平塚明子論

伊藤野枝




 最近の我国婦人解放運動の第一人者として常に注目されつゝあるらいてう平塚はる氏に就いて、これ迄公にされたものは可なり多い、或は氏の事業に就いて、或はその私生活について思想について人となりについて。しかしながら其の数多いものがどの程度まで氏を知るよすがとなる事が出来たかと云ふに、それは、多くがその表はれた一面の事実によつたり、或はいゝ加減な揣摩しま臆測によるもの、或は単なる反感から書かれたものが大部分である、それでなくとも部分的な無責任に近いものであつたが為めに何の効果をももたらしはしなかつたものとしか思へない。
 私は学校を出た許りの十八歳の秋から三四年の間ずつと氏の周囲にあつた、氏に導かれ教へられて来た、私が今日多少とも物を観、一と通り物の道理を考へる事が出来るやうになつたのも氏に負ふ処が少くない。私にとつては氏は忘れる事の出来ない先輩でもあり、また情に厚い友人でもある。そして氏の傍にゐた間、可なり氏は氏の生活を打ち開いて見せられた。それだけにまた氏の真実にも接し得たと信ずる。私は、ずつと前から氏に対する理解なき言論を見る度びに残念に思つた。或る時は自分の事のやうに口惜しさに歯をくひしばつた事さへある。何時か一度は自分で書いて見たいと思つた。しかし、それは私には大仕事であつた。うかとは出来ない事であつた。そして私は私の更に必要な仕事が何時でもあつた。二年程前あたりから、いろ/\な事情がだん/\に二人を遠くした。それにも、私は多くの責を自分に感じてゐながらどうする事も出来なかつた。さうして二人の実際の上の交りが隔つて来ると同じやうに思想の上にもややはつきりと相異を見出すやうになつた。殊に最近の私の上に起つた転機は私の境遇にも、思想の上にも、即ち私の全生活を別物にした。一方平塚氏も、一年ばかり前からその生活の上から思想にも多少の変化があつたやうではあるがかく、氏の書く物の上に表はれるすべての物が、氏の落ち着きを示して来た。文章の上にも、理論に於ても、あるひはその態度に於ても大家の風格を具へて来た。そしてそれは私に多くの興味を持ち来たした。最近に至つては前からの氏に就いて持つてゐたいろ/\な記憶の上に一層はつきりと肯かるゝものを多く発見し出した。そうして、私は此処に氏に就いて私の知る限りの事をかたむけ尽して書かうとするのだ。しかしながら私は、これでまだ氏に対するすべての手続きを踏んでゐるものとは思はない。けれど現在に於いて自分で尽せるけの手続きは取つた。で私としては出来る限り叮嚀ていねいなつもりである。が私がこれから書いて行く事の上に表はれる氏が、真実の誰が見ても動きのない氏の面目かどうかと云ふ事には私はあずかり知らない。唯だ、私にさう観える事だけは誰が何と云はうとも事実なのだ。そして今迄公にされたやうな無責任な甚だしい見当違ひの観方でないと云ふ自信はある。

私生活に於ける氏


 氏に就いて今迄書かれた数々のものは大抵氏の書いたものゝ内容の批評よりは氏と云ふ人の生活に就いて書かれるものゝ方が多いやうに私は思ふ。そしてそれが何れも、氏から受けた印象やその外部に表はれた生活の一部をとらへてさぐりを入れたものが多い。で大抵は見当違ひな事ばかりで、とりとめはないが、誰に何時言はせても兎に角判で押したやうに『聡明』と云ふ事だけは認めるやうだ。その『聡明』とは何を指すのか、即ち氏が今迄多くの日本婦人に就いて見る事の出来なかつた明晰な頭脳と思索力の豊富な持主であると云ふことを指すのだ。の方面に向つてもの氏の根本動力は何時でもそれなのだ。氏の書いたものが何時も理義が整然として容易に他人にその虚を突かしめないのもそれであり、又一方氏を最も曲解させ、容易に人々のプレジユデースを解かしめぬ草平氏の著作に表はれた氏も矢張り其処によつて来たつたものであると私は信ずる。それが氏の唯一のものであると私は云ひたい。氏に於いてそれは最も貴いものなのだ。しかるに、多くの場合その氏の聡明がその価値を認められるよりも反感を買ふのは何故であらう。私は久しい間、氏が他人から受ける反感が単に、氏の思想と主張に対するものが直ちに氏の私生活にまで及ぶものと解釈して来た。しかし、それは今にして思へばそれが全然ないとは云へないが、それは左程のものでは決してない。それは氏の人並すぐれた用心深さである。自分を見せまいとする慎しみである。自分の欠点を外に表はす苦痛から逃れたい慎しみである。自尊心であると云へば云へもしやう。けれども私は氏を評する人が云ふやうにたゞ/\『一人自らを高し』とする自尊心ではないと思ふ。中村孤月氏がつてした平塚明子論に於いて、「常に其の人自身を顧みることの出来ない卑劣な心から、絶えず他人の欠点をのみ眺めることに慣れて其の為めに愈々いよいよ加はつて来た聡明ならば其の聡明は、又其の人の欠点を語るものでなくてはならない。」
