発信地 東京市小石川区指ヶ谷町九二
お手紙拝見、おたづねのこと、もつての外のことにて御返事のかぎりにこれなく候。私にこんなお手紙お書きになるまへに、しかと奥村氏にまでおたゞしになつてのことに候や一応お伺ひ申上候。もしまた奥村氏に直接おたゞしになつてのはなしならば私の方にても考へるところもこれあり候へども、さなくて清子氏よりのまた聞きにては、聞きちがひといふこともこれあり候まゝ、余りにはやまりたるお手紙と私は存じ申居候。とにかくいま一応奥村氏に直接おたゞし、相成りたく、私もこの手紙と同時、奥村氏へ手紙さし出し申すべく、只のことにてはこれなく候ゆゑ、しかとお調べ下さるべく願ひ上候。私はたとへ口がたてにさけても
野枝
蒲原房枝様
[『(明治大正)女流名家書簡選集』、『婦人倶楽部』第七巻第一〇号〔一九二六年一〇月号〕附録]