探檢實記 地中の秘密
嶺の千鳥窪
江見水蔭
――雪ヶ谷の道路――金槌で往來を擲く――嶺千鳥窪發掘歴史――土瓶の續出――露西亞式の發掘――棄權の跡――土瓶の仇討――都々逸の功徳――異臭紛々――内部に把手の有る破片――
嶺
(
みね
)
の
發掘
(
はつくつ
)
を
語
(
かた
)
る
前
(
まへ
)
に、
如何
(
どう
)
しても
故
(
こ
)
飯田東皐君
(
いひだとうくわうくん
)
との
關係
(
くわんけい
)
を
語
(
かた
)
らねばならぬ。
三十六
年
(
ねん
)
の
夏
(
なつ
)
、
水谷氏
(
みづたにし
)
が
内
(
うち
)
の
望蜀生
(
ぼうしよくせい
)
と
共
(
とも
)
に
採集
(
さいしふ
)
に
出
(
で
)
かけて、
雪
(
ゆき
)
ヶ
谷
(
や
)
の
圓長寺
(
えんちやうじ
)
の
裏
(
うら
)
の
往還
(
わうくわん
)
を
掘
(
ほ
)
つて
居
(
ゐ
)
た。
道路
(
だうろ
)
が
遺跡
(
ゐせき
)
に
當
(
あた
)
るので、それをコツ/\
掘
(
ほ
)
りかへして
居
(
ゐ
)
たのだ。
其所
(
そこ
)
へ
來合
(
きあは
)
せた一
紳士
(
しんし
)
が、
貴君方
(
あなたがた
)
は
何
(
なに
)
をするんですかと
咎
(
とが
)
めたので、
水谷氏
(
みづたにし
)
は
得意
(
とくい
)
の
考古學研究
(
かうこがくけんきう
)
を
振舞
(
ふりま
)
はした。
其紳士
(
そのしんし
)
連
(
しき
)
りに
傾聽
(
けいちやう
)
して
居
(
ゐ
)
たが、それでは
私
(
わたくし
)
も
仲間
(
なかま
)
に
入
(
い
)
れて
貰
(
もら
)
ひたい。
兎
(
と
)
も
角
(
かく
)
手前
(
てまへ
)
の
宅
(
たく
)
へ
來
(
き
)
て
下
(
くだ
)
さいといふので、
二人
(
ふたり
)
はのこ/\
附
(
つ
)
いて
行
(
い
)
つた。
其先
(
そのさ
)
きは、つい、
下
(
した
)
の、
圓長寺
(
えんちやうじ
)
。
日蓮宗
(
にちれんしう
)
の
大寺
(
おほでら
)
である。
紳士
(
しんし
)
が
帽子
(
ぼうし
)
を
取去
(
とりさ
)
ると、それは
住職
(
じうしよく
)
の
飯田東皐氏
(
いひだとうくわうし
)
。
此所
(
こゝ
)
で
水谷氏
(
みづたにし
)
と
飯田氏
(
いひだし
)
とはすツかり
懇意
(
こんい
)
に
成
(
な
)
つて
了
(
しま
)
つたので、
今度
(
こんど
)
は
僕
(
ぼく
)
の
弟子
(
でし
)
を
連
(
つ
)
れて
來
(
き
)
ますから、一
處
(
しよ
)
に
發掘
(
はつくつ
)
しませうと、
大採集袋
(
だいさいしふぶくろ
)
を
擴
(
ひろ
)
げた
結果
(
けつくわ
)
、七
月
(
ぐわつ
)
十八
日
(
にち
)
に
水谷氏
(
みづたにし
)
は
余
(
よ
)
と
高橋佛骨氏
(
たかはしぶつこつし
)
と、
望蜀生
(
ぼうしよくせい
)
とを
率
(
ひき
)
ゐて
行
(
ゆ
)
く
事
(
こと
)
となつた。
余
(
よ
)
と
望生
(
ぼうせい
)
とは
徒歩
(
とほ
)
である。
幻花
(
げんくわ
)
佛骨
(
ぶつこつ
)
二
子
(
し
)
は
自轉車
(
じてんしや
)
である。
自轉車
(
じてんしや
)
の二
子
(
し
)
よりも、
徒歩
(
とほ
)
の
余等
(
よら
)
の
方
(
はう
)
が
先
(
さ
)
きへ
雪
(
ゆき
)
ヶ
谷
(
や
)
へ
着
(
つ
)
いたなどは
滑稽
(
こつけい
)
である。
如何
(
いか
)
に二
子
(
