木曾道中記

饗庭篁村




第一囘


鐵道の進歩は非常の速力を以て鐵軌レール延長のばし道路の修繕は縣官の功名心の爲に山を削り谷をうづむ今ま三四年せば卷烟草一本吸ひ盡さぬ間に蝦夷ゑぞ長崎へも到りヱヘンといふ響きのうちに奈良大和へも遊ぶべしいはんや手近の温泉塲などとひをかけて東京へ引くは今のなるべし昔の人が須磨明石の月もおふごにかけてふり賣にやせんと冷評せしは實地となること日を待たじ故に地方漫遊のまた名所古跡一覽のと云ふ人は少し出立でたちを我慢して居ながら伊勢の大神宮へ賽錢あぐる便利を待つたがよささうなものといふ人もあれど篁村くわうそん一種のへきありて「容易に得る樂みは其の分量薄し」といふヘチ理屈を付け旅も少しは草臥くたびれて辛い事の有るのが興多しあまり徃來の便を極めぬうち日本中を漫遊し都府を懸隔かけへだちたる地の風俗をぜにならぬうちに見聞けんもん山河やまかはも形を改ため勝手の違はぬうち觀て置きて歴史など讀む參考ともしまた古時いにしへ旅行のたやすからざりし有樣の一斑をも窺ひ交通の不便はいかほどなりしかを知らんと願ふこと多時なりしが暇。金。つれみつ折合ずそれがため志しばかりでのみ長旅はせず繪圖の上へよだれを垂して日を送りしが今度其の三ツ備はりたればいでや時を失ふべからず先づ木曾名所を探り西京さいきやう大坂をめぐ有馬ありまの温泉より神戸へ出て須磨明石を眺め紀州へりて高野山へのぼり和歌の浦にて一首詠み熊野本宮の湯にりてもとの小栗と本復しと拍子にかゝれば機關からくり云立いひたてめけど少しは古物類ものぞく爲に奈良へ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りて古寺古社にまう名張越なばりごえをして伊勢地にり大廟にぬかづき二見ヶ浦で日の出を拜み此所このところお目とまれば鐵道にて東海道を歸るの豫算なるたけ歩いてといふ注文三十日の日づもりで行くか歸るか分からねど太華山人たいくわさんじん幸田露伴かうだろはん[#ルビの「かうだろはん」は底本では「かうだろばん」]梅花道人ばいくわだうじんの三人が揃つて行かうといふを幸ひ四人男出立いでたちを定め維時これとき明治廿三年四月の廿六日に本願の幾分を果すはじめの日と先づ木曾街道を西京さして上る間の記を平つたく木曾道中記とはなづけぬこれは此行四人とも別々に紀行を書き幸田露伴子は獨得の健筆を大阪朝日新聞社へいだして「乘興記じようきようき」と名づけ梅花道人は「をかしき」といふを讀賣新聞へ掲げ太華山人は「四月の櫻」と題して沿道の風土人情をこまかに觀察して東京公論へ載するにつきまぎれぬ爲にしたるなり此の旅行の相談まとまるやあたかも娘の子が芝居見物の前の晩の如く何事も手につかず假初かりそめにも三十日のことなればやりかけたる博覽會の評も歸つてからまた見直すとした處で四五日分は書き溜てザツト片を付けねばならず彼是かれこれの取まぎれに何處どこへも暇乞いとまごひには出ず廿五日出社の戻りに須藤南翠すどうなんすゐ氏に出會ぬさて羨やましき事よ我も來年は京阪漫遊と思ひ立ぬせめても心床こゝろゆかしにおんみの行を送らんことに木曾とありては玉味噌と蕎麥そばのみならん京味を忘れぬ爲め通り三丁目の嶋村にて汲まんと和田鷹城子わだおうじやうしと共に勸められ南翠氏が濱路はまぢもどきに馬琴ばきんそつくりの送りのことばに久しく飮まぬゑひを盡し歸りがけに幸堂かうだう氏にまた止められ泥の如くなりて家に戻り明日あすは朝の五時に總勢こゝに會合すれば其の用意せよと云ふだけが確にて夢は早くも名所繪圖のうちをどり入ぬ

第二囘


博覽會開設につき地方の人士雲の如くに東京に簇集あつまりきたるこれに就て或人説をなして米價騰貴の原因として其の日々にち/\費す所の石數こくすうを擧げたるがよしそれまでにあらずとも地方は輕く東京は重き不平均は生じたるならん我々四人反對に東京より地方へ出て釣合をよくせんと四月廿六日の朝上野の山を横ぎりて六時發横川行の※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車に乘らんと急ぎしに冗口むだぐちといふ魔がさして停車塲ステーシヨンへ着く此時おそく彼時かのときはや※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)笛一聲上野の森にけぶりを殘して※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車はつれなくいでにけりこゝが風流だ此の失策が妙だとみづから慰むるは朝寐せし一人にて風流ごかしになだめられ※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車に乘おくれるが何が風流ぞと怒つたところで可笑をかしくもなければ我も苦笑ひして此方こなたを見れば雜踏こみあひの中を飄然として行く後ろつき菊五郎おとはやに似たる通仕立つうじたておきなあり誰ぞと見れば幸堂得知かうだうとくち氏なりさては我々の行を送らんとしてこゝに來て逢はぬに本意ほいなく歸るならん送る人を却つて我々が送るも新しからずやとことばはかけずうしろについて幸堂氏の家まで到りこゝに新たに送別會を開きぬ我三人によろづの失策皆な酒より生ず旅中はことにつゝしむべしと一句を示す
一徳利ひとゝくりあとはかはづの聲に寐よ
また新らしく瀧澤鎭彦たきざはうづひこ幸堂得知の兩氏に送られ九時の※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車に乘り横川までは何事もなく午後一時三十分に着せしが是からが英雄くらべ此碓氷嶺このうすひたふげが歩く邪魔にならば小脇に抱へて何處どこぞ空地へ置てやらうと下駄揃にて歩みいだせしが始めのうちこそ小石を蹴散し洒落しやれ散したれ坂下驛さかもとえきを過るころより我輩はしばらくおい同行どうぎやう三人の鼻の穴次第に擴がりく息角立かどたち洒落も追々おひ/\苦しくなりうどの位來たらうとの弱音よわね梅花道人序開きをなしぬ横川に※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車をりてすぐに碓氷の馬車鐵道に乘れば一人前四十錢にて五時頃までには輕井澤へ着きまた直ちに信越の鐵道に乘れば追分より先の宿しゆく小田井をだゐ停車塲ステーシヨン御代田みよだといふ)まで行くべきなれど其處そこが四天王ともいはるゝ豪傑鐵道馬車より歩いて早く着いて見せんとしかも舊道の峠をのぼりかけしが梅花道人兎角とかくに行なづむ樣子に力餅の茶店に風を入れこゝにて下駄を捨てゝ道人と露伴子は草鞋わらじとなりしが我と太華山人は此の下駄は我々の池月摺墨いけづきするすみなり木曾の山々を踏みくぼませて京三條の大橋を踏轟ふみとゞろかせて見せんものと二人を見て麓より吹上る風より冷かに笑ひつゝ先んじてのぼる上りて頂上に近くなれば氣候はおほいに東京とは變りて山風さぶし木の間がくれに山櫻の咲出たる千蔭翁ちかげをうが歌の「夏山のしげみがおくのしづけさに心の散らぬ花もありけり」とあるも思ひ出られて嬉しくしきりに景色を褒め行くうち山人汗をしづくと流して大草臥おほくたびれとなれば露伴子はこゝぞと旅通を顯して飛ぶが如くにのぼこゝに至つて不思議にも始め弱りし梅花道人ムク/\と強くなり山も震ふばかり力聲をいだしサア僕が君の荷を持たうしつかりしてのぼり玉へと矢庭に山人の荷物と自分の荷を合せて引かつぎエイ/\聲に上りしは目ざましきまで感心なり拙者は中弱ちうよわりの氣味にて少し足は重けれど初日に江戸ツ子がなきを入れたりと云れんは殘念なればはづむ鼻息を念じこらへてナニサ左樣さうでもないのサと平氣をつくろひ輕井澤にりて鶴屋といふに着き風呂の先陣へ名乘て勇ましく風呂へ行きしが直ちにはまたぎて湯にいられず少しく顏をしはめたり

第三囘


風流はさぶいものとは三馬さんばが下せし定義なり山一つ越えて輕井澤となれば國も上野かうづけ信濃しなのとなり管轄縣廳も群馬が長野と變るだけありてさぶさは十度も強しといふ前は碓氷うしろは淺間の底冷そこびえに峠で流せし汗冷たく身輕をむね旅出立たびでたちわな/\震ふばかりなり宿の女子をなご心得て二階座敷の居爐裡ゐろりに火を澤山入れながら夏の凉しき事を誇る蚊がぬとて西洋人が避暑に來るとてれが今のさぶさを凌ぐたしにはならず早く酒を持ち來たれ。かしこまりぬと答へばかりよくして中々なか/\持ち來らずうゑもしかはきもしたるなり先づひやにてよし酒だけをと頼めど持來らず徳利などに入るゝに及ばず有合す碗石わんいし五器ごきにも汲み來れときてもいつかな持ち來らず四人爐を圍みて只風雅の骨髓に徹するを歎ずるのみ夜風いよ/\冷かなりトばかり有りてやがて膳部を繰りいだし來りぬ續いて目方八百五十目といふ老鷄しかもをんどりにて齒に乘らざる豪傑鍋も現はれぬ是等の支度をせんには二時三時間經ちしも無理ならず斯く膳部取揃はぬに酒をいだすは禮法に背くものと心得たる朴實これまた風雅の骨なりかくも有合せもので先づ御酒ごしゆをと云ふは江戸臭くして却つて興味なし諸事旅は此事よと稱して箸をくだすに味ひすこぶる佳しつかれを忘れて汲みかはせしが初日ゆゑか人々身体に異常をおぼえて一徳利ひとゝくりきはめし數にも足らで盃を收めたり夜具よるのものも清くして取扱ひ丁寧なり寐衣ねまきとてあはせいだしたれど我はフラネルの單衣ひとへあればこれにて寐んと一枚を戻せしにいかにあしくは聞取りけん此袷きたなしと退けしと思ひ忽ち持ち行きて換へ來りしを見れば今仕立しと見ゆる八丈絹はちぢやうぎぬの小袖なり返せしは左る心にてはなし是が寐心よければ別に寐衣ねまきに及ばずと云しなりと詫てまた戻せしが是にても客を大切と思ふ志しは知られたり然らばねまらんと蒲團にもぐり今日道々の景色に
行く春を追ふて木曾路の櫻かな
など考ふるに眼はさえて今宵は草臥くたびれに紀行も書ざりしが明日あすの泊りは早くして必らず二日分したゝむべし四人別々に書く紀行拙者も貴公も同案にては可笑をかしからずハテうまく書きたいもの何ぞ名案名趣向名句もせめて一二句はあれかうして是もまたカウ/\グウ/\いびきの音さてよく人はねぶらるゝよ障子を洩りてえりる淺間の山の雪おろし弓なりに寐るつる屋の二階是等も何ぞの取合せと思ふ折しも下屋したや賑はしく馬士まご人足のひたるならん祭文さいもんやら義太夫やら分らぬものを濁聲だみごゑ上げ其の合の手には飮ませじと云ふ酒を今ま一合注げ二合温めよと怒りつ狂ひつどしめくなりゑひての上の有樣は彼も此もかはりはなし耻べきかな醉狂すゐきやう愼むべきかな暴飮
泥まみれこれが櫻のはなびら
降りつゞく雨明日あすの空までの事を思へば水の流れもまた雨と枕に傳へて詫し夜はおそく明けぬ今日は輕井澤より越後直江津まで通る信越鐵道とかいふ鐵道に乘り追分驛の先小田井をだゐといふまで至らんと朝立出れば此ほとりは淺間の麓の廣野ひろのにて停車塲まで行く間灰の如き土にて草も短かし四方よもの山々に雉子きじ鶯の聲野には雲雀ひばり所得顏ところえがほなる耳も目も榮耀を極めぬしかし芭蕉翁に「雲雀啼く中の拍子や雉子の聲」と先に出られたれば一句もなし

