日本の釣技

佐藤惣之助





 最近都市居住者の中に、恐ろしい勢ひをもつて流行してゆくものの一つに「釣り」がある。そして一部の識者の間には、※(始め二重括弧、1-2-54)釣りをスポーツ化せよ※(終わり二重括弧、1-2-55)の叫びがあり※(始め二重括弧、1-2-54)スポーツ天国、釣り味※(終わり二重括弧、1-2-55)を高唱する人さへ出て来た。
 臨海国としての日本が、その周囲にスポーツ味のある釣りを、今更発見したやうに騒ぎ立てるのも妙であるが、元来遊釣といふものがその生活環境とよく同化してゐて、何等の特殊な感興も認めず、永い間やつて来たので、全く今日のやうに人々の興味を惹くことが少なかつたに起因してゐる。誰しも子供の時には鮒ぐらゐ釣つてゐる。ハゼやタナゴも釣つてゐるので、釣技といふものは決して珍らしいものではない。そこで※(始め二重括弧、1-2-54)何だ、釣りか※(終わり二重括弧、1-2-55)といふ事になつて、釣りをする程人々が有閑的で無くなつた。ところが最近は又生活が極度に忙しくなつて、人間が事務的、機械的になると、その反動でこの原始的で有閑味のある「釣り」が恋しくなり、土曜、日曜には、一日ゆつくり谿谷や海上で「釣り」を楽しまうといふ人々が続出して来た。
 歴史的に見ても、釣りを遊びとして認めたのは、やつと徳川期になつてからであつた。神話時代には、神功皇后が船待ちの徒然つれづれに、裳の糸をぬかれて、初めて鮎をお釣りになつたと云はれてゐるが、その後の海幸山幸うみさちやまさちの話にしても、今でも石器時代の骨の釣針が貝塚から出ると同じで、原始生活者にとつては「釣り」は生活の一部であつた。魚を食料とする需用じゅよう上の事で、決して反動的な「遊び」ではなかつたのだ。その後平安朝期にしても、「滝殿たきどの」で鯉などを釣つて遊ばれた事はあらうが、溪流や海へ出て釣り遊ぶといふことはない。それは漁民のする業で、「天の釣舟」は客観的にオツなものであつたらうが、すなどる業といふものは下賤のする事であつた。戦国時代にしても、流刑に逢つて釣りをしながら、辛くも月日を送つたくらゐのもので、尊氏も頼朝も、「釣り」などといふ事はしなかつた。文献の上から見ても、世が太平であつた徳川期になつて、初めて吉良上野介こうずけのすけの甥の津軽采女正が、『河羨録』といふ釣りの本を書き、次で黒田如柳にょりゅうの『釣客伝』が出たくらゐで、あとは黄表紙ものの材料として、釣師などがカリカチユア化されてゐるばかりである。して見れば、「釣り」といふものを、即ち「遊釣」といふものを認めたのは江戸時代である。それ以前はことごとく「職釣」で、漁夫が生活のために釣りに出るか、子供か川や海に近い人が、ちよつと真似する程度のものであつた。
 釣りに関する書物は、江戸時代から引続いて明治になつても現はれた。そして専門の研究雑誌も出るやうになつたが、今日確かな統計に拠ると、東京市内に釣りをする人が二十万人ゐる。その内の五万人は、先づ「釣り」専門のコンデイシヨンを心得て、近郊の海や川へ出掛けてゐるといふ事である。従つてアルプス山中の岩魚いわな、日光のます、伊豆沖のたい釣りも珍らしい事では無くなつた。


 釣道、或は釣技といふ言葉があるとすると、その魚の習性や環境もあるが、「日本の釣技」は確かに日本独特の妙諦がある。先づ社会学的に見れば、釣りには「職釣」と「遊釣」とある。地理的環境的に見れば「海釣り」と「川釣り」がある。そして更にテクニツクから見れば「手釣り」と「竿釣り」がある。そしてその何れもが、世界的に見ても決して「日本の釣技」は他国より優るとも劣つてゐないといふ事は今日確かだ。