し
)
がよたくり
廻
(
まは
)
つたかを
想像
(
さうぞう
)
するに
足
(
た
)
る。
待
(
ま
)
てども/\
遣
(
や
)
つて
來
(
こ
)
ぬので、ハンマーを
持
(
も
)
つて
往還
(
わうくわん
)
をコツ/\
穿
(
うが
)
ち、
打石斧
(
だせきふ
)
の
埋
(
うも
)
れたのなど
掘出
(
ほりだ
)
して
居
(
ゐ
)
たが、それでも
來
(
こ
)
ない。
仕方
(
しかた
)
が
無
(
な
)
いので
此方
(
こつち
)
の
二人
(
ふたり
)
は、
先
(
さ
)
きへ
寺
(
てら
)
の
中
(
なか
)
に
入
(
はい
)
つた。
其後
(
そのあと
)
へ
自轉車隊
(
じてんしやたい
)
が
來
(
き
)
て、
居合
(
ゐあは
)
せた
農夫
(
のうふ
)
に、
二人連
(
ふたりづれ
)
の、
人相
(
にんさう
)
の
惡
(
わる
)
い
男子
(
をとこ
)
が、
此邊
(
このへん
)
をうろ/\して
居
(
ゐ
)
なかつたかと
問
(
と
)
うて
見
(
み
)
ると、
農夫
(
のうふ
)
頗
(
すこぶ
)
る
振
(
ふる
)
つた
答
(
こた
)
へをした。
『はア
今
(
いま
)
の
先
(
さ
)
き、
二人連
(
ふたりづれ
)
で、
何
(
な
)
んだか
知
(
し
)
んねえが、
金槌
(
かなづち
)
を
持
(
も
)
つて、
往來
(
わうらい
)
を
擲
(
たゝ
)
きながら
歩
(
ある
)
いて
居
(
ゐ
)
たツけ』
金槌
(
かなづち
)
で
往來
(
わうらい
)
を
擲
(
たゝ
)
くとは
奇拔
(
きばつ
)
である。
大笑
(
おほわら
)
ひをして、
自轉車隊
(
じてんしやたい
)
は
寺
(
てら
)
に
入
(
はい
)
つた。
四
人
(
にん
)
合
(
がつ
)
して
頼母
(
たのも
)
を
乞
(
こ
)
うて
見
(
み
)
ると、
住職
(
じうしよく
)
は
不在
(
ふざい
)
とある。
や、
大失敗
(
だいしつぱい
)
と、がツかりして、
先
(
ま
)
づ
本堂
(
ほんだう
)
の
椽側
(
えんがは
)
へ
腰
(
こし
)
を
掛
(
か
)
ける。いつしかそれが
誰先
(
たれさ
)
きとなく
草鞋
(
わらじ
)
を
脱
(
ぬ
)
ぐ。
到頭
(
たう/\
)
四
人
(
にん
)
本堂
(
ほんだう
)
へ
上
(
あが
)
り
込
(
こ
)
んで、
雜談
(
ざつだん
)
をする。
寐轉
(
ねころ
)
ぶ。
端
(
は
)
ては
半燒酎
(
なほし
)
を
村
(
むら
)
の
子
(
こ
)
に
頼
(
たの
)
んで
買
(
か
)
ひに
遣
(
や
)
つて、それを
飮
(
の
)
みながら
大氣焔
(
だいきえん
)
を
吐
(
は
)
く。
留守居
(
るすゐ
)
の
女中
(
ぢよちう
)
は
烟
(
けむ
)
に
卷
(
まか
)
れながら、
茶
(
ちや
)
を
入
(
い
)
れて
出
(
だ
)
す。
菓子
(
くわし
)
を
出
(
だ
)
す。
菓子
(
くわし
)
は
疾
(
と
)
くに
平
(
たひら
)
げて
了
(
しま
)
つて、
其後
(
そのあと
)
へ
持參
(
ぢさん
)
の
花竦薑
(
はならつきやう
)
を、
壜
(
びん
)
から
打明
(
うちあ
)
けて、
酒
(
さけ
)
の
肴
(
さかな
)
にして
居
(
ゐ
)
る。
其所
(
そこ
)
へ、ひよツくり
住職
(
じうしよく
)
は
歸
(
かへ
)
つて
來
(
き
)
て。
『いやこれは/\』と
驚
(
おどろ
)
かれた。
然
(
さ
)
うして、四
邊
(
へん
)
をきよろ/\
見廻
(
みまは
