不器男句集

芝不器男





 芝不器男君は、俳壇に流星のごとく現はれて流星のごとくに去つた、若き熱情の作家である。
 が君の熱情は、登山家としての魁偉なる風※(「蚌のつくり」、第3水準1-14-6)に、つねに沈黙と微笑とをうち湛へた湖のしづけさを思はしめた。だからその作品の表現も、うち湛へた湖から白鳥の飛翔したやうな、静寂な気韻が伝はらないものは、君の満足するものではなかつた。この心境は、君のあるいて行つた人生のすべてに於てもさういへるであらう。
 君は仙台の東北大学工科在学中から、天の川に投句をはじめた。それ以前の事を私はよく知らないが、はじめはなんでも君の令兄都築豺膓子君がずつと以前天の川に投句してゐた関係から、同君がすゝめたのであると聞いたやうに記憶してゐる。それから僅に三四年の短い間ではあつたが、異色ある作家として、またひところは他に先んじて、万葉調をとり入れた作品を示して俳壇の瞠目をあつめた。そして君は学生生活を、東北仙台の連坊小路に送り、帰省しては南国愛媛の山間に、新鮮な果実を満喫した。本集は主として、この間に於ける作品である。この沈黙の熱情家たる君の句に、万葉語のうつくしさと、素朴な精神とが光つてゐるのは、全く君の性格の自から赴いた万葉精神への共感であるといふべしである。然るに君のこの精麗なる語句と音韻とに綴られた作品も、当時は晦渋なりとの評言を蒙つたものである。
 その後君はひそかに或転向を胸に描いて、しばらく句作に遠ざかつた。そのことは結婚のしらせとともに、私宛の書信にもらされた。君の転向、――私はそれを待望した、そしてやがてやつて来た。けれどもそれは悲しむべく、再び起つあたはざる病臥の君であり、勿論傑れた作品ではあつたけれど、私の期待したものではなかつた。それを私は、福岡大学病院の夕日さしこむ病床で、作品への失望と病苦の君とに、二重の淋しみをいたく味つたのである。だが君の病の小康を得た或日、庄の仮寓で、さゝやかな句会を開いたそのときの作品に、

大舷の窓被ふある暖炉かな
一片のパセリ掃かるゝ暖炉かな
ストーブや黒奴給仕の銭ボタン

 といふ句があつた。私の失望の一半は、これらの作品によつてこゝに明かに霧散した。かくて君の所謂転向と、私が抱いてゐた明日への句作心境は、完全に一致するを得た。その喜びに私はひそかに浸り得たのであつたが、いくばくもなくして君のうつし世は閉ぢられたのである。
 あまり友人をもたなかつた不器男君が、最後に得た親友は、横山白虹君であらう。この度その白虹君の手によつて句集を編纂さるゝ事になつたのは、不器男君も泉下にあつてさぞ喜んでくれることであらうし、私としても満足である。

 私は不器男君が今日あつたならばと思ふのである。
昭和九年二月二十一日
天の川編輯室にて
禅寺洞
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繭玉


谷水を撒きてしづむるどんどかな
うまや路や松のはろかに狂ひ凧
筆始歌仙ひそめくけしきかな
松過や織りかけ機の左右に風
ぬば玉の閨かいまみぬ嫁が君
雪融くる苔ぞ※(「木+若」、第3水準1-85-81)ぞ山始
繭玉に寝がての腕あげにけり
空洞木うつろぎに生かしおく火や年木樵*

苜蓿


下萌のいたくふまれて御開帳
巣鴉や春日に出ては翔ちもどり
畑打や影まねびゐる向ふ山
汽車見えてやがて失せたる田打かな
永き日のにはとり柵を越えにけり
椿落ちて虻鳴き出づる曇りかな
椿落ちて色うしなひぬたちどころ
白浪を一度かゝげぬ海霞
御灯のうへした暗し涅槃像
川淀や夕づきがたき楓の芽
さゝがにの壁に凝る夜や弥生尽
山焼くやひそめき出でし傍の山
春愁や草の柔毛にこげのいちじるく
乞食のめをとあがるや花の山
三椏みつまたのはなやぎ咲けるうらゝかな
村の灯のまうへ山ある蛙かな
たはやすく昼月消えし茅花かな
串竹にきしりて※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)げし目刺かな
まながひに青空落つる茅花かな
人入つて門のこりたる暮春かな
春浅し小白き灰に燠つくり
針山も紅絹うつろへる供養かな
草餅や野川にながす袂草
まのあたり天降あもりし蝶や桜草
山守のいこふ御墓や花ぐもり
さき山の吹きどよみゐる霞かな
行春や宿場はづれの松の月
蘖に杣が薪棚荒れにけり
鳥の巣やそこらあたりの小竹ささの風
水流れきて流れゆく田打かな
石楠花にいづべの月や桜狩
うまや路や鶯なける馬酔木山
うまや路の春惜しみぬる門辺かな
森かけてうちかすみたる門辺かな
ふるさとや石垣歯朶に春の月
卒業の兄と来てゐる堤かな
春の雷鯉は苔被て老いにけり
春雪や学期も末の苜蓿
奥津城に犬を葬る二月かな
松籟にまどろむもある遍路かな
中二階くだりて炊ぐ遍路かな
鞦韆の月に散じぬ同窓会
風早の檜原となりぬ夕霞
遍路宿泥しぶきたる行燈かな
古雪や花ざかりなる林檎園*
早春や鶺鴒きたる林檎園*
機窓や打たるゝ蝶のふためき来*
飼屋の灯母屋の闇と更けにけり
白藤や揺りやみしかばうすみどり
畑打に沼の浮洲のあそぶなり
杉山の杉籬づくり花ぐもり
板橋や春もふけゆく水あかり
落椿独木橋揺る子はしらず

山霧


麦車馬におくれて動き出づ
向日葵の蕋を見るとき海消えし
日光遊草四句
樺の中奇しくも明き夕立かな
枯山を断つえ跡や夕立雲
蓬生に土けぶり立つ夕立かな
滝音の息づきのひまや蝉時雨
中禅寺湖より戦場ヶ原への途上
山霧や黄土はにと匂ひて花あやめ
戦場ヶ原三句
隠沼はとどに亡びぬ閑古鳥
虚国むなぐにの尻無川や夏霞
郭公や国の真洞まほらは夕茜
風鈴の空は荒星ばかりかな
桑の実や馬車の通ひ路ゆきしかば
駅路や麦の黒穂の踏まれたる
ころぶすや蜂腰すがるごしなる夏痩女
籬根をくゞりそめたり田植水
大雨に鏡も濡れし田植かな
沢の辺に童と居りて蜘蛛合
※(「巾+廚」、第4水準2-12-1)に睡たき蛇の来りけり
朝ぼらけ水隠る螢飛びにけり
花うばらふたゝび堰にめぐり合ふ
月雲をいづれば燃ゆる蚊遣かな
さきだてる鵞鳥踏まじと帰省かな
岩水の朱きが湧けり余花の宮
山の蚊の縞あきらかや嗽
桔梗や褥干すまの日南ぼこ*
蝉時雨つく/\法師きこえそめぬ
苔の雨かへるでの花いづこゆか
楓のしゞの垂花いつかなし
山青しかへるでの花ちりみだり

碧玉


柿もぐや殊にもろ手の山落暉
摺り溜る籾掻くことや子供の手
新藁や永劫太き納屋の梁
蓑虫の鳥啄ばまぬいのちかな
鳴子温泉
夜長さを衝きあたり消えし婢かな
川蟹のしろきむくろや秋磧
泥濘におどろが影やきりぎりす
日光遊草
山が門や照れば遠退く秋の嶺呂
ふるさとを去ぬ日来向ふ芙蓉かな
浸りゐて水馴れぬ葛やけさの秋
ひやゝかや黍も爆ぜゐる夕まうけ
郷を出づることのさしせまるにそのまうけごとのくさ/″\もおい母にまかせきりなりければ、ある夜
秋の夜のつゞるほころび且つほぐれ
二十五日仙台につく みちはるかなる伊予の我が家をおもへば
あなたなる夜雨の葛のあなたかな
ひねもすの山垣曇り稲の花
稲原の吹きしらけゐる墓参かな
籾磨や遠くなりゆく小夜嵐
秋ゆくと照りこぞりけり裏の山
薪積みしあとのひそ音や秋日和
蔦温泉附近牧場
秋晴やあえかの葛を馬のしめ
蔦温泉
あちこちの祠まつりや露の秋
わかものゝ妻問ひ更けぬ露の村
鮎落ちて水もめぐらぬ巌かな
うちまもる母のまろ寝や法師蝉
蜻蛉やいま起つ賤も夕日中
生保内といへるみちのくの山村にやどかればはからずもゼススををろがむ旧家なり
はゞかりてすがる十字架クルスや夜半の秋
夕ざれば戸々の竈火や啄木鳥
ゆく秋を乙女さびせり坊が妻
鴉はや唖々とゐるなり菌狩
落栗やなにかと言へばすぐ木魂
ふるさとの幾山垣やけさの秋
石塊ののりし鳥居や法師蝉
窓の外にゐる山彦や夜学校
沈む日のたまゆら青し落穂狩
泳ぎ女の葛隠るまで羞ぢらひぬ
鵙来鳴く榛にそこはか雕りにけり
みじろぎにきしむ木椅子や秋日和
つゆじもに冷えてはぬるむ通草かな
枯れつゝも草穂みのりぬ蝶の秋
桑原に登校舟つく出水かな
つゆじもに冷えし通草も山路かな
学生の一泊行や露の秋
古町の路くさ/″\や秋の暮
栗山の空谷ふかきところかな
溝川に古花ながす墓参かな*
岨に向く片町古りぬ菊の秋
風ふけば蠅とだゆなり菊の宿
落鮎や空山崩えてよどみたり
秋の夜の影絵をうつす褥かな
墓の門に塵取かゝる盆会かな
よべの雨閾ぬらしぬ霊祭
溝川に花篩ひけり墓詣
銀杏にちり/″\の空暮れにけり
秋の日をとづる碧玉数しらず
病室にて
かの窓のかの夜長星ひかりいづ
夜長星窓うつりしてきらびやか
蜻蛉や秀嶺の雲は常なけれ
野分してしづかにも熱いでにけり

暖炉


鴨うてばとみに匂ひぬ水辺草
野路こゝにあつまる欅落葉かな
落葉すやこの頃灯す虚空蔵
枯野ゆくや山浮き沈む路の涯
枝つゞきて青空に入る枯木かな
枯木宿はたして犬に吠えられし
風立ちて星消え失せし枯木かな
水のめば葱のにほひや小料亭
冬ごもり未だにわれぬ松の瘤
日昃ひかげるやねむる山より街道へ
北風や青空ながら暮れはてゝ
炭出すやさし入る日すぢ汚しつゝ
枯野はや暮るゝ蔀をおろしけり
凩や倒れざまにも三つ星座
桐の実の鳴りいでにけり冬構
凩に菊こそ映ゆれ田居辺り
大年やころほひわかぬ燠くづれ
大年やおのづからなる梁響
寒声や高誦のまゝの朝ぼらけ
旭にあうてみだれ衣や寒ざらへ
古草のそめきぞめきや雪間谷
八つどきの助炭に日さす時雨かな
研ぎあげて干す鉞や雪解宿
町空のくらき氷雨や白魚売
寒鴉が影の上におりたちぬ
茶の花や畚の乳子に月あかり
団欒にも倦みけん木兎をまねびけり
座礁船そのまゝ暁けぬ蜜柑山
蜜柑山警察船の着きにけり
梟の目じろぎ出でぬ年木樵
燦爛と波荒るゝなり浮寝鳥
大舷の窓被ふある暖炉かな
一片のパセリ掃かるゝ暖炉かな
ストーブや黒奴給仕の銭ボタン

不器男句集 畢

(編注――本句集は、宮崎九萬一氏により初版以来の誤りを正し、脱落の六句を補ってある。新しく補った句の末尾には*印を付してある)





底本:「現代日本文學大系 95 現代句集」筑摩書房
   1973(昭和48)年9月25日初版第1刷発行
   1977(昭和52)年5月20日初版第5刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:noriko saito
2019年1月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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