白痴の母

伊藤野枝





 裏の松原でサラツサラツと砂の上の落松葉を掻きよせる音が高く晴れ渡つた大空に、如何にも気持のよいリズムをもつて響き渡つてゐます。私は久しぶりで騒々しい都会の轢音れきおんから逃れて神経にふれるやうな何の物音もない穏やかな田舎の静寂を歓びながら長々と椽側近くに体をのばして、甘つたるい洋紙の匂や、粗いその手ざはりさへ久しぶりな染々しみじみした心持で新刊書によみ耽つてゐました。
 ふと頁を切るひまの僅かな心のすきに、如何にも爽快なリズムをもつたサラツサラツと松原の硬い砂地をかすめる松葉掻きの竹のほうきの音が、遠い/\子供の時分に聞きなれた子守歌を歌はれる時のやうな、何となく涙ぐまれるやうなフアミリアルな調子で迫つて来ました。私は何時か頁を切る事も忘れて其のまゝボンヤリ庭のおもてに目をやりながら其の音に聞き惚れてゐました。先刻さっきから書物の上を強く照らして、何んとなく目まひを覚えさせた日の光りは、秋にしては少し強すぎる位の同じ日ざしを、庭の白い砂の上にもまぶしく投げてゐました。おつとりと高くすんだ空には少しふつり合ひな位に、その細かに真白な砂はギラ/\とまぶしく輝いてゐました。私は何時までも何時までもぼんやり其処に眼をすえて遠くの方から聞えて来る其の松葉掻きの音に聞き入って[#「聞き入って」はママ]ゐました。
 丁度寝おきの時の気持に似たそれよりは少し快い物倦さを覚えるボーツとした其の時の私の頭の中に、ふと祖母と弟の話声がはいつて来ました。
『あたいはどうもしやしないよ』
『本当にかまはなかつたかい?』
『かまやしないつたら! あたいは見てゐたけだつてば』
『そんならいゝけれど、これからだつてお祖母ばあさんが何時も云つて聞かすやうに、芳公に悪い事をするんぢやありませんよ。芳公だつて人間だからね、決して竹の先でついたりいたづらをするんぢやないよ。他の人がどんな事をしてもだまつて見てゐるんだよ、決して仲間になつて、悪い事をするんぢやないよ』
『あゝ、大丈夫だよ、しやしないよ、何時だつて見てゐるきりだよ』
 弟は面倒臭そうに話をすると駈け出して来て椽側で独楽こまをまはし始めました。
『これ! またそんな処で。椽側でこまをまはすんぢやないと云つとくぢやないか』
 祖母は直ぐ後から歩みよつて叱りつけました。弟はニヤリと笑つて、そのはづんでゐるのを掌にとつたが忽ちまはり止んだので仕方がなささうにまたその長い緒を巻きはじめました。
『また誰か芳公をいぢめたの?』
 私はからかふやうに弟に聞きました。
『いぢめやしないよウ、あんな奴いぢめたつてつまらないや』
 弟は口をとがらして、さも不服らしく私の顔を見上げました。
『どうしてつまらないのさ』
 私はその小さなふくれつ面を面白がつてまた聞きました。
『だつて、何したつて黙つて行つちやうんだもの、つまらないよ』
たまには追つかけて位来るでせう?』
『来ないよ』
『一度もかい?』
『あゝ』
 芳公と云ふ白痴の男は、私の家とは低い垣根を一重隔てた隣の屋敷の隅にある小屋の中にその母親の老婆と二人で、私がまだ幼い時分から住んでゐました。芳公は首をまつ直にした事のない男でした。何時でも下を向いて大きな背を丸くして人の顔を上目で見てはニヤ/\笑つてゐる男でした。彼は滅多に口をきいた事はありませんし、偶にきいても細い/\声で一と言二た言云ふとそれから先きは何んと云つても聞きとれるやうな声では云ひませんでした。彼は私がまだ五つか六つ位の時にもう七十に手が届くと云はれたその母親に養はれてゐたのですが、力だけは驚く程持つてゐますので、よく米搗こめつきや山から薪を運ぶ仕事などに使はれてゐました。