岩野清子氏の『双棲と寡居』について

伊藤野枝




 私は中央公論十月号に掲載された『双棲と寡居』を読んで黙つてはゐられないやうな気がした。
 私がそれを最初に読んだときは可なり無理な理屈があると云ふことに気がついたに過ぎなかつた。そうして再読三読して見て私はそれがどうしても無理おしつけの後からつけた理屈でうづめられてゐることを見逃すことは出来なかつた。もっとも清子氏について全く未知ではない私は氏がどんな些細な行動にも何かしら後からきつと何とか理屈をつけずには気がすまないと云つた性質を幾分持つてゐられることは早くから知つてゐた。それで清子氏としてはそれは決して全く不自然ではないかもしれない。そして氏自身がそれで安神あんしんしてゐられるなら少しも差支へのないことだと思ふ。しかしこの態度を自分として考へたときに私は非常に不快になる。何故ならしかりにあの理屈が後からつけた理屈でなしにあの通りに動いてこられたのなら人間の自然の性情とは非常に遠い不自然な人間であると思はずにはゐられない。如何に理智の勝つた人間であつてもあれけの不自然から来る苦痛には堪へられやうとも思はないし、若し又理智の勝つた人間であるならあの理屈と理屈の間の矛盾を見逃せる筈はない。
 氏は第一にその結婚が悪闘の苦しい歴史であつたと云つてゐられる。併しこの述懐は私達にとつては奇異なものでなければならない。何故なら若し自意識も何にもない女が在来のいろ/\な情実から結婚をして或る動機をもつて意識した時にその過去をふり返つての述懐ならばそれは同情すべきであるし同感も出来る。併し結婚の最初において既に立派な自意識をもつて事を運んだ氏の述懐としてはこれは不思議なものでなければならぬ。
『私は私の結婚生活の六年間に於いて配偶者のもつ愛の解釈と私のもつ愛の解釈との錯誤の為めに彼は彼の解釈する愛を肯定させやうとし私は私の解釈し望んでゐる愛に同化させやうとして永い戦争を続けた』
 これも私には大きな疑問である。愛の解釈の相異それは自意識ある人々の結婚の後において云々うんぬんされる性質のものであらうか? 私はそれは未知の者同志が他人の意志で一緒にされた在来の因習的な結婚においてこそ結婚後に云々されると云ふことは珍らしいことではないと思ふが自意識ある人にとつては非常におかしく聞える。の人等には結婚はその解釈の同意の後でなくてはならない筈である。私はさう信ずる。しかしてなほその上六年間一日としてその争闘から逃れ得なかつたと氏は云つてゐられる。六年と云ふ年月は決して短かい時日ではない。私は結婚の第一義であるべき愛の問題について六年と云ふ長い年月を費すやうな努力は決して出来ないことだと思ふ。少くとも私一人でなく多少とも自意識を持つた婦人にしてこんな偉大な努力をし得る人が果して幾人あるだらうと私は考へる。私は大久保時代の氏等をまるで知らない。また知らう筈もないが氏の書かれた処に依ると氏は泡鳴ほうめい氏に対して友情以上に何物も持たなかつたから肉の誘惑に(勿論自分が愛を持つまでは)動かされまいと決心したと云つてゐられる。それは実際さうでなければならない。併し読んで行くと泡鳴氏は清子氏の肉を欲したが為めにすべてその為めにのみ清子氏の意をうかがつたやうにしか私には受けとれない。さう云ふ場合にそれ程ハツキリ男の態度が合点されてゐながらなほ同棲を続けてゐられる清子氏の心理を解するに私は苦しむ。さういふ場合に極めて順当な女の心理は大抵はその男に嫌悪を感じなければならない筈だと、これは少し独断的であるかもしれないが私は思ふ。猶又それを我慢する丈けの泡鳴氏に対する他に尊敬すべき事柄でもあつたか?、それについては清子氏は一言も云つてはない。だからなかつたものと察せられる。すると清子氏が泡鳴氏に対して肉を許すまでの経路には不自然なあるものを見逃すことが出来ない。氏はもつと自分の愛の進み方について細かに説明をすることが必要ではなかつたか? 私にはどうもそんな気がする。
『併し泡鳴氏の恋愛に対する主張はこれが為めに少しも私に同化したのではなかつた。只私の全愛を所有する迄一時私の主張に従つてゐたと云ふに過ぎなかつた。私の全身全霊をもつて彼の愛にむくいた後の彼は彼の主張に立もどつて肉の衝動を感ずる時にだけは彼は配偶者らしい愛情をもつて私を遇したけれども肉の対象なしに霊だけで私を愛し或は同情し慰藉しはしなかつた。』