第四囘


朝靄あさもや山の腰をめぐりて高くあがらず淺間が嶽に殘る雪の光にきらめきたり※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車の走るに兩側を眺むる目いそがはし丘を堀割し跡にわずかに生出おひいで躑躅つゝぢ岩にしがみ付て花二つ三つ削落けづりおとせし如きいはほの上に小松四五本たてり其下に流るゝ水雪の解けておつるにや流早く石にさへられてまた元の雪と散るを面白しと云もきらぬうち雜木茂る林にる林をいづればまた曠野ひろのにて燒石やけいし昔し噴出せしまゝなり開墾せんにも二三尺までは灰の如き土にて何も作りがたしとぞ此所こゝは輕井澤より沓掛くつかけ追分小田井の三宿の間なり四里程なれば忽ち小田井に着きて※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車を下りしが下りてグルリと※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて見ると方角さらに分らずいづれが行先ゆくて歸る道と評議する顏を見て通りかゝりし學校教員らしき人御代田みよだへは斯う參られよと深切しんせつなり御代田とは小田井が改名せしなり一禮して其の如くに行く此ほとりの林の中に櫻咲き野にはシドメの色を飾り畑道はすみれ蒲公英たんぽゝ田には蓮花艸れんげさう紅きものを敷きつめたるやうなり
足元を花に氣遣へば揚雲雀あげひばり
宿しゆくは永くまばらに續きたりこゝを過て岩村田いはむらたまでまだ四方よもの山遠く氣も廣々と田地開けたり岩村田よりやゝ山近くなり坂道もありこゝにていづれも足取重げなれば車を雇はんとせしが其の相談のうちに宿を出はなれたり梅花道人いかにしてかおくれて到らずさてこそ弱りて跡へ殘りしならん足は長けれど役にはたゝず長足道こはし馬乘らぬとは此事だと無理を云ふうちオイ/\諸君の荷物を此方こつちへ出したり宜しい諸事僕が心得た先の宿しゆくで待つよと跡より驅來りて梅花道人手輕く三人の荷を取りて一まとめにするゆゑ是はいかにと怪しむ跡より鹽灘しほなだへの歸り車とて一挺きたるこれ道人が一行に一足おくれてひそかに一里半の丁塲をわずか六錢に掛合かけあひ此の拔掛は企てしなり昨日きのふ碓氷の働きと云ひ今ま此の素早さに三人の旅通せんを取られて後生畏るべしと舌を吐くうち下り方のよき道なれば失敬と振り※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)す帽子は忽ち森の陰となりぬ畜生あなどツて一番やられたよし左らば車が早きか我々のすねが達者か競爭を試みんと口には云しが汗のみ流れて足は重し平塚村といふに小高き森ありてよき松の樹多し四方晴れて風すゞしきに此の丘にのぼれば雌松雄松がひとつになりし相生あひおひあり珍しき事かなと馬を曳きて通る男に聞けば女夫松めをとまつとて名高きものなりといふ丘の上に便々館湖鯉鮒べん/\くわんこりふの狂詠を彫りし碑あり業平なりひら如何どうしたとかいふヘボ歌ゆゑ記臆をすべり落ぬすべる赤土に下駄を腰の臺としてしばらく景色を眺め此丘一つ我物ならばこゝに讀書のしつを築き松風蘿月しようふうらげつともとして澄し込んものと又しても出來ぬ相談を始め勝地に到れば住んことを望み佳景にあへば一句してやらんと思ふ此等みな酒屋の前によだれを垂し鰻屋の臭に指をくはへるたぐひなり慾で滿ちたる人間とて何につけてもそれが出るには愛想が盡る人生居止きよしを營むつひ何人なんぴとの爲にぼくするぞや眺望ながめがあつて清潔な所を拙者がうちだと思へばいハテ百年住み遂げる人は無いわサト痩我慢の悟りを開き此所このところの新築見合せとし田へ引く流に口をそゝ冗語むだつかれの忘れ草笑聲わらひとぎの野は長く駒の形付かたちつきたる石ありといふ駒形明神こまかたみやうじんの坂も過ぎ鹽灘しほなだへこそ着にけれ

第五囘


鹽灘しほなだにて早けれど晝餉ひるげしたゝむ空暗く雲重ければいさゝか雨を氣遣ふ虚に付け入り車に乘れと勸む八幡やはたの先に瓜生峠うりふたふげとてあり其麓までと極めて四挺の車を走らす此邊の車には眞棒しんばう金輪かなわをつけ走るとき鳴り響きて人をけさするやうにして有り四挺の車にやつの金輪リン/\カチヤ/\硝子屋びいどろやが夕立に急ぐやうなり鹽灘の宿しゆくを出はづれの阪道に瀧あり明神のもり心地もすゞしく茂りたり瀧の流に水車みづぐるまを仕掛ながれの末には杜若かきつばたなど咲き躑躅つゝぢ盛りなりわづかの處なれど風景よし笠翁りつをうの詩に山民習得ならひえて一身ものうかん茅龕ばうがんに臥しうみて松にかへつ辛勤しんきんとつ澗水かんすゐおくる曉夜を分たず人に代つてうすづくとあるも此等のおもかげかしばしと立寄りたれど車なれば用捨ようしやなく駈けくだる下れば即ち筑摩川ちくまがはにて水淺けれど勇ましく清く流れて川巾は隅田川ほどあり船橋掛るなかば渡りて四方を見れば山々雨を含みて雲暗く水の響き凄じかゝる折名乘りもいで時鳥ほとゝぎす
驀地まつしぐら馬乘り入れん夏の川
筑摩川春ゆく水はすみにけり消て幾日いくかの峯の白雪とは順徳院じゆんとくゐん御製ぎよせいとかおほいなる石の上にて女きぬあらふ波に捲きとられずやと氣遣きづかはる向の岸のかたに此川へ流れ入る流に水車みづぐるまを仕掛あり其下はよどみて水深げに青みたるに鵞鳥がてうの四五羽遊ぶさながら繪なり八幡を過ぎ金山かなやま阪下にて車は止る瓜生峠うりふたふげを越ゆるに四歳よつばかりの女子めのこ父に手を引かれて峠を下る身はならはしの者なるかな角摩川かくまがはといふを渡りて望月もちづき宿しゆくるよき家並やなみにていづれも金持らしこゝは望月の駒と歌にも詠まるゝ牧の有し所にて宿しゆくの名も今は本牧ほんまきと記しあり。宿しゆくを通してまちの中に清き流れありてこれを飮用のみゝづにも洗ひ物にも使ふごとし水切みづぎれにて五六丁も遠き井戸にくみに出る者これを見ばいかに羨しからん是よりがんとり峠といふを越ゆ峠らしくなく眺望ながめよき阪なりいばら阪といふとか道々清き流を手にむすびては咽喉のどうるほす人々戯れて休まんとする時には「ドウダ一杯やらうか」といふ此の一杯やらうが一丁ごとぐらゐになると餘程つかれたるなり蘆田あしだ宿しゆくより先に未だ峠あり石荒阪いしあれざかといふ名の如く石荒の急阪にて今までのうち第一等の難所なり阪の上へ到れば平なる所半丁ほどありて草がくれの水手にむすぶほども流れずくだりて一丁ほど行けば此の水山のしたゝりを合せて小流れとなる下るまた一二丁流は石に觸れて音あり又下る三四丁流れは岩に激して雪を散らす下ること又四五丁川となりて水聲らいの如し坂を下り終れば川巾廣く穩かに流れて左右の岸には山吹咲き亂れ鳥うたひ魚躍るはじめは道端のヒヨロ/\流れ末は四面の田地にそゝぐ河となる岩間洩る滴りもあはする時は斯の如し小善とて嫌ふなかれ積めば則ち大善人小惡とてゆるすなかれ積めば即ち大惡人富は屋をうるほし徳は身を潤す富は少しきつひへを省き少しき利を集めたるなり集りて富となれば屋を潤すばかりでなく人を潤し業を興す流れの及ぶところ皆な潤す徳は少しの善行を重ねたるなり其功徳そのこうとく身を潤すに止まらず人をしてしらず/\の間によきに導き逢ふ所觸るゝところ皆な徳にうるほはざるなし學問もまた斯の如し今日こんにち一事を知り明日みやうにちまた一事を知る集りて大知識大學者とはなるなり現に今ま此の水を見るみづから省みて感深し草をいてしばらく川に對す