私もまた幼い時から弟が今祖母に云はれたのと同じ事を云はれながらよくからかつたものでした。けれど其の頃は少し私共がうるさくつきまとふと、彼は怒つて追つかけて来たり、手あたり次第に石を投げつけたりしました。彼は其の時分私達が――と云ふよりは私達を率ゐる子守共がよつてたかつてからかひながら年を聞きますと、きまつて『十九』と細い声でさも恥かしさうな身振りでやつと答へました。けれど其時分既に大人達はもうどうしても彼の年を四十以上だと勘定してゐました。それからもう十七八年の年月が移つてゐます。いくら年を取らない馬鹿だと云つても、矢張りもう十五六年前の気力を失つたのだらうと私は思ひました。
『芳公は一体もういくつ位なのでせうね。どうしても五十以上にはなつてゐますね』
『もうそんなもんだらうねえ』
 何時の間にか私の前の方で小ぎれいななりをしてゐた祖母は私の問ひに格別考へる様子もなく顔をうつむけたまゝどうでもいゝやうな返事をしました。
『十九だよ、芳公の年なら――』
 自分の年でも云ふような顔をして弟が傍から口を出しました。
『それや芳公が云ふんでせう?』
『ああ』
『そんなら姉さんがお前よりももつと幼い時から十九だつて云つてるよ。本当はうちのお父さんよりまだ年よりだよ』
『嘘! 嘘だい、ねえお祖母さん!』
『本当ですよ、ねえお祖母さん? 芳公はお馬鹿さんだから年をとらないだけなんですよ』
『ふうん』
 弟はにおちないやうな顔をしてぢつと私の顔を見てゐました。私は弟とそんな話をしてゐるのもつまらなくなつたので再び紙切ナイフを取り上げました。弟もつまらない顔をして遊びに出かけさうにしましたが忽ち頓狂な声をひそめて振り返りました。
『姉さん、芳公がまた打たれてるよ、ほら彼処で――』
 私の座つてゐる処から斜めに見える隣りの境目の垣根に近い井戸端に、例のやうに背中をまるくして下を向いて立つてゐる芳公の姿が見えます。其の前に見るも汚らしい老婆が立つて、何か云つては芳公がだらりと下げた大きな手の甲をピシヤ/\なぐつてゐます。芳公はいくらなぐられても何んの感もないやうに打たれる手をひつこめもせずにぬつと突つ立つてゐるのです。私は穏やかな明るすぎる程の秋の日ざしの中での奇怪な姿をした親子の立ち姿を、不思議な程平らな無関心な気持でだまつて眺めてゐました。
『彼方の方がよく見えるよ』
 垣根の方にすばやく走つて行く弟を叱つておいて祖母は立ち上りました。
『また婆さんはあんなものを叱るのだね、叱つたつて打つたつて解るものかね、いゝ加減にやめておけばいゝものを――』
 独り言のやうにさう云ひながらそろ/\体を起して椽側を降りると庭の囲ひの外に出て行きました。


 二三日前――此処に帰りついた次の朝早く――松原の中で、私は其のお化けのやうに影のうすい異様な姿をした、汚らしい芳公の母親に遇つたのでした。
 其の朝は、特にうすら寒くて、セルに袷羽織を重ねてもまだはだ寒い程でした。私はまだ日の上らない前に珍らしく床をぬけ出して、海辺に出ました。海は些の微動もない位によくいでゐました。何時もは直ぐ目の前に見える島も岬も立ちこめたもやの中に、ぼんやりと遠く見えて、海も松原も一面にしつとりとした水気を含んだ朝の空気につゝまれて静まり返つてゐました。私は足の下でかすかに音をたててゐる砂の音を聞くともなく聞きながら松原を出て渚に降りて行きました。小舟は静かに浮いて居ました。そして汀の水は申訳ばかりにピチヤ/\とあるかないか分らない程の音をたてゝゐます。私は出来るだけゆつくりその汀を歩いて東の方のはづれの砂浜がずつと広くなつた河尻まで行きました。私が引き返し初めた頃には長い/\その渚の彼方此方あちこちに黒い小さく見える人影がありました。私は本当に久しぶりで朝の海辺のすが/\しい気持を貪りながら高い砂浜を上つたり降りたりして家の方に帰つて来ました。
