九州より

――生田花世氏に

伊藤野枝




 生田さん、私たちは今回三百里ばかり都会からはなれて生活して居ります。
 私達のゐます処は九州の北西の海岸です。博多湾の中の一つの小さな入江になつてゐます。村はさびしい小さな村です。私たちは本当にいま東京から大変遠くはなれてゐるやうな気がしたり、それからまた、でもかうして原稿用紙に向つてペンを運んでゐますと矢張り東京にゐるのだと云ふやうな気もします。けれども矢張り遠いのです。お友だちのことなんか考へてゐますと夜分にも会へるやうな気もしますが一寸ちょっとはどうしても会へないのです、あの窮屈な汽車の中に二昼夜も辛抱しなければならないのだと思ひますと、何だかあんまり遠すぎるのでがつかりします。一寸かへつて見ると云ふやうな自由がきかないのです。
 此処は私の生れ故郷なのです。けれども矢張り私たちにはこんな処にどうしても満足して呑気のんきに住んではゐられません、かうやつて家にゐますとまるで外からは何の刺戟も来ないのですもの。単調な青い空と海と松と山と、と云つたやうな風でせう。此処で生れた私でさへさうですから、良人おっとなどは都会に生れて何処にも住んだことのないと云つてもいゝ程の人ですからもう屹度きっとつまらなくて仕方がないだらうと思つてゐます。それもこの附近はかなり景色がいゝのですしいろ/\な立派な偉大な自然に接触することが出来るのですからそんな処も歩いて見ると少しはまぎらされるのでせうがいろ/\な事でまだそれ程の余裕を種々な点で持ち得ませんので本当に気の毒です。私もこちらへ来ましてから半月にもなりますが、まだ本当におちついて物を考へることは勿論書くこともよむことも出来ないしまつです。あなたはどうしてお出になりますか、お忙しう御座いますか。
 私は東京にゐる間からかけづり歩いた疲れも旅のつかれも休めると云ふやうなゆつくりした折は少しもないのです。体はいくらか楽ですけれども種々な東京に残した仕事についてのわずらはしい心配や気苦労で少しも休むひまがなく心がせわしいのです。
 大分青鞜が廃刊になるとか云ふうはさも広がつたやうですが私はどんなことをしても廃刊になど決してしないつもりです。読者の間には随分心配なすつた方があるでせうけれど引きつぎの当時にお約束したやうに、どんな困難にあつても、たとひ三頁にならうと四頁にならうと青鞜だけは続けてゆくつもりです。兎角とかく事あれかしと待ちかまへてゐる閑人の多い中ですから一々うはさをとり上げてゐては大変ですけれどあんまり馬鹿々々しく吹聴されるといやになつて仕舞ひます。
 今の処実際雑誌はもとよりも貧弱になつたのは申すまでもなく私もよく承知して居ります。けれども私はまた私の考へで正直な処を云はして貰へるなら、私はむしろいま世間でチヤホヤされてゐる立派な人々の原稿を頂いて読者の御機嫌をとつて雑誌を多く売ると云ふことよりもむしろこれからのびやうとする苗を培ふことにつとめたい、勿論私自身もその苗の一つなのですもの、さうしてお互ひにもつとずつと近しくなつてゆきたいと思ひますの、売れなくなつては苦しいには違ひありません、私も出来るけは売りたいと思ひますの、ですけれど私はすべてをすてゝ手段に走らうとはどうしても思ひません。いくら目的の為めの手段とは云へ、そんなことを考へますといやになります。そうして手段と云ふやうな事に向つて事をやり始めますと、私の負けぎらひな向不見むこうみずな性質がどう走るかしれないと思ひますとぞつとします。折角これまで、一歩一歩にどうにか質素な内輪な歩き方をしてゆかうとしかけてゐる私がどうなるかしれないと思ひますと、嫌やになります。女の世界の速記を御覧になりましたか。可なりぬきさしもあつたやうですが、あんなに馬鹿気た、いやな私が頭をもたげるのです。私自身にもあれを見ましたときには本当に恥しくなりました。私の心持ではあの時に嘘を云ふつもりで嘘を云つたのは一つもありません、けれども卑怯な態度をとつたことは恥かしいと思つてゐます。つまり、いろんな不純な気持から、こんなことを云へばまた面倒な質問をされると思つたり、うるさいからと云ふやうな横着な気持からホンの二つ三つのうそをついたことが、その時は当然だと思つてゐました。けれども今では可なり恥かしく思つてゐます。
それもあの場合、向ふの人が真面目にさうした問をかけてゐると思はれたら私は躊躇なく本当のことを云つたでせう。けれども私はあの野依のよりと云ふ人を厭な人だとは勿論思ひません。どちらかと云へば気持のいゝ好きな人の方ですが――あの人の態度とか思想とかについては私とは何のつながりもないことを知りすぎてゐました。其処で私の不純な悧巧が頭をもたげたのです。おまけに向ふの問ひ方が少からず不真面目でしたから私もその気になつてお相手になつて居りました。けれどもそれは私の卑劣な云ひ訳けに過ぎませんでした。私はまだ本当に厳粛に自己を保ち得る力がないのをつく/″\情なく思ひました。私は何故あの場合あくまで私の信実をもつて、真面目をもつてあの人に当らなかつたらう。