第六囘


石荒坂を過ぎ曲折して平地にいづれば即ち長久保ながくぼなり宿しゆく家並やなみよく車多し石荒坂にて下駄黨も草鞋派も閉口したればこゝより車に乘る此邊平地とは云へ三方山にて圍ひ一方は和田峠に向ツて進むなれば岩大石ゴロタ石或ひは上り或は下る坂とまでならねど凸凹でこぼこ多く乘る者は難儀なれど挽夫ひくものは躍るもガタツクも物とはせず風の如くに飛び行けば心づもりより時は早く午後三時半和田へ着し緑川といへる高大なる寒げなる家へ泊りたり和田峠は中仙道第一の高山また絶所難塲なりと聞けば窓押し開けて雲深きかたをグツト睨み置きさて風呂にりて銘々一閑張いつかんばりの机を借り受け駄洒だじや中止紀行に取りかゝる宿の人此体このていを見て不審がる二時間ほどにして露伴子づ筆を收めたれば酒肴しゆかう見立掛り膳部申付役となる火のさかんなる圍爐裏ゐろりに足踏伸し鉛筆のしりにて寶丹ほうたんと烟草の※(「士/冖/一/几」、第4水準2-5-22)ふきがらをソクイに練り交ぜながら下物さかなは有るやと問ふ宿の女なしと淡泊無味に答ふデモ此邊の川で取れる岩魚いはなか何かあらうと押し返せば一遍聞合せて見ませうと立つ我々紀行並びに手紙等を書終りさていかに酒は來りしや大膳太夫だいぜんのたいふ殿と云へば露伴子ヂレ込み先刻さつき聞合せると云たばかりに沙汰なしとはひどい奴だと烈しく手を叩けばゆるやかに出來いできたさかなはといきまけばまだきゝに行た者が歸りませんと落付たり露伴こらへず何處いづこまで聞にやりしぞ一時間も掛るにまだ戻らぬかとことばを荒くすれば川へ聞きにやりましたまだ戻りませんと答ふ我輩不思議に思ひ傍らより口をいだし川へ聞にやるとは如何なる事ぢやと問へば川へ魚を捕りにいでし者あるべければ河原へ行き其の漁者について魚は有るや否やを問ふにて魚屋とて別にそれを貯へて賣る處はなしとの事に一同アツト顏を見合し暮て河原に漁者を尋ね尋ねあてて魚の有りや無しやを問ひそれを我等に報じてしかして後に調理にかゝられては一日二日の滯留にては味ふことかたかるべし肴の儀は取消しとすべし急ぎ膳をと頼めばやがて持ちきたる膳部の外に摺芋すりいも鷄卵たまごを掛けたるを下物さかなとして酒を持ち來り是は明日あす峠を目出度めでたく越え玉はんことをことほぎたてまつるなり味なしとて許されて志しばかりを汲ませ玉へやといふ先に家のおほいなるに合せ奮發したる茶代の高こゝに至ツて光を放ちぬしかしながら此家は夫是それこれの事に拘はらず山を祝ふて酒をすゝむるが例なりと質朴にしてまた禮ありとたゝへ皆な快く汲む終りて梅花道人は足のつかれ甚だしければ按摩あんまを取らんとてよぶいろ/\なぶりて果は露伴子も揉ませながら按摩あんまに年を探らするも可笑をかしく我はこれを聞つゝ先に枕に就く
雨を呼ぶかはづよ明日は和田峠
降らぬやうに祈るぞと云しが山下やまおろしの風の音雨と聞なされてさむること度々たび/\なり果して夜半に雨來る彼方あちに寐がへり此方こちに寐がへり明日あすこゝに滯留とならば我先づ河原へ出て漁者を尋ねんなど思ひ續くるうち夜は明けしが嬉しや雨も止みぬ馬二ひき曳き來り二方荒神にはうくわうじんといふものに二人づゝ乘すといふ繪に見話には聞しが自ら乘るは珍しく勇み乘りて立ちいづれば雨の名殘の樹々の露えりに冷たく宿しゆくを離るればすぐに山にてたにの流れも水嵩みづかさまして音高く昨夜ゆふべの雲はまだ山と別れず朝嵐身にこたへてさぶ

第七囘


身輕手輕とそればかりをせんにしたる旅出立たびでたちなれば二方荒神の中にすくまりてまだ雨を持つ雲の中にのぼる太華山人其のさぶさを察し袷羽織あはせばおりを貸さる我が羽織の上へ重ねても大きければ向ふ山風に吹き孕みてあたかも母衣ほろの如しあとの馬の露伴梅花の兩子いろ/\に見立みたてあざみ笑ふこゝは信濃の山中やまなかなり見惡みにくしとてさぶさにかへられんや左云ふ君等の顏の色を見よとことば戰かひ洒落も凍りて可笑をかしきは出ず峯には櫻たにには山吹唐松からまつ芽出めだしの緑鶯のをり/\ほのめかすなど取あつめたる景色旅の嬉しさ是なりと語りかはして
山響き谷こたへてあとしづかなり雉子きじの聲
と無理を吐く羊膓やうちやうたる阪路さかみち進むが如くまた退もどるが如し馬をしばしと止めて元し方を顧みれば淺間の山はすでに下に見られて其身は白雲の上にあり昨日きのふ此山を見て一睨みして置きしが今日は昨日宿りし處を見んとして見えず何となく氣さかんになりて身に膓胃ある事を忘れたり此山路このやまぢ秋は左こそと青葉をくれなゐに默想し雪はいかにと又萬山を枯し盡して忽ち突兀とつこつ天際に聳ゆるしろがねの山を瞑思すつひに身ある事を忘れたり澤を傳ひ峯に上る隨分さかしき峠なれど馬にまかせてけはしき事を知らず東もち屋村といふは峠の上にして人家四五軒あり名物の餡餅あんもちありこゝにて馬を圍爐裏ゐろりの火にかゞみし手足を温めながら其名物を試む梅花道人物喰ものくひに於て豪傑の稱ありこゝにてもまた人々に推尊せられて二盆ふたぼんの外我分わがぶんまでをくらひ盡すやがて此を出で是より下りなればとて例の鐵脚を踏み轟かす道人餡餅あんもち腹にりて重量おもみを増したるにや兎角にしりへさがる露伴子は昨年此道中をせしとて甚だ通なりかつ出立しゆつたつの時に曰く木曾海道美人に乏し和田峠西もちや村の餅屋に一人また洗馬せばに一人あり洗馬のはわれ未だ其比を見ざる眞に絶世の美人なり餅屋のはこれにぐと物覺え惡き一行なれど是は皆々領裏えりうらにでも書留て置きしやよく覺えてそれとなくこゝより荷物を包み直しえり掻き合せ蝙蝠傘かうもりがさに薄日をいとふ峠の上の平坦たひらなるを過ぎてくだり口に至りて西のかたを一望すれば眼界新たにはれ昨日きのふまでの景色と異なり群山皆な雌伏此の峠のほかに山と仰ぐべきなし何か自分が此山になつたやうな氣持にて傲然としてまた一睨みす下りは元は急にて上りより難儀なりしを御巡幸の節道を直し今は行人安樂なりといふ左れど尚ほ屈曲の險坂けんはん幾段なるや知らずいにしへの險阻おもふべきなり下り終らんとする所即ち西もちや村なりこゝは人家十餘軒ありて宿屋の前に女どもいでてお休みな/\と客を呼ぶスハヤ尤物いうぶつ此中このうちに在るぞと三人鵜の目鷹の目見つけなば其所そこらんとする樣子なり我は元より冷然として先に進み道のかたへのすみれふきたう蒲公英たんぽゝ茅花つばななどこゝのこんの春あるを賞して騷しきかたは見もかへらず三人跡よりあへぎ來りて無し/\影もなし大かたは此邊の貴家豪族が選び取て東京紳士の眞似をなしがん雪舟と共に床の間にあがめ置くなるべし憎むべし/\といふ
呼子鳥よぶこどりおぼつかないで尚床し
日も温かに鳥の聲も麗かなりぶらり/\と語りながら行くに足はつかれたり諏訪すはの湖水はまだ見えずや晝も近きにといふうちしもの諏訪と記したる所にいでたり旅宿やどやもありこゝならんと思へばこれは出村にてまだ一里といふ

第八囘


旅にて聞くをいとことば二つまだなり初日碓氷うすひにてつかれしとき舊道へるの道のしるしを見るに輕井澤まで二里とありあへぎ/\のぼりてやがて二里餘も來らんと思ふに輕井澤は見えず孤屋ひとつやばゝに聞けば是からまだ二里なりといふ一行落膽がつかりさては是程に草臥くたびれだけしか來らざりしかと泣かぬばかりに驚きたり是より道を問ひて餘の字を付加へらるゝ時はスハヤと足をさすりたり又まだといふやが其處そこならんと思ふて問ふとき付加へられて力を落す詞なり和田峠ののぼりは馬に乘りたれば野々宮高砂のゝみやたかさごなりしがくだりはあなどりて遊び/\歩きたる爲め三里に足らぬと聞くに捗取はかどらぬこと不思議なるうへ下口おりくちはドカ/\と力も足にる故か空腹甚しく餡餅あんもち二盆半の豪傑すら何ぞやらかす物はないかと四方を見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)す程なれば我は餘ほど北山やら西山やら知らぬ方角の山吹躑躅つゝぢ見るも目のまはる程となりしに曲り下りる坂下に町家まちやありし事なればしかも下諏訪とありし事なれば嬉しやこゝぞと先へ驅けしが心あての龜屋なし立どまりて露伴子に聞けば何でもこゝを越してそれから諏訪の湖水が見えて夫から下諏訪だ此は云て見ればお前立まへだちといふやうなものとの答へまだ付の一里是からの長きこと限りなく山吹を折りて帽子に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)したり蓮華草れんげさうを摘んだり道草は喰へど腹はふくれず何やら是だけが餘計の道のやうに思はれて小腹も立てば
飛ぶ蝴蝶羽をかはして我を乘せよ
とダヽをねるイヨ藤浪由縁之助ふぢなみゆかりのすけと聲をかけらるゝにまた取敢ず
術なさに倒るゝまでもすみれかな
と狂句すればイヨ忍月居士にんげつこじいふこゝに始めて忍月居士が愛慕さるゝは菫御前すみれごぜんなることを知り又通人を褒めてイヨすみれは置かれませんと挨拶するは此事より起りたることばならんと悟りぬ兎角とかくいふうちいりまじへたる山の盡るほとりに一面の名鏡現れたり此ぞ諏訪の湖なると露伴子の指すににはかに足もかろく氣も勇み始めて心づきて四方を眺望するに山々には殘りの花あり雲雀ひばり鶯の聲は野に滿ち下は湖水へ注ぐ大河ありて岩波高きに山吹危うげに咲きこぼれたる此景色今まで何とて目にはらざりしといぶかるやがしもの諏訪秋の宮に詣づ神さびたるよき御社みやしろなりかみの諏訪に春の宮あり莊嚴目をおどろかすと聞しがそれへは詣でず此宿このしゆくより上の諏訪はまだ三里もありときけばなり正午ひる少し過るころ下諏訪の温泉宿龜屋に着く一浴して快と賞し鯉なまづなどにて小酌しながらさても今日半日のつかれの恐しさよ小敵と見て侮りたる故此敗このはいは取りしならん是よりは愼みて一里の道も百里を行くの勇氣を以てあたるべしと語るうち下座敷したざしき月琴げつきんの響き聞ゆ怪しの物のや東京をいでて未だ鳥の謠ひ奏づるほか人間の音樂は聞ずさすがに此は遊浴繁花はんくわの地とて優しくも聞くものかな且つ其調そのしらべも拙なからずかすめて唄ふに聲はさだかならねど人※(「てへん+丙」、第4水準2-13-2)もさぞと慕はしきにいざやこゝへ呼びて一曲を所望せん潯陽じんやう江頭えのほとりならで諏訪湖邊に月琴を聽くもまた面白からずやと直ちに手を鳴らして女を呼び下にて月琴をくは何者ぞと問へば此家の娘なりといふ容貌さまかたちも温泉にあらひて清げならん年は幾許いくつぞ。ハイ九歳こゝのつでまだネカラ手が※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りません。此答へに一座唖然たり