 私が丁度家の直ぐ下の渚から松原へ上らうとした時に、ふと其処の松の木に背をもたせるやうにして立つた一人の老婆を見出しました。もぢや/\と頭を覆ふた白髪、生きた色つやを失つた黄色く濁つた其の皺深い顔の皮膚、放心したやうな光りを失つた眼、両端が深く垂れた大きく結んだ口、私はその老婆の顔を見た瞬間にゾツとして眉をよせた事を覚えてゐます。
『まア、まだ生きてゐるのだ!』
 私は浅ましい彼女の長生きにあきれました。彼女は今はもうゴツ/\の硬い骨の上をたゞ一枚の皮が覆ふてゐるにすぎないのでありました。枯木のやうな体にはうすよごれた単衣ひとえとぼろを綴ぢ合はせた見るからに重さうなものを着てゐました。そして彼女はぼんやりと沖の方を眺めてゐました。私は其の老婆を見た瞬間に、五六年も前に見たまだしっかりしてゐた彼女の姿と、それから現在の年齢を同時と云つてもいゝ早さで思い出しました。彼女は確かにもう八十は過ぎてゐました。此のお化けのやうな気味悪い老婆も、彼女がまだ確つかりしてゐた時分には、私には親しみのあるいゝ婆さんだつたのです。その、私の老婆に対して持つてゐる親しみは直ぐに私の気味悪さを押し退けました。私は老婆に久しぶりな微笑を送りました。しかし老婆はもう私の顔を思ひ出す気力も失くしたのかそのにぶい眼をぼんやり私の方に向けたまゝで、何んの表情も見せませんでした。私は再び気味が悪くなつて急いで家にはいりました。
 そのすべての精力が枯れつくしたやうに見えた老婆が今其の大きな息子を折檻してゐる。私は軽い驚きをもつてそれを見てゐました。
 やがて鈍い足どりで私の祖母が其処に近づいて何か云ひながら老婆を小屋の中に送り込みました。
うしたんです?』
 私は帰つて来た祖母の顔を見ると直ぐ聞きました。
『何あに、芳公が子供達にからかはれたもんだから婆さんがまたかんしやくを起したんだよ。あの又芳公が子供達には手向ひが出来ないで帰つて来ちやあ婆さんに当るもんだからつい婆さんも怒るんだよ』
『へえ、うちに帰つて来て婆さんに当るのはおかしいわね。親と他人の区別位は矢張り分るんですねえ』
『それやあお前いくら馬鹿だつて――。あんな片輪者の親にしちや婆さんがちつと勝気すぎる。』
 祖母は独り言のやうにさう云つてまた小切れを拡げました。
『もとはあのお婆さん随分勝気らしかつたけど、もうあゝなつちや駄目でせう。私つい二三日前あの婆さんに遇つたんですけども、もうまるで生きてる人のやうぢやないぢやありませんか。私の顔だつてもう分らなかつたやうですよ』
 私はあの影のうすい婆さんの姿を思ひ出しながら祖母に云ひました。
『何あにお前、体はあゝでも、まだ気はなか/\確かだから。八十からになる婆さんとはとても思へないね』
『へえ』
 私はどんよりしたにぶい眼の色の何処に昔の婆さんらしい意地が残つてゐるのだらうと不思議に思はずにはゐられませんでした。祖母は眼鏡をかけながら
『婆さんの気丈なのも真似が出来ないけれど、あんまりきつい気だから倍も苦労しなきやならない。あんなに長生きをしても何時までも業を見るのでは何んにもならない』
 ひとり言のやうにさう云ひながら針のめどをすかして見るのでした。
