断片

富永太郎




 私には群集が絶対に必要であつた。徐々に来る私の肉体の破壊を賭けても、必要以上の群集を喚び起すことが必要であつた。さういふ日々の禁厭が私の上に立てる音は不吉であつた。
 私は幾日も悲しい夢を見つゞけながら街を歩いた。濃い群集は常に私の頭の上で蠢めいてゐた。時々、飾窓の中にある駝鳥の羽根附のボンネツトや、洋服屋の店先にせり出してゐる、髪の毛や睫毛を植ゑられた蝋人形や、人間の手で造られてはならないほど滑らかに磨かれた象牙細工や、紅く彩られた巨大な豚の丸焼きなどが無作法に私を呼び覚ました。私は目醒め、それから、また無抵抗に濃緑色の夢の中に墜ちて行つた。

※(アステリズム、1-12-94)

 私は夢の中で或る失格をした。――私は人生の中に劇を見る熱情を急激に失つた、従つてさういふ能力をも。――居職人らしい繊細な手をした若い男が、華車に組み合はされた膝の上に立てた胡弓を弾いてゐるのが硝子戸越しに見える。傍に坐つて、こまつちやくれた顔をして竹の鼓で合の手を入れてゐる病弱らしい男の児は、私がこの店の前を通る一瞬間前に美しい川獺を母親として生れた。そして私がこゝを通り過ぎるや否や、二人とも昇天する。――あそこの乾物店の店先で、大声に喚きながら麻雀マオヂヤンを闘はせてゐる中年の太つた夫婦は、もうぢき油臭い二つのからだを並べて眠るだらう、だが、南京鼠の巣のやうなかあいらしいビスケツトの箱の中で。これは私に嫌悪を齎すことが出来ない。その代り、かなりの不安を以て私を満たした。私は「現在」の位置する点を見失つてしまつた。世界はかなり軽く私の足許から飛び去り易くなつてゐた。私は長い夢の中で悲しくそれを意識した。
 私はたゞもの倦い歩行の方向を変へた。そして、燃えるエデンのやうに超自然的な歓喜を夢みながら、悲しんで歩んだ。

※(アステリズム、1-12-94)

 夜、私は、古着の競売場、茶館、最も雑踏の街衢、または居酒屋にあつて、未知の鼻音の狂熱的な蒐集者であつた。不潔な燈火の下を飛び交ふこれらの新奇な鼻音と、交流する世界の諸潮流の海鳴りとが、私の頭蓋中で互の協和音を発見し合ひ、響かせ合つた。――私は誇りを以て沈黙した。そして、花のやうに衰弱を受けた。
 夜、最も忌はしい酒亭が辛うじて私を固定させた。最も卑しい欲望らの浮動するさまざまの顔面の線の上に、やつと引掛つて支へられてゐる私自身を見出すことがしばしばであつた。私は、額の皺や鼻の小皺の上を、血に足をとられて這ひまはる一匹の蠅であつた。(何と充分に、君たちの顔は腐つてゐたことか!)――ああ、さまざまの日に、指先によつて加へられたやさしさよ! 火よ! 失はれた畜群の夢よ!

※(アステリズム、1-12-94)

 又、――衰弱の一形式。
 厭はしい、涯の無い灰色の舗石の上に並んで叫ぶかたゐの群が、眼を持たぬ蠕虫の黒い眠りのやうに、無限の羨望を以て私を牽いた。しかし、私の眼は、缺け朽ちた小児の二の腕に、陽に光る新鮮な産毛うぶげを発見するに終つた。投げ出された膝がしらの切り口は、ギオレツト色の花傘を開いて私の上昇を祝福した。――船具を忘れ、海鳥を忘れ、純白のハンケチの雲を忘れ、私は黒い空気の中で、不潔な老婆らと睫毛の周囲を舞踏した。私は笑ひ声のやうに帰り途を見失つた。太陽はいつものやうににがくあつた……





底本:「富永太郎詩集」現代詩文庫、思潮社
   1975(昭和50)年7月10日初版第1刷
   1984(昭和59)年10月1日第6刷
底本の親本:「富永太郎詩集」創元選書、東京創元社
   1949(昭和24)年10月
初出:「山繭 第六号」
   1925(大正14)年5月
入力:村松洋一
校正:Juki
2013年10月6日作成
2014年3月7日修正
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