私信

――野上彌生様へ

伊藤野枝




 八重子様
 本当にしばらく手紙を書きませんでした。この間の御親切なお手紙にも私はまだ御返事を上げないでゐました。御病気はいかゞです。私は矢張り落ち付かない日を送つてゐます。もうすつかり新緑になりましたね、此頃は毎日染井そめいが思ひ出されます。本当に彼処あすこの晩春から初夏にかけての殊に夕方のよさつたらありませんね、私たちもまた、彼処へかへつてゆきたくなりました。去年の今頃は毎日のやうにあすこの垣根から声をかけてはよく立話をしましたつけね、読んだものゝ話、それから書いたものゝ話ね、興味につられて何時迄も何時迄もはなしてゐましたね、丁度あの頃あなたはあの窓の下でソニヤを一生懸命にやつてゐらしたんですわね。そして、私にいろいろな興味深い話を聞かして下さいましたのね、私たちはあの垣根越しに、他の人たちがお座敷で三年もなじんだ人よりももつと親しく気安くあんな興味のある、そして、普通の垣根ごしに話される話とはずつとちがつたはなしを随分しましたわね。
 それにくらべると私のこの頃の周囲のさびしさつたらありませんのよ、不精でちつとも出かけませんので無論来て下さる方もないしそれにお友達をそんなに沢山もちませんので時々聞いて頂きたいやうな話があるときはさびしくなります。私のお友達つたら、まあ、あなた、平塚さん、哥津ちやん、位なものでせう、話したいと思つたときに聞いて貰へる人があれば本当にいゝと思ひますわ、Tが大抵の話は聞いてくれますし、解つてもくれますからそれでどんなに助かるかしれませんけれども或る特異な事になると一向男の興味が向かないことがよくあります。私はかなりおもしろいと思つて熱心に考へてゐても話してゐる人に興味が乗らない位おもしろくないことはありません、そんな時には、家の中に座つてゐてよんでも聞こえる位だつたあのあなたに近かつた家を思ひ出します。私の不精はだん/\昂じて来てこの頃でははがき一本かく事でさへおつくうなのです、ですから無論誰ともはなしもしませんし、聞きもしません、たゞ話たいことけが矢鱈やたらにあります。けれど自分のはなしたい事を話すまへにお答へしなければならないことがありましたつけね。
 私はあのお手紙を拝見してどうしてそんな噂があなたのお耳に這入はいつたのかと思ひましたわ、そりや噂ですもの、とんでもない処にでも聞こえるのがあたりまへですけれどもね、でも私はさう考へると直ぐあとからどうしてそんなうはさが出来たかふしぎになりましたの、だつて私たちは別に何でもないのですもの、もとのまゝの二人ですもの、ちつともかはつてやしませんのよ、ですから誰がそんな途方もない事を云ひ出したのだらうと思ひましたの、でも、それも直ぐと分りましたの、あなたは噂の内容をくはしく云つて下さらないから分りませんけれど多分Nと云ふ、今は旬刊雑誌の『D』にゐる男に関係したことなのでせう。それだとわかります、本当に何時も/\云ふことですけれどどうしてかうありもしないことを事実にして云ひ立てるのが皆うまいのでせうね、しかもそれが一かどえらさうな顔をしてゐる人達ですからね。
 私はあのNと云ふ人は大嫌ひなのです。それ丈け申あげれば私の性質を御存じのあなたはあなたのお耳に這入つた下らないうはさを立派に否定して下さると信じます。実際私はあの人の批評をよんでゐて、頭の明晰なことや観察の緻密なことには感心します。けれどもどうも何となく虫の好かない人なのです。それに、あの人は以前どんな人の作品だつて決してほめませんでしたね何かしら、けなしつけてゐたでせう、それに私に会つてから急に私を賞め出しました。続け様に賞めました。でも私は、それよりも『D』に書けとすゝめられるまゝに書く約束をして仕舞ひますと、何かにかこつけてその人が度々来るのがいやでたまらなかつた位です。全く理由もなしにいやなのです。私はその人が来さうだと思つた丈けでも気が重くなる程でした。