 私の頭の中には、まだとても七十近いなどとは思へない程肉付きのいゝ確つかりした足どりで歩く婆さんの姿がうつりました。私の祖母が十も若くて、丈夫だ/\と云はれながら歯もろくに役立たず、家の中で因循な動作をしてゐるのから見ると、婆さんは祖母よりは却つて十も若い者よりはもつと確つかりした働きをしてゐたかもしれません。彼女は誰にも腰の低い愛想のいゝ悧巧な女でした。しかし、私が最初にその婆さんの恐ろしい意地つ張りを見たのはその婆さんの娘に対してでした。
 婆さんの娘は、私の家の三四軒先きの石屋のかみさんでした。そのかみさんが狐につかれたと云ふ噂が拡がりました。私達は恐がつて一しきり其の家のまはりに寄りつきませんでした。色の蒼い眼の釣り上つたヒステリツクな顔や、ひよろ長い体を私は二度ばかり見ましたけれど、二度とも、もう決して見まいと思つた程凄い印象を受けたのでした。
 けれども、其の後だん/\内儀かみさんは狂ひ出して、手のつけやうのない程暴れ出すやうになりました。
 何んとも云ひやうのない苦しそうな圧されるやうな嫌やな呻き声がするかと思ふと突然甲走つた息も絶え/\な泣き声がします。さうかと思ふと、ぞつとするやうなマニアツクな引つゝれるやうな笑ひがとめどもなく続きます。私達子供は、不思議な恐いもの見たさの好奇心から石屋の家に近づきます。けれど初めのうちは皆んな進んでその中を見やうとする気はありませんでした。しかしだん/\その不思議な声だけでは満足が出来ずに何時か其処の戸のふし穴や障子の破れからそつと覗くことを覚えました。其処には、紐でギリ/\手も足も縛られた内儀さんがころがされてゐます。白髪頭をふり乱した婆さんがその細い病人の体を長煙管ながぎせるをふり上げて所きらはずピシ/\打ち据えてゐました。最初に覗いた時に眼にうつつた此の光景は私の頭に深くしみ込んでゐました。私は当座夢の中にさへ度々その光景や叫び泣きの声に脅やかされた程でした。
 或時はまた、寒い北風の吹く中で井戸端の立木に内儀さんは後ろ手にゆはへつけられてゐました。婆さんは井戸から水を汲み上げては自分もかゝりながら内儀さんの頭からザアザア浴びせかけては『これでも出ないか』『まだゆかないか』と責めてゐました。冷たい水を掛けられる度びに病人のあげる悲鳴が長いこと近所の人を悩ましました。私の母はその声に驚いて馳けつけて、その光景を見ると寒気がすると云つて寝込んだ程でした。
 婆さんはそれでも未だ足りないと見て此度は病人の口から一切の食物を奪ひました。さうして夜昼責め続けました。婆さんは狐をひ出す為めには、可愛いゝ娘の肉体を責める位は当然の事と思つてゐました。し其の為めに死んだ処で仕方がないとまで云ひ張つてゐました。人間がけだものに馬鹿にされてゐるよりは死んだ方がいゝと云ふ主張でした。誰も彼もが婆さんの『気丈』に驚くよりは怖れてゐました。一年ばかりさう云ふ事が続いた末、内儀さんは遂々とうとう死んでしまひました。婆さんは死ぬる際まで狐に対する苛責の手を少しもゆるめませんでした。近所の人達は、死人に同情のあまり婆さんに責め殺されたのだとさへ云ひ合つてゐました。しかし婆さんは平気でした。涙一滴こぼさずに甲斐々々しく後始末の為めに働きました。そして芳公と二人で百姓の手伝ひをしたり、小間物の行商をしたりして若い者の到底及びもつかない働きぶりを見せてゐました。
 婆さんが弱り始めたのは二三年前からでした。さうして誰の世話にもならず、馬鹿の芳公が働いて来る僅かな金に貯蓄した分をたしては此の二三年をしのいで来たのださうです。婆さんは、さうした貧しい暮らしの中からでも他人の世話にはなるまい為めの可なりな貯蓄を持つてゐたのださうです。しかしそれにしても、半病人の婆さんの惨めな生活に同情して、たつた一人の孫が兵隊に行つたのを皆んなで奔走して帰して貰つて、婆さんの面倒を見さす事にしました。しかしその孫が帰つて来ると直ぐ、