 と云つてゐる。然し、これはいさゝか見当違ひである。氏の聡明が他人の欠点を眺める事によつて益々加へられる事は私も認める。しかし、それが、自身を顧みる事の出来ない卑劣な心からであるとは思はない。むしろ氏は他人の欠点を眺める事によつてます/\自省を深めて行つたに違ひないと云ふ事を私は云ひ得る。氏の聡明さは他人の欠点を笑つて平気で自ら一人高く済ましてゐられるやうな浅薄な聡明ではないと私は信じてゐる。氏の其の自省が深ければこそ氏は益々用意周到に自己を慎しみ深く持さうとするのではないか、即ち氏は他人の欠点を曝露した醜さを見る度びにいよいよ自分にそのやうな事のないやうにと警戒する心持を強めて行くのだ。氏は何方どちらを向いても、うはの空で物を観る事などは到底出来ない人なのだ。ではその慎しみが何故反感を買ふ事になるかと云へば、氏はその自省の結果、他人と共通な自己の欠点を嫌ふと同時に、他人と共に自らそれに克たうとするよりも、嫌やだと云ふ心持にかられてそれを押しかくさうとするからだ。そして他人は、氏の嫌がつてゐる気持よりも、凡ての人間に共通な欠点を押しかくさうとする事のみを強く見てそれによつて、『自分だけには欠点のないやうな顔をする人』として反感を持つのだ。氏が他人の欠点を責めるのと同様に自己のその同じ欠点に向つて嫌悪の情をもつてゐる事は同じなのである。でもし氏がその嫌悪の情に打ち克つ意志があれば氏の聡明はそのやうな反感を買ふ原因である余計な用意を取り除いて仕舞ふであらう。又反感を買ふもう一つの原因の冷静と云ふ事も、氏自身その欠点を自覚してゐるが故にそれを常に保護してそれによつて乱されぬ為めの用意であると云ふ事も云ひ得るのだ。それ故、氏は決して自己の全部を押し隠さうとしてゐるものではないが、氏のその不自然な努力による冷静が氏の持つやわらかな感情や熱を阻んで仕舞ふので、氏の云ふ事なり書く事が孤月氏の云ふ如く「生々した実感を伴ふ事が少い」のだ。世間の多くの人々は氏を理智一遍の人として硬い、冷やかな何の女らしい感情も、熱もない人のやうに思つてゐるらしい。けれどそれは大きな間違ひなのだ。氏はあの冷やかな表構への奥に女らしい温さと柔さを限りなく持つてゐるのだ。最近の中央公論に発表された「厄年」の中に現はれた氏の、愛人に対する行届いた優しい心遣ひは心よくその事を証拠だてゝゐるではないか、私は氏が曙町あけぼのちょうに始めて新らしい生活を始めやうとされる迄の氏の母上に対する苦しい心持に幾度も泣かされた事を覚えてゐる。親しい友達として遇された友情にも私は隔てのない温かなものを多く受けたそう云ふ時の氏には何の嫌味も冷静さも用意もない。やさしい思ひやりに富んだ親切な友達だつた。そうしてこのやうな氏に接したものは決して私一人ではない。けれど、氏は矢張り始終そのやうではゐない、用心深いのはあくまで用心深い。柵をかまへた処より奥へは一歩も踏み込ませる事をしないのだ。そうして多くの一度氏と深い交渉を持ち得たと思ふものも其処まで行くと遂に氏を去つて仕舞ふのだ。『氏には真実がない。』大抵の人が皆さう云ふ。けれどそれは氏の真実の置き場所が他人と違ふのだ。氏が如何に信ずる者といえども、氏自身さへ触れる事を許さぬ処にまして他人に何で触れさせやう。氏の聡明さは其のやうな点に於いて、他人の及びもつかぬ深い用心を見せる。『煤煙』『自叙伝』等草平氏によつて書かれた中に現はれた、殆んど捕捉しがたき氏も畢竟ひっきょうそれのみである。昨日と今日、否、刹那々々に氏の口を突いて出る言葉、筆をかりて綴り出される文章、または人の意表に出づる行為もすべて自己を何処までもくらまさうとするのもその用意に出るものゝみである。然し草平氏によつて描かれた氏は流石さすがに氏の若さを思はせるやうな瞬間的の動揺が絶え間なく表はれてゐる、その為めに氏の言動の上に実質以上の醜悪さを見せてはゐるが氏の草平氏に対する凡ての言動が多くの人の云ふ程不純な不誠意なものゝみとは私には思へない。少くとも私は氏が真剣に対手にぶつかつてゐる刹那を多く見出す。しかし乍ら、絶えまなき氏の自省と共に草平氏に向つて為される考慮が、氏の真実の瞬間に付いて為されるとき氏は草平氏に対して多くの不満足を発見したに相違ない。そして其の度びに其処に真の理解なき者に対する用意が為されるのだ。そしてこの複雑な行為が幾度も繰り返された。そうして遂に草平氏は氏の満足に価ひする力強き何物をも見出される事を得ずして最後に到つたのだ。そしてこの悲劇は両者にとつては容易に償ふ事の出来ない損害と疲労を与へ男は女に長く未練を残させ、女は男に絶望的侮蔑を残して終つた。そしてこの結末は女にとつては例へやうもない醜さと見えたに違ひない。