婦人の反省を望む

伊藤野枝




『女さかしうして牛売り損ふ』或はまた、『女の智恵は猿智恵』等と昔から日本の婦人は一方ならず今日迄、侮辱され続けて来ました。そして昔とちがつて今日では婦人も相当な教育の道が開かれて多くの教養ある婦人が輩出するに至つてもなをこの侮辱は続けられてまゐりました、私たちはそれを残念にも口惜しくも思ひますけれど、見渡した処僅かな人々をのぞくの他はまだ私共は大ぴらにこの侮辱を否定する訳けにはまゐりません。
 今日婦人の為めに新聞雑誌など云ふものが幾種類も出来てゐます。そしてこの後もずんずん殖えては行くでせうがその殆んどすべてを通じてどんな内容をもつてゐるかと申しますと、それは大方の人々が知つてゐるやうにそれは低級な子女の何の訓練も加へられない情緒をみだりに乱すやうなのや、それでなければ善良な家庭の主婦達の安価なよみものに過ぎません。
 日本の婦人雑誌で一番多数の読者を持つてゐると云はれる『婦人世界』はその最も安つぽさを振りまはしてゐる点では恐らく矢張り一番であらうと思はれます。その内容は一目見ても何の思慮も分別もなしに吐き出された『何々夫人の経験談』『何々夫人の苦心談』『某夫人の夫を助けて何々せし談』等がかずかぎりもなく記載されてあります。
 しかし私はこれ等の事実談を辛抱してよんで見ても未だ且つて何の感動をも感銘をも得ません。私は何時も自慢気な夫人達の手柄話の裏にひそんでゐる、幾多のより興味深き事実を見出します。そしてそれ等の最も多くの人だちに提供せらるべき本当の経験を彼女等がづべき事自己の醜きところとして秘しかくしてゐるのを見る度びに私は一種の侮蔑の念を抑へることが出来ません。
 彼等は一寸ちょっと他聞ひとぎきのいゝ理屈を云ふことが如何にも上手です。一寸は他を肯づかせるやうなうまい事を云ふのが上手です。けれど彼等はすべての物の大本を考へることにつとめません。だから如何にも融通がきゝません。だから、何でもない一寸した小葛藤をほぐすことが出来たといつては自慢を云ひます。一寸した台所まはりの工夫をしたと云つては手柄顔になる、息子や娘が自分の思ふとほりに育つといつては自慢する、一寸した廃物利用を考へたと云つては大きなかほする。本当に下らなくてお話になりません。併し誤解されては困ります。私はそれ等のおもひつきをわるいことだとは決して云ひません。つまらないことゝもけつして云ひません。たゞ私はあまり当然な一寸した事を手柄顔に吹聴されると云ふことが下らないと思ふのです。前に私のあげたことの数々は皆んな家政と云ふものゝ外廓ばかりであります。私はその人たちが其処までたどりついた迄の努力は本当に尊く思ふけれど私はまだその努力をもつと物の根本に向つて転換させることを主張したいのです。根本のしつかりした考へさへきまれば枝葉の問題は何の苦労もなくとけてゆきます。
 大方の今の日本婦人の仕事の全体は家事と育児位なものだとおもひます。彼女等は一日一日その為めに全精力をあげて働いてゐます。併しその効果はどの点から云つても不満足なるものばかりです。彼女等は育児についても家政についても秩序だつた一通りのそれに必要な智識を与へられてゐます。それにもかゝはらず彼女等が家庭を形造つたときには相変らずの習慣のまゝな型にはまつた家庭が出来ます。授かつた智識の三分の一も彼女は自分の家庭にそれを応用することが出来ません。彼女等がたまにそれを応用しやうとしますとそれは甚だ不手際なプアなものになります。そして半可通的な臭味と嫌味がそひます。彼女等は与へられた智恵を理解することが出来ません。かみくだいて吸収することを知りません。
 併しこれは決して教へられるものゝ罪ばかりではありません。恐らく彼女等はそれ等の智識を固定した型として教へられ、それを如何に必要に応じて崩したり砕いたりして用ふべきかと云ふことを教へられなかつたのです。彼女等は教へられたまゝに、それを鵜呑みにしましたのでいざと云ふ場合ひに邪魔で仕方がなくなりますので自然片附けられるわけになるのです。そうすれば彼女はもはや極めて愚鈍な無智な女だちと何の点についてもかはらなくなつて仕舞ふのだと思ひます。それはすべての場合にたゝります。そこでなまじこんな何の役にもたゝない学校へなどゆく位ならばもつとそんなひまに実際の経験を積んでおいた方がと云ふやうなことになつて仕舞ふのです。
「理解」といふことは何んといつても大事なことですがわけて教育と云ふことには一番むづかしい多くの理解が必要だと思ひます。これにはかなりな努力を要します。それにもかゝはらずすべての教育家自身がすでに自分の仕事についての本当の理解をもたないし子供をも理解しません。もしも教育家たちが本当に、人間を育てると云ふことに理解があるならば学校と云ふやうな形式で多数の児童の人格をつくるとか品性を陶冶するとかそんなことを第一義の目的にする程馬鹿な真似はしないだらうと私は思ひます。づ私の考へでは現在の学校制度と云ふものに子供に智識を授けると云ふこと以上に何を望めるかと云ふことが第一の疑問です。私にはどう考へてもそれ以上には何をのぞむ勇気もありません。しかも彼等はその智識を授けることでさへも満足にはなし得ないで形式的に機械的に教へるけであります。そしてボンヤリの子供は矢張りそのまゝ一生懸命に鵜呑みの稽古をいたします。
 子供の教育に腐心すると称する世の母たち、大変らしく苦しんで子供のことをばかり考へて育てゝゐると自慢する夫人達が何故さう云ふ大切な点にお気がおつきにならないのかと染々しみじみ私は思ひます。殊に幾分か新らしい教育をうけて来た経験のある方々が何故自分の過去を一度ふり返つて見られないかと云ふことを私は不思議に思ひます。私は小学校から女学校を卒業する迄十年余の長い間の学校でうけたいろ/\な気持や印象やを思ひ出す度びに身ぶるいが出ます。私は何時も々々一生懸命に、自分たちの子供をあの無遠慮な位頑迷な無自覚な教育家たちの群れに法律によつてきめられた強制的な義務によりて五年なり六年なり托さねばならぬと云ふことについてどうしたらば私の大切な子供達に愚劣な教師たちの手をふれさせないですむかと云ふことばかり考へてゐます。私は本当の意味の教育があんな教育家たちに出来るとは思ひません。それはその子供の持つた一番親切な理解ある親でなくてはなりません。もつと厳密に云へば親にもその権利は与へられてはゐないとも切言されます。
 子供の本当の教育は子供自身にしか出来はしないと私は思ひます。他のすべては子供が自分を育てゝゆくに必要ないろ/\なことについて手伝ひをするにすぎないのだと思ひます。私たちは如何に子供を育てるかと云ふよりは如何によく子供の手伝ひをすべきかと云ふことが問題なのだと思ひます。さてかうした考への上に立つて子供の動き方をぢつと見、そして考へてゆきさへすればさう/\子供に対して見当ちがひや有難迷惑となるやうなことはしなくてもすむと私は思ひます。併し何事もぶつかつたその場その場でどうにかこじつけて済まさうとしてゐる人達には何時までもさう云ふ気持はわかりさうもありません。自慢にも何にもならぬことをさも手柄顔に話す人の気が本当に知れません。
 凡ての方面に向つて乱脈にはつてゐる根をさがさなければならないと思ひます。それをさがし出すことが出来さへすればあとの方法や、手段は自然にわかつて来ます。私はかの多くの婦人雑誌などに載せられてある経験談や発見の努力を尊重しますが、それと同時にそれまでにしその一つのことにたどりついたまでの努力の経路或ひは考へ方をもつといろいろな場合に応用されることを望みます。私たちが周囲の多くの婦人達を見てゐますと彼女等の一番損なまた間の抜けて見えるのは何にむかつても積極的でないと云ふことです。殊にあらゆる自分の欲望について積極的な意志を持たないことです。彼女等は『つゝしみ』と云ふことをまるでちがつた方面に考へてゐることです。それはまた何れ稿を改めて書くことにいたしますが、何しろもう少しすべてに積極的な意志をもつて欲しいと云ふこと丈けはしみ/″\思ひます。
 見渡しますと何処にも/\それから来る弱さが女を身うごきの出来ないものにしてゐます。先づ学校生活に於ての彼女の智識欲に卒業後のすべての行動について、或は結婚に於て、または結婚後の種々なる欲望について、良人おっとに対して、育児について或は家政について、他との交渉について、家庭の波瀾について、すべての場合を通じて彼女等は先づ自分の欲望を後にまはして、周囲を見まはすことをわすれません。私は私達婦人の生活からかやうな卑怯な、また狡猾な(?)謙遜の美徳と称せらるゝものを駆逐しなければなりません。
 彼女等は本当に自分の欲望を真実に尊重して積極的な意志をもつて何処までも遂行しやうとする勇気があれば彼女等は、そのまへにいやでももつと考へなければならなくなります。私はその時はじめてすべての婦人の生活が健全にあらゆる方面に生長してゆくことを信じて居ります。彼女等は小ざかしい経験や手柄ばなしをする間にその方面にむかつて心がけることが一番必要だと私は思ひます。
[『第三帝国』第三八号、一九一五年四月二五日]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「第三帝国 第三八号」
   1915(大正4)年4月25日
初出:「第三帝国 第三八号」
   1915(大正4)年4月25日
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:笹平健一
2025年1月2日作成
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