探檢實記 地中の秘密

權現臺の懷古

江見水蔭




――初めての發掘――權現臺の歴史――貝層より石棒――把手にあらで土偶――元日の初掘り――朱の模樣ある土器――奇談――珍品――地主と駄菓子――鷄屋の跡――

 太古たいこ遺跡ゐせき發掘はつくつに、はじめてくだしたのは、武藏むさし權現臺ごんげんだいである。それは品川しながはたくからきはめてちかい、荏原郡えばらぐん大井おほゐ小字こあざこと東海道線とうかいだうせんやませんがつして鐵道線路てつだうせんろ右手みぎて臺地だいちがそれで、大井おほゐ踏切ふみきりからけば、鐵道官舍てつだうくわんしやうらから畑中はたなかるのである。
 しか大概たいがい蛇窪へびくぼ踏切ふみきりだい二のせんして、ぐと土手どてのぼつてくのである。
 初心しよしん發掘はつくつとしては權現臺ごんげんだい大成功だいせいこうであつた。無論むろん遺物ゐぶつ豐富ほうふでもつたのだが、たくからちかいので、數々しば/″\[#ルビの「しば/″\」はママ]られたのと、人手ひとでおほかつたのも勝利しやうり原因もとであつた。
 さればとして、終生しふせいわするゝこと出來できぬのは、この權現臺ごんげんだい遺跡ゐせきで、其所そことき勿論もちろん遺物ゐぶつ一片ひとひらにしても、ぐと其當時そのとうじ思出おもひいだすのである。成功せいこうした其時そのときうれしさも思出おもひいでるが、しかおほくは其時そのとき一處いつしよつたともの、んだのや、とほざかつたのや、いろ/\それを懷出おもひいだして、時々とき/″\へん感情かんじやうたれもする。
 三十五ねんの九ぐわつわすれたが初旬しよじゆんであつた。それが權現臺ごんげんだい最初さいしよ發掘はつくつで、其頃そのころたく陣屋横町ぢんやよこちやうつて、活東くわつとう望蜀ばうしよくの二同住どうじうしてた。のち玄川子げんせんした。
 文士相樸ぶんしずまふ[#「文士相樸が」はママ]さかんなころなので、栗島狹衣氏くりしまさごろもしほとん毎日まいにちやうたので、狹衣子さごろもしおな朝日新聞あさひしんぶん水谷幻花氏みづたにげんくわしも、其縁そのえんあそびに來出きだした。
 今日けふ天氣てんきいからとて、幻花子げんくわし先導せんだうで、狹衣さごろも活東くわつとう望蜀ばうしよくの三が、くわかついで權現臺ごんげんだい先發せんぱつした。あとからつてると、養鷄所やうけいじよ裏手うらて萱原かやはらなかを、四にん[#「四人て」はママ]しきりに掘散ほりちらしてる。なるほど貝塚かひづかとはんなものだなとはじめて地中ちちう秘密ひみつあるをつた。
 此時分このじぶん發掘法はつくつはふといふのは、幼稚ようちなもので、幻花はハンマーでこつこつつて、布呂敷ふろしき貝殼かひがらしやくくらゐ。
 二回目くわいめには矢張やはり其人數そのにんずで、此方こちら※(「金+顏のへん」の「彡」に代えて「生」、第3水準1-93-37)シヨブルや、くわつてたが、如何どううまかぬものだから、三回目くわいめには汐干しほひときもちゐた熊手くまで小萬鍬せうまんくわ)が四五ほんつたのを持出もちだしたところが、これが非常ひじやう有効ゆうかうであつたので、(勿論もちろん先輩中せんぱいちうすで小萬鍬せうまんぐわもちゐてひとつたさうだが、それは三ぼんづめの、きはめてせうなるものまへ鍛冶屋かじやに四ほん大形おほがたのを別誂べつあつらへするなど、大分だいぶ乘氣のりきつてた。(其頃そのころからつかした)
