市川九女八

長谷川時雨




       一

 若い女が、キャッと声を立てて、バタバタと、草履ぞうりとばして、楽屋の入口の間へけこんだが、身を縮めて壁にくっついていると、
「どうしたんだ、見っともねえ。」
 部屋のあるじは苦々にがにがしげにいった。渋い、とおった声だ。
 奈落の暗闇くらやみで、男に抱きつかれたといったら、も一度此処ここでも、きもを冷されるほどしかられるにきまっているから、弟子でし娘は乳房ちぶさかかえて、息を殺している。
「しようがねえ奴らだな。じてえ、お前たちが、ばかな真似まねをされるように、ぼんやりしてるからだ。」
 舞台と平時ふだんとの区別もなく白く塗りたてて、芸に色気が出ないで、ただの時は、いやに色っぽい、女役者の悪いところだけ真似るのをいやがっている九女八くめはちは、銀のべの煙管キセルをおいて、鏡台へむかったが、小むずかしい顔をしている渋面が鏡に写ったので、ふと、口をつぐんだ。
 七十になる彼女は、中幕なかまく所作事しょさごと浅妻船あさづまぶね」の若い女にふんそうとしているところだった。
「お師匠さん、ごめんなすって下さい。華紅かこうさんが、よそのお弟子さんと間違えられたのですよ。」
しいちゃん、そのに、ばかな目に逢わないように、言いきかせておくれよ。」
 九女八は、襟白粉えりおしろい刷毛はけを、手伝いに来てくれた、鏡のなかにうつる静枝にいった。根岸の家にも一緒にいる内弟子の静枝は、他のものとちがって並々の器量うつわでないことを知っているので、
しいちゃん、あすこの引抜きを、今日はうまくやっておくれ。引きぬきなんざ、一度覚えればコツはおんなじだ。自分がるときもそうだよ。」
 静枝は――後に藤蔭ふじかげ流の家元いえもととなるだけに、身にしみて年をとった師匠の舞台の世話を見ている。
 名人と呼ばれ、女団十郎と呼ばれ、九代目市川団十郎の、たった一人の女弟子で、九女八という名をもらっている師匠が、歌舞伎座のような大舞台を踏まずに、この立派な芸を、小芝居こしばいや、素人しろうとまじりの改良文士劇や、女役者の一座の中で衰えさせてしまうのかと、その人の芸がおしくって、静枝は思わず涙ぐんだ。
 鏡へうつる眼のなかのうるみを、見られまいとしてうつむくとたんに、九女八づきの狂言かた藤台助ふじだいすけが入口の暖簾のれんを頭でわけてぬっへやへはいって来た。
「どうしたんだ、叱られでもしたのか。」
 そういうのへ、九女八はいぶかしそうに顔を向けた。静枝へいっているのではないと思ったからだった。
「ははァ、からかったのはお前さんか。」
 九女八は、若いもの調戯からかいたがる台助のくせを知っているので、口へは出さないが、腹の中でそう思っている。
「師匠、この次興行、浅草へ出てくれないかというのだが――」
 静枝は、台助の顔を、にらむつもりではなかったが、そう見えるほど厳しく下から見上げた。今もいま、師匠のかけがえのないい芸を、心の中で惜んでいたのに、このおじいさんは見世みせものの中へ出すのか――と思ったからだ。
「なんだ。二人とも、妙なつらあするんだな。」
 座頭ざがしらへむかって、仮にも、狂言方が、そんな、いけぞんざいな言葉がいえるはずはないのだが、台助は九女八の夫で、しかも、九女八にれ込んで、大問屋の旦那が、家も子も女房も捨て、小芝居の楽屋へころがり込んだという、前身が贔屓ひいき筋ではあるし、今も守住もりずみさんで通っている亭主だったのだ。
「考えておきましょうよ。」
 女房の九女八は、女団洲だんしゅうで通る素帳面きちょうめんな、楽屋でも家庭うちでも、芸一方の、言葉つきは男のようだが、気質のさっぱりした、書や画をよくした、教養のある人柄だった。
 れてるとはいいながら、九女八の扮装は手早かった。水刷毛みずばけをすると、まゆは墨をチョンと打って指で引っぱる。くちびるの紅は、ちょいとつけて墨をさして、すッと吸っておくばかりだ。
