内気な娘とお転婆娘

伊藤野枝




『女はしとやかでなくてはいけない、をとなしくなくてはいけない』と云ふしへは甚だ結構な事です。一時『新らしい女』と云ふものが盛んにはやつた時には、大変なお転婆がいろんな奇抜な真似をして人目をおどろかしました。しかし、どんな勝手な真似をしても気持の上に、或るデリカシイを持つてゐなければならないと云ふ事は、其の当時そのお転婆の一人であつた私すら痛切に感じた程でした。私達は『新らしい女』の本家本元のやうに云はれてゐましたけれど、其の頃世間に輩出した所謂いわゆる新らしい女の思ひ切つた行為には驚異の眼を見はつたものです。それは本当に馬鹿々々しい、苦々しい事を沢山見せられたり聞かせられたりしました。そして、さう云ふ人達の行為が皆んな私達のした事として、見当違ひな非難攻撃を皆んな受けなければならなかつたと云ふやうな苦い経験は、いよ/\私達に、エセ新らしがり屋を浅間あさましがらせたのです。
 あの当時問題になつた吉原行きとか五色の酒とか云ふ事を、まるで私達のすべてゞあるかのやうに云ひなした世間の馬鹿共よりは、それをまた麗々と真似をする連中に至つてはお話にもなんにもなりません。何の考へもないたゞの模倣と云ふことが、それ程馬鹿らしく見えた事はありません。

 処がまた私は、本場の女性のデリカシイと云ふ事が其の意味を取りちがへられて、無暗むやみと恥かしがりの模倣をする事が、旧い考へで奨励されてゐるのをも同様に馬鹿々々しいと思はずにはゐられません。
 よく見もし、聞きもしますが、活動写真の中とか電車の中などで、をとなしくとりすまして、はづかしがつてゐる女の弱味につけ込んで、飛んでもない不都合を働く男があります。少しつかりしてゐるものなら、たとへ口へ出して詰責しないまでも、態度でなじれば大抵逃げて行くものなのです。しかし、黙つてたゞ迷惑さうに、恥かしさうに体をねぢつたりしざつたりする位では、さういふいたづらでもして見る位の図々しい男は益々図に乗る位のものです。私などは、さう云ふ不都合な図々しい奴は大勢の中で赤恥をかゝして以後そんな真似をさせない位のつもりで、詰責する事位は当然だと思ひますが、普通の女らしいしほらしさを捨てかねる人達には、さうも思ひ切つてやれないのが当然でせう。けれども、かく確かりした態度をとる事は是非必要な事と思ひます。
 私はよくこみ合ふ電車の中などで、こみ合ふのをいゝ幸にして、わざと身体をすりよせて来たりする不都合者に時々出遇ひます。そんな場合には、どうも表立つてとがめる訳にゆきませんから、何時もその男の顔を見ながらわざ/\足を踏んでやるとか、出来るけ強硬にひじをつつ張つて押し返してやるとか、黙つて、出来るだけしかへしをしてやります。それからよく人の顔をヂロ/\無遠慮に何時までも見てゐる者があります。これは男に限らず女でもです。私は大抵長い間睨み返してやりますが、幾度も/\あんまり長い事見られると癪にさはりますからその人に云つてやります。
『さつきからあなたは私の顔ばかりジロジロ見てゐるが、私の顔に何かあるんですか』
 大抵はそれで赤面して止めてしまひます。それに何にかさかねじを喰はす程の本当の図々しい人にはまだ出遇つた事はありません。
 何事も、内輪に、控目にと云ふ事は一面に必要な事ですが、目のあたり馬鹿らしい侮辱を受けたり、迷惑を感じたりした場合にまでもぢつとそれを我慢してゐると云ふ必要は少しもないと思ひます。むしろさう云ふ場合には少しも我慢をしない事が必要だと思ひます。

 或時、私は電車の中で、品のいゝ二十ばかりのおとなしさうな娘さんと一緒に乗り合した事があります。その時には電車の中の半分は空席でした。すると或停留場から一人の酔つぱらいが乗りました。それ程ひどくよつてゐたのか、それとも酔つたふりをしたのかは知りませんが、その酔つぱらひはよろけながらぴつたりとその娘さんの傍に腰を下ろして、電車がゆれる度びにその大きな体をかぼそい娘さんの方にもたれかけて行きます。娘さんは、迷惑さうに眉をよせて少し体をずらしましたが、酔つぱらひは直ぐにまたその間をつめて矢張りぴつたりよりそつてしまひます。二三度さう云ふ事をしてゐました。私はそれを見てゐて、よくその娘さんが思ひ切つて他の場所にうつゝてしまへばいゝのに、と思ひましたが別にそんな事もなしに、その酔つぱらひの傍に小さくなつて何時までも腰かけてゐます。私はそれを見てゐて、酔つぱらいの無作法よりも、その娘さんの理由ない我慢強さの方がよほど腹が立つた位でした。

 或る人々は、お転婆な娘だけが誘惑におちいり易い危険性をもつてゐて、おとなしく内輪な始終恥かしがつてひつこんでばかりゐるやうな娘にはさう云ふ危険性はないものゝやうに考へてゐます。しかしそれは大変な間違ひです。かう云ふ話があります。
 それは或る地方での事ですが、その市では中流以上の暮らしをしてゐる家に二人の娘がありました。年は二つ程違つてゐましたが、姉は女学校の四年、妹は同じ学校の三年だつたのです。姉は快活な明るい性質をもつてゐました。妹はおとなしい両親にもろくに口もきけないやうな子でした。
 或る日、姉は友達の家に遊びに行つて夜になつてから帰つて来ました。そして、母親に挨拶をすますと直ぐ、真紅まっかにほてつた頬をなでながらさも愉快でたまらないやうな声で笑ひながら母親に話かけた。
『母さん、それやおかしい事があつたんですよ』
 娘のかへりが遅くなつたので少々ふきげんになつてゐた母親は、いく分か眉をしかめながら
『何んですそんな頓狂な声を出して。さう無暗とげら/\笑ふもんぢやありませんよ。話をするんならもう少し尋常になさい』
 と云つてたしなめました。
『だつておかしいんですもの、母さんつたら直ぐに、私が何にか云ふとお小言ね、だけど今日は本当に私いゝ事をしたんですよ面白くつて仕方がない、ねえ美佐ちやんそれやおかしいのよ』
 姉は母親の渋い顔には頓着なしに此度は其処に居合はせた妹をとらへて話し出しました。
『何あに?』
 妹はニツと笑つて静かに聞き返しました。
『ね、私今交番に男を一人引き渡して来たのよ、おまはりさんにほめられちやつたの』
『えつ』
 母親も妹も呆気あっけにとられて姉の顔をながめてゐました。姉は得意さうに笑ひながら説明しました。
 友達の家を出て、もう暗くなつた道を歩いて県立病院の塀にそふて歩いて来ると、後から突然男が歩みよつた。
『御散歩ですか?』
 顔を見ると知らない男なので、だまつて歩いてゐると、なほ追ひすがつて来ていろ/\な事を云ふ。
『そしてね、私の事を何んでも知つてゐるのよ、お兄さんの事も美佐ちやんの事も知つてゐるの、私気味が悪いから大急ぎで歩いてるとね、ひにグツと私の袂をつかんでね、』
『えゝつ、袂をつかんだね?』
 母親は眼をまるくして娘を見ました。
『えゝさうなの、そしてね、もうせんから私にちかづきになり度いと思つて様子を見てゐたんだつて、』
『まあ飛んでもない!』
 母親は聞く毎にあきれるのみです。
『でね、今日は本当に思ひ切つてお願ひするんだがどうか私と交際をしてくれつて云ふんですの、私何んだか恐くつて体がブル/\ふるへちやつたわ、逃げ出さうにも袂をしつかりつかまれてゐるし、うつかりすると何をされるか知れないし、本当にどうしやうかと思つたわ、』
『でどうしたの?』
『誰か通つたら助けて貰はうと思ふのに誰も通らないんでせう。やうやく通つたかと思ふと頼みにならないやうな子供だのお婆さんなんですもの、仕方がないからもつと人通りのどつさりある賑やかな処で逃げやうと思つて、「私遅くなつて急いでるんですからまた今度にして下さい考へときますから」つてやつとの事で云つたの、そしたら「そんな事云つて逃げるつもりなんでせう、けれど、逃げられるものだかどうだか、まあ今日の処はかんべんして上げませう」つて云つてニヤ/\笑つてるの。私だん/\恐くなつて来たから急いで歩き出さうとすると「お待ちなさい、あなたのお家まで送つて上げます」つて云つて此度は私の手を握つちやつたんです。そして道々もいろんな事云つて私をおどかしてるの、私どうして逃げやうかと思つてゐるうちに橋の処まで来て、ひよつとあすこの交番に気がついたもんだから、あのおまはりさんにたのんで逃げやうときめちやつたの。そして今度は私の方がしつかりその男の手を握つて交番の直ぐ前におまはりさんが立つてゐたのでいきなり「何卒此の人を捉へてゐて下さい」つて云つてやつたもんだからおまはりさんがびつくりしたんだか何んだか「何だつ」つてそりや大きな声で云つたの』
『その男はどうしたんだい?』
『ね、知らん顔して大急ぎで行つちやひさうにしたのをおまはりさんが呼びとめたもんだから仕方なしに引き返して来て、私の顔をそりや恐い眼してにらんだわ。おまはりさんが、どうしたんだつて云ふからすつかり云はうと思つたんだけれど直ぐと人が五六人たつたから、きまりが悪いでせう、それでお父さんのお名前を云つてね、今うちから電話でお話しますからつて断つて逃げて来たの、』