 若し本当に泡鳴氏がそんな態度であつたのならばそれは勿論泡鳴氏が悪くないことはないけれど清子氏自身がもつと注意ぶかくもつと深く自分を考へられたらさうたやすく泡鳴氏のその態度に欺かれなくてもすんだであらうと思はれる。全体真面目な恋愛は人格的なものでなくては本当に満足が出来るものでないと云ふことは私には可なり分りきつたことなのだが清子氏は主義とか主張とか云ふものからそれを割り出さうとされたらしい。私はそれが決して物を根本的に徹底的に観たり取扱はうとする人の態度ではないと思ふ。それ故にさうした誤魔化しを見逃すやうな事になるのである。併してそれを見出した時にこの侮辱を自分に責むると同時にまた対者に向つても自然な態度がとられたかと云ふにこれ程のさへた理智ある婦人がなほ同棲を続けたと云ふことは如何にしても考へがたい事実である。肉の対象者としてより見られないと云ふことは何と云ふ屈辱でせう。しかもそれが完全な結婚生活がどんなものであるかをよく知りつくしてゐる婦人にとつて。
『同化せしむることに努力しないで只忘れのがれやうとするのは私の誤りだと思つた』と云ふ言葉も尤もの事のやうで本当はそれ程立派な決心ではない。何故と云ふに今迄の経過を通して見た丈けでも泡鳴氏がたやすく人に同化され得るかどうかと云ふことは深く知らない者にでもわかる。全体他人を自分に同化させると云ふことは非常に他人にとつて失敬な云ひ分でなければならぬ。それは不遜な態度だと私は思ふ。夫妻の間に於いて同化し同化されると云ふことは極めてあり得べき事ではあるがそれは決して意識的になされることでなくて愛する者同志の無意識な人格的同化でなくてはならない。それで私は失礼ながら清子氏のこの考へ方をコンヴエンシヨナルなものと思ふ。その上恋愛に対する主張と云ふやうなものは前にも云つたやうに結婚後に彼是論ぜらるべき性質のものでもなく又元来人格的な恋愛と云ふものを主張として取扱ふことにも私は不服をとなへたい。それにさういふ人格的なものを自分に近づけやうとするのは第一間違つた努力であると云はなければならない。殊に泡鳴氏のやうな人に向つてのこの努力は一層氏の明を疑はしむるものである。争闘の続くのは無理もないことである。
『私はこの争闘はお互ひの恋愛の不純から来たものではなくお互の愛が純なればこそ真面目なればこそ起るのであると解した』。もうこうなつて来ると実に解らない。この争闘は泡鳴氏を自分の主張に近づけやうと、同化させやうと努力した結果だと前には云ひそして此度はこういふことを書かれる清子氏の心理がわからない。前には泡鳴氏がたゞ/\清子氏の肉を得る為めばかりに卑劣な態度にまで出たやうな事をいつてゐられる。ずつと読んで来れば二人の間には愛といふものはまるでないやうにしか受けとれない、しかるに此処では愛に依つて起る争闘だと言明せられる。勿論愛についての争闘には違ひはないかもしれないけれどもそれが純とか不純とか云はるべき何物もまだないやうに思はれる。書いてあることに間違ひがないのならば二人の間には争闘だけしかないではないか。『恋愛の生活を一層深めるための研究材料として取扱つた』と云ふ言葉も受けとれない。注意ぶかい読者はここの矛盾を必ず見逃すことはないであらう、そしてまたこう云ふことが何の為めに書かれたかと云ふことをも理解が出来る筈である。氏は用心深く何故六年間もその争闘から逃がれなかつたかとの質問を防ぐ為めにかうしたことを持つて来られたのだとしか私には思へない。若しこれが私の邪推だとした処で此は一方に『かう云ふ争闘の一回毎に私達の恋愛生活は進歩し向上してゐるのだと信じてゐた』と云ひながら一方にはまた泡鳴氏が自分に対する熱がさめるに従つて自分を恋愛の相手としてよりもハウスキーパーとしてしか見ないやうになり、家長の主権をふりまはして自分を圧制するやうになつて世間並な頑迷な古い男と少しも等差がないやうになつて来たので自分は精神的に苦悩し『恋愛の生活に於いて満たされない心の淋しさと結婚から来る夫の専制主義の為めに私の心身は疲労しつくした』と云つてゐられる。しかもなほ泡鳴氏を見捨てはしなかつたと云ふことをわざ/\断つてゐられる位苦しい生活であつたらしい。そして氏は泡鳴氏の如何に妻と云ふものに対して頑迷なるかを述べて更に『私は思想の上からも恋愛の上からも不満や不平が多くなつた。かうして私の性質はます/\沈鬱にます/\寡言に傾くばかりであつた。』と云つてゐられる。果してさうとすれば何をもつて恋愛生活がその争闘の一回毎に深められて行つたと信ずることが出来たか?。私は了解に苦しむものである。