 それでもう、生々いきいきした娘の顔になっている。子供のときから、御狂言師でたたき込んでいるので踊のおさらいのような、けばけばしい鏡台前ではなかった。筆は一本うさぎの足が一ツという簡素さだ。お茶とかきもちがすきなので、それだけは、いつもかたわらにある。
かつらがさきへ帰るからね、晩御飯に、さんま食べるって――浅漬あさづけもとっといておくれ。」
 湯呑ゆのみと手鏡を持って、舞台裏まで附いてゆく静枝にいいつけた。

 根岸のうちは茶座敷などもあって、庭一ぱいの鷺草さぎそうが、夏のはじめには水のようにう、青い庭へ、白い小花を飛ばしていた。
 そんな日の午前あさ、紫の竜紋りゅうもんあわせ被衣ひふを脱いで、茶筌ちゃせんのさきを二ツに割っただけの、鬘下地かつらしたじった、面長おもながな、下ぶくれの、品の好い彼女は、好い恰好かっこうをした、高い鼻をうつむけて、そのころ趣味をもった、サビタや、メションや琥珀こはくのパイプを、並べて磨いている。
 養女の菊子に、台助が、意味をもった眼づかいをして、何か小用を、甘ッたるく言いつけているのを後にきいて、軽く眉をひそめていたが、台助が外出した気配にホッとしたようで、
「静枝さんは、依田よだ先生のところへいったかい。」
「ええ、丁度、今帰りました。坂本の栄泉堂おかのへお菓子を買いにいったら、帰りが一緒になりましたの。」
と、内弟子の華代子かよこが、餅菓子を好い陶器やきものはちへ入れて持って来ていった。
 二人の内弟子のうち、華代子は他のものにはきらわれたが気に入りなので、師匠の小間使いをしている。静枝には海老茶袴えびちゃばかまをはかせて玄関番をさせ、神田小川町の依田百川ひゃくせん――学海がくかい翁のところへ漢学をならわせにやるのだった。
「女役者だって、学問があって、絵が描けなければだめだよ。」
 彼女も、用がなければ、サビタのパイプをいじる前には、絵筆をひねっているのだった。
 けれど彼女に、守住月華げっかという雅号のような名があるのは、絵を描くためではなくって、明治十一年ごろからはじまった、演劇改良会の流れで、演劇改良論者の仲間であった学海が、明治廿四年浅草公園裏の吾妻あづま座(後の宮戸座)で、伊井蓉峰いいようほうをはじめ男女合同学生演劇済美館の旗上げをした時、芳町よしちょうの芸妓米八よねはちには千歳米波ちとせべいはと名乗らせた時分だったか、もすこしあとで、川上貞奴さだやっこ援助たすけに出た時だかに、彼女にも守住の本姓に月華という名を与えたのだった。
 岩井粂八くめはちといった時分の弟子には、紀久八きくはちたちがあるが、月華になってからは、かつらとか、名古屋の源氏節から来た女にも、華紅かこうとか、華代子とかいう名をつけた。新しい弟子の静枝も、学海居士こじが名づけたのだった。
 彼女は、好物な甘いもので、にがいお茶を飲んで、しずかな日が、気持ちよげだった。
「こんやは一ツ、しいちゃんに『舌出し三番』でも教えるか。」
といったが、古い日のことを思出したのであろう、お前の踊の師匠だった、おとねさんは、しどいよ、と言った。
 おとねさんという名をきくと、静枝は故郷の新潟にいがた花柳界さかりばを思いだした。静枝の踊の師匠は、市川の名取りで、九代目団十郎の妹のおなるさんという浅草聖天町しょうてんちょうにいた人の弟子だった。
「そういえば、お師匠さんが新潟へおいでになった時、あたしはまだっぽけでした。おそろいの浴衣ゆかたを着て、川蒸気船の着く、万代ばんだい橋の川っぱたまで、お迎えに出ていましたっけ。」
「うん、そんなこともあったっけね。」
 九女八はじっと、庭の鷺草を見つめた。
 新潟の花街さかりばで名うての、庄内屋の養女だった静枝までが、船着き場へ迎いに並んだほど、九女八の乗り込みは人気があったのだが、それも、会津屋あいづやおあいといった芸妓が、市川流の踊りの師匠で、市川とねと名のっていたから、同門のよしみで、華々しく迎えたのだった。