『さうかい、ぢやあまだ其の人は交番にとめられてゐるんだね』
『え、さうでせう?』
『どんな様子の人間です?』
『廿五六の書生よ自分ぢや医学校の生徒だつて云つてたわ』
『まあ、飛んだ心得ちがいをしたものだねだけど、お前も悪いんですよ、暗くなつて外を出歩いたりするからそんな目に遇ふんです。もうこれからは決して無暗むやみと外を出歩いてはいけません。それにしても、そんな交番になんか連れ込んだのは困つたねえ、どうしたらいゝだらう?』
『どうして困るんです? いゝぢやありませんか、おまはりさん待つてるでせうきつと、私電話でよく話しますわ』
『お待ち、今にお父様がおかへりになつたらよく御相談してからにしないぢや、そんな性根の男を交番になんか渡して、後で、どんなあだをされるか知れやしない。さう云ふ時には何とかうまく云つてをとなしく別れてくればいゝんです。なまじつかな事をする程悪い』
『だつて、ぢやどうすればいゝんだらう? 構やしない、あんな奴うんと警察でゝも叱られるといゝわ憎らしい奴。それよりか本当によく電話をかけないぢやおまわりさんに怒られるわ、私本当に直ぐ電話をかけるつて約束で帰して貰つたんだから』
『まあお待ち、後でお父様に叱られるやうな事があつちやいけないから。お前が一体出過ぎ者だからいけないんです余計な事をして。今日はをとなしく帰すつてのだから、帰つて来れば、また後の事はどうにでもなります。余計な交番になんか連れ込むから倍心配しなくちやならないぢやないか。そんな奴に眼をつけられるんだつて、矢張りお前がおきやんだからです。もう子供ぢやないんだからもう少し気をつけて、万事落ちついて女らしくなくつちや――』
『またお小言なの――厭やだわ、母さんは何んでもあたしの事つて云ふと直ぐお小言なんだもの』
 やがて、父親からの電話での話で、男は説諭を受けて帰され、姉娘は其後学校と家庭の特別な注意のせいか、何事もなく卒業をしました。
 此の事件以来卒業するまでの、姉娘に対する母親の心配と云つたら大変なものでしたが、無口でおとなしい妹娘に対しては母親は全く楽観してゐました。
『あの子に限つては間違はない。』
 母親は固くさう信じてゐましたので、すべての点で姉娘よりずつと寛大に取扱はれてゐました。しかし、此の母親の楽観が恐ろしい結果をもたらしたのです。
 姉娘が卒業して、毎朝妹一人で通学するやうになつて二ヶ月ばかりたつと、毎日学校の往復共、後をつけて来る若い男のある事に妹娘は直ぐ気がつきました。恐い、とは思ひましたが、口重な彼女は、それを誰にも話ませんでした。実際は話をしてまた母親がやつと姉が卒業して安心した処に、また気をもませるでもないと云ふ遠慮と、たゞ自分の後をつけるだけで何んでもないのを何にかのやうに云ひ立てるのが後めたくもあるし、男につかれる等と云ふ事が恥かしい事のやうに思はれるので誰にも黙つてゐました。しかし、もう夏休みも間近くになつた頃には妹娘はすつかりその男の術中に堕つてゐたのです。男はその市での不良少年仲間では有数な一人だつたのです。
 彼は妹娘のおとなしい、内気な性質をよく知りぬいてゐました。で、出来るだけその気の弱い点につけ込んで脅迫したのです。彼女の不断のおちつきは何の用もなし得ませんでした。姉娘程の気持もなく腹もなく、たゞ気の弱い彼女は、相手の男の思ふ存分翻弄されたのです。彼女はさうならぬ先きに母親に話さなかつた事を悔ひました。けれども一たん男のまゝになつた以上は、それを思ひ切つて、何んにも知らぬ家人に打ち明ける勇気は更にありませんでした。彼女はたゞひそかに自らを果敢はかなみながら、男の指図のまゝになつてゐるより他はありませんでした。そして彼女は何時か、姉や母を偽はつて幾何いくばくかづゝの金をねだる事さへしなければなりませんでした。
 母親はすつかり娘を信じてゐました。姉娘にはきびしい監督の眼を見はつてゐましたけれど、妹娘にはまるで何の注意もしませんでした。
 秋になつて、誰れからともなく校内でやかましく、其の事に就いて噂されるやうになりました。彼女の受持教師が聞きかねて、彼女にその真偽をたしかめやうとしました。しかし、其の時にも彼女は素直に事実を述べる勇気を持ちませんでした。受持教師はたゞ或る訓戒の言葉を与へた丈けで其の時はすみました。