 猶も氏はこの生活の破壊を想ふ心を弱い心としてしりぞけやうとしてゐられる。此処に到つて私は最早氏の心には自然と不自然とが迷にうつゝてゐるとしか見えない。氏は云はれる。『人間が全然孤立して生活することが不可能であり人間と人間とが交渉し接触して始めてその生存を全ふするものである限り絶対の満足も絶対の自由もあり得べきではない。従つて自我にとつて不満足があり不自由があらうとも其度に自分の生活を破壊し捨て去つては恐らく日もまた足りないであらう。たゞそれをよりよき改革に近づかせるのが人間の最も穏当な行き方だと私は考へはげんだのである。』これは常識の発達した常人には如何にも尤もだと思はれるに相違ない。しかし少くとも物を根本的に解決しやうとする人達にはこれは不満足な言葉でなくてはならぬ。絶対の満足と自由は与へられないにしても或程度までは人間の純な何物にも左右されない意志がある筈である。それは今私たちの血管の中にまでしみ込んだ因習のさま/″\な妨害によつてそれを自由に駆使するには可なりな苦痛は伴ふけれどもそれは本来意志の持つた不自由さではない。意志は何物にもわずらはされもくもりもしないものだと私は固く信じて居る。もしももつと外的なことなら私は自然の力と云ふものを信ずると共にどんな小さなものにもまたその力を信ずる。だから小さな力をもつて一時に大きな者に向つてぶつかる愚を必ずしも解さないではないがしかしまた私はその小さな力の連続が若しくは集合が遂には僅かづゝでも大きな力を犯してゆくことが出来ると云ふ理屈があることを考へる。
 故に社会的な運動を起すとか何とか云ふ場合には不自由をしのんで少しづゝ改革してゆくとかと云ふことにも同感の出来ないことはない。併し私は又小さな破壊を連続し、或は集合させることも一寸には馬鹿気て見えても、やがては大成するときのあることを信じてゐる。結果は同一である。時間にもさまでの相異はないやうに考へられる。(これは私の粗笨そほんな想像ではあるが)処がこれは――この場合私は社会的又は個人的と云ふ程の意味で外的内的と云ふ言葉を使ふのだが――もつと内的なそして狭い個人の幸福と云ふことに帰着する筈の問題である。自分一代と云ふやうな考へでなく大きなこれから先どの位永く生きてゐるかしれない社会の改革や運動に対するとは自然にちがはなくてはならない。(併しこの問題は非常に大きな深い問題である。或はもつと深く考へれば私の今云つてゐることは私自身の考へとも喰ひちがふことがあるかもしれない。併しそれを一々考へてゐると非常にわき道にはいつてしまふことになるからこれは後日の思索材料として今自分の頭に浮んだ判断をもつてとにかく論を進めることにする。)何故ならづ時間の上に非常な相異を持つてゐるし次にまた自分と云ふ非常にキチンとした意志と厖大な社会と云ふ複雑なものゝ入りまぢつたものゝ意志との間には量に於いて大変な相異である。従つて私は多少ともに周囲と云ふものを頭において事をするには不自由とか不満足も或る程度までは仕方がないかもしれない。併し自分一個きりの問題ならば自分の意志によつて――意志を自由に駆使することが出来さへすれば何も他人の為めに他人との接触の為めに不満や不自由を感ずることはない。他人の幸福と自分の幸福は決して同一ではない。氏が真に自分の幸福を願はれるならば当然その不徹底な生活を破壊されなければならない筈である。私は此処で氏の所謂いわゆる個人主義なるものが決して真の個人主義でなくてあくまで対象をはなれ得ない非個人主義であることを見逃すことは出来ない。若しも氏が真に徹底せる個人主義であるならばどうして自分を圧制する者の忠実なハウスキーパーとして六年も長い年月を無駄に苦しまれたのだらう。殊にその泡鳴氏は独立した婦人ならば相当の尊敬を払ふと言明されたと云ふではないか、私なら即座にさう云う屈辱から逃がれるであらう。なほもまた本当の個人主義者ならば他人の自由をも尊ぶのが本当である。真の個人主義者は自分を他人の為めにまげることを好まないやうに他人に自分の主義を強ひることも同様に好まない筈である。氏は一方に自分の個性を曲げることをがえんじないでゐながら一方には泡鳴氏にその主張を曲げさせやうと努力された。これは個人主義ではなくて利己主義である。かうして不快な六年を無意味にすごされるよりは何故つまらない、有難くも思はれないハウスキーパーなどになつてゐないで泡鳴氏に同化された方がより幸福な日が送れたかもしれない。
