妾の会つた男の人人

伊藤野枝




森田草平氏


 四年ばかりも前に鴈治郎がんじろう新富座しんとみざ椀久わんきゅうを出した時に、私と哥津ちやんと保持やすもちさんが見にゆく約束をしました。さうして私と保持さんは始めから一緒に行つて、新富町についてから哥津ちやんに散々待ちぼうけを喰されたあげく、這入はいつた時にはもう満員ですわる所がないやうな有様でした。しかし出方のあつかひで私達は二階の帳場に席をとりました。
 其時の幕間まくあいにいきなり小母おばさんの座つてゐる前にヌーツと立つた人があります。
「酒を飲む所は何処です。」
と聞きました。
「知りません。」
小母さんもまた、ひどく「ぶつきら棒」に答へた後にハツとしたやうに顔を真紅まっかにしました。私は何にも気がつかずに廊下へ出て行くその人の後姿を見送つてゐます。
一寸ちょっと、あの人、森田さんよ」
と小母さんは私の方を向いて云ひました。
「森田さんつて誰よう」
「ほら、草平そうへいつて人よ、平塚さんの――」
「へえ、の人が、まあ」
私はつゞけざまに、吃驚びっくりして廊下の方を見たときには、その人はもう影も形もありませんでした。
 本当に、あんまり思ひがけないのでびつくりしたのです。「へえ、まあ」と幾度も私は繰り返しました。それ程草平と云ふ人が私には想像と違つた人だつたのです。
 何処から何処までキチンとして、何処をつついてもピンとした手ごたへのありさうに思はれる、しつかりした態度、あの意志を充分に現はした額、深い眼、――を持つた平塚さんの対照としては、あまりに意想外でした。ボワツとしたしまりのない大きな体躯、しまりのない唇、それけでも、充分に、平塚さんに侮蔑される価値はあります。何処から見てもあの、「力」を抜かれたやうなどうにか人間の形にまとまつたと云ふやうなキリツとした処の少しもない体は、低能の人にしか見えません。私は、たつた今其処に立つてゐたその体と鋭敏な、何時でも、チヤンと身がまへの出来てゐるやうな平塚さんをおもひ出して、何だか、くすぐつたくなつて仕舞ひました。
 他人が問題にしてゐるのが何だか馬鹿らしいやうな気がしてゐたことが、草平氏を見た時から私にはあの芝居が非常に興味を引きました。
「あの様子で見ると――」私は思ひました。何時か生田先生がお話なすつたやうに、芝居気を最初に出したのはあの間抜けた草平氏の己惚うぬぼれにちがひないし、面白がつて、一緒に踊つたのは平塚さんのいたづらつ気と、ものずきで、幕切れのぶざま加減は草平氏の臆病と平塚さんの悧巧にちがひない。草平氏はあのことで器量を下げたのではなくて、前から平塚さんよりは一段も二段も下つてゐたのだと云ふ風にしか私にはとれなくなりました。草平氏は、女を馬鹿にしてかゝつて、あいにく、馬鹿になれる女を捕へそくなつて、自分よりも悧巧な女を捕へて器量を下げたのです。しも草平氏と同じ程度のボンヤリ者か、もつと薄ノロな女なら草平氏も器量を下げはしなかつたでせう。けれどもそれでは草平氏も芝居をやる気にはなれなかつたかもしれません。しかし草平氏は他人から気の毒だと同情される資格は充分にあります。これは平塚さんよりもずつとお人よしだと云ふことであります。一体同情をされると云ふのは人がきつと落ち目になつたときの事で勝ち目になつたときに厚意をよせることを同情するとは云ひません。草平氏と平塚さんの事件にしても、まづ公表された範囲で考へる場合には同情すべきものは草平氏の方にあります。けれども、あの草平氏のお姿に接しては、つい、まづあそこらがあたり前の処と云ふ気になつて来ます。
 何処から何処までしめくゝりのないやうな口のきゝ方までがだら/\した、神経と云ふものがあるのかないのか分らないやうな、恐らくどんなひどい虐待を受けてもへら/\笑つてゐさうな草平氏のものごしに私はすつかり反感を起して、すべてが、あのノロマな自惚うぬぼれからの失敗だとしか思へなくなりました。平塚さんのしたことが厳密な意味ではどうであるかないかは別問題として仕方がないと云ふやうにさへ思はれ出しました。同時にまた、いくら好奇でも、あの人の何処が平塚さんを引きつけたのだらうと不思議な気がしました。
「平塚さんは唇の紅い人がすきなのですよ。御覧なさい、草平氏、陽吉氏、博氏、皆鮮かな色をした唇をもつた人達ばかりですよ」
 これはたしか紅吉こうきち(?)の口から何時か聞いた言葉だと思ひますが、それにしても草平氏の紅い唇はあのボワツとした顔を一層だらけた、とり処のないものにする丈けのやうな気がします。
 併しこれは一寸会つた印象ですからもつとよくお話でもしたらいゝ処が見つかるのかもしれません。とにかく芝居の幕間に一寸会つた丈けですから、この位にして置きます。

