだ。わたしはみんなの嘲笑を回避するために、わざとできるだけ成績をあげることに努め、優等生の中へ割りこむことができた。これは彼らに対して効果があった。そのうえわたしがしだいしだいに、彼らの手に合わない本を読んだり、彼らが聞いたこともなければ、学校の専修科目の中に入っていないようなものを理解しているのが、彼ら一同にもわかるようになった。みんなはそれを奇怪なことのように、冷笑の目をもって眺めていたが、精神的には屈服したのである。まして、教師たちがこの点でわたしに注意を払うようになってから、なおさら利き目があった。冷笑はやんだけれども、一脈の敵意が残った。そして、冷ややかな緊張した相互関係が固定してしまったのである。しかし、最後には、わたし自身が持ち切れなくなって来た。年とともに人懐かしさと、交友を要求する念が、だんだん強くなっていった。わたしは二、三のものに接近しようともしてみた。けれど、この接近はいつも不自然なものになって、自然と消滅してしまうのであった。一時はわたしにも親友らしいものがあった。しかし、わたしはすでに内心暴君になっていたので、無限に相手の魂を支配しようとした。わたしは周囲のいっさいに対する侮辱の念を、彼の心に植えつけようと思い、傲慢な態度で完全に周囲の世界と絶縁することを、彼に要求したのである。わたしは自分の熱烈な友情でこの男をびっくりさせてしまった。彼はとうとう涙を流したり、痙攣を起こしたりするまでになったのである。それは魂までも親友に捧げつくすような、無邪気な男であったが、彼が身も心もわたしに捧げつくした時、わたしはさっそく彼を憎み始め、自分の傍から突き放してしまった、――それはまるで、彼という人間がわたしに必要だったのは、凱歌を奏して征服する、ただそれだけのためにすぎなかったような形なのである。とはいえ、わたしはだれも彼も征服するわけにゆかなかった。この親友はやはり仲間のだれ一人にも似ないで、稀れに見る例外現象だったのである。学校を出てから、まず第一にやったわたしの仕事は、自分の志した専門の勤めを放棄することだった。それはいっさいの絆を断ち切って、過去を呪い、粉微塵に吹き散らしてしまうためなのである……こういうわけだのに、なぜあんなシーモノフ輩のところへのこのこ出かけていったのか、われながら気がしれない……
 翌朝早くわたしはベッドから跳ね起きると、わくわくしながら飛びだした。まるで今にもすぐいっさいが成就しかかったようなあんばいなのだ。けれども、今日は何かしらわたしの生涯における根本的な転機がやって来る、必ずやって来るに相違ない、とこんなふうに信じていた。慣れないためかしらないが、とにかくわたしはずっと一生涯、どんなにつまらない外面的な事件が起こっても、すぐに何かしら生涯の根本的な転機がやって来るような気がしてしようがなかった。もっとも、わたしはいつものとおり勤めに出かけたが、準備のために、いつもより二時間ばかり早く抜けて帰った。何よりも肝腎なのは、第一着に行かないことだ、――とわたしは考えた。――さもないと、うちょうてんになって喜んでいるようにられる恐れがある。しかし、こういった肝腎なことが山ほどあって、へとへとになるほどわたしを興奮させるのであった。わたしはもう一ど手ずから靴をみがき直した。アポロンは天地が引っくり返っても、日に二度も靴を磨こうとはしない。そんなことは法にないというに違いない。わたしは何かの拍子でアポロンに見つけられて、後で軽蔑されないように、そっと控え室からブラシを盗み出して、靴磨きをやった次第である。それから、仔細に着物を点検してみた結果、何もかも着古され擦り切れているのを発見した。わたしがあまりだらしなくし過ぎたのだ。役所用の制服はきちんとしていたかもしれないが、しかし制服を着て宴会に出るわけにはゆかない。何よりも困ったことには、ズボンの膝のま上に大きな黄いろいしみがあった。もうこれ一つだけで、わたしの尊厳が九分どおりまで帳消しになってしまうのを、前から予感していたのである。しかし、そんなことを考えるのは実にさもしいということも、わたしはやはり承知していた。『が、いまは考えごとなどしている場合でない。これから現実がやって来ようとしているのだからな』とわたしは考えて、意気銷沈の形だった。また同時に、これらの事実を馬鹿馬鹿しく誇張しているということも、わたしは立派に知りぬいていたのだが、いかんともせんかたない、わたしはもう自己制御の力がなかった。悪寒に全身をがたがた慄わせていたのである。あの「卑劣漢」のズヴェルコフが、さぞ高慢ちきな冷たい態度で、わたしを迎えることだろう。あの鈍感なトルドリューボフが、さぞ泰然自若とした鈍い軽蔑の目でわたしを眺めることだろう。それから、あの虫けら同然のフェルフィーチキンが、ズヴェルコフのお気に入ろうと思って、さぞ厚かましいいやらしい声で当てつけがましく、ひひひひと笑うことだろう。またシーモノフは、それをすっかり心の中で十分に知りぬいているくせに、さぞかしわたしの卑小な虚栄心と浅薄な気持ちを軽蔑することだろう。――それに、何よりたまらないのは、これらすべてがいかにもみじめで、非文学的で、日常茶飯事じみていることだ。わたしは絶望の念をいだきながら、こんな光景を心に浮かべたのである。もちろん、あたまから行かないことにすれば一等いいのだ。が、それは何よりも不可能なことだった。わたしは何かに牽引を感じたが最後、もう真っ逆さまに飛びこんでしまわなければ、承知できないたちだった。『おい、どうした、おじ気づいたんだろう、現実を恐れたんだろう、臆病者!』と、その後一生涯、自分を嘲弄するに相違ない。それどころか、あの『ごろつき』どもに、わたしはけっして自分で想像しているほどの臆病者でないということを、堂々と証明してやりたくてたまらなかった。それどころか、烈しい熱病じみた臆病の発作に駆られながら、わたしは彼らを征服して凱歌を奏し、『高遠なる思想と疑いもない機知』のために、彼らを魅了してやりたいと、こんな空想さえ描くのであった。彼ら一同はズヴェルコフを見棄ててしまう。すると、彼は脇のほうに取りのこされ、恥じ入って黙りこんでいる。こうしてわたしはズヴェルコフを圧倒してしまうのだ。それから後で彼と和睦して、心から隔てなく、君僕で呼び合いながら乾盃してもいい。しかし、何よりも癪にさわるいまいましいことは、実際のところ、そんなものはわたしにとって毫も必要がないということを、その時からもうちゃんと知っていたのである。わたしはけっして彼らを圧倒したり、征服したり、魅了したりすることなんか、まるで望んではいないのだ。たとえその目的を達したとしても、そんな結果などはわたし自身がまず第一番に、びた一文にも値踏みしなかったに相違ない、それをわたしははっきり確実に知っていたのだ。ああ、どうかしてこの一日が少しも早く過ぎてしまうようにと、わたしはどんなに神に祈ったかしれない! 名状しがたい憂愁をいだきながら、わたしは窓に近よって通風口を開き、霏々ひひとして降ってくるべた雪の、どんよりと黄いろい薄闇を見透かしたものである……
 とうとうわたしの部屋にかかっているやくざな柱時計が、じいじいとしゃがれ声で五つ打った。わたしは帽子をとった。そして、もう朝から給金の支払いを待ち通しながら、馬鹿の強情で自分からは切りだそうとしないアポロンのほうを、なるべく見ないように気をつけながら、傍を通りぬけて戸口を出た。わざとなけなしの五十コペイカを奮発して、上等の辻馬車を傭い、紳士然とオテル・ド・パリへ乗りつけた。


 わたしはもう前の日から、自分が第一番に乗りつけるのを承知していた。しかし、問題は一着とか、二着とかいうことではなかった。
 彼らはまだだれも来ていなかったばかりでなく、わたしたちの部屋をさがし当てるのさえやっとのことだった。テーブルの準備なども、まだまるでできていなかった。いったいこれはどうしたことだ? いろいろとききただしたあげく、やっとボーイの口から、食事は五時でなくて、六時の注文になっていることを確かめた。食堂のほうでも、それは間違いないと断言した。もうこのうえたずねまわるのは、恥ずかしい気持ちさえしてきた。まだやっと、五時二十五分だった、もし時間を変更したのなら、いずれにしても通知してくれるのが本当で、そのため市内郵便というものもある、それだのに、わたしを自分自身に対しても……ましてボーイたちに対しても、こんな『不体裁』な羽目に立たすとは。わたしは腰を下ろした。ボーイが食卓にクロースをかけ始めた。ボーイの手前に対しても、なんだかよけい癪にさわってくる。六時近い頃、いくつかランプのともっている部屋の中へ、更に蝋燭が持ちこまれた。が、それにしてもボーイのやつ、わたしが来た時すぐにそれを持って来ようとはしなかったのである。隣りの部屋では、見たところ怒りっぽい様子をした陰気くさい二人の客が、別々のテーブルで黙りこくって食事をしている。遠く隔てた部屋の一つはやけに騒々しくて、喚き声さえしていた。大勢の連中がどっと笑う声も響いてくるし、黄いろい声で何か下品なフランス語をしゃべるのも聞こえた。婦人連も交った宴会らしい。ひと口にいえば、むかむかしてくるほどいやらしかった。こんな気持ちの悪い思いをさせられるのは、めったにないことだったので、正六時に仲間のものがいっせいに姿を現わした時、わたしは最初の一瞬間、さながら救い主のように彼らを喜び迎えて、当然むっとした顔つきをしていなければならないのを、ほとんど忘れはてないばかりだった。
 ズヴェルコフはいかにも指揮官然として、真っさきに入って来た。彼も、そのほかの連中も、面白そうに笑っていたが、わたしの顔を見ると、ズヴェルコフはちょっと容態ぶって、悠々と傍へ寄ってきた。そして、しなでも作るように、軽く小腰をかがめながら、愛想よく、といっても度をすごさないように、わたしに片手をさし伸べた。それはまるで将軍が部下に対するような、警戒の念を含んだ慇懃さで、手をさし伸べながらも、何かこう身を護るような恰好だった。ところが、わたしはその正反対を想像していたのだ。彼は入って来るといきなり、例の細いきいきい声で磊落な笑い方をした後、開口一番、平凡な洒落や警句を飛ばすに相違ないと思って、わたしはもう前日からそれに対する心がまえをしていた。けれど、こうした高慢ちきな恩寵の態度は、夢にも思い設けないところだった。してみると、彼は今あらゆる点でわたしより無限にえらいのだと、心底からうぬぼれているのだろうか? もし彼がこの将軍気取りでわたしを侮辱しようとおもっているだけなら、それはまだなんでもないことだ。それなら、いい加減に唾でも引っかけてやればすむことだ、とわたしは考えた。けれど、侮辱してやろうなどという気は少しもなく、自分のほうがわたしより無限にえらくって、わたしに対しては保護者然とした見方しかできないなどという考えが、本気であの男の馬鹿頭に浮かんだとすれば? わたしはこう想像しただけで、もう息がつまりそうな気がした。
「ぼくはね、きみが仲間に入りたいという話を聞いて、びっくりしてしまったよ」彼はしゅっしゅっと舌縺れのするような調子で、いやに言葉尻を引きながら、こういいだした。こんな癖は前にけっしてなかったのだ。「きみとはどうしたものか、いつもかけちがって逢わなかったね。きみはぼくたちを避けるようにしていたらしい。それはとんだ勘違いだよ。ぼくたちはきみの考えるほど恐ろしい人間じゃないからね。いや、なんにしても、旧交を暖めるのはゆーかーいだよ……」
 こういいながら、彼は無造作にくるりとうしろを向いて、帽子を窓の上へ置いた。
「もう長く待ったかい?」とトルドリューボフはたずねた。
「ぼくはきのう指定されたとおり、正五時にやって来たんだ」間近かな爆発を予報するような、いらいらした調子で、わたしは声だかにこう答えた。
「いったいきみは時間の変更を知らさなかったのかい?」トルドリューボフはシーモノフのほうへ振りむいた。
「知らさなかった。忘れちゃったんだ」と、こちらは答えたが、いっこう慚愧の色もなく、わたしにあやまろうとさえしないで、前菜の注文に行った。
「じゃ、きみはもうここに一時間からいたんだね! おやおやかわいそうに!」ズヴェルコフは嘲けるように叫んだ。彼の観念によると、それは本当に恐ろしく滑稽なことに相違なかったからである。彼の後から、まるで小犬のように響きの高い下劣な声で、フェルフィーチキンの畜生がきゃっきゃっと笑いだした。わたしの立場がとても滑稽で、笑止千万に思われたのである。
「ちっともおかしかありゃしない!」わたしはますますいら立ってゆきながら、フェルフィーチキンにどなりつけた。「悪いのはほかの連中で、ぼくじゃないんだ。ぼくに通知するのを怠ったんじゃないか、それは……それは……それは……もう馬鹿げてる」
「馬鹿げているだけじゃなくて、まだほかに何かあるよ」無邪気にわたしの肩を持ちながら、トルドリューボフはこうつぶやいた。「きみはあまりおとなし過ぎるよ。これはもう失敬というものだ。むろん、意識したわけじゃないがね。いったいどうしてシーモノフがそんなことを……ふむ!」
「もしぼくがそんな目にあわされたら」フェルフィーチキンが口を入れた。「それこそぼくは……」
「じゃ、きみ、何か注文して、取り寄せたらよかったのに」とズヴェルコフがさえぎった。「それとも、みんなを待たないで、いきなり、食事を頼んだらよかったのさ」
「断わっておくが、ぼくはだれの許可を受けなくったって、勝手にそうしたかもしれないんだ」とわたしは断ち切るようにいった。「ぼくが待ったのは、つまり……」
「諸君、席に着こうじゃないか!」そこへ入って来たシーモノフはこう叫んだ。「用意はすっかりできた。シャンパンはぼくが保証する。とび切り上等に冷えてるよ……だって、ぼくはきみの宿所を知らなかったんだからね、どこもたずねようがないじゃないか?」と彼はだしぬけにわたしのほうへふり向いたが、今度も妙にわたしを見ないようにしていた。明らかに、何か底意を持っているのだ。してみると、昨日あの後でとっくりと考えたのだろう。
 一同は席についた。わたしも腰を下ろした、テーブルは円卓だった。わたしの左手にはトルドリューボフ、右手にはシーモノフ、ズヴェルコフはむかいに坐った。フェルフィーチキンは彼とならんで、トルドリューボフの隣りに陣取った。
「ときにきみは、役所……づとめかね?」とズヴェルコフは相変わらず、わたしのお相手を勤めてくれた。わたしがてれているのを見て、彼は本当にわたしをいたわってやらなければならない、いわば励ましてやる必要があると、真面目に思いこんだらしい。『いったいあいつはおれにビンでもほうりつけてもらいたい気なのか?』と、わたしは内心憤怒に燃えながら考えた。こういう席に慣れないために、なんだか不自然なほど早くいら立ってきた。
「**局に勤めているよ」わたしは皿をみつめながら、ぶっ切ら棒に答えた。
「へえ……そのほうがきみに、ゆ、有利なのかね? いったいどういうわけで、前の口をや、やめなければなーらなくなったんだい?」
「ぼくがや、やめなければなーらなくなったのは、前の口がいやになったからさ」もうほとんど自制力をなくしてしまって、わたしは相手の三倍も長く言葉を引っ張った。フェルフィーチキンはぷっと噴きだした。シーモノフは皮肉な目つきでわたしを眺めた。トルドリューボフは食事の手を止めて、さももの珍しげにわたしをじろじろ見廻し始めた。
 ズヴェルコフはむっとしたが、気のつかないふりをした。
「でーえ、現在の内容は?」
「内容とはなんのことだね?」
「つまり、俸給のことかね?」
「全体、きみはぼくを試験しているのかね!」
 でも、わたしはとにかく自分のもらっている俸給額を、すぐに白状してしまった。わたしはいたく赤面した。
「あまり豊かでないね」とズヴェルコフはもったいらしくいった。
「さよう、それじゃカフェー・レストランで飯を食うわけにゆかないや!」とフェルフィーチキンが厚かましい調子でいい足した。
「ぼくにいわせれば、それはむしろ貧弱なくらいだ」とトルドリューボフは本気でいった。
「きみは実に痩せたね、実に変わったね……あのとき以来……」とズヴェルコフはいい添えたが、それには多少の皮肉も交っていた。彼はわたしの顔や身なりを、一種ずうずうしい憐憫の表情で見廻すのであった。
「そう人をまごつかすのはたくさんだよ」フェルフィーチキンは、ひひひと笑いながら、こう叫んだ。
「きみ、ことわっておくが、ぼくはまごついてなんかいやしないよ」わたしはとうとう堪忍袋の緒を切らした。「いいかね! ぼくはここで、『カフェー・レストラン』で、自分の金を払って食事をしているんだ。人の金じゃないんだから、それをご承知ねがいたい。ムシュウ・フェルフィーチキン」
「なあーんだって! われわれのうちでだれが金も払わないで、食事をしているというのかね? きみはまるで……」フェルフィーチキンはで蟹のように真っ赤になり、喰いつきそうな目つきでわたしを睨めながら、くってかかった。
「なあーんでもないよ」少し薬が利きすぎたと、感じながら、わたしはこうやり返した。「まあ、それよりもっと気の利いた話をしたら、どうかと思うね」
「きみはどうやら、自分の知恵を見せようというつもりらしいね?」
「ご心配はいらないよ。それはこの席じゃまったくよけいなことだから」
「いったいきみはどうしたというんだね、え? がやがやと小うるさいことばかりいって、――え? まさか気でも狂ったんじゃあるまいね、きみのお役じょで勤めているうちにさ?」
「たくさんだよ、諸君、たくさんだよ!」とズヴェルコフが威を帯びた声で叫んだ。
「なんという馬鹿げたことだ!」とシーモノフがぼやいた。
「本当に馬鹿げてる。われわれは、愛すべき親友の行を送るために、隔てのない会合を開いたのに、きみはぐずぐず文句ばかりいって」トルドリューボフはわたし一人だけのほうへ向き直って、ぞんざいな調子でこういった。「きみは昨日、自分から押しかけ会員になったんだから、一座の興をさまさないでくれたまえ……」
「もうたくさん、もうたくさん!」ズヴェルコフはどなった。「よしてくれたまえ、諸君、そんなことは場所がらに合わないよ。それより、ぼくが一昨日あやうく結婚し損った顛末を、ひとつご披露に及ぼう……」
 そこで、この先生が一昨日あやうく結婚しそこなった一件について、いかがわしいお茶番ばなしが始まった。もっとも、結婚らしいことはひと口も出ないで、彼の話には将軍だとか、大佐だとか、侍従武官さえも、うるさいほど飛びだして、しかもズヴェルコフはその中で、牛耳をとっているような形だった。わが意を得たりというような笑い声が、一座に起こった。フェルフィーチキンは変な黄いろい声さえ立てた。
 一同はわたしなど見向きもしなかった。わたしは圧し潰されたような恰好で、しょんぼりと坐っていた。
『ああ、情けない、これがいったいおれの交わるべき仲間だろうか!』とわたしは考えた。『なんだっておれはこんな連中の前で、馬鹿の役廻りを演じているのだろう! それにしても、おれはフェルフィーチキンにあんまり勝手な口を叩かせ過ぎた。あの馬鹿どもは、おれをここに同席させたので、名誉でも授けたような気でいやがる。ところで、名誉を授けるのはおれのほうで、けっしてやつらじゃないんだ。それが、やつらにはわからないんだからな! 「痩せた!」とか「みなりが!」とかいいやがって、ああ、いまいましいズボンだ! ズヴェルコフのやつ、ついさっきも、膝っこの黄いろいしみに目をつけやがった……いったいここで何をぐずぐずしていることがあるんだ! さっそく今すぐテーブルから立ちあがって、帽子を取ると、ひと言も口をきかないで、さっさと行ってしまおう……つまり、軽蔑の念を示すためにだ! そして、明日は決闘でも申し込むのだ。いまいましい畜生めら。なにも七ルーブリの会費なんか惜しむに当たらない。ひょっとしたら、やつら本当にそう考えるかもしれないぞ……くそ喰らえだ……おれは七ルーブリの金なんか惜しくないぞ! いますぐ出て行くんだ!……』
 だが、むろん、わたしはい残った。
 わたしはむしゃくしゃまぎれに、赤葡萄酒ラフィットやシェリー酒をコップでがぶがぶ飲んだ。ふだんあんまり飲まないので、みるみるうちに酔いが廻り、酔いが廻るとともに、いまいましさの念がつのっていった。だし抜けに、みんなのやつらを思いきりこっぴどく侮辱して、それからさっさと出て行こうという気持ちが、急にむらむらと起こった。うまくきっかけをつかんで、自分の本性を見せてやるのだ。そして、滑稽なやつだけれど、頭のいい男だといわせてやろう……そして……そして……ひと口にいえば、あんなやつら、どうともしやがれだ!
