夜の讃歌

富永太郎




地は定形かたちなく曠空むなしくして黒暗やみわだの面にあり
神の霊水の面を覆ひたりき
――創世記

黒暗やみの潮 今満ちて
晦冥のよるともなれば
仮構の万象そが※[#「門<亥」、U+95A1、19-上-9]性を失し
解体の喜びに酔ひ痴れて
心をのゝき
渾沌の母の胸へと帰入する。

窓外の膚白き一樹は
とぼそ漏る赤きとぼしに照らされて
いかつく張つた大枝も、金属性の葉末もろ共
母胎の汚物まだ拭はれぬ
孩児みどりごの四肢のすがたを示現する。

かゝる和毛にこげの如きよる
コスモスといふ白日の虚妄を破り、
日光の重圧に 化石の痛苦
味ひつゝある若者らにも
母親の乳房まさぐる幼年の
至純なる淫猥の皮膚感覚をとり戻し
劫初なるわだおもより汲み取れる
ほの黒き祈り心をしたゝらす……

おんみ 天鵞絨の黒衣せるよる
香油にほひあぶらにうるほへるおんみ聖なる夜、
涙するわが双のまなこ
おんみの胸に埋むるを許したまへ。





底本:「富永太郎詩集」現代詩文庫、思潮社
   1975(昭和50)年7月10日初版第1刷
   1984(昭和59)年10月1日第6刷
底本の親本:「定本富永太郎詩集」中央公論社
   1971(昭和46)年1月
入力:村松洋一
校正:川山隆
2014年3月7日作成
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●表記について

「門<亥」、U+95A1    19-上-9


●図書カード