第九囘


二方荒神の味を覺えて鹽尻峠しほじりたふげも馬に遊ばんと頼み置きて寐に就く温泉にてつかれを忘れ心よくねぶりたれば夜の明けたるも知らず宿の者に催されてやうやくに眼をこすりながら浴室ふろに至れば門前に待ち詫びたる馬の高くいなゝくにいよ/\慌て朝餉あさげの膳に向へば昨日きのふ鯉の濃汁こくしやうを褒めたればとて鍋ごと盛んに持ち出で勢ひに呑まれてか豪食の三傑ことばにも似ず椀の數少なし馬は何時頃より來り待つぞと問へば江戸のお客樣は氣短でおでなさるゆゑマダ來ぬかと叱られぬ爲め夜明前より門に來て居りました私共も四時から御膳の支度して御手の鳴るを待ちましたと云ふ諸事左樣さう來て貰ひたしさすがは下諏訪の龜屋なりとたゝ土産みやげにとて贈られたる名物氷餅こほりもちを旅荷物のうちへ入れてうまどほであツたと馬士まごにも挨拶してこゝを立ち出づ宿しゆくの朝景色何處いづこも勇ましく甲斐々々しく清々すが/\しきものなるが分きて此宿このしゆくは馬で心よく搖られ行く爲か面白し宿しゆくを離るれば諏訪の湖水朝霧立こめて空も雨をもよひてさぶ馬士まごの道々語りて云ふ此宿も今は旅人りよじんを當にもなさず先づ養蠶一方なり田を作るも割に合はぬゆゑ皆な斯樣かやうに潰して畑となし豆を作るか桑をうゑるかなり元は隨分繁昌な所で有りましたがナア又曰く此の流れはアレ彼山あのやまの間を川に流れて天龍川に落ちますナニお前さん氷は張りますが馬は危ないので通行は致しません人は見當をつけて向ふの村へ何處どこでも行きます廣さは十三里と云ますが左樣さうはございません狐が渡るといふのも昔の話でハイ鯉やふな鰻は大層捕れますダガ十月から彼岸時分まで氷で漁は出來ませんナニサ兎は少し取れますがけだもの何處どこ此處こゝも開けたので一疋も居なくなりましたハイ遊廓なんテ見られたもんでは無いと矢鱈やたらと謙遜なりポクリ/\と鹽尻峠を上りながら晴た日だと是から富士が見えますと指さす顧みれば水面わずかに白く四方は朝霧にて山の形さへ定かならず此の鏡へ姿を寫す富士のおもかげさぞと胸に畫けば煙霧糢糊たる間一種の風景あり馬士まごまた云ふ昨夜ゆふべわしの方で大喧嘩が有りました湯の中で騷いだので大きに迷惑します一体湯を引いて湯塲を作るのは大分の入費でそれは村から出し合て誰でも無代たゞれますのだが此頃新道を作る人足が大勢はいり込んでい湯治塲へ行た氣で無代たゞで湯へはいり其上威張散して喧嘩を仕かけたので村の者は怖しがり女や年寄ははいらぬ位ですナント馬鹿々々しいではございませんか昨夜ゆふべの喧嘩も土方同士でイヤハヤ新道一件ではいろ/\な事がございます如何どうか人足の暴れるだけもせめて取締ツて貰ひたい金を出した湯の持主が隅へ小さくなツて何處どこの者か知れぬ奴が無代たゞで巾を利かせて歌など唄ツて騷ぐとはエライ話しだと不平を云ふ一体に新道には不平と見え馬も舊道行人ゆくひとも舊道なり只運送馬車のみ道は遠けれど平坦たひらゆゑ新道を驅けるとぞ此邊の屋作り皆な玄關搆へにていかめしく男も雪見袴ゆきみばかまとかいふものをつけて古風なり松本みちの追分ありこゝより十五六里なりと午前九時鹽尻の宿しゆくへ着く
乘り捨し馬を繋ぐや散る李花すもゝ
此邊にては人の妻を呼びておかたと云ふ女働らき男樂するふうなり土地は桔梗きゝやうはらに續いて田畑多し

第十囘


鹽尻の茶店ちやゝの爐に暖まり温飩うどん掻込かつこみながら是よりなら井まで馬車一輛雇ふ掛合を始む直段ねだん忽ち出來たれど馬車を引來らず遲し/\と度々たび/\の催促に馬車屋にてはやがてコチ/\とこはれ馬車をつくろひ始めたりイヤハヤ客を見て釘を打つ危ない馬車に乘らるべきかほかに馬車なくば破談にすべしと云へばナニお客樣途中でこはれるやうな事はございませんこはれても上の屋根だけですからころがり落る程の事は有ませんサアお乘りなさいと二十三四の馬丁べつたう平氣なれば餘義なくこれに乘る二十三四の小慧こざかしやつ客を客とも思はばこそ遊び半分にラツパを吹きて先を驅くガタ/\ゴロ/\隨分と烈し鹽尻を過れば一望の原野開墾年々とし/″\にとゞきて田畑多しこれ古戰塲桔梗きゝやうはら雨持つ空暗く風いたはし六十三塚など小さき丘に殘れり當年の矢叫びときの聲必竟ひつきやう何の爲ぞ
田鼠たねずみりおほせても草隱れ
興敗こうはいつひに夕鶉ゆふうづら一悲鳴いつひめい草の葉に露置くを見れば小雨の降り來りしなり馬車を驅ること飛が如くなれば手帳へ字などなか/\書けず只こはれかゝりし臺の横木に掴まりて落ても怪我のないやうにと心に祈るばかりなり忽ちに二里を洗馬せばへ着く昔はよきしゆくなりしならん大きな宿屋荒果あれはてあはれなりこゝに木曾義仲馬洗うまあらひの水といふ有りといへど見ず例の露伴子愛着の美人も尋ねずわづかに痩馬に一息させしのみにて亦驅けいだす此宿より美濃みの國境くにさかひ馬籠まごめまでの間の十三宿が即ち木曾と總稱する所なり誠に木曾にりしだけありてこれより景色けいしよく凡ならず谷深く山聳へ岩に觸るゝ水生茂おひしげる木皆な新たに生面を開きたりソレの瀧ホラ向ふの岩奇絶妙絶と云ふうちには四五たんは馳せ過る馬車の無法むはふとばせ下は藍なす深き淵かたへは削りなせる絶壁やうやくに車輪をのするだけの崕道がけみちを容赦も※(「酉+斗」、第4水準2-90-33)しんしやくもなく鞭を振つて追立るなれば其の危うさは目もくるめき心もきゆるばかりなりあはれかゝ景色けいしよく再びとは來られねば心のどかに杖を立て飽までに眺めんと思ふに其甲斐なし命一ツ全きを願ふばかり付燒刄つけやきばの英雄神色少し變じたり馬丁べつたうにあまりに烈し少し靜にせよと云へばかゝる所はハヅミに掛つて飛さねばかへつて誤ちありナアニ此樣こんな所こゝはまだいろはです是から先がちとばかり危ないのですと鼻唄の憎さよ坂を眞下まつくだりに下る時は泥犁でいりの底に落る如くまた急なる塲所をのぼる時は直立して天に向ふこゝは危なしおりんと云へど聞かぬ顏にていよ/\飛ばす山は恰もかけるが如く樹は飛が如くに見ゆ快といはば快爽と云ば爽なれどハツ/\と魂を驚かすあまり壽命の藥でもなし呉々くれ/″\も重ね/\も木曾見物の風流才士はこゝを馬車にて飛ぶべからず同行例の豪傑揃ひなれば一難所一急坂を過る時は拍手して快を呼ぶ馬丁べつたうます/\氣を得て驅けさすこといよ/\烈し一句をはかんと思ひ込みしにむだと仕たり瞬間に本山もとやまに着けど馬に水もかはず只走りに走る梅澤櫻澤などいふ絶景の地に清く廣やかの宿屋三四軒ありこゝに一宿せざることのしさよ山吹躑躅つゝぢ今を盛りにて仙境のおもひあり聞く熱川にえがはには温泉のいづる所ありと此等こゝらに暑を避けて其の湯に塵をそゝぐならば即身即仙とんだ樂しき事なるべきに