 といふのが、幻花子げんくわしが、小魔石斧せうませきふ[#「小魔石斧や」はママ]完全くわんぜんちか土器どきなどをしたので、余等よら發掘熱はつくつねつがそろ/\高度かうどたつしかけたからである。
 休日毎きうじつごとさそひに幻花子げんくわしつてられず。今日けふ望生ぼうせい翌日あす活子くわつしあるひは三にんそろつてうちに、土偶どぐうあしる。小土器せうどきる。大分だいぶ景氣けいきいてた。
 ならんでつて望生ぼうせい膝頭ひざかしらどろうまつてるのを、狹衣子さごろもし完全くわんぜん土器どき間違まちがへて掘出ほりださうとすると、ピヨイと望生ぼうせい起上たちあがつたので、土器どき羽根はねえたかとおどろいたのも其頃そのごろ
 活東子くわつとうしがゴホン/\せきをしながら、赤土あかつちしたまで掘入ほりいつて、なにないとこぼしたのも其頃そのごろ
 初心しよしん[#ルビの「しよしん」は底本では「しよしよ」]失策しつさくけつしてすくなくなかつたのだ。
 幻花子げんくわし此當時このたうじ、ぐツと先生振せんせいぶつて、りながら種々いろ/\講釋こうしやくかせるのであつた。余等よらもつと興味きやうみゆうして傾聽けいちやうしたのは、權現臺貝塚ごんげんだいかひづか歴史れきしであつて、最初さいしよ野中のなかくわん發見はつけんしたのを、ふかしてたので、其頃そのころ發掘はつくつをせずとも、表面ひやうめんをチヨイ/\掻廻かきまはしてれば、土偶どぐう土版どばん完全くわんぜんちか土器どきなど、ごろ/\ころがりし、磨製石斧ませいせきふなどは、いくらでもつた。それを幻花子げんくわしがチラとみゝはさんで、大井村中おほゐむらぢうのこらずさがして、やうや野中氏のなかし寶庫ほうこ突留つきとめるともなく、貝塚かいづかの一ひらいて其所そこ養鷄場ようけいぢやう設立せつりつする大工事だいこうじおこり、此期このき利用りようして土方どかた買收ばいしうし、幻花子げんくわし種々いろ/\珍品ちんぴんれたことから、地主ぢぬしとの衝突奇談しようとつきだん小作人こさくにんとの大喧嘩おほけんぐわ[#ルビの「おほけんぐわ」はママ]小南保之助氏こみなみやすのすけし貝塚かひづか奇遇談きぐうだんやら、足立博士あだちはかせ學士時代がくしじだい此所こゝはちされたはなしやら、却々なか/\面白おもしろい。
 たゞういふはなしときは、あま遺物ゐぶつないときで、土器どきかほでも貝層かひさうからやうものなら、呼吸こきうをするのさへわすれるくらゐ
 活東子くわつとうしが十ぐわつ卅一にち鐵鉢形てつはつがた小土器せうどき掘當ほりあてながら、あやまつてそれをつたので、破鐵鉢はてつばつ綽號あだなりなどしたが、それと同時どうじした把手附とつてつき小土器せうどきは、すこげては[#「缺げては」はママ]るが珍形ちんけいで、優物いうぶつたるをうしなはぬ。(第壹圖參照)
「第壹圖(武藏權現臺)」のキャプション付きの図
第壹圖(武藏權現臺)
イ(土器) ロ(土偶顏面) ハ(土偶胴部)

