暗の夜更にひとりかへる渡し船、殘月のあしたに渡る夏の朝、雪の日、暴風雨の日、風趣はあつてもはなしはない。平日の並のはなしのひとつふたつが、手帳のはしに殘つてゐる。
一日のはげしい勞働につかれて、機械が吐くやうな、重つくるしい煙りが、
石川島の工場の烟突から立昇つてゐる。
佃から出た
渡船には、
職工が多く乘つてゐる。築地の
方から出たのには、
佃島へかへる魚賣りが多い。よぼよぼしたお爺さんの
蜆賣りと、十二三の腕白が隣りあつて、笊と笊をならべ、天秤棒を組あはせてゐたが、お爺さんが小僧の、不正な桝を見つけたのがはじまりで、
こんな
狡いことをしてゐる、よく
花客が知らずにゐるな、と言つた。
俺は山盛りに賣るからよ、
爺さんはどうする、と小僧は面白さうにきいた。
俺か、俺は
桝に一ぱいならして賣るのよ。
へん、客がよろこぶめい。賣れるか。
賣れねえ。
乘りあひの者は一時に笑つた、
例の通り船頭が口をだした。
小僧、三十錢から賣つたつて、
家へは二十錢も、もつてけへるめい、なあよ。
それはいけねえ。
家で
母親が
當にしてゐるのだから、ちやんと持つてかへつて、二錢でも三錢でも
氣もちよくもらへ、と、おぢいさんは首をふつた。
十五錢もありや
母親は好いのよ。十錢買喰ひをしても、よけいに取れるから割が好いやな、と、も一人の船頭が言つた。
二錢ばかしの小遣なら、爺さんのやうに十錢も稼いでおかあ、なあよ。
違ひない、と皆はまた笑つた。小僧は笊に殘つてゐたすこしばかりの
蜆を、河の中へ底を叩いてあけてしまつた。お爺さんは掌に河水をすくつて、笊の底に乾ききつてゐる貝へかけてゐる。
傍の若い者が
調戲つて、
爺さんなよく毎日殘つてゐるな、もう腐つてゐるだらう。河の中へ
歸しておけよ、
勿體ねえぢや困るぜ、と
鰯がはいつて來たな、と沖からはいつて來る
漁船を見て、一人が言つた。
兄い、寺は何處だい、御苦勞だな、と棹をいれながら、船頭が挨拶をした。
寺つて言へばよ、をかしいことがあるのよ、坊主なんて
辛いことをするぜ、尤も俺達も亂暴にや違ひないが、去年よ小石川の
寺院でよ、初さんところの葬式の來るのが遲れたのでな、
前へ行つてゐた者が、
一盃やり始めたのよ、すると誰かが外で、其處いらには
珍らしい新らしい
鰯を、見つけたといつて買つて來たのよ、買つてくる奴も奴ぢやねえか、一盃機嫌だから、御本堂も何もあるものか、よからうと言ふので燒出したのよ、すると和尚め、よい匂ひですな、なんてやつて來やがつて、旨い漬物を出してよ、よろしければおかはりをなさいましと來たのだ、どうです
和尚さん
御一緒になつては、と言ふとな、結構ですと言やがるんだ、厭になつちまふぢやねえか、其處ですつかり仲間になつてやつてしまふとな、佛を持つて來たのだらう、すると
皆が妙だ。妙だ、變な匂ひがするつて、ヘツ、する筈だあな、線香で鰯の匂ひを消さうと思やがつて、
和尚が
燻したてるんだ、たまらねえ。
呆れてしまふな、何宗だい。
何宗だか、
俺ンの
家の寺ぢやねえもの知らねえや。
親鸞樣は矢ツ張り
豪いな。
さうともよ、
末世を見通しなされたのだ、あれほどのお方で妻帶をなすつたのは、御自分の
豪いのを知つて、
後の坊主どもが、とてもそんな堅つくるしくしてゐられめえと、わざと御自分がみんなの爲に、ああなすつたのだとよ、
豪いな、眼があるのだ、有難い話ぢやねえか。
あしたの
紅顏夕べに
白骨となる、ほんとだ、まつたくだ、南無阿彌陀佛と言ひたくならあな。
お前の家は何宗だつけな。
本願寺だ。
――當りますよ、大當り、と船頭は聲を張あげた。
雨の日に、年をとつた勞働者が二三人、寒さうに顫へながら、小さな聲でこんな
咄しをしてゐた。
金華山て何處だらう。
さうさな、ありや美濃だらう。
さうか、そこいな、大きな鯨が出て、大砲の彈丸を三發もうけたが、とうとう船に
四人乘せたまま呑んでしまつたとよ。
はなしだらう。
さうでないのだ、
信實だとよ、新聞にあつたのだらう。
船と人が
四人? そんなに呑めるものかな。
呑めるんだらう、何しろ
巨い
鯨に違ひない。
でも美濃は山國だらう。
さうかな、ちつとをかしいな。
山國にしておけよ、俺の家の
息が、なんでも船乘りになつてゐるさうだ。
さうか、知らなかつた――ろくなことはないなあ。
好いことはきかせねいや。
伊豆通ひの
船が、
笛を低く
呻吟らせて通り過ぎると、その餘波にゆられて、ゆらゆらしながら、
金華山は美濃だ、美濃はたしかに山國だ。
さうならお
咄しだ。と言捨てて共に去つた。
明治四十年ぐらゐの京橋區佃島の住吉の渡しでの乘合衆である。
(「女子文壇」増刊附録)