無題

富永太郎




幾日いくひ幾夜いくよの 熱病ののちなる
濠端のあさあけを讃ふ。

琥珀の雲 溶けて蒼空あをぞらに流れ、
覚めやらで水を眺むる柳の一列ひとつらあり。

もやひたるボートの 赤き三角ばた
密閉せる閨房のをあけはなち、
暁の冷気をよろこび甜むる男の舌なり。

朝なれば風はちて 雲母きららめく濠のおもてをわたり、
通学する十三歳の女学生の
白き靴下とスカートのあはひなる
ひかがみの青き血管に接吻す。

朝なれば風は起ちて 湿りたる柳の葉末をなぶり、
花を捧げて足ばや木橋きばしをよぎる
反身そりみなる若き女のもすそかへす。
その白足袋の 快き哄笑を聴きしか。

ああ 夥しき欲情は空にあり。
わが肉身は 卵殻の如く まつたく且つもろくして、
陽光はほのあかく 身うちにし入るなり。





底本:「富永太郎詩集」現代詩文庫、思潮社
   1975(昭和50)年7月10日初版第1刷
   1984(昭和59)年10月1日第6刷
底本の親本:「定本富永太郎詩集」中央公論社
   1971(昭和46)年1月
入力:村松洋一
校正:川山隆
2014年3月7日作成
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