雑感

〔私たちに取つては〕

伊藤野枝




 私たちに取つては内生活の窮迫もこの上なく苦しいことには相違はないけれど、物質的の窮迫もまた往々かなしい矛盾を持ち来たしては私たちの生活を揺り動かさうとする。そうして私たちを脅かす。
 自分に出来得るかぎりの力を出して働いてさへも必要な金を得ることの六ヶむずかしい人達の方が多数を占めてゐる現在の状態にあつては、物質的な満足を少しでも得やうとするにはたゞ一図にその為めにばかり機械のやうに一生懸命に休むことなくあれこれと働かねばならない。働くと云ふことに興味のある人、愉快を感ずる人、或はまた物質的な満足によつて働くことに意義を見出し得る人はそれでも幸福である。内心に不満を持ちながら家族を扶養しなければならぬ為めに渋々苦しい努力を続けてゐる人は気の毒に堪えない。
 私はさう云ふ気の毒な人に向つて自分達の生活の保証を得たい為めに無理やりに働いて貰ふ苦痛には堪えられない。けれども働いてゐてすらも満足な金の這入はいりやうのない者に、遊んでゐて金を貰へるあてはどうしたつてないのだ。そうして必然の結果として貧乏に見舞はれる。けれどそれが自分けのうちは何でもない。ひとりで忍んでゐるうちはまだいゝ、或は愛する二人での間ならば。けれども金がないと云ふことの為めに、種々な圧迫が来はじめると、その生活に揺ぎを見ない訳にはゆかない。それがさうした忍耐のないものにとつては直ぐとまた立ち上ることが出来るけれどさうした喰べる為めの無意味な労働を免かれ度いとあせつてゐる者には其処に種々な矛盾と苦悶が湧いて更に多くの考へなければならない事に逢着する。けれどもややもすれば事々にそれが窮乏と云ふ一つのことによつて解釈される。
 これは人の考へをかなしい片輪にする。窮迫と云ふことは苦しいことには相違ない。誰にでもさうである。けれども人がその窮迫に甘んじて生活しやうとするにはなほ他に、その位の苦悶が打ち消せる何物かゞなくてはならない筈である。初めは誰にでもそれがある。けれども一度ある圧迫に会つて二度三度とそれが重なつて来てもそれをうにか片附ければあとはまた何でもないやうな顔をしてゐられる人は極くわづかしかないやうに思はれる。さう云ふ人の頭には必要に迫まられた時は窮乏と云ふことも考へるけれどさうでない時はそんな事を思つても見ないやうである。さう云ふ人には他に本当の仕事があるのだ。けれども始終貧乏を口にし事々に自分の周囲の事柄のそのすべてをそれによつて片附けやうとし、貧乏と云ふことを標榜してゐる人がこの頃随分ある。しかしさういふ人にかぎつて矢張り食ふ為めには仕方なしにでも働いて、それでゐて自分の本当の仕事と云ふものを遂ひに本当に完成させることの出来ない人の方が多いらしい。とは云ふものゝ窮乏につけての他からの圧迫が身内にくひ込むやうな苦い矛盾をもつて来ることがある。それはもに自分以外の係累に何の理解もなくてそれ等の上にその圧迫がのしかゝつて行つたときその圧迫が更に圧力をまして自分にかゝつて来た時である。窮乏は平気で堪えてゐられるけれどそれに伴ふ圧迫は全く性質を殊にしてゐる。それ丈けは本当に、辛い努力をしなければならない。私はそれを考へると原田氏がその創作に堕胎の一つの原因を自分達の窮乏として取扱はれた処に私は同感する。それは、あまりに、あり得べきいたましい事実を、心をひろげてある。あれは原田氏の空想を描いたものであるとしてもあんな事実が今一婦人の上にあるとしたら、その考へ方が間違つて居り従つて方法はまちがつてゐるにしろ原因には私は充分に同情する。ことに書かれたものは作者の空想である為めに、多少考へるとしてもさまで人達の考への上に権威を持つてはのぞまないけれどもしそれが事実として、あゝした事柄が現はれたならば一大問題となるであらうと思はれる。そうして事実が持つた権威は、動かすことの出来ないものであると私には思はれる。それが問題になつたとしても、それを敢へて行つた婦人にとつては何の無理もないことであるかもしれない。その恐ろしい事を成し遂げた後で何にも自分の心を裏切る感情もなく本当に冷やかに落ちついてゐられるならば更におどろくべき事柄であるにしてもその人には真である。本当に――。万人はどうあらうとも。