 うしてほとん毎日まいにちごとつてうちに、萱原かやはらを三げんはゞで十けんばかり、みなみからきたまで掘進ほりすゝんで、はたはうまで突拔つきぬけてしまつた。(高抔形たかつきがた[#「高抔形」はママ]茶椀形ちかわんがた[#ルビの「ちかわんがた」はママ]土瓶形どびんがた大小土器だいせうどき餘種よしゆ石劒片せきけんへん石槍いしやり貝輪かひわ輕石製浮標等かるいしせいうきとうづ)
 これは大變たいへんと、總掛そうがゝりでならしをして、今度こんどまたおもおもひにぢんり、西にしからひがしむかつて坑道こうだうすゝけた。
 此間このあひだにチヨイ/\飛入とびいり發掘者はつくつしやえた。野中完一氏のなかくわんいちし伊坂梅雪氏いさかばいせつし小南保之助氏こみなみやすのすけし高橋佛骨氏等たかはしぶつこつしとう
 十二ぐわつの四であつた。幻花子げんくわしと二くつわならべてつてると。
江見えみクン、た/\』と幻子げんしへんこゑした。
 なにたかとのぞいてると、眞白まつしつ[#ルビの「まつしつ」はママ]貝層かひそうなかから、緑泥片岩りよくでいへんがん石棒せきぼう頭部とうぶしてる。
 それがよこ文字もんじ貝層かひさうあひだはさまつてるのを。
る、る』と幻子げんし調子てふしりながらつてくので、るにえぬ。
 殘念ざんねんでならぬので、自分じぶん持場もちばを一生懸命しやうけんめいつたけれど、なにない。幻子げんし大成功だいせいかう引替ひきかへて大失敗だいしつぱいくわつぼう茫然ばうぜんとしてしまつた。
 其翌五日そのよくいつか奮然ふんぜんとしてたゞ一人ひとり[#ルビの「ゆ」はママ]つた。さむいかぜき、そらくもつた、いや[#ルビの「いや」は底本では「いな」]であつたが、一人ひとりで一生懸命しやうけんめいつたけれど、なにぬ。ばんまでかゝつてやうや土器どきふちでもつたらしいいしと、把手とつて平凡へいぼんなのを二三たばかり。がツかりしてかへつて、食卓しよくたくにつきながら、把手とつて一箇ひとつ家人かじんしめして、これがめて土偶どぐうかほでもつたら、昨日きのふ敗軍はいぐん盛返もりかへすものをとつぶやくと、わきはゝが『おや/\それは人形にんぎやうかほではなかつたのか』といふ。『へえ、人形にんぎやうかほだといのですが、うではないのです』とこたへた。
 はゝかさねて『でもわたしには人形にんぎやうかほえる』うですな、これが眉毛まゆげで、これのしたがあるといのですが』とひつゝ、小揚子こやうじ[#「小揚子で」はママ]ツヽくと、つちが、ポロリとちて、兩眼りやうがんひらいた。おや/\とおもひながら、またツヽくと、はなあなさへ二ツひらいた。まさしく土偶どぐう顏面がんめんなのであつた。(第壹圖參照)
 それからまた調子附てふしづいて、雪中せつちう雨中うちうかましにつて、三十五ねんの十二ぐわつ三十にち棹尾たうび成功せいかうとしては望蜀生ぼうしよくせいが、第貳圖だいにづごと口唇具こうしんぐした。朱塗しゆぬりである。
 もつとふるつてたのは三十六ねんぐわつ元旦ぐわんたんで、此日このひ年始ねんし幻花子げんくわしは、掘初ほりぞめをするとつてたゞ一人ひとり出掛でかけたのを、あとから、靜灣せいわん佳水かすゐ天仙てんせん望蜀ぼうしよく古閑こかん狹衣さごろも活東くわつとうの七にん評議ひやうぎうへ二人宛ふたりづゝはうからすゝんで、あなこも幻子げんし包圍攻撃はうゐこうげきしてらうといふので、それ/\に[#「それ/\に」はママ]手配てくばりしたが、活東子くわつとうし不間ぶまつて、かへつて幻花子げんくわしはうから突貫とつくわんきたつたのであつた。
 其時そのときの八にんうちで、活東くわつとう天仙てんせん古閑こかんの三は、いま現世このよひとであらぬ。
 三十六ねんつて大成功だいせいかうをした。一ぐわつ十六にちには、土器どきしゆもつ緻密ちみつなる模樣もやうゑがいてあるのを、二箇ふたつまで掘出ほりだした。それから四十二ねん今日こんにちまでにくのごと珍品ちんぴんまたでずにる。藏品中ざうひんちうだいめて、いまだ一さがらずにる。
 それから、土器どき種々いろ/\た。奇談きだん種々いろ/\つた。
 かいをさらひすのについて、活東子くわつとうし幻花子げんくわし衝突しようとつする。發掘はつくつ進路しんろつい衝突しようとつする。狹衣子さごろもし手傳てつだひにては、つい、しや時間じかんわすれたことや、佛骨子ぶつこつしあななか午睡ひるねをしたことや、これ奇談きだんおもなるもの。
 發掘品はつくつひんとしては三十六ねんぐわつ十九にちに、活東子くわつとうし方形裏模樣はうけいうらもやう土器どきし、望蜀生ぼうしよくせいが、どうぐわつ二十二にち壺形土器つぼがたどきし、玄川子げんせんし土偶どぐうあしと、第二圖だいにづごとき、めづらしく複雜ふくざつなる把手とつてし。また土偶どぐうあし半磨石斧はんませきふ、三ぐわつ二十二にち獸牙製曲玉じふがせいまがたまの一しゆりやくしてキバマガ(第二圖參照)をし、同月どうげつ二十六にちに、鹿角製浮袋ろくかくせいうきぶくろくち(第二圖參照)をし、四ぐわつ土偶胴部どぐうどうぶ(第壹圖參照)をしたとうおもなるもの
「第貮圖(武藏權現臺)」のキャプション付きの図
第貮圖(武藏權現臺)]
イ(浮袋口) ロ(口唇具) ハ(牙曲玉) ニ(把手) ホ(有孔石器)

