らいてう氏に

伊藤野枝




 らいてうさま、
 お体の工合はどんなですか、私は一週間目から産褥をはなれて居ります、この辺は御大典奉祝の「ドンタク」で大変です、東京もさぞ大変でせう。
 漸く帰京が出来るやうになりました。けれども子供の事では随分迷ひました。けれども結局矢張り同じ他手ひとでをかりるにしても自分の近くでないとどうしても安神あんしんが出来さうにもありませんので連れてかへることにしました。「里子にやるとにくむやうになるから、それではどちらの為にもいけないから」と沢山の例をひいて誰も彼も不賛成をとなへますし、良人おっとも此度は本当に父親らしい愛をもつて子供に対してゐて、矢張り不賛成なのです。私も随分気づよくなつて、たとへ三四ヶ月でも、留守中の停滞してゐる仕事を片づける間けでもおいて来やうと思つたのですけれども一日一日とだん/\にさう云ふ決心もいろいろ考へて見ますと不安になつて来ますので捨てました。そして連れてかへることにしました。その代りになるべく時間をとられないやうにしつけやうと思つてゐます。幸ひに、今度の子はおどろくほど手がかゝりませんので、これならと云ふ気もします。一日中下にねてゐますので、おむつの世話とお乳をりさへすればそれでいゝのです。
 今まであがきがとれないやうに苦しむでゐましたけれども全くあれは体のせいだつたと思ひます。長い間働けなかつた反動でこれからはどんなにでも働けるやうに体も気持もかるくなりました。かへりましたら新年号の編輯に全力をつくさうと思つて居ります。長い間留守にした東京の珍らしいこともたのしみの一つです。
 まだお礼も云つてゐませんが岩野さんの「愛の争闘」が丁度私のお産した朝、四日につきました。皆がはら/\するのをその日から三日かゝつてよみました。そしていろ/\な事を考へさゝれました。全体としてはあの方のやわらかな感情が可なりよくにじみ出てゐるのを一番うれしく感じました。始めから終りまでの苦悶も本当に涙を誘はれるやうな箇処がいくつもありました。他人の生活と云ふものは全く他からは幾分も本当には解らないものだとしみ/″\思ひました。私はあゝした苦悶をつゞけながら六年間も一緒にゐらした清子様の辛抱づよさをおどろかずにはゐられません。私は他の種類の苦悶なら自分の気の持ち方一つでどんなにでも或程度までは堪え得ると信じてゐます。けれども夫婦の間の愛についての苦悶は一番たまらないと思ひます。私はあゝした一貫したあの方の苦しみがたゞそれより他の何でもないのにひどくおどろきました。さうしてお二人の辛抱づよいのに感心しました。私も可なり清子様にはお近しく願つた方ですが、時たま何か不快なことがおありになる位は思つてゐましたけれどもさうした種類の苦しみがそんなにも永く続いてゐるとは思ひもよりませんでした。矢張り私たちが一寸ちょっとした口のきゝやうや物のしかたでひよつと感情を害しあつて一日口をきかなかつたとか四五日気持のわるい顔を合はせてゐるとか云ふのとおなじことなのだとばかり思つてゐましたが、あの日記で拝見しますと、清子様の苦悶は本当に何時でも愛についてなのですもの、私はあれをよんでから六年も一緒にさうしてゐらしたことがむしろ不思議に思へる位です。清子様にあの位の苦悶があれば同様に泡鳴ほうめい氏もどの位お苦しみになつたかしれないと云ふことは直に誰にでもお察しが出来ると思ひます。私はお二人がさうして長い間苦しみながらあの時まで離れずに生活していらしたのはお二人とも無意識のうちにあゝした機会を待つてゐらしたのだと思ひます。人間の執着つて本当に妙に強いものですものね、他人の家に同居してゐて多少不快な事があつたとして他へ移らうと云ふやうな場合さへ妙な執着が出て何だか出るのがをしいやうな気もしますし、その家の人に向つて何かもっともらしい理屈をつけなくては、または機会が来なくては出ると云ふことは云へないものですもの、それと大したちがひはないと思ひます。まして夫婦としてたとへ一年でも半年でも一緒に生活すればどうしたつてさうお手軽に別れられる訳のものではありませんもの、まして岩野さんの場合にはお互ひに愛を持ちながら主として、私は泡鳴氏と清子様の肉体の不均衡が根になつてゐるとしか思へません、もしさうならばお二人ともおきのどくな訳だとおもひます。