 しかし、教師に知れたと云ふ事は、彼女にとつては両親に知れたよりはもつと恐ろしい事でした。彼女はどうかして今後の悪魔の手からのがれようと企てました。彼女は漸くの事で、近頃自分につきまとふ者のある事を告げて、学校の寄宿舎に、卒業まで入れて欲しいと頼みました。
『えつ? お前にも? まあ、どうしたらいゝだらうねえ、ぢやよくお父様と相談して上げるよ、心配おしでない。』
 母親は真蒼まっさおになりながらも娘を慰めて、父親や学校と相談の上で寄宿舎に入れました。しかし、どうしてはいつて来るのか、二日おき、三日おきに、教室の机の中に恐ろしい脅迫の言葉をつらねた手紙が屹度きっとはいつてゐました。
『何日何処に何時までに来い。来なければ今までの事を学校に告げるのは勿論、お前もお前の父親の面目をも維持の出来ないやうな方法をとるから。』
 と云ふやうな手紙に脅かされては、彼女は泣く/\外出しました。彼女の決心は何んの役にも立たなかつたのです。
 一方、男の方では、彼女がさけやうとしてゐる事を知るとます/\惨酷に彼女を扱ひ出しました。出来る丈け無理な要求を持ち出しては彼女を困らして喜んでゐると云ふやうな有様でした。しかし、遂々とうとう最後に流石さすがの彼女も死を期して、悪魔たちの要求を退けました。彼は彼女に盗みをすることを命じたのです。たとへ親のものとは云へ何一物も無断で持ち出すと云ふ事は正直な彼女の忍び得ない事でした。今まで散々に彼等のまゝになつてゐたのも、唯だ、しばらくでも母の心を案んじ、父の体面を重んじてたゞ在校中に問題を起すまいとの心持からだつたのです。しかもそれすら日夜良心に責めさいなまれてゐるのにこの上盗みをする程なら死んだがましだ。彼女はさう決心すると其の要求をはじめて退ける気になりました。しかしその最後まで、彼女は矢張り気弱でした。彼には承知したむねを答へて、自宅に帰つたのです。そして其の夜は気分が悪いと云つて寄宿舎には帰らず造花用の染料を多量にんで苦悶してゐる処を発見されて、命だけは取りとめましたが、可愛想な彼女はとう/\気が触れてしまつたのです。
 寄宿舎にはいつて以来は、安心しきつてゐた母親にはすべての事がたゞ夢としか思へませんでした。娘の遺書には最初からのすべての事が書かれてありました。母親は気のふれたその可愛いゝ娘を抱いて、今も油断のならない世間の悪者を呪つてゐる事でせう。

 理屈の上では、現在女学校などでも、たゞ一づにおとなしい、しとやかだと云ふだけでは済まない、非常時に際して充分適当な態度をとれるやうつかりした女にならなくてはいけないと云ふやうな事も教へます。しかし実際には、みんなおとなしいすなほな一方の女にしようとします。さうした風な女を尊敬するやうに仕向けます。抽象的に云ふ場合には、さう云ふ風に進歩的な口調をまねても実際には家庭本位の教育をしてゐるのですから成るべく、総ての点で自分の考へなどはどうでもいゝやうな、決断のにぶい、従属的な傾向を帯びた女の方が歓ばれます。そして出来る丈けさう云ふ風に仕込まれます。その結果は、何時までたつても、女の生活は向上しませんし、男の生活までも堕落させるだけです。さう云ふ風な女は、どんな境遇へでも導かれゝば導かれるまゝにゆきます。どんな危険な暗示にもすぐにかゝります。どんな誘惑にも直ぐ乗ります。かう云ふ種類の女子が一番多くの危険性を具へてゐるものと私は思ひます。
 世間の人達は、よくお転婆だおきやんだと攻撃しますが、私はそれよりも、おとなしい淑やかだとほめられる女の方が、どの位多く攻撃される価値があるか知れないと思ひます。そして、私はさう云ふ人を意久地いくじなしと云ひます。
[『改造』第七巻第八号、一九二五年八月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第三巻 評論・随筆・書簡2――『文明批評』以後」學藝書林
   2000(平成12)年9月30日初版発行
底本の親本:「改造 第七巻第八号」
   1925(大正14)年8月1日
初出:「改造 第七巻第八号」
   1925(大正14)年8月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志
校正:雪森
2014年11月19日作成
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