 わたしはどんよりとした目つきで、ずうずうしく一同を見廻した。けれど、彼らはわたしのことなど、まるっきり忘れてしまったようなふうだった。彼らは騒々しく、賑やかだった。話をしているのは、いつもズヴェルコフだった。わたしは耳を傾け始めた。ズヴェルコフは、だれかしら、花のようにあでやかな婦人のことをしゃべっていた。彼はとうとうこの婦人に愛の告白をさせたが(それはむろん大ぼらなのである)、この事件でかくべつ力を貸したのは、彼の親友である軽騎兵将校のコーリャとかいう男で、三千人の農奴をもった公爵だとのことである。
「それにしても、その三千人の農奴をもっているコーリャという人は、いっこうここに顔を見せないね、きみを見送りにさ」わたしはだしぬけに話へ口を入れた。
 一同はちょっとしばらくのあいだ口をつぐんだ。
「きみはもう今から酔っぱらっているんだね」トルドリューボフは、馬鹿にしたようにわたしのほうを尻目にかけながら、やっとのことでいやいやわたしの存在を認めることにした。ズヴェルコフは無言のまま、まるでわたしが虫けらかなんぞのように、じろじろひとを見廻していた。わたしは目を伏せた。シーモノフは急いでみんなの盃へシャンパンを注ぎ始めた。
 トルドリューボフは盃を挙げた。すると、わたしを除けてだれも彼も、その例に倣った。
「きみの健康と道中の無事を祈る!」と彼はズヴェルコフにむかって叫んだ。「諸君、われわれの過去と未来を祝して飲もうじゃないか、ウラー!」
 一同は盃を乾し、ズヴェルコフのところによっていき、抱き合って接吻した。わたしは身動きもしなかった、わたしの前には、少しも口もつけない盃が、なみなみとシャンパンを湛えたまま置いてあった。
「きみはいったいそれを飲まないつもりかね?」我慢の緒を切らしたトルドリューボフが、もの凄い剣幕でわたしのほうへ振り向きながら、こうどなりつけた。
「ぼくはまず自分のほうからテーブル・スピーチをやって……それから後で乾盃するつもりだよ、トルドリューボフ君」
「なんていやな野郎だ!」とシーモノフがつぶやいた。
 わたしは椅子に腰をかけたまま、ぐっと反り身になって、何か異常な行為を秘かに心がまえながら、まるで熱に浮かされたような気持ちで盃を手にとったが、まだ何をいうつもりか、自分でもわからなかったのである。
謹聴シランス!」フェルフィーチキンがわめいた。「さあ、これから大いに蘊蓄をお傾け遊ばすぞ!」
 ズヴェルコフはことの真相を解したらしく、くそ真面目に待ち設けていた。
「ズヴェルコフ中尉殿」とわたしはきり出した。「まずご承知を願っておくが、ぼくは空な美辞麗句や、そういうものをもてあそぶ連中や、いやに胴の締った洒落た上着などが、たまらなくいやなんだ……それが第一の要点で、その次に第二の要点が控えているのだ」
 一座は恐ろしくざわついた。
「第二としては、仇っぽいねえさんや、その尻を追い廻す連中が、虫唾の走るほどいやなんだ。ことに後者をもってしかりとする! 第三の要点としては、真実と誠意と廉潔とを愛する」わたしはほとんど機械的に言葉をつづけた。というのは、なんだってこんなことをしゃべるのか、われながらわけがわからず、恐怖のあまり身内に氷のような寒さを覚え始めたからである……「ぼくは思想を愛するんだよ。ムシュウ・ズヴェルコフ。ぼくが愛するのは対等関係を基礎とする真の友情であって、けっして……そのぼくが愛するのは……だが、なに、かまうことはない! ぼくはきみの健康を祝して飲むよ、ムシュウ・ズヴェルコフ。まあ、せいぜいチェルケス女をまよわして、祖国の敵に鉄砲玉を喰らわせたまえ。そして……そして……きみの健康を祝す、ムシュウ・ズヴェルコフ!」
 ズヴェルコフは椅子から立ちあがって、わたしに会釈しながらいった。
「きみに深く感謝するよ」
 彼は無性に腹を立てて、顔色まで真っ青にしていた。
「畜生!」テーブルを拳固で撲りつけながら、トルドリューボフは唸るようにいった。
「もう承知ならん、あんなことをいうやつは、びんたを喰らわしてやるのが当たり前だ」とフェルフィーチキンは金切り声を立てた。
「追んだしちまえ!」とシーモノフがつぶやいた。
「もうひと言もいっちゃいけない、諸君。指一本うごかしちゃいけない!」一座の憤懣を制しながら、ズヴェルコフは荘重な声で叫んだ。「諸君の好意は感謝するが、しかしぼくはね、どれだけあの男の言葉を尊重しているか、自分で立派に証明して見せるから」
「フェルフィーチキン君、きみはいまいった言葉に対して、さっそくあすにも、ぼくの満足するような処置をとってもらわなくちゃ!」わたしはものものしくフェルフィーチキンのほうへ振り向いて、声だかにこういった。
「というのは、決闘のことかね? よろしいとも」と相手は答えた。が、わたしの挑戦はいかにもわたしの風采に不似合いで、ひどく滑稽に見えたに相違ない。一同は腹をかかえて笑い崩れた。フェルフィーチキンもそれにならった。
「そうさ、むろんあんな男は打っちゃっとくんだ! だって、もうすっかりべろんべろんに酔っているんだからな!」トルドリューボフは噛んで吐きだすようにいった。
「あんな男を仲間に入れるなんて、実にわれながら許すべからざる失態だった!」とまたシーモノフがつぶやく。
『さあ、いまこそやつらにビンを投げつけてやる時だ』とわたしは考えながら、ビンを取り上げた。そして……自分の盃になみなみと注いだ。
『いや、いっそ最後まで尻を据えてやれ!』とわたしは考えつづけた。『諸君、もしぼくが帰ったら、諸君はさぞのうのうすることだろうが、けっして、けっして。わざと意地にでも、きみたちなんかまるで眼中にないということを思い知らせるために、最後まで尻を据えて飲んでいてやる。尻を据えて飲んでやるとも。だって、ここは料理屋で、おれは木戸を払っているんだからな。尻を据えて飲んでやるとも。だっておれはきみがたを、将棋の歩ほどにしか考えていないんだからな。歩も歩、本当に存在していない歩なんだ。尻を据えて飲んでやるとも……それどころか、気が向いたら唄でもうたってやる。そうとも、うたわなくってさ。だって、うたう権利をもっているんだから……ふむ!』
 しかし、わたしは歌わなかった。わたしはただだれの顔も見ないように努めていた。思いっきり独立不覊の態度をとりながら、彼らのほうからさきに話しかけるのを、今か今かと待ち受けていた。けれども、悲しいかな、彼らは話しかけようとしなかった。この瞬間、わたしはどんなに、本当にどんなに彼らと和睦を望んだかしれない! 八時も打ち、ついに九時が打った。彼らは食卓から長いすに移った。ズヴェルコフは寝いすの上に長々と寝そべって、片足を小さな円テーブルにのせた。そこへ酒も運ばれた。彼は約束どおり、三本だけ自腹を切ったのである。わたしはむろんよばれなかった。一同は彼をとり巻いて、長いすに陣取った。彼らはほとんど敬虔の色さえ浮かべながら、彼の饒舌を聞いていた。察するところ、彼はみんなに好かれていたらしい。『なんのためだろう? いったいなんのためだろう?』とわたしは腹の中で考えた。ときどき彼らは酔っぱらいらしい歓喜に駆られて、互いに接吻し合った。彼らは、コーカサスのことや、真の情熱とは何ぞやということだの、ガリビックのことだの、勤務上有利な場所のことだの、それから軽騎兵のポドハルジェーフスキイの収入はどれくらいあるかだの、そんな話をしていた。この軽騎兵を個人的に知っているものは、彼らの中に一人としていなかったのだが、みんなはこの未知の男にしこたま収入があるといって、嬉しがっているのであった。それから、同じくだれ一人見たこともないD公爵令嬢の並み並みならぬ美貌や、優雅なものごしも、噂に上った。そして、最後には、シェイクスピアが永遠に不朽だというところまで行ってしまった。
 わたしはさげすむような微笑を浮かべながら、長いすの真正面にあたる部屋の反対側を、テーブルから煖炉のところまで、壁に沿って往ったり来たりした。わたしは彼らなどが相手にしてくれなくとも、平気で澄ましていられるということを、一生懸命に見せつけようと骨折った。そして、ときおり踵のほうに力を入れながら、わざと靴の音をがたがたさせた。けれど、すべては徒労に終わった。かえって彼らのほうがなんの注意も払わなかったのである。わたしは辛抱づよくも八時から十一時まで、テーブルから煖炉へ、またその反対に煖炉からテーブルへ、彼らのまん前をいつも同じところばかり、こつこつと歩きつづけた。
『おれはただこうして勝手に歩いているんだから、だれもこれを差し止めるわけにはゆかないぞ』部屋へ入って来たボーイは、幾度も立ちどまって、わたしをじろじろ眺めた。あまり頻繁に向きを変えるので、わたしはとうとうめまいがしてきた。ときどき瞬間的に、夢にでもうなされているような気がした。この三時間の間に、わたしは三ど汗をかいて、三どその汗が乾いた。どうかすると、今後十年か二十年、あるいは四十年たっても、わたしは依然として四十年前に体験したこの瞬間、――全生涯を通じて最も穢らわしい、滑稽な、恐ろしいこの瞬間を思い起こして、嫌悪と屈辱を感じるだろう、――こういった想念がまるで毒矢のように、深刻な痛みをもたらしながらわたしの心に突き刺さった。これ以上無良心な態度で、われから進んで自分をこんな屈辱に陥れるのは、もはや不可能なわざだった。わたしは十分完全にこれをわきまえていながら、それでも相変わらずテーブルから煖炉へ、それからまたその反対へと、歩きつづけていた。『おお、おれがどんなに優れた感情や思想をもつ力があるか、どんなにおれが発達した頭脳をもっているか、それをきみたちが知ってくれたら!』わたしはときどき心のなかで、敵の一党が陣取っている長いすのほうへ話しかける気持ちで、こんなことを考えるのであった。けれど敵の一党は、まるでわたしなど部屋にいないような態度をとっていた。一ど、たった一どだけ、彼らはわたしのほうへ顔をむけた。それはズヴェルコフがシェイクスピアのことをいい出した時である。わたしはいきなり軽蔑しきったように、からからと高笑いした。いかにもわざとらしく、穢らわしそうな表情で鼻を鳴らしたので、彼らは一時に話をぷつりと切った。そして、ものの二分ばかり、笑いもせずに真面目くさって、わたしがテーブルから煖炉まで壁伝いに歩き廻りながら、彼らに一顧の注意もむけないでいる様子を、じっと観察していた。しかし、結局なんの効果もなかった。彼らはやはり話しかけようともしないで、二分ばかりたったら、またわたしをうっちゃってしまった。十一時が打った。
「諸君!」ズヴェルコフが長いすから腰を上げながら、こう叫んだ。「これからみんなであすこへ行くんだ」
「もちろん、もちろんだとも!」と、ほかの連中もこれに和した。
 わたしはいきなりズヴェルコフのほうへくるりと振りむいた。わたしはすっかりへとへとに疲れて、神経が揉みくたになっていたので、たとえわれとわがのどを掻き切っても、とにかく片がつけてしまいたかった。わたしは熱病にでもかかっているようだった。汗に濡れた髪の毛が、額やこめかみにへばりついたまま、乾いていた。
「ズヴェルコフ! ぼくはきみに謝罪する」とわたしは断固たる調子できっぱりといった。「フェルフィーチキン、きみにも謝るよ。そして、諸君一同にも同様だ。ぼくはみんなを侮辱したんだ!」
「ははあ! 決闘は大して嬉しいものじゃないからな!」フェルフィーチキンは毒々しい調子で、歯の間から押しだすようにこう言った。
 わたしは心臓をぐさと突かれたような気がした。
「いや、ぼくは決闘を恐れているんじゃないよ、フェルフィーチキン! ぼくは、明日にも闘うのを辞さないよ。ただしそれは、いったん仲直りをした後だ。ぼくはむしろ主張する。だから、きみはそれを拒むわけにゆかないよ。ぼくは決闘を恐れていないということを、きみに証明してやりたい。まず最初にきみが引き金を引くんだ。するとぼくは空へ向けて放すことにするよ」
「自分で勝手な気休めをいってやがる」とシーモノフが口を挾んだ。
「なに、頭の調子が狂ったんさ!」とトルドリューボフが応じた。
「まあ、そこを通してくれたまえ、なんだって人の通り道に頑張ってるんだ!……え、いったい何用なんだね?」とズヴェルコフはさげすむように答えた。
 彼らはみんな真っ赤な顔をして、目をぎらぎら光らしていた。かなり飲み過ごしたのだ。
「ぼくはきみの友誼を望むんだよ、ズヴェルコフ。ぼくはきみを侮辱したが、しかし……」
「侮辱したって! きーみが! ぼーくを! ねえ、きみ、たとえどんな場合でも、またどんなことがあろうとも、きみがぼくを侮辱することなんかできないよ!」
「もうたくさんだ、どいてくれたまえ!」とトルドリューボフは力み返った。「さあ、出かけよう」
「オリンピヤはぼくのものだぜ、諸君、ちゃんと約束しておこう!」とズヴェルコフは叫んだ。
「われわれはあえて争わないよ! 争わないよ!」と一同は笑いながらいった。
 わたしは唾を吐きかけられたような気持ちで、そこにただずんでいた。酔漢の一隊はどやどやと部屋を出て行った。トルドリューボフは何やら馬鹿げた歌をうたいだした。シーモノフはボーイにチップをやるために、ほんのしばらく後へ残った。わたしは不意にその傍へ寄って行った。
「シーモノフ! ぼくに六ルーブリ貸してくれたまえ!」わたしはやけ半分にきっぱりといった。
 彼はすっかり度胆を抜かれて、妙な鈍い目つきでわたしを眺めた。彼もやはり酔っていたのである。
「いったいきみもぼくらといっしょにあすこへ行くのかい!」
「そうさ!」
「ぼく、金なんか持っていないよ!」と彼は断ち切るようにいって、馬鹿にしたようににやりと笑い、そのまま部屋を出て行った。
 わたしはその外套を引っつかんだ。それはもう悪夢にうなされているような気持ちだった。
「シーモノフ! ぼくはきみが金を持っているのを見たんだよ! それだのに、なんだってぼくの頼みを拒絶するんだ? いったいぼくがやくざ者だとでもいうのかい? ぼくの頼みをことわるには、よく気をつけなくちゃ駄目だよ。もしきみが知っていたら、――なんのためにぼくが無心するのか、それをもしきみが知っていたら、――ぼくの未来も、ぼくのすべての計画も、何もかもこれ一つにかかっているんだよ……」
 シーモノフは金をとり出すと、まるでほうりださないばかりに、それをわたしに渡した。
「さあ、取りたまえ、きみがそんなに厚顔無恥な男なら!」と彼は容赦もなくいい棄てて、仲間の跡を追いながら、駆けだした。
 わたしはちょっとのま一人きりになった。あたりは狼藉をきわめていた。たべ残した料理、床に散っている盃のかけら、こぼれた酒、煙草の吸殻、頭の中に満ちている酒の酔いと、悪夢のような妄想、胸の中の悩ましい憂愁、そしておまけに、いっさいの様子を見聞きして、不思議そうにわたしの目を覗きこむボーイ。
あすこへ」とわたしは叫んだ。『やつらがみんな膝をついて、おれの両足を抱きしめながら、友情を哀願するか、それとも……それとも、おれがズヴェルコフに平手打ちを喰らわすか、二つに一つだ!』


『これがそうだ、これがそうだ、ついに現実との衝突がやって来たのだ!』まっしぐらに階段から駆け下りながら、わたしはこうつぶやいた。『これはもうローマを見棄てて、ブラジルへ去って行く法王どころの騒ぎじゃない。これはもうコモ湖畔の舞踏会なんて呑気な沙汰じゃない!』
『貴様は卑劣漢だ!』という考えがわたしの頭をかすめた。『今これを笑い草にするとすれば』
『かまわない!』わたしは自問自答しながら、こう叫んだ。『いまはもう何もかも駄目になってしまったんだ!』
 彼らはすでに跡かたも見えなくなっていた。けれど、そんなことはどうでもかまわなかった。わたしは彼らの行さきをちゃんと知っていたのだ。
 玄関さきには夜稼ぎの辻待ち馬車屋が、粗ラシャの百姓外套を着て、たった一人しょんぼり客待ちをしていた。依然として降りしきる生暖かいようなべた雪を浴びて、全身真っ白になっていた。あたりには水蒸気が立ちこめて、いやに息苦しかった。毛むくじゃらの小さな斑馬ぶちも、やはり体じゅう真っ白になって、こほんこほん咳をしていた。わたしはそれをよくおぼえている。わたしはおそまつな橇に飛び乗ったが、片足のっけた瞬間に、シーモノフからたったいま、六ルーブリもらったという記憶が、ふいと心に浮かんで来て、わたしはまるで足でも薙がれたような気がした。わたしは橇の中へ袋のように転がりこんだ。
『いや、これをすっかりとり戻すためには、大活躍をしなくちゃならないぞ!』と、わたしは叫んだ。『しかし、必ずとり戻して見せる。でなければ、明日といわず今晩、その場で死んでしまうんだ。さあ、やれ!』
 橇は走り出した。わたしの頭の中は旋風のように渦巻いた。
『やつらは、おれのまえに膝をついて、友情を求めたりしやしない。それは蜃気楼だ、陋劣な空想だ、穢らわしいロマンチックな夢だ、――例のコモ湖畔の舞踏会と変わりはありゃしない。だから、おれは必ずズヴェルコフに平手打ちを喰らわしてやらなくちゃならないのだ! ぜひともそうしなくちゃならないのだ。さあ、これで決まった。おれはいまやつに平手打ちを喰らわさんがために、橇を飛ばしているんだ。さあ、急げ!』
 馭者は手綱をしゃくった。
『入って行くと、いきなり喰らわしてやるんだ。だが、平手打ちの前に、序言といった形で、数言を費す必要はないかな? ない! いきなり入って行って、やっつけるんだ。やつらはみんなホールに陣取っているはずだ。やつは、オリンピヤといっしょに、長いすに坐ってるに相違ない。いまいましいオリンピヤめ! あいつはいつか、おれの顔をわらって、おれを振りゃがった。おれはオリンピヤの髪をつかんで、引き倒してやる。そして、ズヴェルコフのやつは両耳を引っ張ってやるんだ! いや、片耳だけのほうがいい、片耳を引っ張って、やつを部屋じゅう引き廻してやる。やつらはみんながかりで、おれを袋叩きにして、表へ突き出すかもしれない。いや、そのほうが確かなくらいだ。なに、かまうもんか! なんといったって、おれが一番に平手打ちを喰らわしたんだから、おれに先取権があるわけだ。名誉の法則からいうと、それが全部なんだ。やつはもうそれで恥辱の烙印を押されたんだから、どんなに撲ったところで、決闘によるよりほか、この平手打ちを自分の顔から拭き取るわけにはゆかない。やつはどうしても戦わなくちゃならないんだ。いいとも、今晩はやつらにぶん撲らしてやろう。かまうもんか、どうせ忘恩の輩だ! あのトルドリューボフなんか、特別ひどく撲ることだろうな。あいつは恐ろしい力持ちだから。フェルフィーチキンは横のほうからしがみついて、きっと髪の毛をつかむだろう。たしかに間違いなしだ。しかし、かまうもんか、かまうもんか! おれはそれを覚悟で出かけたのだ。やつらの羊同然な馬鹿頭でも、今度こそは、この事件の悲劇性を噛みわけるだろう! おれは戸口へ引っ張られて行きながら、やつらがおれの小指だけの値うちもないということを、大声でどなって聞かせてやるのだ。さあ、急げ、馭者、急げ!』と百姓にどなりつけた。馭者はぎくっと身慄いさえしながら、鞭を一ふり振りあげた。わたしのどなり声があまりに気ちがいめいていたのである。
『明日の払暁には決闘するんだ。これはもう、既定の事実だ。役所のほうもおさらばだ。さっきフェルフィーチキンが、お役所という代わりにおやくじょといったっけ。だが、どこでピストルを手に入れたものだろう? なに、くだらんことだ! 月給を前借りして買ってやる。だが、火薬は? 弾丸は? それは介添人の仕事だ。だが、どうしたらそれだけのことが、すっかり夜明けまでに間に合うだろう? それに、どこから介添人を引っ張って来ようというんだ? おれには知人なんかありゃしない……なに、くだらんことだ!』わたしはなおいっそういきり立ちながら、こう叫んだ。『くだらんことだ! 往来で行き当たりばったりの人間に頼んだら、その男はおれの介添人になる義務があるのだ。それは溺れかかった者を、水から引き出さなければならないのと同じわけだ。思い切って飛び離れた異常の場合は、当然ゆるされてしかるべきだ。もしおれが明日にも課長をつかまえて、介添人になってくれと頼んだら、課長は単に騎士感情のためだけでも、それを引き受けて、秘密を守らなければならないのだ! アントン・アントーヌイチ……』
 ほかでもない、その瞬間、わたしは世界中のだれよりもはっきりと明瞭に、自分の想像の醜悪きわまりなき愚かしさを感じ、楯の反面を思い浮かべたのである。けれど……
「もっと飛ばすんだ、馭者、もっと飛ばすんだ。この悪党め、うんと飛ばせ!」
「えい、だんな!」と、いかにも田舎出らしく頑丈な馭者はいった。
 わたしはとつぜん総身に水を浴びたような気がした。
『だが、いっそ……いっそ……これから真っすぐに家へ帰ったほうが好くないだろうか? ああ、情けない! なんだって、ほんとに。なんだっておれは昨日、あんな宴会に出席を申し込んだのだろう! しかし、駄目だ、あんなことは我慢できない! まる三時間も、テーブルから煖炉まで散歩をつづけるなんて。いや、あいつらだ。ほかのだれでもないあの連中が、おれにあの散歩の仕返しを受けなくちゃならないのだ! やつらはおれの顔からこの泥を洗いおとす義務がある! さあ、もっと飛ばせ!』
『だが、もしやつらがおれを警察へ突きだしたらどうしよう! なに、そんな度胸があるものか! やつらは外聞の悪い騒動を恐れるに違いない。しかし、もしズヴェルコフがおれを頭から軽蔑して、決闘をはねつけてしまったらどうしよう? これは間違いなしといっていいくらいだ。しかし、その時はおれも目にもの見せてくれる……その時こそおれは、明日あいつらが出発しようという間際に、駅逓へ飛んで行って、やつが馬車へ乗ろうとする時を狙って、やつの足を引っつかんで、やつの外套を引っぺがしてやるんだ。やつの手に喰いついて、歯形をつけてやるんだ。「諸君、見たまえ、人間やけになったら、どんなことを仕出かすかわからないんだから!」とどなってやる。あいつらがおれの頭をぶん撲ったって、仲間の連中がうしろからかかって来たって、かまうこたありゃしない。おれはそこにい合わせたみんなの者に、こうどなってやるつもりだ。「見たまえ、ここに犬ころみたいな若造が一匹いる。こいつはおれの痰唾を顔につけたまま、チェルケス女を迷わしに出かけようとしているんだ!」』
 むろん、ここまで行ってしまえば、もうなにもかもおさらばだ! お役所は地球の表面から姿を消してしまう。わたしはふんづかまえられて、裁判を受けたあげく、勤めは追われて、監獄にほうりこまれ、シベリヤへ流刑にされるのだ。それはもういうまでもない! 十五年くらい経って、監獄から出してもらったら、わたしは乞食のようなぼろぼろの姿になっても、あくまであいつらの後を付け狙ってやる。そして、どこか県庁所在地の町あたりで、いよいよやつをさがし当てる。やつは細君を持って、幸福に暮らしているのだ。年頃の娘さえあるだろう……そこで、わたしはこういってやる。
『見ろ、悪党、このおれの落ちこんだ頬と、ぼろぼろの着物を見るがいい! おれはいっさいのものを失ったのだ。一生の仕事も、幸福も、芸術も、科学も、愛する女も、何もかも失ったのだ。それというのも、みんな貴様のおかげだぞ。さあ、ここにピストルがある、おれはこの中の弾丸たまをぶっ放しに来たのだ。そして、その上で貴様をゆるしてやる。おれはこの場で空へむけて発砲するんだ。そのあとは、おれの影も、形も、匂いさえもしないように、行きがた知れずになるのだ……』