『ありがたい事だ。けれど、未だもつとどうしても介抱して貰はねばならないやうになる迄精出して働いて来い』
 と云つて追ひ出してしまつたさうです。近所の人も、婆さんはついには何うしても他人の世話にならなくちやならないやうになつたら舌でも噛んで死ぬのだらうなどと云ひ合つてゐました。


 それから一週間ばかりもたつた或る日の夕方、裏手の方で高い女の泣き声がしますので出て見ますと、隣りの婆さんの小屋の前で大勢の子供達に囲まれた何処かの内儀さんが前垂で顔を覆ひながら泣き声を出してしきりに何か云つてゐます。婆さんはその黄色い顔を真直ぐに向けて何の表情も見せずに何か云つてゐます。隔りが遠いのでさう云ふ光景だけは見えますが何の事か私には分りません。そのうちに隣りの主人や私の祖母などが馳けつけました。私も祖母の後を追ひました。内儀さんの話や、子供等の話を総合しますと、今し方何かに怒つた芳公が松原で子供をおひまはして、遂々裏手から鎮守の天神様の中に追ひ込みましたので、表の方へ逃げて行く子供等はあはたゞしく石段を馳け降り始めました。其一番後から降りやうとする子供を芳公は力まかせに突き落したのです。子供は其の為めに足を挫き、彼方此方りむいてひどい目に遇つたと云ふのです。
 婆さんは黙つて、驚く程シヤンとした姿勢で立つてゐました。その眼は決してどんよりしたものではありませんでした。
『飛んでもない、申訳けのない事をしました。ああ云ふ奴の事ですから。何んとも仕様がありません。何うぞ旦那、彼奴の体なんかどうなつてもかまひませんから此のおかみさんの得心のいくやうに存分に一つお願ひいたします。』
 一とわたり事件の説明がすむと婆さんは非常にはつきりと、しかし冷淡な調子で半ばは内儀さんに、半ばは隣りの主人に向つて云ひました。婆さんは内儀さんが予期したやうに若しくはのぞんだやうに鄭重な、または嘆願的なお詫びの言葉は連ねませんでした。婆さんは驚く程冷淡に平気な顔で立つてゐました。
『得心がいくやうにつて、あんな馬鹿に大事な息子をかたわにされて何う得心がいくもんか、畜生! 畜生!』
 内儀さんは夢中になつて泣きさわいでゐます。
『まあ、おかみさん、さう逆上のぼせてしまつてもしかたがない。芳公もとんだ事をしたもんだが、今おかみさんがこの婆さんを捕へて何を云つてもしかたがない。それで息子さんはどうしました。』
 隣の主人は落ちついた口のきゝ方をして仲にはいりました。
『親父が家につれて行きましたよ』
『家へ連れて行つても仕方がない。直ぐ医者にでも見せなければ。どれ、私が一緒に行つて上げやう、婆さんも心配しない方がいゝよ。』
 主人はかみさんと一緒に裏の方から出て行きました。
『婆さん、心配しない方がいゝよ、皆んなで何んとか話をつけるだらうから。まああの人の処では飛んだ災難だつたけれど、いゝみせしめだ。子供たちもこれからは馬鹿な事はしなくなるだらうからね。』
 祖母はさう云つて婆さんを慰めました。婆さんは何にも云はずに、たゞ顔を下げて薄暗い小屋の中にはいつてゆきました。
 其の一晩中行方のしれなかつた芳公が翌日海辺の蠣灰かきばい小屋の傍にぼんやりと立つてゐたのを子供が見つけて、巡査が連れて行きました。然し馬鹿をどうする事も出来ませんのでその夕方になつて駐在所から隣の主人が芳公を連れて帰つて来ました。
 私は丁度その時祖母に頼まれて婆さんのところに少しばかりの夕食のお菜を持つて行つてゐました。芳公の顔を見ると婆さんは直ぐ立つて土間に降りて、まだ芳公が其処まで来ない内に小屋の入口に出て待受けました。
