編輯室より(一九一六年一月号)

伊藤野枝




□もう私が雑誌を譲り受けまして丁度一年になります。どうかしたい/\と思ひながら微力で思つた十分の一も実現することがなく無為に一年を過しました。今月号も新年号の事とてどうにかしたいと思つてゐましたが何しろ、私が帰京しましたのが十二月五日か六日だつたのにそれから一週間ばかりの間は咽喉をはらして食事をすることも話をすることも困難になつて何にも出来ませんでした為めに、大変手ちがひになつて今度もまたおはづかしいものをお目に懸けます。けれども私も身軽になつてかへつて来ましたからこれからは少し懸命に働きたいと思つてゐます。だん/\に少しづゝでも努力のあとが現はれるやうにしたいとおもつてゐます。何卒皆様にも一層御尽力を願つて共に育てゝゆきたいと思ひます。
□何時かも申ましたやうに、自分たちの勉強の為めにも何かの問題をとらへて皆で研究すると云ふのはいゝ事だと思ひます。それで次号から私は自分の書きたいものゝ外に何か思想上の実際的な問題をさがしてそれについて書かうと思ひます。そしてそれを皆様の仰言おっしゃつた事と一緒に批評して頂きたいのです。一句でも一章でもいゝのです。そして出来るだけ発表する為に次号で六号欄を別に設けて其処で発表するやうにしたいのです。何卒お互ひに勉強のたしになる事ですから賛成して頂きたいと思ひます。それには実際読者諸姉の現在考へ悩んでゐらつしやるやうな事をさうして大勢の最も進んだ意見をお聞きになつてお考へになるのもいゝ一つの方法だと思ひます。さう云ふ方面での材料をお持ちになる方は私迄おしらせ下されば大変にいゝと思ひます。勿論決してお名前を出すやうな事はしませんし、私も知らなくてもいゝのです。
□平塚さんは九日にお嬢さんをお産みになりました。お産は少し重かつたやうですが、その後の経過は大変いゝやうです。哥津ちやんも一日ちがひに男のお子さんをお産みになつたさうです、まだ会ひません。
□平塚さんのお産をなすつた翌日位に何でも新聞記者が訪ねて行つたのを附添の人が知らずに上げました処、「御感想は?」と聞いたさうです。私はあんまりの事に本当に怒りました。何と云ふ無作法な記者だらうとまだお見舞の人も遠慮して得ゆかないお産室に、一面識もない者が新聞の材料をとりにゆくつて、何と云ふ人を侮辱した仕方でせう。私は頭が熱くなる程、腹が立ちました。平塚さんは洗面台の上にのせた花の鉢を指さして、「この花と私の感想を交換するつもりで来たのですよ、私は苦しいと云ふより他何の感想もありませんつて云つてやりました。」と話されました。私はさうした侮辱も黙つて許してお聞きになる平塚さんの気持を考へてゐると涙がにじんで来ます。何卒皆さんが幸福であるやうにと祈るより他はありません。
□私は「雑音」と云ふ題でかねてから書きたいと思つてゐました長篇を書きはじめました。青鞜に載せるのが私の望みでしたけれども種々な事情から大阪毎日に連載することにしました。それは私の見た青鞜社の人々について私の知るかぎり事実をかくのです。私はそれによつて幾分誤解された社の人々の本当の生活ぶりが本当に分るやうになるだらうと思ひます。そのつもりで書くのです。しかし何と云つても私自身の過ぎた日の記録を書くと云ふ心持が主であるのは云ふ迄もありません。それでいろ/\なものを見、考へてゐますと、私の入社当時から今日までにも本当に、おどろくべき変化が何彼につけて来てゐます。あんなにさはぎまはつてゐた紅吉こうきちさん今は御良人と静かな大和に、子供を抱いてしとやかな日を送るやうになつたのですもの、あの文祥堂の二階で皆してふざけたり歌つたり、平塚さんのマントの中に入れて貰つて甘へたりした私が二人の母親に、他の皆も母になつたりした事を考へますと僅かの間にと、本当におどろいて仕舞ます。おどろくと云ふよりは不思議な気がします。
□今月、平塚さんも哥津ちやんもお産で書いて頂けず、野上さんからも頂けませんでした。本当に残念ですけれど。来月は皆さんに少しづゝでも書いて頂かうと思つてゐます。
□雑誌や書物の批評紹介をしばらく怠けました、来月からは正しくやりたいとおもひます。これも、どなたでもおよみになつたものの事でおきづきになつた事をお書き下さいまし。
□それから、これはとうから申上げたいと思つてゐましたが補助団の事なのです。あのままになつてゐる事が心苦しくてたまりませんから、小さな本でも何かいゝものを撰んで翻訳してパンフレツトでもつぎ/\に出してゆかうと思つてゐますのですが今日迄はひまがなくてどうしてもかゝれませんでした、それに払ひ込んで頂いた金はもう私が引きつぐずつと以前から今日迄引きつづいて雑誌の方の借金なんかにつぎ込んでいくらも残つてゐませんので実は大阪毎日に書きかけのものをまとめてその稿料ででも――小さなパンフレツトならそれで足りますから――出版しやうかと思つてゐるのです。おそくも四月か五月には是非一集を出すつもりです。金さへ都合が出来ますなら、しかしましたら私の感想集を自分で出して、それをも配付したいと思つてゐます。何しろ、私自身に、どうかして働き出すより他に資力がありませんので誠に諸氏に対しては申訳けがありませんがあしからずお許し下さい。それから補助団の会員と申ましても今では十人あるかなし位ですからさうしてパンフレツトでも何でも出せるやうな風にすればもう少し加入の意志のある方には這入はいつて頂きたいと思つてゐます。それから留守の間集金を出すことを怠つてゐましたから一月に這入りましたら集金を出しますから何卒お払い込み下さいますやうお願ひいたします。
□私はこの雑誌の諸君の間にでも立派な考へをもつてゐらして黙つてお出になる方が沢山あるやうな気がして仕方がありません。そんな方はもういゝ加減筆をお持ち下すつてもいゝと思ひます。岡田八千代様、長谷川時雨しぐれ様のやうな立派な方が何と云つてもまだ未成品の私共と一緒に筆をとつて下さることを本当にうれしく感謝いたします。今年こそは実のある仕事をしたいものだとおもひます。働ける丈け働きたいとおもひます。
[『青鞜』第六巻第一号、一九一六年一月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「青鞜 第六巻第一号」
   1916(大正5)年1月号
初出:「青鞜 第六巻第一号」
   1916(大正5)年1月号
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:雪森
2017年3月11日作成
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