小さな旅

富田木歩




 五月六日
 今宵は向嶋の姉に招かれて泊りがてら遊びに行くのである。
 おさえ切れぬ嬉しさにそゝられて、日毎見馴れている玻璃窓外の躑躅でさえ、此の記念すべき日の喜びを句に纒めよと暗示するかのように見える。
 母は良さんを連れて来た、良さんと云うのは此の旅を果させて呉れる――私にとっては汽車汽船よりも大切な車夫である。
 俥は曳き出された。足でつッぱることの出来ぬ身体は揺られるがまゝに動く。
 私の俥は充分に外景を貪り得るように[#「貪り得るように」は底本では「貧り得るように」]、能うだけの徐行を続けているのだが、矢張り車夫として洗練されている良さんの足は後へ後へと行人を置きざりにして行くのである。
 やがて見覚えのある交番の前を過ぎた。道は既に紅燈紘歌の巷に近づいたのである。煙草屋の角や駄菓子屋の軒などに、江戸家とか松葉とか云うような粋な軒燈が点いている。それは煙草屋や、駄菓子屋の屋号ではなくて、それらの家々の路地奥にある待合や芸妓家の門標であることに気のついた頃はそうした軒燈を幾つとなく見て過ぎた。
 旨そうな油の香を四辺に漂わしながらジウジウと音をさせている天ぷら屋の店頭に立っている[#「立っている」は底本では「立つている」]半玉のすんなりした姿はこの上もなく明るいものに見られた。
 この町のこうした情調に酔いつゝある間に俥は姉の家へ這入るべき路地口へついた。蝶のように袂をひらめかしながら飛んで来た小娘が「随分待ってたのよ」と云う、それは妹であった。
 家に入ると、姉は私を待ちあぐんで、既に独酌の盃を重ねているのだった。私も早速盃を受けて何杯かを傾けた。
 俳句などには何の理解も持たぬ姉ながら妹に命じて椽の障子を開けさせたり、窓を開かせたりして私を喜ばしてくれるのは身にしみて嬉しかった。
 三坪ほどしかない庭の僅か許りの立木ではあるが、昨年来た時の親しみを再び味わしてくれるのに充分である。昨日植木屋を入れて植えさせたと云う薪のような松が五六本隅の方に押し並んで居るのも何となく心を惹く。手水桶を吊り下げてある軒端の八ツ手は去年来た時よりも伸び太って、そのつやつやしい葉表には美しい灯影が流れている。
 五勺ほどの酒でいゝ気持になった。

墓地越しに町の灯見ゆる遠蛙
行く春の蚊にほろ醉ひのさめにけり

 こうした句作境涯に心ゆくばかり浸り得さしてくれた姉に感謝せざるを得ない。恰も如石が来たので妹などゝ椽先に語り合った。
 五月七日

鶉來鳴く障子のもとの目覚めかな

 妹は学友に起されて登校した。胃を病んでいる姉は昨夜の酒が過ぎたので痛むと云う。私は一人で朝餉をすませて、陽の一杯に漲っている若葉蔭に陣取って新聞を読む。

杉の芽に蝶つきかねてめぐりけり
新聞に鳥影さす庭若葉かな

 服薬して身を横たえている姉は句作に耽っている私の方を見乍ら時々思い出したように「沢山出来るかえ」と訊く。庭へ来て交るむ雀のあわたゞしさや手近い墓地に鳴き交わす雀共の賑わしさの中に藪鶯が美しい音尻を引いては鳴くのである。
 この家の裏に淡島寒月さんの居宅があって其の家裏を領している太い椎と松とに鶉が籠っている、そして昼頃から曇って来た静かな空気の中にゴロッチョゴロッチョと濁った声を伝えている。
 弘福寺と牛島神社と、も一つ何処かのと三カ所で、相前後して入相の大太鼓を打ち初めた。
 姉は俄かにあたふたと働き出して座敷を掃いたり庭に水を打ったりしている。