即ち氏は最後迄草平氏に求むる何物も得られずにその代りにその求むる自分の焦慮やそれに伴ふ激情の印象のみを相手に残してゐると云ふ事が既でに氏にとつては堪へがたい事であるのに、更にその自分にとつては考へるもいやなその印象にのみたよつてオド/\してゐる相手の意気地なさに加へてその相手に自分の醜さを捉へられてゐると云ふ事に堪えきれぬ不快、それをうばひ返さうとする余儀ない自分の嘘に対してさへ顔をそむけずにはゐられない心持、考へ進む程、醜さを消さうとする程つのる醜さに身の置き場所もない位だつたに相違ない。そうしてその上にその自分の動作のすべてが、その理解なき男の筆になつた。氏にとつてこの位屈辱を感じさせる事があり得やうか、氏が辛うじて自己の為めにこの屈辱に打ち克たうとして真実を語らうにも更に鋭い自省が氏自身に向つて為されるとき一度は自己の醜さをも曝露しなければならぬとき其処にもまた一つの苦痛にぶつからなければならなかつた。氏が到底、他人に対して自己を明かにするに堪えずして深く自己を掩ふて済まし返つたのに不思議はない。氏の筆になつた『怖れの極に怖れはない』と云ふ言葉はまた氏の態度をよく覗ふ事が出来る。氏は極めて自己に対しては小心ながらまた、何時までもぢつと勝算の見込なき処に坐つてゐる人ではない。急所をつかれても素知らぬ顔して笑へる人である。そして勢ひぬけのした相手の顔を見返してやる事の出来る人だ。其の点に於ても氏はあくまで悧巧な人である。凡ての点に於いて自分の本体を何処にあるかをボカスことの計画のすぢ道にもその技巧の上にも氏は冷静に考へる事が出来るのだ、或はそれ以上に自分の其行為によつて迷はされるものに対する自分の満足をさへ最初から見る事が出来るのなどのやうな場合にも、見苦しいあはて方は決してしない。弱味を人に見せる人ではない。最後の場合になれば人をのんで掛る度胸は何時でも持つてゐる。だがこの度胸が氏をしていよ/\不誠実、傲慢な態度の人として仕舞ふのだ。しかし乍ら、これは氏に於いては左程の苦痛にはならない。氏は誠実で謙遜で弱味をさらけ出すよりも何時も強く冷たく動かずにゐる事の方が遥かに自己に対しては快よい事ではあるまいか。少くとも他人に対した場合に他人の圧迫をまねくやうな事は夢にもしない工夫だけは何時でも怠らぬ人であり、其処に対してゐる以上は仮令たとい最後の場合となつてそれが形式だけに止まるとしても決して他人の前に屈する人ではない。氏の個性の一番明かに表はれてゐるのはその点である。それが氏の唯一の拠り処なのだ。そしてまた凡ての氏の小さな誤解をまねかす遊戯衝動も此処から出る。そして私は氏のもつその度胸と云ひ、その度胸を後楯としての氏の行為が、所謂いわゆる禅の修養と云ふものが及ぼした悪感化の大なるものと思ふ。氏の素質は禅の所謂真髄を体得すべくあまりに些事に敏感すぎる聡明さを多く持ちすぎてゐたのではないかと思ふ。その為めに禅は氏にあつてはその全人格の基調に与かるよりも先きに利用される事が多かつたに違ひない。私はそれによつての思ひがけないヴヰツトにも多く出会つたが、またその醜いものにも可なりぶつかつた。
 大分とりとめもなく並べたが、要するに私生活の上に現はれる氏の人格と云ふやうなことになるのだが、要するに私は其処に氏が持つて生れた特殊な、他人に向つて感じさせることの出来る何物をも見出せない。たゞ多少それを色づけて見せるものは氏が自己の聡明さを駆使する上に於いての手ぎわのみで、それがまたあまりに行き届いてゐる為めに、もつともつと人間らしくあらねばならぬ氏と云ふ人を感ずる事が出来ないのを遺憾に思ふ。氏の聡明さは他人の頭に自身の説明を押しつけはする。けれど氏と云ふ人を他人に感じさす事は六ヶむずかしい。しかし乍らそれは氏にとりては何の苦痛にも価しはしないであらう。氏はよく自身を見るのめいがある。一人の友人として信ぜられむよりは寧ろその明晰な頭脳の力によつて万人に肯かれる事に、より多くの生き甲斐を見出す人であり、またそれが氏としては最も苦痛の少い道であらう。

『円窓より』に表はされたる氏の理智の力と熱情


『円窓より』の一巻を通じて、私は其処に常に別個の働きをする二個のものが、個々に氏の観方、考へ方に作用してゐ、しかもそれが氏自身には融和された一つの氏の思想として扱はれてゐることを発見する。即ち、氏の生れながらに持つ、理にさとき頭脳の力と、他は其の明敏な理智に伴ふ知識の不足と云ふよりは、その知識に先だつて氏の才能を囚へた禅の智識である。私は敢て、禅の智識と云ふ。私は禅と云ふものに就ては殆んど何にも知らないと云つてもいゝ位の無智だ、それ故これに対しては何にも云ふ資格はないと思つてゐる。しかし乍らさう立ち入つた事でない以上、その根本の精神に就いて位なら知らない事もない。その私の甚だ幼稚の智識から見て、禅と云ふものが全く氏の血なり肉なりになり切つてゐるのだとは、どうしても思へない。たゞ氏はその智識をもつて一般の世間の事物に対する解釈の上にあてはめると云ふやうな事に氏は自分の才能を発見したのだ。勿論、私はその禅の真髄とか云ふものが氏に理解されなかつたとは云はない。氏自身の上には、それは多くのいゝ結果をもたらしたであらうと云ふ事は信ずる。しかし乍ら氏は氏が曾つてノラに向つて教へた、
