現代の文脈

島村抱月




 日本の文章は今や急速の勢を以て變じつゝある。文に志すものは、此の動いてゐる事實を觀過してはならぬ。就中其の叙説法に於いて、在來の體は、漸く過去のものにならんとしてゐる。新代の人に取つては、もはや此等の文章が有してゐた背景は消え失せてしまつた。意味だけは無論通ずる、又口には成程熟してゐるだけによく滑る。しかし其の意味が率ゐ來たるところの情趣、風情といふものが薄くなつた。背景が無くなるとは此の謂である。勿論微妙なる趣味判斷の上のことであるから、舊い文味を喜ぶ人、新しい文意を喜ぶ人と、好尚の區々たるは免れない所であらうが、傾き行く方向は言ふまでもなく新しいものにある。
 文體の上に於いても、用語の上に於いても在來のものでは胸にこたへなくなつた。何だか古い型を使つてゐるに過ぎないやうで、痛切清新の味がない。物の上つ面を※(「てへん+庶」、第3水準1-84-91)でゝ[#「※(「てへん+庶」、第3水準1-84-91)でゝ」はママ]ゐるやうで、中身から隔たつてゐる。是れは一方から言へば、讀者の感受神經が鈍いから、刺戟の強いものでなくては感じないのだとも見られる。併し今の場合はむしろ物が陳りて、新代に向かなくなつたと見るのを至當とする。社會の急な變遷と共にまるで素養閲歴の異なつた人々が出て來るのだから、昔の文脈では一向に活きた血が通つてゐるやうに思はれない。同じく木を伐る音を形容しても、伐木丁々では更におもしろくない。支那文學乃至は之れに多分の根據を有した文學に圍繞せられた頃の人々には、其の久しいあひだの薫染の結果で、丁々といふ二字の字づらだけでも、山更に幽なりの趣が油然として胸に湧く。此の場合には、丁々の二字は「ちやう/\」と讀んでも、「とう/\」と讀んでも、そんなことには關係なく、たゞ素養習慣の結果で、幽山の背景が譯もなく伴なつて來る。併し今の人にはさうは行かぬ。此に於いてか彼等は斯かる既成の形式を破りすてゝ、何かもつと適切な表白法がありはすまいかと工風する。其の時來たつて師表となるものは、常に對境の自然そのものである。彼等は自然に還り、自然を直接の師とせんとする。事物に革命の起こらんとするとき、呼び出だされるものは何時でも自然である。文章の革命期に於いてもまたさうである。此の意味で新代の文章はずつと自然的に、寫實的に、印象的になつて來る。
 伐木丁々といふ句でも、昔は自然的であつたらう、また本國支那人の語音では今なほ自然的かも知れぬ。併し海を渡つて變じ、代を更へて變じた今日の日本では、もはや之れを自然的とは言へなくなつた。「トン、トンと木を伐る音、あとは森となる」とでも言はねば「伐木丁々山さらに幽なり」の情は痛切に出ないと感ずるのが今の趣味である。
 要するに支那傳來の價値の減少といふことゝ、文明の急激の變化といふことが重なる理由となつて、我が邦の文脈は、日に日に移りつゝある。但し斯やうに言へばとて、古天才の文が價値を失ふといふのでは固よりない。天才の文は常に區々たる形式を超越して趣味の不盡の源を有してゐる。また凡ての支那文學から來た措辭が新代の感想に、適せぬとも思はぬ。要は舊語も之れを新文脈に活かすにある。文藻の荒廢してゐる點からいへば、新代の多數の々人は[#「々人は」はママ]、一たび更に大いに支那文學に味ひ入るの必要があらう。而してのち之れを征服する所に新しくして而も熟したる文章が出やう。(明治三十九年九月)





底本:「抱月全集第四卷」天佑社
   1919(大正8)年9月30日発行
入力:フクポー
校正:きゅうり
2019年12月27日作成
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