第十一囘


見上みあぐる山には松にかゝりて藤の花盛りなり見下みおろせば岩をつゝみて山吹咲こぼれたり躑躅つゝぢ石楠花しやくなげ其間に色を交へ木曾川は雪と散り玉と碎け木曾山は雲を吐きけぶりを起す松唐松からまつ杉檜森々しん/\として雨ならずとも樹下このしたうるほひたり此間このあひだに在りて始めて人間の氣息ゆるやかなるべきを無法とばせの馬車なれば(是よりして木曾の山中やまなかにも無法飛ぶのは馬車ではないかなど定めて洒落始めしならん)下手へたな言文一致のことばのやうにアツヱツ發矢はつしなど驚きて思はず叫ぶばかり山も川も只飛び過ぎ熱川にえがはより奈良井の間の諏訪峠といふ所は車の片輪を綱にて結びて※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)らぬやうにし片輪のみにて落し下すに石にきしりて火花をいだす凄じさたとへていはんやうもなし又本山もとやま熱川にえがはの間なりし崕道がけみちくえて往來なり難きにより木曾川の河原へり川を二度渡りかへして道へる所などは會釋もなく川の中へ馬車をやり入れたるが水は馬の太腹にも及び車の臺へ付く程なれば叩き立られたる痩馬向ふの岸に着きかねてあへぐに流石さすが我武者馬丁がむしやべつたうすべなくておのれ川中へ下り立ち四人を負ひて川原へおろ※(「士/冖/一/几」、第4水準2-5-22)馬車からばしやにして辛うじて引上げしが道を作り居たる土地の者崖の上より見下して乘り入れたる馬丁べつたうも強しりぬ客人も大膽やとほめるかそしるか聲を發して額に手をば加へたり此の時少し篁村息をき河原に立やすらひて四方を眺めくえたる崕道がけみち見上みあぐるに夫婦連めをとづれ旅人たびゝと通りかゝり川へ下りんも危うし崖を越んも安からずとたゝずみ居しがやがて男はくえたる處ろへ足を踏み出し足溜りをこしらへてはまた踏み固め二間餘のところ道をつけさて立戻り蝙蝠傘かふもりがさの先を女にしかと掴ませ危うくも渡り越して互にホト息して無事を悦び合ふ愛情いと尊くも嬉しけれ早々はや/\乘れ雨のきたらんにとかれて心ならねど又馬車に乘り先の嶮岨をいろはなりと云しにたがはずだん/\危うくせず京あたりの難所も首尾よく飛せ越えて奈良井へつきしは晝前なり是よりすぐに鳥居峠なれば馬車を下りしに馬丁べつたうは意氣揚々としてドウですお客樣一番鳥居峠を追立おつたてて見ませうかと云ふ我手を振りて是を願ひ下げこゝにて晝餉をしたゝめしが雨はいよ/\本降となりしゆゑかねて梅花道人奉行となりて新調せしゴム引の合羽かつぱを取りいだし支度だけ凛々敷りゝしく此所こゝを出れば胸を突くばかりすぐに峠にて馬車の上にすくみたる足なればチト息ははづみたり此峠にいにしへは棧橋かけはしありしとか思ふに今にして此嶮岨なれば棧橋かけはしあながち一ヶ所に限らず所々しよ/\に在しならん芭蕉の「かけはしや命をからむ蔦かづら」と詠みしも今の棧橋かけはしの所にては有まじ四五丁のぼりかけて谷に寄たるかたに土地の者の行く近道あり折々此の近道あれど草深く道の跡もさだかならであやふければ是を通道つうみちなづけ通と云れたがる者ならでは通らず梅花道人少しおくれたるテレ隱しに忽ち此道に驅け上る危ないぞと聲をかくるうち姿は見えずナニ幾許いくらほど近いものかハアハア云つて此上あたりに休み居るならんト三人あざみながらのぼるに道人は居ず五六丁の間は屈曲をりまがりてもよく先が見えるに後影もなししやは近きを貪りて谷へ轉げ落ちしにあらずや此谷に落たるを救ひ上げんには三人の帶を繋ぐとも屆くまじ如何いかゞはせんと谷底を覗き見ながら雨をしのぎてのぼ

第十二囘


雲雀ひばりより上にやすらふ峠かなと芭蕉が詠みしは此の鳥居峠なり雨は合羽かつぱすそよりまくり上げに降る此曲降きよくぶりを防がんやうなく只濡ひたぬれなるに脊はまた汗なり一里に足らぬ峠なれど急上きふのぼりの急下きふくだりなれば大辟易の形となりぬやがて峠へ上りつきて餅屋にて云々しか/″\なりの者は通らずやと聞けば先におくだりになりましたと云ふさては梅花道人も谷へは落ちざりしかと安心しくだりとならば嶮しとて一跳ひとはねにせんものと雨を凌ぎつゝ勢ひをつけてくだる下りてやゝ麓近くなりしとき篁村小石につまづきはづみを打て三四間けし飛びしが鞍馬くらま育ちの御曹子を只散髮ざんぎりにした丈の拙者なればドツコイと傘を突き左りの足にて踏み止めぬアハヤと叫びし太華露伴の兩氏イヨ感心と褒めたるが實は此のドツコイ甚だ宜しからず踏み止めし左りの足ギクリとせしが是より少々痛みを覺え雨に傘は用ひずして左りの杖となしたるぞ無念なるくだりきりては只の田甫道たんぼみち面白くもなくトボ/\としてやがて藪原やごはらに着くこゝはヤゴ原と讀み元は八五原と書くお六櫛ろくゞしと世に名高き櫛の名所にて八五は即はち九四に同じといふ附會説こじつけせつありまだ午後の三時に及ばず今三里行けば木曾中第一の繁昌地福嶋ふくしまなり其所そこまで飛ばせよといふ議もいでしが拙者左りの足があやしければイヤサ繁花はんくわの所より此の山間の宿やどに雨を聽くがあはれも深いものだと弱身を隱して云ふに左らばと此宿このしゆくに泊る梅花道人茶店に待てありしが一つになり見ぬ事とて早足の自慢大げさなり脇に羽の生えた跡もなけれどさて宿にりて見れば家名いへなは忘れしが家居いへゐ廣く清らかにて隣りに大きな櫛店くしみせもあり宿しゆく中第一の大家とは知られぬ湯に入り名物の櫛を買ふうちやがて名代の蕎麥を持ちいだす信濃路一体に輪嶋塗わじまぬり沈金彫ちんきんぼりの膳椀多しこれ能登よりの行商ありて賣り行くならん大きなる黒椀に蕎麥を山と盛りつゆを同じく大椀に添へ山葵わさび大根ねぎ海苔のり等藥味も調とゝのひたり蕎麥は定めて太く黒きものならんつゆ※(「酉+咸」、第4水準2-90-39)からさもどれほどぞとあなどりたるこそ耻かしけれ篁村一廉いつかどの蕎麥通なれど未だ箸には掛けざる妙味切方も細く手際よく汁加※つゆかげん[#「冫+咸」、U+51CF、17-上-27]甚はだし思ひ寄らぬ珍味ぞといふうち膳の上の椀へヒラリと蕎麥一山飛び來りぬ心得たりと箸を振ひやゝ二杯目を喰ひ盡さんとする此時遲く彼時かのとき早く又もヒラリと飛び込みたり是はと驚く後より左りに持つ椀へつゆ波々なみ/\がれたりシヤ物々しと割箸のソゲを取り膳の上にて付き揃へ瞬く間に三椀を退治たりと思ふ油斷に四椀目は早くも投げ込まれぬ此の狼狽我のみならず飮食道に豪傑の稱ある梅花道人始め露伴子太華山人も呆れ果て箸を膳に置いて一息しよく/\見れば美くしき妻女すゞしき眼を見はり椀だに明かば投げ込んと盛り替の蕎麥を手元へ引つけて呼吸きあひはかり若き女其後そのうしろにありて盛替々々續けたり今一人は汁注しるつぎを右に持ち中腰にて我々の後より油斷を見てつゆを注がんと搆へたり此備へ美事喰崩して見せんものと云合さねど同じ心に一同また箸を擧げしが拙者は五椀目にて降參をよばはり投げ込みとだまつぎを恐れて兩椀に手早く蓋をして其上をしつかと押へ漸く蕎麥責をのがれしが此時露伴子は七椀と退治和田の牡丹餅ぼたもちに梅花道人が辭してより久しく誰人の手にも落ちざりし豪傑號を得たりしは目ざましかりける振舞なり

第十三囘


此の藪原は木曾の深山なれば上の山には鷹多く昔しは巣鷹を取る爲に役所をさへ置かれけるとか和田鳥居と過來つる目にはさしも深山みやまうちなりとは思はれず左りながら此宿このしゆくを過れば木曾川に沿ふての崖道にて景色いふばかりなくよしともゑ御前山吹やまぶき御前の墓あり巴は越中ゑつちうにて終りしとも和田合戰ののち木曾へ引籠りしとも傳へて沒所さだかならず思ふにこゝは位牌所なるべし宮の腰に八幡宮あり義仲此の廣前ひろまへにて元服せしといふ宮の腰とは木曾がやかたの跡なればなりと土人今にして木曾樣義仲樣とうやまふ木曾が城跡といふは高き山ならねど三方山にて後に駒ヶ嶽聳へ前に木曾川ありこゝきたる道東よりするも西よりするも嶮岨の固め諸所にあれば義仲粟津あはづの戰塲をのがれ此にこもりて時を窺はば鎌倉の治世覺束おぼつかなかるべしなど語合ふおもへ治承ぢしようの昔し頼朝には北條時政といふ大山師おほやましが付き義經には奧州の秀衡ひでひらといふ大旦那だいだんなあり義仲には中三權頭兼遠ちうさんごんのかみかねとほといふわづかの後楯うしろだてのみなりしに心逞ましき者なればこそ京都へ度々忍びのぼつて平家の動靜を窺ひ今井樋口と心を合せ高倉宮の令旨りやうじを得るより雲の如く起り波の如く湧き越後に出で越前に※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)り忽ち京都へのぼり時めく平家を追下おひくだし朝日將軍の武名を輝かしき凡人にてはあらざりけり元暦げんりやく元年の春の雪粟津あはづの原に消えたれど首は六條の河原にさらされかばねは原にうづめたれど名は末代に殘りけり
杜鵑とけん一聲しばしは空に物もなし
年はわづかに三十一此の英傑を討取て「信濃なる木曾の御料ごれうに汁かけて只一口に九郎義經」と云れたる義經もたゞ此年を去る四五年にて同じく三十一にて死す二人は骨折損にして皆な頼朝にシテやられぬ氣の毒至極の事共なり我が贔負ひいき役者をみ消したる頼朝は憎けれどまた考へれば義仲には關白松殿の姫君のほか巴山吹などの艶福あり義經には京の君靜御前といふ意氣筋あり頼朝めは政子といふ嫉深しつふかのいけない女に恐れ入り偶々たま/\浮氣らしき事あれば三鱗みつうろこ逆立さかだてこはい眼に睨まれ小さくなツて手を引きぬ嗚呼あゝ艶福なる者は必らずかくの如く不運なり女運なければ幸福なり讀者諸君それいづれをか執らんと思ひ玉ふナニ女運を右に幸福を左りに握りたい不埒ふらち至極の了簡れうけんお止めなさい/\我輩は謹んで艶福を天にかへしたてまつり少し欲氣よくげに聞ゆれど幸福一方と决定仕りぬ友人中にはそれは惜いお前が女運をすつるとなると此の情世界が甚だ寂莫せきばく最少し艶氣を出せかしと勸告せらるゝむきもあれどイヤ其の仰せは僻事ひがごとなりもと堅く出て左樣ないやらしき儀一切いつせつ謝絶諸事頼朝流の事と取極め政子崇拜主義となりぬ皆樣みなさんも是非饗庭黨あへばたうとなり玉へ世の中まことに穩かにて至極野氣のんきで第一は壽命の藥女は命を削るのかんなかんなとをんなとおん近きもこれまた自然の道理なり緋威ひをどしの鎧とめかし込み艶福がるといづれ仕舞しまひは深田へ馬を乘り入れて二進につち三進さつちもいかなくなるか自腹の痛事あるべきなりオヽこはやと悟る人は誠にい子といふべきなりなどと横道のむだは措きこゝを越せば山吹が淵巴が淵など云ふ所あり山吹まことに盛りにて岩にさへられて水が巴にめぐるも妙なり
昔し誰が影やうつせし苔清水