『ノラさん、私があなたに申した、第二の悲劇とはこの虚偽、幻影の自己の呪咀です。否定です。自己絶滅の苦闘です。ノラさん、あなたは第二の悲劇を経てノラと仰云おっしゃるものを痕跡もなく殺し尽した時、あなたは本当の自覚を得られるのではないでせうか、真の意味で、心の底からの新らしい女になれるのではないでせうか、その時あなたは、真の自分のいかに大きく、ありとあらゆる他人を容れてなほあまりある程の空しいものだつたことに驚嘆せられるでありませう。今迄冷たい他人と思つてゐた人達、自分に対する義務を尽す為めに他人よばはりをしてお捨てになつた御良人や御子さんはもとより全人類が皆自分であつた事をお悟りになるでせう。いやありとあらゆるものが皆んな御自身の心の造つたものだつたと云ふことを見出されるでありませう。』
といふやうな境地に自分を置いて他人の上に、あらゆるものを観た事があるであらうか、『自覚した』氏が、『真の人間になつた』氏が『全人類に向つて「私の血はあなた方の飲物で、私の肉はあなた方の食物です。」と叫ぶ事』が一度でも出来得たらうか。即ち、氏はさう云ふ境地に人間がゆき得ると云ふ事実も、また、其処に行きつく事が真実だと云ふ事も知つてゐる人だ。けれども、氏自身は、自己の虚偽や幻影の自己を否定する事も打ち克つことも出来ない人なのだ。何故それが出来ないか。即ち余りに敏い理智が総てをあまりに明かに見せ過ぎるのだ。前にも云つた如く他に対して持つやうな明晰な鋭い批評の眼はまた氏自身の内に潜むものに向つても一様に働くと同時に、その自己の持つ醜いものが他人の眼にふれ伝へられる様をもまた明かに看取する事が出来る為めに氏の持つ自尊心が、それをあらはにする事を拒絶するのだ。自身だけでは、虚偽、幻影の自己の呪咀も否定も自己絶滅の苦闘をも行ふ事は出来るが他人の理解が其処までは届かない事を無視し得る程没我の境にまで這入はいり得ないのだ。即ち所謂見性けんしょうの際には、『きつつはつつの大戦闘』をして『真の我が本体』を見る事が出来ても、また自身にはどのやうに生々しい実感が伴つてゐても、現実の事実にふれた時、矢張り同様の、『きつつはつつの大戦闘』が為され、その事実に対する『真の我が本体』を自他ともに見る事が出来なければ、それは何処までも、自分一人の夢想とされても仕方のない事ではあるまいか。
『円窓より』に於いて、氏の理智の力を鮮かに見せる事物に対しての観察は同時代の婦人の追従を到底許さぬものがある。しかし乍ら、その解釈になつて来ると所謂『ロジツクを外にして突き進む』処の傾向を盛んに見せて、氏一流の宗教的人生観をもつて解釈し、批評してゐる。そして、その観察が極めて、尋常でなく異彩あることを認め得らるゝにかゝはらずその解釈なり、批評によつて窺はれる氏の主張に多くの曖昧な処や呆気あっけない処があり、まあその曖昧さや、呆気なさが証する二つのものゝ不統一から来る思想上の矛盾さへ発見せられる。それが、氏の書くものから多くの理解者を遠ざけた事にもなる。
 更にこの書に於いて認められた氏の理智の力の他に私はもう一つ、氏の持つ力を発見する事が出来る。それは氏の情熱である。この著書には、氏の異常な情熱がかなり強く全体の調子を高めてゐる。私は其処に氏の真実を見る事が出来る。私は其の氏の情熱を誘ひ出した力が何であるかを考へて見たい。其の一は、主張を認めさせやうとする力、他はその主張に対しての自信である。しかして又、第一の力を生んだものは婦人の自覚の第一の叫びを挙げた事に対する自負と最初の仕事に於ける感激、世間の新らしい開拓者に対する、嘲笑と侮蔑に対する反抗心と及びその「嘲笑の下に隠れたる或もの」に対する自信等であり、主張に対しての自信とはその主張そのものに対する自信と、その主張を助くる自己の思想に対する自信とを指す。これ等のものからあの異常な情熱が湧き出した。あの稀れな理智の力と情熱とが、兎に角我国の婦人運動の基礎を造つた。兎に角、眠れるものを揺り動かした。吾々は氏のその力の前には充分な感謝を捧げなければならない。しかし乍ら一体氏の情熱は前述のやうな場合でも氏の持つ理智によつて生れたものは極めて少いのだ。即ち氏が自己の観察によつて知り得た事実そのものに対する真実の自己の感じを表はす熱情は殆んどないと云つてもいゝ位に少いのだ。氏は観た事実そのものに対する感じよりも、直ぐにそれを自分の頭の中に取入れて仕舞ふ。そしてその思索力によつて得たそのものに対する自分の知識を発表する事に熱情を見せる。其処までの手続きを運ばないでは安心して、自分の情熱を見せる事が出来ない程に常に用心を怠らない人なのだ。即ち氏は自分の聡明さに対してすら油断はしないのだ。