好きだとか嫌ひだとか云ふことは実際自分ながらどうすることも出来ませんわ、向ふの人にさういふそぶりを見せることをしないやうにしやうとすればます/\自分が不快になるばかりですから、私はとう/\その人に云つてやりましたのよ、どうしてもあなたが嫌ひですつてね、するとその人はそれは自分も知つてゐるし自分のうまれつきにもよるからたゞ理解して頂きさへすればよいと云つて来ましたの、でも矢張り近かづかう近かづかうとしてゐるのが私には感じられるので随分いやでしたの、そのうちにだん/\不遠慮なことを書いては手紙をくれましたのよ、そして、初めとはちがつてあなたの理性によるよりも心から親しみをもつて貰ひたいなんて云ひ出して来ましたの、それから何かにつけて自分丈けしか男には理解のないやうな顔をするのでせうそれも私にはいやでしたの、そして私の家が無理解な人ばかりだから交渉のない人たちばかりだから嫌ひだとか、かなり私の家庭生活を侮辱するやうな事も書いてありました。そしてTのことなんかよくも知らないで無理解な一人にしてゐるんでせう、私は随分はらが立ちましたから思ひきつて書いたひどい手紙をやりましたの、そしたらおどろくでせうその弁解の手紙はね、まるで前の手紙とは矛盾してゐるのですもの、で私はそれつきり手紙をかきません、随分催促が来ましたけれど。何しろあの人は私の一番嫌ひな性質の人らしいのです。これ丈けは私の理解性をいくら働かしても好きにはなれさうにもありません、そんなわけですから、勿論その為めにTと私がどうとかかうとか云ふことはちつともありません。世間の人は、ちつともそんな事は考へないでたゞ賞められゝば直ぐに好意をもつたり親しくなるものと簡単にきめてゐるのですね、ですから何卒その事は御安神あんしん下さい。

 それから此度は、私のおしやべりになりますが、私はこの号に出てゐる原田皐月さんのお作をよんで毎日あの中に取り扱つてある問題について考へてゐます。これは本当に真面目に考へる価値の充分にある問題だと私は思つてゐます。子供のことについては二人でずいぶんいろいろおはなしをしましたのね。
 私は皐月さんの仰云おっしゃるやうに親になる資格のないものが子供を生むと云ふことは、これは本当に考へものだと思ひます。しかし私は資格と云ふことについては矢張り別に考へなければなるまいと思ひます。本当に深く考へれば考へる程私は未成熟のものでないかぎりまた或る欠陥を持つてゐる者とか無能力者、白痴、狂者など、或る種の疾病をもつもの以外に即ち普通の生活に堪へ得るものであつて生理的にも充分発育を遂げたものならば資格はづあるものにちがひはないと思ひます、あなたはさうお思ひにならなくつて? 併しどうしても子供の出来ると云ふことが苦痛であつたり、恐ろしいと思ふ念を払ひ退けることが出来ない時には、その場合避妊をするもいゝでせうけれど一旦妊娠してからの堕胎と云ふことになつて来ればさうはいかないと思ひます。私はそれは非常に不自然なことだと云ふことが第一に感ぜられます。かく、それがどう育つてゆくか枯れるかは未知の問題ですわね。併し、生命が芽ぐまれたことは事実でせう、その一つの生命がどんな運命のもとに芽ぐまれたかどうかは本当は誰にもわかりはしませんわ、それをいろいろ自分たちの都合の為めにその『いのち』を殺すと云ふことは如何に多くの口実があらうともあまりに、自然を侮辱したものではないでせうか、『生命』と云ふものを軽視した行為ではないでせうか。
 皐月さんが仰云るやうに一と月のうちにでもどの位無数の卵細胞が無駄になつてゐるかしれないうちから、その一つが生命を与へられたと云ふこと丈けでも私たちの目に見えない微妙な何物も持つてゐる与へられたこの命にまつはる運命と云ふものを思ひます。その運命がどう開けてゆくかはまへにも云ひましたやうに誰にもわからないのですものね。それを、その生命を不自然な方法で殺すと云ふことは私ならば良心のいたみを感じます、あなたはどうお思ひになつて? 皐月さんは自分の腕一本切つたのと同じだと仰云つてゐます。腕は別に、独立した生命をもちません、人間の体についてゐてはじめて価値のあるものですものね、それを切りはなしたと云つて法律の制裁をうけるやうなことはすこしもないのです。