第十四囘


福嶋驛はもと關所ありて山村甚兵衞これを固め鐵砲と女を嚴しく改めしといふ昔から女と鐵砲は兎角とかくわざをする物と見えたり成程此宿このしゆく繁花はんくわにて家數も多く作りて立派なり晝前なるに料理屋に三味線さみせんの音ありさだめて木曾の歌の古雅なるならんと立寄れば意氣がりて爪彈つめびきで春雨いらぬ事ながら何やら憎く思はれぬ道中筋の繁花な所といふと得て生意氣な風が吹て可厭いやな臭がしたがる者なり賢くも昨夜ゆふべの宿を藪原にとりし事よと獨り思ふこゝには通運會社あれば持重りの手荷物を東京へ送らんと荷拵へして頼めば目方を量るも賃銀を定むるも掛りの男居ずして知れがたし先拂ひにして下されよとの事にそれにて頼みしが此等より東京へ出すには一旦いつたん松本まで持ちかへるゆゑ日數ひかず十四五日は掛るといふ果して東京へは二十日目に屆きたり雨は上りたれど昨日きのふよりのふりに道は惡し宿しゆくの中ほどに橋ありこれを渡り終らんとする末の一足うしろを向いてむだを云ながら左を踏み出すと橋板より土は一寸ばかり低くガクリと落せしが鳥居嶺とりゐたふげのドツコイこゝに打て出でにはかに足痛みて歩きがたし左れども乘るべき車はなし橋際に立徃生もならず傘と痩我慢を杖にして顏をしかめて歩く此時の体相ていさう諸君みなさんにお目にかけずに仕合せサ惡い時にはいけない事が續くもので福嶋から二里ばかりの道は木曾とは思はれぬ只の田甫たんぼ泥濘ぬかるみにて下駄の齒は泥に吸ひつかれて運ぶに重く傘の先は深くはまりて拔くに力がる程ゆゑ痛みはいよ/\強く人々におくれて泣たい苦しみ梅花道人さすがに見捨がたくや立戻りて勢ひをつけるに外見みえを捨てその蝙蝠傘かうもりがさを借り遂に兩杖となりたるぞあはれなる道は捗取はかどらねど時が經てば腹は※[#「冫+咸」、U+51CF、18-下-22]りてまた苦を重ぬるを道人勇みをつけて一軒の茶店ある所まで連れ行きこゝにて待たれよ我は先へ行きて車を見つけ迎ひによこすべければと頼もしくいはるれどたつきも知らぬ山中やまなかに一人殘されては車を待つ間の心細さいかならんナニ是式これしきと力足を踏めば倒るゝばかりの痛み歩き自慢の中下駄ちうげたも此時ばかりは弱り入りそろり/\とまた出かけしがやがて山川の景色凡ならぬ所にいでたり問はねど知るゝ木曾の棧橋かけはしこれ此行第一の處ハテ絶景やと勇みつきて進めば川にのぞみて作りかけたる茶屋の店に腰打掛け太華露伴大得意に酒を飮み居たり人の苦みも知らず顏にと怨めば先へ來たは御座所をしつらへる爲めに先づ一杯ナント此景色はと云はれて何も打忘れ山を見ては褒めて一杯川を見ては褒めて一杯岩が妙だ一杯水が不思議だ一杯と景色を下物さかなに飮むほどに空腹すきばらではあり大醉おほよひとなり是から一里や二里何の譯はない足が痛ければ轉げても行くこゝさへ此の絶景だものかねて音に聞き繪で惚れて居る寐覺ねざめ臨川寺りんせんじはどんなで有らう足が痛んで行倒ゆきだふれになるとも此の勝地にはうぶられゝば本望だ出かけやう/\と酒がいはする付元氣つけげんき上松あげまつから車をよこすからこゝまちなと云ふを聞かず亭主大きに世話であつたなと大勇みで飛び出しは出たものゝ痛みは先より尚強し一丁行きては立止り景色を褒めてはまた休むゑひは苦しみに消されて早く醒め今は跡の茶屋へも戻れず先へも行かれず氣の毒な事を見てお痛足いたあしやと云ふ事は此時よりや始りけん

第十五囘


名下めいか虚士きよし無しなど云へど名のみは當にならぬ世なり木曾道中第一の名所は寐覺ねざめの里の臨川寺りんせんじうつゝにも覺え名所圖繪の繪にて其概略そのあらましを知たかぶり岩があつてたにがあつて蕎麥が名物是非一日遊ばうぞやと痛む足を引ずりて上松あげまつも過ぎしがやがて右手の草原くさはらの細道に寐覺ねざめとこ浦嶋の舊跡と記せしくひあるを見付けガサゴソと草の細道を分け行けば俗々たる寺あり門をればこゝ即ち臨川寺にて成ほど木曾川に臨みて居れど眺望佳絶といふべきにあらず此の前後の勝景に比べてはむしろ俗境といふべし小僧人のきたるを見るより忽ち出で來りて浦嶋太郎の腰を掛けた岩があれで向ふのが猿が踊ををどツた古跡だなどゝ茶かした云立いひたてに一人前五厘と掴み込む田舍の道者魂消たまげた顏にて財布を探るも氣の毒なり一行はながらにして名所を知るの大通なる上露伴子といふ先達せんだつあり云立を並べんとする小僧の口を塞ぎ座敷を借らんと云入いひいれしに座敷は迷惑なりと云ふ心得たりと太華大藏おほくらきやう五十錢札一枚を出すイザ是へと急に座敷に請じて茶菓さくわを饗す兎も角もこゝ書入かきいれの名所なり俗境なりとてさて止むべきかは一杯酌みて浦嶋殿の近付ちかづきとならんと上の旅人宿はたごやへいそぎさけさかなを持來れと命じそれより寺内を漫歩そゞろあるきしまた川を眺むるに流を餘り下に見るより川巾狹く棧橋かけはしよりいたく劣るやうに見ゆるにてマンザラ捨た所にはあらず雨雲ちぎれて飛ぶが如く對面の山※(「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2-1-57)たちまち有無いうむまた面白き景色となりしばらくは足の痛も忘れ石を投げて川の向ふへ屆くものを好子いゝこといふ競技をはじめしが酒は一時間過てもまだ來ず茶に醉ふてかフラ/\と露伴子はねぶり梅花道人は欠伸あくびするに我は見兼ね太華山人と共に旅人宿はたごやへ催促と出かけしにぢきに門前にて只今持ち參るの所なりといふ寺も早や興盡きてさぶきを覺ゆるにいつそ宿にて飮むまいかと割籠わりごの支度を座敷へ取寄せ寺に殘りし二人を呼び飮みかけたるまではよかりしが篁村ゑひ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りに分からぬ事を云出したり平生よくわけの分かる感心の拙者も酒といふ狂藥に折々不感心な事を仕出かすアヽ酒は嚴禁すべきものなり聞く英國のチヤーチル卿は國中こくちうの酒屋を皆な廢し醉漢のたまく共を掃落して仕舞はんと禁酒論を國會へ持ち出したりとかチヤーチル氏だから元より下戸だらうなどと茶かさずに誰人も酒は禁じたきものなりさて酒を飮みて湯にり湯より上りて酒を飮み大グズとなりて此座可笑をかしからず泊りを先の宿しゆくにして飮み直すべしといふ途方もなき事を云出し浴衣ゆかたのまゝ夜中やちうに飛出したり處は木曾の山中やまなかなり雨あがりに道は惡し行先は何やら勝手知れず其うへ飛出してから氣が付けば足の痛みありそして車は更なり家もなしドウも木曾山中の夜景は妙だとは酒の云せる譫語たはごとにて矢鱈やたらと豪傑がる拙者は我慢の跡押あとおしあれど連累まきぞへとなりし梅花道人こそ氣の毒なれコレサ危ないイヽサ承知だよと受答へに醉も定めて醒めしならん勢ひにまかせて一里ほどを歩き漸く家の五六軒ある處に至り片端から叩き辛じて車を一輛仕立させしが二人は下駄を踏みかへしすねまで泥の尻からげ浴衣がけで荷物はないグズ醉の旅人たびゝとなれば驚き呆れて車の梶棒を下に置き顏打守るばかりにて乘れとは更に云ざりけり

