明治座評

(明治二十九年四月)

三木竹二




 明治座の一番目「明智光俊誉乗切あけちみつとしほまれののっきり」は三幕にて、山崎合戦より唐崎の馬別れに終る。例のとおり「真書太閤記」も一二節に芝居の衣をかけしまでにて、かたりに記せる修羅場の読切といへるには適すれども、むづかしき戯曲論など担ぎ出すべきものに非ず。しかし光俊を見するなら、坂本の宝物渡しまで見すれば少しは筋が通れど、馬別れだけではひ足りずとは女子供までが申すなり。
 序幕山崎街道立場たてばの場は明智の雑兵の乱暴を羽柴はしばの侍が制する処なるが合戦中の事としては、百姓が長閑気のどかに酒を呑み女にたわむるるなど無理なる筋多し。光秀陣中の場は光秀が死を決して斎藤大八郎のいさめを用ゐぬ処なるが、ここも双方共あまり先を見通し過ぎてまことらしからず。小栗栖村一揆の場は明智の落足おちあしを見する処なれど、光秀のかわりに溝尾が出るまでなればほとんど無用に属す。
 二幕目丹吾兵衛たんごべえ住家の場は光俊戦場を逃れてもと明智の臣なる漁師丹吾兵衛を訪ひて、そこにかくまはれし明智の妾菖蒲あやめの方に明智の系図を渡す処なり。ここは時代中の世話場にて、「布引滝」九郎助住家のおもかげあり。入江長兵衛が光俊を討たんため贋狐憑にせきつねつきとなりて入込み、光俊が武士をやめむといひて菖蒲の方の打擲ちょうちゃくに逢ふなど在来ありきたりの筋なり。物語や立廻りの都合はあれど、光俊がこのいそがしい中で一旦よろいを脱ぎてまたきりにこれを着するは想像せられぬことなり。
 三幕目湖水乗切の場は一幕とするほどの者でなきゆゑ、自然光俊が泣過ぎねばならぬ様になるはせんかたなし。何にせよ一番目中にて、これがこの世のといふせりふを三度使ふにても、この狂言の面白きを察すべし。即ち光秀と大八郎、光俊と半次郎、光俊と菖蒲の方なり。また本陣の光秀と丹吾宅の光俊が、出陣なさんといふも可笑おかし。
 市蔵の明智光秀は大志あれども徳望なき大将と見えたり。丹吾兵衛は篤実なる老人と受取らる。
 小団次の斎藤大八郎、諫言の押手おして利きで、光秀と気味合きみあいの別れも応へたり。菊之助の長兵衛は難役を味くこなしたれど、人品が好すぎたり。栄三郎の同女房もよし。秀調の菖蒲の方は楽にして居たり。福助の光俊臣林半次郎は御苦労なり。
 菊五郎の光俊惣髪そうはつにて、金の新月の前立物ある二谷にのたにといふかぶとを負ひ、紺糸おどしよろい、お約束の雲竜の陣羽織にて立派なり。人物も光俊は綿密家にてよく何事にも行届きし人の様に思はるる故、其所そこにははまりたり。物語は立派にて、心底を明さぬくだりも光俊の品位を保ちてよし。乗切を見せぬは利口物なり。馬を撫恤なでる処にて、平手にて舌をこきてやり、次にあしを抜いて馬の毛をこくなどいふ通をやりしはし。馬別れもあつけなきものをあれほどにこなしたるは先づ好し。この場の馬は人間を使はぬ故、足の工合など好く出来、口の内などもうまこしらへたり。
 中幕「和歌徳雨乞小町わかのとくあまごいこまち」は一幕なり。名は筋をあらわすとはこれ等をやいふならん。芝居にならぬものを芝居にするのは作者に非ず、福助に非ず、けだしにて薬火を燃す男なるべし。それ故にこそ電火一閃いっせんするごとに拍手くが如きなれ。ただ小町のことばに和歌のために一命を捨つるはうらみなしとあるは利きたり。
 福助の小町は女なれども道のために身を捧げてごうも惜むことなくりんとして動かすべからざる気概見えてすこぶる好し。
 松助の大友左衛門、翫太郎の荒巻耳四郎は共に小町の雨乞を妨ぐる敵役なるが、こしらえ古風にて好し。
 秀調の針妙水無瀬しんみょうみなせは小町の難義を救ふ役なるが、作者がえたいの知れぬものを拵へしため、やっこの小万が戸迷とまどひをしたといふ形あり。
 二番目「新皿屋敷朧雨暈しんさらやしきつきのあまがさ」は黙阿弥の作にて、「播州皿屋敷ばんしゅうさらやしき」を世話に翻案し、肴屋の酒乱を加へたるものなるが、妙は前半にあらずしてかえりて後半に存ず。
 序幕芝神明しんめい桜茶屋の場は磯部家用人岩上典蔵いわかみてんぞうが主家を乱さんとはかる筋を利かす。磯部邸弁天堂の場は愛妾お蔦が典蔵にいどまれて難義せるを浦戸紋三郎うらともんざぶろうに救はれしが、折から弁天堂の灯籠の消えしため、典蔵に不義者なりと呼びかけらるる処なるが、原本に比すればやや理にかなへり。
 二幕目お蔦部屋はお蔦が不義の疑を受けて召仕に遺物分かたみわけする処なるが、冗漫じょうまんなれば今回の如く除きし方よし。
 三幕目庭前古井戸の場はお蔦が不義の疑と、殿より預りし磯部家の重宝井戸の茶碗を典蔵盗み出して破壊し、その罪をお蔦に帰したるとに因り、酒乱の磯部主計之助かずえのすけの怒強く、拷問の上なぶり殺になる処なり。ここが原本には眼目がんもくの見せ場なるが、実に残酷の絶頂に達せるものにて、一睨ひとにらみごとに手をつて喜ぶ見物すら下を向いて見ぬ位なれば、いくら出したくても出せなくなるは今のなり。
