萩原朔太郎! 少年時からの懷かしさで、今では兄のやうに思へる。氏と語る時には、常に寡默な輕い憂鬱さを知る。秀でた人のもつ善良の味だ。私は實にその偏奇な高潔さが好きだ。卓を挾んで拳鬪家のやうに語り合ふ事は、極めて尠い。が、語る!
怒り、淋しい頽廢の怒り、閃く、自棄的な時、どこにも快活な、何物へも得意さと云ふものが現はれない日、病的な程堪へ難い日がある。また晴天の日、松林を走るやうな愉快な疳の高い日の氏は、腸の蟲まで笑ひこける、押へつけられないやうな氣がする。其程、輕快な警句が躍り上る。
然し、一體に重い影の中に、氏の姿はある。
四月、自分が見すぼらしい下宿の二階を間借りしてゐる氏を訪ねて、今度の「郷土望景詩集」の原稿を拜見した時、その多くが餘りにも、激越的な忍耐強い人のよくする怒りが、綴られてゐるのに驚いた。其時、氏と散歩して來た、非感覺的な櫻の花が咲きみだれてゐた前橋公園や、かつて「雲雀の巣」に歌はれた堤防附近や、その他抒情的風景の多くが、氏にとつて内心の惡舌を吐きかける所となつてゐるのに驚いたのであつた。内心の惡舌は即ち内心の泣訴である。「友よ、君が生活を匿して、その魂を示せ!」クトル・ユウゴウの言葉そのものが、その中にひそんでゐる。
氏が、郷土に於ける生活は、さなきだに因習的な莫迦らしい制度や、臆面もない抑壓的なものが、自然と外から内へまで、のさばり込んだらしい。それへの怒り! 即ち生活的の苦は、藝術的の怒りとなつて現はれたのだ。自分はこの堪へ難いやうな作品を見た時に、藝術的であると云ふ言葉をもつて、之等の詩に對する事を排けなくてはならぬと思つた。何故なれば、餘りにも、藝術のもつムード以外の生活的悲鳴が、之等を領してゐたからである。
「月に吠える」や「青猫」によつて氏を洞見してゐた讀者は、如何にこの詩集によつて驚異するであらう。以上の詩集によつて知らるる氏は、強い厭生思想者であり、神祕的な詩人である。この眼をつぶつた、齒を食ひしばつた怒りを知らない。この現實的な苦悶を知らない。
最近の氏には、今までにない内攻する苦悶が見える。田舍に住む事以外に、多樣の堪へ難い行き詰りがあるらしい。殊に何物かの甚だしい行き詰りがあるらしい。この詩集はそれへの一つの暗示であるやうに思ふ。
ともあれ、この詩集に於いては、孤獨に生きねばゐられなかつた氏が、孤獨に生きる事の苦しさを告白した、悲痛なる一種の記録である。今、自分が氏に就いて語らうとするのは早計である。けれ共、氏に就いて語らうとする者は、この詩集を繙いて、如何に如實なる氏を知る事が出來るであらう。生活者としての氏を識る者は、藝術家としての氏を敬する以上に、惱ましいまでの親和を感ずるであらう。
尠くもこの詩集によつて、氏に一轉化の來たされんとしつつあるは、誤らない事實だ。昨日の高踏的詩風に、この現實的なバツクの浸潤を加へる事によつて、氏の藝術境は一層の深刻を加へる事であらう。私は此等の詩に接して、更に更に何等のあます所なく、どんなに愉快な喜びの念にうたれるか知れない。と共に、苦蓬酒のやうな生活の中に、隱忍的の苦を送つてゐられる氏を、強い感激的な念にうたれざるを得ない。以上を跋文の形として、日頃の喜びと、懷しさを、更に更に高く捧げたく思ふ私である事は、世の多くの讀者とまたすこしも變らないのである。
大正十三年初秋
萩原恭次郎