第十六囘


とかうして車に乘れば醉とつかれにウト/\とねぶりかけしがガタリと車は止りて旦那こゝが小野の瀧でござりますと云ふ心得たりとり立しが泥濘ぬかりみちに下駄はたゝずバタリと轉べば後より下りし梅花道人またバタリ泥に手を突きコリヤ歩かれぬとわめくを車夫二人手を取り跡押あとおしせし車夫の女房ふたつ提灯てうちんを左右の手に持ち瀧のほとりに指上げたり瀧は高きにあらねど昨日きのふ今日けふの雨に水勢を増しさながら大河をさかさまに落すが如し衣袂いべい皆なうるほひてそゞろさぶきを覺ゆれば見分けんぶん確かに相濟んだと車夫の手を拂ひて車に乘ればまたガタ/\とすさまじき崖道がけみちを押し上り押しくだし夜の十時過ぎ須原すはら宿やどりへ着き車夫を厚くねぎらいて戻し是より風呂を新たに焚き酒の下物さかなを調するなど宿の者は騷ぐうちを待つ程もなく我は座敷に倒れて熟醉うまゐしたれば梅花道人如何いかなる妙狂言ありしかそれは知らず
此の須原は花漬トロヽ汁の名物なり翌朝鰻のブツ/\切の馳走になり一陶いつたうの勇氣をかりて車にて出づ細雨濛々まう/\たれど景色を見脱みおとさんが惜ければ母衣ほろは掛けず今井四郎の城跡といふあり此間右は木曾川みなぎり流れ左りは連山峨々がゝたるがけなるが左りの山をつんざいて横に一大河の流れて木曾川へ入るあり此の棧橋かけはしの上より車をとゞめて川面かはづらを見やれば誠に魂を冷す關山とてさかしき坂あり一人こゝを守れば萬夫も越えがたしと見ゆる絶所にて景色けいしよくもよし車夫いろ/\名所話しをなすあへぎながらものいふが苦しげなれば此方こなたよりこゝはなどゝとはん時のほか話しかけるに及ばずと云へど左れど國自慢に苦しげながら又不問語とはずがたりするも可笑をかし野尻を過ぎ三戸野みとのにて檜笠ひのきがさをもとめ蝙蝠傘かうもりがさにかへてこゝにて一句あるべきと梅花道人の云へば
土産つとにして凉しと云はん人は誰
と口早に云てこれを笠の裏にかゝんとせしが茶店の亭主仔細らしき顏して二人が姿を見上げ見下みおろし小首かたぶけ痛はしやいかなる雲の上人のなど云出ん樣子なればチヤクと其笠に姿を隱し車に乘る表にたちて見るもの子供まじりに十四五人あり梅花道人我身に受けてグツト氣張り車やれとおつな調子なり妻籠つまご宿しゆくにて晝餉したゝ馬籠まごめの峠なれば車は二人曳にんびきならでは行かずそれもなか/\遲し馬にて越させ玉へと宿やどの主の心付けに荷を付けて中津川なかつがはより來りし馬二頭ありしを幸ひこれに乘る元より駄馬なれば鞍も麁末そまつに蒲團などもなし宿の主才角さいかくしてうしろより馬の桐油とうゆをかけて我々を包む簑虫の變化ばけものの如し共に一笑してこゝを出づ此には雌雄めをたき鯉岩烏帽子岩ゑぼしいはなどあり飯田とかへ通路ありとて駄荷多くつどひて賑し左れど旅人りよじんなどは一向になし晝の宿に西洋人二人通辯ボーイ等五六人居たるのみ此峠は木曾の御坂みさかと歌にも詠む所にて左のみ嶮しからず景色穩やかにてよしいにしへ西京よりあづまへ向ひて來んには此の峠こそ木曾にるはじめなればさてこそ都人みやこびとの目に珍しく賞したるならん東より西をさして行かんには此の峠など小さき坂とも見做すべし風越かぜごしみねといふも此あたりだと聞しかど馬士まごねから知らずかへつて此山にて明治の始め豪賊を捕へたりなどあらぬ事を誇る時に不思議や馬の太腹我腰のあたりにとりの啼聲す顧みればとりはなく若き男葉付の竹を杖にして莞爾にこつき居たり

第十七囘


今の世にかくを愛する孟甞君まうしやうくんなし有らば此人や上客じやうかくの一人ならん年ごろ廿一二痩てせい低く色白く眼は小さけれど瞳流れず口早にて細き聲の男馬士まごの友と見え後先に話ながら來りしが忽ち小指を口に當ると思ふトにはとりなくをなす其の妙なること二三度は誠のとりと聞捨て四五度目に至り怪しや人家なき此の山中にと氣付きて始めて此男のいたづらと知りしなり東京に猫八とて犬猫よりとり烏の眞似をする者あれどおんみの絶技に比ぶべくもなしと褒めるに氣を得てやをんどりを見付てめんどりを呼ぶ聲怖しき物を見て叫ぶ聲などいろ/\の曲を盡す二人は興に入りいろ/\話かければ彼も鼻をうごめかして白山はくさんの祭禮に勇を振ひて女連をんなづれの敵を驚かせしこと親父に追出されて信州の友を尋ね矢鱈やたら婦人に思ひ付かれしこと智計を以てぜになしに旅せしこと伊勢參宮に人違ひの騷動など細やかに話す話すに條理すぢみちあらねども其の樣子其の身振面白く可笑をかしく腹を抱へて馬より落ちんとせり馬士まごもまた客の悦ぶに共に悦び鶴さん此前の喧嘩に組打した事を話して聞せなされと云ふさすが才子の鶴的此の組打は語りて其身に不利益と思ひしにやにがみて他を云ふもまた可笑をかつひに我輩問ひて此地の流行唄はやりうたに及びしに彼またくはしく答へて木曾と美濃と音調のたがひあることを論じ名古屋はまた異なりと例證に唄ひ分けて聞す其聲亮々りやう/\として岩走る水梢を吹く風にくわす唄ひ終つて忽ち見えず梅花道人鞍を打て歎じて曰く山川秀絶の氣りてかゝる男子をいだす此人し東京にいでて學ぶこと多年ならばいかなる英傑とならんも知れずと我輩曰くかゝる奇才子は宜しく此の山間に生涯を終りて奇を丘壑きうがくうづむべし然らずして東京へいでてなまじひに學問をせば猾智かつち狡才かうさい賄賂を取るにあらねば其の周旋人をおだてる公事師くじしとならずば小股をすくふ才取さいとり。我家を遊樓おやまやにして時めく人を取込む紳士か左らずば長官の御手の付し引物ひけものを頂く屬官とならん名節をけがし面目を泥にし只其類の小人せうじん富貴ふうきを羨まるゝに止まるべし清唳せいるゐ孤潔此の鶴公の名を如何いかにせんと此時また忽然と鶴的鞍にひて歩みきたる見れば馬のくつを十足ほどの竹杖にくゝし付けて肩にしたり我馬士わがまご問ふて曰く鶴さん大層くつかはしつたな煮付て晩飯の代りに喰ふかよと鶴的莞爾くわんじとしイヤ喰て仕舞しまはぬ爲に買た今日馬を追て十八錢取つたが彼所あすこばゝの茶屋で強飯こはめしを二盆やつたから跡が五錢ほきやない是を持て居ると歸るまでにまた何ぞやつて一文なしにして又親父にどやされるがおちだからみんな馬の沓を買てしまつたホラよと是を親父の前へ出せば睨まれる事はないワと此答へを聞て我輩おほいに驚けりおのれの心己れが嗜欲にかたざるを知り罪を犯せし後にくゆとも犯さゞる前にかへらざるを知り浪費せざる前に早く物と換へて其災ひを未前みぜんに防ぐ智といふべし歸りて父の温顏を見るを悦ぶ孝といふべし生知せいちの君子九皋きうかうに鳴て聲天にきこゆる鶴殿をあしくも見あやまり狡才猾智の人とせしこそくやしけれ誠や馬を相して痩たるに失ひ人を相して貧きに失ふアヽ※(「りっしんべん+蜈のつくり」、第3水準1-84-50)あやまちぬとくゆるにつけても昨夜の泊り醉狂に乘じて太華氏露伴子に引別れたる事のおもなさよ今日は先に中津川に待ち酒肴しゆかうを取設け置てあやまちの償ひとせんと心に思ひて中津川の橋力はしりきに着けば一封の置手紙あり即ち兩氏の名にして西京にて會せんとあり憮然としていだすべきことばなし

第十八囘


中津川は美濃の國なり國境くにざかひ馬籠まごめと落合の間の十こくたふげといふ所なり國かはれば風俗も異なりて木曾道中淳朴じゆんぼくふうは木曾川の流と共にはなれてやゝ淫猥の臭氣あり言語ことばも岐阜と名古屋半交はんまぜとなり姿形すがたかたちも見よげになれり氣候も山を離れて大に暖かみを覺ふ昨日車中より見たる畑の麥はわづかに穗をいだしたるのみなりしが今日こんにち馬上に見れば風に波寄る程に伸びたり山をいでたる目には何事も都めくにことに此の橋力はしりきといふは中山道なかせんだう第一といふべき評判の上旅籠屋じやうはたごやにて座敷も廣く取扱ひも屆き酒もよく肴もよし近年料理屋より今の業に轉じ專心一意の勉強に斯く繁昌をなすなりといふ昨夜は醉にまぎれたれば何ともなかりしが今宵は梅花子と兩人相對して燈火ともしびも暗きやうに覺え盃をさすにもさみしく話も途絶勝とだえがちなれば梅花道人忽ち大勇猛心を振り起しイザヤ他の酒樓に上りて此の憂悶を散ずべしかねこゝにて大盛宴を開くつもりならずや我輩つかれたりと云へどよく露伴太華の代理として三人分を飮むべしと云ふこれにはげまされて何樓とかへのぼ歌妓うたひめありと聞て木曾の唄をたしかに聞ざるも殘念なればとそれを呼びてうたはすに名古屋の者なれば正眞の木曾調子にはゆかずと謙遜してさて唄ふ其唄
木曾のナア木曾の御嶽山おんたけさんは夏でもさぶあはせやりたや袷やりたや足袋たび添へて
木曾のナア木曾の御山おやまはお月を抱きやるわしも抱たやわしも抱たやお十七じふしち
隨分無骨ぶこつなる調子にて始はフト吹出すやうなれど嶮しき山坂峠をば上り下りに唄ふものなればだみたるふしも無理ならず其文句に至りては率直にして深切しんせつありのまゝにして興あり始の歌木曾の山のさぶきを案じ夏とて谷間に雪あるにをとこ單衣ひとへぎぬにてのぼられぬ梢のしづくいはほしたゝり何とてそれにてしのがれんあはせを贈りまゐらせたやとの情の孤閨を守るをんなが夫が遠征の先へ新衣をしたてて送んとしおもへさだめつかれに痩せ昔の腰圍こしまはりにはあるまじときぬたゝんとして躊躇するにも似たりしかしてこれは丁寧ていねい尚ほ足袋に及ぶ爪先までも心の屆きし事といふべし又次の歌は想ふ人を月に寄せたるにて木曾の山つきいだくの語は杜工部とこうぶ四更山吐月しかうやまつきをはくと詠じたると異意同調ともいふべきなり其の謠ふ間の拍子取りにはトコセイ。ヨイサといふに麓より見上げて胸を衝くばかりの鳥居峠など上らんに右の手の竹杖に岩角を突き斯く唄はゞ其のつかれを忘るゝ事もあるべし我輩越後に赴きしとき米山よねやまを越えて後に新潟にて米山節を聞しが其の音節調子おもきを負ふて米山をこゆるによくかなひたり拍子詞へうしことばにソイ/\といふは嶮しけれども高からぬゴロタ石の坂を登るを見るが如し所によりてはやことばの斯く變るは面白し此のかにいろ/\歌あれど今作り添へたるものにて卑俗聽くにたへず諸國風俗唄の古きにはよきが多し是等取調べてあしきは捨てよきを殘さば假名の詩經が出來やうも知れず一話一言のうちなりしが諸國の唄を集めいだせしうちに遠州邊の唄とて
魚は水に住む鳥は木にとまる人はなさけの下に住む
といふがありしと覺ゆ「鴨ぞ鳴くなる川よどにして」の古歌に心は同じにして只俗なるのみ俗なるゆゑ人に通ず俚歌りかは輕んずべきものにあらずと昨夜ゆふべに懲りて此夜は眞面目なり

