書簡 大杉栄宛

(一九一六年五月九日 一信)

伊藤野枝




宛先 東京市麹町区三番町六四 第一福四萬館
発信地 千葉県夷隅郡御宿 上野屋旅館


 昨日のあらしがひどかつたので、別荘の掃除が大変だと云つて、おひるから婆やがひまを貰ひたいと云ひだしましたので、今日は午後からお守りをして暮しました。それでも午前に十枚ばかり書きました。夕方、子供を寝かしてからぼんやりしてゐますと、急に淋しさがこみ上げて来てゐても立つてもゐられないやうになりました。
 今日の夕方は、此処へ来てからはじめての静かな夕方でした。風がちつともなくて、ひつそりしてゐましたので、妙に憂鬱になつて仕方がありませんので、夜になると支店のおかみさんを呼んで、女中たちと一緒にお酒を飲んで騒いで見ましたけれど、少しも酔はないで、だん/\気がめいつて、自分ながらどうする事も出来ないのです。今もう一時近くですが、頭が妙にさえて眠れないので、少し書かうと思ひましたけれど、あなたの事ばかりが思はれて仕方がないのです。今頃はいい気持に眠つてゐらつしやるでせうね。私がかうやつてあなたの事を思つてゐるのも知らないで。憎くらしい人!
 今朝の手紙、いやな事ばかり書いてすみませんでしたのね。気を悪くなさりはしませんか。余計な、書かなくてもいい事を書いて仕舞つて、何んとも申訳けがございません。何卒おゆるし下さいまし。(八日夜)

 今日は一緒に勝浦へ行つた日をおもはせるやうないいお天気です。昨夜あんまりさえたせいか、今朝はぼんやりした頭で何にも出来さうにありません。これから少し山の方へでも歩きに行かうかと思つてゐます。
 私達のことが福岡日日新聞へも九州日報へも出たさうですよ。板場の話しでは都にも出たさうです。大ぶ騒がれますね。何んだか、何を聞いてももう痛くもかゆくもありませんね。隅から隅まで知れた方がよござんすね、面白くつて。
 昨日も書きながらさう思ひましたの。辻と二人の間こそ少しは自由でもあり、可なり意識的に考へる事も出来ましたけれど、其他の私のこの五年間の生活は、そして可なりその苦痛に堪え得ると云ふ事に誇を持つてゐたのですから、本当にいやになつて仕舞ひます。自覚どころの騒ぎではなかつたんです。まあ本当にどうしてあれでいい気になつてゐたかと思ふのです。あなたは私のさうした暗愚を見せつけられながら、どうして嫌やにおなりにならなかつたのでせう。私はそれが不思議で仕方がありません。本当に私はあなたによつて救ひ出されたのです。そして、まだこれからだつて一枚々々皮をはいで頂かなくてはなりません。これからは真直ぐに歩けさうな気がします。
 少し頭がよくなつて来ました。また続きを書きます。あなたもお仕事はお出来になりますか。今日のやうだと本当にいい気持です。土曜日には会へるのですね。それを楽しみにして仕事をします。さよなら。
[『大杉栄全集』第四巻、大杉栄全集刊行会、一九二六年九月]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「大杉栄全集 第四巻」大杉栄全集刊行会
   1926(大正15)年9月8日
入力:酒井裕二
校正:雪森
2016年1月4日作成
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