 此間このあひだ望蜀生ばうしよくせい故郷こきやうかへり、活東子くわつとうしまたふるはず。幻花子げんくわし相變あひかはらず。それと玄川子げんせんし相手あひてにぼつ/\つて、到頭たうとう鷄屋とりやへいしたまですゝんで、なつころには場所ばしよくなつた。
 思出おもひだしてると奇談きだんがあつた。はゝさい親類しんるゐ子供こどもや、女中ぢよちうや、とほくもいので摘草つみくさかた/\[#「かた/\」はママ]見物けんぶつことつた。其時そのとき生憎あいにくなにないので、採集袋さいしふぶくろ摘草つみくされてかへつたこともあつた。
 もつと奇談きだんとすべきは地主ぢぬし某氏ぼうしときである。とはらぬのでかいげるのに邪魔じやまだから、其所そこ退いてれなんて威張ゐばらして、あと地主ぢぬしわかつて、有合ありあはせの駄菓子だぐわしして、機嫌きげんつたことなどである。
 やがて其秋そのあきには、のこらず貝塚かいづかひらかれて、はたけつてしまつたが、それでも余等よら未練みれい[#ルビの「みれい」はママ]かされて、表面採集ひやうめんさいしふ時々とき/″\立寄たちよるが、其後そののちとても、土偶どぐう磨石斧ませきふ、三十七ねんの九ぐわつには、だいごと有孔石器ゆうこうせきゝをさへ表面ひやうめんた。これは曲玉まがたまの一しゆでもあらう。
 これだけあらした權現臺ごんげんだいは、其後そののち幾變遷いくへんせんして、以前もとさまられぬ。四十一ねんなつつてると、鷄屋とりやさへくなつてしまつてる。幻花子げんくわし鷄屋とりや出來できまへからつてるのだ。つてからも三四だい主人しゆじんかはつたのであつた。
 二代目だいめ時代じだい鷄屋とりや番人ばんにん老人らうじんて、いろ/\世話せわをしてちやなどれてれてたが、其老人そのろうじんもなくんだので、んとなく寂寞せきばくかんじたのであつた。それから三代目だいめ代目だいめとは、無關係むくわんけいで、構内こうないへは一あし踏入ふみいれなかつたが、到頭たう/\その鷄屋とりやほろびてしまつたので、これをさいはひと佛骨子ぶつこつしをかたらひ、またすこつてた。それでも土器どきひとツ、磨石斧ませきふが一ぽんた。
 此後こののち權現臺ごんげんだい如何どうかはるだらう。
 はじめて萱原かやはら分入わけいつたとき活東子くわつとうしんだ。望蜀生ぼうしよくせい如何どうしたのか、りつきもない。狹衣子さごろもし役者やくしやつて、あのどろしやくつたでお白粉しろしい[#ルビの「しろしい」はママ]きつゝあり。幻花子げんくわし新聞しんぶんはういそがしいので、滅多めつたず。自分じぶん一人ひとり時々とき/″\はじめのところつては、往事むかし追懷つひくわいすると、其時そのとき情景じやうけい眼前がんぜん彷彿ほうふつとしてえるのである。が――きに其處そこひと屋敷内やしきうちにでもなつて、かきからのぞこと出來できなくなるだらう。
 わづかに五六ねん地上ちじやう此變化このへんくわである。地中ちちう秘密ひみつはそれでも、三千餘年よねんあひだたもたれたとおもふと、これを攪亂くわんらん[#ルビの「くわんらん」はママ]した余等よらは、たしかに罪惡ざいあくであるとかんがへずにはられぬのである。





底本:「探檢實記 地中の秘密」博文館
   1909(明治42)年5月25日発行
※国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
※「思出おもひいだ」と「懷出おもひいだ」、「其所」と「其處」、「第貳圖」と「第二圖」の混在は、底本通りです。
※「其頃」に対するルビの「そのころ」と「そのごろ」、「養鷄」に対するルビの「やうけい」と「ようけい」、「貝塚」に対するルビの「かひづか」と「かいづか」、「小萬鍬」に対するルビの「せうまんぐわ」と「せうまんくわ」、「貝層」に対するルビの「かひさう」と「かひそう」、「望蜀」に対するルビの「ぼうしよく」と「ばうしよく」、「老人」に対するルビの「らうじん」と「ろうじん」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った「初心しよしよ」を、本文中の他の箇所の表記にそって、あらためました。
入力:岡山勝美
校正:岡村和彦
2019年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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●図書カード