女教員の縊死

(三面記事評論)

伊藤野枝




 女教員の縊死と題して大阪朝日に記されてゐた事柄は、大阪市内の某校の女教師が母と一緒に暮してゐてそのうち養子を迎へたがどうしても仲よくすることが出来ずに争ひがたえなかったが[#「たえなかったが」はママ]或日も午後の七時頃から買物に出かけて十時頃かへつたがあまり外出の時間が長いと小言を云はれてそれから大げんかをしたが翌日またそのつゞきがあつて結局女は二階にあがつて縊死をとげたと云ふのだが実に下だらない事に死んだものだとしか私には思はれない。始終そんなに争つてばかしゐたのなら何故に離縁でも何でもしないのだらう何にも死なゝくともよささうなものだと思はれる。たゞ記事けで見れば死んだのは良人おっとと仲がわるくて大げんかをしたのが動機になつて前から覚悟をきめてゐたのを決行したと云ふ風にとれるがしかし真相はとても記事によつて丈けではわからない、もつと死なゝくてはならない他の人には分らない事情があつたのかもしれない。しかしそれは到底わからないから記事だけに信をおいて見れば実につまらない理由で死んだとしか思へない。三面記事としてはつまらない記事だ。こんなつまらない記事を女教師の縊死だなどゝ大げさに書くことはあんまり気のきいたことでもない。読ませやうとする上からはかういふ好奇心を引くやうなみだしをつけることも必要なことかもしれないがよむ方ではみだしの割にはよんでしまつてから「なあんだ」と云う風につまらながつて仕舞つてだん/\に興味を引かなくなつて仕舞ひはしないかと思はれる。一体私は新聞紙の報道を信ずることがどうしても出来ない。三面の一寸ちょっとした報道にもはやく報道すると云ふ方にばかりかたむいて、真実を報じやうと云ふ堅実な考へはまるでないやうに思はれる。甲の新聞と乙の新聞では大変に、同一の事件でもちがふし、丙の新聞を見ればまたちがつてゐると云ふ風に一つ/\がちがつてゐるのでどれを信じやうにもどれが真か偽かわからなくなつてしまふ。甚だしいのは事件の中心の人物の名前などがまるで、甲と丙ではちがつてゐたり何かする。事件の真相とか何とか云ふことは或る種のことに対しては書けないかもしれないしなか/\真相をさがすのには骨が折れるであらうし違ふことがあつてもさう責められはしないけれど人の名位はせめて本当に調べて貰ひたい。何の関係もない者には名前や何かはまちがつてゐやうと本当であらうとかまはないやうなものゝそれでも皆が皆殊に女の名前なんかまちがひやすいと見えてひどく一つ/\の新聞がまちがつてゐる。すると事件の内容を書いた処まで少しちがつてゐればどれが本当だか見当がつかなくなつてしまふやうな事になる。
 の福岡県の讎打あだうちをしたと称する少年の話などもかなり種々な問題になつたやうだがこの頃の記事で見ると彼は自分がはじめからねらつてゐたのではなくて大人が八人も一緒になつて彼に助太刀をして殺したのだと云ふ。他人に智慧づけられ、助勢されて初めて殺す気になつたらしい。それも初めのしらせには姉の情人であつた、少年の殺した吾一と云ふ男が姉の嫁入先きをねらつたとかねらはないとか云つてゐるが実は徘徊するも覗ふも吾一はその日は少年の隣村の親類まで行つたかへりに一寸茶店に憩つてゐたのだと云ひ、少年の姉とそのとき挨拶したのを他の老人が見てゐて人々に告げて殺さしたのだと云ふ。まるで最初の記事とはちがつたものになつてゐる。後のは予審の内容だから信ずることが出来るがもしさうだとすれば少年こそは誠にきのどくと云はなければならない。くむべきは吾一ではなくて少年を手伝つた人々である。彼等は彼等の謬見のために二人の将来ある人を葬り去つたことになるのだ。彼等はさう云ふ自分たちの罪を自覚しないであらうか、或ひはまた、少年が彼等を憤るときが来ないであらうか、先きの報では彼等はたゞ暗に少年に父の横死を話して聞かせたりいろいろして智恵づけたのだと云ふ風に考へさゝれたが今度はまた白昼九人の人が一人をなぐり殺したと云ふにいたつてはたゞおどろかされるより他はない。人間一人の生命をあまりにかるく見すごしてゐる。おそらくは彼等の頭には、親の讎打と云ふ古い種々いろいろな伝説が美しく生きてゐたのであらう。さうとすれば無邪気と云はうか無智と云はうか実に笑ひを禁じ得ないと一緒にまた肌の粟立つ程恐ろしくも感ぜられる。実に珍らしい悲喜劇であると云はなければならない。しかしこれに似よつたいきさつは始終私たちの周囲に渦を巻いてゐるのだ。たゞそれが具体的に現はれない丈け気がつかずにゐると云ふまでなのである。
[『新公論』第三〇巻第七号、一九一五年七月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「新公論 第三〇巻第七号」
   1915(大正4)年7月号
初出:「新公論 第三〇巻第七号」
   1915(大正4)年7月号
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:きゅうり
2018年8月28日作成
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