 わたしは涙さえ流して泣きだした。もっとも、こんなことはみんなプーシキンの『シルヴィオ』(短編『その一発』の主人公)か、レールモントフの『仮面舞踏会』から拝借したものだということを、わたしはその瞬間、正確に知りぬいていたのだ。と、不意に恥ずかしくてたまらなくなった。あまりの恥ずかしさに、わたしは馬を止めさして、橇から下り、往来の雪のなかに立った。馭者は呆気にとられて、溜め息をつきながら、わたしを眺めていた。
『いったいどうしたらよかったのだろう? むこうへ行くわけにもゆかなかった、――行けば馬鹿げたことになりそうだ。といって、このまますますわけにはゆかない。そんなことをすれば、もうそれこそ……ああ! どうしてこのまますまされよう! あれだけの侮辱を受けた後で! 駄目だ』またもや橇へ飛びのりながら、わたしはこう叫んだ『これは何かの約束なのだ、――宿命だ! 飛ばせ、もっと飛ばせ、あそこへ行くんだ!』
 わたしは我慢し切れないで、馭者の首を拳固で突いた。
「お前さん、なにするだ。なんだって乱暴なことしなさるだよ?」と百姓はどなったが、それでも痩せ馬にぴしぴし鞭を入れたので、馬は後足で橇を蹴り始めた。
 べた雪は綿のように降りしきっていた。わたしは外套の前をあけっぴろげた。雪や寒さどころではなかった。わたしはいよいよ平手打ちの実行を決心したので、ほかのことはもうすっかり忘れつくしていたのだ。そして、これはもう必ず今すぐおっ始まるのだ、これはもうどんな力でも阻止するわけにゆかないのだということを、恐怖の念とともに直感していた。侘びしげな街燈が、まるで葬式のたいまつのように、雪けむりの中で気むずかしげにまたたいていた。雪はわたしの外套や、上着や、ネクタイの下へ吹きこんで、そこでじくじく融けるのであった。わたしは外套をかきあわそうともしなかった。もうどっちにしたって、何もかも駄目になってしまったのではないか! やっとのことで、めざす家へ乗り込んだ。わたしはほとんど前後を忘れて飛び下りると、階段を駆け登り、手と足とで扉をどんどん鳴らし始めた。わたしの足は、ことに膝のあたりが、ぐったりと力抜けしていた。けれど、わりに早く開けてくれた。まるでわたしの到着を知っていたような具合である(実際シーモノフが、もう一人くるかもしれないと、前触れしておいたのである。この家ではすべて前触れして、十分に大事をとる必要があった。それは当時さかんだった、いわゆる『流行品店』の一つで、いまではもう警察の努力で、とっくに根絶されているが、昼間は本当に流行品店であるけれど、晩になると、紹介を持っている人だけが、お客になって行ける仕組みになっていた)。わたしは早足で暗い店の間を通り抜け、たった一本だけ蝋燭のともっているホールへ入って行った。そして、そこでけげんそうに立ちどまった。人っ子ひとりいなかったからである。
「いったいあの連中はどこにいるのだ?」わたしはだれかにこうたずねた。
 しかし、彼らはもうむろんいまの間に、めいめいの部屋へ別れて行ったのである……
 わたしの前には、ある一人の人間が、愚かしい微笑を浮かべながら、ぼんやりたたずんでいた。それはこの家のお内儀で、わたしのことも多少は知っていたのである。やがて間もなく戸が開いて、もう一人の女が入って来た。
 わたしはいっさいなにものにも注意を向けないで、部屋の中を歩き廻っていた。どうやらひとり言ぐらいいってはいたらしい。わたしはまるで危い命を救われたような気持ちで、その喜ばしい感じを、自分の全存在で予知していたのである。もし彼らがいたら、わたしは平手打ちを喰らわしたに相違ない。きっときっと喰らわしたに相違ない! ところが、今は彼らの影も姿もない……何もかも掻き消えて、状況はがらりと変わった!……わたしはあたりを見廻した。まだはっきりと思い合わせる余裕がなかったのである。わたしは機械的に入ってくる女を見やった。いくらかあおざめてはいるけれども、新鮮な感じのする若々しい顔が、わたしの目にちらりと映った。黒い眉がまっすぐに揃って、真面目そうな目つきは、いくらか驚いたような表情をしていた。わたしはさっそくそれが気に入った。もし彼女がにたにた笑っていたら、わたしはこの女を憎んだに相違ない。わたしは無理に注意を緊張させるようなあんばいで、前よりも少し目をすえながら、その顔を見入り始めた。わたしの考えは、まだすっかりまとまっていなかった。その顔には素朴で善良なものがあったけれど、何かしら不思議なほど真面目なところもあった。つまり、それがために彼女は客を取り損ったので、あの馬鹿者どもはだれ一人この女に気を留めなかったのだと、わたしは信じて疑わなかった。とはいうものの、彼女は美人というわけにはゆかなかった。でも、背は高くて、しっかりとよく整った体格をしていた。身なりは思い切って質素であった。何やらいまわしい虫のようなものが、ちくりとわたしの心を刺した。わたしはつかつかと女の傍へ寄った……
 わたしは偶然、鏡のなかを覗いてみた。興奮して取り乱したわたしの顔は、われながら思い切りいやらしく感じられた。頭の毛を蓬々させた、あおざめた、毒々しい、下司な顔をしている。『なに、かまうものか。おれは結句このほうが嬉しい』とわたしは考えた。『つまり、この女にいやらしく思われるのが嬉しいのだ。おれはそれが愉快なんだ……』


 ……どこか仕切壁のむこうで、まるでだれかにひどく締めつけられて、息がつまりそうになったというようなふうに、――時計がぎいと軋みながら鳴った。不自然なほど長い軋み声の後から、いやらしく細い響きが、思いがけなくせっかちに鳴り渡った、――まるでだれかが急に前へ飛びだしたような感じだった。二時を打ったのだ。わたしはわれに返った。といっても、別に眠っていたわけではなく、ただ半醒半睡の状態で横になっていたのである。
 天井が低くて、窮屈な狭くるしい部屋の中には、大きな衣裳戸棚が幅をしめ、おまけにボール箱や、ぼろ切れや、その他ありとあらゆるぼろ服が引き散らされ、しかもほとんどまっ暗であった。部屋の端っこにおかれたテーブルの上で燃えている蝋燭は、もうあやうく消えそうになって、ときどき微かにぱっぱっと燃え立っていた。もう幾分か経ったら、あやめもわかぬ真の闇になるわけである。
 わたしはたちまちはっとわれに返った。すべてのことがなんの努力もなしに、たちまちわたしの記憶によみがえった。まるで、もう一度おそいかかってやろうと、待伏せしていたかのようである。それに、いかに前後を忘却していても、どうしても忘れ切れないような、何かある一つの点が、記憶のなかに始終のこっていて、そのまわりを夢うつつの妄想が、重苦しく廻転するのであった。しかし、不思議なことがあった。この一日にわたしの身に起こったいっさいのことは、いま目がさめてみると、まるで遠い遠い過去のことのように思われ、わたし自身はとっくの昔に、そんな境地から抜けだしたような気持ちがしたのである。
 頭の中には、炭酸ガスでもこもっているようだった。何かが頭の上をくるくると舞いながら、わたしの神経にさわって、興奮さしたり、不安を呼び起こしたりするよう。憂愁と憤懣の念が、また胸の中に湧き立って、はけ口を求める。と、わたしは自分のすぐ傍に、ぱっちりと開いた二つの目を見た。その目はもの珍しげに、執念しゅうねくわたしをじろじろ見廻している。冷たい無関心な、まるで縁もゆかりもないような気むずかしい目つきで、それを見ていると重苦しい気持ちになる。
 気むずかしい想念がわたしの脳裡に生まれて、まるでいやな感覚のように全身を這い廻った。それは、古くさい湿気た床下へ入った時の感じに似ていた。この二つの目がやっと今になって、わたしを仔細に見廻そうという気持ちになったのが、なんとなく不自然に思われた。わたしはまる二時間のあいだ、この女とひと言も口をきかなかったばかりでなく、そんなことはてんで不必要だと思っていたらしい、――そういうことも、記憶に浮かんできた。ついさっきまでは、なぜかこの無言の行がわたしの気に入ってさえいたのである。ところが、いまとつぜん自分の淫蕩が、まるで蜘蛛のように愚かしく、いまわしいものに思われて来た。それは愛情もなく無恥粗暴な態度で、本当の愛の栄冠となるべき行為から、いきなりことを始めるのだ。わたしたちはこんなふうに長いあいだ、お互いの顔を眺め合っていた。けれど、彼女はわたしの視線を受けながら、目を伏せようともしなければ、その眼ざしを変えもしなかったので、わたしはとうとうなぜか息苦しくなって来た。
「お前の名はなんというんだい?」わたしは少しも早くけりをつけようと思って、ひきちぎったような声でたずねた。
「リーザ」彼女はほとんどささやくように答えたが、なんだかいっこうに無愛想な調子だった。彼女はそのまま目をそむけた。
 わたしはしばらく黙っていた。
「今日の天気といったら……べた雪で……いやになっちまう!」わたしは悩ましげに左手を頭のうしろへ廻して、天井をまじまじと眺めながら、ほとんどひとり言のようにこういった。
 彼女は返事をしなかった。これらはすべて醜悪な感じだった。
「きみはここの者かい?」しばらくたってから、わたしは心もち女のほうへ首をむけながら、まるで中っ腹の調子でこうたずねた。
「いいえ」
「どこから来たの?」
「リガから」彼女はいやいやそう答えた。
「ドイツ人かい?」
「ロシヤ人よ」
「前からここへ来てるの?」
「どこへさ?」
「この家へさ」
「二週間まえよ」
 彼女の調子はだんだんぶっきら棒になって来た。蝋燭の火はすっかり消えてしまって、わたしはもう女の顔を見分けることができなかった。
「お父さんお母さんはいるかい?」
「ええ……いいえ……あるわ」
「どこにいるの?」
「あちらに……リガに」
「いったいどういう人なんだい?」
「べつに……」
「べつにって、なんだい? いったい何者で、どういう身分だね?」
「町人なの」
「きみはこれまでずっと両親といっしょに暮らしていたの?」
「ええ」
「年はいくつ?」
「はたち」
「なぜきみは親もとを離れたんだい?」
「べつに、なぜって……」
 このべつには言葉を換えると、うるさい、引っ込んでください、という意味なのであった。わたしたちは口をつぐんだ。
 なぜわたしがそのまま帰って行かなかったのか、われながら合点がゆかない。わたし自身もだんだんいやな、悩ましい気持ちになってきた。きのう一日の間に見聞きしたことが、わたしの意志を無視して、ひとりでになんの秩序もなく、わたしの記憶に次々と浮かんできた。わたしは突然ある一つの情景を思い出した。それは今朝せかせかと役所に急いでいた時、ふと往来で見かけたものである。
「きょうあるとこで棺を担ぎ出していたが、あやうく取り落とすところだったよ」わたしはだしぬけに大きな声でこういった。まるっきり話など始める気などはなかったのだが、何げなくふいと言葉が口から出たのである。
「棺ですって?」
「ああ、センナヤ広場でね。穴蔵から運び出していたのさ」
「穴蔵から?」
「穴蔵じゃない、地階からだ……ね、わかるだろう……その、下のほうに住居があるやつさ……怪しい商売の家なのさ……あたりはひどいぬかるみでね……ひまわりの殻だの、ごみだの一杯で……いやな臭いがしてね、胸が悪くなるようだったよ」
 沈黙。
「今日あたりの埋葬はいやだなあ!」わたしはまたこう切りだしたが、それはただ黙っていたくなかったからなので。
「なぜいやなんですの?」
「雪としめっぽいんで……」(わたしはあくびをした)
「どうだって同じこったわ」ややしばらく沈黙の後、彼女は急にこういった。
「いや、穢らわしい気がする……(わたしはまたあくびをした。)墓掘どもがきっと口汚くいったろうよ、雪で濡れるものだから、墓穴の中には、きっと水が溜ってたに違いない」
「なぜ墓穴の中に水が溜ってるの?」彼女は一種の好奇心を声にひびかせながら問い返したが、その調子は前よりもっとぞんざいで、ぶっきら棒だった。わたしは急になんだか意地が張りたくなって来た。
「なぜって、底に水が溜ってるよ、かれこれ一尺くらい。こんな日にゃヴォルコーヴォの墓地あたりで、乾いた穴なんか一つだって掘ることはできやしまいよ」
「どうして?」
「なにがどうしてさ? あんなぐじゃぐじゃした場所じゃないか。ここはどこへ行っても、沼地なんだぜ。だから、水の中へ棺を浸けるわけなのさ。おれは自分でみたよ……何度も……」
(わたしは一度もそんなものを見たことはなかったし、それにヴォルコーヴォの墓地へも一度だって行ったことはなかった、ただ人の話を聞いたばかりである)
「いったいきみはどうだってかまわないのかい、死ぬってことが?」
「だって、なんのためにわたしが死ぬんですの?」まるで自分の身をかばうように、彼女はこう答えた。
「そりゃ、いつかは死ぬさ。ちょうどさっき話した死人のように、あれと同じ死に方をするのさ。あれもやはり……きみと同じような女だったんだが……肺病で死んだんだよ」
「商売女は病院で死にそうなものだけれど……」
(この女はもうちゃんと心得ているんだな、とわたしは考えた。それに、淫売とはいわないで、商売女という言葉を使った)
「その女は女将に借金があったのさ」わたしは女とのやりとりのために、ますます意地を張りながら、こういい返した。「だから、ほとんど最後の息をひき取るまで、肺病の体をかかえながら、おかみのために客を取っていたのだ。まわりで辻待ちの馭者が兵隊たちとしゃべりながら、そんな話をしていたっけ。きっと以前その女の知り合いだったにちがいない。みんなでげらげら笑っていたよ。おまけに、居酒屋で追善のために一杯やるとかいっていたよ」(わたしはここでもかなり尾鰭をつけてしゃべったのだ)
 沈黙、深い沈黙、彼女は身じろぎもしなかった。
「いったい病院で死んだほうが楽だとでもいうのかい?」
「どっちだっていいのじゃないの?……それに、なんだってわたしが死ぬことに決めてるの?」
 彼女はいら立たしげにいい添えた。
「いますぐでなければ、やがてそのうちによ」
「ふむ、そのうちにだって、いやなことさ……」
「もしそう注文どおりにゆかなかったら? 現在きみは若くて、綺麗でいきいきしているから、うんと高く買ってもらえるけれど、こんな生活をもう一年もつづけていたら、きみもすっかり変わってしまって、しなびてくるに決まってる」
「一年やそこいらで?」
「いずれにしても、一年も経ったら、きみの相場は下がってくるよ」わたしは意地悪い喜びを感じながら、言葉をつづけた。
「すると、きみはここからもっと格の下がった、別の家へ鞍替えしなくちゃならない。それから、また一年たつと、もう一つ次の家へかわっていって、だんだんと低みに落ちてゆく。七年ばかり経ったら、いよいよセンナヤ広場の穴蔵まで行きついてしまうわけさ。それだけならまだしもだけれど、そのほかに何か悪い病気でも背負いこむとか、それとも胸でも弱くなるとかいうことになったら、それこそ大変だ……また風邪をひくとかなんとか、いろいろあるだろうよ。こんな生活をしていると、病気はなかなか早く癒らないから、とっついたら最後、もう離れないかもしれないぜ。こうして、とどのつまりは死んでしまうのだ」
「じゃ、死ぬまでだわ!」彼女はもうすっかり毒々しい調子でこう答えると、急にぴくりと身を動かした。
「だってかわいそうじゃないか」
「だれが?」
「命がかわいそうなのさ」
 沈黙。
「きみには約束した人でもあったのかい? え?」
「そんなことをきいて何になさるの?」
「いや、ぼくは何も訊問しているわけじゃない。ぼくがそんなことをきいたって、何になるもんかね。なんだって腹を立てるんだ? むろん、きみにはきみでいやなこともあるだろうさ。だが、ぼくにとってなんの関係があるというんだ? ただなんということなしに、かわいそうな気がするんだよ」
「だれが?」
「きみがかわいそうなのさ」
「それには及びませんわ……」彼女はほとんど聞きとれないくらいにささやいて、またちょっと身じろぎした。
 わたしはそれでまた、急にむらむらとなった。なんということだ? ひとがこんなに優しくしてやってるのに、この女は……
「いったいきみは、どんな気でいるんだね? まっとうな道を踏んでるとでも思っているのかい、え?」
「わたしなんにも考えてやしないわ」
「つまり、それがいけないんだよ、なんにも考えないということがさ。手遅れにならないうちに、早く目をおさまし。まだ遅くはないよ。きみはまだ若くって、器量もいいんだから、恋をすることもできようし、結婚することもできる、幸福な身の上にもなれるというものだ……」
「お嫁にいったものが、みんな仕合わせだとも限らないわ」彼女は相変わらずぞんざいな早口で、断ち切るようにこういった。
「そりゃ、むろん、みんなとはいえないさ。でも、それだってここにいるよりか、ずっと増しだよ。比べものにならないほどいいよ。愛があったら、仕合わせなんかなくたって、この世は暮らしてゆけるからね。悲しみのなかだって、人生はいいものだよ。たとえどんな暮らしだって、この娑婆で生きてゆくのはいいものさ。ところが、ここはいったいなんという有様だ。穢れと悪臭のほかは……なんにもありゃしない。ちょっ!」
 わたしはさもいやらしそうに顔を背けた。わたしはもう冷静に理屈を捻り廻しているのではなかった。自分でも自分のいってることを胸に感じ、熱中してきたのである。わたしは片隅の世界で体験した大切な秘密の思想を、少しも早く披瀝したくてたまらなかったのだ。何かしらあるものが、忽如としてわたしの内部に燃えあがり、ある目的が『示現』されたのである。
「ぼくが自分でこんな所に来ているからって、それを咎め立てしてもらっちゃ困る。ぼくはきみのお手本にはなりかねるからな。ことによったら、きみよりもっとやくざな人間かもしれない。もっとも、酔っぱらってこんな所へ舞いこんだのだがね」とわたしはそれでも一応は急いで自己弁護を試みた。「それに、男というものは、てんで女のお手本にならないよ。まるで立場が違うのだからね。ぼくなんか自分で自分を穢したり、傷つけたりしてはいるけれど、そのかわり、だれの奴隷でもないから、どこへ行こうと、何をしようと、すっかり自分の自由だ。自分の体から穢れをふり落としたら、もう別人になってしまうんだ。ところが、きみなんか、早い話が、初めっから奴隷にできているんだからな。そうさ、奴隷だとも! きみは何もかも、自分の自由までも、すっかり人に渡してしまうんだからな。あとであの鎖を引きちぎろうとしたって、もうこんりんざいだめだ。かえってよけいに堅くからみつくばかりさ。それは実にいまいましい呪いの鎖なんだ。ぼくはそれをよく知っている。まだほかのことも話したいと思うけれど、それはもういうまい。おそらくきみにはわからないだろうからね。まあ、それより聞かしてくれ、――きみはきっとおかみに借金があるんだろう? ね、そら見たまえ!」とわたしはいい足した。そのくせ、彼女はまるで返事をしないで、ただ全身を耳にしながら、無言のまま聞いていたばかりだった。「つまり、それがきみの鎖なんだ! もうけっして足を抜くことはできやしない。みんながそういうふうに仕向けてゆくんだ。なにしろ、悪魔に魂を売ったのも同じことだからな……」
「……それに、ぼくだって……ことによったら、やはり同じように不幸な人間かもしれない。そりゃ、きみなんかにゃわからないさ。で、わざと泥沼の中へ這いこむんだよ。やっぱりむしゃくしゃまぎれにさ。だって、人は憂さ晴らしに酒を飲むだろう。ね、だからぼくも憂さ晴らしに、こうしてここに来ているのだ、ねえ、ひとつ聞かしてもらおう。いったいここに、どんないいことがあるんだい? 現にぼくたち二人は……いい仲になったんじゃないか……さっきここでさ。それだのに、二人ともあれからずっと、お互いに口もきかないでさ。きみなんかそのあとで、まるで野獣かなんぞのように、ぼくをじろじろ見廻してるじゃないか。ぼくのほうもやっぱりそのとおりだ。いったいこんな愛し方ってあるものだろうか? いったい人間同士がこんなふうに接触しなくちゃならないのかい? これはもう醜悪以外の何ものでもないよ、そうとも!」
「そうだわ!」と彼女は急いで言葉鋭く相槌を打った。この『そうだわ』をいった性急な調子は、わたしを驚かしたくらいである。してみると、彼女もさきほどわたしをじろじろ見廻していたとき、同じような考えをその頭に宿していたのかもしれない。してみると、彼女も多少は思考の能力を持っているのだろうか?……『しめたぞ、こいつは面白い、こいつはまんざら縁がなくもない』わたしはほとんど揉み手しないばかりに、こう考えた。そうだ、こんな若い女の魂くらい、自分の手に合わないはずがない!……
 わたしは何よりも演技の面白みに心を牽かれたのである。
 彼女はわたしのほうへ近々と顔をむけた。わたしが闇の中で見透かしたところでは、頬杖をついたらしい。おそらく、わたしの様子を見定めていたのかもしれない。わたしは、彼女の目を見透かすことができないのを、いかにも残念に思った。わたしはその深い息づかいを耳にした。
「きみはなんだって、この土地へ来たんだい?」もういくらか威を帯びた調子で、わたしはこう切りだした。
「ただ、なんということなしに」
「しかし、親の家に暮らしていたら、どんなにいいかしれないじゃないか! 暖かくて、気ままができてさ。なんといっても自分の巣だからね」
「でも、それほど良くなかったら?」
『うまく調子をつかまないといけないぞ』という考えがわたしの頭に閃いた。『感傷的な持ちかけ方をしたって、大して効果がないらしい』
 もっとも、それはただちらと頭をかすめただけである。誓っていうが、女は本当にわたしの興味をそそったのである。その上、わたしは妙にぐったりして、弱気になっていた。しかも、性わるないたずら気というものは、たやすく真の感情と溶け合うものである。
「だれがそんなことをいうんだい!」とわたしは急いで答えた。「そりゃ、どんなことだって、この世にはあるがね。ぼくは確かにそう信じてるんだが、きみはだれかに、ひどい目にあわされたんだろう。だから、きみが世間に対してすまないというよりも、むしろ世間のほうがきみに対して申しわけないんだろう。ぼくはきみの身の上を何一つ知らないけれど、きみのような女は、けっして自分から好きこのんで、こんな所へ落ちてくるはずがないじゃないか……」
「わたしのような女って、いったいどんな女なの?」彼女はほとんど聞きとれぬくらいの声でささやいたが、それでもわたしは聞き分けた。
 いまいましい、おれはお世辞なんか使っているのだ。それは穢らわしいことだ。だが、ひょっとしたら、それでいいのかもしれない……女は黙っていた。
「実はね、リーザ、ぼくは自分のことを話したいんだよ! もしぼくが小さい時分から、家庭というものを持っていたとすれば、今のような人間にはならなかったろう。ぼくはこのことを始終かんがえるよ。たとえ、どんなに家の中の折合いが悪くっても、――やはり両親は他人と違うから、敵にはなりっこないよ。せめて年に一度でも、愛情を示してくれようというものだ。なんてっても、自分の家にいるという気がするからね。ところが、ぼくは家庭というものを知らずに大きくなったのだ。きっとそのためぼくはこんな……情なしになってしまったんだろう」
 わたしはまた反応を待っていた。
『どうやらわからないらしいぞ』とわたしは考えた。『それに第一、滑稽だ、――こんなお説教をするなんて』
「もしぼくが父親で、娘でも持っていたとすれば、ぼくは息子よりも娘のほうをかわいがったろうと思うよ、まったく」わたしは彼女の気をはぐらかそうと思って、わざとそ知らぬ顔で、脇のほうからちょっと当たりをつけてみた。わたしは正直なところ、思わず赤くなった。
「それはなぜですの?」と彼女はたずねた。
 ははあ、してみると、やっぱり聞いているんだな!
「わからない、リーザ、ただなんとなしにさ。ねえ、ぼくはある父親を一人知っているが、その男は厳格な、やかましやのくせに、娘の前へ出ると、いつまでもいつまでも膝をついたまま、その手や足に接吻をして、眺め飽きるということがないんだよ、ほんとうに。娘が夜会でダンスをしていると、その男は五時間も一つところに立ち通しながら、少しも娘から目を放そうとしない。まるで、娘で気が狂ったようなものさ。その気持ちはぼくにもわかるよ! 夜、遅くなって、娘が疲れて寝入ってしまうと、先生目をさましてさ、寝ている娘に接吻をして、十字を切ってやるために、わざわざ出かけて行くんだ。ご当人は、脂じみたフロックを着て歩き廻っているし、だれのことにだって始終けちけちしているくせに、娘のこととなると、なけなしの金をはたいても、贅沢な贈り物を買ってやるのだ。もしその贈り物が気に入ったら、それこそ大喜びなのさ。どこでも父親のほうが母親よりも、よけい娘をかわいがるものだね。だから、娘たちの中には、家で暮らすのが愉快でたまらないというのがいるよ! ぼくなんか、もし娘があったら、けっして嫁にやらないだろうと思うよ」
「でも、どうして?」ほんの心持ちにやっと笑いながら、彼女はこうたずねた。
「やきもちが焼けるからさ、まったくの話が。ね、娘がよその男を接吻するなんて、どうしてそんなことができるのだろう? 他人のほうを、父親よりもよけいに愛するなんて、そんなことは想像してみただけでも、たまらないじゃないか。むろん、そんなことはばかばかしい話さ。むろん、だれだってしまいには正気づくに決まっている。しかし、ぼくなどは、娘を嫁にやる前に、婿選みの心配だけで、へとへとになってしまうだろうよ。そして、どの候補者もみんな落第にしてしまうよ。だが、なんといっても、とどのつまりは、娘が自分で好いた男にやっちまうな。ところで、娘が自分で好いた男というものは、父親の目には必ず、一番の屑に見えるものなんだよ。それはもう通り相場だ。そのためにどこの家庭でも、いろいろ面倒が持ちあがるものさ」
「だって、中には喜んで娘を売る人だってあるわ。天下晴れて嫁にやるどころの騒ぎじゃありゃしない」と彼女はだしぬけにこういった。
 ははあ! なるほど、そういうわけなのか!
「それはね、リーザ、神さまもなければ愛情もない、呪われた家庭の話だよ」とわたしは熱くなってひき取った。「愛情のないところには、まともな分別もないからね。そりゃ本当にそうした家庭もあるさ。しかし、ぼくはそんな家庭の話をしているんじゃないよ。そんなことをいうところからみると、きみは家庭であまりいい目を見なかったんだね。きみは正真正銘の不仕合わせな身の上なんだろう。ふむ!……そういうことは、おもに貧乏から起こるものだて」
「じゃ、身分のいい人は仕合わせだとでもおっしゃるの? 貧乏してたって、正直な人間はちゃんとした暮らしをしていますわ」
「ふむ……そう。そうかもしれない。だがね、リーザ、こういうことも考えてごらん。人間は自分の不幸ばかり数え立てて、仕合わせなことは棚に上げておくものだよ。もしそれを本当に計ってみたら、どんな人だって、それ相当に仕合わせが授かっているものさ。ねえ、家のなかが何もかもうまくいったらどうだろう? 神さまのおかげで、立派な夫が授かってさ、片時もそばを離れないくらい、ちやほやとかわいがってくれたら! そういう家庭は素敵じゃないか! 時によると、不仕合わせとちゃんぽんだってけっこうじゃないか。実際、不幸のないところなんてないんだからね。きみだって結婚したら、自分でそれがわかるだろうよ。その代わり、好きな男と結婚した当座のことを考えてごらん。それこそ本当の幸福で、時によると、背負い切れないほどの幸福がやって来るんだよ! いや、そんなことはざらにあるさ。結婚当座は、夫婦喧嘩だってめでたくけりがつく。女によると、亭主を愛していればいるほど、よけい喧嘩の種をつくるくらいだ。ぼくは事実そんな女を知っているよ。『よくって、わたしはあんたが、好きで好きでたまらないのよ。好きなればこそ、苦しめるんだから、あんたもそれを感じなくちゃ駄目』といったようなわけさ。好きなために、わざと相手を苦しめるってことが、きみにはわかるかい? そんなのは大てい女に多いのだ。そうしておいて、『そのかわりあとでうんと優しくしてかわいがって上げるから。だからいますこしくらい苦しめたって、罪にゃならないわ』と腹の中で考えているんだね。家の者もみんなその様子を見て、喜んでくれる。すべてがけっこうで、楽しくて、平和で道理にかなっているのだ……ところが、なかにはまた、嫉妬ぶかい女もいる。男がどこかへ出かけると、――ぼくは現に、そんなのを一人知っていたがね、――矢も楯もたまらなくなって、よる夜中でも見さかいなく飛び出して、ひょっとあそこにいるのじゃないか、あの家へ行ってるのじゃあるまいか、あの女といっしょじゃないだろうかと、こっそり様子を見に駆け出すのさ。これなんか始末が悪いよ。当人も、自分で悪いと承知しているくせに、心臓が痺れるような思いをして、いわば呵責の苦しみなのだ。なにしろ惚れているんだからな。何もかも愛情から出ることなのだ。そして、喧嘩をした後の仲直り、自分で謝まったり、ゆるしてやったりする気持ちのよさ! 二人とも急になんともいえないいい気持ちで、――まるでまた初対面の蒔き直しをしたような、も一ど結婚式を仕直したような、二人の恋がまた新しく始まったような、素晴らしくいい気持ちになるのだ。夫婦の間のことというものは、二人が愛し合っている以上、だれだって、――どんな人だって、知るわけにはゆかないものなんだ。たとえ二人の間にどんな諍いが持ちあがったにせよ、親身の母親だって仲裁人に入ってもらうべきものでもなし、また自分たちもお互い同士のことを他人に話してはいけないのさ。夫婦は自分の仲裁人なんだからね。愛は神秘なんだから、――よしんばどんなことが起ころうとも、すべて他人の目からはかくしておくのが本当なんだよ。そうすると、愛はいっそう神聖な、いっそう美しいものになるのだ。お互い同士の尊敬も増してくるが、この尊敬というやつは、多くものの根柢になるんだからね。もしいったん愛があって、その愛のために結婚した以上、愛を消滅さすわけにゆかない! 愛は本当に持ちこたえられないのか? 愛が持ちこたえられないなんて場合は、ごくたまにしかありゃしない。運よく、正直で優しい夫にぶっ突かったら、愛がなくなる理屈はないだろう? なるほど、結婚当座のような愛は消えるだろうが、その後でもっと立派な愛がやってくるよ。そうなると、心と心とが一つになって、どんなことでも、みんな相談ずくで決めてゆくから、お互い同士に秘密というものがなくなってしまう。やがて、子供が後から後から生まれるようになると、どんな苦しい時でも、みんな幸福のように思われるんだ。ただ愛情をもって、しかも男々しい気持ちでいればいいのさ。そうなると、仕事も楽しみになって、たとえ時には、子供のために食わずにいるようなことがあろうと、それさえちっとも苦にならない。だって、子供らが後でそれを感謝して、親たちを愛してくれるわけだからな。そんなふうにして、こつこつと金を貯めているうちに、子供らもだんだん大きくなって行く。すると、自分は子供らのために手本ともなれば、杖柱ともなっているのだと感じるだろう。そして、自分は死んでいっても、子供らは自分のもっている感情や思想を、生涯もちつづけてくれるだろう。なぜなら、それは自分から受けついだものだから、自分の姿や面影もうけついでくれるだろう。――こういうことを、しみじみと感じるようになる。つまり、それは偉大な義務なんだ。こうなったら、父親と母親とは、いっそうぴったりと結びつかないというはずがないじゃないか? よく人は子供をもつと苦しいというが、そんなことをいうやつはいったいだれだろう? それこそ天国のような幸福じゃないか! リーザ、きみは小さな子供が好きかい? ぼくはとても好きなんだよ。ねえ、――薔薇色をした小っちゃな男の子が、母親の乳房を、無心に吸っている。妻が自分の子を抱いてすわっている姿を眺めたら、どんな男だって、妻のほうへ引きつけられずにはいられないだろう! 薔薇色にふっくら肥った赤ん坊が、さもいい気持ちそうに手足を伸ばして、うっとりしている。ぽちゃぽちゃしたその手足、綺麗な爪、小っちゃな、見るもおかしいほど小っちゃな爪、そして目といったら、まるでもう何もかもわかるような表情をしているんだ。それがしきりに乳を吸いながら、かわいい手で母親の乳房を引っ張って、おもちゃにしている。父親が傍へくると、――急に乳房を離して、体をぐっとうしろにそらしながら、父親の顔を見て笑いだす、それが、さもさもおかしくてたまらないというふうなのだ。それから、またもう一ど乳房を吸い始める。かと思えば、歯が生えかかるころだと、だしぬけに母親の乳首を噛んで、その顔を横目に見やりながら、『どうだ、噛んでやったぞ!』といったような顔をしている。ねえ、夫婦と子供と三人いっしょにいたら、その時は何もかも幸福に思われようじゃないか? こういう美しい瞬間のためには、かなり多くの過ちも許してやっていいわけだよ。そうだとも、リーザ、つまりまず自分が生活の仕方を学んだ上で、それから他人を責めるのが順なんだよ!」
『こういう挿画式の話で、そう、こういう挿画式の話で、お前をつり出してやるといいのだ!』わたしは正直なところ真ごころこめて話したのだけれども、ふとこんなことを腹の中で考えた。そして、急に顔を赤くした。『だが、もしこの女がいきなり大声に笑いだしたら、その時おれはどこへ逃げ出したらいいのだろう?』こう思うと、わたしはじりじりするほど腹が立って来た。話が終わりに近づく頃には、わたしは本当に自分から熱中してしまったので、今になってみると、妙に自尊心を傷つけられたような気がしてきた。沈黙がいつまでもつづいた。わたしは女を小突いてやりたくさえなった。
「なんだかあなたは……」彼女はだしぬけにいいだしたが、すぐ言葉を止めた。
 けれど、わたしにはもうすっかりわかっていた。彼女の声には、もう何かしら別な感情が慄えていたのである。さっきのようにぞんざいで、強情な突慳貪なのと違って、なんとなくもの柔らかな、羞恥に満ちたものであった。それは、わたし自身がなぜかとつぜん彼女に対して気恥ずかしいような、すまないような気のするほど、しとやかな羞恥の感情であった。
「なんだね?」とわたしは優しい好奇の念を抱きながらたずねた。
「だって、あなたは……」
「なんだよ?」
「あなたはなんだか?……まるで本でも読んでるような話し方をするんですもの」と彼女はいった。すると、なんとなく冷笑的な調子が、またもその声のなかに響いた。
 この言葉は手ひどくわたしの自尊心を傷つけた。わたしはまるで違った言葉を期待していたのである。
 彼女はわざと冷笑の仮面をかぶったのだ。それは羞恥心の強い純な心をもった人が、普通いよいよという時に持ちだす奥の手なのである。そういう人たちは、どんなに粗野な態度で、厚かましく自分の心をかき廻されても、誇りの念が強いために、最後のどんづまりまでそれに屈しようとせず、他人の前に自分の感情をさらけ出すことを恐れるものである、――それをわたしは悟らなかったのだ。彼女がもじもじしながら、やっと思い切ってあの冷やかしを口にだした、いかにも臆病らしい様子から見ても、わたしは悟らなければならないはずだった。けれどわたしはそれを悟らなかったのである。毒々しい感情がわたしの心を捉えつくしていたのだ。
『まあ、待ってるがいい』とわたしは考えた。


「ええ、よしてくれ、リーザ、当のぼくが人ごとながらいまわしくって堪らないのに、本がどうのこうのと、いってる場合じゃないよ。それに、けっして人ごとじゃありゃしない。これはみんな、すっかり、いまぼくの心の中で、ひとりでに目をさましたことなんだよ……いったい、いったい、きみ自身こんな所にいるのが、いまわしくはないのかい? いや、どうも習慣の力は恐ろしいものらしいからな! 習慣ってやつは、人間をどんなものにするかしれやしない。いったいきみは生涯年をとらないで、永久に美しくって、いつまでもここに置いてもらえるなどと、真面目にそんなことを考えているのかい? この家だって穢らわしいに相違ないが、ぼくはそんなことなど改めていおうと思わない……ただこのことについて、現在のきみの生活について、こういうことをいいたいのだ、――きみはいま若くて、綺麗で、体もいいし、魂も感情ももっているが、それでもね、うち明けた話、ぼくがついさっき目をさました時なんか、きみとここにこうしているのが、けがらわしくてたまらなくなったんだよ! 酔った勢いででもなければ、こんなとこへやって来られるものじゃないさ。もしきみがほかの所にいて、世間なみの暮らしをしていたら、ぼくはきみに岡惚れするどころじゃない、心の底から惚れ込んでしまって、言葉をかけてもらえなくとも、きみの目つきを見るだけで、うちょうてんになったに相違ない。門の外できみの出入りを待伏せして、いつまでもきみの前に膝をついているだろう。きみを自分の花嫁のように考えて、しかもそれを名誉と思ったに違いない。きみの身の上について、何か不純なことを考えるだけでも、恐ろしいような気がしただろう。ところが、この家にいる以上、ぼくがひとこえ口笛を鳴らしさえすれば、きみはいやでも応でもぼくの後からついて来なければならないのだ。ぼくはもうきみの心もちなんか問題にしやしない、ただきみを自分の意に従わせるばかりだ。どんな貧乏百姓が働き手に雇われて行っても、それだって自分をすっかり奴隷の境涯におとすわけじゃない。決まった期限ってものがあることを承知しているからな。ところが、きみにはどんな期限があると思う? いったいきみはここで何を切り売りしているか、まあ考えてもみるがいい。いったい何を自分で縛っているのか知っているかい? 魂だ、魂だよ。きみは自分の魂に対して、なんの権利も持ってやしない。体といっしょに魂まで縛られているんだ! きみは自分の愛情をありとあらゆる酔っぱらいの嘲弄にまかせているのだ! 愛! 実際これは人生のすべてだよ。実際、それはダイヤモンドにも等しい処女の宝なんだよ。この愛というものは! だって、この愛を獲得するためには、自分の命まで投げ出して、死地に飛び込む者さえあるくらいだ。ところが、きみはいま自分の愛を、いくらに値ぶみされていると思う? きみという人間はすっかり魂ごと買われてしまっているんだから、もうこうなれば、きみに愛を求めることもなにもいりゃしない。愛なんかなくたって、何から何まで自由になるんだからな。まったく処女にとってこれよりひどい侮辱はないんだよ、きみにはそれがわかるかい? そうだ、ぼくは噂に聞いたが、きみたちは馬鹿だもんだから、勤めをしながら色男を持つことを許してもらって、それを慰めにしているそうじゃないか。そんなことはほんの子供だましのごまかしで、きみたちを愚弄した仕打ちなんだよ。それを、きみたちはに受けてるんだからな! いったいその男は、色男なるものは、本当にきみを愛しているのだろうか、ぼくはそんなことを信じない。いつ何時なんどきほかのお客に呼びつけられるかもしれないのに、それを承知しながら、心からかわいがれるはずがないじゃないか。そんなことができたら、そいつは破廉恥漢だ! いったいそいつは、きみを爪の垢ほどでも尊敬しているかい? そんな男ときみとの間にどんな共通点があるのだ? なに、そいつはきみを馬鹿にして、きみの身の皮を剥ぐだけのことさ、――それがいわゆる色男の愛情なのさ! まだぶん撲らないだけでも取り柄だが、ひょっとしたら、ぶん撲るかもしれないな。もしきみにそういう男があるのなら、末は夫婦になるつもりかどうか、ひとつきいてみるがいい。そうしたら、そいつはきみに面と向かって、笑いのめすくらいが落ちだ。悪くしたら唾をひっかけるか、撲りつけるかもしれない、――ところが、そのご当人だって、欠けたびた銭ぐらいの値打ちしかありゃしないのだ。いったいきみは何がありがたくってこんなところで自分の一生を台なしにしてしまったのか、まあ考えてごらん。コーヒーをふんだんに飲ましてくれたり、おいしいものをたら腹くわしてくれるからかい? だが、それはなんのために食わしてくれるのだと思う? 地道な女なら、そんなご馳走はのどを通らないかもしれないんだよ。だって、なんのためにご馳走してくれるかっていうことが、ちゃんとわかっているからだ。きみは今ここに借金がある。いや、いつまでも借金があるだろう。その借金は永久に抜けることがなくって、とどのつまりは、客が唾もひっかけてくれないようなことになってしまう。そういう時は間もなくやってくる。若さを頼りにするわけにゃゆかないよ。そういう時は、駅逓馬車くらいの速さでやってくるよ。すると、きみはここから叩き出されるのだ。