 釣りに関する世界的宝典と云はれてゐる英国のウオルトンの釣書にしても、その環境や技術が日本のとは大分違つてゐる。アメリカあたりでは、釣り即スポーツとして、一丈もある虎鮫などを釣つて、そのままボートを引張らせ、海を馳け廻るなんて痛快なことをやつたり、キヤンプ生活で、盛んに鱒釣りをやり探偵小説のヴアンダインなどが得意になつてゐるが、日本の釣りは比較的ブルジヨア的でない。外国のはゴルフか銃猟のやうなものであるが、日本のは野球か散歩の延長ぐらゐなものだ。現今流行し出した釣車リールにしても、紐育ニューヨークの海岸とか、日本の北海道ではよいかも知れないが、先づ微妙な魚を釣るには適さない。支那では詩人の皮日休などが、千年も前に使用したと云はれてゐるが、日本の独得の釣りの味は、どうも短い竹製の竿に限るやうである。それを手釣りは職釣らしく、短いハネ竿でもなく、鮎もせいぜい二間半ぐらゐが、片腕にひびく微妙な味の適度である。フランス人は日本人に似てゐる点でよく引合ひに出されるが、セーヌ川あたりで釣つてゐる人の話を聞いても、あまり長い竿は持つてゐない。車竿で倫糸みちいとを四十尋出すとか、鮎で五間半の長竿を用ひ、海津かいづでも四間半などといふのは、どうも面白くない。それに日本特有の竹竿は外国へ行つてはあまり使へない。国によつて竹はすぐ折れる。日本でも自慢相に外国製の籐竿を、釣堀で振廻してゐる人があるが、竹という最適品があるのにと思ふとお可笑しくなる。日本は竹竿だ。そして釣りは長竿で二間半までだ。その点で私は『鮎を釣るまで』の著者、藤田栄吉翁の説に賛成する。第一、外国では釣道具が高価だ。釣場が不便だ。余程の好きでないと金と時間と場所が一致しない。ところが日本は簡単すぎる。すぐ竿も鈎も手に入る。川や海も近い。釣れる魚も多いといふので、この点は臨海国として、島国日本のいかにも有難いところだ。
 従つて日本人は、他の工芸品のやうに、竿や道具にしても、微に入り細を穿つ。釣りのコンデイシヨンにしてもさうだ、遊釣としては最大がますたい、スズキのやうなもので、高々七八百匁を程度とする。十八貫のおひらめ、三貫のまぐろふか、その他大物を狙ふのは、徒らに骨が折れて、職釣としては効果的であるが、遊釣としては適度でない。この点で「日本の釣技」は、小さく多く、第一がカン、第二が天候、第三が場所、仕掛けとなるのだ。


 江戸期から明治へかけて、東京人の釣りが盛んになるにつれ工芸的にも名のある竿師や道具師が出た。鮎、鯉、きすなどの専門の竿が出来る。秋田糸や人造テグスの発明、沈子おもりの改良、毛バリの創作といつた風に、だんだんと明治の釣りから大正昭和の釣りは変つて来た。鮎は友釣りとドブ釣りが盛んになり、明治の釣師が知らなかつた飯蛸いいだこやダボハゼ釣りなどが、今では釣りの一項目となり、南アルプスの岩魚いわな、琵琶湖のヒガイ、日光の鱒が、釣徒の釣心をそそるやうになつて来た。
 現今では何といつても鮎釣りが人気王であるが、江戸期には今のやうに交通が便でなかつた故か、キス釣りが人気の中心だつたやうである。上総の船頭仁兵衛といふ男が釣り広めたと云はれてゐるが『河羨録』や『釣客伝』の著者にしても、このキス釣りに最も力を入れてゐるところは、釣りにも流行があつて流行る釣りと流行らぬ釣りとあるのが微笑まれる。美人画の春信までが「美人鱚釣図」を描いてゐるし、北斎や広重も野釣りやハゼ釣りを描いてゐる。確か其角にも根釣りの句があつたやうである。
 その点で東京を中心とした釣りは、今でもキス釣りが喜ばれてゐる。野バラが咲くと川の手長エビ、罌粟けしの花が咲くとキス、麦の花が散ると鮎といふ風に、昔から月令によつて釣暦が出来てゐる。大江戸の通人は雪の日でもタナゴ釣りをやつた。昔の交通機関が猪牙ちょき船で、浅草深川が文化の中心であつた故か、江戸人は川と小舟を好んだ。そして屋形やかた船で雪見酒をやり乍ら、木場あたりの川岸へつけて、障子の蔭から鯨骨と象牙の一尺ばかりの小竿を出し、炬燵にあたりながら、タナゴを釣つて白焼きにし、三杯酢につけて酒の肴にした。そして倫糸みちいとは処女の髪の毛、はりは純金だつたなどといふ説が残つてゐる。それから一般には春の乗込み鮒、鯉、やがて初夏のキス、真夏のあじ、秋のボラ、アナゴ、秋には又紅葉鮒とも云つて洒落たものとしてゐた。
 きす脚立きゃたつ釣りといふのをやる。海中の浅瀬に脚立を立てて、その上に一人宛乗つて黎明の潮の中を釣る。乗込み鮒は野外散歩で足で釣ると云はれピクニツクの好伴侶だ。そして秋のアナゴ釣りは、小舟の中へ行灯あんどんをつけ夜釣りになる。ボラは海苔のりのシビの中で、ゴバウヌキと称して、竿でグツとぬくやうに釣るのが江戸前とされてゐる。さういふ点で江戸期の釣書にはキスやボラの釣場、海図などをくわしく説明し、先づ東京湾の半分は探査が行き届いてゐる。尤も現今と違つて当時は魚も多かつたし、相応に贅沢な遊びでもあつたから、釣りといふと船宿にしても船頭にしても、かなりに収入があつたに違ひない。私達が少年時代にも、品川あたりの町芸妓がキス釣りなどの話をするのが、一つの社交的知識としてゐた程であつた。


 前にも述べたやうに、一口に釣りといつても、いろいろに分類が出来る。私は以前釣人を中心にして、「海鳥型」と「野猫型」に分類した事があつたが、海釣りの好きな人と、川釣りの好きな人があり、更に大物の好きな人と小物の好きな人とがあつて、その人の特有なコンデイシヨンで釣るのが、釣独得の興味のあるところである。その他に又近頃盛んな釣堀、競技釣り、ハイ縄などがある。
「海鳥型」の釣人は、主として海を翔り、十尋から三四十尋の深所で、赤鯛、スズキ、黒鯛、サバ、太刀魚たちうおあじこち、カレヒ、ブダヒ、モヨ、カサゴ、タコ、イカ、アイナメなどを釣る。もちろん昔ので押して出掛けるのと違つて、現今は悉くモーター船であるから、品川から三崎までだつて楽に行ける。然しそれには船頭も腕の相応にある者をつれて、一昼夜とか二晩泊りぐらゐで出掛けるのであるから、乗合ひで三四人行くならともかく一人では相応に費用が要る。なかには房州、三崎、浦賀、或は遠く鳥羽に、清水に、佐渡に行つて漁船にさへ乗せて貰ふ人があるが、先づ日帰りか前夜に出て翌日夕方帰る程度がよろしい。そしてこの釣りにはブルジョア階級の人が多い。テクニツクは大略手釣りで糸は三四十尋ものびる。
「野猫型」の釣人は、ブルジヨア型の人が、鮎に遠出して、旅館に滞在し谿谷をすなどる人は別として、先づプロレタリアの釣りだ。どこの川でも池でも、随時に出掛けて行つて、厭ならすぐ帰る事も出来るし、朝から晩まで誰にも逢ふ事なく、魚を友として閑日月の快適さを味ふによい。特にこの型の逸なるものは寒鮒だ。寒中の吹曝しの川のやぶの中に跼つて、置竿の先の微動を見つめてゐるなどは、独釣として南画にありさうな興趣である。殊に又鯉などになると、二十日に一本釣れればよいとして川へ通ふ。鮒を釣るに三里も歩く、その他鮎にしてもハヤにしても、或はイナ、マルタ、川エビ、タナゴにしても、とにかく野原の猫のやうに、草の中を馳け廻つて、魚の棲家を探し、場所を選定してから、おもむろに釣り始める。誰しもが少年時代には、必ずこの「野猫型」から、釣技といふものを覚えてゆく。
 釣堀は、鯉、鮒、或は海魚のもあるが、弊害は賭博釣りだ。そして釣つた魚が飼ひつけで、色も悪いし、海や川の原生的溌剌さが失はれてゐるから、決して面白いものではない。然し初心の人、殊に婦人や子供のためには、在つても面白いものである。そして又東京には釣堀通ひ専門の人があつて、竿や道具に苦心し、魚にも相応の技巧が必要となつて来て、所謂「通」があるから、うかつな事は云はれない。但し私は釣堀の釣りは、あんまり好きでないといふ事は、個人的に云ひ切れる。いかに魚に痛疼感が無いといつても、飼つてあるのは不自然だ。


 釣りの上手下手は只一つそのコンデイシヨンにあると謂はれる。勿論経験が主であるが、いくら経験があつても下手な人と、すぐ調子を覚えて上手になる人とある。要は其中の自分の好む釣りを、自分らしい感覚技巧、コンデイシヨンでやる事である。初めは鮒、ハゼなどで覚え、四季の釣暦に従つて一周りすると、その人らしい好きな釣りに出逢ふ。そして鮎なり、キスなり、黒鯛なり鯉なりを一つ研究すればよいのだ。
 その内に天候、風と雨、月と潮の関係が解り、大潮の上ゲ、小潮の下ゲ、南風はえの時は何処、東風こちでは釣れぬ、そよそよ北風がよい、その他雨上り、水の濁り、曇り工合、又朝夕のマヅメ時――といつた状況が会得されてくる。いくら上手でも、天候には勝てない。尤も荒れ日を狙ふ釣りもあるが、何といつても大潮の上げ、そして朝夕のマヅメ(薄明)軟風といつた工合の時がよい。海ばかりでなく、川でもそれがある。夫れに従つて魚の習性に親しむ。底にゐる魚か、中層にゐる魚か、浮遊性のものか、それによつて仕掛けが違ふ。技巧も違ふ。更に次は場所、海の深さ、底は海泥か岩礁か、所謂「根」があるか無いか、川なら淵と浅瀬の水流、水かさ、砂利の工合といつたものをよく観察する。それが釣りを始めてから、人並に釣れるやうになり、更によく釣るやうになるかならぬかの試練である。
 然し自然はなかなか意地悪く出来てゐるから、明日は日曜だから出掛けて見ようとすると、風だつたり雨だつたり、莫迦ばかに天候がよいと思ふと小潮や潮変りで、一日海流がのたりのたりしてゐたり、或は出水で瀬が濁り、よい釣場には先着者があつたり、なかなか思ふ様には行かぬものである。その点から釣堀の方が楽でよいといふ人もあるが、矢張り釣りはその自然の大きい懐へ飛びこんで、格闘するくらゐの勢ひでないと面白くない。風と闘ひ、雨を犯し、夜蔭に乗じ、自然そのものの申し子のやうな原生魚類を引かける――といふ所に興味がある。その点で又、手釣り、脈釣りで、深所を愉しむ人と、竿で弓なりに魚を浅い水からぬく快味を主張する人とがあるが、何方にしても、「釣りとは自然との能き闘争」でなくては面白くない。殊に日本のやうに海の状態や、溪流や沼や池が、巧みに配置され、その風色にも恵まれてゐる国では、思ふ存分その原生的な魚との戦ひを味ひ、溌剌たる運動を続けるには、その環境とコンデイシヨンを充分に研究する必要がある。特にこの釣りの感覚には、日本人程優れてゐる国民は余り無いやうである。


 では、釣れる魚にどんな種類があり、何が最も興味があるか――となると、それはその人の釣技の階程と、更にその好むアタリ(魚の引き)にあるといふ事が云へる。魚はその形体が違つてゐるやうに、アタリも違ふ。ピクピク、トン、ググといふ手の感覚が種々に伝はる。そこでこのアタリは何だナと、釣り上げる前に鑑定がつけば先づ一人前だ。
 川では鮎、鱒、鯉、鮒、ニゴヒ、ハヤ、モロコ、ヤマベ、イハナ、ヤマメ、タナゴ、うなぎなまずどじょう、ハゼ、イナ、などが釣れ、海では、鯛、すずきこちかれいあじきす烏賊いかたこ、カサゴ、アイナメ、ソイ、平目、小松魚、サバ、ボラ、メナダ、太刀魚たちうお、ベラ、イシモチ、その他所によつて、百種以上のものが釣れる。それに日本では、魚ほど方言の違つてゐるところはないから、青森と鹿児島、房州と能登では非常に違ふ。北海道で油子といふのが、関東のアイナメで、関西ではアブラメ、佐渡ではシジウなどといふ。ましてイナなどは、宮崎ではツクラ、熊本ではエブラといふ。各海岸地帯ではアラビヤ語のやうな調子で、魚の名を種々に呼ぶ。そして又、その海浜地方独特の釣り方があり、魚の習性もその環境によつて多少違つてくる。東京でカイヅ、関西でチヌといふ黒鯛も、茅沼ちぬま鯛といつて種類が多いが、これは四五月から十月まで全国一斉に釣れ始め、そのアタリの荒く強いので、面白い魚であるが、例へばアマゴといふ魚は関東にはなく、確かに公魚わかさぎだらうと思ふ魚が、北海道へ行くとチカと呼ばれてゐたり、琵琶湖にゐるモロコやヒガイが、関東にゐないといふ人もあり、各府県人が集ると、きつと名も知れない魚の話になる。甲の国ではヅヅといふ魚が釣れるといふし、乙の国ではバツといふ魚が釣れるといふ風に、魚学者でも困るやうな場合がある。これはやがて全国で釣れる魚の総覧表でも作つて貰はないと困るが、古くは武井周作といふ人の『魚鑑』或は栗田鋤雲といふ人の『鯛譜』これは理博の白井光太郎氏の秘蔵書であるが、日本には鯛が八十余種ある標本である。
 それには悉く又はりも違ふ、仕掛けも違ふ、底釣りのカレイ、アイナメ、コチ、ハゼ、カサゴの仕掛けでは、サバ、アヂ、スズキなどの中層にゐる魚は釣れない。そこで一通り鈎を揃へるとすると、少くとも三四十種はある。丸形、袖形、狐、三腰、スレ鈎、鰻、タナゴ、エビといふ分類から、鮎の蚊針かばりなどになると、色と糸の巻き方が一色違つても名が違ふ、それに土佐、加賀、と産地があつて、悉くあつめたら千余種にのぼるであらう。それに倫糸みちいと、渋糸、秋田、人造天グス、それも種類があり、更に竿となると又各々違ふ。従つて道具を揃へて愉しむ人と、道具はその場その場で変へて、只よく釣るといふ人とが出来てくる。それに又仕掛けを自分で作るといふ事は、愉しい事の一つで、明日出掛けようとする時には、誰しも前夜に自分独特の工風くふうを凝らした仕掛けを用意する。そして目的の魚を、あじなら鰺、カイヅならカイヅと定めて、外の魚は「外道げどう」と称して、目的の魚以外には狙はない。何でも釣るといふ事は計画的に釣りに出る人には面白くないのである。


 そこで仕度が出来て、イザ現場で釣り始めるとなると、その気持、殊に昂ぶる心理状態といふものは、又言外の玄だ。
 よく人は、釣りする状態を見て、悠々たる、のんきな、閑日月的の典型と見るやうであるが、それは外観だけの事だ。成程外観は東洋哲学的で、瞑想する如く、一竿をのべて山水に対し、青海原の青冥せいみょうとともに、悠々として水天一如の境地にあるやうに見えるが、あの気持を大きくいふと、真剣音無しの構へだ。いつ魚が打込んで来ないとも限らない。うつかり他の事でも考へてゐようものなら、ツンと来てすぐ餌を取られてしまふ。釣りの現場では、一日魚が一尾もかからなくとも、常に今にもかかる心組みでゐないと釣れるものではない。ハゼのやうに、向ふで勝手に食つて、勝手にかかるものですら、此方が誘ふやうに食つたらハヅサヌやうにしないと能率があがるものではない。まして鮎、ハヤ、スズキ、鯛、キスのやうな敏捷な魚は、うつかりぽんとしてゐたら一尾だつて釣れるものではない。考へる、狙ふ、呼吸をつめる、手加減する、そして潮を考へ、水層を思ひ、時間や風雨を究め、餌鈎を注意し、甲の場所から乙の場所へ移動して、其の日の魚の状態を考へ乍ら、あらゆる方法技術を試みるのであるから、頭の中はそのコンデイシヨンで一杯である。煙草をむ暇もない――といふのが適切である。その点が実に自然科学の研究と同じだと思ふ。もちろん釣りをするといふ観念は、東洋哲学的であるが、その心理状態は全く科学的に働かなければ、単なる太公望の形式を真似るに過ぎぬ。
 それには魚がかかつて、ググと来たり、ツツンとあがつてくる瞬間の法悦境、そのアタリと魚を全く掌中のものとしてしまふまでの何秒間、それが釣技の深奥の目的であり陶酔境なのである。いざ大物が来て、ググと引上げに苦心してゐる最中といふものは、何物にも換へ難い。よく人は魚のかかつた竿を、傍の人が一刻持たしてくれといつても、千金に換へても持たせられぬといふが、あれは本当だ。バラスか釣りあげるかの瞬間には、いかな名人でも心臓が高鳴る。危い、危いぞ――と思つて、電光石火で魚をあやなしてゐる心持といふものは、あらゆる目的と効果を一つにした時であるから、殆ど夢中だといつてよい。それが経験次第で巧妙になり、充分その気分を味ひ乍ら、悠々、或は躍如として魚をあげるまで――それが主眼だ。これあるがために、夜蔭を犯し、風浪を衝いて、どこまでも出釣りするといふ気持になるのだ。「釣りは最後の道楽だ」と謂ふ。まったくだ。この法悦境に年齢はなく、又心理的区別がありやうがない。微妙深尽の感覚、魚のアタリは一点懸つてその瞬間にある。


 夫れに面白いのは、永年釣りをやつてゐた人には、それぞれ釣り方に癖があるやうに、各自自分の好きな魚が出来てくることだ。これはその魚が特に上品だとか、美味だとかといふ以外に、そのアタリ工合が得も云はれぬ――といふところに起因してゐる。
 更に不思議なことには、釣りの好きな人物には、極端に痩せた人と、又肥つた人が多いことだ。これには何か生理的な原因が無くてはならない。そして誰しもが四十を過ぎないと本当に釣りが好きにならないことだ。若い人のはスポーツ味から来るが、年をとると確かに性欲セクスから来る。もう今更恋愛にも飽きたといふ人が、陥ちるところは釣りだ。これは確かに、あの魚のアタリと微妙な関係が無くてはならない。
 例へばあの鮎の清冽な、一本気な、ツツンといふアタリ、勢ひのいい引込み、横がけに逃げる引きの強さといふものは、確かに処女だ。処女の持つ純真味だ。海のキスも同じこと、キスは海の鮎といつてもよい。ところがカイヅ、黒鯛となると、チヌチヌと称して小さい一年魚でさへ、相応にアタリの味に技巧を見せる。まして四五年のものになると、先づ尾ヒレでそつと餌をはたいて、くるりと廻つて、嚥む真似をしてから、初めて餌をくわへ、大丈夫となるとグツと一呼吸に引込む。その習性などといふものは、確かに玄人の技巧だ。古風な芸妓の恋の技巧だ。アバズレでしかも一本気で、地獄へまでもといふ意気がある。そして鯉などは又大物だけに、昔話の王妃の恋か、或は高貴の婦人のやうなところがある。池の鯉はさ程でもないが、野鯉、即ち川の王になると、はづす事も多いが、かかつたとなると、グンと来て、アツといふ間によく倫糸みちいとをブツと切られる。一貫目近い奴が来たら、巧みに受けとめるといふまでには、人間も大臣か高官になるだけの力量と度胸が要る。そこへ行くと、ボラなどは未亡人といふよりも後家さんだ。居る場所へ行つたら、餌を喰はなくても小さい錨をつけて、引掛けて釣る。至極貪婪でのんきで、しかも気の強い奴だけあつて、沈子おもりで魚頭をコツコツ叩いても逃げはしない。引掛け損ねたら荒れるが、先方でグツと錨へ乗つて来たら、一気に引ぬいてしまつて、ドカリと舟へ落すくらゐだ。
 さういふ風に、魚と女性とを比較しては失礼であるが、先づ男性へまで感じられてくるところの恋愛技巧と、その魚の習性とは確かに類似してゐる。ハゼなどは安い女給さんだ。メバルなどは銀座の女給だ。ハヅレ易くて、口が大きくていくらでも喰ふ。タナゴは雛妓だ。はりと餌を注意しないと口へはひらない。フナは町娘だ、歩いて捜す。コチ、カレヒなどは、底を引いて、エビを餌にするから、先づ二号の女といふところだ。そいつをくわしく説明したら、艶笑魚アタリ草紙でも書かないと追つかぬ。


 然し釣りの心境といふものは、帰するところは静寂な自然への復帰だ。溪谷、川、海、池、沼にしても、その朝霧、日の中、夕靄、星、月の下にあつて、一切の生活環境からくる騒音を洗ひ清め、苦い生活心理の酸味を吹き飛ばし、肺に心臓に悠久たる自然の新らしい呼吸を詰め変へる。それを逃避だといふ風に見る人もあるし、児戯に類すると見る人は、プラグマチズムの持主であつて、少くとも東洋哲学の真諦を予想出来る人には、そんな小乗的な功利的心境ではないといふ事が実験されるであらう。
 不思議な事には、釣りの現場に臨んで、家の事や仕事の事を考へてゐたら、少しも魚が来ない事だ。よく人は釣りでもして、ゆっくり[#「ゆっくり」はママ]運命を考へたり、何か目的に就いて静思したらよからうといふが、釣りをしてゐると、だんだんそんな事は考へられなくなつてくる。毎日海へ出たり、溪谷をわたつてゐると、やがてこの世界の栄達といふやうな事を願はなくなり、金とり仕事などが厭になつてくる事だ。といつて、金と暇があつて、何不自由のない人といふものは、又ふしぎに釣りが好きでない。釣好きといふものは、繁忙の生活をしながら、一方自然への愛慕を忘れぬ人に多い。
 然し最近は、さういふ古風な人達ばかりでなく、アルプス登攀の人々が岩魚いわなを釣るとか、海水浴に行つた人が、沖へあじや鯛つりに行くやうになつて来て、東京湾や江東方面に限つた事もなく、釣場の版図といふものが、非常に広くなつて来たから、釣りをスポーツと見る事が、実際に証明されて来た。この傾向は大変によいと思ふ。もし国際的な魚釣り会などがやがて催されるとなると、先づ選手は日本から多数に出るといふ自信はある。由来西洋人は手巧には不得手であるから、よく場所と魚とを研究してかかつたら、先づ釣技といふ点では日本人が最高レコードをつくる事は明かだ。その意味で私は、もつと魚釣りといふものが、或る一部の人々の遊びでなく、広く一般の愉しい小スポーツとして存在さるべきものでありたいと思ふ。その環境から云つて、日本程釣りに恵まれてゐるところはないのであるから、集団的にも又個人的にも、この夏と秋をよく魚釣りに興じて、その人々の健康や自然への親しみを倍加して貰ひたいと思ふ。

