遺書の一部より

伊藤野枝




 もう二ヶ月待てばあなたは帰つて来る。もう会えるのだと思つても私はその二ヶ月をどうしても待てない。私の力で及ぶ事ならばすぐにも呼びよせたい。行つて会ひたい。けれども、もう廿二年の間、私は何一つとして私の思つた通りになつたことは一つもない。私の短かい二十三年の生涯に一度として期待が満足に果たされたことはない。それは本当にふしぎな程です。私は何時だつてだから諦めてばかりゐます。またあきらめなければなりませんのです。あなたに会ふことも出来ません。私は本当に弱いのです。私は反抗と云ふことをまるで知りません。私のすべては唯屈従です。人は私をおとなしいとほめてくれます。やさしいとほめます。私がどんなに苦しんでゐるかも知らないでね。私はそれを聞くといやな気持です。ですけど不思議にも私はます/\をとなしく成らざるを得ません。やさしくならずにはゐられません。私は自分のぐずな事を悲しみながらます/\ぐずになつて行きます。私は悲しいそして無駄な努力ばかしを続けて来ました。私は敵に生命をくれと云はれてもすなほにさし出すやうな人間に生れてゐるのです。私はまだ廿三年の間にたゞの一度だつて不平をこぼしたことはありません。まだ人に荒い言葉を返した事はありません。私は教へてゐる子供たちを叱らうとすると自分の方が先きに泣き出します。私は小さい妹や弟たちからでさへも馬鹿にされて叱られます。それでも私はその弟たちにたゞ一言の口答へさへ出来ません。皆他人は私をほめてくれます。親しさを見せてくれます。けれども私は何時でも自分のふがひない矛盾を悲しむことで一ぱいになつてしみ/″\人と親しくなることが出来ません。私は怒ると云ふことが出来ません。現在私がかうして今死なうとしてゐてさへ誰も憎らしい人はないのです。私は生きてゐることに堪へ得られない自分に対してさへその意気地なしに対してさへ腹を立てることが出来ません。私はたゞめそ/\悲しむだけです。私は自分自身を制御するだけの力さへ与へられてゐません。私は長く生存すべき体ぢやないのです。当然与へられねばならない人間としての自由の何一つとして私は持つてはゐません。たつた一つ、それはたゞ神様がこの弱い私にたつた一つの自由を与へて下さいました。私はそのたつた一つの自由を生れてはじめてのまた最後の自由として、それを握ります。けれどその自由さへ実は今まで時期を許して下さいませんでした。私の長い間願つた時期は近づいたやうです。それにつけてもたゞあなたに申あげたいのはあなたはそんなことは決してないことは知つてゐますが自分に負けないで下さいと云ふことです。私は前にも申あげる通りに、自分が何時でも負けてはその度びに一皮づゝ自分の上にかぶせて行きました。此度こそはこのおおひを一思ひにと思ひますがその度びに反対にかぶつて行きました。今はもうまつたく私の周囲は身うごきをする程の余地も残つてはゐません。何時かあなたは、私に、「死んだつもりでならどんなことも出来る。何故もつと積極的な決心にお出にならないのです」と云ひましたね。ですけれど繰り返して申ます。私は弱いんです。私はその殻をつきやぶつて出た後がこはくてたまらないのです。私に――この弱い私に与へられた自由は一つしかありません。私はもう私のすべてを被つてゐる虚偽から離れて醜い自分を見出すことは私にとつては死ぬより辛いのです。私は今迄他の人のやうに自由がなかつたことを思つて下さい。私には一日だつて、今日こそ自分の日だと思つて、幸福を感じた日は一日もありません。私は私のかぶつてゐる殻をいやだ/\と思ひながらそれにかぢりついて、それにいぢめられながら死ぬのです。私には何時までもその殻がつきまとひます。それに身うごきが出来ないのです。私の声の――真実な叫びの聞こえる処にゐる人は誰もないのです。私はもう「よりよく生くる望み」などは到底もてません。私はこの世に存在する理由を何処にも認めません。私は「自分」と云ふものを把持してゐることの出来ない弱者です。私一人の存在が何にもかゝはりのないことを思ひますと私はもう一日もはやく処決しないではゐられません。人のことは誰にも分りません。私は毎日教壇の上で教へてゐる時、又職員室で無駄口をきいてゐる時、私が今日死なう明日は死なうと思つてゐる心を見破る人は誰もない。恐らくは私の死骸が発見されるまでは誰も私の死なうとしてゐる事は知るまい、と思ひますと、何とも云へない気持になります。「それが私のたつた一つの自由だ!」と心で叫びます。本当に私のこの場合ひにたつた一つたしかめ得たことは、人間が絶対無限の孤独であると云ふことです。私の死骸が発見された処で人々はその当座こそは何とかかとか云ふでせう。けれども時は刻一刻と歩みを進めます。二年の後、三年の後或は十年の後には誰一人口にする者はなくなるでせう。かつて私と云ふものが存在してゐたと云ふことはやがて分らなくなつてしまふのです。よりよく生きた処でわづかにタイムの長短の問題ぢやありませんか。人間の事業や言行など云ふものが何時まで伝はるでせう。大宇宙! 運命! 私の今の面前に押しよせて来てゐるものはこの二つです。私はもうすべての情実や何かを細かく考へる煩はしさに堪えられません。私は曾て少しは、自身の慰さめにもと思つて基督教と云ふものを信じて見ました。私は牧師や伝道師たちからのほめられ者でした。立派な篤信者だ。美しい人格だと讃められましたけれども自分には矢張り苦しくてたまりませんでした。矢張り虚偽の教へと云ふことを感じました。私は遠ざかりました。それがこの頃になつて漸くその教への真髄をつかみ得たやうな気がします。運命なのです。それがその力が神と云ふ変化されたものになつたのです。私は運命を信じます。その不可抗な力を信じます。今私の上に一ぱいにその力がかぶさつてゐます。恐らく誰の上にもさうなのでせう。私はいくらもがいた処でその力にかなはないことを知つてゐます。不思議なこの大宇宙を支配する偉大なる力にも私は従順にしたいと思ひます。私はかうやつて書いてゐて、ふと、矢つ張り、私の今迄の生活は虚偽でなかつたのかもしれないと云ふことを考へます。私は矢張り、その運命の支配するまゝに動いて来たのです。ですからうそではないやうにも思へます。私ばかりでなくすべてのものが――たゞ人間が運命と云ふものを考へないでてんでん勝手にいろんな事を考へてはあたれば本当、あたらなければうそだと云つてゐるやうにも思へます。思へば考へれば深く考へる程分りません。善とか悪とか云ふのもみんな人間の勝手につけた名称でせう。あゝ、私はもう止めます。まつくらになりました。何だかすべての事のケヂメがわからなくなります。私は今私の考へてゐることが一番正しく本当であることを信じてその通りを行ひます。私はよわいけれどぐちはこぼしません。あなたもそれを肯定して下さい。私の最後の処決こそ私自身の一番はじめの、また最後の本当の行動であることをよろこんで下さい。私のその処決がはじめて私の生きてゐたことの本当の意義をたしかにするのです。私は私の身をまた生命をしばつてゐる縄をきると同時に私はすべての方面から一時に今迄とり上げられてゐた自由をとり返すのです。どうぞ私の為めに一切の愚痴は云はないで下さい。