いや、ただいきなり叩き出すのじゃなくって、その前に永い間、いじめたり、小言をいったり、悪口をついたりするに相違ない、――きみが自分の健康を女将おかみに捧げて、自分の若さも魂も女将のために台なしにされてしまったのも忘れて、まるできみが女将の身代を破産させて、赤裸にしたあげく、路頭に迷わしたようなことをいうのだ。だれか肩を持ってくれるなんて、当てにするものじゃないよ。朋輩連中だって女将の御意に入ろうと思って、やっぱりきみにくってかかるだろうよ。なにしろこの社会では、みんなが奴隷同然になって、良心も同情もとっくの昔に無くしているんだからね。こんな奴隷になり切った連中が口にする罵詈雑言以上に、穢らわしい下司な、癪にさわるものは、この世にまたとないくらいだ。しかも、きみはこの家に何もかもすっかり注ぎこんでしまうのだ。健康も、若さも、美しさも、希望も、――何もかも無条件でほうり出してしまうのだ。だから、二十二くらいの年には、まるで三十四、五の年増に見えてくる。でも、病気にならなければまだしもなので、そりゃ神さまにお礼をいってもいいくらいだ。きみはもしかしたら、仕事もしないでぶらぶらしていられるなんて、そんなことを今ごろ考えているかもしれないね! ところが、これより苦しい、懲役人のような働きは、この世にまたと二つありゃしない。また昔だってありゃしなかった。心臓だって、あまり涙を流しつくしたものだから、まるで空になったろうと思われるほどじゃないか。きみがここから追い出されてゆく時だって、一言半句も言葉を返すことができないで、まるで悪いことをした者のように、しおしおと出て行かなくちゃならないんだ。それから、きみはどこかほかの家へ住み替えるが、やがて第三の家へ移り、更にまたどこかへ転々して、最後にはセンナヤ広場に転落するだろう。そこへ行ったら、もうのべつきみをぶん撲るようになるだろう。これがあの土地のお愛想なんだからな。あすこじゃお客だって、なぐらずにかわいがるすべを知らないんだよ。きみはあすこがお話にならないほどひどいのを、本当にしないだろうね。まあ、いつか行ってごらん、自分の目で見たらわかるだろうよ。現にぼくも一ど正月休みの時に、一軒の戸口で、ある女を見かけたことがある。その女はあまり喧ましく泣き立てるというので、朋輩たちの手で外へ突き出されたのだ。少しばかり凍えさせてやれというわけさ。そして、戸をぴっしゃり締め切ったのだ。まだ朝の九時頃だったが、その女はもうぐでんぐでんに酔って、髪を蓬々に振り乱し、半裸体のからだは一面にぶたれた痕だらけなのだ。そのくせ真っ白に塗り立てて、目には黒い隈がついているんだが、鼻からも歯からも血がたらたら流れている。たった今、どこかの辻待ち馭者が鞭を一本くらわしたからだ。女は石段に腰を下ろしたが、その手には何かしら魚の干物を握っているのだ。そして泣き泣き自分の『身の上』をくどくど訴えながら、例の干物で石段を叩きつけている。家の入口には馭者連がたかっているし、酔っぱらいの兵隊どもが面白がって、からかっているのだ。きみは自分もそんなふうになるってことを、本当にしないかい? ぼくだって本当にしたくはないんだが、その干物を持った女にしてからが、十年か八年くらい前には、まるで天使のように生き生きした、純潔無垢の姿で、どこからかここへやって来てさ、悪いことなど少しも知らず、ひと言ひと言に顔を赤くしていたのかもしれない、――それは、だれにだってわかるものじゃないよ。ことによったら、きみと同じように気位の高い、傲然とすました女で、ほかの連中とは似ても似つかない、まるで女王さまのような様子をしていたかもしれない。そして、自分に愛し愛される男は、それこそ素晴らしい幸福を受けるのだと、自分でも思い込んでいたに相違ない。ところが、ごらん、結果はどういうことになったろう? その女が酔っぱらって、髪をふり乱したまま、例の干物で汚い階段をこつこつ叩いている瞬間に、ふと両親の家に暮らしていた清浄無垢な昔の時代を思い出したら、まあいったいどんな気がするだろう。まだ学校へかよっている時分のことで、隣りの息子が途中で待ち伏せしてさ、一生彼女を愛しつづけて、彼女のためには、命も惜しくないと誓う。こうして、二人は永久に互いに愛し合って、大人になったらすぐさま結婚しようと相談を決めた。その時分の思い出なのさ! いや、リーザ、もしきみがどこかあのへんの穴蔵の隅っこで、さっき話した女のように少しも早く肺病で死んでしまったら、それはきみの幸福だよ。本当に幸福というものだ。きみは病院へ行くといったね。そりゃ病院へやってくれたらけっこうだが、もし女将がまだきみという人間に用があるといったら? 肺病はどうも特別な病気でね、熱病などとは違うから、こいつにかかった人間は、最後のどんづまりまで望みを棄てないで、わたしは達者だといいながら、自分で自分を慰めるものなんだ。そこがまた女将にはもっけの幸いなのさ。心配ご無用、それはまさにその通りなんだ。ねえ、魂も売り渡したし、おまけに借金までしているんだから、つまるところ、ぐうの音も出せやしない。そこでいよいよ最後になると、みんなきみを棄てて、そっぽを向いてしまう。だって、そうなれば、逆さに振ったって鼻血も出ないんだからな。それどころか早くくたばってくれないで、よけいな場所ふさぎをするというんで、かえってきみのほうを責めるくらいさ。水がほしいたって、それさえなかなかよこしやしない。『このあまめ、いつになったら斃ばりやがるんだ。のべつ唸り通して、おちおち寝さしてもくれやしない。お客様だって気持ちを悪くなさるよ』などと悪態をついて、やっとお情けに飲ましてくれるという始末さ。そりゃ確かな話だ、ぼくは自分で、こういうのを洩れ聞いたことがあるんだから。こうして今にも死にかかった人間を、穴蔵のなかでも一番けがらわしい隅っこへ押し込んでしまう、――そこは薄暗くってじめじめしているのさ。その時きみはたった一人、横になったまま、どんなことを考えるのだろう? いよいよ息をひき取ると、縁もゆかりもない人が寄り集まって、じれったそうにぶつぶついいながら、死骸の始末をするという段取りだ。だれ一人きみのためにお祈りをする者もなければ、きみのために溜め息ひとつつく者もない。ただ少しも早く厄介払いさえすればいいんだ。粗末な棺桶を買って、ちょうどきょうぼくのみた不仕合わせな女のように、さっさと担ぎ出される。そして居酒屋へ追善のために一杯ひっかけに行くのが落ちだ。墓場はじとじとしてぬかるみだらけ、それにべた雪が降っていようという寸法さ、――なにも、きみなんかのために、お天気だって遠慮する手はないからね。『さあ、下ろした、ヴァニューハ、やっぱりこうした「身の成行き」なんだな。あまめ、ここまで来ても、やっぱり逆さに落ちて行きゃがった。繩を縮めろよ、このど畜生め』『なに、このままだっていいよ』『何がいいんだい? だって、横っ倒しになってるでねえか。これだってやっぱり人間にゃ違いなかったんだぜ、そうじゃねえか? さあ、これでよしと、土をかけた』こういう調子で、いつまでもきみなんかのことで、とやかくいう気にもならないのさ。あお味がかった湿っぽいねば土を、急いで上からかぶせると、そのまま居酒屋へ行っちまう……これでこの世におけるきみの思い出も、幕になってしまうんだ。これがほかの人間なら、子供らや、両親や、亭主などが、墓詣りの一つもしてくれるのだが、きみには涙をこぼしてくれる者も、溜め息一つつく者もないし、思い出を語ってくれる者もありゃしない。いつまで経ってもだれ一人、それこそ広い世界にだれ一人として、きみの墓に詣るものはないだろうよ。きみの名は地球の表面から消えてしまって、――きみという人間は、まるで生まれたこともないような具合なんだ! あたりは一面の泥と沼地で、毎晩死人が墓から起きあがってくる時刻に、棺の蓋をとんとんたたきながら、『どうか、みなさん、ほんのちょっとでも明るい世界へ出してください! わたしは生きてはいましたけれど、本当の暮らしを見たことがないんです。わたしの暮らしは、雑巾のようにくたくたに使われて、センナヤ広場の居酒屋で、酒といっしょに呑まれてしまったのです。どうか、みなさん、もう一度あかるい世の中で暮らさしてください!……』と、わめきたいくらいのものさ」
 こういっているうちに、わたしはだんだん悲痛な感激にとらわれて、しまいには喉が痙攣を起こしそうになって来た。と……不意にわたしは言葉を止めて、慴えたように腰を持ちあげた。そして、恐る恐る首をかしげ、胸をどきどきさせながら、聞き耳を立て始めた。わたしがこんなにどぎまぎしたのは、わけがあったのだ。
 わたしはもうだいぶん前から、自分が女の魂を顛倒させ、その胸をずたずたにひき裂いたのを、おぼろげながら感じていた。しかも、それを確信すればするほど、少しも早く、できるだけ正確に、目的を達したくなった。それは一種の演技、役者の演技に似た本能が、わたしを夢中にさせたのである。もっともただの演技ばかりでもないのだが……
 わたしは自分の話振りがぎごちなくて、いかにもわざとらしく、書物くさいところさえあるのを、自分でも知っていた。ひと口にいえば、わたしは『まるで本でも読んでいるような』ふうでなければ、話の仕方を知らなかったのである。しかし、わたしがまごついたのはそのせいではない。わたしは相手がわかってくれるのを予感していたばかりでなく、この書物くさいところがかえって仕事を捗らしてくれるかもしれないと、ひそかに自負していたくらいである。けれども、いま目的を達したときに、わたしは突然おじけづいたのである。ああ、わたしは今まで一度もただの一度も、これほどの絶望を見たことがない! 女は俯伏しになったまま、ひしとばかりに枕に顔を押しあてて、両手でその枕をかかえていた。胸が破れそうな気がしたのだ。その若々しい全身は、まるで痙攣でも起こしたように、ぴくぴくと引っつっていた。じっと押しこらえていた慟哭は、彼女の胸を圧迫して、はり裂けそうにしていたが、やがて不意に魂ぎるような悲鳴と号泣になって、外へほとばしり出たのである。そのとき、彼女は更に激しく枕に顔をすりつけた。彼女はこの場合、たとえ一人でも生きた人間に、自分の苦悶や涙を見てもらいたくなかったのだ。彼女はしきりに枕を噛みしめていたが、とうとう自分の手を血の出るほど噛みやぶってしまった(わたしはそれを後でみつけた)。それかと思うと、ふり乱した髪に指を突っ込んで、一生懸命息を殺し、歯をくいしばりながら、そのままの姿勢でじっと静まり返っていた。わたしは何やら彼女に話しかけて、気を鎮めるようになだめかけたが、それは遠慮すべきだと感じた。やがて突然、自分のほうがなにか一種の悪寒、というより、ほとんど恐怖に近いものを感じながら、手さぐりで飛び出すが早いか、そこそこに逃げて行こうとした。部屋の中は暗かった。どんなにあわてても、手早く支度をすますことができなかった。ふとわたしはマッチ箱と、まだ使わない新しい蝋燭のついた燭台をさぐり当てた。蝋燭の火が室内を照らすが早いか、リーザは不意に跳ね起きて、坐り直した。そして、妙にひん曲がった顔をして、半ば気ちがいめいた微笑を浮かべながら、ほとんど無意識にわたしをみつめた。わたしはその傍に腰を下ろして、女の手をとった。彼女はわれに返って、いきなりわたしに飛びかかり、わたしの体を抱きしめようとしたが、それだけの勇気もなくて、静かにこうべを垂れた。
「ねえ、リーザ、ぼくは役にも立たないことに……どうか堪忍してくれ」とわたしはいいかけたが、彼女が恐ろしい力でわたしの手を握りしめたので、わたしは見当ちがいのことをいっているとこころづき、そのまま口をつぐんだ。
「これがぼくの住所だ、リーザ。遊びにおいでよ」
「行きますわ……」彼女はやはり頭を挙げようとしないで、きっぱりとこうささやいた。
「それじゃもう行くよ、ご機嫌よう……さよなら」
 わたしは立ちあがった。彼女も同様に立ちあがったが、とつぜん真っ赤になって、ぴくりと身を慄わせると、椅子の上においてあった肩掛けを引っつかんで、口までかくれるほど身にまとった。それがすむと、彼女はまたなんとなく病的な微笑を洩らして、顔を赤らめながら、妙な目つきでわたしを眺めた。わたしの心は痛んだ。わたしは急いでこの場を立ちのき、姿をくらまそうと思った。
「待ってちょうだいな」もう出口の扉まで来た時、彼女はだしぬけにわたしの外套を引きながら、こういった。そして、せかせかと蝋燭をそこに置くと、駆け出すように行ってしまった。――察するところ、何かあるものを思い出したか、それともわたしにもって来て見せようという気らしい。駆け出しながら、彼女は顔を真っ赤にして、目をきらきら輝かし、唇には微笑さえ浮かべた、――いったいなにごとだろう? わたしは待つともなしに、待っていた。まもなく彼女は引き返したが、その眼ざしはなにかのゆるしでも乞うようであった。概してその顔も目つきも、さきほどのような気難しそうな、容易に人を信じない、強情な表情とはちがっていた。いま彼女の目つきは、まるで哀願するような、軟かみを帯びていると同時に、いかにも信じ切ったような、優しい、おずおずしたところがあった。それは、子供が自分の大好きな人に、物をねだるような目つきだった。その目は明るい鳶色をして、愛情をも陰鬱な憎しみをも映すことのできる、生き生きした美しい目であった。
 まるでわたしが説明なしに、なんでもわかる一段えらい人間だと思っているらしく、彼女は少しも説明がかったことをいわないで、一枚の紙きれをわたしに差しのべた。この瞬間、彼女の顔はなんともいえないほど無邪気な、ほとんど子供のような得意の色に輝き渡っていた。わたしは拡げて見た。それは、どこかの医学生か、ないしはそれに類した男から、彼女に宛てた手紙で、恐ろしく仰々しい華やかな文句を連ねてはいたけれど、並みはずれて馬鹿丁寧な恋のうち明けだった。今では文句を一々思い出せないが、乙に気取った文章の間から、こしらえものでない真実の感情が覗いていたことだけは、はっきりおぼえている。わたしが読み終わったとき、好奇心に燃える子供のように性急な彼女の視線に出会った。彼女は吸いつけられたようにわたしの顔を見据えて、わたしが何をいい出すかと、じりじりしながら待っていた。彼女は早口に言葉すくなく、しかしなんとなく嬉しそうな、誇らしげな調子で、わたしに説明して聞かせた。それによると、彼女はどこかの家庭で催された舞踏会に出席したのである。それは「本当に、本当にいい人ばかりで、ちゃんと家庭を持っている人たちですの、そして、まだなんにも知らない、それこそまったくなんにも知らないんですの」なぜって、彼女自身もここではまだほんの新参しんまいで、ただ一時こうしているばかり……けっしていつまでも腰を据えようと腹を決めたわけではない、前借を払い次第、きっとここから出て行くつもりだから……と彼女はいった。――そこで、この舞踏会にその学生も来ていたので、一晩じゅう彼女と踊ったり話したりしたのだ。聞いてみれば、彼はやはりリガに住んでいて、子供の時から彼女と知り合いの間柄で、いっしょに遊んでいたとのことである。しかし、それはもうずっと前の話であった。学生は彼女の両親も知っているけれど、あのことについてはなんにも、なんにも、本当になんにも知らないし、そんな疑いさえ持ってはいないのだ! ところが、舞踏会の翌日(つまり今から三日前に)、この学生は、彼女といっしょに舞踏会に行った女友だちを介して、この手紙を届けたのである……「そして……いえ、まあ、それっきりなんですの」
 彼女は話し終わった時に、なんとなく恥ずかしげに、そのきらきら光る目を伏せた。
 あわれな女、彼女はこの学生の手紙を、まるで宝物のように、大事にしまっていたのである。そして、自分のような女でも真面目に真剣に愛してくれたり、慇懃な調子で話しかけたりする人もあるということを、わたしに知らさないうちは帰したくないと思って、この唯一の宝物を取りに、わざわざ駆け出して行ったのだ。疑いもなく、この手紙はなんの実も結ばずに、このままずっと手函の中にしまいこまれる運命をもっているに違いない。しかし、そんなことはどちらでも同じなのだ。彼女はこの手紙を自分の誇りとして、自分の身のあかしとして、一生涯たからもののように大事に保存することだろう。わたしはそれを信じて疑わない。で、現に今もこんな時に自分のほうから思い出して、この手紙を持ちだしたわけである。つまり、無邪気にそれをわたしに自慢して、自分の価値回復をしてもらいたかったのである。わたしにそれを見せて、褒めてもらいたかったのである。わたしはなんにもいわないで、彼女の手を握ると、そのまま外へ出た。わたしはこの場を遁れたくてたまらなかったのだ……べた雪が依然として、綿屑のように降りしきっているのもかまわず、わたしは家までずっと歩いて帰った。わたしは押し潰されたようにへとへとに疲れて、しかも何やらしかねるような気分になっていた。しかし、真実は早くもその疑惑の中から輝いていたのだ。いまわしい真実よ!