西村陽吉氏


「石橋を叩いて渡る人」と云ふ称号を青鞜社の同人から貰つてゐることを御本人は御承知かどうか知りませんが、非常に用心深いことはその物越で直ぐ分りません。おちついて坐り込んで低い調子でおちつき払つて口をきゝながら眼は何時でも注意ぶかく他人の話の奥底まで覗かうとするやうに光つてゐます。この人は本当に、心の底から可笑おかしがつて笑ふことの出来ない人に私には見えます。この人の心持が激昂することなんか、なささうに見えます。何時でも平で、何時でも何かをもくろんで深く包んでおくと云ふ風に見えますけれどもこの人の聡明は直ぐと他人に感づかれる聡明です。併し「若い人には珍らしい」と必ず老人に喜ばれる聡明です。利害の念を離れては何にもない人と思はれます。一しきりは大分、江戸ツ子を気取つてゐましたが私はまだ氏の江戸ツ子らしい処を見たことがない。江戸ツ子よばはりをして江戸ツ子らしからぬ処は岩野清子氏と同じです。物事に淡白でない、執念深くて、あきらめが悪い――物を云つても煮えきらず、江戸ツ子のやうにテキパキと白い黒いがつかぬ所が第一、最もこれは商人にとつては一番大事な事と思はれますが、一向煮えきらぬことを云ひ/\相手をらすことに妙を得てゐます。云ひたいことを皆云つて仕舞ふことが出来ない。まつすぐに口がきけない。そのあげくに云ふ事は洗錬された江戸ツ子の皮肉でなくて、むつとする嫌味です。何処をどうさがしても江戸ツ子らしいスツキリしたところがない。どうしても商売上手な勘定高くて他の気持にさぐりを入れて話をする上方かみがた者です。
 この頃ではまた御苦労様な社会主義者顔! 生活々々と「生活と芸術」で悧巧ぶつて大変な労働でもしてゐるやうな顔がをかしい。他人の労作をもとでに商売をしてもうけながら、その上に恩を着せたがるこの若い商人が社会主義者面! はどう考へてもあんまり他人を茶にしてゐるとしか思へません。
「俺は金持でもこう云ふ風に貧乏人の心持も、それから同情することも知つてゐるぞ、おまけに立派な理窟までちやんと知つてゐる。世間の金持のやうに無智ではないぞ」
 と云ふ意味があるのではないでせうか? 何しろ彼の人は器用に聡明に立ち廻ります。あの人に油断のない所、心を許して高笑ひの出来ないのが彼の人が何時でも何かしら考へては常にポリシイを弄してゐる証拠です。心に巧をもつてゐる人程落ちつきはらつてゐます。陽吉氏の額と眼と口とが一番あの人の心持を表はしてゐるやうに思はれます。

