ウォーレン夫人とその娘

伊藤野枝




 脚本を読んで見て私は殆んど手の出しやうのないのに驚いてしまつた。とても自分の貧弱な頭ではそれ/″\に立派な解釈をつけて批評して行くことは六ヶむずかしい、と云つてやらないわけにも行かないし困つた/\と云ひ暮しても其日数もなくなつてしまつた。
「あんまり六ヶしく考へすぎるんだよ」といふ様な注意を傍らで聞くとなほイラ/\して来てどうしてもまとめることが出来ない。もう〆切の日は少しの余裕もなく迫つてゐる。とても正式の批評などは出来さうもない。私は自分で考へついたことだけを書いてこの責任をのがれようと思ふ。大変いけないことかもしれないけれども今の場合仕方がないとしておきたい。
 一番主として考へなければならないのはヴイ[#濁点付き井、47-9]イが母の職業に対する理解だと思ふ。
 ヴイ※[#濁点付き井、47-10]イは悧巧な冷静な理解力をもつた自信の強い女である。だが情熱とか優しみとか云ふ方には欠けてゐる。すべて、何を考へるにもやるにも感情を交へないと云ふ処が普通の女と甚だしく懸け離れてゐる点である。彼女は美もローマンスも不必要だと云つてゐる。彼女はその母親に対しても本当の親しみやなつかしみを持ち得ない。フランクに対する感情も恋とは云ひにくい。若い女の男に対してもつ情熱的な恋とはよほど違つたものである。
 これは彼女が幼い時から母の傍を離れて寄宿生活をして来た結果だ。彼女は幼い時から当然受くべき両親のやさしい愛をうけることが出来なかつた。彼女は第一に親の愛を知る時期がなかつた。第二に彼女は寄宿生活に万事少しのやわらか味もない定規で造り上げられた四角四面な規則で生活した。理屈ばかりの生活をしたことが原因してゐる。つまり彼女は当然受くべき情的教育を受ける機会なしに智的方面にまた意的方面にばかりのびていつたのだ。あやまつた教育が彼女のやうな人間を造り上げたのだ。
 其処で彼女は母に対して、母の職業に対して或理解をもつ事は出来た。同時に幾分の同情することも出来た。然し最後まで行つたとき彼女は母に対して、あまりに苛酷な態度をとつた。もし普通に母親に対する愛情をもつ女ならあゝいふ酷な態度のとれやう筈はない。もう少し角だてずにやさしくなごやかに解決がつくべき筈だ。彼女の生活と母親の生活が合ふ筈のないことは誰にも解ることである。然しヴヰ※[#濁点付き井、48-6]イの考へ方によつては母親にあゝまでみぢめな態度をしなくつても済むことだ。妥協と云ふ意味でなく自分さへ確かならそして母親の職業や境遇に同情と理解があるならばまた何も母が彼女の生活に積極的にさまたげをしやうとするのでないならばあゝまできつぱりと結果をつけないまでも、もう少し優しい扱ひ方が出来たに違ひないと思ふ。彼女の情的教育の欠点は二幕目の終り近く母親の情熱的な昂奮と感激におされて著しく目立つて来る。
 ウォーレン夫人はそれにくらべるとずつと世間並の女でまたありふれた普通一般の母親とすこしも変りはない。唯だ幾分気丈とでも云ふやうな点のある、ヴヰ※[#濁点付き井、48-12]イよりも気持ちのいゝ女だ。同情すべき女だ。彼女は娘を自分で教育することが出来なかつた。一つは彼女が無智だと云ふことを自覚してゐる処からと、それから職業の都合からも来たことであらう。彼女は娘に充分の教育を与へた。それは世間の親たちが娘を教育するのと些しも違つた考へからではない。もう少しでも違つた処があればそれは自分の無智をもついでに償ふつもりもあつたかもしれない。彼女は極く通俗的に、手軽に、そして単純な考へから娘を他人に預けて他人に教育して貰つた。愚かな母親は娘の為めに莫大な費用をかけて娘を立派に教育した。然し結果は母親ののぞんだものとは全く反対の形になつて現はれて来た。彼女は他人と自分の区別をしらなかつた。教育と云ふことに注意してゐるやうで不注意だつた。なまじ他人になど教育をして貰つた為めに娘はまるで自分の望んだものとは違つた人間になつてしまつた。しかし其処に気がつくやうな母親なら自身で立派に教育する。彼女は職業から来る不自由さと、無智から来る低級な頭で解釈した教育とで自分をあやまり娘をあやまつた。彼女の運命は自身でまねいた運命なのだ。併し本当に同情すべき可哀想な女だ。世間にはかうした例はいくらもあるだらう。
 次に来る問題はこの脚本の主題となつたウォーレン夫人の職業だ。私達も現在考へさゝれてゐることであり、また早晩ぶつかる問題である。教育のない無智な何の芸能をも有しない婦人の職業――それが一番真面目にはやく考へなければならない問題だと思ふ。私は出来ることならこれを眼目にして大いに書きたい気もするけれど時日もないしそれにまづしい私の社会的な智識では到底大したことも云へなささうだ。併し私達はどうしてもこれから先きの研究はそこまで進めて行かなくてはならないのだからその時にまた機会があるかもしれない。
 ウォーレン夫人のやつてゐるやうな仕事がいゝか悪いかの問題は今は預つて置く。そう云ふ職業が存在し得るは止むを得ない。無暗むやみと賤しいとか悪いから止めろと云ふやうな事を日本でも盛んに云つてゐる。併しさう云ふ女の就くべき正当な所謂いわゆる立派な利益を得ることの出来る割のいゝ仕事が他にあるかどうか。夫人の長い告白の中には到る処にその社会の弱点をおしてゐる。労働に対する相当の報酬をしない。不当な労働をしてその上に生活にも困らなければならないと云ふやうな割の合はない仕事が所謂正当な立派な職業とされてゐる間はとても割のいゝ職業にはいくら賤劣であらうとも職業として存在してゐる間は生きて行かなければならないと云ふ要求の上からは少しも就くのには躊躇されないだらう。恐ろしい白粉製造所や他人に甘い汁をしぼられる酒場奉公より自分の利益の多い体の楽な職業に就く筈である。賤劣だとかやれ何とか云ふのは他に割のいゝ楽な仕事を持つた所謂教育のある婦人や無自覚な妻君達の云ふことだ。殊に世間普通の何の考へもない妻君達はそれ等の賤劣な職業をもつ女とは五十歩百歩である。彼女等も矢張りその体の楽な割のいゝ仕事仲間なのだもの。何処に大した相違があらう? 私はむしろ蔑視される賤業婦達の自覚しながらも喰べる為めに生きたいばかりに嫌やな者共の機嫌きづまをとらねばならぬ悲痛な気持に同感する。そして何の意味もない馬鹿な顔して一人よがつてゐる女達よりもかうした女の方がまだ強い処があるやうに思ふ。私はさう云ふ女の気持を考へてゐるとぞつとするやうな凄い感じに打たれる。