 もっとも、わたしはそうすぐにこの真実をみとめようとはしなかった。幾時間か鉛のように深い眠りを貪った後、朝になって目をさますと、わたしはすぐさま昨日のことを残らず思い返してみて、昨夜リーザに対してとったセンチメンタルな態度や、その他すべて『あの時の恐怖や憐憫』に、驚きの念さえも感じたものである。『よくも、まあ、あんな女々しい神経衰弱の発作にやられたものだ、ちぇっ、いまいましい!』と、わたしは自分で解決を下した。『それに、なんだっておれはあの女に所書きなんか渡したんだろう? もしやって来たら、どうするつもりだ? だが、或いはやってくるのもいいかもしれない。かまうもんか……』しかし、いまわたしにとって肝腎な、何よりも重大な問題は、明らかにこんなことではなかった。何をさておいても大至急、ズヴェルコフやシーモノフに、わたしという人間の価値評価を回復させなければならないのだ。それこそつまり、最もかんじんな問題なのだ。リーザのことなどは、その朝あまりあたふたしたために、まるで忘れてしまったくらいである。
 何よりまっさきに、昨日シーモノフに借りた金を、急いで返さなければならない。わたしは思い切った手段に訴えることにした。ほかではない、アントン・アントーヌイチから大枚十五ルーブリ借りようというのだ。まるで誂えたように。課長はこの朝上々の機嫌だったので、二つ返事で貸してくれた、それが嬉しくてたまらなかったので、わたしは借用証文に署名しながら、いかにも磊落そうな態度で、昨日、「友だちといっしょにオテル・ド・パリでひと散財やったのです。実は友だちの送別会をしたのですが、これはいってみると、竹馬の友なんでして、なかなか道楽者のわがまま息子なんです。――そりゃむろん、家柄はいいし、財産は相当もっているし、華々しい前途を約束されているのです。才気縦横で愛嬌があるものですから、ああいったふうの婦人連と、ね、おわかりでしょう、色事の一つもしようという男なんです。みんなで『半ダース』ばかりもよけいに飲みすごして、それから……」といった調子で、ざっくばらんにうち明け話をしたものだ。ところが、心配することはないもので、きわめて軽妙に、造作もなく、自由に言葉がするすると口を出てくれた。
 家へ帰ると、わたしはさっそくシーモノフに手紙を書いた。
 わたしは今でもこの手紙のことを思い出すと、紳士的に胸襟を開いた虚心坦懐な調子に、われながら心からほれぼれするくらいである。要領がよくて、上品で、しかも、これが最もかんじんな点なのだが、ひと言としてよけいな言葉を使っていない、――わたしは万事自分を悪者にしてしまったのだ。わたしは『もし小生に弁解などということが許されるならば』という前置きで自己弁護を試みた。曰く、今までまったく飲酒の習慣がなかったために、オテル・ド・パリで五時から六時まで、みんなを待ってる間に、つい一杯ひっかけたところ(そういうことにしてしまったのだ)たちまち酩酊してしまったのである。わたしは主として、シーモノフにむかって謝罪した上、ほかの仲間一同、ことにズヴェルコフに、この釈明を伝えるように頼んだ。『今さら夢うつつのごとく思い起こせば』小生はズヴェルコフに、侮辱を加えたような気がする、そう書いた後で、わたしは自分で諸君のところへ出向くべきはずなのだけれども、頭が痛いし、それに何よりも気が咎めるから、――こんなにつけ足したものである。ことにわたしは自分の文章に現われた『一種の軽妙な味』、というより、むしろ磊落な調子に、われながら満足を禁じ得なかった(もっとも、この磊落さは、けっして儀礼を失してはいないのだ)。このことはどんな理屈にも優って、わたしが『昨日の穢らわしい出来事』に対して、かなり独立独歩の見方をしているということを、彼らに一読たちまち悟らせるだけの効果を有していた。なんといっても、わたしはおそらく諸君が考えていられるように、それほどすっかり完全にまいってはいないのだ。それどころか、自己を尊敬する紳士にふさわしい態度で、冷静にいっさいの事態を観照している。『若いうちには、それくらいのことはありがちだ』といったようなわけである。
『おまけに、この軽妙洒脱さは、まるで王侯の文章にも比すべきじゃないか』自分の手紙を読み返しながら、わたしはほれぼれとしてしまった。『それというのも、おれが頭脳の発達した教養人だからさ! もしほかのやつがおれの立場におかれたら、どうして窮地を滑り抜けたらいいか、とほうにくれてしまったろうが、おれはこのとおりうまくたいをかわして、また勝手な太平楽を並べている。それもこれもみんな、おれが「教養のある頭脳の発達した現代人」だからなのさ。――しかし、ことによったら、昨日あんなことが起こったのも、本当に酒のせいかもしれないぞ。ふむ……だが、ちがう。酒のせいじゃない。おれは五時から六時まで彼らを待っている間に、ウォートカなんかてんで飲まなかったんだからな。おれはシーモノフに嘘をついたのだ。ずうずうしく嘘をついたのだ。しかし、今だって別に良心は咎めない……』
 ええ、面倒臭い! とにかくうまくごまかしたのだ、それが肝腎かなめなところだ。
 わたしは封筒の中に六ルーブリ入れて、きちんと封をした後、アポロンに頼んで、シーモノフのとこへ届けてもらうことにした。手紙に金が封入してあることを知ると、アポロンは急に慇懃な態度になって、使いの役を承知した。夕方、わたしは散歩に出かけた。まだ昨日以来、頭痛がして、めまいを感じた。けれども、だんだん時刻が移って、夕闇が濃くなればなるほど、わたしの受ける印象はますます変転し、こぐらかっていった。そして、想念もそれにつれてゆくのであった。わたしの内部で、情感と良心の底にひそんでいたあるものが、いつまで経っても消え失せなかった、――消え失せようとしなかったのだ。そして、焼きつくような憂悶となって、外部に現われるのであった。わたしはメシチャンスカヤ街だのサドーヴァヤだのユスーポフ公園だの、おもに人通りの多い商店街をさまよい歩いた。わたしはいつもたそがれ時に、こういった街々を散歩するのが、かくべつ好きなのであった。つまり、商人や、職人、その他あらゆる種類の通行人が、毒々しいほどいら立たしげな顔をして、その日の職場から自分の家へ帰って行きながら、ぞろぞろと群れをなして往来している、そういう時刻が好きなのである。わたしはこの貧乏くさい雑沓の光景や、この赤裸々な散文的情調が気に入ったのだ。この日はこうした街上の混雑が、普段よりも一倍わたしをいらいらさした。わたしはどうしても自分で自分の心を自由にして、まとまりをつけることができなかった。何やら心の中から、一種の痛みを伴いながら、絶えずぐんぐんと押し上げて来て、いっかな鎮まろうとしなかった。すっかり混乱しきった気持ちになって、わたしは家へ帰って来た。まるで何かの犯罪が重石おもしのように、わたしの魂にのしかかっているようなあんばいだった。
 リーザがやってくる、この考えがのべつわたしをくるしめていた。不思議なことには、昨日のさまざまな記憶の中で、彼女に関する記憶だけが、なんだか特別にすっかり独立した形で、わたしを苦しめるのであった。そのほかのことは、夕方までに綺麗さっぱり忘れてしまって、かまうものか、という気持ちになっていた。そして、相変わらず、シーモノフに宛てた自分の手紙に大満足であった。ところが、どうしたものか、家へ帰ったとたんに、その満足感はなくなってしまった。まるでリーザ一人のことで、心を悩ましていたような形である。『もしあれが来たらどうしよう?』わたしはひっきりなしに、こう考えていた。『ふん、どうするものか、かまわない、勝手にくるがいい! ふむ。ただあの女に見られるのがいやだな、たとえばおれの暮らしぶりなんかを。ゆうべおれはあの女の前で、素晴らしい英雄になって見せたのに……いま……ふむ! だが、それはおれがこんなに身をおとしたのが悪いのだ。家の中はまるで赤貧洗うがごとしじゃないか。それに、おれは昨日こんな身なりで、勇敢にも宴会へ出かけたんだからな! この模造皮張りの長いすだって、中からはらわたが覗いている始末だ! それに、部屋着だって、満足に体を包むこともできやしない! ひどいぼろぼろだ……あの女はこれをことごとく見て取るわけだ。それに、アポロンにも見参する。アポロンの畜生は、きっとあの女に不作法を働くに違いない。あいつはおれにいやがらせをしようと思って、あの女に喰ってかかることだろう。ところが、おれはいうまでもなく、いつもの癖でびくびくして、あの女の前でちょこちょこ走り廻ったり、部屋着の裾をかき合わしたり、にたにた笑ったり、嘘をついたりするに相違ない。うう、なんていやなこった! だが、一番いやなのは、そんな問題じゃない! ここには何かもっと重要な、もっと穢らわしい、もっと陋劣なことがあるんだ! そうだ、陋劣なことだ! それにまたしても、またしてもあの破廉恥な虚偽の仮面をかぶらなくちゃならない!……』
 この考えに行きあたると、わたしは思わずかっとなった。
『なんだって破廉恥なのだ? どんな破廉恥なのだ? おれはきのう誠心誠意、話したのじゃないか。おれ自身にも本当の感情が湧いていたのを、いつまでも覚えている。おれはまったくあの女の心に高潔な感情を呼び起こそうと思ったのだ……あの女が泣いたのはいいことだ。それはよき効果をもたらすだろうな……』
 が、それでも、わたしはどうしても気が落ちつかなかった。
 家へ帰ってから、やがてもう九時過ぎになったので、どう考えてみてもリーザがやってくる気づかいはないと承知しながら、やっぱり一晩じゅう、彼女のことがちらちら頭に浮かんだ。それに第一、いつも必ず、同じ恰好をした彼女の姿が思い起こされる。つまり、昨夜の邂逅を通じて、ある一つの瞬間がとくにはっきりと浮かび出すのであった。それは、わたしがマッチを擦って部屋を照らすと、受難者のような目つきをした、あお白い、ひん曲がった彼女の顔が目に映った瞬間である。この瞬間、彼女の顔にはなんというみじみな[#「みじみな」はママ]、なんという不自然な、なんという歪んだ微笑が浮かんでいたことか! けれど、まだその時は、自分が十五年たった後までも、みじめな、歪んだ、役にも立たぬ微笑を浮かべているこの瞬間のリーザを、依然として思い出そうなどとは、夢にも想像しなかったのである。
 翌日になると、わたしはもうそうしたいっさいを疲れた神経のせいにして、くだらないことだ、むしろ誇張にすぎないと考えるだけの余裕が、心にできていた。わたしはいつも自分のこうした弱点を意識していたので、どうかすると、それをひどく恐れていたのだ。『いつもおれは誇張してばかりいる、そのためにろくなことはないのだ』とわたしは二六時中、心のなかでくり返していた。しかし、それにしても、『それにしてもリーザはやっぱり来るかもしれないぞ』これがそのとき、わたしのあらゆる考察のしめ括りとなるリフレインだった。わたしは不安のあまり時々癇癪を起こすほどであった。『やってくる! 必ずやってくる!』わたしは部屋のなかを駆けずり廻りながら、こう叫んだものである。『今日でなければ、明日はやってくる。必ずさがしだすに相違ない! あの純潔なるハートをもった連中のロマンチシズムときたら、いまいましいっちゃありゃしない! あの穢らわしいセンチメンタルな魂をもった連中の浅薄さ、愚劣さ! 陋劣さ! ふん、どうしてこれがわからないのだろう、これがわからないはずはないように思えるんだがなあ?……』けれど、ここでわたし自身も言葉を止めざるを得なかった。しかも非常な困惑を感じながら。
『なんという無造作なこったろう』とわたしは何かのついでにこう考えた。『人間の魂をすぐさま思いどおりに転換させるには、なんと僅かな言葉でこと足りるのだろう、なんと僅かな牧歌情調を注入するだけで十分なのだろう(それに、牧歌情調も付け焼刃の、書物くさい、こしらえものでたくさんなのだ)。それがつまり処女性というやつだ! これがつまり白紙の心というやつだ!』
 ときどき、自分で彼女のところへ出かけて行き、『何もかもぶちまけた上』、わたしのとこへやって来ないように頼もうか、という考えが頭に浮かんだ。けれど、その時こう考えるが早いか、わたしの心中には猛烈な毒念が込みあげて来て、もしリーザがふと偶然にわたしの傍にい合わせたら、あの『いまいましい』あまをぺしゃんこにやっつけて、思うさま恥をかかせ、唾を吐きかけ、ぶん撲ったあげく、追っ払ってしまったろうと思われるほどだった!
 けれど、一日たち、二日たち、三日と過ぎても、――彼女はやって来なかった。それで、わたしも安心し始めた。ことに九時過ぎた後は、すっかり元気づいて浮かれだし、時にはかなり甘い空想さえ始めるのであった。『おれは、早い話が、リーザが時おり家へやって来て、おれの話を聞くということによって、リーザを救ってやることになるのだ、――おれは彼女を教育し、頭脳を発達させてやる。そのうちに、とうとう、彼女がおれに恋している、しかし熱烈に恋しているということに、おれもいつか気がついてくる。しかし、おれは悟らないような振りをしているのだ(もっとも、なぜそんな振りをするのか、自分でも知らない。おそらく、ただ美的感覚のためだろう)。とどのつまり、彼女はいかにもきまり悪そうに、可憐な風情で慄え慄え泣きながら、おれの足もとに身を投げて、あなたはわたしの命の親です、わたしは世界中の何よりも、あなたを愛しています、と告白する。おれは驚きもするけれど、しかし……こういってやる、リーザ、おれがお前の愛に気がつかなかったなんて、お前はまあそんなことを考えているのかい? おれは何もかも見透していた、察していた。けれど、おれは自分のほうからさきに、お前の愛情を望むことをはばかっていたのだ。というのは、お前に義理をかけていたので、お前が恩返しのつもりで、わざとおれの愛に答えなければと、自己強制をしやしないかと、それを恐れていたのだ。自分で無理に、おそらくはありもしない感情を呼び起こすかもしれないだろう、だがおれはそんなことなど望まない。だって、それは……専制というものだからね……それはあまりに心ない業だからね(まあ、ひと口にいえば、わたしはここのところで恐ろしく西欧ばりの、ジョルジュ・サンド好みの、筆紙につくし難いほど高潔典雅な文句を、だらだら並べ立てたわけである……)。しかし今は、いまこそお前はおれのものだ、お前はおれの創造したものだ、お前は純で美しい、お前はおれの美しい妻なのだ』

はばかることなく悪びれず入っておいで
お前は立派な女あるじだ!

 それからわれわれは二人楽しく暮らして、外国旅行へ出かけたり、そのほかいろいろさまざまなことをするのだ。ひと口にいえばわたしはわれながら胸くそが悪くなって、とどのつまり、自分で自分にぺろりと舌を出してやった。
『それに、あいつ、あの「すべたあま」、出してもらえないんだ』とわたしは考えた。『ああいうところでは、あんまり自由に外へ出さないらしいからな。ことに晩なんかなおさらだ(わたしはどういうわけか、彼女がきっと夕方、しかも七時にくるに違いないような気がしたのだ)。もっとも、あの女の話では、まだすっかり籠の鳥になりきってるわけじゃなくって、なにか特別扱いになっているそうだ。ふむ! してみると、やってくるはずだ、きっとやって来やがる!』
 でも、この時アポロンが例の無造作な仕草でわたしの気を紛らしてくれたから、まだしも助かった。こいつはわたしの堪忍袋の緒を切らすのだ! これはわたしの癌であり、神の送りたもうた鞭なのだ。わたしたち二人はこの数年間たがいにしのぎを削り通したので、わたしはこの男が憎くてたまらなかった。本当にどんなに憎く思ったかわからないほどである! わたしは生まれてこの方、この男くらい憎いと思った人間はほかに一人もない、どうかすると矢も楯もたまらないようなことがある。彼はかなり年輩のもったいぶった男で、多少は仕立の内職もしているのであった。しかし、なぜこの男が法外と思われるほどわたしを軽蔑するのか、一も二もなくひとを高みから見くだすのか、ほとほと合点がゆかない。もっとも、彼はだれでもみんな高みから見くだす癖があった。ただ白っぽい眉をした顔や、つるりと綺麗に撫でつけた頭や、精進油をてかてか塗って、鶏冠とさかのように梳き上げた前髪や、V字形に下唇を突き出したしかつめらしい口もとや――これだけのものをひと目みただけで、こいつはかつて一度も自己に疑いをさし挾んだことのない人間だなと、即座に直感することができるほどである。それはとてつもない衒学ペダン者であった。しかも、わたしが今まで逢ったなかでも最大のペダントで、おまけにマケドニヤのアレクサンドル大王にのみふさわしいような自尊心の持ち主なのであった。彼は自分の服のボタン一つ一つに惚れこんでいた。自分の爪一つ一つに惚れこんでいた、――実際、間違いなく惚れこんでいたのだ。彼の様子はまさしくそのとおりだった! わたしに対する態度は完全な専制主義で、めったに口などきかなかった。もしわたしの顔を見なければならぬことがあると、自信にみちた荘重な確固たる目つきに、必ず冷笑を湛えて眺めるのだ。そのために、わたしは時々むらむらと癇癪を起こすのであった。受持ちの仕事をするのでも、なにかわたしに大したお情けでもかけるようなあんばいなのである。もっとも、彼はわたしのためにほとんど何一つしなかったし、また何かしなければならぬ義務があるとさえ思っていなかった。彼がわたしを世界一の馬鹿者と心得ていたのは、疑いの余地もないことだった。だから、『わたしを傍へかかえておいたのは』ただただ毎月給金がもらえるからというだけの理由にすぎない。彼は『なんにもしないために』七ルーブリの月給でわたしのところへ来るのを承知したのである。彼のためには、わたしも多くの罪業をゆるしてもらえるだろう。どうかすると、憎悪の念が極端に嵩じて、彼の足音を聞いただけでも、おもわず痙攣がおこりそうになるくらいだった。なによりも胸くそがわるいのは、この男の舌ったるいひそひそ声であった。彼の舌は普通よりも長すぎるか、或いは何かそういったようなふうなので、いつも舌を縺らして、しゅっしゅっというような発音をした。彼はそれが恐ろしく自慢で、そのために少なからず尊厳を増す、とでも思っているらしかった。いつも両手を背中に組み、目を伏せて、小さな声で同じ緩急を保ちながら話すのだ。ことに、仕切り板のむこうになっている自分の部屋で、聖詩編を読みだすときなど、わたしはよけいに疳が立ってくるのであった。この朗誦のために、わたしはどれくらい彼とやりあったかしれない。しかし、彼は毎晩、まるで死者を慕ってでもいるかのように、低いなだらかな声で節つけて朗読するのが、おそろしく好きだった。面白いことには、彼は結局いま聖詩編読みに傭われて、葬式まわりを商売にするようになった。またそれといっしょに、鼠退治と靴墨つくりもやっているのだ。けれど、その当時、わたしは彼を追っ払うことができなかった。まるでこの男がわたしの存在と、化学的に溶け合っているような具合なのだ。それに彼自身も、わたしの傍を離れることなど、こんりんざい、承知しなかったに相違ない。わたしは家具付貸間シャンプル・ガルニなどに住むことができなかった。わたしの住居はわたしの隠れ家であり、わたしの殻であり、わたしの筐であって、その中へわたしは全人類を避けて隠れ棲んでいたのだ。ところで、アポロンはどういうわけか知らないが、この住居の付属物みたいに思われて、そのためにわたしはまるまる七年間、この男を追い出すわけにゆかなかったのである。
 たとえば、彼の給料にしても、たとえ二日なり三日なりでも、待たしておくことはできなかった。そんなことをしようものなら、彼はそれこそ大変な騒ぎを引き起こして、わたしの身の置き場もないようにしてしまうだろう。けれど、この二、三日というもの、わたしはありとあらゆる人間にむかって腹を立てていたので、どういうわけか、またなんのためか知らないけれども、アポロンのやつに罰をくわして、もう二週間ばかり給金の支払いを延ばしてやろうと決心した。わたしはもうとうから二年ばかりの間、このことを計画していたのだ、――ほかにわけはない、ただ彼がわたしに対してああえらそうな顔ができた義理ではないのだから、わたしだってその気にさえなれば、いつでも給金を渡してやらないばかりだということを、思い知らせてやるためにすぎないのだ。わたしはこの話を彼にしまいと腹を決めた。つまり、彼の高慢を懲らしめるために、むこうからさきに給金の話を切りださせようというのである。もしむこうから切りだしたら、わたしは引出しの中から七ルーブリそっくりとり出して、その金はちゃんと手もとにあるのだが、わざとしまってあるのだということを見せてやろう。そのわけは『ただ給金を渡すのがいやなんだ、いやなんだ、いやなんだ。いやだというわけは、そうしたいからなのだ』なぜといって、『おれは主人だから、そうしたいと思えば、自分の勝手になる』からだ。あいつが礼儀作法を知らぬがさつ者だからだ。もしあいつが丁重に頼みこめば、おれも我を折って渡さないものでもない。さもなければ、二週間待ったって、三週間待ったって、まるひと月待ったって……
 けれど、わたしがどんなに意地を張ってみても、結局はやはり彼の勝利だった。わたしは四日と持ちこたえることができなかった。彼はまず第一段として、いつもこういう場合に使う手を用いた、というのは、こういったような場合が、今まであったからである。やってみたからである(しかも、断わっておくが、わたしはこういうことを前からすっかり知っていたのだ。やつの卑怯な戦術を暗記するほど知りぬいていたのだ)。ほかでもない、まず手初めとして、おそろしく厳格な視線をわたしにそそいで、それを幾分間かぶっつづけにそらさないでいるのだ。ことにわたしに出会った時とか、わたしの外出を見送る時などがそうなのである。もしわたしがそれを持ちこたえて、その視線に気のつかないような振りをしていたら、彼は依然として無言のまま次の拷問にかかる。たとえば、出しぬけにこれというわけもないのに、わたしが歩きまわるか本を読むかしている時など、静かにふわっとわたしの部屋へ入って来て、戸口のところに立ちどまり、片手を背中へ廻し、片足をちょっとうしろへ引いて、じっとわたしを見つめにかかる。その目つきは厳格というよりも、完全に軽蔑を表わしているのだ。わたしが不意に何用かとたずねると、彼はまるで返事もしないで、ひきつづきさらに何秒間か、穴のあくほどわたしの顔を見つめた後、なんだか特別へんなふうに唇を引きしめて、きわめて意味深長な顔つきで、くるりと廻れ右をすると、しずかに部屋を出て行くのである。それから二時間もたつと、またやって来て、わたしの前に姿を現わすのだ。よくわたしは腹立ちまぎれに、もう何用かなどとたずねないで、いきなり自分のほうから威のある表情できっと首を上げ、同じように穴のあくほど彼の顔を見つめてやる。こうして、わたしたちはものの二分間も、互いの顔を睨み合っているのだ。そのうちに彼は結局、えらそうに重々しく廻れ右をして出て行くと、二時間ばかり鳴りを潜めているというわけである。
 もしそれでもわたしが性根を直さないで、謀反をつづけていたら、彼はとつぜんわたしを見つめながら、溜め息をつきはじめる。まるでこの溜め息でもって、わたしの底知れぬ堕落の程度を量るように、長い深い溜め息をつくのである。むろん、とどのつまりは、完全に彼の勝利でおわってしまう。わたしは気ちがいのように、見当ちがいのことをわめき立てるけれども、結局、義務の履行を強制させられたものだ。
 しかし、この時は例の『厳格な視線』の機動演習が始まるか始まらないかに、わたしはさっそく前後を忘れてしまって、狂気のごとく彼に喰ってかかった。それでなくても、わたしの神経はあまりにいら立っていたのである。
「待て!」とわたしはかっとなって叫んだ。それは彼が片手を背中に廻したまま、無言に廻れ右をして、ゆっくりと自分の部屋へ帰って行こうとした瞬間である。「待て! 帰って来い、帰って来い、貴様にいうことがある!」きっとわたしが不自然なほど大きな声でわめいたからだろう、彼はまた向き直って、多少おどろいたような顔つきで、わたしをじろじろ見まわし始めた。でも、相変わらずひと言も口をきかない。これがわたしの癇癪を破裂さした。
