論語にある「
己の欲するところに従えども
矩を
踰えず」の一句こそ実に自由の定義を
能く述べて尽したものであると前号に説明し、
然らば矩とは何なるかと反問し、これには大略内部と外部との二つに分つことが出来ようと述べた。外部の矩とは外部より来る要求、圧迫、強制等で、風俗習慣も一国の法律もその類であるが、しかしこの意味に於ける外部の矩も自分が心から心服して何の不平もなく甘んじてそれに従い、あるいはもしそういう風俗習慣なり法律なりが存しなかったなら、自分から進んで
拵えたいと思うような矩であるならば、一見外部の矩の如くであるが、自己の意志の欲するところに合致する以上は、これを外部の矩とはいい
難い。故に立憲国の法律の如きは国民自身が制定するのであるから、己の欲するところであって、その間に内外の区別を設けることは
難い位である。
しかし自分が設けた法律でもこれを破れば制裁は
外より来る。議会で決した法律の制定に特別委員となって働いた議員ですらも、この法律の規定に反すれば制裁を
遁れることは出来ない。警察なりその他外部の力によりて罪せらる。この意味に於ては法律もやはり外部の矩というてよいであろう。習慣もまた同じであろう。勿論風俗習慣に反したからとて一々罰せらるる訳ではない、青年は普通に
紺絣を着ている、この風俗を破って真赤な服で登校してもこれを罰することは出来ぬ。しかし世間の人は彼を笑うて狂人と
見做すであろう。友人は彼と共に歩くことを嫌うであろう。恐らく先生方も彼を遠ざけるであろう。シテ見れば法律の矩は
踰えないにしても、世間一般で善良なる風俗と見做している矩を破れば、その罰として世間から排斥されることになる。こういう
風に
外部の矩を踰ゆると自ら外部の罰を受ける結果になる。
ヨシ心の中で快とせぬことでも、
悉く感服したことでなくとも、
大概のことなら外部の矩を遵奉し、
社会や国家と調和して行って、
そこで始めて世の排斥も侮辱も圧迫も受けないで、
心の欲するところに従い得るから、
大概のことは外部の矩に譲歩してその償としていわゆる自由を享有するのである。
然らば法律と風俗習慣とを守ってさえいれば自由であるかというに、それはやはり外部の自由だけであって、心底までその自由が徹底しているとはいわれない。言い換えれば国の法律なり風俗なりに対して全く服従出来ないことがあったなら、
即ち心に服従することを欲しないことあるのにかかわらず、
表向だけ唯々諾々としてこれを遵奉するは自ら欺くというもので、
内部の矩を踰ゆるものではなかろうか。
人は各自に思うところがある。一寸の虫にも五分の魂があるという、僕は
寧ろ一寸の虫にも五寸の魂といいたい。魂は身体より遥に大なるものである。世の中で何の名もなく位もないいわゆる
田夫野人であっても、その思うところ欲するところは王侯貴族に劣らぬものが沢山ある。これは
独り各自の慾望が多いとか慾に限りがないというのでない、僕の言わんとするところは各自には冒すべからざる所信または思想がある。その深い所を良心といい、陽明学者のいう良知、人の人たる本心、孟子のいう是非の心、時には自分の一部でないように思わるる何物かが胸中に存在している。
有名な英国の文士ウエルス氏が近頃一書を
著して世間を騒がした。一体この人はあらゆる方面の智識を
味うた人で、文士とはいいながら学術的素養が甚だ深い。しかるに無宗教論で有名であったが、先頃始めて神に関する一書を出して
大に
基督教を
罵倒し、基督教の教ゆる神は論理上承認し難い、しかして自分の信ずる神、
寧ろ自分の発見した神は各自の心に存在し、各自と生命を共にし、生るる時に備わって来て、恐らく自分が死すれば共に消ゆるものであろう。しかしそれはいわゆる自我とは
異り、独立なる存在で、ただ我体内に宿っている。しかして我を
警め、我を守り、我を誤らんとするものある時は必らずこれを警戒する、もし彼に
反けば彼大に我を責める、従って苦めるものなりと説いている。昔陽明学者の歌に
皆人の詣る社に神はなし
こゝろの中に神ぞまします
と教えたるその神の最も類したものらしい。僕はここで有神論や宗教論を述べんとする意ではないが、
人には老若貴賤の区別なく右に述べた神の如き何かが各自に宿っていることは、
僕の堅く信ずる所であって、
また何人も信じなくとも否定の出来ぬことであろう。
そこでこの何ものかがあるいは勧めあるいは命じあるいは禁ずるものを僕は内部の矩といいたい。人はそれに背こうとしても背かれぬ、強て背けば終生心に不安を感ずる、この内部の矩を制定するのはあるいは神といわんか、昔のソクラテスのデイモンといわんか、旧約聖書にある声(voice)といわんか、名は人によりて異なるにしてもともかく自己以上の偉大なる威権を有するものがあるだけは何人も認めるところであろう。何人も認めながらその声に
何時も服従する者は甚だ少い。要するにこの声を
能く守る者は善良なる人、悉くこれに従えば聖人君子というものであろう。孔子が七十歳に至って始めて矩を踰えない域に達したのは外部の矩よりも寧ろ内部のこの矩を意味したのではなかろうか。孔子は若い時には随分他人の排斥を受けたようであり、他人の反感を買ったこともあったであろうけれども、彼は大して風俗習慣を破ったことを聞かぬ、もし彼が外部の矩に背いたことありとすれば、下劣なる輿論に背いた位なものであろう。大体に於ては若い時から外部の矩を能く守った人と思わるるにかかわらず、七十にして始めて矩を踰えないところに達したと断言せるを見れば、この矩は必ず内部の矩であったろうと思われる。
もしそうならば孔子はその欲することが悉く良心の命ずる所と一致したのである。
これを顛倒していえば良心の命ずる所は一として心の欲せざる所はないことになる。
心の欲望と本心の命令とが合致したのである。やや極端に聞えようが、人と神と合致した所に達したのではないか。というも僕は孔子を以て神と同一視するのでないが、ウエルスのいわゆる神の意で合致せるというに過ぎぬ。
外部の
矩は守り
易い。また
悉くこれを守ったところがその人は平凡な国民あるいは臣民たるに過ぎない。これに反し
内部の矩を守るは頗る難く、
その代りにこれを完うすれば即ち聖人君子となるのである。ところが内部の矩の命ずることは必ずしも外部の矩の命ずるところと合致しない、一般臣民が善良なる風俗習慣としあるいは結構な法律と
見做しているものも、聖人君子もしくは時代より一歩進んだ先覚者の眼より見れば、あるいは時世後れであったりあるいは無意味であったりあるいは有害であると認むるものが少くない。この場合には外部の矩は服従を要求しても内部の矩はこれに反対を命ずる、そこで内外の衝突が起って、何れの矩に従うべきか、凡人の思い寄らぬ争闘が心の中に起る。この場合には我々
凡夫は内部の矩を棄てて外部の矩の要求通り行っておれば安全にしていわゆる自由に世を渡れるからその方を望む者が多いのであるが、
しかし聖人君子の如き先覚者になると、
外部の矩より内部の矩の方が大切であり、
己の心に反していわゆる安固にいわゆる自由を求むることを潔とせぬ、
そこで俗界のいわゆる安固と名利もこれを犠牲にしてまでもなおかつ内部の自由と安固とを得んとする。これは今日までの先覚者の例を見ても覚ることが出来る。近き例をいえば吉田松陰の
かくすればかくなるものと知りながら
止むに止まれぬ大和魂
というたのは、時の法律に反けば自分の生命の危きことは百も承知である、即ち外部の矩に反けば外部の利益自由を失う、生命をも失う、これは承知でありながら、如何せん止むに止まれぬ、反くに反かれぬ命令が心の中に発布せられ、その矩に従わざるを得ないところに立ち入ったのである。
耶蘇の伝を見ても世人の望むがままに身を処し、言いたいこともいわず、潔しと思わぬことも
行い、時の政府の意に反かずにいたなら、あのような不自由もせず、あのような悲惨な死を遂げなかったであろう。洋の東西を問わず主義のために
斃れ、宗教のために殉じた人々、あるいは時代より一歩進んだ考を懐き身を犠牲にした人々は、何れも内外の矩の衝突を経験して、その
都度外部の矩に従わずして内部の矩に従った人である。僕はデモクラシーを論ずるに当りてその一大要素たる自由を、単に法律上の権利とか社会上の特権とかに限りて思うている間はまだまだ真の自由を解さぬもののような心地する。
内部の矩を踰えない自由を理解してこそ始めてデモクラシーの真の味が分るものと思う。僕は仏教の教には甚だ暗いが、経文中でしばしば教ゆる一切平等は法律的あるいは社会的のものをいうの意でなく、僕がここに述べた意より一層深い一層高い意であると信ずるが、せめてここに説ただけの程度に於てさえも自由の何たるを理解するにあらざれば、デモクラシーの理想に達することは甚だ
覚束ないと思う。
またデモクラシーの指導者となるべき者は、自己の内部の自由を得んがために、外部の自由や権利をも捨つる位の覚悟がなければその目的を果すことは出来ない。先覚者は必らず時代に
容れられないものである。彼らは時代の社会より一歩か二歩、もしくは十歩二十歩先に出ている。よく兵を動かす指揮官は隊の中にありとはいいながら、身そのものは隊より数歩先に進んで
率ゆると同じようなものである。身は社会にありてなお世のものではない、従って世から誤解されるのが当然である。ある意味に於ては誤解でない、低い程度に於て理解されているのである。庭に
餌拾う小雀は鷲の心を知らぬというが、小雀といえども鷲の心情を一から十まで誤解するのでない、その一
分二
分は確に理解するも、あとの七分通りが分らぬのである。これ誤解でなくして不解である。
この不解を恐れて自己の良心に反くことはただに自己に不忠なるばかりでなく、
世に対しても不忠になる。何となれば先覚者があればこそ世が進むのである。一国の人々の思想が悉く統一されたり、何事に就ても異説がないとしたら、社会は如何にして進歩があろうか。いわゆる時代思想に超然たる人あればこそその人を殺してもなおその人の恩を受けることは遠い例に
鑑に必要もない、明治維新の際、日本を造った人は何れも当時の幕府より見れば異論であり売国奴であり危険思想を懐いていた人々である。彼らはその一身を犠牲にしたけれども、しかも彼らによりて新しい日本は造られたのである。佐藤一斎のいわゆる俗情に
墜らざるこれを
介というと教えたのはこの点であって、
如何に外部の圧迫が強くとも、己の心に
潔とせざることに従わぬところを俗情に
墜らずというのである。恐らく人間と生れた最大の権利は自分の心に従うことであろう。心の外に別の法なし、
少くとも心に優る法律はない、勿論この
理を極端に説けば、啓発されない人心までも心であるから、その心に従い、それ以外のものに反くというたなら、社会の成立は出来なくなる。そうなれば前に述べたルソーのいわゆる自由となりて動物と選ぶところがなくなる。故に孟子の教でも陽明の教でも、徳川の圧制政治ではこれを危険視して教えなかったのも無理ならぬことである。
今僕がやや陽明に関した説をここに述べ、自由の本義を述べたが、読者に於ては既に承知のことであろう、しかしこの説を誤れば独り我身のみならず社会をも
過るものである故危険が多い、危険の多い説なるが故に、僕は注意を
惹くの必要ありと思い、ここにその一端を述べた次第である。
〔一九一九年三月一日『実業之日本』二二巻五号〕