私が現在の立場

伊藤野枝




「もう少し、しつかりした、婦人運動が具体的に表はれなくてはならない。」と云ふやうなことをあちらこちらで私はこの頃聞かされる。これは、少しでも婦人の味方と自ら許す男子の大方の人にあきたりなく思はれる点があるからかもしれない。
 すべての事の効果を見なければ行動の如何を認めない群集に向つて、自分の同意を表する婦人達の行動が決して彼等の考へてゐるやうな不真面目なものでないことを認めさせやうとすれば、どうしても彼等に示すに足りるやうな効果を求めるのは当然であるけれども、れ等の人達は、あまりに、自分の為めにすべてのことを軽く見過してゐると云はなければならない。
 それ等の人達は一方に虐げられた低い無智無感覚な婦人を知つてゐながら、やうやく覚めて動き出したものの微かな力をあまりに大げさに買ひ被りすぎてゐる。今動き出した、又はこれから動き出さうとしてゐる力が如何にかすかなものであるかは、少し考へれば直ぐに、解ることではないか。よし少数の彼女等が一段高く当然自分達のものとなるべき新しい場処を見出したとしても、彼女等の生活の根は深くその多くのねむれる力の中に根ざしてゐる。一足飛びに馳け上る訳にはどうしてもゆかない。一時、あがつたらしく見えても矢張り何時かは、何かの度びには根本に引き戻されなくてはならない。しかし真実に、しっかりと自分の生活を其処にうつさうとするには多くの忍耐と努力と時間を要する。彼女はづしつかりした、足場を構へなくてはならない。第一に、それには永い時間と忍耐を要する。つゝかれたり、くづされたり、余計なおせつかいをされねばならない。さうして先づ第一に見出した場所にまで達したときに初めて古い土から根こぎにして自分の生活を何の不安も無理もなしに新らしい場所にうつすことが出来るのだ。そのときには去つて来た処に何が起らうと無関心でゐることが出来、何の動揺をも感じなくてすむのだ。
 さう云ふ風に確実に自分の生活を築き上げ得た人が果して幾人あるだらう。これは実に容易な業ではないのだ。そして最初にそれをする人程困難である。今、現在私達のしなければならないこと或はしつゝあることは、それである。他人はどうか私は分らない。けれども少くとも私一人けはどうかしてその足場を出来得るかぎりたしかなものにしたいと思つてゐる。私達はやうやく自分の周囲の不自由なことを感じ出したばかりではないか、私たちはまだ足場をこしらへにかゝる程にもなつてはゐないやうな気さへどうかした時にはする。私たちは出来る丈け自分と現在の境遇を観、そして考へて見なければならない。さうして後に来る日々の生活に対する省察と批判を一つ/\積み立てゝゆくべきである。さうしてそれが日々油断なく辛抱づよく繰り返されさへすれば屹度きっと達する処へ達しなければならない。しかしやゝともすれば後へ引き戻されたり、邪魔が這入はいりがちなものである為めに、なか/\其処に迄は余程骨を折らなければならない。そして漸く達したにした処でそれで漸く普通の婦人としての位置を取り戻したにすぎないのだ。其処まではすべての女が当然来なければならないのである。
 処が可笑おかしい事には多くの人達が婦人の位置の低いことを認めてゐながら矢張りそれを標準にして、やうやく普通の水準にまでゆかうとしてゐる、――または行つた女をさもえらいやうに高く評価してゐるのは何故であらう。彼女が多くの女に先だつて目覚めたことは或る一面に於いてえらいのかもしれない。しかし、標準を上におけばそれは実に当然なことだと云はなければならない。たゞ比較的敏感であつたと云ふことが云へる丈けである。
 初めて自分の周囲をはつきりした眼で見まはした時には誰でも反抗の声を上げずにはゐられないであらう。さうして、一刻もはやく其処から抜け出さうとあせる。けれども、さう容易に抜け出せるものではない。一度も二度も彼女は自分の考へ丈けをずん/\進めて行つて、自分丈けは其処までゆきついた気でゐる。併し彼女自身の内にひそむ種々の習性やそれから生活は何の用意もなされてはゐない。それ故彼女は何かの都度矢張りもとの場処にまで引き戻される。さうして後彼女は当然自分の歩く最もたしかな道について、考へなければならない。彼女は考深くなり注意ぶかく自分を持たねばならぬ。
 外面的な行動は他人の注意をよく引く。けれど内面的に動いてゐるものを見破る人は少ない。私たちの最初の行動は外面的な反抗の行為で現はれた。さうして世間の注目を引いた。さうして今、私達はやゝ考へ深くなり、注意ぶかくなつた。私達――少くも私丈けは今はたゞひたすらに自分の生活についてのみしか考へない。前に私達のおもに考へたり、また書いたりした事は主として、私たちの先輩に対する不平であつた。彼等の私達に不当なことを鳴らした。けれど、今私はすべて私の日常の生活に這入つて来る種々な事象をどう取り入れるかと云ふことについてのみ考へてゐる。さうしてそれをもつて私の足場を構へやうとしてゐる。けれどそれは他人には見えない。私たちがいま逼塞ひっそくしたとか駄目になつたとかいふ人達は私達のさうした営みを解することの出来ない人達である。