演劇改良の声が漸く高まりかけた明治二十三年の正月、硯友社は、初めて文士劇を実演した。それまでに各所で素人芝居が開演されぬでは無かつたが、たとへそれは遊戯的に終つたとしても、兎に角文士が揃つて新作の脚本を上演したといふ事は、当時に於て一大驚異で有つたのだ。
『今の俳優には、役に就ての心理解剖が出来ない。我々は芸が下手でも、それが出来る。今に教育有る者が続々劇界に投じるだらう、我等は其先駆者だ。』
そんな抱負を口にはしたが、要するに内実は、芝居が演じて見たかつたので。けれども昔から型の有る物をやつては、到底団十郎、菊五郎には及ばないから、新作物で競争しやうといふ鼻息。それで、先づ初に紅葉が提案したのが『八犬伝』で、常磐津の
今のやうに現代語に直すといふ智慧も勇気も出ず、いくら新らしく書いても、馬琴の名文は動かしやうが無いので有つたが、扨て脚本が出来上つて見ると、伏姫の小波は納まつたが(大助は自分)犬の八ツ
一方には又、石橋の八ツ房も好いが、あんな大きな頭の犬が。[#「犬が。」はママ]
それで別に自分の新作史劇『増補太平記』大塔宮十津川落に片岡八郎討死といふのを、一番目として新作。二番目としては、広津柳浪の立案で『
紅葉が万事の総頭取で、なるべく、金の掛らないやうにしやう、鬘を全部借りると高いから、端役は
それが二十二年の年末で、自分は杉浦先生の塾にゐて、原稿は書いても売れるアテの無かつた時代で、窮乏も甚だしい間であり、甚だ迷惑はしたけれど、已むを得ず
この大葛籠と相乗りで大森まで帰つて、それから汽車を新橋で下りてから、又大葛籠と相乗りで、飯田町(今の暁星学校の裏手)の石橋の邸内まで持込む事に成つてゐたのだが、九段坂の上まで乗るには車賃が足らなかつた。それで仕方なく坂下で俥を下りて、大葛籠を肩に担いで、坂の中途まで登り出した。
雨降り
すると中から、侍かつら、坊主かつら、娘かつら、老人かつら、大福助のかつらまで転げ出したので、通行人はビツクリするやら、笑ふやらで、自分は顔を真赤にしたので有つた。
本読みがすみ、役割が定まつた。其主なるものは、一番目では、大塔宮(眉山)玉置半九郎(小波)野長瀬六郎(水蔭)同七郎(虚心)片岡八郎(思案)赤松則祐(漁山)村上義光(柳蔭)芋瀬勇七(露紫)
二番目では、蒲地左衛門(水蔭)龍造寺山城守(漁山)家臣某(九華)同(紅葉)同(眉山)宗虎丸(小波)清三郎(虚心)庄屋(紅葉)下男(思案)村の娘(錦簔)同(露紫)其他踊り子楽屋総出。
処で、此の稽古は、石橋の親父の別荘が根岸に在つて、そこには石橋の姉さんが北海道から帰京して、仮りに住つてゐる他に、誰も煙たい人はゐないからといふので、そこへ毎日通ふ事にした。
立廻りの稽古には、お定まりの箒やハタキ、それに踏台を合引代りに
この立廻りに就て、どうも本職の
これから、立廻りの他に盆踊りの手まで皆教はつたが、甚五郎は急に団十郎一座に加入して、京都へ行くといふので、其代りに明日から義弟の
それは暗い夜で、今のやうに電燈なんか
庭の踏石を伝つて真直ぐに行き、それから左へ曲つて門へ出るのであるが、それを甚五郎先生、真直ぐに
石橋の姉さんが赤ン坊を背負ふねんねこを借りて、それを着せて帰へらしたが、その濡れた衣類を帯で縛つて、片手にブラ提げ、ポタ/\雫を垂らしながら、悄然として去つた甚五郎の姿を思ひ出すと、今でも気の毒で耐えられないのだ。(此の時の赤ン坊が確か今の文学博士石橋智信の筈だ)
これと同じ失策を演じたのは紅葉で、その頃富士見町にゐた武内桂舟の家で、夜遅くまで背景の製造や『八才子』に着る衣裳の製作の(白金巾の単衣に桂舟が肩抜き風に桜の大木と鳥の飛ぶのとを書き、背中に大きく月を出し、金紙で風といふ字を切抜いて、それを胸の辺に張りつけ、つまり花鳥風月といふ意匠。裾には朱で名家の印譜を画き、前の方に自分々々の遊印を出すので有つた)手伝ひをして、夜更けての帰りがけに、今の陸軍々医学校の前まで来た時に、あまりに懸命で、セリフの暗誦をしてゐた為に、少し折曲つてゐる道を忘れて、真直ぐに行つたので、忽ち溝の中へおツこちて、向臑をスリ向いたので有つた。
いよ/\一月五日の夕方から、小石川の佐藤家で開演した。舞台は新築された。
それからの失策は百出で、巧まざる滑稽は八笑人以上。
一番目で、先づ冒頭に思案の片岡八郎が出て、演説口調で述懐のセリフがあり。十津川の関所にと掛ると、番兵二人(小波、露紫)が出て、問答の末に大立廻りに成るので有つたが、これが今の剣劇の元祖で、非常に激烈な切合ひで有つた。(演劇改良の急先鋒たる依田学海翁の如きは、非常に喝采して『読売』で激賞した。)
しかし之は種を明かして見ると、石橋は近視眼で、それが眼鏡無しで登場するのだから、何処を斬られるか分らない。こちらは決死の覚悟でやらなければ助かるまいといふ、小波と露紫との打合せなので、その結果が、其頃には珍らしい真剣勝敗に見えたので有つた。
それから大薩摩が有つて、浅黄幕を切つて落すと、十津川山中の背景。此所に山伏姿の宮(眉山)同じ山伏姿の二人の臣下(漁山、柳蔭)が、金剛杖にもたれて、うたゝ寝をしてゐるといふ場面。
諸事浅黄幕ばかりで、簡単に片づけられると見縊つてゐた見物は(三百余名)未だ其奥にも本式の舞台飾りがして有つたので、一時にワツと来た。
眉山の宮は実に美しく、故人田之助といふ衆評で有つた。
そこへ戦死した片岡の亡霊がドロ/\で岩間から出て、三人の眠りの中に、夢枕として前途の活路を教へるといふ筋。
大ドロ/\で幽霊が出るに就て、お定まりのカケ
その薬品は何んで有つたか知らぬが、仕掛は煙草盆に火を入れて置いて、それから新聞紙で小煙突をこしらへて冠せ、キツカケを待つて火の中へ薬品を落すと、パツと煙が立つといふ段取で有つた。
大薩摩が切れて、大ドロ/\を打込んで、いよ/\片岡の亡霊が出ると成つて、翁屋主人が薬品を投込むと、煙の
それをキツカケに煙の中に出る筈の思案は、忽ち『キヤツ』と叫んで、飛上り『熱い/\』と云ひ出した。幽霊が足を
それから幽霊の物語がある。(無言劇)それを宮が夢幻の裡に聴いて、宮のセリフとして前途の暗示を語る。此辺はトン/\と巧く行つて、扨て片岡の亡霊に導かれた事によつて、野長瀬兄弟が、花道から駈付けて来るのであるが、自分の兄が抜刀で先に立ち、後から虚心が(今の法学博士岡田朝太郎)槍を持つて駈けて出て来る。花道好き処で、互ひに顔を見合せ、うなづき合つて、本舞台に掛るの段取だが、
どうして遅れたかと、後で聴いて見ると、虚心も同じく勢ひ込んで飛出さうとして、揚幕へ槍の先を突ツ込んで了つたので、それを抜かうとしてもナカ/\抜けなかつた。それで遅れたといふので有つた。
扨て段々運んで、最後には渡りゼリフと成り『イデヤ祝して出立なさん』と五人引張りの見得。それを木の頭で幕と成る手筈なのだが、その幕が一向引かれなかつた。
五人とも眼を白黒さしてゐる間に、ヤツとの事で兎に角幕は引き付けられた。これは俳優の役割は極つてゐたが、幕を引く者の割当てがしてなかつたので、イクラ木を打つても、誰も幕を顧みない。それを小波が心づいて、あわてゝ幕を引いたのは好いが、余りに狼狽したので、舞台から見物席へ転げ落ちた。けれども落ちたまゝ如何やら幕は引き終つたので有つた。
二番目では、序幕が
九華は斯道では大分苦労をしてゐるので、本行と来ては普通の俳優以上。地謡の方へは、佐藤黄鶴が廻つて、松破目の陰からやる筈の処、観世清廉が見物に来てゐて『私もスケませう。』といふ事。美声家としては古今絶無といふ評判。その観世の家元が芝居の地に廻はるなんて、昔なら大問題を惹起するので有つたが、然ういふ具合で、気軽に突き合つてくれたので、能の仕舞は大成功。
最後に九華が突然自分の蒲地に斬付ける。自分は肩先をやられて苦しむ処で幕。此所までは先づ無事で有つた。
扨て二幕目に成つて、蒲地の臣(柳蔭)を龍造寺の臣二人で(紅葉、眉山)斬殺さうとして、大立廻りと成るのだが、紅葉が斯うした軽い役に廻つたのは――素人芝居では、成るべく軽い役で
これが片づくと本釣鐘を打込んで、藪畳を押破つて、捕手に手を取られながら、手負の蒲地が、血刀提げて出て来るといふ、自分としての儲け場所だ。
そこへ家臣清三郎(虚心)が駈付けて来るので、それに後事を託し、蒲地は切腹して落入るといふ愁嘆場。
白無垢に
三幕目は清三郎の
幕明きには下男がゐる。これが思案の役目だが、その下男の鬘が如何しても納まらない。当人は納まつても頭が人並脱れの大形なので、鬘の方が納まらなかつた。
一番目の時は、片岡八郎で、揉烏帽子で有つたから、鬘は冠らなかつたのだ。二番目の幕が開くと成つてから、初めて今更の如く思案の大頭を驚嘆しても、どうにも追ひつき様が無いので有つた。
『何んでも好いから冠つて
『冠る気でも冠れないんだよ。』
痛いといふのを無理に冠らせ様とすると、
それなら幸ひの大森鬘、これならこはれても好からうといふので、寄つて
庄屋の紅葉が『今夜の盆踊には領主の龍造寺殿が、忍び姿で見物に来られて、気に入つた娘が有つたら
下男の思案は『此事を主人に知らせよう。』と奥に入るべく、中央の
何故といふに、
小波の娘役は美しかつたが、何分手先を袖口の中に殺す事を知らない為、ニユツと両手を出してゐて、あまり好い格好ではなかつたが、さほどの
『アリヤあれ踊の、人寄せなるか。』と男子にかへつて立上り。
『処もちやうど
四幕目は楽屋総出で盆踊。チンチン、テンレン、トツチンシヤン、と大分練習は積んでゐた。自分は狂言方兼後見で忙しかつたが、矢張り踊り子の中に入つて踊つてゐた。
先頭は庄屋の紅葉、それから下男の思案、眉山、九華、錦簔、露紫、虚心、柳蔭、いづれも夢中で踊り抜いた。
処が、此踊の中途で、例の薬剤師が、其頃は珍らしかつた電気花火を燃やして、電光を見せる。それをキツカケに夕立の鳴物といふ約束で有つたのだ。
薬剤師の翁屋は又『僕には、いつ燃して好いか分らないから、好い加減の処で声を掛けてくれ。』と自分に依頼した。
それで自分は、もう好い頃だと、藪畳の中に隠れてゐる翁屋に向つて、いくら合図をしても少しも聞えない。それも其筈で、翁屋はツンボなので有つた。
踊り子の方は、好い心持に成つて、いつまでも/\踊つてゐる。紅葉それに気が着いて。『夕立だい夕立だい。』と呼はりながら、先きに立つて下手へ逃げ込んだので、ヤツと盆踊は片づいた。
此所へ龍造寺山城守(漁山)が深編笠で出来り。『俄かの雨に雨具もなく。』とか何んとか独白がある。そこへ娘姿の宗虎丸(小波)が手拭を冠つて出来り、トヾ娘姿を引抜くと、鎖り帷衣に白装束、親の敵討の立廻りよろしく、一刀に龍造寺を切付けると、血だらけに成つて大苦しみをするといふ処。
漁山は此所を自己の見せ場だとして、グツと足を割つて、手では、
小波は之に気が着いて、急いで漁山を打倒さうとしたが、漁山は夢中で『未だ/\。』と云つてナカナカ死なぬ。それを清三郎の虚心が加勢して、二人でヤツと倒したのだが、後で漁山こぼすまい事か。『医学上から見た死に方を研究して実地に見せてゐる処を、あんなに早く殺されては、自分の立場が無く成る。人といふ者は、然う簡単にイキを引取るものぢやアない。』この人は医科大学の学生なので有つた。
それから、小波は龍造寺の首を切つて、雨後の月に照らして、述懐のセリフに成るので、後見役たる自分は小道具の首を出さうとして、ハツと思つた。それは坊主の首なのだ。鬘を冠せるのが間に合はなかつたのだ。
えんでん鬘で今殺されたばかりの者の首が、倒れると忽ち坊主では、どうにも斯うにも成らぬので有つた。
小波も之には途方に暮れたが、そこは当意即妙で、袖で首を包んで、どうやら見物には分らせなかつた。
大切の『八才子』で、紅葉が紺足袋で出て、途中で気が着いて、脱いだので、悪落の来た話や。小道具の刀が折れて損害を請求されて、大百鬘を冠つたまゝ、その談判の衝に当つたなどは、既に魯庵の『思ひ出す人々』や、自分も他に書き記してあるので、茲には略す。
以上が硯友社劇の第一回で、その二回、三回と、似たり寄たりの滑稽を演じたが、それはあまりに長くなるので、此辺で筆を擱く。
(大正十五年十一月特記)