)
しながら。
『
留守中
(
るゐちう
)
[#ルビの「るゐちう」はママ]
これは
失禮
(
しつれい
)
でした。
妻
(
さい
)
が
居
(
ゐ
)
ませんので、
女中
(
ぢよちう
)
[#ルビの「ぢよちう」は底本では「ぢうちう」]
ばかり‥‥や、つまらん
物
(
もの
)
を
差上
(
さしあ
)
げて
恐縮
(
きようしゆく
)
しました』と
花竦薑
(
はならつきやう
)
を
下目
(
しため
)
で
見
(
み
)
る。
入物
(
いれもの
)
は
其方
(
そつち
)
のですが、
其
(
その
)
つまらん
中身
(
なかみ
)
は
持參
(
ぢさん
)
ですと
言
(
い
)
ひたい
處
(
ところ
)
を、ぐツと
我慢
(
がまん
)
して、
余等
(
よら
)
は
初對面
(
しよたいめい
)
[#ルビの「しよたいめい」はママ]
の
挨拶
(
あいさつ
)
をした。
それから
東皐子
(
とうくわうし
)
の
案内
(
あんない
)
[#ルビの「あんない」は底本では「あんなん」]
で、
嶺村
(
みねむら
)
に
是空庵
(
ぜくうあん
)
、
原田文海氏
(
はらだぶんかいし
)
を
訪
(
と
)
うべく
立出
(
たちい
)
でた。
原田氏
(
はらだし
)
[#「はらだし」は底本では「 らだし」]
は
星亨氏
(
ほしとほるし
)
幕下
(
ばつか
)
の
雄將
(
ゆうしやう
)
で、
關東
(
くわんとう
)
に
於
(
お
)
ける
壯士
(
さうし
)
の
大親分
(
おほおやぶん
)
である。
嶺村
(
みねむら
)
草分
(
くさわけ
)
の
舊家
(
きうけ
)
であるが、
政事熱
(
せいじねつ
)
で
大分
(
だいぶ
)
軒
(
のき
)
を
傾
(
かたむ
)
けたといふ
豪傑
(
がうけつ
)
。
美髯
(
びせん
)
[#ルビの「びせん」はママ]
、
禿頭
(
とくとう
)
、それがシヤツ、ヅボン
下
(
した
)
に、
大麥稈帽
(
おほむぎはらぼう
)
を
冠
(
かぶ
)
つて、
今
(
いま
)
しも
畑
(
はた
)
に
水
(
みづ
)
を
遣
(
や
)
つて
居
(
ゐ
)
る
處
(
ところ
)
。
『やア、
僕
(
ぼく
)
は
今
(
いま
)
、フアーマーをして
居
(
ゐ
)
る
處
(
ところ
)
だ。まア
上
(
あが
)
り
給
(
たま
)
へ。
直
(
ぢ
)
き
足
(
あし
)
を
洗
(
あら
)
ふ。
離座敷
(
はなれざしき
)
は
見晴
(
みはら
)
しが
好
(
い
)
いから』と
客
(
きやく
)
を
好
(
この
)
む。
『いや、
上
(
あが
)
らんで
其儘
(
そのまゝ
)
が
好
(
い
)
い。
掘
(
ほ
)
りに
行
(
ゆ
)
くのだから、フアーマーが
結構
(
けつかう
)
だ』と
東皐氏
(
とうくわうし
)
はいふ。
『
掘
(
ほ
)
るのなら
僕
(
ぼく
)
の
知
(
し
)
つて
居
(
ゐ
)
る
者
(
もの
)
の
雜木山
(
ざふきやま
)
が
好
(
い
)
い。
案内
(
あんない
)
するから
來給
(
きたま
)
へ』と
文海子
(
ぶんかいし
)
は
先
(
さ
)
きに
立
(
た
)
つた。
同勢
(
どうせい
)
六
人
(
にん
)
で
行
(
ゆ
)
つて
見
(
み
)
ると、それは
我等
(
われら
)
の
間
(
あひだ
)
に
既
(
すで
)
に
名高
(
なだか
)
き、
嶺千鳥窪
(
みねちどりくぼ
)
の
遺跡
(
ゐせき
)
である。
此所
(
こゝ
)
ならば
度々
(
たび/″\
)
來
(
き
)
たが、
未
(
ま
)
だ
大發掘
(
だいはつくつ
)
はせずに
居
(
ゐ
)
るのだ。
今日
(
けふ
)
掘
(
ほ
)
つても
好
(
い
)
いかと
問
(
と
)
ふと、
大丈夫
(
だいじやうぶ
)
だ。
原田文海
(
はらだぶんかい
)
が
心得
(
こゝろえ
)
とると
大呑込
(
おほのみこ
)
み。
それ、
掛
(
かゝ
)
れツと、
蠻勇隊
(
ばんゆうたい
)
は一
時
(
じ
)
に
突貫
(
とつくわん
)
。これが
抑
(
そもそ
)
も
嶺千鳥窪大發掘
(
みねちどりくぼだいはつくつ
)
の
發端
(
ほつたん
)
。
抑
(
そもそ
)
も
此所
(
こゝ
)
千鳥窪
(
ちどりくぼ
)
が、
遺跡
(
ゐせき
)
として
認
(
みと
)
められたのは、
隨分
(
ずゐぶん
)
古
(
ふる
)
い
事
(
こと
)
で、
明治
(
めいぢ
)
二十一
年
(
ねん
)
の九
月
(
ぐわつ
)
には、
阿部正功
(
あべせいこう
)
若林勝邦
(
わかばやしかつくに
)
の二
氏
(
し
)
が
既
(
すで
)
に
發掘
(
はつくつ
)
をして
居
(
ゐ
)
る。
其後
(
そのご
)
三
月
(
ぐわつ
)
二十八
日
(
にち
)
に、
内山
(
うちやま
)
九三
郎
(
らう
)
氏
(
し
)
が
發掘
(
はつくつ
)
して、
大把手
(
おほとつて
)
を
出
(
だ
)
した。
其記事
(
そのきじ
)
は
東京人類學會雜誌
(
とうきやうじんるゐがくゝわいざつし
)
の八十六
號
(
がう
)
に
記載
(
きさい
)
せられてある。
其後
(
そののち
)
、
表面採集
(
へうめんさいしふ
)
、
或
(
あるひ
)
は
小發掘
(
せうはつくつ
)
に
來
(
き
)
た
人
(
ひと
)
は、
少
(
すくな
)
くあるまいが、
正式
(
せいしき
)
の
發掘
(
はつくつ
)
に
掛
(
かゝ
)
るのは
我々
(
われ/\
)
が三
番目
(
ばんめ
)
に
當
(
あた
)
るのだ。
加之
(
それに
)
、
前
(
まへ
)
の
諸氏
(
しよし
)
が
發掘
(
はつくつ
)
したのは、
畑中
(
はたなか
)
に
塚
(
つか
)
の
形
(
かたち
)
を
成
(
な
)
して
居
(
ゐ
)
た
處
(
ところ
)
で、それは
今
(
いま
)
開
(
ひら
)
かれて
形
(
かたち
)
を
留
(
と
)
めぬ。
我々
(
われ/\
)
の
著手
(
ちやくしゆ
)
するのは、一
本
(
ぽん
)
老松
(
らうしやう
)
のある
雜木山
(
ざふきやま
)
の
中
(
なか
)
で、
一寸眼
(
ちよつとめ
)
には、
古墳
(
こふん
)
でも
有
(
あ
)
るかと
思
(
おも
)
はれるが、これは四
方
(
はう
)
を
畑
(
はた
)
に
開
(
ひら
)
いて
自然
(
しぜん
)
に
取殘
(
とりのこ
)
された一
區劃
(
くゝわく
)
に
他
(
ほか
)
ならぬ。つまり、
畑
(
はた
)
に
開
(
ひら
)
き
難
(
にく
)
いので
其儘
(
そのまゝ
)
放棄
(
はうき
)
されて
居
(
ゐ
)
る、それだけ
貝層
(
かいそう
)
が
深
(
ふか
)
いのである。
幻花子
(
げんくわし
)
は
佛骨子
(
ぶつこつし
)
と
共
(
とも
)
に、
松下
(
しやうか
)
南面
(
なんめん
)
の
左端
(
さたん
)
から
掘
(
ほ
)
り
進
(
すゝ
)
み。
余
(
よ
)
と
望蜀生
(
ぼうしよくせい
)
とは
右端
(
うたん
)
から
掘
(
ほ
)
り
進
(
すゝ
)
み、
中央
(
ちうわう
)
を
東皐
(
とうくわう
)
文海
(
ぶんかい
)
二
子
(
し
)
の
初陣
(
うゐぢん
)
に
委
(
まか
)
せた。
忽
(
たちま
)
ちの
間
(
うち
)
に
穴
(
あな
)
は
連續
(
れんぞく
)
して、
大穴
(
おほあな
)
を
開
(
ひら
)
いた。
が、
何
(
なに
)
も
出
(
で
)
ぬ。
大破片
(
だいはへん
)
がチヨイ/\
見出
(
みいだ
)
されるが、
格別
(
かくべつ
)
注意
(
ちうい
)
すべき
物
(
もの
)
ではない。
大
(
おほ
)
いに
疲勞
(
ひらう
)
して
來
(
き
)
たので、
引揚
(
ひきあ
)
げやうかと
考
(
かんが
)
へて
居
(
ゐ
)
る
間
(
うち
)
、
幻花子
(
げんくわし
)
は、
口部
(
こうぶ
)
だけ
缺
(
か
)
けて、
他
(
た
)
は
完全
(
くわんぜん
)
なる
土瓶
(
どびん
)
を一
箇
(
こ
)
、
掘出
(
ほりだ
)
した。
大氣焔
(
だいきえん
)
で
以
(
もつ
)
て
威張
(
ゐば
)
り
散
(
ち
)
らされるので、
品川軍
(
しながはぐん
)
は
散々
(
さん/″\
)
の
敗北
(
はいぼく
)
。
文海子
(
ぶんかいし
)
が
歸
(
かへ
)
りに
寄
(
よ
)
つて
呉
(
く
)
れといふのも
聽
(
き
)
かず、
望蜀生
(
ぼうしよくせい
)
を
連
(
つ
)
れて、せツせと
歸
(
かへ
)
り
支度
(
じたく
)
した。ぷツぷツ
憤
(
おこ
)
つてゞある。
幻花子
(
げんくわし
)
は、
此土瓶
(
このどびん
)
を
布呂敷
(
ふろしき
)
に
包
(
つゝ
)
み、
背
(
せ
)
に
斜
(
はす
)
に
掛
(
か
)
けて
負
(
お
)
ひ、
自轉車
(
じてんしや
)
に
反身
(
そりみ
)
で
乘
(
の
)
つて
走
(
はし
)
らすのを、
後
(
うしろ
)
から
見
(
み
)
て
行
(
ゆ
)
く
佛骨子
(
ぶつこつし
)
が、
如何
(
どう
)
かして
自轉車
(
じてんしや
)
から
落
(
お
)
ちて、
土瓶
(
どびん
)
を
破
(
こは
)
したら
面白
(
おもしろ
)
からうと
呪
(
のろ
)
つたといふ。それで
考
(
かんが
)
へても
幻翁
(
げんおう
)
の
大氣焔
(
だいきえん
)
は
知
(
し
)
るべしである。
これで
病附
(
やみつ
)
いた
東皐子
(
とうくわうし
)
は、
翌日
(
よくじつ
)
徒弟
(
とてい
)
及
(
およ
)
び
穴掘
(
あなほり
)
の
老爺
(
おやぢ
)
を
同行
(
どうかう
)
して、
盛
(
さか
)
んに
發掘
(
はつくつ
)
し、
朝貌形完全土器
(
あさがほがたくわんぜんどき
)
を
出
(
だ
)
したなどは、
茶氣
(
ちやき
)
滿々
(
まん/\
)
である。
七
月
(
ぐわつ
)
二十三
日
(
にち
)
には、
幻翁
(
げんおう
)
、
望生
(
ぼうせい
)
、
及
(
およ
)
び
余
(
よ
)
の三
人
(
にん
)
で
出掛
(
でか
)
けたが、
此時
(
このとき
)
も
亦
(
また
)
幻翁
(
げんおう
)
は
完全
(
くわんぜん
)
なる
小土瓶
(
せうどびん
)
を一
箇
(
こ
)
出
(
だ
)
し、
望生
(
ぼうせい
)
は
砧形
(
きぬたがた
)
を
成
(
な
)
す
小角器
(
せうかくき
)
(
用法
(
ようはふ
)
不明
(
ふめい
)
。
類品
(
るゐひん
)
下總
(
しもふさ
)
余山
(
よやま
)
より
出
(
い
)
づ)と
朝貌式
(
あさがほしき
)
の
完全土器
(
くわんぜんどき
)
とを
出
(
だ
)
し、
而
(
しか
)
して
余
(
よ
)
は
大失敗
(
だいしつぱい
)
。
斯
(
か
)
うなると
既
(
も
)
う
厭
(
いや
)
に
成
(
な
)
つて
來
(
く
)
る。
貧乏貝塚
(
びんぼうかひづか
)
だの、
馬鹿貝塚
(
ばかかひづか
)
だの、
狗鼠貝塚
(
くそかひづか
)
だの、あらゆる
惡罵
(
あくば
)
を
加
(
くは
)
へるのである。
東皐子
(
とうくわうし
)
はそれを
聞
(
き
)
いて、
手紙
(
てがみ
)
で『
思
(
おも
)
ひ
直
(
なほ
)
して
來
(
く
)
る
氣
(
き
)
は
無
(
な
)
いか
鳥
(
とり
)
も
枯木
(
かれき
)
に二
度
(
ど
)
とまる』と
言
(
い
)
つて
寄越
(
よこ
)
す。
幻翁
(
げんおう
)
もすゝめる。
罵
(
のゝし
)
りながらも
實
(
じつ
)
は
行
(
ゆ
)
きたいので、
又
(
また
)
出掛
(
でか
)
ける。
相變
(
あひかは
)
らず
何
(
なに
)
も
無
(
な
)
い。
電車
(
でんしや
)
は
無
(
な
)
し、
汽車
(
きしや
)
で
大森
(
おほもり
)
まで
行
(
ゆ
)
く。それから
俥
(
くるま
)
で
走
(
はし
)
らせるなど、
却々
(
なか/\
)
手間取
(
てまと
)
るのだが、それでも
行
(
ゆ
)
く。
と
餘
(
あま
)
り
猛烈
(
もうれつ
)
に
掘
(
ほ
)
り
立
(
た
)
てるので、
地主
(
ぢぬし
)
が
感情
(
かんじやう
)
を
害
(
がい
)
して、
如何
(
どう
)
か
中止
(
ちうし
)
して
貰
(
もら
)
ひたいと
掛合
(
かけあひ
)
に
來
(
く
)
るのである。
掘
(
ほ
)
つてる
穴
(
あな
)
を
覗
(
のぞ
)
きながら、
地主
(
ぢぬし
)
は
頑固
(
ぐわんこ
)
に
中止
(
ちうし
)
を
言張
(
いひは
)
る。
下
(
した
)
では
掘
(
ほ
)
りながら、
談判
(
だんぱん
)
はどうか
原田
(
はらだ
)
さんの
方
(
はう
)
へ
言
(
い
)
つて
呉
(
く
)
れと
取合
(
とりあ
)
はぬ。これを
露西亞式
(
ろしあしき
)
の
發掘
(
はつくつ
)
と
云
(
い
)
つて
笑
(
わら
)
つたのであつた。
然
(
さ
)
う
斯
(
か
)
うして
居
(
ゐ
)
る
間
(
うち
)
に、
松下
(
しようか
)
南面
(
なんめん
)
の
方
(
はう
)
は
大概
(
たいがい
)
掘
(
ほ
)
り
盡
(
つく
)
して
了
(
しま
)
つた。
余
(
よ
)
は九
月
(
ぐわつ
)
二
日
(
か
)
幻翁
(
げんおう
)
佛子
(
ぶつし
)
の二
人
(
にん
)
と
共
(
とも
)
に
行
(
ゆ
)
つて、
掘
(
ほ
)
らうとしたが、
既
(
も
)
う
余
(
よ
)
の
坑
(
あな
)
は、
松
(
まつ
)
の
木
(
き
)
の
根方
(
ねかた
)
まで
喰入
(
くひい
)
つて
了
(
しま
)
つて、
進
(
すゝ
)
む
事
(
こと
)
が
出來
(
でき
)
ぬ。
已
(
や
)
むを
得
(
え
)
ず、
松
(
まつ
)
の
東面
(
とうめん
)
の
方
(
はう
)
に
坑
(
あな
)
を
開
(
ひら
)
かうとして、
草原
(
くさはら
)
を
分
(
わ
)
けて
見
(
み
)
ると、
其所
(
そこ
)
に
掘
(
ほ
)
り
掛
(
か
)
けの
小坑
(
せうかう
)
がある。
先度
(
せんど
)
幻翁
(
げんおう
)
が
試掘
(
しくつ
)
して、
中止
(
ちうし
)
した
處
(
ところ
)
なのだ。
『
如何
(
どう
)
です、
君
(
きみ
)
は
此所
(
こゝ
)
を
未
(
ま
)
だ
掘
(
ほ
)
りますか』と
問
(
と
)
うて
見
(
み
)
ると。
『いや、
其所
(
そこ
)
は
駄目
(
だめ
)
で、
貝層
(
かいそう
)
は
直
(
ぢ
)
きに
盡
(
つ
)
きて
了
(
しま
)
うです』と
幻翁
(
げんおう
)
はいふ。
それでは
其棄權
(
そのきけん
)
した
跡
(
あと
)
を
讓受
(
ゆづりう
)
けやうとて、
掘
(
ほ
)
り
掛
(
か
)
けると、なる
程
(
ほど
)
、
貝層
(
かいそう
)
は五六
寸
(
すん
)
にして
盡
(
つ
)
きる。が、
其下
(
そのした
)
の
土
(
つち
)
の
具合
(
ぐあひ
)
が
未
(
ま
)
だシキとも
見
(
み
)
えぬので、
根氣好
(
こんきよ
)
く
掘下
(
ほりさ
)
げて
見
(
み
)
ると、
又
(
また
)
新
(
あたら
)
しき
貝層
(
かいそう
)
がある。二
重
(
ぢう
)
に
成
(
な
)
つて
居
(
ゐ
)
るらしい。
其貝層
(
そのかいそう
)
のシキまで
掘下
(
ほりさ
)
げて
見
(
み
)
ると、
萬鍬
(
まんぐわ
)
の
爪
(
つめ
)
の
間
(
なか
)
を
巧
(
うま
)
く
潜
(
くゞ
)
つて、
土
(
つち
)
の
中
(
なか
)
から、にゆツと
出
(
で
)
た
突起物
(
とつきぶつ
)
。
把手
(
とつて
)
でもあるかと、そろ/\
掘
(
ほ
)
つて
見
(
み
)
ると、
把手
(
とつて
)
には
相違
(
さうゐ
)
ないが、それは
土瓶
(
どびん
)
のツルカケの
手
(
て
)
と、それに
接
(
せつ
)
して
土瓶
(
どびん
)
の
口
(
くち
)
。
おや/\と
思
(
おも
)
ひながら、
猶
(
なほ
)
念
(
ねん
)
を
入
(
い
)
れて
土
(
つち
)
を
取
(
と
)
つて
見
(
み
)
ると、
把手
(
とつて
)
の一
部
(
ぶ
)
のみ
缺
(
か
)
けて
他
(
た
)
は
完全
(
くわんぜん
)
なる
土瓶
(
どびん
)
であつた。(第三圖
イ
參照)
第三圖(武藏嶺)
イ(土瓶) ロ(土器)
『
出
(
で
)
た/\』と
叫
(
さけ
)
ぶ。
『出た?』と
眼
(
め
)
の
色
(
いろ
)
を
變
(
か
)
へて、
幻翁
(
げんおう
)
は
覗
(
のぞ
)
き
込
(
こ
)
む。
佛子
(
ぶつし
)
は
手
(
て
)
を
打
(
う
)
つて
喜
(
よろこ
)
び。
『
嶺千鳥
(
みねちどり
)
土瓶仇討
(
どびんのあだうち
)
』と
地口
(
ぢぐ
)
る。
此日
(
このひ
)
は
全
(
まつた
)
く
大勝利
(
だいしやうり
)
であつた。
土瓶
(
どびん
)
の
他
(
ほか
)
に
完全土器
(
くわんぜんどき
)
が一
箇
(
こ
)
。
東皐子
(
とうくわうし
)
は
之
(
これ
)
を
聞
(
き
)
いて、
正
(
まさ
)
しく
都々逸
(
どゞいつ
)
の
功徳
(
くどく
)
だと
誇
(
ほこ
)
るのであつた。
味
(
あぢ
)
を
締
(
し
)
めて
同月
(
どうげつ
)
七
日
(
か
)
に
行
(
ゆ
)
くと、
完全
(
くわんぜん
)
なる
大土器
(
だいどき
)
、
及
(
およ
)
び
大土器
(
だいどき
)
の
下部
(
かぶ
)
が
取
(
と
)
れて
上部
(
じやうぶ
)
のみを
廢物利用
(
はいぶつりよう
)
したかと
思
(
おも
)
ふのと、
土器製造用
(
どきせいざうよう
)
の
石具
(
せきぐ
)
かと
思
(
おも
)
ふのと、
鋸目
(
のこぎりめ
)
に
刻
(
きざ
)
みたる
獸牙
(
じうが
)
とを
出
(
だ
)
した。
大當
(
あたあた
)