また必要もありませんわ、自分で困るのですもの、そんな馬鹿なことをする人があるでせうか、それは自分自身で仕出かしたことではありませんか、ところが腕を一本他人のを切つて御覧なさい、それこそ大変ですわ、直ぐ刑事問題になるでせう。それと同じですわ、たとへ、お腹を借りてゐたつて、別に生命をもつてゐるのですもの、未来をもつた一人の人の生命をとるのと少しもちがはないと私は思つてゐます。皐月さんはお腹の中にあるうちは自分の体の一部だと思つてゐらつしやるらしいんですけれど私は自分の身内にあるうちにでも子供はちやんと自分の『いのち』を把持して、かすかながらも不完全ながらも自分の生活をもつてゐると思ひます。其処に皐月さんの考へと私の考への相異があるのですわね。
 それから、自分達の生活の窮迫と云ふこともあの問題にかゝはらしてありますわね、それは私自身にも経験のあることである丈けに非常にもっとものことに思ひました。私もあの子供が私の身内に息をしてゐるのを感ずる度びにそのことは非常な苦痛でした。あなたも御存じのやうに私たちはその時窮乏のどん底にゐました。私は子供の為めにたゞそれのみ苦にやんでゐました。けれどもTは、私が苦しがる度びに云ひました。
『こんな生活に堪へられないやうな抵抗力のない子供ならば生れて来る筈はない』と。
 本当にさうだ。と私は思ひました。まだそれに満足に生れるかどうかさへ分りはしない。私たちの明日の生活さへ分らないのだもの。子供は矢張り子供自身の運命をもつて生れて来るのだ。貧乏だと云ふことが決して不幸な事ではない、こんな処へ生れて来るのも子供の運命がさうなんだ、もし子供が富有な運命をもつてゐれば生れるまでには自分たちの生活もいくらか窮乏からまぬかれるかもしれない、もしまたさう云ふ生活に堪えられないなら自然に生命が消滅するより他に道はない。すべては未知の問題なのだとさう思ひましたのよ、さうして私は平静に子供を産むことが出来ました。それから自分に子供の教育をする能力をもたないと云ふことも苦痛の一つでした。けれども私はこの頃子供の発育やそれから智慧のつき方をぢつと見てゐますと其処にも私たちの力のおよばない偉大な力を見出します。人間が人間を教育すると云ふことの到底不可能なことを染々しみじみ思ひます。あなたが何時か私にお話なすつたわね、子供が食べ物でなんか育つのではないと思ふつてねえ、本当に、私は始終あのことを思ひ出してゐますわ、教育なんていくら云つてさはいだところで自然の導きを私達がどう阻みませう、綿密な注意も観察もたゞ子供自身で行ふ教養を手伝ひする位ですわ、自分の理想をえがいては、その通りにそだてやうなどゝ思ふのはもつての外のまちがひだと思ひます。人間の智慧と云ふものも私にはあまり有がたくはなくなりました。何だか話がすこし横道へはいりましたわね、兎に角、私は、皐月さんの堕胎の説には賛成することが出来ません、勿論私はこれは皐月さんの思想か或は想像の上の創作であるかは知りませんけれども兎に角あの作に現はれた思想に対してはさうです。あなたはどうお思ひになりますか、これも矢張り子供をもつたものの、子供の為めの思想だと其処らで笑はれるかもしれませんけれども私は本当に長い未来をもつ「いのち」には心から或る尊敬の念をもちます。「芽」と云つても矢張り私は同一の意味で大切にしたいと思ひます。
 私は子供の事を深く考へれば考へる程どうかしたはづみに知らず/\子供の上にのしかかつてゆく自分が情なくなります。私は被教育者としての位置にゐたときから教育に対する沢山の不平をもつてゐました。今はまた子供の育つのをぢつと見てゐて更に深いおそろしい教育の欠陥をまざ/\と見せつけられます。