 氏は長い年月のその努力の結果からそれが望むべくして実行しがたいと覚られた。が実行しがたいことは望むべき事ではない。二人の個人が共同生活をする時には譲り合つたり融和をはかつたりと云ふのは本当の個人主義者の云ふことではない。双方ともに五分も一分も譲歩や融和をはかるべきではない。お互ひに出来る丈け勝手なまねをしなければならない。たゞ共同生活と云ふことをする時にはたゞ一つ双方に流れる人格的な愛をもつて共鳴する二人でなければ双方の勝手な真似を寛容し理解し同情することは出来ない。かう観察して来ると清子氏が既に根本的な間違つた観念を多く持つてその為めに無駄な努力を費されたことがわかる。併しこの努力も出産と云ふことによつていくらかつぐなはれた。氏はそれによつて泡鳴氏に対する愛が深められ高められて行つたと云つてゐられる。これは少しも偽りのない事であらう。そしてそれに対する泡鳴氏に変化も影響もなかつたと云ふことも事実として私は認め得る、そして再びそれが清子氏の復活した恋愛の緊張を打ちくだくやうな傾向になつて来たと云ふ言葉を私は同情のこゝろなしには受けとれない。そうして『私の恋愛は泡鳴氏以外に振り向く事が出来なかつた』と云ふのも真実の声であらう。こうなつて来ると悲惨な事実となつて仕舞ふ。併し氏は此度の泡鳴氏の新らしい恋愛事件によつて自分の生活はもう根底から破壊したと思つた。そして泡鳴氏に対する恋愛を打ちすてたと云つてゐられる。それにもかゝはらず、同情と好意をもつて相手に悪意さへなければ夫としての彼に尊敬を払ふことをはばからなかつた。とはう云ふ意か私には殆んど解らない。恋愛なしの結婚生活とは私たちの嫌つてゐる生活である。まして清子氏は泡鳴氏の家長としての圧迫に苦しみ反抗しながらなほ愛もなくて夫としての尊敬を払ふとは何ういふ意か? 私は殆んど氏の真意を覗ふに苦しむ者である。根底から破壊したと思ふ生活に今も尚ほ止まつてゐられるのはどういふ意か?
 かうしてはじめからもう一度氏の感想をよんで見ると氏は六年間泡鳴氏の不法な圧迫に苦しまれたのらしい。そしてその上に氏はまたその生活には泡鳴氏に欺き誘はれて這入はいられたとしか見えない。そうすれば何処に氏には自覚をもち自我を持つてゐられたのであらう。これではあまりに平凡な無智な女の結婚生活と相近いではないか。
 併し私はこの判断をたゞこの『双棲と寡居』の一文に依つてのみ得たのだ。私はこの判断を決して実際のそれと混同するものではない、私は清子氏をそれ程つまらない人であるとは信じない。私は清子氏はもつとたしかな自我をもつた人であると思ふ。只私はあとから附加された理屈と事実にどれ丈けの差があるかをはつきり見たかつたのだ。これをもつて見れば明かに事実と理屈との間に誤魔化しの出来ないものがあることがわかる。清子氏としてはこの理屈で或る安神をもつことが出来るのかもしれない。併し私はこの事実との間の大きな差異を見逃すことは出来ない。私は『双棲と寡居』を世間への弁明として氏がかゝれたものであると見度くはない。
[『第三帝国』第五六号、一九一五年一一月一日]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「第三帝国 第五六号」
   1915(大正4)年11月1日
初出:「第三帝国 第五六号」
   1915(大正4)年11月1日
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:持田和踏
2024年1月11日作成
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