生田先生はあの序に「泡鳴氏の態度が非難に価することの少いものとして見えて来ると一緒に清子さんの地位があまりお気の毒なものとして見えないやうに――」とお書きになりましたが、私にはお二人ともお気の毒に見えることにもなり、またお二人ともお気の毒ではなくむしろあたりまへな成行になつて行つたのだとも思へます。かくあの日記では、お二人とも全く六年間を幸福におくらしになつたとは思へない気がします。泡鳴氏がさうした生活に堪へないで新らしい生活を求めてあゝおなりになつたのなら清子様ももつと本当に御自分の為めに幸福な道をおさがしになるといゝのですね、お二人が長い間苦しみながらとう/\本当にぴつたり抱き合はずにあんなことになつたのは最初の出かたが不自然だつたのだと私は思ひます。最初からたゞ友人関係として丈けの条件で同居なすつたのならあの理由丈けで立派ですけれども、第二の条件を清子様はお断はりになつても泡鳴氏はそれを決して撤回してはゐらつしやらないのを知りながら、同居なすつたのは、私には少し不思議に思はれます。無責任な想像かもしれませんがし同居してゐらつしやらないで、あゝした要求を持ち出されなすつたのなら、あんなにまでお苦しみにならなくても済んだでせうしあんな不幸なと云つては失礼かもしれませんが結婚をなさらずともすんだのではなかつたかと思はれます。けれどもこんな事はもう清子様自身でとうに御承知の事なのを私がことさららしく云ふにもあたらない事でした。私は本当にあの日記を発表なすつた事をいゝ事をなすつたと思ひます。あれをよんだ人はきつといろいろな誤まつた蕪雑な新聞の記事やなんかを信用したりしないで、本当にお二人の関係がどんなものであつたかと云ふことを知りそしてこんどの事が決して偶然なことでもなく不自然なことでもない正当の結果として解釈が出来るでせう、その意味で最もいゝ事だと思ひます。
 何だか書きたい事が沢山あるやうな気がしますが何れもくだらない事ばかりですからお目に懸つてからにします。もう直にかへれるのだと思ひますとうれしくて仕方がありません。四月ばかりの間ですがもう一年も東京からはなれてゐたやうな気がします。かへりには彼処あそこにもこゝにもよりませうなんて云つてゐましたけれども此の頃ではたゞ一心に東京へかへりつく事ばかり考へてゐましてもう特別急行で何処にもよらないつもりに二人ともなつてゐます。何しろ道中が長いのですからいやになります、しもせきからは特別急行で廿六七時間でつくとしてもあそこまでにざつと六七時間かゝりますからどんなに急いでも卅時間以上かゝるのですものね、こんどかへりましたら本当に働きますわ、何時もいつも予告ばかりでちつとも目ぼしい仕事が出来ないのがはづかしくて仕方がありません。せめて新年号は少しはいゝものにしたいと思つて居ります。お目にさへかゝればどんなにでもおしやべりは出来ますからこの位にしておきませう。
 さう/\あなたはお気がつかなかつたかもしれませんが補助団の方で青鞜に短歌をよく出して下すつた名古屋の方で山田澄子つて方の名を覚えてゐらつしやいますかあの方が自殺なすつたさうですね、私は十一月号の女の世界で青柳氏のかゝれたものを何気なくよんで本当にびつくりして仕舞ひました。おついでがあればよんで御覧なさいまし随分お気の毒な方のやうです。そんな方ならばもつとよくわかつてゐれば何とかしやうがありはしなかつたかとしきりに考へられます。それから水上葉と云ふ丸亀の方も矢張りおくなりなすつたやうです。少しでも交渉のあつた方が逝くなりなすつたなんて聞くと寂しい気がするものですね。 (大正四、一一、一七)
[『青鞜』第五巻第一一号、一九一五年一二月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「青鞜 第五巻第一一号」
   1915(大正4)年12月号
初出:「青鞜 第五巻第一一号」
   1915(大正4)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:笹平健一
2024年1月18日作成
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