と思つたときにかなしくなりました。矢張り小さい時からの悪いくせは何処までもまとわりついてゆくものだと思ひました。それは本当に私の悪いくせです、小さな卑怯者とは私のことです。私は幼い時から失策をしたときに、その失策をありのまゝに他人の前に持ち出す信実を少しも持ちませんでした。私はその失策に気がつくや否や、づそれをそのまゝに持ち出すよりも前に何とかそれがもっともらしく他人に思はれるやうな理由を附けるか、或ひはそれを全くかくして仕舞ふやうな方法を講ずることを知つてゐました。しかしその為めに、私はどの位自分でも苦しんだかしれません。苦しみながら私は矢張りそれを続けました。もしも私がそのことを平気でする程になつてゐましたら決して生涯私はすくはれることはなかつたらうと自分でも思ひます。けれども私は幸ひに、平気でそれを過して続けることは出来ませんでした。けれども何時と云つてそれを改めることは出来ませんでした。何故なら、私の周囲の人たちは皆私のその悪いくせを知つてゐました。そして私のすべてがそれによつて価値づけられました。勿論他人に、私のその悪いくせがそれ程私自身を苦しめてゐることがどうして解りませう。私はもがき/\だん/\ふかみへはいつてゆきました。けれどもふとしたはづみで私はすつかりその嘘の皮をぬぎました。私は大変楽になつたのです。本当にそれは何とも云へない軽い気持になりました。私は本当に、すつかりそれで嘘がきらひになりました。私は思ひます、それは/\沢山なうそを私は云ひました。またこしらへました。けれども私はその為めに自分ひとりでどんなに苦しんだでせう。その苦しみが私にはあんまりよく解りすぎますのでもうそんな苦しみは決して負ふまいと思ひます。
 けれども本当に油断は出来ません。私は一寸、ほんの一寸油断をした為めにまた自分に対して不忠実なことをしました。小さな、わずかな、ツマラナイ、本当につまらないヴアニテイを私が起したからです。自分でもどうしてそんなつまらない心持を起したかわかりません。「馬鹿にされまい」と云ふやうな野心を起したのです。只それ丈けです。そして私は私の生真面目があゝ云ふ人にはたゞ馬鹿気て、子供らしくしか見えないと云ふことを知つて居りました。それは、明日に迫まつた金の為めに困りぬいてあすこに行つたと云ふことが一番の私の弱味でした。つまり一寸したすきに私が乗せられたのです。私はかうして考へて来ますと、本当に情なくなります。かうした、一寸した機会にすらも乗せられる自分をかなしまずにはゐられません。まだ/\私にはどんな処に出てもどつちを向いても一歩も半歩も自分の信実は譲らないと云ふ程確実に何時でも自分を頼んでゐると云ふ自信がありません――かなしいことですけれど。向ふが大手をひろげて一杯に正面から向つて来ればそれに向ふことも出来ますがすこしすきを見せて横手から出らるれば直ぐにゆだんをしさうになります。これでは本当に危つかしくて仕方がないと思ひます。もう少ししつかりしなくてはとても雑誌を一とつ背負つてたつと云ふことは出来ないとつく/″\考へます。
 をとなしい、すなほな調子で出られると単純な私は直ぐその調子に引き込まれさうになります。小さな煩さい感情を失くしたいと思ひますがなか/\さうならないものですね。もう少し物事を真直ぐに、克明に照らす理智を欲しいと思ひます。

 自分の愚痴ばかりをなが/\と喋舌しゃべりたててすみません。私はたつまへにあなたの御本について何か書くことをお約束しました。けれども読むはよみましたけれどもいま落ちついてあの御本について一々何か申上げると云ふやうなことはとても出来さうにもありませんからあの御本をよみましたときあなたについて感じたいろ/\なことをちぎれ/\にかいてそれで許して頂かうと思ひます。けれども私の感じたことが直ちに本当のことであるかどうかは私にもわかりません、私の感じたことゝ書くことの間にちがひは勿論ありませんがあなたのお書きになつた心持ちと私の感じ方の間にちがひがあるかもしれないと云ふことなのです。
 私はあなたと向き合つてゐますと何時でもろくにお話が出来ないのです。私はどうしてか、此度お目に懸つたらと思つてゐますけれども会つて見ますと、どうしてもよくお話が出来ないのです。私は随分まへからそのことに気がついてゐて、考へてゐました。そしてそれがどうやら、あんまりあなたが丁寧すぎるので私が困ることに依るのだと云ふ風に思はれます。
 あなたはあんまり丁寧すぎるのですものそれはあなたがこれまで訪問なんかを仕事にしてゐらしたその習慣があるのかもしれませんが面倒な礼儀などにうとい、粗野な私たちにはあんまりあなたが卑下なさりすぎるので、なるべくうちとけてお話したいと思つて無雑作にはなしてゐる自分が何だか傲慢らしく見えて来て直ぐいやになつて仕舞ひますので何時でも黙つて仕舞ふのです。私は何時でもあなたが下ばかりむいてゐらつしやるのが気になつて仕様がないのです。何故ちやんと向き合つてもつと親しくもつと大きな声で遠慮なく話して下さらないのだらうと思ひます。私はあなたの或る点では非常に引きつけられながら一方ではれつたくて仕方のないやうなことがあります。私は時々あなたの手をグン/\引つぱつてドン/\馳け出したくなることがあります。何を見ても、何だかオド/\してゐらつしやるやうな処があるやうな気がして仕方がありません。
 私はあなたのあの御本を拝見しながら何処をよんでもさう思ひました。本当にあなたは正直すぎ単純すぎ、あきらめすぎると。あなた自身は本当に美しい心をもつてゐらつしやるのですけれどあなたの周囲は何時でもあんまりあなたに邪慳じゃけんすぎたのですね。本当にあなたのやうなまじりつ気のない感情をもつてゐる方もめつたにないと思ひます。その点ではあなたは何人に向つても大威張りだと私は思ひます。
 あなたは何時でも、自分の満足よりも他人の満足するのを見て喜んでゐる方だと思ひます。これはあなたのどんな場合にも必ずうかがはれることで誰にもわかる事ですが。そしてまた私は思ひます。それがあなたにとつての満足なのだからあなたには立派なことなのですわ、でも、あなたがもし他人の喜ぶかほを見て喜こんでゐる間にでもあなたの足場がひつくりかへるやうなことのないやうに注意してゐらつしやることが出来れば申分はないと思ひます。けれどもあなたは大抵の場合あんまり正直すぎて背負なげを喰はされてばかりゐらつしやるやうに私には見えますのよ、負けぎらひの私には殊さら見えるのかもしれませんけれど。
 さうして、私にはあなたのやうに純な正直な処を沢山にもつてゐる方のねうちを認めずに乗じやすい点を利用して誘惑しやうとしたりひどい目に合はせる奴を憎まずにはゐられません。あなたが最初からそんな奴になんか会はずにずつともつと自由な道を歩いてゐらしたら屹度本当に立派な快活な人なつゝこいいゝ方におなりになつたらうと思ひます。あなたの歩いてゐらした道を私たちは本当には覗いたこともありませんから、どんなに困難であつたかもしかとは分りません。たゞあなたにもう少しエゴイステイツクな点がありそしてもうホンの少しばかり人の悪い処があればあなたは無事にあの道を通れたのかもしれません、けれどもこれは私の想像ですからあてにはなりません。歩いて来て仕舞つた処にはもうたゞ足跡だけです。私たちには歩いてゐるその刹那々々に一番たしかな私たちの存在の意義を見出すことが出来ると信じてゐます。あなたの御本はあなたの過去をお書きになつたものとして、さういふ過去をお持ちになる現在のあなたがどういふ方であるか過去が何処まであなたに及ぼしたかと云ふことを考へるときにはじめてすべてに価値が出て来るのだと思ひます。
 私はあなたの通つてお出になつた過去のことについては本当に一言半句も言葉をさへもさしはさむ資格を欠いて居ります。たゞさうした過去があなたに及ぼしたのであらうと思はれる点をあなたに無遠慮に申上げやうとしたのですけれど考へて見ますと、私は何にも云へなくなつて仕舞ひます。何だか半分云つてあと半分ひつこめるやうですけれどかうやつてかいてゐるうちにも自分のことに思ひ至りますと決して他人様ひとさまに対して口幅つたいことは云へなくなりますからお許し下さい。それでも随分無遠慮に年長者のあなたに向つて甚だ僭越なことも書きましたが何卒あしからずおゆるし下さいまし。
 お互ひに自分のことは矢張り自分で考へながら進んでゆくより他に仕方はありません。生きる力のびる力をもつてゐる限りのものは自分で勝手に、すきなものを吸収することの出来るやうに自然はいろ/\なものを豊富すぎる程与へてゐますものね、私たちはいくつ取つても/\たりないほど沢山のものに恵まれることが出来るのです。どんな醜いやうなものがどんな偉大な肥料になるかもしれませんし、どんなにか美しく見えるものがどんなに害になるかもしれません、他人には本当にわかりませんわ、深く考へ及ぶ程、自然と云ふことを考へる程微弱な自分の力をおもはずにはゐられません、深く内に向つて進む程いたずらに手も足も動かせません、今私は物を考へる毎にさう云ふ風に考へ流されてゆきます、これがどう流れてゆくかは自分でもまだわかりません。私は不自然なことはあくまでもしたくないと思ひます、私の真実が本当の真実である間は。
 つまらないことをなが/\書きましたねいろ/\まだ外に書くつもりだつたのですけれども何時まで書いたつてつまらないことばかしですからこれで止めます。  では 左様さようなら。
[『青鞜』第五巻第八号、一九一五年九月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「青鞜 第五巻第八号」
   1915(大正4)年9月号
初出:「青鞜 第五巻第八号」
   1915(大正4)年9月号
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:Butami
2019年11月24日作成
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