阮氏ノ褌ヲ曝スハ少シク激ニ失シテ長者ノ風無シ。生ノ腹ヲ曝スハ甚ダ傲ニ失シテ君子ノ笑ヲ免レズ。三伏ニハ唯ダ世俗ニ随ヒ、曝ス可キ物ヲ曝スゾ善ケレ。強ヒテ奇ヲ好ムハ何ノ用ニカ立ツ可キヤ。サレド万巻ノ書貯ヘタランニハ之ヲ曝ス日数モ重ナリテ、樟脳買フ銭モ夥シケレド、余ハ戊辰ノ変ニ愛ヲ割キテ尽ク売却シタレバ、今ハ唯ダ祖考ノ親写セルモノト校訂セシモノ而已ゾ存セリ。其他ハ皆常ニ座右ニ在ル書ナレバ曝スニモ及バジ。衣裳ハ寒暑ヲ凌グ計リナレバ曝ス可キ程ノモノトテハ無シ。刀剣ハ既ニ牛犢ニ換タレバ枕刀一腰ゾ残リタリ。
大理石板 長サ二尺五寸、広サ九寸。其ノ色純白。此石板ハ余ガ外祖父杉本樗園君ガ 文恭大君ヨリ賜ハリシ卓子ニ篏セシ石ナリ。年経ヌレバ卓子ハ摧ケテ石ノミ存セリ。濃墨ニテ石面ニ詩ヲ題スレバ、墨色渙発シテ妙ナリ。樗園君ノ遺物ハ是レノミゾ残レリ。
其ノ次ニ取リ出セル物ハ
川端歌合一巻 此ノ巻物ハ我ガ王父従五位下図書頭殿ノ自作自筆ニ係ル。芋売リ茄子売リヲ始メ、日毎ニ門過グル人々ノ歌合ナリ。其ノ文詞モ面白ケレバ、後日花月新誌ニ載セテ世ニ公ス可シ。
其ノ次ハ
羅馬涙壺 薄キ玻ニテイト粗造ナル物ナリ。往昔羅馬ノ時代ニ、葬ヲ送ル者皆此壺ヲ懐ロニシ、涙ヲ注シテ墓畔ニ埋メタルモノナリト云フ。余ガ伊太利ニ遊ビシ時、該撒 ノ故宮ニ近キ骨董舗ニテ獲タリ。羅馬ニハ猶多ク存セリ。其大サ皆同ジ、長サ三寸許、口径五分弱。
猶日々曝ス物ヲ次々ノ巻ニ記シテ消夏ノ一興ト為サバヤ。(第二)
今日曝ス物ハ何々ゾ。
竹根香盒 清客素川(失姓)ノ崎陽ニテ造ル所ロ。其形古瓦ヲス。其面ニ刻スル文ニ云フ、長楽未央漢宮瓦、高帝五年治、七年成、本二秦之興楽宮一、此瓦殆蕭何所レ書、稀世之宝」其背ニハ、傚二日本茶道宗師嘱製之法一、道光三年刻レ之 素川ト刻セリ。此盒ハ友人矢田堀函陵ノ余ニ贈ル所。今ヲ距ル十五六年、当時函陵酒量超倫。余モ亦大戸タリ。毎ニ斗酒相対シ、徹宵劇飲快論セリ。今ヤ余ハ小戸ト化シ、函陵亦多ク飲マズ。頭髪同ク種々タラントス。香盒ニ対シテ悽然旧ニ感ズ。
次ニ列スルモノハ古貨幣ナリ。数多ケレバ二品ヲ記ス。
秦始皇半両銭 此銭ハ天保二年正月八日、三州梅ヶ坪ノ山中ニテ堀出セシモノニテ、径一寸一分、重一銭八分五厘。銅質剥蝕シ、古色最モ愛ス可シ。是レ史乗ニ所謂重十二銖ニ適ス。(漢ノ十二銖ハ今ノ一銭八分九厘)秦半両ノ世ニ伝ハルモノ六七枚、秤量皆此銭ヨリ軽シ。近来支那ヨリ来ル者有リ。其秤量重シト雖ドモ、銅質大ニ異ナリ、見ルニ足ラズトス。此銭ノ他ニ冠タルハ同好ノ許ス所ロ。余ノ一家言ニ非ズ。
羅馬金貨 重一銭九分。羅馬帝アウレリウスノ造ル所ナリ。帝ハ紀元百六十一年ニ即位、百八十年ニ崩ズ。銭面帝ノ真影ヲ鋳ル。是レ余ガ伊太利米蘭 ノ古金舗ニ於テ獲ルモノナリ。
其次ハ羅馬金貨 重一銭九分。羅馬帝アウレリウスノ造ル所ナリ。帝ハ紀元百六十一年ニ即位、百八十年ニ崩ズ。銭面帝ノ真影ヲ鋳ル。是レ余ガ伊太利
いつまで草四巻 此草紙ハ余ガ青年ノ比、柳春三、桂月池等ノ人々ト会飲スル毎ニ、各自筆トリテ見聞キシコトヲ書キタル反故ナリ。今其ノ一則ヲ抄ス。
昔男ありけり。或友の許よりいとあざやかに粧ひし佩楯一領借りて久しく留め置けるに、其友より返せとの消息ありければ、櫃の中より取出て絹につみけるをはした女のかい間みていち早く男の側女にさやきて云ふ様、あるじの君はいづこよりかいとはでやかなる錦織の帯一筋とのへ給ひぬ。思ふに謡ひ女にそと贈り給ふなるらめ、と羨み、心に口さがなく語りしに、其の側女日ごろ野辺の若艸つのぐむことをのみ明暮の楽みとなせし女子なりければ、そは口惜と言ひつおのが胸もかきさばく計りの気色してあるじのかたへに走り来にけり。あるじ何心なく、おことは何とてかく息つきあへず走り廻はり給ふにや、と問ふに、何事とは嗚呼がまし。此絹の内こそいとも腹だしや、とて絹かなぐりて見れば、こは如何に、おのれも曾て見知らぬ物の具なりければ余りの事に興醒め、はては笑に堪かねてまろびありきにけり。その折あるじが口すさみしとて人の伝へける。
白黒のあやめも分かぬはした女に
おどされたりや佩楯のいと
おどされたりや佩楯のいと