中村孤月様へ

伊藤野枝




 私は、あなたにはもう一切手紙を書くまいと思つてゐました。けれども廿五日の第三帝国を読みまして、我慢してゐられなくなりました。私は昨夜それを読みました。私はその事についてぢつと考へつゞけて居ります。それで他の事は何にも書けません。それでこの手紙を書く事にしました。もしこれが第三帝国の原稿として不都合ならば致し方はありませんから一と通りお読み下すつたらお返し下さい。この次にはすこし実のあるものを書くことをお約束いたしませう。
 あなたの幾度も/\の御催促に何故私が御返事をさしあげませんでしたかあなたは御存じないでせう、お気がつかないのでせう、それは前のあなたの手紙と後のがあまり違つてゐましたので私はすつかり腹を立てたのです。第一のお手紙には返事をかきました。第二のお手紙にいま御返事をしながらそのちがつてゐる処を申上げます。
 あなたは一番に、私よりえらいと思ふ人があるなら名を挙げろと仰云おっしゃつてゐます。私は私たちの云つたり行つたりすることがえらいとかえらくないとか云へることではないと思つてゐます。あたりまへな人間として考へたり行つたりすることしかないのですもの、私は平凡な人間です。さう賞められるやうな何物も持つてはゐません。私の感想は皆平凡な人間の感想です。普通な感想です、誰でも一度はさう云ふ感想が浮ぶにちがひはありません。私の考へは普通の人間にわかる普通の人間の考へてゐること以外の何でもありません。私がもしもさうした考へたことを書いたりしやべつたりすることをしなかつたら私は矢張り誰にも平凡な一人の人間としてしか見られないでせう。たゞ幸か不幸か私は自分の思つてゐることをどうにかかうにか現はせることが出来るといふことによつて他人から何とか彼とか云はれてゐるのです。けれども真実私よりも立派な考へをもつてゐる婦人がどこの隅にゐるかそれはわかりません。だから名前を挙げろなどゝ仰云るのはあなたの無理だと云はなければなりません、勿論あなたは確信のないことに向つて云々うんぬんする方ではないでせう。それは認めます。あなたは第二の手紙には、私の持つてゐるものに対して懐かしく思ふから賞めると云つてゐます、しかし第一の手紙には「私の今の感情はあなたに懐かしく思はれたいと云ふ事です。それですから私の書くものはあなた一人をしか考へて居りません」と云ひ又「私のあなたにあてゝ書くことは多くの人々から見れば余りにしつこく、余りに濃厚にあまりに自分を哀れにし憐憫の情に訴へすぎるものであることを思ふにちがひありません」と自分でもあなたの法外な卑下を認めてお出になるではありませんか、私は此処けでも第一と第二の手紙にあるちがつたものを発見します。
 それから、私と話してゐる時に傍にゐる人が男であつてはいけないと無条件に仰云つたことについて私がお尋ねしたのに対してのお答へは、私が前から充分あなたに伺つてゐた事と同じです。私はもつと外のことをお尋ねしたのでした、本当にすべての男同志がそんなに利害関係の為めに理解しあふことが決して出来ないやうに仰云るのに対して私はどうしてもさう一概に信ずることが出来ません。私はそれをあなたのひがみだと信じます。私は、あなたの男達の事を一も二もなくおけなしなさるのが何時も不快です。自分一人が最も立派な私の理解者であるやうな顔をなさるのが実にいやなのです。理解をされることが決していやなことではありません、それは必要な場合もありますけれども私は強ひてそれを求めやうとは思ひません、私は私を初めから高くねぶみをなさる方とは親しくなりたくありません、何となれば後できつといろいろな場合毎に、ディスイリユージヨンが急速に値うちを引き下げます。そして此度はもうその人には私の本当のねうちがわからなくなつてお互ひに不快に終らねばなりませんから、私は私の醜い処や最も私の下劣な欠点までも認めてくれる人でなければ安神あんしんしておつき合ひをすることは出来ません、そしてそれでなければ本当の理解ではありません、処があなたはこの前の手紙にも申あげましたとほり私と云ふものゝ一部分しか御存じないやうです。たゞ私の一番まじめになつて書いたものを通じて、又、お客様としてあなたにお目に懸つた、私以外に何にも御存じないぢやありませんか、私のわがまゝを、私の疳癪を、また私のヒステリーを、それから不精を、怠惰を、傲慢さを。かく、あなたはまだ真の理解者ではないのです、それだのに男の理解者は自分ひとりのやうな顔をなさるのに少からず腹が立ちました。