 四幕目紋三郎宅の場は紋三郎が汚名をこうむり自殺せんとするをお蔦の亡霊出でて留め、悪人の密書を渡す処なり。
 五幕目芝片門前かたもんぜん魚屋の場はお蔦の兄惣五郎がお蔦の死を歎き、気晴しにとて禁酒を破りて飲みし酒に酒乱となり、磯部の邸に暴れに行くといふ処、
 六幕目磯部邸玄関の場は惣五郎が殿の非道をののしりて暴れ廻る処、庭先は惣五郎の酒めて後悔せるとき主計之助出でその罪を謝する処、神明祭礼の場は紋三郎が典蔵を縛する処なり。作者が初め父太兵衛の口より平常ふだんはかういふ家業の者にも似合はず理窟をいつてもっともらしいが、酒を飲むと人の見界みさかいがなくなるから禁酒をさせ居るといふ筋を利かせ、さて禁酒を破る筋にも無理がなく、湯呑で一杯から二杯、三杯と増し、遂に片口かたくちから二升だると段々に無法になる作り方好し。磯部の玄関にて生酔なまよい本性違はぬ処を示し、吾太夫を足蹴あしげにするも面白し。酒醒めし件にてひどく恐入おそれいらせ、ここへ詫に出る主計之助がやはり酒乱にて誤をなせりといふも照応して好し。もとより酔中の動作は菊五郎の腕にあれど、これを菊五郎に箝めて書いてやりたる作者も大に賞揚せざるべからず。けだし「魚屋宗五郎」は「幡随長兵衛」などと共に黙阿弥傑作の一に数へて、後世に伝ふるに足るべし。
 小団次の磯部主計之助は相応にこなしたれど、書卸しの我童に及ばず。三吉は新蔵より役者のよきだけの事なし。
 市蔵の家老浦戸十左衛門はしつとりして、璃寛りかんの比に非ず。
 菊之助の紋三郎は生真面目にて、我童の色気ありしに優れり。
 栄三郎の召仕おなぎは部屋がなき故損な役廻りとなりたれど、松之助に劣らず。
 松助の典蔵は先年通り極めて好く、太兵衛はべらんめえ気質ありて寿美蔵より遥に好し。蟹十郎かにじゅうろうの吾太夫は寿美蔵の師匠張より見好きも、貫目かんめに乏しく、翫太郎の道庵はまり役にて好し。小由の桜茶屋女房は松之助のおもかげあれど、つんけんし過ぎたり。
 秀調の宗五郎女房は国太郎と伯仲のかんにあり。
 菊五郎のお蔦両吟りょうぎんの唄にて花道の出は目のむるほど美しく、今度は丸髷まるまげにて被布ひふを着られしためもあらんが、容貌きりょうは先年より立優たちまされり。典蔵にいどまれてびつくりしながら、愛敬を捨てず体よく断る処いかにも好し。気がつきて水を呑むとき両手で柄杓ひしゃくを押へ、首を持つていく工合真にせまり、白紙を出してまげ撫付なでつくるも女の情にて受けたり。斯様かような色気のあるものになりては福助も及ばず、半四郎後一人なるべし。
 宗五郎はいつもの大いなせでなく、堅気な道理の解つた男といふ腹ありて、親の腹立をなだめ「虫を殺して居ますのさ」といふ処こたへたり。おなぎの話を聞て黙つて涙を拭いて居り、だしぬけに「一杯ついでくれ」と湯呑を出し、それから何のの理窟をつけては飲む処面白し。段々調子が荒つぽくなり、おなぎが留むると「飲ませねえ酒を何故持つて来た」とくつてかかる工合もよし。これから往く所があると偏袒かたはだぬぎとなり、着物の前をはだけ、酒樽をもつて暴れ出し、玄関にて仲間ちゅうげんどもを相手に打合ふ間、頭のぎりぎりより足の爪先まで生酔なまよいならぬ所なく、一挙手一投足もむだのなきは恐れ入つたものなり。吾太夫を足蹴にする処も、重左衛門に理窟をいふ処もしょうがある様でない様な工合実に妙なり。理窟をいふ間で手を叩いて大きく笑つたり、説諭を聞く間で生欠伸なまあくびをしてこくりこくりと居睡いねむりをするも好し。酒が醒めて恐入るていも面白く、殿様の詫に心解け、空に向ひてお蔦を呼かけ「浮んでくれろ」といふ処は泣かせたり。(明治二十九年四月二十四日見物)





底本:「観劇偶評」岩波文庫、岩波書店
   2004(平成16)年6月16日第1刷発行
底本の親本:「めさまし草 巻四」
   1896(明治29)年4月発行
初出:「めさまし草 巻四」
   1896(明治29)年4月発行
※初出時の表題は「芋あらひ」です。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
※文中のセリフ、および竹本の詞章などのカギカッコは底本の編者(渡辺保)によります。改行、冒頭の作品名、作品評における場割、芸評における俳優名・役名の太字は編者によります。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2011年3月9日作成
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