「なんだって貴様は断わりもなしにひとの部屋へ入って来て、そんなにおれの顔をじろじろ見るんだ、返答しろ!」
 けれども、彼は三十秒ばかりわたしの顔を落ちつき払って見つめた後、またもや廻れ右をしようとした。
「待てというに!」と、わたしはその傍へ駆け寄りながらどなった。「動くんじゃないぞ! そうだ。さあ、今度は返事をしろ、なぜ貴様は入って来て見るんだ?」
「もし今なにかお言いつけになることでもありましたら、それをいたすのがわたくしの勤めでございますからな」やっぱりしばらく無言の後、彼はひょいと眉を上げ、落ちついて右から左の肩へ首を曲げながら、例のしゅっしゅっという調子で、しずかに、なだらかにこう答えた。――それがすべて、あきれ返るほど落ちつき払っているのだ。
「そんなことじゃない、今そんなことをたずねているんじゃない、この業つくばりめ!」わたしは憎悪に体を慄わせながらわめいた。「では、なんのために貴様がここへ来るのか、おれが自分で教えてやろう、業つくばりめ。貴様はおれが給金を渡さないと見て取りながら、気位が高くておれに頭を下げて頼むことができないものだから、そのために馬鹿げた目つきでおれをいやがらせて、困らせにやって来るんだ。そして、それがどんなに馬鹿げているかということを、夢にも考えてみようとしないんだ、この業つくばりめ、ばかげてる、ばかげてる、ばかげてる、ばかげてる、ばかげてる!」
 彼はまた無言のまま廻れ右をしかけたが、わたしはそれをひっつかまえた。
「いいか!」とわたしはどなった。ここに金がある。そら見ろ、これだ!(わたしは机の中から金を取り出した)「七ルーブリちゃんと耳を揃えて持っているんだ。しかし、貴様に渡しゃしない、わーたーしゃしないとも。貴様がちゃんと頭をさげて、作法どおりにおれに詫びをいわない限り、渡さないとも。わかったか!」
「そんなことはこんりんざいしませんよ!」なにか不自然なほど思いあがった調子で、彼はこう答えた。
「させなくってさ!」とわたしはどなった。「誓ってさせて見せる!」
「何もわたくしがあなたにお詫びをいうことなんかありませんよ」まるでわたしのどなり声などには気もつかぬ様子で、彼は言葉をつづけた。「だって、あなたはわたくしを『業つくばり』などと、悪口あっこうなすったじゃありませんか。これなんか、わたくしはいつだって警察へ行って、侮辱罪の訴えをすることができますからな!」
「行くがいい! 訴えるがいい!」とわたしは猛り立った。「すぐ行け、今すぐ、これからすぐ! なんといったって、貴様は業つくばりだ! 業つくばりだ! 業つくばりだとも!」
 けれども、彼はわたしをじろりと見ただけで、くるりと廻れ右をすると、もうわたしの返せ戻せという叫びに耳もかさず、あとを振り向きもしないで、ふわふわと自分の部屋へ引き上げて行った。
『リーザというものさえいなかったら、こんなことはいっさいなくてすんだろうに!』とわたしは腹のなかで、こう一人ぎめにした。それから、一分ばかりじっと立っていた後で、ものものしい勝ち誇ったような態度を持しながらも、烈しく胸をときめかしつつ、ゆるゆると仕切り板の陰にいる彼のところへ足を運んだ。
「アポロン!」とわたしは低い声で句切り句切りいったが、それでも息ぎれがしていた。「今すぐ一分の猶予もなしに、警察署長を呼びに行って来い!」
 彼はもう今の間に自分のテーブルにむかって腰をおろし、眼鏡をかけて何か縫い物に取りかかっていた。けれど、わたしの命令を聞くと、いきなりぷっと噴きだした。
「すぐ、今すぐ行って来い! 行かなければ、どんなことになるかしれやしないぞ」
「本当にあなたは正気じゃいらっしゃいませんよ」彼は顔を上げないで、依然として糸を針めどに通しながら、例のしゅっしゅっという声でゆっくりとこういった。「それに、自分で自分を訴えに警察へ出かけるなんて、どこの世界にそんな人がありましょう? もしおどかしなら、いくら力みなすっても駄目でございますよ。なんにもなりゃしませんからね」
「行け!」わたしは相手の肩をつかみながら、金切り声を上げた。わたしは今にも彼を撲りつけそうな気がした。
 しかし、わたしは夢にも気がつかなかったが、この瞬間、控え室の戸がとつぜん静かに開いて、だれかそっと入って来た。そして、そのまま立ちどまって、けげんそうにわたしたちを見まわしていたのである。わたしはちらと一目みると、恥ずかしさに夢中になって、自分の部屋へ駆け込んだ。そして、両手で髪の毛を引っつかみ、壁に頭を凭せながら、その姿勢のままで息を殺した。
 二分ばかり経つと、アポロンのゆっくりした足音が聞こえた。
「あすこにどこかの女が、あなたに会いたいといっておりますよ」特別いかつい目でわたしを見ながら、彼はこう取りついで、わきへ片より、リーザを通した。彼は立ち去ろうとしないで、嘲るようにわたしたちを見まわしていた。
「行け! 早く行け!」とわたしはへどもどしながら命令した。この瞬間、わたしの部屋の時計がいきむように、じいっと、いった後、七時を報じた。


はばかることなく悪びれず入っておいで
お前は立派な女あるじだ!
同じネクラーソフの長詩より

 わたしは度胆を抜かれて、まるで叩きのめされたような表情で、見ぐるしくへどもどしながら、彼女の前に立っていた。そして、ぼろぼろした綿入れの部屋着の前を一生懸命に掻きあわせながら、にたにた笑いをしていたらしい、――それはついこの間、意気銷沈していたとき、心ひそかに想像していたのと、寸分の相違もない図であった。アポロンは、わたしたちの傍に二分ばかり突っ立っていた後で、引っ込んでいったけれど、わたしはそれがために別段らくにはならなかった。何よりいけないことには、彼女までが急に恐ろしくへどもどしてしまった。それはわたしにも思いがけないくらいであった。むろん、わたしの顔をじっと見ながらのことである。
「坐りたまえ」とわたしは機械的にいって、彼女のためにテーブルのそばへ椅子を引き寄せ、自分でも長いすに腰をおろした。彼女は目をまん丸に見ひらいてわたしを見つめながら、すぐにおとなしく腰をかけた。明らかにすぐに、この場でわたしから何か期待しているふうであった。この無邪気な期待ぶりがわたしをかっとさせた。けれど、わたしは自制した。
 こういう時にこそ、何もかも当たり前のような顔をして、努めてなんにも気のつかないように振る舞うべきはずなのに、この女は……で、わたしは漠然とながらこう考えた、そんなことをすると、うんとひどい報いを受けなくちゃならないぞ。
「とんだところをきみに見られちゃったね、リーザ」こんなふうな切り出し方をしちゃいけないと承知しているくせに、わたしは吃り吃り切りだした。
「いや、いや、何か変なことを考えてくれちゃ困るよ!」相手がとつぜん顔をあからめたのを見て、わたしはこう叫んだ。「ぼくは自分の貧乏なことなんか、別に恥ずかしがっちゃいないんだから……それどころか、ぼくは自分の貧乏なのを、誇りくらいに考えてるんだ。ぼくは貧乏だけれども、高潔なんだよ……貧乏だって、高潔でいることはできるものだからな」と、わたしはへどもどしながらいった。「もっとも……お茶はほしくない?」
「いいえ……」と彼女はいいかけた。
「待ちたまえ!」
 わたしは跳りあがって、アポロンのところへ駆け出した。どこへでもいいから、一時逃げこまずにいられなかったのだ。
「アポロン」ずっと始終手の中に握りしめていた七ルーブリを、彼の前にほうり出しながら、わたしは熱病やみのような早口でこうささやいた。「これがお前の給金だ。いいかい、これをお前にやるよ。しかしその代わり、お前はおれを助けてくれなくちゃいけないぜ。今すぐ料理屋へ行って、お茶とビスケットを十枚取って来てくれ。もしいやだといったら、お前はおれを不仕合わせな人間にすることになるんだ! お前はあれがどんな女か知らないけれど……もうこれ以上いわん! お前は何か変なことを考えているのかもしれないが……しかし、それはあの女が何ものか知らないからだ……」
 アポロンはもうちゃんと仕事の前に腰をおろして、眼鏡まで掛けていたが、針を置こうともせず、まず無言のまま金をじろりと横目に見た。それから、わたしには一顧の注意も払おうとしないで、まるで返事さえせずに、めどに通しかけの糸をひきつづきひねくっていた。わたしは ※(グレーブアクセント付きA小文字) la Napol※(アキュートアクセント付きE小文字)on(ナポレオン式に)腕組みして彼の前に立ったまま、三分間ばかり待っていた。そのくせ自分もあおい顔をしていたのだ。こめかみは汗でじっとりとしていた。わたしはそれを感じた。しかし、ありがたいことに、彼はわたしを見ているうちに気の毒になって来たらしい。糸を通し終わると、おもむろに腰を持ちあげ、おもむろに椅子を押しのけ、おもむろに眼鏡をはずし、おもむろに金を数えたのち、さて肩越しに「ちゃんと一人前とってくるんですか?」とたずね、ゆっくりと部屋を出て行った。わたしはリーザのほうへひっ返しながら、ふとこんなことを考えた、いっそこのまま、部屋着姿のままで、足の向くほうへ逃げ出したらどうだろう。あとは野となれ山となれだ。
 わたしは腰をおろした。彼女は心配そうにわたしを眺めた。しばらくのあいだ、ふたりは押し黙っていた。
「あいつを叩き殺してくれる!」わたしは出しぬけにこうどなりながら、力まかせに拳固でテーブルを撲りつけた。その拍子にインキ壺からインキがぱっとはねかえった。
「まあ、あなたどうなすったの!」彼女はぎくっとして、こう叫んだ。
「あいつを叩き殺してやる、叩き殺してやる!」わたしはテーブルをとんとん撲りつけながら、黄いろい声でこうわめいた。すっかり前後を忘れてはいたものの、それと同時に、こんなに前後を忘れるのは実に馬鹿げているということを、はっきりわきまえていたのである。
「リーザ、あの業つくばりがおれにどんなことをするか、きみは知らないだろう。あいつはおれの厄病神なんだ……あいつは今ビスケットを買いに行ったのだが、あいつは……」
 こういった途端に、わたしはいきなりわっと泣き出した。それはヒステリイの発作だった。わたしはしゃくり泣きの合間合間に、恥ずかしくてたまらなかったが、もうそれを抑えることができなかった。
 彼女はびっくりしてしまった。
「あなたどうなすったの! あなたどうなすったの!」わたしのまわりをうろうろしながら、彼女はこんなことを叫ぶのであった。
「水を、水を飲ましてくれ、ほら、あすこにある!」とわたしは弱々しい声でつぶやいた。もっとも、水など飲まなくても平気だし、弱々しい声でつぶやかなくてもすむということを、腹の中では意識していたのである。しかし、わたしは体裁をつくろうために、いわゆる芝居をしたのである。もっとも、発作は本物だったけれど。
 彼女はとほうにくれたようにわたしの顔を見ながら、水をさし出した。このとき、アポロンが茶を持ってきた。わたしは不意にこのありふれた平凡な茶が、ああいうことがあった後では、おそろしく不体裁なみじめなもののように思われ、ぱっと赤くなった。リーザはぎょっとした顔つきさえしながら、アポロンを見やった。彼はわたしたちを見むきもしないで、さっさと出て行った。
「リーザ、きみはぼくを軽蔑しているね?」相手が何を考えているか知ろうとして、焦躁に全身を慄わせ、穴のあくほど彼女の顔を見つめながら、わたしはこういったものである。
 彼女はどぎまぎして、返事ひとつする勇気さえなかった。
「お茶でも飲みたまえ!」とわたしは毒々しい調子でいった。わたしは自分で自分に癇癪を起こしていたのだが、その当たるさきはむろん彼女に決まっている。彼女に対する恐ろしい憎悪の念が、とつぜんわたしの心中に煮えたぎった。もういきなり殺してしまいかねないほどであった。その仕返しに、わたしはずっとしまいまでひと口もものをいってやるまいと、腹の中で誓ったものである。
『何もかもこの女のせいなんだ』とわたしは考えた。
 わたしたちの沈黙はもう五分ばかりもつづいた。茶はテーブルの上に置きっぱなしになっていた。わたしたちはそれに手を触れようとしなかった。しまいには、わたしはわざと飲まないことにして、それで彼女をいっそういづらくしてやろう、と考えるまでにいたった。彼女のほうからさきに手をつけるのは、具合が悪いに決まっている。彼女は幾度かもの悲しげな、けげんそうな目つきでわたしを眺めた。わたしは頑固におしだまっていた。おもに苦しみを嘗めたのは、むろんわたしだった。なぜなら、自分の意地わるな馬鹿馬鹿しさを、完全に意識していたからである。しかし、そのくせ、どうしても自分を抑えつけることができなかった。
「わたしはあそこから……すっかり……出てしまいたいんですの」なんとかして沈黙を打ち切ろうと思って、彼女はこういいかけた。けれど、憐れな女よ! ほかのことならともかく、この話を、しかもこういう馬鹿げた瞬間に、それでなくともわたしのような愚かな人間に、いい出すのが間違っていたのだ。わたしでさえ彼女の気の利かなさと、要もない真っ正直さがかわいそうになり、胸が痛いような気がしたくらいである。何かしら醜悪なあるものが、すぐさま憐憫の情を圧し潰してしまった。それどころか、よけいにわたしをけしかけて、何もかもどうともなってしまえ! という気にさせたのである。またさらに五分間たった。
「お邪魔じゃなかったでしょうか?」彼女は聞こえるか聞こえないかに、おずおずとこう口を切りながら、腰を持ちあげにかかった。
 けれども、自尊心を傷つけられた憤りが、初めて彼女の心に燃えあがったのを見ると、わたしは憎悪の念に、いきなりぶるぶる慄え出して、さっそく水が堰を切ったようにまくし立てた。
「いったいきみはなんのためにぼくのとこへ来たんだい? どうかお願いだから、聞かせてもらおうじゃないか」自分の言葉の、論理的な順序さえ考え合わそうとしないで、わたしは息を切らしながら言い出した。わたしは何もかも一気にいってしまいたかったので、何から切り出したらいいかということさえ、気にかけなかった。
「きみはなんのためにやって来たんだ? 返事したまえ! 返事したまえ!」ほとんどわれを忘れて、わたしはこう叫んだ。「ね、なんのためにやって来たのか、おれのほうからいってあげよう。きみがやって来たのは、あのときぼくが哀れっぽい言葉をしゃべったからだ。ね、それできみは感傷的な気持ちになって、また『哀れっぽい言葉』が聞きたくなったのさ。それなら、いって上げよう。いいかい、ぼくはあの時きみをからかってやったんだよ。今だってからかってるんだ。何をわなわな慄えているんだね? そうだ、からかってやったのさ! ちょうどあのまえの食事のときに、ぼくは人に侮辱されたんだ。ほら、あのときぼくより前にやって来た連中さ、ぼくはそのなかの一人を、――ある将校をぶん撲ってやろうと思って、あの家へ乗り込んだが、取り逃がして、やり損ったものだから、だれかにそのむしゃくしゃ腹を持って行って、うっぷんを晴らさなくちゃいられなかった。そこへ運わるく、きみがひっかかったわけだ。で、ぼくはきみをからかって、胸をせいせいさせたのさ。ぼくはばかにされたから、自分でもだれかをばかにしてやりたかった。さんざん顔に泥を塗られたから、こっちもえらいところを見せてやりたくなったのだ……こういう次第だったのに、きみはもうぼくがあの時わざわざきみを救いに行ったのだ、なんて考えたんだろう、え? きみそう思ったんだろう? そう思ったんだろう?」
 わたしは、ことによったら彼女が面くらって、こまかいところまで呑み込めないかもしれぬと察していたが、また同時に、ことの真相は立派に理解するに相違ない、とも信じていた。はたしてそのとおりであった。彼女は麻ぬののように真っ青になって、何かいいたそうにしたけれど、唇が病的にひっ吊ったばかりである。彼女はまるで斧で足を払われたように、へたへたと椅子に腰をおろした。それからずっとしまいまで、口をぽかんと開けて、目を見ひらき、たとえがたない恐怖に身をふるわせながら、わたしのいうことを聞いていた。無恥な露骨さ、わたしの言葉の無恥な露骨さが、彼女を圧倒してしまったのである……
「救うんだって!」わたしは椅子から跳りあがり、彼女の前で部屋の中をあちこち走りながら、こう言葉をつづけた。「いったいなにから救うんだ! それに、こういうぼくだって、きみにも劣るくらいかもしれないんだよ。なんだってきみはあのとき、ぼくがきみにお説教をしていた時、いきなりぼくに面とむかって、『お前さんはまた何しに家へやって来たの? お談義でも聞かせにかい?』ときめつけてくれなかったのだ? 権力だ、あのときぼくには権力が入り用だったんだ、芝居が必要だったんだ、きみの涙、きみの屈辱、きみのヒステリイを絞り取りたかったのだ、――あのときぼくに入り用だったのはこれなのさ! 実は、ぼくはあのとき自分からして持ち切れなかったのだ。ぼくは意気地なしだもんだから、すぐにぎょっとしてしまったのだ。そして、なんのためかつくづく合点がゆかないけれど、うっかりきみに所書きなんか渡してしまった。でね、その後でまた家まで帰りつかないうちに、その所書きをやったばかりに、ありったけの悪口雑言を並べて、きみを罵倒したものさ。ぼくはもうきみを憎んでいた。それはあの時きみに嘘をついたからだよ。だって、ぼくはちょっと言葉を弄んで、頭の中で空想してみたかっただけで、本当はどういうことを望んでいたか、それがきみにわかるかね? ほかでもない、きみなんか消えてなくなれということだ! ぼくには落ちつきというものが必要なんだ! ぼくは人から迷惑をかけられないためには、今すぐ世界じゅうを一コペイカに売り飛ばしたって平気だ。世界が破滅するのと、このぼくが茶を飲めないのと、どっちが一大事かと思う? その答、――世界は破滅しても、ぼくはいつでも茶を飲まなくちゃいけないんだ。きみはそれを知っていたかね、どうだね? まあ、こういうわけで、ぼくは自分が穢らわしい卑怯者で、利己主義のなまけ者だってことを、自分で承知しているのだ。現にこの二、三日というもの、きみがやって来はしないかと、おっかなくってふるえていた始末だ。この二、三日、ぼくがなにを心配していたか、きみわかるかね? ほかでもない、あの時はきみの前で天晴れ英雄だったのに、思いがけなくこの破れた部屋着をきた、乞食のようないまわしい姿を、きみに見られるということなんだ。ぼくはさっき、貧乏を恥じないといったろう。ところが、教えてあげよう、恥じているんだ。何より一番に恥ずかしいんだ。何より一番に恐ろしいんだ。それは、盗みをしたより、もっといけない。なぜって、ぼくは虚栄心が強いものだから、まるで身の皮を剥ぎ取られたように、空気が触れただけでも痛いからだ。きみはいったい察しがつかなかったのかい? ぼくが意地の悪い犬のように、アポロンに、喰ってかかっていた時、きみにこの部屋着姿を見られたので、一生それを恨みに思う人間なんだよ。ついこのあいだ英雄であり、救い主であった男が、疥癬やみで毛むくじゃらの犬ころみたいに、自分の下男に喰ってかかっていると、相手のほうは主人を冷やかしてるんだからな! それから、さっきぼくがまるで恥をかかされた女みたいに、きみの前でこらえじょうなくこぼした涙のことだって、永久にきみを恨みに思うよ! また今きみに白状しているということだって、やはり永久にきみを恨みに思うだろうよ! そうだ、きみは一人でこういういっさいのことに責任をもたなくちゃならない。なぜって、きみがそこへ運わるく来合わせたからだ。なぜって、ぼくが陋劣だからだ。なぜって、この地上に棲む下等な虫けらの中でも、いちばん穢らわしい、一ばん滑稽な、一ばんけち臭い、一ばん馬鹿な、一ばん嫉妬ぶかい虫けらだからだ。ほかのやつらだって、けっしてぼくよりよかあないけれど、しかしどういうわけか知らないが、ほかのやつらはけっしてはにかまないんだ。ところが、ぼくは一生涯、くだらない有象無象に小づき廻されている。それがぼくの特性なんだ! きみがそれをわかってくれなくたって、ぼくにはなんのかけかまいもない問題だよ! それに、きみなんかぼくにいったいどんな関係がある? え、きみがあの社会で破滅しようとしまいと、そんなことがぼくにどんな関係があるんだい? それに、きみはわかるかい、――ぼくがこれをすっかり白状した時に、きみがここにいて聞いてしまったものだから、そのためにぼくはきみをどんなに憎むかしれないぜ。だって、人間がこんなふうに洗い浚いしゃべるのは、一生に一度しかないことだよ。おまけにヒステリイの状態でさ!……この上きみになんの用がある! これだけいったのに、なんだってまたぼくの前に突っ立ったまま、帰ろうともしないで、ひとを苦しめるんだい?」
 けれど、そのとき不意に奇妙なことが起こった。
 わたしはなんでもすべて書物式にものを考えたり、空想したりする習慣がついてしまって、自分が以前空想の中で創作したようなふうに、現実のことを想像する癖があったので、その時もこの奇妙な状況をすぐに悟ることができなかったくらいである。それはほかでもない、わたしのために圧倒的な侮辱を受けたリーザは、わたしが想像したよりも、ずっと多くのことを理解したのである。彼女はいま見聞きしたいっさいのことから、真心から愛する女がいつも真っさきに悟ることを悟ったのだ。つまり、わたし自身が不仕合わせな人間だということである。
 彼女の顔に現われた恐怖と侮辱感は、まず悲痛な驚きに代わった。わたしが自分を穢らわしい卑劣漢などと罵って、さめざめと涙を流しはじめたとき(わたしはこの長ぜりふの初めから終わりまで、泣き泣きしゃべったのである)、彼女の顔ぜんたいが痙攣にひん曲がった。彼女は立ちあがって、わたしを押しとめようとしたのである。やがてわたしが話し終わったとき、彼女が気に止めたのは、「なぜお前はここにいるのだ、なぜ帰らないのだ!」というわたしの叫びではなく、わたし自身これを口に出すのが、さぞかし苦しいに相違ないということだった。それに、彼女はかわいそうなほどいじめつけられた女で、わたしより無限に劣った人間だと、自分から思い込んでいたのだから、侮辱を感じたり腹を立てたりするわけがない。彼女はなにか抑えきれない衝動に駆られたように、とつぜん椅子から跳りあがった。わたしのほうへ飛びつきたそうな気持ちを、全身にあらわしつつも、やはりまだおずおずして、その場を動くのをためらいながら、わたしのほうへ両手をさし伸べた……と、わたしも胸の中がひっくりかえったような気がした。そのとき彼女はやにわにわたしに飛びかかって、両手でわたしの頸を抱きしめながら、泣き入ったのである。わたしもやはり我慢しきれないで、かつて覚えぬほど烈しく慟哭した。
「ぼくは善良な人間に……なれないのだ……人がならしてくれないのだ!」わたしはやっとのことでこういうと、長いすのところまで辿りつき、その上へ俯伏しにぶっ倒れたまま、十五分ばかり本物のヒステリイを起こして、慟哭をつづけたのである。彼女はひしとわたしに寄り添って、わたしの体を抱きかかえたまま、その抱擁の中で麻痺したかのように思われた。
 しかし、それにしても困ったことには、ヒステリイもやがては収まる時が来なければならなかった。で(わたしはあえてこのいまわしい真実を書く)、長いすの上に俯伏して、やくざな革のクッションにぐっと顔を突っ込んでいたわたしは、今さら頭を上げて、リーザの顔をまともに見るのがきまり悪いということを、われともなしに少しずつ遠廻りしながら、とはいえ抑え難い力をもって、感じ始めたのである。何が恥ずかしかったのか? それは知らないけれども、わたしは恥ずかしかった。またこういう考えも、わたしの混乱しきった頭にうかんで来た、――思えば、いまわたしたちの役割は根本的に変わってしまって、今度は彼女のほうが英雄で、わたしはちょうど四日前のあの夜のリーザと同じように、みじめな圧倒されつくした人間にすぎなくなったのだ……こういう考えが、長いすの上で俯伏しになっているあいだに、わたしの頭へ浮かんで来たのである!