それにも拘はらず氏は、この書に於いては可なり思ひ切つた情熱を見せてゐるのは何故か。即ち前に云つた最初の仕事に対する思ひ上つた感激が、あまりに浅薄な世間の批難や嘲笑や侮蔑から自負を保護する事が容易であつたと云ふ事もあるが、更に強い熱情を見せる事が出来たのは、主張を通さうとする自信に何の対象も置かなかつたと云ふ事が氏の他に向つて用心をかなり少くした。即ち自分の主張を押し及ぼさうとする社会に就いて氏はあまり無智であつたのだ。個人的の交渉に於いては可なり苦い経験をめた氏も社会的な交渉にはまだ何にも持つてゐなかつた。従つて其処では氏はまだ純なものを多く持つてゐた。そして氏にはまた、極めて用心深い一面に自己を信ずる点に於いて他人と異つた力強いものを持つてゐた。そして其れは氏の根強い安住の場所であつた。其処では氏は何物も恐れなかつた。其処に氏の情熱はたたえられてあつた。此処から真直ぐに突き進み出した氏の自信がその情熱を誘ひ出した事に不思議はない、氏自身がずつと後に、自分の主張の社会的効果について目覚めかけたときにこの自分を説明してゐる言葉がある。『ひたすらに内を凝視する事によつて最も高き処に押し上げられつき詰められた刹那自己に神を見た私は更に熱心な自己奉持者であつた。自己の内的要求や、内的実験の他私を動かし得る根本的の力は何にもなくなつた。私はなほもひたすらに内を凝視することによつて、絶えざる緊張と感激に満された生活を営みながら其処に自己安住の境土を造ることに全力を注いでゐた。だからたとひ他人が私の事を白いと云はうが、黒いと云はうが、それは私自身の内生活には何の係りもない事としてすましてゐられた、否少くとも是等の雑多な侵入によつて自己の不断の純粋性を乱されることの不安恐怖から久しい間、自己を守ることが殆んど習慣のやうになつてゐたのは事実である。』
 即ち氏の独善主義が油断なき自省の下に強く氏を捉へてゐたのだ。而してこの氏の『只管ひたすらに内を凝視する事によつて』得ようとした安住の地は、個人的の交渉に於いては失敗に終りながら、そして或る意味で云へば、この失敗がまた多少氏をこの社会的な仕事に導いたとも云へない事はない位でありながら何故氏は其の安住の処にすがつて社会と云ふ対象を無視したか。その無視する事を敢へてせしめた前述の社会に対する無智とは何を指すか? 即ち氏は社会との交渉を自分の頭脳の力に多くを頼つた。わずらはしい個人的の交渉でない事が、所謂純粋性を乱する処の雑多の侵入を割合ひに耐へ得られ、しくは容易に無視する事の可能をもつて、その不安や恐怖に対する用意を少くする事が出来ると云ふ事を考へ得た事もその一つだ。社会の偏見の力を割り合に軽く見た事もその一つである。細かく数へれば、その無智から来た向ふ見ずが可なり多い。そして此書に現はれた情熱は多くこの社会に対する向ふ見ずと内に於ける安住の力が生んだものである。故に一たん、氏の実際の生活の上に社会の実力が及んで、それに対して醒めかけたとき、同時にその安住がぐらつき出した。そして他に対する用意がきびしくなつた。そして情熱は消えた。私はその情熱の消失をかなしむ、その理智の冴えを見る程情熱がをしい。氏は遂に聡明一点張りの人である。社会のありのまゝの実力を認めて、猶その上に向ふ見ずになる勇気を煽る程の自己の真実に対するえ上る情熱がない。私は順々に氏の生活の上に及んだ社会の実力が氏をどう導いて行つたかについて考へて見たい。

氏の生活と社会的交渉


 前に私は、氏が、自分の主張を押し及ぼさうとする上に吾々の実生活に直接及んで来る社会の力を無視したのは氏がそれに就いて、全く無智であつたからだ、と云つたそして、その無智とは、直接氏の実生活の上にきびしく及ばなかつたので、割り合ひに凡てを軽く見てゐたと云つた。その事は、特に、私が此処で云はなくても、氏の生活を知る大抵の人が云つてゐる事なのだ。実際、両親の許で安易な生活をしてゐる人の上には、この社会のもつ一種の圧迫の力は割り合ひに響いては来ない。仮令たとい、それが両親なり、或はその周囲を通じて来るとしても、其処には本当の圧迫は来ない。いくらか手きびしさを減じてゐる。さればこそ、氏はずつと後で
『社会、社会と私達はこれ迄、馬鹿にして来たけれど、その為めに、本当に私達が生きやうとして行く上に、どの位、多くの、無駄や、骨折やをさせられたらう、何故私達は今迄誤解や、誤伝や、誤信を黙過して来たか?』
と云つてゐる。
 氏が此処に気がついた時には、氏は両親の許を離れて自分一個の生活を初めてゐた。
「自分の実生活が誤り伝へられた結果、発表する思想や、主張まで矛盾があるやうに伝へられ、私の思想や、主張そのものの価値の上に、同時に本当に生きやうとする婦人達の上に不信を置かうとする場合、私は以前のやうに、黙過する訳にはゆかない。私はもう、良心のないものゝ、又、理解のないものゝ不真面目な無責任な一時の興味や好奇心の犠牲となつて、自分の思想の社会的効果を滅殺するやうなことは、させたくない。」