 けれども私には堕胎は何処までも許しがたい罪悪である。延びやうとする力をもつた芽をつみとる惨忍な仕方であるとしか思はれない。けれどもそれを承知しながらも不安は打ち消すことは出来ない。私も子供を産むことを恐れながらとう/\産んだ一人である。そうして産まれると云ふことが分つた頃は、一番苦しかつた頃であつた。私はその頃矢張りあゝした恐ろしい事の空想を幾度か経験した。私はどうかして産れないことを願つた位愚かな考へを持つた。私の体の中に他の生命がずん/\育つて気味わるく勝手に動くやうになつても、私はまだどうかして産れなかったらと[#「産れなかったらと」はママ]思つた。しも私がその頃決して困つてゐなかつたらそんな考へを起しはしなかつたらうと思ふ。けれども私はまだいくら苦しくてもさう云ふ空想を人に話すさへはばかる程恐ろしい事に思つた。時々は自分のその心持に驚いたりあきれたりした。そして、私は本能的な愛が子供の上に目覚むるまで時々思ひ出したやうにそんな事を考へはするものゝ大抵は虚心で通した。また時には運命と云ふものに依つていろいろな解釈をつけてそれで落ちついたりした。けれどもし、無智なものでなくあの原田氏の筆によつて現はれたやうな教養ある婦人がさう云ふ他を考へる余裕もなくて、何の顧慮もなしに、たゞ窮迫の為めに自分の苦しさからのがれる為めにあゝ云ふことを平気で決行することが出来たとしたらどうであらう。原田氏の描かれたのは勿論そればかりではなくもつと他の意味も交じつてはゐたが――。私はさう云ふことが絶対にないとは何うしても云ひ切ることは出来ない、何時かはかうした事件が本当に持ち上つて来るであらう。いくつも/\。考へれば本当にいたましい事である。けれども私の考へを云へばこれは疑ひもなく一つの圧迫にまけた事になる。本当に強いものならば本当に深く考へるならば如何に苦しくともつらくともその生命を育てるのが当然である。罪悪であるとかないとか云ふことを無視して、さうである。一寸ちょっと考へて見ると法律や世間の衆愚を目にも耳にも入れずにさういふことを断行する勇気は強さうに見えるが実は最も弱い者である。内に向つても外に向つても最も辛抱づよいものが一番の強者である。例へはつきりと子供の上に愛が目覚めなくても何処かにかくれてゐるのだ。さうしてそのかくれた力が矢張りその生命に保護を加へてゐる。野上彌生氏が私にあれを評して仰云おっしゃつた言葉の内に「不用意に妊娠してしまつたことがわるかつたと云つたり、訳の分らない涙が出たりするのは矢張りかくれた無意識の愛によるのではないでせうか」と云ふことがあつた。私もそれに同感した。それからなほ私は思ふ。さう云ふ窮迫の中に子供が生れゝばまづ自分たちが困ると云ふこともあるがその半ばは生れて来る子供に対するある憐憫れんびんの心が手伝つてゐるにちがひない。しかしこうした心持はみんな自分たちが今まで苦しんで来た、若しくは苦しんでゐることからすつかり臆病になつた消極的な心持である。明日のことでさへ私たちには分らない、まして生れて来る子供がどうであるかそれも分らない。窮乏の中に生れたからと云つて決して不幸であるとはまらない。人間の与へられた生命がつまる迄は、たとへどうならうとも生きて丈けはゆく。
 圧迫を恐れてはじめからさけるのは卑怯である。がまた一度それに面接しながら後をむけることは初めから避けないのよりはもう一層卑怯だと思ふ。ゆく処迄はどうしてもゆかなければならない。中途から引きかへして多くの人の嘲笑を忍ぶ勇気は何にもならない、真面目に例へどんな道であらうとも自分の道を進まなければならない。窮乏を忍ぶ事は何でもない。容易に出来得ることである。しかしそれに伴ふ圧迫の方がよほど恐ろしい。窮乏をさへも死ぬほど苦しがつてゐる人にはとてもそれに伴ふ大きな圧迫のよせて来る処まではゆけない。併しまたそれをえらいことのやうに思ふのも矢張り間違つてゐる。そればかりが決して人間生活の真髄ではない。もつと他にも大きな更に深い苦悩がある。たゞそれ/″\に境遇によつていろ/\なこゝろみに会ふのだ。たゞどんな場合にも自分の道を見失ふことさへなければそれでいゝ。苦しむ丈けは、いくら苦しんでも仕方がない。その苦しみを善く受け入れることが出来さへすれば苦しみが多い程生活に深みが出来るのだ。たゞ注意しなければならないことはそんな苦しみにあつてもちよつとしたはづみで外れると始末のならない卑屈な人間になつてしまふことだ――外面的にも内面的にも――殊にそれが物質的にはさうなり易い。私たちは虐げられていぢけてはならない。虐げられる程深く大きく育つてゆきたい。
[『第三帝国』第四四号、一九一五年六月二五日]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「第三帝国 第四四号」
   1915(大正4)年6月25日
初出:「第三帝国 第四四号」
   1915(大正4)年6月25日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
※〔〕付きの副題は、作品の冒頭をとって、ファイル作成時に加えたものです。
入力:酒井裕二
校正:笹平健一
2025年5月10日作成
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