ヴヰ※[#濁点付き井、49-18]イ ねえお母さん正直に云ひますけれどそんな風にまでしてお金をこしらへるのをいやしむと云ふ見識もあなたの云ふ女の性根つ玉ぢやありませんか?
夫人 勿論さ。誰だつて心にもない勤めをして金をこしらへるのを好んでるものはないさ。ほんとに折々は可愛さうだと思つたよ。疲れきつてふさいでゐる女が藁しべ程も思つてゐない男の機嫌をとらうとしてゐるのを見るたびにね、――どんな金高にもへられない程の嫌やな思ひをさせてさんざつぱら女を苦しめておきながら見事面白がられてる了簡りょうけんでゐる生粋の間抜共を見るたびにね。だが商売となればどんな厭やなこともがまんしなきやならず荒くあたられてもやはらかに受けなきやならない、丁度看護婦か何ぞのやうにね、無論だれだつてすきこのんでする事ぢやない。お宗旨屋の法なんぞを聞いてお前は安楽な仕事のやうに思ふかもしれないけれど。
ヴヰ※[#濁点付き井、50-5]イ でもあなたは仕甲斐のある仕事だと思つてゐらつしやるのでせう。お銭になるから。
夫人 仕甲斐がありますともね、貧乏人にとつては。その娘がおだてにのらない奇麗な身だしなみの悪くない悧巧な娘でさへあればね。他のどの商売よりはましだからね。無論よくないことさヴヰ※[#濁点付き井、50-7]イ、それにました職業が女にないといふのは。私はあくまでそれは悪いことだと思ひます。けれどもよかれあしかれさうなつて見ればそれを利用するより他にやうがないのさ。立派な人たちのすることぢやないよ。お前なんぞしやうとすれば馬鹿だ。けれども私がやらなかつたらそれはまた馬鹿だ。
ヴヰ※[#濁点付き井、50-11]イ (ます/\深く感動して)お母さん、かりに私たちが昔のあなたのやうに貧乏であつたとしたら屹度きっとあなたはすゝめないでせうか私にワーテルローの酒場へ出ろとか労働者へ嫁入りしろとか又は製造所へさへも入れとすゝめないでせうか。
夫人 (憤然として)すゝめるものかね。私を如何んな母親だと思つてるんです。そんな食ふや食はずでゐてお前見識が保てますか。女と生れて生甲斐があるかい? 見識が保てないで――同じ境涯にゐる他の女達は泥の中にゐるのにどうして私だけは自力で生活を立てゝ娘に一等の教育まで受けさせたか? いつも私は自分を尊敬し自分をおさへて行くことを知つてゐたからさ。どうしてリツヅが寺院町で人に尊敬されてゐるか? 同じ理由さ。今頃しあのぼうさんの馬鹿気た訓戒を守つてゐたなら私等は何処にゐるだらう? 一日七十五銭で床板の拭掃除にこき使はれてさとゞのつまりは養育院厄介だらうぢやないか?――
 私は此処まで書いて来て考へて見るとこの脚本の作者バアナアド、シヨオは社会の色々な欠陥をもつて来てその欠陥が生んだ種々の人々を捉へて来て一人々々の欠点をうまく表はして、大きな社会問題にふれさせる処にその皮肉な見解を見せてゐるのだ。
 さう思つて見れば皆さうだ。一々細かに評すれば際限がないし大きな社会問題を持ち出さなくつてはすまない。シヨオのこの脚本に対する根本の意の潜んでゐる処が解れば云ふことはないやうだし批評するのも無駄な事をやつてゐるやうな気がする。併しなか/\面白い問題だと思ふ。機会があつたらなほ細かにフランク、クロフツ等についても書いて見たいと思ふ。
[『青鞜』第四巻第一号附録、一九一四年一月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「青鞜 第四巻第一号附録」
   1914(大正3)年1月号
初出:「青鞜 第四巻第一号附録」
   1914(大正3)年1月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:Butami
2020年6月27日作成
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●表記について

濁点付き井    47-9、47-10、48-6、48-12、49-18、50-5、50-7、50-11


●図書カード