私の書くものはその営みの或る一小部分の記録に過ぎないのだ。本当に、それは平凡な女の日常生活の日誌に過ぎない。私の書くものには何の技巧もない。たゞ有りのまゝである。さうして、私の書くものは今迄文学的作品として取り扱はれて来た。併し私の気持では決してさう云ふ方面から価値のあるものではない。私の書くものはすべての人が――文字をもつたすべての人が書ける事柄であらねばならない。それを何故私が公表するか、と云へば私の書くことは事実だ。私の出遇つた事柄だけは曲げることなく偽はることなく書いてゐる。殊に出遇つて後でその態度の間違つてゐたことを見出せばそのまゝ間違つてゐたと云ひ、適当であつたことはそのやうに書いてゐる。さうして私がこれでまだ一番最後に歩いてゐるのだとは思はない。私は可なり人々の前を歩いてゐると思ふ。私は私自身で歩いた道に出遇つた事象によつて自分を育てながらまたその歩いて来た順序や出遇つたいろ/\な苦痛や煩悶を忘れつぽい自分の為めに記録して、その一部分のこと丈けでも忘れない用意にしたいと思ひ、同時にまた一人々々生活が異つてゐるとは云ひながら今自分の歩いてゐる道が誰でも一度は通らなければならない道だと思ふ時、私は私の為めの備忘の記録が後から来る人たちの何かの手伝ひになり或ひは一緒に歩いてゐる人達の何かの参考になるならば自分ひとりのものとしてしまつて置くよりははるかにいゝ事だと思ふからだ。それ故同じ意味で私は他の人々のさうした記録をやつぱり見たいと思ふ。私の書いたものを読む人には私が今何処を歩いてどう動いてゐるかと云ふことが解らねばならない。また分る筈であると私は思ふ。今私たちと同じ位に手をつなげる位の処を歩いてゐる人が殆んどお話にならない位の少数者であることを私は知つてゐる。しかも私たちはまだなかなか普通の水準にまで達してゐるとした処で肝心な根は古い土からなか/\ぬけさうにもない。やゝともすれば根元に引き戻されさうである。私たちの先きに根をぬいてしつかり移し植ゑてゐるやうな人は私たちの連れよりもまだ少数であらう。或ひはないのかもしれない。まして多くの婦人たちが一斉に其処まで来るには、どれ程の時と力がいるかしれない。さうしてそれを同じ水準にまで引き上げてやることは先に辿りついたものゝ当然の行為でなくてはならない、その時に私達の力ははじめて外面的な行動となつて現はれるであらう。今は私たちはまだ自分をぐらつかせないやうにする為めに何にも外面的なこと、他に向つての積極的な行為は持ち得ない。たゞわづかに自分の記録を人に示す位な消極的な方法しかとり得ない。現在にさういふ外面的な行為をし運動を待ち望んでゐる人は本当に理解のない人である。私達は――私は――外面的に働くとき、其処に内にあふるゝやうにしつかりしたものを充たして置かなければ不安を感ずる一種の臆病者である、併し世間には私のやうな人ばかりはない。現在無交渉な幾多の人達がやがて一つ水準の上になつたときには何物かを通じて或る理解をもつことが出来るであらう。だから私は本当に、真面目に考へるとき自分の考へを土台として考へさへしなければんなつまらないと思ふ人にでも、仕事にでも敬意をもつことが出来る。併し私はあくまで自分の信条によつて進まねばならない。
 婦人と男子は敵味方などと呼ぶものでは決してない、私は理解ある人は決して婦人の味方だなどゝ云ひはしないだらうと思ふ。たゞ公平な眼で見て貰ひさへすればいゝ。婦人の位置が男子によつておとされたとは云ふけれどもそれは婦人の方にも責めは当然負ふべきである。現在の婦人の道徳が屈辱の道徳であればある程、不自然であればある程これまでに私たちの血肉にまで喰ひ込む程それをかためるにはどれ程大したいたましい血と涙の犠牲が払はれたことであらう。
 尊い人間の魂を殺して築きかためたものから抜けやうとするには矢張りおなじ惨苦を味はねばならないことを覚悟しなければならない。私たちが目覚めたからと云つて直ぐに新時代が来たと云ふことは出来ない。私たちが今ゆめ見てゐる世界は私達の幾代後に来るかわからない。私達は一生さうした空想によつて努力を続けてゆくやうなものであるかもしれない。併し、私はそれでもいゝ、たゞ只管ひたすらに自分の日々の生活に出来る丈け悔を残さないやうに努力してゆくことが出来さへすれば。
 遂に私は一生万遍なき日常生活の平凡な記録を書くことのみで終るかもしれない。けれどもそれでもいゝ。たゞ私がそれに嘘をまじへなかつたと云ふ自信さへあれば。
(四、六、一四)
[『新潮』第二三巻第一号、一九一五年七月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「新潮 第二三巻第一号(通巻第一三〇号)」
   1915(大正4)年7月号
初出:「新潮 第二三巻第一号(通巻第一三〇号)」
   1915(大正4)年7月号
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:笹平健一
2024年8月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード