S先生に

伊藤野枝




 余程以前から先生に何か書いて見たい気はありましたけれども私の書いたものなんか御覧になるときつとまた、あの、「フン」と鼻の先で笑はれることだらうと思ひますと嫌気がさして書く気にはなれませんでした。けれども今度こそは書いて見ます。読んで頂かなくてもかまひません、私一人で書いて見ます。
 私に対する先生のお心持ちが今どんな状態に在るか私には全然見当はつきませんけれども多分相変らず軽蔑してお出になることはたしかだとおもひます。私も実を云ふと先生を軽蔑してゐるのです。それで学校にも先生の処にも行きません、でもくんではゐません。私は先生は矢張り好きなのです。嫌ひにはなれません。私が学校にゐた時分の何にも知らないでゐた頃の先生は好きでした。然しや私が物を解しはじめた頃の先生は、――先生の態度は――私には不快でした。何故なら先生は私に対して、あまりに傲慢でそして不徹底でゐらしたからです。先生は、徹頭徹尾私を子供扱ひになすつた。それもまあ我慢しますけれどもそれは決して本当の先輩だと云ふ、自覚のある態度ではありませんでした。私はそれをよく知つてゐました。私はあの私の事件のときに先生が骨を折つて下すつたことを知つてゐます。そして感謝してゐます、けれども私は矢張り不平です。先生は、私の方にもそれからまた、私の国許にゐる両親たちにも双方に先生の親切を見せつけるやうな態度をなさいました。仮令たとい先生はさう云ふおつもりでなかつたにしても、先生は、どちらにもよく思はれたいと云ふ気持はたしかにおありになつたとおもひます。でなければ一段高い処にゐて、其所から私達の間を自由に近寄せやうとなさいました。一体何時でも私には二つの全く相反した性質のものが先生の内にゐて、争つてゐるやうに思はれます。先生御自身ではお気がおつきにならないかもしれませんけれども――或はまた先生はうまくそれに調和がとれてゐるつもりでお出になるのかもしれませんけれども――それが別々に孤立してゐるやうに思はれます。それは私は学校で先生から倫理のお講義を伺つてゐる時分から気がついてゐました。それがあの時以来著しくはつきりといたしました。先生は何時も私達にお話して下さる時に油がのつておいでになりますと気持ちのいゝ程興奮して社会の腐敗した風教や何かのことについて罵倒なさいました。それでそれまではまだ半眠状態でゐた私の社会の習俗に対する反抗心が漸く目醒めて来ました。そして、そのボンヤリした私の魂はだん/\に僅かづゝながら成長して来たのでした。そして、私が当然通るべき第一の関門にまで到着したときに、私は先生に教はつた通りにありつたけの力をもつて其処にぶつかりました。勿論それにはTとN先生とが後にゐて下すつた事も私の力を強くしたのではありますけれども。
 そしてその時第一に私に反抗を教へて下すつた先生はどうだつたでせう。私はかう考へて来ると悲しくなります。先生は矢張り到底社会に対抗して活きて行ける方ではなかつたのです。然し無意識にしろ屹度きっと先生には妥協して生きて行かなければならないことが苦しいのでせう、それで、その苦しみを先生は何にも知らない私達の前にぶちまけてゐらしたのです。私たちは子供でしたそんな事は少しも知りませんでした。思ひ切つた俗物にもなれず、といつて、人しれぬ苦しい思ひをしながらも社会と云ふものを、何をするにも相手にしなければ生きて行けないといふ先生の気持は、今の私には充分におさつしが出来ます。私は、その気持には充分に同感の出来るものがあります。併し先生はそれを自覚なすつてゐらつしやらないのです。自覚がおありになれば私はもう先生には何にも申あげることはないのです。けれども先生は、その苦痛を自然の苦痛として、その苦痛に就いて考へて見やうとなさらずにたゞ何でもなく看過してお出になるのです。すつかり満足してお出になるのです。それが先生をわざわいしてゐるのだとおもひます。賢明な先生が何故あんな態度でゐらつしやるのでせう。私はあの当時Tにあてゝ下すつた手紙ですつかりが解つたやうな気がします。
 先生は、Tに宛てた手紙の中に