『婆さん、もう何んにも心配する事はない。連れて帰つて来たよ。不自由だつたらうな。』
 隣の主人がさう云つて近づいて来る後ろに芳公が相変らず下を向いてニヤ/\してゐました。
『どうも御厄介をかけました。おひま欠きばかりおさせして申訳けがございません。』
 婆さんは叮嚀ていねいに主人の前に顔を下げました。
『この馬鹿!』
 婆さんの弱々しい体の何処から出たかと思ふやうな声と一緒に芳公は二三歩後に下りました。傍に立つてゐる誰彼が支へるひまもなく婆さんは何時手にしてゐたのか、竹切れらしいもので三つ四つ続けざまに芳公をなぐりつけました。
『おい婆さん、お前何をする?』
 さう云つて支へられると婆さんは喰ひしばつた歯ぐきの間から声をふるはせながら云ひました。
『旦那どうぞお放しなすつて下さいまし、私は此の野郎を片輪にしなければ申訳けが立ちません。警察ぢや馬鹿だと思つて許して下すつても、他所様よそさまのお子供衆を片輪にして私がこれは馬鹿ですからと済ましてはをられません。馬鹿だからこそなを私はあの親御さんに顔が上りません。これ! 芳! 貴様はな少しばかりからかはれたと云つて腹を立つて他所様の子供衆を片輪にする位の根性骨があるなら何故首でも縊つて死んでしまはない。解らないか! 解らないか! 解るまい、貴様には解るまい! 俺が片輪にしてやる! 此処へ来い、此処へ来い! 打つて打つて、打ち殺してやる!』
『これ婆さん、お前はまあ何んだ! そんな馬鹿な事を云ふ奴があるものか芳公、お前はあつちへ行つてろ、さあ婆さん、まあ家にはいろう。』
 隣の主人は婆さんの汚い体をしつかり抱き止めながら云ひました。芳公がノソ/\表の方にゆくのを婆さんは涙を一杯ためた眼で見てゐたが、急にガツクリ膝を折つて主人の手からズリ落ちました。もう薄暗くなつた外光の中に婆さんは土の上に黒くうづくまつてゐました。私はもうそれ以上には見てゐられなくなつて、小屋の上りがまちにおいた丼も何も忘れて足早に家に帰つて来ました。

 婆さんが死んだのはそれから三四日たつての事でした。芳公をしばらく婆さんの傍からはなす事になつて、他へやつて三日目の朝です。あの異常な興奮の夜から婆さんは全く体の自由を失つてゐましたので、私の家や隣りで朝晩おかゆを煮たり、いろんな面倒を見てゐました。もう此度こそ駄目だと母も云つてゐましたが、その朝、まだ夜が明けかけたばかりに、隣りでは裏口の戸を破れる程叩かれました。婆さんはその枯れた幽霊のやうな体を裏の松の木に吊してゐたのです。それは誰れ一人として案外に思はないものはありませんでした。何うして其処までひ出して行つたかさへ疑問にされる程の体で、彼女は高い枝に其の身体を吊した紐をかけてゐました。人々は驚異の眼を集めて一様にその高い枝を見上げました。
[『民衆の芸術』第一巻第四号・一九一八年一〇月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第一巻 創作」學藝書林
   2000(平成12)年3月15日初版発行
底本の親本:「民衆の芸術 第一巻第四号」
   1918(大正7)年10月1日
初出:「民衆の芸術 第一巻第四号」
   1918(大正7)年10月1日
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:Juki
2013年6月19日作成
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