 土地の顔役で、江戸生れのお爺さん、江戸鮨えどずしの孫娘に生れた静枝は、直江津なおえつまでしか汽車のなかった時分の、偉い女役者が乗込んで来た日の幼かった自分の事も、あの、日本海の荒海から流れ込んでくる、万代橋の下の水の色とともに目にうかべ、思い出していた。
「出しものは道成寺どうじょうじだ。勧進帳かんじんちょうを出したのは、興行師ざかたらから、断わりきれない頼みだったんだ。そのこたあ、おとねだって知ってたのに。」
 それがもとで、市川升之丞ますのじょうの名を取り上げられ、九代目団十郎から破門され、また岩井粂八の名にかえって、しばら蟄伏ちっぷくしなければならなかった、嫌な思出と、若かった日のことなども、それからそれへと、九女八も思いうかべている。
「お師匠さんは、新潟へらしった時から、九女八だったとばっかり思ってました。あたし、ちいさい時でしたから。」
「市川升之丞さ。」
 九女八は、タバコやにの流れた筋が、あめ色に透通すきとおるようになった、琥珀こはくのパイプをすかして眺めて、
「あたしは、一番はじめの、踊の名取りが阪東桂八ばんどうけいはちさ。それから、女役者になって岩井粂八、それから市川升之丞、守住月華、市川九女八さ。」
 随分とりかえたものさねと、自分のことではないような、淡々としたふうにいって、
「だが、師匠運は、ばかに好いのさ。阪東三津江みつえというお狂言師は、永木えいき三津五郎という名人の弟子で、まあ、ちょっとない名人だよ、高名なものさ。岩井半四郎は、大杜若おおとじゃくと呼ばれた人の孫だったかで、好い容貌きりょう女形おやまだった。けれど、なんといったって、市川宗家つきじほどの役者の、門弟でしになったなあ、あたしの名誉さ。」
 ほんとに、団十郎の芸には心酔している言いぶりだった。
「好い先生といえば、ねえ、お師匠さん、依田先生が、和歌も学んだ方が好いから、竹柏園ちくはくえんに通ったらどうだと仰しゃって、入門のことを話しといてあげると仰しゃいました。」
「そりゃあ豪儀だな。」
 ふくみ笑いを、ほんとに笑ってしまって、
「学問は上達しても、踊が、あれじゃあなってねえな。おめえたちのは、踊ってるんじゃなくて、畳をめてるんだ。」
 機嫌の好い皮肉だった。
「あっしゃ全体、神田の豊島町としまちょうで生れたんだけれど、牛込うしごめ赤城下あかぎしたに住んでたのさ。お父さんはお組役人――幕末あのころ小役人こやくにんなんざ貧乏だよ。赤城神社あかぎさま境内なかに阪東三江八ってお踊の師匠さんがあってね、赤城さまへ遊びにゆくと、三江八さんのところの格子こうしにつかまってのぞいてばかりいたのさ。」
 呼びこまれて踊ってみると、見覚えで踊れた。それから親には内密ないしょで教えてくれたのだが、お母さんが肩を入れだして、どうかお父さんに許されるようにと、何かの祝事いわいごとのあった時、父親やその仲間のいるところで本式に踊らして見せたので、その後、直に父親を歿なくなしてからも、十三、四から踊りの手ほどきをして、母親と二人で暮していけたのだがと、めずらしく身の上ばなしをしだした。
「おぶんさんという、常磐津ときわずの地で、地弾じびきをしてくれる人が、あたしを可愛がってね。小石川伝通院でんづういんにいた、高名な三津江師匠のところへ連れてってくれたのだが芸はこわい。」
と彼女はふとい息を吐いた。
「それまで、あたしが踊ってたのは、手ふりさ、踊りなんかじゃないのさ。それから、本当の踊りをしこまれた。」
「そういえばお師匠さん、高橋お伝をおやんなさったことがあるでしょ。」
「ああ、たしか明治十七年ごろだった。」
「いいえ、もっとあとで、見た人が、お伝になった、お師匠しょさんの扮装おつくりを見て、お師匠しょさんの若い時分――年増としまぶりを見た気がしたって、言ってました。」
「あッしゃあ、あんなじゃなかったよ。」
 苦りきったかげが唇をかすめたが、湯呑ゆのみの銀のふたをとって、お茶を飲んでしまった。