 静かなあなたのやうな方にはそんなことがないかもしれませんけれど私のやうに感情の動揺のはげしい者には殊にかなしい情ない子供に対して申わけのない絶望の時がちよい/\見舞ひます。殊に、ひどくヒステリツクになつてゐる時などに、執念しつっこくまつはりついたり何事かねだつたりする時私の理性はもうすこしも動きません、狂暴なあらしのやうに、まつはりつく子供をつき倒してもあきたりないやうな事があります、けれども直ぐ私は、自分でどうすることも出来ないその、狂暴な感情のあらしがすぎると理性にさいなまれるのです。そのかなしい感情をどうすることも出来ないと云ふことが私には情なくも腹立たしくもあり絶望させられるのです。そして子供が可愛さうでたまらなくなります。子供がそれをどういふ風に感受するかと思ひますと、私は身ぶるいが出ます。けれどすぐ私はそんな時に思ひます。あゝ、私はまた間違つた教育者をてらはふとしてゐると。私のこの突発的な感情を今によく理解させさへすればいゝのだ。そのうち子供の方で理解するやうになる、と思ひ返します。自分の醜い処を覆はふとするやうな卑劣なまねは子供に見せたくないと思ひます。たゞ醜い自分の欠点に対して自覚を持つてゐないと子供に卑しまれると思ひます。何だかとりとめもないやうなことを随分書きましたがまだ/\書きたいことはあとから/\湧き出て来るやうです。
 この間、ストリンドベルヒの「痴人の懺悔」を読みましたの、あんなにも私は女に対して憎悪のこみ上げて来たことはありません。前に私はストリンドベルヒのものは三つ四つ読みましたけれど私はあとで何時までも/\気持がわるくてたまりませんので先づきらひと云ふ観念が先きにたつて読まうとしませんでしたの、それに何時かあなたにもお話しましたわね、土曜劇場で「父親」を見てからと云ふものは一層あの人の作物がいやになりましたの、あの人のものでたつた一つ私のよんだ三四のうちで今迄さう憎悪の念をもたずによめたのは「女学生」丈けでした。処が此度「痴人の懺悔」をよみましたら、私のストリンドベルヒに対する考へ方は一変しました。私はあの人があんな女性観をもつやうになつたのに何の無理も見出せなくなりました。私は無自覚な無知な女の醜さを染々と見せつけられました。そうして、私自身の中にもさうした、無自覚な、女の習性が沢山うごめいてゐるのを否定する勇気はどうしてもありませんでした。一人の女の生活が一瞬にすぎた考へまでが真面目な最も率直な筆で隅からすみまで描き出されてゐます。さうして私はそれが決して少数に属する特異の女でなく多数を占めた普通の女でしかないと思つたときに、本当に、しみ/″\嫌やな気持になりました。さう云ふ女が一ぱいうよ/\世界に充満してゐると思つて御覧なさい、本当に、たまりませんわ、けれども普通の男達には矢張りそれが左程の苦痛にはならないのでせうね、とてもあんなに辛抱づよく寛い心で女をがまんしてゐる程深い、強い愛を注ぎ得る人は一寸ちょっとありませんわね、それに少しでもいやな処が見えればすぐ左様さようならにしてしまふんですものね、だから大抵の男には本当に女のねうちがわからないし、女にもわからないのですわ、男のねうちが――みんないゝかげんの処でおしまひになつてしまふんてすね、本当に、私ストリントベルヒと云ふ人を、えらいと思ひましたわ、「痴人の懺悔」は確かに誰でも一度はよんで見てもいゝ小説ですね、何と云つても真実なものには叶ひませんのね、だら/\しまりのないことばかり書きました、もう止めませうね、とりとめのないことばかり書きまして。
 此度の編輯がすみましたらきつとお伺ひします、そのときまたいろ/\おはなしいたしませうね、染井の田圃でも歩きながら。(五、二五)
[『青鞜』第五巻第六号、一九一五年六月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「青鞜 第五巻第六号」
   1915(大正4)年6月号
初出:「青鞜 第五巻第六号」
   1915(大正4)年6月号
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:雪森
2016年6月10日作成
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