 あゝ、私は今迄何を書いたのでせう。もう止しませう。たゞ私は最後の願ひとして、私は本当に最後までついに弱者として終りました。あなたは何にも拘束されない強者として活きて下さい。それけがお願ひです。屈従と云ふことは、本当に自覚ある者のやることぢやありません。私はあなたの熱情と勇気とに信頼してこのことをお願ひします。忘れないで下さい。他人に讃められると云ふことは何にもならないのです。自分の血を絞り肉をそいでさへゐれば人は皆よろこびます。ほめます。ほめられることが生き甲斐のあることでないと云ふことを忘れないで下さい。何人でも執着を持つてはいけません。たゞ自身に対して丈けは全ての執着を集めてからみつけてお置きなさい。私の云ふことはそれ丈けです。私は、もう何にも考へません。私は今はじめて生れてはじめて自分の内心から出た要求を自分の手で満たし得られるのです。私の残した醜い死体を発見した時にどんなに人々はさわぐでせう。どんな憶測をすることでせう。私はもうすべての始末をつけてしまひました。誰も知りません、誰もしらないのです。知つてゐるのは私だけ。この手紙が三日たつてあなたの手に這入はいるまでには大方全部、私の望みが果されるでせう。私ははじめて私自身の要求を自身の手に満たすのです。はじめてゞそして最後です。愚痴を云はないで下さい。お願ひします。私はもう、自分の処決をするよろこびに一杯になつてゐます。けれどもあなたに丈けは矢張り執着があるのです。それがこれ丈の手紙を書かせました。よく今迄私を慰さめてくれましたね、本当に心からあなたにはお礼を申ます。随分苦しい思ひもさせました。すべて御許し下さい。もう一切の執着を絶つて下さい。あなたと私とは今はなれてゐます。たゞね二三ヶ月たつてあはれる筈のが都合でもつと長くあへない丈けだとおもへばそれ丈けですよ。ね、随分長く書きました。不統一なことばかりですけれど許して下さい。混乱に混乱を重ねた私の頭です。不統一な位は許して下さい。ではもう止します。最後です。もう筆をとるのもこれつきりです。左様さようなら。左様なら。何時迄もこの筆をきたくないのですけれど御免なさいもう本当にこれで左様なら。
[『青鞜』第四巻第九号・一九一四年一〇月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第一巻 創作」學藝書林
   2000(平成12)年3月15日初版発行
底本の親本:「青鞜 第四巻第九号」
   1914(大正3)年10月1日
初出:「青鞜 第四巻第九号」
   1914(大正3)年10月1日
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:Juki
2013年5月7日作成
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