汽車音の若葉に籠る夕べかな

 夕餉の後妹に少女雑誌を読みきかせていると如石が来た。私の留守に届いた聲風、良太兩兄の手紙を持って来たのである。
 妹は今宵七松園の縁日へ行く約束があるので、躑躅を買うべき銭を姉から貰い受けて如石と共に出かけた。そこへ仁王丸が来た。
 間もなく如石と妹とが戻って来て皆で仁王丸の蜜豆をご馳走になった。
 買って来た躑躅は如石が植えると云う、けれども土を堀る道具が何もないので妹の学校の手工用の箆で掘ることにした。仁王丸が電気を持ちかざす役目で――。二本の躑躅がそれそれ配置よく植えられると庭の面は急に化粧した小娘のように見られた。

躑躅植ゑて夜冷えする庭を忘れけり

 やがて仁王丸と如石と打連れて帰って行った。
 五月八日
 今日は快晴である。そのためか鶉の声をきかない。姉の命によって唐紙を張る。親骨を皆まぜて仕舞ったので立て付けの終ったのは日没の太鼓が鳴り渡る頃であった。姉と妹とが銭湯へ出かけた留守の独り居が徒然なので節句にとゝのえたと云う雛人形を見せて貰うことにした。

箱を出る顏忘れめや雛二對 蕪村

の句を口ずさみながら塵にまみれた箱の蓋を開けて見ていると良さんが迎えに来た。
 姉も妹も帰ったので別れを告げて俥上の人となった。晩春の墨田川を眺めるために俥は堤へ上った。その辺にまだ妹が彳んでいるものと思って四顧したけれども見えない。夜のお稽古にでも行ってしまったのであろう。何となくもの淋しさを覚える。対岸には夕焼の残映が漂っている。聲風兄の家は彼の辺かと首を伸ばして見やったけれど解らなかった。墨堤の桜は悉く葉になって一片の落花さえ止めない。俥は家路へ真っ直ぐに辿る。私はふと小松島附近の青蘆が見たくなったので「家につくまでに暮れるでしょうか」と訊くと良さんは「暮れませんよ」と云う、で、早速俥は引き返された。間もなく白鬚も後にして諸会社から吐き出された職工達の芋を洗うようにこみ合う中を縫うて進んだ。
 蘆はたまたま家並の間に僅か許り見られるだけで物足りない。夕空には夜の色が静かに滲み出て頭上を掠め飛ぶ蝙蝠の影が淋しい。

川蘆の蕭々として暮れぬ蚊食鳥
蝙蝠の家脚くゞる蘆の風

行けども行けども思うような蘆が見られないので引き返そうかと思ったが断行もしかねていた。

蘆の中に犬鳴き入りぬ遠蛙

 併し、展けた。遂に大蘆原が眼前に展けて来た。私の心は躍った。折しも輝き出した星の色は私の心の喜びの色か。

行く春や蘆間の水の油色

 思い残すこともなく帰途についた。三圍神社の蓮池には周囲の家の灯影が浮いて蛙が鳴いている。其角堂では今頃何をしているだろうか。

青蘆に家の灯もるゝ宵の程

 対岸の十二階の灯にも別れを告げて、薄暗い通りを辿って家へ帰った。
 留守中に山形の木屑兄の句稿と出雲の柿葉兄の絵ハガキとが来ていた。
―大正七年六月「俳句世界」掲載―





底本:「決定版富田木歩全集」世界文庫
   1964(昭和39)年12月30日発行
底本の親本:「木歩文集」素人社書屋
   1934(昭和9年)初版発行
初出:「俳句世界」
   1917(大正6)年6月号
※「俥は曳き出された。」の行は底本では天付きになっています。
※「堀る」と「掘る」の混在、俳句のところ以外で使われている旧字「兩」は底本通りにしました。
入力:土倉明彦
校正:小林繁雄
2006年7月18日作成
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