岩野泡鳴氏


 赤黒い人テカ/\光る顔、話がおもしろくなつて来ると大きな鼻の穴を一層ひろげて、出来る丈け口を開けて四辺あたりの人を呑んでしまふやうな声を出して笑ふ泡鳴ほうめい氏は小胆な正直者であります。
 氏のやうなみかけ倒しな人は少いと思ひます。但し氏のは思つたよりも中味がやわらかいと云ふ意味です。あの鼻息ではどんなに恐い人かと思ひますがその実少しも恐い人でも何でもなく実は甚だ無造作な人であります。「そとづらの悪い人」と「うちづらの悪い人」とがあります。泡鳴氏は「そとづら」の悪い人の部類に属する人です。従つて「内づら」は誠に神妙な人であるやうに見かけます。私たちが折々岩野さんのお宅に伺つて一番心を引かれたことは泡鳴氏が清子さんに対しては如何にもをとなしい、優しい旦那様であつたと云ふことです。泡鳴氏の感化らしいものを清子さんに見出すのはむづかしい事でありましても、清子さんの感化だとすぐ気がつくことが泡鳴氏の方には可なりありました。家の中では泡鳴氏よりも清子さんの権力の方が勝を占めてゐるやうでした。併したまに行つて私共が見たり聞いたりする範囲ですから全ての時に於いてさうであるかないか勿論其処までのことは云へません。併し外に向つてはあくまで強情我慢を云ひ出したことはどんな屁理屈であらうとも一歩も後には引かぬと云つたやうな泡鳴氏の半面に、さう云ふ点があり得ると云ふことは不思議な事でなくてはなりません。
 泡鳴氏が本当におひとよしだと云ふことは此度の事件に就いても遺憾なく発揮されました。その他、氏の創作の長篇の中の主人公のどれにも皆ハツキリ出てゐます。
 泡鳴氏は大変人を後輩あつかひにしたがる人です。併し如何なる場合にも清子さんを丁寧に扱ふことだけは決して忘れはなさらなかつた事丈けは事実です。この点では清子さんは非常に幸福な人ではなかつたでせうか。外に向つて岩野泡鳴氏を推したてると同時に岩野清子氏を推賞しました。他人はこれを笑ひました。けれども泡鳴氏には毫もこれは笑事ではありませんでした。非常に真面目な事なのでありました。それでこそ今だに清子さんには、二もくも三目も置いてゐるのです。世間へ出ては出来る丈け大きな顔をしてえらがりたい泡鳴氏が清子さんにからおどしをされたり、腕をまくられたりしながらどうする事も出来ないのはそのせいです。泡鳴氏はたゞ単純な、えらがり屋であります。何時でも具足に身をかためて真向から人をめつけてゐます。処が具足をとれば何でもないたゞの人よりは余程よはい木つ葉武者なのです。泡鳴氏が一途に、何もかもおし退けて行かうとするあの向不見むこうみずはおそらく氏のせつかちな性分がさうさせるのです。泡鳴氏には冷静な理智などは全くないものゝやうです。従つて何事にも公平な批判をすることは出来ないやうに思はれます。泡鳴氏の云ふことが何処までも自分と云ふものから離されずに何時でも自分を最上のものとして考へる処は理智の力で自分を取静めることの出来ない無反省な人であるからだと思ひます。それでその人が其の中にたつた一人の自分を譲つた細君に如何に不見識なことをされてもそれをどうすることも出来ないのが非常に気の毒に思はれます。彼の泡鳴氏がなまじつかな仏心を出して礼を守つて人格を尊重してやつた、たつた一人の女からあゝも滅茶々々な事になるとは何と云ふ皮肉なことでせう。泡鳴氏たるものこれから夢にも他人の人格の尊重などはすべきでないことをお覚りにならなくてはならない時だと思ひます。泡鳴氏は何処までも泡鳴式にと申上たい。けれどもう一歩進んで考へますと、この人格尊重も気むづかしい、然し必要な、細君をつなぎ止めておく為めの方便にすぎなかつたかもしれません。さうとしても泡鳴式の無造作加減がかう云ふ処にも現はれて来ますし、それからまた、その無造作にとりきめられたその方便の為めに、最後に至つてその方便に背負投げを喰はされたと云ふことも偶然ではなくなつて来ます。何方どちらにしても泡鳴氏にはおどかされやすいかはりにまた、手の内を知ることもはやく出来ます。此の傲慢不遜は少しも氏を知つてゐるものには腹を立てる事が出来ないばかりでなく、非常に滑稽に思へるのはその為めであります。
[『中央公論』第三一年第四号、一九一六年四月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「中央公論 第三一年第四号」
   1916(大正5)年4月1日
初出:「中央公論 第三一年第四号」
   1916(大正5)年4月1日
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:Juki
2017年11月24日作成
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