――私はどうも感情的でいけない、早い話が手紙を頂く前と後ではあなたに対する感情が違ふ、く感情の移りやすい私は時々過度に激昂したり、また俄かに気の毒の感の為めにくだらない妥協をする幼稚な癖があるのです。――
またうもお書きになりました。
――人を見て稍もすれば大掴みに値ぶみをしたり早呑込はやのみこみの侮蔑をしたりすることが多い、これは人を尊重せぬ悪癖と深く悔ひます
けれども先生はいくら悔ひてゐらしても矢張り傲慢でゐらつしやいます。他人に対して傲慢だと云ふことは自分に対して傲慢だと云ふことに当るとおもひます。人を尊重せぬ悪癖と云ふのは自分を尊重せぬ悪癖と云ふことです。「困つたものだと思ひます」と仰云おっしゃつても御自身はその実あまり困つてはゐらつしやらないのです。病気あつかひにしてお出になる処が可笑おかしいとおもひます。しかも先生はさう云ふ悪癖をもてあつかつてゐて困ると云ひながらTやN先生の態度について、自分を一段高くにおいて批判するやうなことを書いてお出になるやうです。それも先生に本当の意味での自覚がないからだとぞんじます。自覚と云ふのがいけなければ先生の内外生活がともに徹底してゐないからだとも云へませう。
 先生は、言論の上では、――私共に講義して下すつたとき――社会とか道徳とか習俗などを極力排斥なすつたやうに思ひます、併し実際問題にかゝはつたときに、先生は、矢張りあゝまでそれに固執してゐらつしやいます。
 先生は何でも型にはまる事はおきらひのやうに私は存じました。先生は何時もそれを非難なすつてらつしやいました。けれども矢張り先生も御自身が型にはまつた生活をしてお出になつたのだとおもひます。先生がかつぎ上げてゐらつしやる道徳の悪い癖は、何人を看るにも人その人を見ないで何時も、どんな人を見るにも、道徳と云ふ標準をもつて理性とか感情とかを別々にしてそれで人間の価値を定めるやうなことをなさいます。現に先生がおなじ手紙の中に例におあげになりました事だつてさうです。
――けれど感情的であることは免れません。面白いが人生々活の標準とはなれますまい、と思ひます。之を貫いては困ることが随分あることを反省して頂きたいと思ひます。幡随院がお尋ね人の平井権八をかくまふのも此の感です、芝居としては面白いが道徳の標準にはならぬ、従つて悪い場合も生じます。即ち道理理屈にも社会の秩序にも触れることがあります。――
けれど先生は、そんなに人間は所謂いわゆる道徳にばかり気がねしなければ生きて行けないものでせうか。誰も彼も神様でない以上さう/\小さくなつてもゐられないと思ひます、早い話が先生だつても道徳を侮辱したことはないとは云へないでせうと思ひます。道徳は必ずしも真理ばかりではないと思ひます、神様は決してあんな道徳などゝ云ふ窮屈なものは造りはなさらなかつたのだと思ひます。都合次第に出来たものなら都合次第に破壊してもさしつかへのないものだと思ひます。人間の本性を殺すやうなもしくは無視するやうな道徳はどし/\壊してもいゝと思ひます。破壊する力を与へられない者は仕方がないとしてもさう云ふ確信をもつたものはどん/\さうして進んだ方がいゝのだと思ひます、都合次第に出来たものゝ為めに、さうして自分の上に何の権威もないものゝ為めに、一歩もゆづる必要はないと思ひます。それが出来得ない人は道徳それ自身を恐れるのではなくてそれをとりまいてゐるもの達を恐れてゐるのだと思ひます、先生だつて現今の社会の道徳に偉大なる権威を認めてお出になるのでもなければ満足してお出になるのでもないと思ひます。唯だ先生はその道徳を奉じてゐる社会の群集の勢力が先生の生活の上に及ぼす不利な結果を恐れてゐらつしやるのだと思ひます。

 先生は「僕は自分の自由を重んづるからすべての人の自由を重んじたい」と云ふTの言葉を美言と仰云ひましたね、けれども先生はそれが本当に解つてお出にならないのだと思ひます。すべての人がその心持でゐたら、どんなに、各自勝手なことをした処でお互ひ同志の秩序を乱すことはない筈だと思ひます。ただ皆、自分の手前勝手と私たちの云ふ自由を一緒にしてゐるのです。そして余計な心配をしてゐるのだと思ひます。それは絶対の自由はなか/\得られませんがそれに近い自由は得られます。先生は何とか彼とか可なり私達の上を非難なすつてゐらしたことを私は知つてゐます。然し私達は今貧乏はしてゐますけれども過ぐる頃先生に夢想だの何のと云はれた、私共の考へてゐたことに近い生活をしてゐます。そして何の矛盾も苦悶も持ちません、――但し世間の人達の持つてゐるやうな一般的の苦痛です――私達は今、何に向つても可なり自然な心持で向ふことが出来ます。何の束縛も感じません。そして私共は可なりお互ひに勝手なまねをして居ります。私達に向つて先生が断言なすつた三年も直ぐですけれども、私達の愛はなか/\醒めさうもありません。私はあれほど大切な道徳に反抗しましたけれども生きることはさまたげられはしませんでした。私はずん/\成長してゐます。これからもずん/\育ちたいと思つて居ります。
 私は別に新らしがる訳ではないのですけれども先生のやうな賢明な方があゝやつてだん/\時代に取り残されてゐらつしやることを考へると情なくなります。それは屹度先生のゐらつしやる位置が悪いのだと思ひます。先生は自分の生活を可なり恐れてゐらつしやるやうに私には思はれます。
 私がこんな事を申上げると先生はどんなにお笑ひになるでせう、また、どんなにお怒りになるでせう、然し私の考へ方は間違つてはゐないと思ひます。学校にゐるときには先生のお話を一生懸命に伺つてゐました。解らないでも解つたかほをして聞いてゐました。今考へると本当に滑稽です。その実何にも解つてはゐませんでした。今になつてチヨイチヨイ先生のお書きになつたものなどを拝見しても私には解らない事が多うございます。お書きになりましたものを読んでいくら考へて見ても「なかみ」がちつともないやうな言葉ばかりが並べてあるやうに思はれます。先生の仰云ることはちつとも生命がないやうに思はれます。所謂現実味が欠けてゐるとでも申すのでせう。何となく私のやうな生々しい人間の気持にしつくりと力強く来るものがないのです。先生の仰云る言葉は一つ一つ皆空想から生れたものゝやうに思はれます。先生には世間の思想なる物の醜さははつきり解つてゐらつしやるやうです。然しそれ以上の事はもうお解りにならないで、そしてそこから先は空想にしてゐらつしやるやうに私には思はれます。私達がまだ学校にゐた時、子供でしたからまるで盲目でした。先生はその社会の表面に現はれた事実をつかまへて盛んに熱情的な口吻で私共に話して下さいました。何にも知らない私共はすつかりその事に感心してしまつてゐたのです。
 私はあの事件で子供から一足とびに大人になりました。少し考へ深く注意ふかく私が世間に対したとき、其処にいろんな事象がいろんな意味で私を教へてくれました。私は学校で先生方に伺つたお講義が何の役にも立たないことを確め得ました。理想といふのはすべて空想の所産であることを知りました。そして空虚な理想に服することは出来ませんでした。私はあの時の事を考へますと身ぶるいが出るやうです。
 眼にはおおいられたすべての醜い事象がよこたはつてゐます。それを踏み越えなければならないと解つてはゐますけれどもどう行つていいのか解りませんでした。そして私も矢張りその醜い事象の一つでした。もう美しい理想だの道徳だのさういふ高遠なことを考へることは出来なかつたのです。だのに先生はその時私がんな情態に瀕してゐるかも考へないで私も矢張りその中の事象の一つであるといふことを根拠として、周囲といふ私にいくらかの影響を与へるものをつきつけて、私の心の中に渦巻いてゐる大きな矛盾を肯定させやうとなさいました。その時私は先生が日頃私たちに云つてお出になつたことゝはまるで違つた態度で社会といふものをお説きになるのがれつたいやうに思はれました。しかも先生は俗悪な社会の道徳や習俗に対して何の苦痛の感も抱かずに接しながら一方にまた高遠な理想を説いてお出になつて、その理想と愚劣な現実とを止むを得ないと云ふ、アツサリとした言葉で結びつけて平然と済ましてお出になります。私にはとても我慢がならないのです。そして先生は遂に古き理想主義としても徹底することが出来ずに、また思ひ切つた俗な生活にも満足し得ずに、何と云ふ事もなしに一生ボヤツとして過してゐらつしやるのかと思ふと本当に淋しい気がします。