 ああ! なんということだ! はたしてわたしはあのとき彼女を羨ましく思ったろうか?
 わからない、いまだにやはり解決がつかない。ましてその時はもちろん、今よりもっとわかるはずがなかったのである。だれにもあれ、他人に対する権力と暴虐行為なしには、わたしは一日も生きてゆけない人間なのだ……けれど……けれども、理屈では何ひとつ説明できるものでないから、したがって、理屈など捏ねてみたって始まらない。
 とはいえ、わたしは自分を制して、頭を上げた。実際、いつかは上げずにはすまないのだ……すると、わたしは今でもそう信じているが、つまり、彼女の顔を見るのが恥ずかしかったそのためだろうが、そのときわたしの心に、突然べつな感情に火がついて、ぱっと燃えあがった……それは支配欲と領有欲である。わたしの目は情欲にぎらぎらと輝いた。わたしはぎゅっと彼女の手を握りしめた。その瞬間、わたしはどんなに彼女を憎み、どんなに彼女に心ひかれたことだろう! この二つの感情は互いに油をそそぎ合うのであった。それはほとんど復讐に似かよっていた!……彼女の顔には初めけげんそうな、というより、恐怖の色さえ浮かんだが、それはほんの一瞬の間だった。彼女はうちょうてんになって、情熱こめてわたしを抱きしめたのである……

10


 十五分ばかり経ってから、わたしはいら立たしい焦躁の念に駆り立てられながら、部屋の中をあちこち走り廻っていた。そして、のべつ衝立の傍へ寄っては、隙間からリーザを覗いて見るのであった。彼女は寝台に頭をもたせて、ゆかの上にぺったり坐っていた。きっと泣いていたに相違ない。しかし、それでも帰って行こうとしない。それがわたしをじりじりさせたのである。今度こそ彼女は何もかもすっかりわかったのだ。わたしは徹底的に彼女を侮辱したのである。けれども……今さらくだくだしく話したってしようがない。彼女は、わたしの情欲の発作が復讐にほかならぬことを、彼女にとって新しい屈辱にほかならぬことを、悟ったのである。さきほどまでわたしのいだいていたほとんど対象のない憎悪に、今度は彼女に対する個人的な羨望にみちた憎悪が加わった。それを彼女は悟ったのである……もっとも、彼女がこういうことをすっかり明瞭に悟ったと、断言するわけではない。が、その代わりわたしが穢らわしい人間で、第一、彼女を愛する力がないということを、完全に了解したのであった。
 諸君はそれに対して、そんなことはあり得ない、お前のように意地悪で馬鹿な人間があるなんて、信じ得られない話だといわれるだろう。それはわたしも覚悟している。それどころか、彼女を愛さないということは、少なくとも、その愛情を尊重しないということは、信じられない話だ、とこうつけ添えられるかもしれない。が、どうして信じられないのだろう? 第一に、わたしはもう愛することさえ、できなくなった人間なのだ。なぜなら、くり返して申し上げるが、わたしにとって愛するということは、暴君のごとく振舞って、精神的に優越権を握ることだからである。わたしは生涯これよりほかの愛を、想像することもできなかった。そして、今では、愛とはすなわち、相手に対して暴君のごとく振舞う権利、しかも相手からよろこんで捧げられた権利であると、こんなふうにときどき考えるまでにいたったのである。わたしは自分の地下生活者的空想の中でも、愛というものを争闘とよりほか想像したことがなかった。で、いつも愛を憎悪からはじめて、精神的な征服でおわるのであった。しかもそのあとで、自分の征服した対象をどう始末したらいいか、見当もつかないようなことになるのだ。それに、わたしはすっかり自分を精神的に腐敗させ、完全に『生きた生活』から遠ざかってしまったために、ついさきほども彼女にむかって、お前は『哀れっぽい言葉』を聞こうと思って、おれのところへやって来たのだなどと責めつけて、恥をかかしたくらいなのだから、なにもこの場合、信じ得られないことなどあるはずがないではないか。あれはわたしのほうで察しがつかなかったのだ。彼女が訪ねて来たのは、けっして哀れっぽい言葉など聞きたいためではなく、わたしを愛するためだったのだ。なぜならば、女にとっては愛の中にこそいっさいの復活が含まれているからである。あらゆる破滅からの救いと更生とが秘められているからである。これよりほかに復活の現われはないではないか。もっとも、わたしは部屋の中を走り廻って衝立の隙間ごしに覗いてみたとき、あまり彼女を憎んではいなかった。ただ彼女のここにいるということが、たまらなかっただけである。わたしは彼女が姿を消してくれるのを望んでいた。わたしは『平安』を願ったのだ、一人で地下の世界に残ることを望んだのだ。『生きた生活』は、長く遠ざかっていたために、息をするのも苦しいほどわたしを圧迫したのである。
 しかし、幾分か過ぎた。彼女はまるで気でも遠くなったように、やはり身を起こそうとしなかった。わたしは厚かましくも、彼女の注意を促すために、そっと衝立をノックした……彼女は急にびくっとして、いきなり躍りあがると、まるでわたしを遁れてどこかへ逃げだそうとでもするように、肩掛けや帽子や外套をさがしに飛んで行った……二分ばかり経ってから、彼女は静かに衝立の陰から出て、重苦しい目つきでわたしを眺めた。わたしは毒々しくにたりと笑ったが、それは無理にとってつけたようで、お体裁にすぎなかった。わたしは彼女の視線を避けて、顔をそむけた。
「さよなら」彼女は戸口へ足を向けながら、そういった。
 わたしはとつぜん彼女のそばへ駆け寄って、その手を取り、掌を開かせてその中へ押しこみ……そしてまた指を握らせた。それからすぐに顔をそむけて、反対の隅へ飛びのいた。少なくとも、自分の目で見ないためなので……
 わたしは今すぐ、この場で、自分がこんなことをしたのは、われを忘れて、なにげなく、あわててへまな真似をしたのだと書いて、嘘をつきたいくらいに思うのだ。が、しかし嘘をつくのはいやだから、まっ正直にいってしまうが、わたしが彼女の指を開いて、金なんか握らせたのは……意地の悪い皮肉なのである。これはわたしが部屋の中を走り廻って、衝立の陰を窺っている間に、ふと思い浮かべたことなのだ。しかし、これだけは間違いなくいうことができる――わたしはこんな残酷な真似をわざわざやるにはやったけれど、本心からではなく、低劣な頭脳から出たことなのだ。それはまったく付け焼刃の、わざと頭の中でこしらえ上げた、書物式なものだったので、わたし自身が一分と持ちこたえることができなかったくらいである、――初め自分の目で見たくないので、片隅に飛びのいたけれど、やがて羞恥と絶望の念をいだきながら、リーザの後から駆けだした。わたしは玄関へ出る戸を開けて、じっと耳を澄まし始めた。
「リーザ! リーザ!」とわたしは階段へ向かって叫んだ。が、それは思い切りの悪い小さな声であった……
 返事はなかった。下のほうの段で、彼女の足音が聞こえるような気がした。
「リーザ!」とわたしはも少し大きな声で叫んだ。
 返事はない。けれど、その瞬間、表へ出る固いガラス戸がぎいと重々しく軋んで、それから窮屈そうにがたんと鳴る音が、下のほうから聞こえて来た。鈍い反響が、階段づたいに昇って来た。
 彼女は去った。わたしはもの思いに沈みながら、部屋へ帰った。たまらなく重苦しい気持ちであった。
 わたしは彼女の坐っていた椅子に近いテーブルのそばに立ちどまり、無意味に目の前を見つめていた。一分ばかり経ったとき、わたしは不意に愕然と身を慄わせた。まん前のテーブルの上に、わたしはある物を見つけた……ひと口にいえば、揉みくたになった青い五ルーブリさつを見つけたのだ。ついさっき彼女の手に握らせたのと同じものである。これはあの紙幣に相違ない。ほかに札があるはずがない。第一、ほかにはそんなものが家の中になかったのだ。してみると、彼女はわたしが隅っこへ飛びのいた間に、素早く掌からテーブルの上へほうり出したのだ。
 どうしたことだ? 彼女がこうするということは、わたしも期待してよかったのではないか。本当に期待することができたろうか? いや、わたしは徹底的なエゴイストで、実地に人間を尊敬することがまるでなかったので、彼女がこうするかもしれないということを、想像することさえできなかったのである。これだけはわたしも我慢しきれなかった。ちょっと一とき考えた後、わたしはまるで気ちがいのように、あわてふためいてありあわせのものを肩にひっかけ、一目散に彼女の後を追って駆け出した。わたしが表へ駆け出したとき、彼女はまだ二百歩と離れてはいなかった。
 あたりは静かだった。雪は霏々としてほとんど垂直に降りながら、歩道にも、車道にも、柔かいクッションを敷きつめていた。往来の人はひとりもなく、もの音ひとつ聞こえなかった。街燈はさも侘しげに空しくまたたいていた。わたしは二百歩ばかり走って、四つ角のところまで駆けつけたとき、歩みを止めた。いったいどっちへ行ったのだろう? そして、なんのためにわたしは彼女を追っているのだろう?
 なんのためだろう? 彼女のまえに倒れ、慚愧の涙を流してしゃくり上げながら、彼女の足を接吻して、ゆるしを乞うためか! わたしはまったくそうするつもりだったのである。わたしの胸は張り裂けそうであった。いつまで経っても、わたしは永久にこの時のことを、平気な心持ちで、追憶することはできないだろう。しかし、――なんのために? という疑問が、わたしの心に起こった。わたしはきょう彼女の足を接吻したがために、さっそくあすにも彼女を憎むようなことが、はたしてないといえようか? いったいわたしは彼女に幸福を与えることができるだろうか? いったいわたしは以前百ぺんも経験したように、きょうもまた自分の真価を認識したのではなかったろうか? いったいわたしは彼女を苦しめないつもりだろうか?
 わたしは雪の中に立って、どんよりした靄のなかを見すかしながら、こんなことを考えた。
『いっそこのほうがよくはなかろうか? さきざきもこのほうがよくはないだろうか?』その後で、もう家へ帰ってから、わたしはこんな妄想をつづけていた。妄想で生々しい心の痛みを消しながら。『もし彼女が永久に侮辱をいだきながら去って行ったら、いっそそのほうがよくはないだろうか? 侮辱というやつ、――これは実際、一種の浄化作用なんだからな。これは何より辛辣、痛烈な意識なんだからな! おれは明日にもさっそくあの女の魂を穢して、あの女の心を疲憊させるかもしれないんだ。ところが、こうすれば、侮辱はけっしてあの女の心の中で消えることがない。そして、どんなにいまわしい穢れがあの女を待ち設けているにもせよ、この侮辱は……憎悪の力であの女を高め、浄化するだろう……ふむ……ことによったら、赦罪の力によって、といったほうがいいかもしれない……だが、しかし、そのためにあの女がらくになるとでもいうのか?』
 まったく真面目な話、今度はもうわたしが諸君に一つの質問を提出するが、安価な幸福と高められた苦悩と、いったいどちらがいいだろう? さあ、答えてみたまえ、どちらがいいか?
 その晩、心の痛みにほとんど生きたここちもなく、自分の住居にひきこもったまま、わたしはこんなことを空想したのである。この時くらい無量の苦痛と悔恨とに悩まされたことは、いまだかつてなかったほどである。けれど、わたしが自分の家から駆け出したとき、途中からおめおめ引っ返さないということについては、はたしてなんの疑いもなかったろうか? それ以来、わたしはついに一度もリーザに逢わないし、彼女の噂さえも聞かない。もう一ついい足しておくが、わたしはその当時、気やみのためにほとんど病気しないばかりの有様だったが、にもかかわらず、侮辱と憎悪の利益に関する自分の警句に、長いあいだ得意を感じていたものである。
 それから幾年も経った今でさえ、このいっさいの顛末を思い起こすと、なんともいえないほどいやな気持ちになる。今でも思い出していやなことはいろいろあるが、しかし……もうそろそろこの『手記』を閉じたほうがよくなかろうか? ことによったら、こんなものを書きはじめたのが、そもそも間違いだったのかもしれない。少なくとも、わたしはこの物語を書いている間じゅう、ずっと恥ずかしい気がしていた。して見ると、これはもはや文学ではなく、懲治の手段である。まあ、早い話が、わたしは片隅で精神的に腐蝕しながら、金がないのと、生きたものから絶縁してしまったのと、地下の世界で一生懸命に毒念を貯えていたのとで、自分で自分の生活を消耗した、などというような長たらしい話は、――まったくのところ、くそ面白くもないに決まっている。小説には主人公というものがいる。ところが、この中にはわざと計画したように、主人公らしいものとはまるで正反対の性質ばかり、一々丹念に寄せ集めてあるではないか。それに第一、こんなことは不快な印象を読者に与える。それというのも、われわれがみんな実生活から絶縁して、生活というものを忘れてしまったからだ。みんな大なり小なり、精神的に跛行しているからだ。あまり絶縁してしまったものだから、どうかすると『生きた生活』に対して一種の嫌悪を感じるほどである。そのために、生きた生活のことを思い出させられるのが、我慢できないのである。実際、われわれはやまい膏肓に入って、ほんとうの『生きた生活』をほとんど労働かお勤めのように感じ、いっそ書物式のほうがいいなどと、みんな内心かんがえるほどになったのである。いったいわれわれは何を時々へんに蠢動するのだろう、なんだって気まぐれを起こすのだろう、何が望みなのだろう? 自分でもなんだかわからないのだ。もしわれわれの気まぐれな望みをかなえてもらったら、かえって困るくらいなのだ。まあ、ものはためし、まあ、たとえば、われわれにも少し独立性を与えて、われわれの手から繩を解き、活動の範囲を拡めて、監督をゆるめて見たまえ。そうすれば、われわれは……うけ合っておくが、われわれはすぐもとのとおり監督してもらいたい、と頼むに決まっているのだ。おそらく、諸君はわたしのこの言い草に腹を立てて、地だんだを踏みながら、どなりつけることだろう。曰く、『きみは自分ひとりだけのことをいいたまえ。自分の地下生活のみじめな話だけしておけばいいので、われわれ一同なんて僣越なことはよしてもらおう』だが、失礼ながら、諸君、わたしはなにもこの一同よばわりを、いいわけの道具に使おうなどと思っているのではない。わたしひとりだけのことをいわしていただけば、わたしはただ生まれてこの方ずっと始終、諸君が半分までも徹底させる勇気のなかったことを、極端にまで徹底させただけなのである。諸君は自分の臆病を分別のよさにして、自分で自分をごまかしながら、それを気休めにしていたのだ。だから、わたしのほうがまだしも諸君に比べれば、もっと「生き生きしている」ことになるだろう。まあ、も少し目を開けてよく見たまえ! 実際、今どこに本当の生きたものが生活しているか、その生きたものはいったいなにもので、なんと呼ばれているか、それさえわれわれは知らないのではないか! かりにわれわれから書物を取り上げてみるがいい、われわれはすぐにまごついて、とほうにくれてしまうに違いない、――早い話が、どこへ合体したらいいか、何を準拠にしたらいいか、何を愛し何を憎んだものか、何を尊敬し何を軽蔑したものか、いっさいおさきまっくらになってしまうだろう。それどころか、われわれは人間であることさえ、――本当に自分自身の肉体と血とをもった人間であることさえ荷厄介にして、それを恥に思い、恥辱と考えながら、なにかしら今までなかった一般人になろうと、一心に隙を狙っているのだ。われわれは死産児で、しかもずっと前から、生きた父親から生まれたのではないのだ。しかも、それがだんだんよけいに御意に召してくるのだ。好みに合ってくるわけである。やがて遠からず、なんとかして、観念から生まれることを考え出すだろう。が、もうたくさんだ、――わたしはもう『地下の世界』から書き送るのがいやになった……
        ―――――――――――
 とはいうものの、この逆説家の『手記』はこれだけで終わったのではない。彼は我慢しきれないで、またさきを書きつづけたのである。しかし、やはりもうこのへんでとめてもよかろうと思う。





底本:「ドストエーフスキイ全集 5」河出書房新社
   1970(昭和45)年1月20日初版発行
   1979(昭和54)年4月20日13版発行
※「トルドリューボフ」と「トリドリューボフ」の混在は、底本通りです。
入力:阿部哲也
校正:荒木恵一
2018年10月24日作成
2021年5月18日修正
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