 氏が本当に社会的効果と云ふものを気にするやうになつたのは、社会一般に広まつた偏見や、無理解から生ずる、憎悪や、蔑視が直接氏の実生活に及ぶやうになつてからなのだ。
 最初、氏は社会と云ふものゝ持つ、馬鹿らしさを多く見た。草平氏との事件に就いて、また、雑誌を始めてから一寸ちょっとしたつまらないエピソオドを大袈裟に誤り伝へては出来る丈け馬鹿らしい批評や非難を加へたりするのは、氏の眼には寧ろあんまり滑稽すぎる位にしか見えはしなかつたであらう。たとへ、吉原に行つたとか、五色の酒を呑んだのがどうだとか、云つて、大きな社会風教の問題だと騒ぐやうな事があつたとしてもそれは寧ろ俗衆の愚に対して侮蔑と反感を起した人々の同情となり却つて氏の仕事の上には多くの利益を齎らした位のものだ。何故なら、氏にとつては、世間の問題となつた行為なり言葉なりが何にも、氏の積極的な意志を含んだものではなかつたから。しかし乍ら、氏の実生活の上に影響して来た俗衆の力は、此度は直接の氏の立派な意志の下に為された事実に対する圧迫であつた。氏が多くの困難に打ち克つて漸く氏自身で始めた生活に対して世間はどんな眼を向けたであらうか? 彼等は依然として、前から持つてゐた偏見を捨てずに、矢張り同じ眼で、たゞ不真面目な、好奇的な嘲りを持つて見た。しかもその偏見は以前のやうに、氏をして侮蔑をもつて無視せしめるには、あまりに執拗に、あまりに無責任すぎた。しかも、以前のそれとは違つて、氏にとつては、実に何物にも代へがたい意志の表現である。一時の気まぐれから遊びに対するのと同じ興味で不真面目な態度をもつてそれを観られると云ふ事は如何にも堪えがたい事でなくてはならない。氏は、社会の馬鹿さを充分に知つてゐながら、でも本当に、社会の俗衆と云ふものがどんなものだかを知らなかつた。馬鹿にしながらも、しかも真実と云ふものに対しては、矢張り自分と同じ程度に受け入れる事が出来るものだと思つてゐたのだ。それ故、如何に、頑迷と雖も、また不真面目であると雖も、真実をもつて強く打つかつて行きさへすれば必ず、或る理解を持つやうになるのは極めて明かな事だと氏は考へたのだ。それ故氏は正直に、自分の生活を説明した。けれど一旦世人の頭におかれた偏見は容易に、その根を枯らさずに、凡てをそれによつて各々勝手に解釈した。そして氏の凡てはいよ/\曲解され出した。しかも、それのみではない。その世人の無理解は氏の正しい事業の上にさへ著しく及んで来たそして遂に氏をして『私の思想や、主張其のものゝ価値の上に、同時に本当に生きやうとする婦人達の上に不信を置かうとするやうになつた場合私は以前のやうに黙過する事は出来ない――自分の思想の社会的効果を滅殺するやうなことはさせたくない。』と叫ばしむるやうになつた。そして氏は、その世間の多くの人達の偏見に打ち克たうとした。しかし乍ら氏は前にも述べたやうに自己の凡てを挙げて、他人の前に晒らす人ではない。氏は自己を説明するのに、あくまで一般的な理窟の上で説明しやうとした。それ故氏の真意を知らうとする人も、たゞ氏が自身の為めにのみ理窟を弄するものとして或る反感を持つやうになつた。まして、氏の実生活の上に、多くの、偏見とまでは行かなくても或る真実に聞きたい疑問を持つてゐる人にとつては氏の一般的な理窟の上の説明はどうしても物足りない感じをいざなふに充分である。しかしてそれが凡て、氏の直接自身を語らぬ処にある事は、大抵の人が直ぐ気づくので、氏にシンセリテイーがないと、云ふ批難も其処から生まれて来たものが多いと私は観てゐる。それ故氏は遂に社会的の効果に対する争ひに対して最初の情熱を持ち続ける事が出来なかつた。前にも云つたやうに、氏にとつては、自己は何物にも代へがたい大事なものでなければならなかつた。氏の所謂独善主義と、社会的の仕事に対する熱情とは遂に両立し得ないのである。氏は氏の『主張を正しく社会に理解させむ為めに、――社会一般の婦人と云ふものに対するあやまつた先入見打破の為め』に働く事丈けで、生き甲斐を見出せる人ではないのだ。自分の生活と氏の云ふ所のものは、一切他人の立ち入る事を許さないもので、他人との交渉を持つやうな生活は多くの場合氏の、その生活を阻害する事になるのだ。『青鞜と私』の中には氏の此の自分の生活と云ふものに就いての説明が基調になつてゐる。
『自分がぢつと静かに物を考へたり、祈つたり、書いたり恋愛したり、休息したりする、自分の住家と言ふものは、何時も出来る丈け外からのものに邪魔される事のないやうに、いつも静かに、安全に保ちたいと云ふのが私の日頃からの願ひでしたから。なぜなら、ほかの人はどうだか知りませんが、私の生活に私の心を育てるに何よりも必要な一日もなくてならぬ糧は、静かな時を持つ事なのです。しんみりと落ち付いた気分に置かれてぢつと眺めてゐる事なのです。あるものに心の総てを集注してゐる、状態を持つことなのです。これなしに私は、どんな貴い経験も自分の世界のものとする事が出来ないで、だん/\痩せて小さくなつて、仕舞には自分の世界と云ふものがなくなつていくのです、』