「もっとも、あの着附きつけは、あの時分の年増の気のきいた好みさ。だが、あッしばかりじゃない。全体、あの『綴合於伝仮名書とじあわせおでんのかながき』というのは、いつだったかねえ、お伝の所刑しょけいは九年ごろだったから――十一、二年ごろに菊五郎ごだいめ河竹黙阿弥かわたけもくあみさんに書下かきおろしてもらって、そうそう裁判所のところが大詰おおづめに出るので、大道具長谷川勘兵衛かんべいさんと、裁判所まで行ったんだよ。なんでも、その時の話に、おでんというひと伝法でんぽうな毒婦じゃなくって、野暮やぼな、克明な女だから、そういうふうにるっていったことだが――そうかも知れないね。お伝は、上州沼田というところの御家老の落し種で、利根とねの方の農家おひゃくしょうのところで生れたのだそうだから。」
「でも、お師匠しょさん、すこし根下りの大丸髷おおまるまげに、水色鹿の手柄で、鼈甲べっこうくしが眼に残っていますって――黒っぽい透綾すきやの着物に、腹合せの帯、襟裏えりうら水浅黄みずあさぎでしたってね。そうだ、帯上げもおなじ色だったので、大粒な、珊瑚珠さんごじゅ金簪きんかんざしが眼についたって。」
 朝、目が覚めて、蚊帳かやから出た時に、薄暗い庭の植込みに、大輪な紫陽花あじさいの花を見出すと、その時の九女八のおでんが浮びあがるといったことや、それは、浅草蔵前くらまえの宿で、病夫浪之助を殺して表へ出た時の着附きつけだったか、つかまる時のだか、そんなことはもう、おぼろげになってしまっているといってたのを、はなした。
「お師匠さんは、あんな役、きらいなんでしょ。」
「まあね、いって見れば、あたしは、女団洲と呼ばれたくらいだし、自分でも、団十郎くだいめのすることの方が好きだから――わかりもしないくせに、高尚ぶってるといわれたりしたけれど、もともとお狂言師は、生世話物きぜわものをやらなかったからねえ。それが癖になってて、新世話物ざんぎりに行けなかったのかも知れない。」
 ――けど、おかしいわ、ちっと――
 そうそう、新入門の、とし子さんならば、そうハキハキと問えるかもしれない、と考えながら、静枝は、
「でも――それでも、お師匠しょさんは、もっと新らしい、書生芝居にもお出なすったのでしょう。」
 九女八は、理窟りくつを言う、静枝のみずみずした丸い顔を見て、
「あたしは、こんな、小さながらだけれど、毛剃けそりだの、熊谷くまがいの陣屋だの、あんなものが好き。山姥やまうばなんぞも団十郎のいきで、彫刻ほりもののようにりあげてゆきたい方だが、野田安のだやすさんて、松駒連まつこまれんの幹事さんで芝居に夢中な人が、川上さんのお貞さんを助けて出ろと、なんといってもきかないのでね、芸は修業だから出もしたし、それに文士方の新史劇の方は、――史劇は団十郎ししょうも気を入れていたのだもの。」
 彼女はふと気を代えていった。
「お前さんも、あんな、抱えの芸妓衆げいしゃしゅうや、娼妓おいらんが、何十人いるうちの、踊舞台だって、あんな大きなのがある、庄内屋さんの家督あととり娘にもらわれてて、よくよく芸が好きなればこそ、家を飛出してあたしんとこなんぞの、内弟子になってるんだから、よく覚えてくれなけりゃあ、しようがない。」
 そら、お談議になったと、静枝がかしこまって、閉口へいこうしかけているところへ、
今日きょう、おぐし、お染めになりますか。」
と、風呂ふろの支度をする女中がききに来たので、静枝は、やれ助かったとホッとした。

       二

 ――降り出した雨。
 ト、舞台は車軸を流すような豪雨となり、折から山中の夕暗ゆうやみ、だんまり模様よろしくあって引っぱり、九女八役くめはちやくは、花道七三しちさんこもをかぶって丸くなる。それぞれの見得みえ、幕引くと、九女八起上り合方あいかたよろしくあって、揚幕あげまくへ入る――
 蚊のなくように、何時いつ、どこで、なんの役でかの、狂言本読みの、たて作者が読んできかす、ある役の引っこみの個処ところが、頭の奥の方で、その当時聴いた声のままで繰返してきこえる。それについて、その役の、引っ込みの足どりまで、九女八は眼の前の、庭の雨を眺めながら、考えるともなく考えているのだった。
 ――はて、この役は、女だったかな、男だったかな――
 ながい舞台生活は、華やかなようでも、る役は、普通生活とおなじで、そうそう他種類はない。自分についた持役もちやくは大概きまっていて、柄にない役はもってこないのだが、どうしたことか、今考えている役がなんだか、九女八には思いだせない、それに、なんでも思い出さなければならないことでもない。と、そう思うかげに、ながい間役者をしたが、とうとう、団十郎ししょうと一つ舞台に並べなかったという、何時も悲しむさびしさが、心の奥を去来していた。
「あたしは、考えかたが、間違ってた。」
 九女八は、鷺草の、白い花がポツポツと咲き残るのへ降る雨が、庭面にわもを、真っ青に見せて、もやもやと、青い影が漂うようなのに、きっと心をひかれながら、つぶやいた。
「なにがよ。」
 芸者や、役者の配り手拭てぬぐいの、柄の好いのばかりでこしらえた手拭浴衣を着て、八反はったんひらぐけを前でしめて、寝ころんだまま、耳にかんぜよりを突ッこんでいた台助が、におちない顔をした。
「なんてって――」
 九女八は、まだ、素足すあしの引っこみの足どりの幻影かげを、庭の、雨足のなかに追いながら、
成田屋ししょうのうちの庭は、あすこらあたりに、大きな、低い、捨石があったっけが――」
と、自分でも思いがけない、話の本筋とは違うことを、ふいと、口に浮び出したままいった。
「お歿なくなんなすってからも、居間おへやの前の庭は、当時そのままだから――」
 九女八は、一木一石といったふうの団十郎ししょううちの庭に、鷺草が、今日も、この雨に、しっとりとれているだろう風情ふぜいを、思うのだった。
 台助は、なんとなく顔をあげて、庭もせから、部屋の中を見廻した。其処そこには、自分の趣味なんぞ半けらもなかった。九女八の好みであり、それは、彼女が私淑した成田屋くだいめ好みである、書画、骨董こっとう、それら、人格に深みを添えるたしなみが、女役者の住居すまいとは思わせなかった。
「高田先生(早苗さなえ)は、あたしを女のままで、女役にして、団十郎ししょうの相手をらせてくださろうとなさったのだったと、はじめて――始めて、わたしは気がついた。」
 九女八の唇は細かくふるえている。ちらりと、それを、台助は見ないのではないが、
「今更おそい――か。おくれたりだなあ。」
 同情しながら、わざというのかもしれないが、おひゃらかしたふうにもとれた。が、九女八はそれにはかまわず、
「師匠の芸の神髄をつかんだ、と思ったのは真似まねだけだったのか――師匠は、女団洲なんて、いやだったろうなあ。」
「だっておめえ団十郎なりたやだって、高田さんにそういったってじゃねえか、九女八あれが男だと、対手あいてにして好い役者だって――だから、お前が、女に生れたってことが、師匠くだいめといっしょにれなかったということなんで、生れかわらなきゃ、頭から駄目だったのだ。」
「そうじゃありませんよ、静枝やとし子さんの考えを見ても、川上さんや、依田先生たちのことを思い出しても、あたしは、毛剃けそりや、弁慶がうまかったのがいけなかった。」
「高田先生は、そのつもりだったのかも知れないが、宗家そうけはそうじゃなかろうぜ。」
「あたしを女優――女形おやまとして、相手にはしなかったろうとですか?」
「そうじゃないか、彼女あれは立派な役者ものだ。男だったら、おれの相手だがと、だから、高田先生せんせいに言ったんだ。」
「いいえ。」
 九女八はしみじみとして、
「あたしがねえ、小芝居ばかりに出ていたので、どうかして、あれをめねえものかと仰しゃってたそうだから――」
 緞帳どんちょう芝居――小芝居へ落ちていた役者ものは、大劇場出身者で、名題役者なだいやくしゃでも、帰り新参となって三階の相中部屋あいちゅうべやに入れこみで鏡台を並べさせ、相中並の役を与え、たしか三場処ほど謹慎しなければ、もとの位置にはもどさない仕来しきたりがある、階級的な差別の厳しいのが芝居道だった。
 九女八は、下谷したや佐竹ッぱらの浄るり座や、麻布あざぶ森元もりもと開盛座かいせいざを廻り、四谷よつや桐座きりざや、本所ほんじょの寿座が出来て、格の好い中劇場へ出るようになるかと思うと、また、神田の三崎町みさきちょうの三崎座に女役者の座頭ざがしらになってしまったりする。その上に、勧進帳のことで破門されたりして、九代目に芸を認めてもらえながら、引上げてもらう機運をはずしたのだと、もう、どうにもしようのないわびしさを、んでいる。
「二銭団洲だって、歌舞伎座を踏んだのにな。」
 台助は、はずみで、そんなことを言ってしまってから、しまったと思った。九女八がにがい顔をしたからだった。二銭団洲とは、下谷の柳盛座りゅうせいざで、二銭の木戸銭で見せていた、阪東又三郎が、めっかちではあるが団十郎を真似て、一生の望みがかなって、歌舞伎座の夏休みのあきを借りて乗り出したことがあったのを、いかもの食いの見物が、つねづねうわさに聞いた二銭団洲を見にいった。出しものは「酒井の太鼓」だったが、あとで座付き役者から物議が起ったことがあったりした、九女八にはいやな、ききたくないことなのだ。
「仕方がないよ、あたしは、はじめっから小芝居へ出てたものね。女役者なんて、あたしたちから出来たのだもの。」
 九女八は、おいても色の白い、柔らかい足を出している、台助の足の小指にさわって見た。
 台助は、艶々つやつやとした、額から抜け上っている頭の禿はげかたも、柔和な、品の悪くない、いかにも以前もとは大問屋の旦那であったというふうな、鷹揚おうようさと、のんびりした耳朶みみたぶとを持っている、どこか好色そうな老爺としよりだった。
「大阪の千日前せんにちまえ芦辺倶楽部あしベクラブというのが出来るそうで、師匠が出てくれるならば、月額千円は出すというのだそうだ。」
 九女八は、考え、考え、台助の小指をいじりながら、
「見世物小屋ではないでしょうかねえ。でも、お金がたまれば、も一度、何か、やって見る事も出来るでしょうから――」
「一年十二ヶ月、頭から約束しようというのだが――いてえよう。」
と、台助は足をひっこめた。
「そりゃそうと、しげを久しくやらないね。」
染分手綱そめわけたづなですか――繁の井をすると、思い出すものね。」
 弟子分でしぶんだった沢村紀久八さわむらきくはちが、おひと繁の井をしていて、じねんじょの三吉との子別れに、あんまりよく似ている身の上につまされ、役と自分とのわけめがつかなくなって、舞台で気の狂ってしまったことを思い出すからだった。
 しかも、その、女役者紀久八は小説にもなり狂言にもなっている。佐藤紅緑こうろく氏の「侠艶録きょうえんろく」の力枝りきえという女役者は、舞台で気の狂った紀久八がモデルであった。小栗風葉おぐりふうようだったかのに、「鬘下地かつらしたじ」というのがある。
「紀久八は舞台で気狂いになったが――あたしは舞台で死ねれば本望だ。なあに、小芝居だって見世物小屋だって、お客さまはみんな眼玉をもってらっしゃる。どんな人が見てくださってるかわかりゃしない。」
「じゃあ、まあ、とにかく、大阪の方の話は、出来そうな工合に、返事をしといてもいいね。」
 ――これは、もちっとあとのことで、九女八はこの大阪から帰ってから後、大正二年の七月に、浅草公園の活動劇場しばいみくに座で、一日三回興業に、山姥やまうば保名やすなを踊り、楽屋で衣裳いしょうを脱ごうとしかけて卒倒し、そのままになってしまったのだった。大阪でためて来た金は、九女八が、何か計画して考えていたことには用いられず、終焉しゅうえんの用意となってしまったのだが、台助は、そんな予感がしたのかどうか、ふいと、仕かけていたその談話を打ち切って、
「俺は、ちょいとその事で、出かけてくる。」
着更きがえをしかけたところへ、静枝が名刺を読みながら来て、
「お師匠さんの芸談を聴きに来た、演芸の方の記者かたらしいのですよ。談話はなしといてくだすった方が好いと思いますから、お逢いになってくださいな。」
と、婉曲えんきょくに、この名人の真相を残させたい、弟子の心やりですすめた。
「じゃあ、茶室へでもお通ししといておくんなさい。」
と九女八が言っているうちに、台助は玄関で、来訪者とれちがいに、傘をさして、門の外へ出ていった。
「おや、お出かけですか。」
と、台助に声をかけたのは、通りかかった芝居道に通じている、芸人の間を歩き廻る顔の広い男だった。その男は、九女八のうちの門口で、顔馴染かおなじみの台助に逢うと、いま聞いてきたばかりの、けむの出るような噂がしたくてたまらなくなったように、
「そういえば、御存じだろうが、あっしゃあ今聞いたばかりのホヤホヤなんだ。話は古いことだが、お宅の師匠は、以前もと堀越ほりこしから、なんという名をおもらいなすってた。」
「升之丞ですよ。」
「そうだってねえ、守住さん。それについちゃあ、面白い話があるんだ、何時いつ、九女八とおなんなすった。」
「さあ、たしか、新富町しんとみちょう市川左団次たかしまやさんが、わびに連れてってくだすって、帰参きさんかなったんですが――ありゃあ、廿七、八年ごろだったかな。」
「そこなんだよ守住さん、御勘気に触れて破門された時に、師範状を取上げに行ったのは、談州楼燕枝だんしゅうろうえんし落語家はなしか)だったってね。それがね、宗家そうけへおさめねえうちに、その師範状をなくしちゃったんだとさ、すっかり忘れてると、急に帰参が叶ったので、やっこさん弱ったのなんのって、でね、九代目の女弟子で、もとが岩井粂八だから、粂の字をの宇との字にした方がいいって、こじつけちゃったんだそうだが――滑稽こっけいさね。」
「へえ、そんなことがありましたんですかねえ。」
 台助は、傘を打つ雨を見上げた。上層そこは晴れているのか、うすねずみ色の雲からこぼれてくる雨は白く光っている。
「ねえ、お前さん、この雨の工合は、九女八うちの芸のような――地震加藤とか光秀みつひでをやる時の――底光りがしてるじゃねえか。木下尚江きのしたしょうこうさんという先生は、日本にすぐれた女性が三人ある、おそれ多いが神功じんぐう皇后様を始め奉り、紫式部、それから九女八だと仰しゃったそうだが――」
と、たいして親しくもない男へも言いかけたい気がした。
 うちでは九女八が、訪問者へ、こんなふうな懐古談をしているときだった。
「母が再縁いたしますと、養父が自儘じままな町住居ずまいをしているような、道楽者の武家でして、私は十六の年、小石川水道町で踊の師匠をはじめました。ええ、私がごく小さい時分に、両国におででこ芝居がございましたのと、妥女うねめはら小三こさんという三人姉妹の芝居があり、も一つ、鈴之助というのがあっただけで、これらは葭簀張よしずばりの小屋でございますから、まあ私どもが、芝居小屋でやりました女役者のはじめのようなもので――初開場? 薩摩座さつまざの出勤には、政岡と仁木。その次が由良之助でございました。」
 語りさして、彼女もふと、白い雨のこぼれてくる、空を見上げていた。





底本:「新編 近代美人伝(下)」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年12月16日第1刷発行
   1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「春帯記」岡倉書房
   1937(昭和12)年10月発行
初出:「東京朝日新聞」
   1937(昭和12)年6月23〜29日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2007年4月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について