 それからあなたは理解のない人たちと同じ家で話すことは厭で苦痛だから私の家をきらひだと云ひながら第二の手紙には家そのものが嫌ひだと逃げてお出でゝす。私にはさういつた一々の弁解がひどくいやでした、それから私はあなたに無理にTをいゝ人に思つて頂いたり理解して頂かうとは思ひません、たゞ私を賞めながら私と同棲してゐる者を無視なさるのは私にとつては甚だしい侮辱です。殊に私をTから離して考へやうとばかりしてお出になるのが腹立たしくてたまりません、こんなことは云つても云はなくてもいゝことですがあなたはその為めにTを蔑視してお出になるやうですから云ひますが小泉まがね氏のものをいゝとは云つてゐますが一番いゝとは云つてゐません、「解らない方ではないでせう」とは何と云ふ侮辱を帯びた言葉でせう。それなら私も矢張り私も解らない女ではない程度の者でなければなりませんから。彼は私のすべてにおける指導者です。このことは私はそのうちすつかり二人の生活を書くつもりですからそのときは自然にわかります。彼は決して私に教へると云ふやうな態度をとつた事はありません、何時も私の思想や行為とは無交渉な態度でゐます。それ丈けに私は非常に彼に教へられずしていろいろな事を考へさゝれます。
 あなたの第二の手紙に御返事をすればこれ丈けです、けれど私はあの手紙をよんで直ぐにあなたのお望みどほりに御返事をかくことはとても出来ませんでした、私の身内には刻々にあなたに対する憎悪がこみ上げて来ました、そして些細な事ながら私はあの手紙を受ける前からあなたが殊更に、何の交渉もないやうな処に私の話をしに行つたりあの早稲田講演にお書きになつたものを見てくれろと云つてゐらしたりなすつたこと、それから浅薄な人たちのからかいをお受けになるあなたの態度を他人から――それが本当かどうか知りませんが少くもいろいろなことを綜合して見て私は全然それを退けられませんでした――聞いたりして私は本当に、あなたを憎み呪つてゐました。そしておもしろがりの人たちはとんでもない噂までたてゝ私たちの家庭の事に迄及んでゐることが私の耳にまで這入はいつて来ました。それに、後から/\返事の催促が無遠慮に幾度となく投げ込まれます。私はもう意地にもあなたに手紙なんか書くまいと決心しました。けれども今度の第三帝国にお書きになつたものをよんで私はあなたが私にふくむ処があつてそれとなくお書きになつたとしか思へませんでした。
 処がそれによると私がさも/\他人に彼是あれこれ云はれるのがうるさゝに、自分の思ひどほりに出来ないでゐるとでも思つてゐらつしやるらしいやうです。それこそ、あなたの愚かな己惚うぬぼれでなくて何でせう、勿論私が本当にあなたに親しみを持つてゐるのなら世間が何と云はうと周囲がどうであらうと一向かまひません、私にそれ位の辛抱の出来ないことはありません、私の今の生活はさうした私たちの耐忍の上にたつてゐるのです。たゞ私は私の一番きらつてゐるあなたの為めにつまらないことを云ひふらされるのはいやです。実際私の気持とはまるで別のことですからね。そして御本人のあなたがさうしたうはさのたねの散るのをよろこんで見てゐらつしやるのですもの――嫌がらないでゐられるでせうか、あなたに何かの愛があればその位のこと笑つてゐられます。無交渉な人の為めに私たちのつながりまでも疑はれ出すと云ふことは本当につまらない話ですからね、そしてまた不快ですもの、私の弱い心から正しい方に行かなかつたなどゝ考へるあなたは何処からさう云ふことを捉まへてゐらしつたのです。私はまだ自分ながらさう不正だと思ふ誘惑にまけたことはないつもりです、誘はれて幾分這入つたことはあります、併し私は努力して逆もどりしました、それ以外にはまあないつもりです。
「或時は或程度までの理解を持ちながら或時はそれ以下になつてはいけない一日は一日と其理解が進んでゆかなければならない、」と仰云つてます、それに相異はありません、けれども私のやうに訓練されない狂暴な感情をもつたものはどうも時々邪魔をされて困ります。それが理論と実際の矛盾です、其処で私の先刻申ました、デイスイリユージヨンが一つ、あなたを見舞つたでせう、あなたは私のこの手紙でもまた沢山のデイスイリユージヨンに出遇はなければなりません、そしてあなたから全く私と云ふものがひ出されて仕舞ふのです。そうしてそれは私の望みです。私は早くあなたから解らない女ではないと云ふ程度で突きはなして貰ひたいのです、私のあなたのきらひな処を除けばあとはあなたに対する尊敬が依然として残ります。それは永久に失はれないでせう、たゞあなたが私に近くおよりにならうとなさると私の嫌ひが一ぱいに私の周囲をつゝんでしまふのです。もうこの位でやめませう、随分失礼な事を書きましたがそれはおゆるし下さい。
[『第三帝国』第四二号、一九一五年六月五日]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「第三帝国 第四二号」
   1915(大正4)年6月5日
初出:「第三帝国 第四二号」
   1915(大正4)年6月5日
※「ディスイリユージヨン」と「デイスイリユージヨン」の混在は、底本通りです。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:笹平健一
2024年4月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード