釣心魚心

佐藤惣之助




 最近の釣界の傾向として、唯釣ればいいといふ濫獲らんかく的な傾向が無くなつて、いかにして釣るかどうして釣れるか、といふ研究的な態度が多くなつて来たのは、先づ喜ぶべき傾向であらう。
 もっともそれは、魚も昔のやうに不断には釣れなくなつたのにも帰因してゐるが、とにかく釣人にインテリゲンチヤが増加して来て、魚の習性や環境まで研究し、いかに巧緻に釣るか、いかに釣つて愉しむか、その心理的な釣りの味が、等しく一般によく触透しょくとうして来たからにも拠るであらう。
 明治時代の「釣人気質かたぎ」といふものは、徳川期の引継ぎ見たやうなもので、閑人的、逃避的、世捨人のすることで、暇があるから釣る、時間をつぶす為めに釣るといつた形であつたが、現代は忙しいから釣りで愉しむ。時間が無いからせめて釣りで時間を得ようとする傾向になつて来て、多くの東京の釣人と云へば、最も繁忙な職籍に在る人が多い。そこで釣りもスポーツの一種になつて来たのだ。
 新聞では、天気予報やしおや、或は季節の魚の場所まで報告する。そのテクニツク、用具までも紹介するといふ事になつて来たので、どつとアマチユアが増加して来た。この傾向は釣りが益々盛んになつて喜ぶべき現象である。以前は、釣人気質といふものは、非常にエゴイスチツクで、素人に釣場を荒されたり、又折角のよい場所も人に知らせないで、独り楽しむといつた調子であつたが、今は人に知らせる、人と共に釣る、そしていかに場所や魚を研究しようかといふやうになつて来た。併し今でも京浜間の一部の船頭などが、魚の状況や場所を訊かうとすると「自分の箪笥たんすの中のものを人に知らせられるか」と、さも場所を財産のやうに心得てゐるが、何ぞ知らん、アマチユアでも相当の者になると、彼等の薬籠やくろう中の場所へどんどん踏込んで、彼等に対抗するだけの釣りをして来る。これは彼等にとつて大恐慌なので、だんだんよい船宿や船頭がなくなつて来る。それに釣りの船頭といふ奴は、文化と反比例する程古風で、研究心といふものは微塵もなく、唯職業的に貰ひ面をしてゐるばかりであるから、どんどんアマチユアの研究家に追ひ越されてしまふ。どこにどういふ根があるか、魚は春秋にどう移動するか、それも現在は略々アマチユアに獲得されて、彼等は唯日当を目的にそこへ行くやうな傾向になつて来た。
 何しろアマチユアの有難さには、固定した漁場を持つてゐる訳ではないから、交通網によつて何処へでも走り、どんどん処女地を開拓して来ることで、これには土地のうわばみ見たやうな釣師も驚いてゐるであらう。近年鮎が盛んで、鮎のゐる川なら遊釣りのアマチユアが乗り込まない所は無くなつて来たから、益々版図が広く面白くなつて来たに反し、彼等は税金だとか漁業権をやかましくいふ位なもので、自然に自滅するやうな有様となつて来た。この分でゆくと、もう十年もしたら、日本はほんたうに明るい愉しい釣技を、スポーツとして味はへるであらう。
 それに、これから釣りを始めて見たいといふ人へ、少々老婆心を出して云ひたいことは、釣りといふものは全く今迄のやうに、むちやんぽんに始めても、決して面白くないといふことだ。といつて何も、むづかしくならべ立てる訳でもないが、暇があるからやつて見よう、人に連れられて来たからやつて見ようでは、決して面白くもなく、又永続きもしないであらう。
 尤も誰だつて初めは、人に誘はれ人に餌をつけて貰ひ、竿を借り、そのコンデイシヨンを教はるに違ひないが、いつまで経つてもそれでは面白くない。まるで昔の殿様のやうに、釣れないと家来が水を潜つて行つて、殿様のはりへ魚を付けて来て、引く真似をされても解らないやうでは心細い。二度目からは、一切自分で試みることだ。自分で仕掛けを買つて、作つて置いて、さて何魚を狙ふか、何処へ出掛けるか、その見当と期待が面白いのだ。これからなら、ヤマベ、ハヤ、アユ、川エビ、フナ、海ではカサゴ、メバル、カイヅ、キス、スズキ、と、五月は海が開く、地球が若がへつて、たつぷり水を持ち、熱を持ち、美しい魚を自由に釣らしてくれる。その中から最も容易な奴、或は環境のよいものを選び、その習性や場所を尋ねて出掛ける。そして天候や潮の間を巧に狙つて、一日愉快に釣るとなると、釣りといふものが、決して競馬や麻雀の類でなく、チト自然科学的なスポーツだといふことが解らう。
 れに、倫糸みちいとのテグスの結び方一つ、鈎の選み方一つ、或は沈子おもり、又は竿の調子、餌のさし方、それぞれ微細なところで、失敗したり、成功したり、潮の見方とか、天候の様子によつて場所の違ひとか、魚の出来如何とか、いろいろの臆測や期待があるので、ますます一切を自分で試みることが愉快になる。魚のかかつた竿を人から持たせられたつて、決して面白いものではない。自分で掛けて、自分で獲るといふ事が目的で、又その魚独特なアタリ(引き)が興味の中心である。
 例へば、鮎のアタリの、その突張り、ツンと来る手応へ、同じやうなキスのアタリ、メバルの一本調子、鮒のチヨンチヨン、スズキのグウといふ引込み、最後のエラ洗ひの跳躍、カイヅのひれ打ち、強い横馳けなどといふものは、一寸ちょっと文字では表現しにくい、実際にその人の感覚に訴へないでは肯けるものではない。従つて、肥つてゐる人、痩せてゐる人或はその気質によつて、めいめい好みの魚が違つてくる。これは面白い現象で、何しろ天然の溌剌とした奴を、青冥せいみょうを截つて水中から引上げるのであるから、その細い一本のテグス、一挺の鈎にさへ全我の興味が懸る、胸が躍る。キユツと来て、グイと持ち込まれ、それに応へて、前後左右になやしてゐる瞬間といふものは、釣りの恍惚境で、いかな名人と雖も、あらゆる名利みょうりを忘れて争ふこの格闘心理といふものが、釣りのクライマツクスだ。
 そこではじめて、鮎なら鮎、キスならキスが好きになつて、先づ一つの魚から研究して行くといふことになる。それには経験と共に、魚の習性、場所、季節と天候、餌と道具といふものが中心になつてくる。さうなると、釣れる釣れないが問題でなく、いかにして失敗したか、どういふ理由で釣れたか、といふ事が注意されてくるから、アブレても、失敗しても決して懲りることがなく、釣れない理由、失敗の理由がハツキリするだけで、研究心が満足される訳だ。
 先日、ある旅行雑誌を見たら、その中に日本中の「峠」を歩いて研究してゐる人があつた。又「岬」を歩いて研究してゐる人があつた。ああいふ意味で、釣りも、先づ自宅近くの池や小川から、だんだんに大河になり、湾になり、島になり、磯や灘から大洋を研究するのも面白からう、僕は先日それをラヂオで力説して置いた。
 近頃のやうに、縦走やキヤンプが流行であるから、例へば多摩川とか利根川とかを、谿谷から河口まで釣つて歩いたら面白からう。どこまでがイワナ、次がヤマメ、次がアユ、その下がハヤ、イナ、ハゼ、ボラ、スズキ、カイヅとなるか。四五人で釣り下ると、地学的にも興味深いものになるので、この夏は是非同志を募つてやつて見ようと思ふ。然し僕の現在の釣友範囲では、先づアユならアユ、タヒならタヒと、日本中馳け廻つて釣るといふ傾向の人が多い。何しろ江戸期からの流行のキス、タナゴが衰へて、今年も亦アユ全盛であらう。そろそろ関東でもタヒが流行し始めて来た。その他にはヤマメ、フナ、カイヅと、専門に釣り歩いてゐる人があるが、樺太から台湾まで、一つの魚をすなどつて歩くのも面白いとして、更に地理的に、一つの河川、一つの江湾を研究するのも面白からうと思ふ。
 もちろん、それには、陸に夏山と冬山とがあるやうに、海などには四季によつて、釣れる魚が異つてくる。一ヶ年中釣らなければ、その一々の江湾だけでも凡ては解らない。そこにかなりな困難があるとしても、大略の釣暦つりこよみといふものは出来る筈であるから、おおいにアングラーのために役立つ。近い東京湾、駿河湾、或は房州沿岸はほぼわかつて来たが、まだまだ海や河の秘密といふものは億劫であるから、うかつなことは云はれない。その点で古風な職釣の漁夫ばかりに任して置かずに、大にアマチユアの探検が必要ではあるまいか。現在では瀬戸内海の職釣人も、伊豆や相模の大物釣りの漁夫も、どんどん遠洋へまで乗出し始めたから、その後陣はアマチユアが承はらなければ、日本の釣道も発展しまいと思ふ。
 そんな意味から、いよいよ五月の釣期だ。外国流に外洋の大物をやるのもよし、池のタナゴや口細から始めるもよし、とにかく子供と違つて、いつぱしのインテリゲンチヤがやることであつたら、何だ釣りかとぐらゐに片づけずに、本気で研究して貰ひたいことだ。大方初歩の釣方なら、新聞にも雑誌にもそのコンデイシヨンは載つてゐる筈であるから、一人でも多くといふより、一人でも深く、いかにつり、いかに釣つたかといふことを発表しあひ、お互に面白い釣りを教へあつて、今年もよい釣りが出来、アメリカあたりからも日本へ釣りにきて、その味を満喫さしてやりたく思ふ、――それが先づ現在の僕の願ひだ。
(昭和八年四月二一日)





底本:「集成 日本の釣り文学 第一巻 釣りひと筋」作品社
   1995(平成7)年6月30日第1刷発行
底本の親本:「釣心魚心」第一書房
   1934(昭和9)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「それに」と「れに」の混在は、底本通りです。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:門田裕志
校正:hitsuji
2019年4月26日作成
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