 随分無遠慮にいろ/\な事を書きました。また先生に、子弟の礼をわきまへぬなどゝしかられるかも知れませんが何となく書いて見たいので書きました。ひどいことも書きましたが、私は矢張り先生が好きです。先生が妙な道徳家ぶりさへなさらなければ私は本当にすきなのです。情熱と空想の世界にゐらつしやる時が一番先生の生地きぢに近い時だと思ひます。あの「悧巧」が顔を出すといやです。「理想」のお話をなさる時に、それを先生の美しい空想として聞くと本当におもしろい気持のいゝお話ですけれど、その話が現実に結びつくといやです。

 私は何と云ふつもりでこんな余計な悪まれ口を書く気になつたのでせう、読み返して見て驚きます、可なり先生の腑に落ちない見当違ひがあるかもしれません、実はもう少し書くつもりでゐましたけれどもう書くのが面白くなくなりましたからこれで止めます。何だか一向不徹底な、何を云つてるんだか解らないやうなものが出来上りました。ですが私はたとへ先生が御覧になつて、間違つてゐてゞも何でも、私が先生にこんな理屈が云へるやうになつたその事だけでも認めて頂けばいゝのです。そして、先生が先生の所謂「新思想」もあんな傲慢な態度でなく研究して頂きたいと思ひます、実は何時か先生が温旧会通信にお書きになつたことや読売新聞の婦人附録にお書きになつた――たしかに先生だと私は承知いたしてゐます――ことについておもに書くつもりでしたが温旧会通信も新聞も何処かに仕舞ひ忘れましたので一寸ちょっと具体的に書けなくなりましたし、面倒くさくなりましたから止めました。先生のあの態度は傲慢と云ふ言葉に当ると思ひます。それは先生御自身で仰云る「――大掴みに値ぶみしたり、早呑込の侮蔑――」をしてゐらつしやるのです。もう少し先生が新思想に対して親切な敬虔な態度をもつて御覧になることは先生御自身の為めばかりではなく先生がお導きになる多くの先生を信頼してゐる生徒たちの為めにどんなに幸福なことか分らないと思ひます。何卒先生、学校から社会へといきなり突き出されたときに多くの若い人達があまりに現実との間にひどい矛盾を感じて惑ふやうな事にならないやうにして下さい。それは先生のやうな方にしかお願ひの出来ないことだと思ひます。私は本当に他の愚劣な教育家と云ふやうな人達とおなじに先生を看てゐましたら生意気にこんなことは申ません。その事がお願ひしたいばかりにいろ/\な生意気なことを並べたのです。何卒馬鹿にしないで読んで下さることをお願ひします。私としては真面目に書いたのですから。まだ雨が降つてゐます。学校時代の無責任な楽しさは思ひ出しても気持のいいものです。先生のお宅にゐました頃――それももう二度とは返つて来ない楽しい月日です。
 かうして筆を運ばしながら追想しますと又いろんな思ひ出が生き返つて筆をきたくなくなります。何だかあの先生のお宅で林檎をかぢりながらいろんなお話を伺つたときのやうな子供々々した、なつかしい親しみをもつて先生に甘へたいやうな気持になります。かうなつて来ると、あんなにくまれ口をきいた大人になつた自分が悪らしくなつて来ます。もういゝ加減に止めませう。そのうちに、こんな理屈を云つたことは全く忘れたやうな顔をして、先生のお書斎に子供になつて甘へに行きます。そのとき何卒悪くらしい大人の私をしからないで下さいますやうに今からお願ひして置きます。 (三、五、一五)
[『青鞜』第四巻第六号、一九一四年六月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「青鞜 第四巻第六号」
   1914(大正3)年6月号
初出:「青鞜 第四巻第六号」
   1914(大正3)年6月号
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:Butami
2020年9月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード