日本の文章は今や急速の勢を以て變じつゝある。文に志すものは、此の動いてゐる事實を觀過してはならぬ。就中其の叙説法に於いて、在來の體は、漸く過去のものにならんとしてゐる。新代の人に取つては、もはや此等の文章が有してゐた背景は消え失せてしまつた。意味だけは無論通ずる、又口には成程熟してゐるだけによく滑る。しかし其の意味が率ゐ來たるところの情趣、風情といふものが薄くなつた。背景が無くなるとは此の謂である。勿論微妙なる趣味判斷の上のことであるから、舊い文味を喜ぶ人、新しい文意を喜ぶ人と、好尚の區々たるは免れない所であらうが、傾き行く方向は言ふまでもなく新しいものにある。
文體の上に於いても、用語の上に於いても在來のものでは胸にこたへなくなつた。何だか古い型を使つてゐるに過ぎないやうで、痛切清新の味がない。物の上つ面を


伐木丁々といふ句でも、昔は自然的であつたらう、また本國支那人の語音では今なほ自然的かも知れぬ。併し海を渡つて變じ、代を更へて變じた今日の日本では、もはや之れを自然的とは言へなくなつた。「トン、トンと木を伐る音、あとは森となる」とでも言はねば「伐木丁々山さらに幽なり」の情は痛切に出ないと感ずるのが今の趣味である。
要するに支那傳來の價値の減少といふことゝ、文明の急激の變化といふことが重なる理由となつて、我が邦の文脈は、日に日に移りつゝある。但し斯やうに言へばとて、古天才の文が價値を失ふといふのでは固よりない。天才の文は常に區々たる形式を超越して趣味の不盡の源を有してゐる。また凡ての支那文學から來た措辭が新代の感想に、適せぬとも思はぬ。要は舊語も之れを新文脈に活かすにある。文藻の荒廢してゐる點からいへば、新代の多數の々人は[#「々人は」はママ]、一たび更に大いに支那文學に味ひ入るの必要があらう。而してのち之れを征服する所に新しくして而も熟したる文章が出やう。(明治三十九年九月)