一〇


 そして最後に私の云ひたいと思ふことは釣道精神といふものの確立だ。
 元来釣りといふものが、個人的な遊びで、従来の釣好きの人といふものは非常にエゴイストが多い。最近こそ新聞雑誌で、その方法や秘伝、又は釣場所などを公開し始めたが、旧態を保持してゐる人々には未だに自分で発見した場所とか、秘伝といふものを人に知らせず、一人天狗の名人が多い。又さういふ人に限つて、鮎の釣場などで、人の邪魔をしたり、釣堀でも意地の悪いことをする。さういふ事はなるべくないやうに、お互ひが獲物の多少を争ふことなく、清く正しく釣技を楽しみたいものである。
 沖や防波堤附近の職漁者にしてもさうだ。何だか自分達の畑を荒されるやうに考へて、禁止されてゐるタタキ網をやつたり、釣船宿の船頭までが、沖の「根」を自分の縄張りと心得て、他から来た釣船を入れなかつたり、わざと間違つた釣場を教へたりする。然しさういふ低級な人間は別として、明るく大きく釣りをスポーツとして、誰しもが魚が減るとか、獲物を荒されるといふ小さい観念をすて、よくその川の魚の育つやうにし、又今年のキスはよいとか、カレイや[#「カレイや」はママ]豊富だとかいふ事を知らせあひ、大きい自然の意志を読んで、四季とりどりの好い釣りを愉しみたいものだ。
 今年は横浜の防波堤でさへ、官憲の好意で、自由に釣れるやうになつた。鶴見の埋立、川崎の防波堤では、料金をとつて、一定の釣り案内をしてくれる。又新宿からは鮎釣りの臨時列車も出たし、各府県が同じやうに釣徒のために好意を持つて、その河川を拓いてくれるから、日本は鹿児島から北海道まで、自由にその特有の魚を釣つて歩ける。であるから、特に旅行をする若い人達、島へ行く人、岬へ行く人、さういふ人々に、私はおおいに新らしい釣りを始めて貰ひたいと思ふ。そしてこの日本特有な釣技といふものを研究してもらつて、いろいろの新発見、新工風くふうをしてもらい、将来明るく正しく釣道精神といふものを拓いて貰ひたい。そして個々の釣りは、何々釣りの研究といふものが、今では盛んに発表されるから、それに就いて貰つて、ここでは以上釣りといふものの概画がいかくを書いて見るに止める。
(昭和七年五月二十一日)





底本:「集成 日本の釣り文学 第一巻 釣りひと筋」作品社
   1995(平成7)年6月30日第1刷発行
底本の親本:「釣心魚心」第一書房
   1934(昭和9)年4月
※「ブルジョア」と「ブルジヨア」、「谿谷」と「溪谷」の混在は、底本通りです。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:門田裕志
校正:hitsuji
2018年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




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