『私はこんな人間です。ですからいろ/\な人が、勝手な時に訪ねてきて、色々な郵便物がしきりに飛び込んで来て、色々な雑務が身辺に押し寄せて来る社といふものがたゞさへ狭い私達の家にはいつてくるのを苦痛なしには迎へられなかつたのはお察し下さるでせう。』
『私は心の底から飢えを覚えて来ました。自分と云ふものをつく/″\考へねばなりませんでした。そして「静かな時が得たい。静かに考へたい、静かに勉強したい、静かに書きたい。」と只管ひたすらに願ひました。』
『かう云ふ散文的な生活が只私をつからせ、私の心を小さな貧しいものにし、私の身の高貴なものゝ総てを汚し、私から光と力を奪ひ去るものだと気附いた時私は慄然としておそれずにはゐられませんでした。と、同時に自身に対する真愛を欠いてゐた自分を思つてある罪悪感に打たれずにはゐられませんでした。
 私は心の飢えた、影のうすい切れ/\になつた自分を眺めてしみ/″\とした涙をこぼして居りました。』
 どのやうに氏にとつて氏の主張の社会的効果を挙げる事が必要であらうとも、それが、氏自身の生活を貧しくし、若しくは妨害するものである場合になれば、氏は大切な自己の生活の為めにはその仕事を投げる位は何ともない事なのだ、けれどまた一方から云へば氏の其の自己のみの生活と、他に対する生活と、キチンと別け目をつけてゐる事が氏の主張に効果を挙げられない事になり、氏自身を死地に陥れる事になるのだ。氏が何処までも、他との交渉から自分の内生活を離さうとする処に無理が起るのだ。氏が、唯だ自然に対してのみ、自己を打ち開く事が出来ると云ふのも、煎じつめれば、自然の前には、特に、自分を看視しなければならないと云ふ緊張なしに安心して、その中にひたつてゐられるからなのだ。
『自然に向ひ合つてゐると、私は次第に興奮して来る。それによりて私の心は洗はれる。そして純粋になり新鮮になり、透明になりいつか情熱的に自然の中にはいつてゆく。けれどこの興奮は、人に於けるそれとは違つて、情熱的になればなる程、沈静的になるを感じる。しかも持続性を持つてゐる。しかし高まつてきても、熱して来ても、張りつめて来ても、それが局部的でない丈け、また対象とするものが所謂、有情のものでない丈け容易に外に向つて破れない。そして放散して仕舞はない。一杯になつたまゝで、何時までも堪へてゐられると云ふやうな、爽快な充実感が続く。たとへ、感激の頂点に達する事があつてもそこには恍惚があるばかりで、何の苦痛も動乱も伴はない。』
 対象が、所謂有情のものでないと云ふ事が、外に対する要心をゆるめて、真実に、落ちついて自分に対し得られ、また自然に対しては少しも自分に対する警戒の必要を感ぜしめないのだ。氏自身が『何故自然に対する時、それを全体として観じ、且つ味はふ事の容易な自分が何故、人生に対しては困難なのだらう』と云つてゐるが、この疑問は氏にはとうに解けてゐなければならない事なのだ。
 氏は、自分の生活の貧しくなるのに堪えられぬと云つて、対他的な、煩雑な仕事を避け、静かに読み、静かに書き、静かに考へてる生活に返つてしまつた。しかし乍ら、氏は、氏の社会的な主張を滅殺するものは何処までも、俗衆の理解のない者の不真面目な無責任な一時的の興味や、好奇心の業であるとのみ思つて、それに対する自己の態度に対しては、別段に、何物もそれに与かつては居ぬものと考へてゐるらしい。氏が、再び忠実な自己捧持者にかへつて静かに読み、且つ考へた事は何か? 矢張り、従前どほりな主張を、自分の生活を保護しながら、如何に広めるかと云ふ事に他ならない。
 氏は智識と云ふものに就いて、多くの欲望を持つた。しかし乍ら聡明な氏は、遠まはしな智識よりも、一刻も自分と云ふものを等閑視する事の出来ない気持から、絶えず自分の生活に対して批判し、解剖することから、それに関したものを他に求めた。先づ氏は、エレン、ケイ、によつて、現在の自分達を取りまく社会的事実に対してボンヤリ考へてゐた事をハツキリ教へられ、またはまとまりを発見し、多くのそれ等に対する自分の意見と云ふものを確実にまとめる事が出来た。次ぎに氏はまた、自分の恋愛生活に対して、ケイの言葉に多くの同感を見出し、更に母親としての婦人の生活に就いて、更に大きなものを受け入れる事が出来た。そして氏は、その同感をもつてケイを紹介する事が最も、確実な自己の主張を広める、最上の手段であり、自己の思想なり、生活を発表する有効な方法であると考へたのだ。
