午後三
時十五
分にゴールデンゲートを
過ぎてから、
今迄にもう
何時間経つたと
思ふぞ。
先づ
検疫船が
来て
検疫医が
乗り
込む。一
等船客一
同大食堂に
呼び
集められて、
事務長が
変な
所にアクセントをつけて
船客の
名を
読み
上げる。
読み
上げられた
者は、
一人々々検疫医の
列んだ
段階子の
下を
通つて
上へ
出て
行く。『ミストル・アサヤーマ』。「ヤ」で
調子を
上げて
少し
引ツ
張つて「マ」で
下げる。
成程山のやうに
聞える。『ミストル・ヘーガ』。
日本人の
給仕が
気を
利せて『
芳賀さん』と
読み
直す。『ミストル・ホーライ』。これは
堀だ。『ミストル・アイカイ』。
之は
猪飼だ。『ミストル・キャツダ』。
勝田君が
出で
行く。『
彼奴だ/\』と、
皆くす/\
笑ふ。
自分のことを
笑つたのかと、
左なきだに
無愛想な
顔をしたモンゴリア
号の
事務長は、
益むづかしい
顔をする。
検疫は五
時に
済んだ。
今度は
税関の
小蒸気が
著く。
之にはクック
社の
桑港支社長ストークス
君やら、
朝日新聞社桑港特派員清瀬規矩雄君などが
便乗して
来たので、
陸上の
模様明日の
見物の
次第などを
語り
合つて、
大方賑やかになつて
来た。
税関附の
官吏が
来て、
大蔵省から
桑港税関長へ
宛てた
書面の
写を
呉れる。
見ると、一
周会員の
荷物は
東京駐剳大使の
照会があつたので、一々
検査を
加ふるに
及ばぬとの
内訓である。
其の
中新聞記者が
来る、
出迎人が
来る。
汽船会社の
雇人が
来る。
甲板は
上中下ともぎツしり
人で
埋まつて
了つた。
陸の
方を
見ると、いつしか
我が
船は
港目近に
進んで、
桑港の
町々はつい
鼻の
先に
見える。
我等の
泊るべきフェアモント・ホテルは
高い
丘の
上に
突ツ
立つて
居る。
夫から
下の
方へかけて、カリフォルニヤ
街の
坂道を、
断間なく
鋼索鉄道の
往来するのが
見える。
地震の
時に
焼けたのが
彼処、
近頃建てかけた
市庁は
彼と、
甲板の
上の
評定とり/″\
頗る
喧しい。
六
時が七
時になつても、
船はひた/\と
波止場の
際まで
押し
寄せて
居ながら、まだなか/\
著けさうにない。
其のうち
又しても
銅鑼が
鳴る。
孰れも
渋々食堂に
下りて、
例に
依つて
旨くも
何ともない
晩餐の
卓子に
就く。
食事がすんで
又甲板に
出ると、
日は
既に
とツぷりと
暮れて、やツとのことで
船は
桟橋に
横づけになつたらしい。
時計を
見ると
早や九
時。ゴールデンゲートから
此処迄に四
時間かゝつた
勘定になる。
桟橋に
出て
見ると、がらんとした
大桟橋の
上屋の
下に、三つ四つ
卓子を
列べて、
税関の
役人が
蝋燭の
光で
手荷物の
検査をして
居る。
卓子の
側が
僅に
少しばかり
明るいだけで、
其の
外は
電灯一つ
点けず、
真黒闇のまゝで
何処を
何方に行つて
宜いかさツぱり
分らぬ。
此処でさん/″\
待たせられて、
彼此三四十
分暗黒の
中に
立つた
後、
漸く
桟橋の
外に
出ることが
出来た。
持ち
出したのは
形ばかりの
小さな
手荷物で、
大きなトランクは
明朝取りに
来いとのことだ。
人を
馬鹿にするにも
程があると、
皆ぷん/\する。
後で
聞けば、
何でも
太平洋汽船会社と
税関だか
桟橋会社だかとの
間に、
前々からひどい
確執があつて、
之が
為に
船の
著くのも
遅くなれば、
灯光一つない
桟橋の
中に
人を
立たせるにも
至つたのだといふ。
喧嘩なら
喧嘩でも
宜いが、
其の
尻を
縁もゆかりもない
船客にもつて
来るとはひどい。
翌日の
新聞には、
此の
闇の
中に
摸摸が
[#「摸摸が」はママ]何人とやら
入り
込んで、
何々の
品が
盗まれたとのことを
挙げて、
盛に
会社の
不行届を
攻撃したのがあつた。
玄関番の
書生に
不作法な
取扱を
受けると、
其処の
主人迄がいやになる。
著米早々の
此の
始末は、
少からず
僕等に
不快を
与へた。(四月三日)
*著者の遺志により総ルビのままとしました(編集部)