ストリンドベーリが科學に造詣の深かつたことは、その莫大な著作中に、幾多の科學的研究があることで知れる。ところが、彼は晩年になつてスウェデンボーリの影響を受けて、神祕主義者になつてしまつた。
その種類の勞作のうち、最大なるものは、青書 Blaa Bok 三卷である(シェーリングのドイツ譯では第一卷を Ein Blauduch、第二卷を Ein neues B. として別物扱ひにしてゐる)。
私は今この青書の飜譯にかゝつてゐるが、それは神祕主義といつても、今日、此の國で行はれてゐる、既成、新成の宗教に見る奇蹟や、神癒や、天啓や、依憑などの鵜呑では決してない。
科學が必然的に手をふれ殘してゐる不可知界を指摘して、その弱點を衝き、神祕――寧ろ唯一神の存在、可能を説くところ、形式は説話的ではあるものの、その論證は神學の辨證論的で神祕的なものにふれてもなほ、そこにはハッキリした理智のひらめきを見せてゐる。
これを讀むと、彼が科學上に、すぐれた先見をもつてゐることが分る。殊にラジオの今日あるを豫見したやうなところは、ちよつと意外にすらも感じさせられる。
この青書は私がさきに譯した『歴史の縮圖』の形をかへた續篇とも見るべきものでかれこれ併せて讀むべきものである。
科學と信仰(或は宗教)とは全く對蹠的に立つ樣に思はれるが、ふしぎなことには、大きな科學者や、科學の深い教養を持つ文學者が、その科學的知識を通して、神祕主義になる例がいくらもある。
ダーウィンと共に進化論を發見したウォレスが『宇宙に於ける人間の位置』を書き、心理學者、哲學者として有名なヂェームズが人間個體の不滅を説き、犯罪學の大家ロムブローゾが、スピリチズムに趨り、ラジオの先覺者サー・オリ
ー・ロッヂがフランドルで死んだ息子の靈と通話したことを發表して、センセーションを起したなどは、科學の奧義をきはむる者が、神祕主義にはしる恰好の例である。文人の方から云へば、ゲーテのごときもさうであるし、ストリンドベーリ、メーテルリンク、コナン・ドイル等が何れも深い科學の素養をもちながら、熱心な神祕主義者になつてしまつたのは他の一例である。現代文人のうちで、科學によく通じてゐる人にエチ・ヂー・ウエルズがある。彼はもういい年配であるが、まだ神祕主義にはなつてゐない。然し、彼が信じてゐる科學はふしぎにも、あらゆる點に於て神祕な不可知の領域を擴げてみせるのではないかと思はれる。
彼の著、生命の科學(平凡社版)は今、まだ一卷を出したばかりであるが、私はこれを讀んで、非常に面白く感じたと同時に、最近の科學が宗教に對して、反對どころでなく、却つてこれを肯定してゐるやうな形にも見えるのに、驚異の念に打たれたのだつた。
ほんの一例に過ぎないが、有機物、無機物の區別の如き、今日では、昔のやうに判然としなくなつた。といふのは、如何なるものも根本に於ては同じもので、只原子の組成の簡單か複雜かによつて相違するにすぎないことが明かになつたからである。
山川草木皆具佛生といつて、あらゆるものに生命をみとめる佛教の説を、科學は原子の研究によつて、實證してゐるとも見える。
私は今、ストリンドベーリの青書を譯する傍ら、そのウェルズの生命の科學を讀み、彼我對照して非常に興味をおぼえてゐる。