[#ルビの「あたあた」はママ]
りである。
其代
(
そのかは
)
り二十八
日
(
にち
)
には
大失敗
(
だいしつぱい
)
をして、
坑
(
あな
)
に
入
(
い
)
ると
忽
(
たちま
)
ち
異臭
(
ゐしう
)
紛々
(
ふん/\
)
たる
物
(
もの
)
を
踏付
(
ふみつ
)
けた。これは
乞食
(
こじき
)
の
所爲
(
しよゐ
)
だと
思
(
おも
)
ふ。
貝塚發掘
(
かひづかはつくつ
)
の
爲
(
ため
)
に、
余
(
よ
)
は
種々
(
しゆ/″\
)
の
遭難
(
そうなん
)
を
重
(
かさ
)
ねるけれど、
此時
(
このとき
)
の
如
(
ごと
)
き
惡難
(
あくなん
)
は
恐
(
おそ
)
らく
前後
(
ぜんご
)
に
無
(
な
)
からうである。
到頭
(
たう/\
)
此坑
(
このあな
)
を
見捨
(
みす
)
てるの
已
(
や
)
むを
得
(
え
)
ぬに
至
(
いた
)
つた。(いや
土器
(
どき
)
が
出
(
で
)
かゝつてゞも
居
(
ゐ
)
れば、
决
(
けつ
)
して
見捨
(
みす
)
てるのでは
無
(
な
)
い)
其後
(
そののち
)
望生
(
ぼうせい
)
が、
土偶變形
(
どぐうへんけい
)
とも
見
(
み
)
るべき一
箇
(
こ
)
の
把手
(
とつて
)
を
有
(
ゆう
)
する
土器
(
どき
)
(第三圖
ロ
參照)
其他
(
そのた
)
二
箇
(
こ
)
の
土器
(
どき
)
を
出
(
だ
)
し。
余
(
よ
)
も
亦
(
また
)
土器
(
どき
)
を三
箇
(
こ
)
ばかり
出
(
だ
)
した。
幻翁
(
げんおう
)
も
大分
(
だいぶ
)
出
(
だ
)
した。
余
(
よ
)
が
出
(
だ
)
した
破片
(
はへん
)
の
内
(
うち
)
に、
内模樣
(
うちもやう
)
のある
土器
(
どき
)
の
内部
(
ないぶ
)
に
把手
(
とツて
)
を
有
(
ゆう
)
するのがある。これなぞも
珍品
(
ちんぴん
)
に
數
(
かぞ
)
ふべしだ。
斯
(
か
)
くして
嶺千鳥窪
(
みねちどりくぼ
)
の
遺跡
(
ゐせき
)
は、
各部面
(
かくぶめん
)
に
大穴
(
おほあな
)
を
穿
(
うが
)
ち
散
(
ち
)
らした。
今
(
いま
)
でも
其跡
(
そのあと
)
は
生々
(
なま/\
)
しく
殘
(
のこ
)
つて
居
(
ゐ
)
る。
露西亞式發掘
(
ろしあしきはつくつ
)
は
併
(
しか
)
し
好
(
よ
)
い
事
(
こと
)
では
無
(
な
)
い。それ
限
(
ぎ
)
り余等は行はぬ。
底本:「探檢實記 地中の秘密」博文館
1909(明治42)年5月25日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
※「東皐子」と「東皐氏」、「嶺千鳥窪」と「千鳥窪」の混在は、底本通りです。
※「把手」に対するルビの「とつて」と「とツて」、「其後」に対するルビの「そのご」と「そののち」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った「
女中
(
ぢうちう
)
」「
案内
(
あんなん
)
」を、本文中の他の箇所の表記にそって、あらためました。
※ルビの抜けを疑った「
原田氏
(
らだし
)
」を、前行の「
原田文海氏
(
はらだぶんかいし
)
」に従って、あらためました。
※本文中の「‥‥」は底本では5点リーダーで表記されています。
入力:岡山勝美
校正:岡村和彦
2021年7月27日作成
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