第十九囘


中津川の宿しゆくたゝんとするに左の足痛みて一歩も引きがたしコハ口惜くちをしと我手にもみさすりつして漸やく五六町は我慢したれどつひこらへきれずして車乘詰のりづめの貴族旅となりぬ雨は上りたれど昨日きのふ一昨日をとゝひも降り續きたる泥濘ぬかるみに車の輪を沒する程の所あり何卒なにとぞ小山の上を少しの間歩き玉ひてと車夫の乞ふに心得たりと下りては見たれどなまじ車に足をすくめたる爲め痛み強くわづかに蝙蝠傘かうもりがさを力に右の足のみにて飛び/\に歩く苦しさいはん方なし小松交りの躑躅つゝぢの花の美しきも目にはらず十間歩くを一里とも二里とも思ひなせど痛き顏をしては梅花道人の案じ玉ふが氣の毒なればわざと顏の皺を伸ばし洒落などいはんとすれど滿足に出るは稀なれば今日は大層洒落が苦しいネと云るゝ辛さ笑ふさへ足に響く心地す大井を過ぎて新街道大釜戸おほかまどといふより御嶽みたけへ出づ元は大井より大久手おほくて細久手ほそくてを經て御嶽みたけいでしなれど高からねど山阪多きゆゑ釜戸かまどかたを街道となせしなりと如何いかばかりの事かあらん見渡すかぎり木曾に馴れし眼には丘といふぐらゐの山のみ道をかゆる程の必要あらんやと口には云しが此足に山阪は恐れる運よく此街道を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)る事よと腹には思ひたりうとふ阪の下り口を例の通りおろされて澁々歩くと跡先になりて二十六七の羽織着たる男しきりに二人の姿を眺めしがやがて道人の前へ一揖いついふして失禮ながら其の革提かばんは東京で何程ぐらゐ致しますと問かけしが其の樣子アヽ欲しやこれをげなば定めて村人の驚き羨まんにと思ふ氣色けしきなりまたやがて我に近づき先ほど見上げましたが珍しい蝙蝠傘かうもりがさはぢきがなしでよく左樣に開閉ひろげすぼめが出來ますさぞ高い品でござりませうと是も亦片手に握りて見たき顏の色に我はヱヘンとして斯樣かやうな物は東京に住む者が流行はやりに逐はれて馬鹿の看板に致すなり地方の人は鰐皮の革提かばんの代りに布袋を提げパテンの蝙蝠かうもり※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)かざさずして竹の子笠をる誠に清くして安樂の生涯羨ましき限りなり衣服調度の美を競ふは必竟ひつきやう自分の心を慰むる爲ならず人に羨まれん感服されんといふ爲なり其爲に心を苦ますること幾許いくばくか知れず惡事も此念より芽をいだし壽命も是より縮まるなり此の江戸風が地方に流れ込むは昨年の洪水より怖しきものと思ひ玉へと云へばきもの潰れた顏をして足早に行過しも可笑をか御嶽みたけ宿しゆくにて晝食ちうじきす此に可兒寺かにでらまた鬼の首塚などありと聞けど足痛ければ素通りときめて車を走らす是より山の頂の大岩道を行く下されること數度なり左右の松山にヂイ/\と濁りし聲に啼く虫あり何ぞと聞ば松虫と答ふ山に掛れば數万本の松皆赤枯れて火に燒けたる如し又問へば松虫が皆な喰ひ枯せしなりといふ松に此虫がけば滿山枯し盡さねばやまず其形は毛虫の如くにて憎むべきものなりと云ふ嗚呼あゝ松に生じ松によりて育ちながら新芽を喰ひ盡して其松をあはれに枯し却つて其身はヂイ/\と濁聲だみごゑを放つて得意を鳴らす其名を聞けばおとなしやかに松虫といふ汝に似たる人間もまた世になきには非ざりけり數百万本の松の芽をいたづらに喰ひ盡しむしり取り名は美しく毛だらけにてヂイ/\と濁聲だみごゑに得意を鳴らすもの嗚呼なきにはあらざりけり枯るゝ松こそ哀なれ

第二十囘


中納言行平卿ゆきひらきやうの墓ありといふ少し縁續きなれど參らず伏見を經て太田川にかゝる大河なり木曾の棧橋かけはし太田の渡りと古く謠ひて中山道中やかましき所なり河を越して太田に泊る宿狹けれど給仕の娘摺足すりあしにてちやつた待遇もてなしなり翌日雨降れど昨日きのふの車夫を雇ひ置きたれば車爭ひなくして無事に出立す母衣ほろを掛くれば四方の景色見えず掛けねば濡れるといふ難あり着物や荷物は濡てもまた乾かすべし景色は再び會ひがたからんと决着していかに濡るゝも母衣ほろをかけず道は平坦たひら繩手なわてにてしかも下り目ゆゑ雨に拘はらずよく走る此邊は官林の松林ありの松虫に喰枯されて何百万本か新たに小松を植付け虫取役を付け置かるゝとぞ同じ虫でもかひこの如く人に益し國をとますあればく樹を枯して損を與たふるものありに世はさま/″\なりと獨り歎じて前面むかふを見れば徃來は道惡き爲めに避けてか車の行くを先にけてか林のわき草原くさはらを濡れつゝきた母子おやこありをやは三十四五ならんが貧苦にやつれて四十餘にも見ゆるが脊に三歳みつばかりの子を負ひたりうしろに歩むは六歳むつばかりの女の子にて下駄を履きたり母はふちのほつれし竹の子笠をかぶりたるが何故にやおとがひの濡るゝまで仰向きたり思へばこれせなの子を濡らさじと小さき笠をうしろおほふ爲なりしまだ其下にもあとの子を入れんとにやうしろさまに右の手をいだして娘子むすめの手を引かんとすれど子供はスネてか又は脊に負はれしおとゝを羨みてや兩手を胸に縮めて寒げにかぢけ行くのみなくこゑはなし涙は雨に洗はれしなるべし此の母の心は如何ならん夫は死せしかやみて破屋の中に臥すかいづれに行かんとし又何をなさんとするや胸に飮む熱き涙に雨を冷たしとは思ふまじしかも此日は風寒く重ね着しても身の震ふにつゞれ單衣ひとへすそ短かく濡れたるまゝを絞りもせず其身はまだもこらゆべし二人の子供を何とせん憐れにも亦いぢらしき有樣よと思ふうち母子おやこの歩みは遲けれど驅ける車の早ければ見顧みかへりても見えずなりぬ此母子このおやこ境界きやうがいはいかならん影の如く是に伴ひて見たしまた成しとげらるゝものならば力をも添へてやりたし嗚呼此の脊に負はるゝ子あとより歩む娘今より十年の後はいかになりて在るや二十年の後は何となるべきや人生れて貧賤なればとて生涯それにてはつるにあらず※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはり合せさへよくば富貴ふうきの者となりて雨に戀しきみのゝ國に昔し苦みし事を笑ふて語る時あらんも知れずよし貧賤に終るとて此の母子おやこの慈愛ありなまじ富貴にして却つて財物ざいもつを爭ひ兄弟親子しんし疎遠になりかたき同士と摺れ合ふよりは幸福なりなど思ひつゞくるうち鵜沼うぬまも過ぎて加納かなふに着きしが此間このあひだの景色川あり山あり觀音坂といふ邊など誠に面白き所なりし岐阜の停車塲ステーシヨンの手前の料理店にりて晝をしたゝめ是より我は足の痛み強ければ一人東京へ歸らんと云ひ梅花道人は太華氏露伴氏の跡を追ふて西京に赴むくといふつひこゝにて別杯を酌みかはし
左らばとて分つ袂に桐の雨
幸ひに西も東も午後一時何分とか時間にたがひ少なきゆゑ共に停車塲ステーシヨンに入り道人は西我は東煙は同じ空になびけど※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車は走る道を異にして我は其夜靜岡に泊り待つと告來し大坂の友には今年の秋とちぎり翌日また※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車にて根岸の古巣へ飛び歸りぬ





底本:「明治文學全集 94 明治紀行文學集」筑摩書房
   1974(昭和49)年1月30日第1刷発行
底本の親本:「むら竹 第二十卷」春陽堂
   1890(明治23)年12月
初出:「東京朝日新聞」
   1890(明治23)年5月3日〜7月3日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「石荒阪」と「石荒坂」、「居爐裡」と「圍爐裏」、「險阻」と「嶮岨」、「桔梗きゝやうはら」と「桔梗きゝやうはら」、「※(「てへん+丙」、第4水準2-13-2)」と「柄」の混在は底本の通りです。
※「國境」に対するルビの「くにさかひ」と「くにざかひ」の混在は、底本通りです。
入力:古山惠一郎
校正:岡村和彦
2019年5月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「冫+咸」、U+51CF    17-上-27、18-下-22


●図書カード