 氏の此の態度は氏としては、一番真実な態度であるにも拘はらず、前に云つた、氏自身を表はさずに、一般的な理論をもつて説明しやうとした態度が正直に受け入れられなかつたと同様に、今も尚ケイの云ふ所の正しい事もケイに対する氏の理解も観る事が出来ながら、なほそれを氏のずるい自己弁護の手段と見て、氏の真実を疑ふ人を私は可なり多く知つてゐる。私は、それが仕方のない事だとは思ふが、しかし、どうしても残念に思はずにはゐられない。
 氏の他に向つての生活も内に向つての生活も今の処すべて氏がエレン、ケイの主張の中に見出したものに依て落ち附たやうに見える。それと同様に氏の思想も其処に落ち着いたらしい。氏は其処に拠つておもむろに自分を育てつゝ、進んでゆくつもりらしい。しかしながら、私は最後に一つ黙過しがたい事を持つてゐる。それは直接氏に対してのものと云ふよりはエレン、ケイに対する私の持つものによつて、必然に起つて来る氏のエレン、ケイに対する態度に就いての疑問である。
 それは、一々詳細に述べれば、とてもこの限られた紙上に於いては云ひつくせる事でもなし、今是非云はなければならない事でもないから、何れそれは他の機会を待つて書く事にしたい。たゞ簡単に云へば、私は彼女の、現在までの社会的事実に対する批評に対しては、多くの動かすべからざる真実を観る事も出来、同感もし、尊敬も持つ、しかし乍ら、彼女自身の主張については私は多くの異議をさしはさまないではゐられない処や、また矛盾の個所に就いてたゞさなければならない処さへ発見する。しかるに、何に対しても注意ぶかい氏が、何故にそれ等の個所を気づかずか若しくは黙過されるのか、疑問を持たれないのであらうと云ふ事は、私の深く怪しまずにはゐられない処である。若し、私の推察を許して貰へるなら、これは多分、ケイの誰にも肯かれる正しい批評が氏に多くの同感を強ひ、尊敬を強ひて、遂に氏の信を充分に得た結果その批評から、主張にうつる際にも極めて自然に引かれて行つたと云ふ事と、その自然に引かれて行く上に、都合のよい道すぢが、氏の前にひらかれたと云ふ事を云ひ得る。しかしてまた、更に氏の生活を説明するには、ケイの主張が最も都合がよかつたとも云ひ得る。何方にしても、兎に角、あれ程用心深い氏が、ケイの主張に対しては、別だんに厳密な批評らしい態度を少しも見せない事は私には、不思議にも遺憾にも思はれる。が、考へて見れば、氏がどんなに自分の生活と云ふものに対する考慮の上に必要なものを欲しがつてゐたかと云ふ事を考へれば、別に少しも無理もない事だとも考へられる。何れにしても今の処氏の態度にはもう動きさうな処は見えないが、私はこの事に考へ到る時、若し氏の現在の生活の上に或る揺ぎを感ずるか、或はケイの主張の上にもつと厳密な注意を払ふ時に果して、氏は其のまゝに、其処にゐすはつてゐられるであらうか、と考へる。しかし、恐らく、氏が世間と云ふものに対して、もつと正当に、自然に対すると同じ程度にまで無頓着になり得るまでは、氏はあくまで自己の生を慈しみおおふて行くであらう。そしてその自己に対する勤めを欠かさない程度に対他的の仕事をして行くであらう。従つて最早、対他的の仕事に於いては、吾々は氏には多くを期待する事は許されない訳けである。だが、過去に於ける氏の事業に対しては吾々は充分な尊敬を持たねばならない。そして詳細に、氏に就いて考へる時、吾々は最早、最初の仕事以上の事を氏に期待するのは間違つてゐるかもしれない。
 大分長くは書いたが、まだ私は沢山に云ひ残してゐる事がある。実は最初書き初める時には、最近に氏の発表されたものに就いても、一々具体的に考へて行くつもりであつたが、それは、しかし、右の私の書いたものによつて多少とも、氏と云ふ人を理解する事が出来る人には自然に分る事であり、且つ、最近のものと云つては殆んど、ケイの著書なり思想によつて書いたものが多い。それ故それに就いて云ふとすればケイの思想に就いての批評から始めねばならないので、私はそれに多くの興味を持つてはゐるが此処では、とても出来ない事なので、他の機会を待ちたい。私としても勿論この場合決して私が故なくケイに対して妄言を吐くものでない事を確かにしたい心は充分に持つてゐると同時に、読者諸氏の不満も充分に解りはするが、此処では他日を約して私の意志を明にし、氏及び読者のお許しを願ふより他はない。
(六、三、一一)
[『新日本』第七巻第四号、一九一七年四月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「新日本 第七巻第四号」
   1917(大正6)年4月号
初出:「新日本 第七巻第四号」
   1917(大正6)年4月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:笹平健一
2024年1月18日作成
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