有島武郎君の「惜みなく愛は奪ふ」は出版されるや否や非常な売れ行きであるさうな。しかし売れ行きといふことが直にその本の真価を示すものではないと同時に、売れ行く本は直に俗受けのものと独断して、文壇の正系(?)が之を無視するのはよくないことだ。過般有島君の芸術を通じてその生活を一般が
云々することについて、中央文学に
一寸書いた時、「三部曲」の批評が出なかつたことを指摘して置いたが、此本の「後書」を見ると、矢張りあの書に対する批評は
賀川氏ものゝみが只一つ公にされたつきりであつたさうな。自分は
武郎君の門下でもなければ、
乾分でもないのだから、
敢て
阿諛をつかつて彼是言はねばならぬ義務は持たぬが、当然問題となるべき「三部曲」の批評が一つも文学雑誌――少なくとも文芸をその要素の一つとする雑誌や新聞に、殆ど一言半句ものせられなかつた不公正に対して、自分は親友としては勿論、仮りに無関係な立場にある人としても非常に遺憾とするものである。従つて今度出た「惜みなく愛は奪ふ」は
武郎君が五ヶ年の心血を注いで、その思想上の頂点を為すものと言はれてゐるだけに、決して同一の不公正が行はれはすまいと思ひながらも、又一方にはなほその懸念がないでもない。願はくは之は自分の杞憂であつて呉れゝばいゝが。
自分が彼の書を読んだところでは、武郎君はその思想を自我の肯定にまで溯りデカルトの Cognito ergo sum の代りに、Cognosco ergo sum だといつてゐる。併し表現の方法は哲学的の論文ではなく論文の形を借りた詩である。組織されたる思想といふよりも寧ろ生み出された思想といふが適当だ。然らばその生み出された思想とは何かと云へば、それは愛だ。
啻に最近五年間といはず、有島君が最初から目指してきた、又総て
武郎君の生命活動の
主動を為した愛が、此処にその全我の大肯定の
下に、自らを確立したのである。
武郎君の愛なるものゝ本質が何であるか、惜みなく奪ふ愛そのものである主我は他の多くの同様な主我と如何に対立共存し得られるか、
武郎君の見るところ、説くところ、信ずるところに対してきつといろ/\な意見が発表せられるであらうし、又さういふことを論じ合ふのは、下らぬ揚足とりや、与太話よりも、ズツトましであるから、大なる期待を以て自分は観てゐるのである。
然し自分は此処に「惜みなく愛は奪ふ」の批評をする積りでもなければ、
武郎君の人生観を彼是言ふものでもない。只之を所縁としてつく/″\と感じたことを述べてみたいのである。
他人のことを言ふ資格のない私は矢張り自分のことを言ふ。私は「惜みなく愛は奪ふ」を読んで、今更に自分の生き永らへてゐることを奇怪に、恥辱に、又恐ろしくさへ思つた。一体自分は考へてみると善にしろ、悪にしろさう大した
桁外づれではない。平たく言へば凡骨だ。君は立派な人格の所有者だなんかと、過つて言はれでもすると、内心頗る
忸怩たるものがあるが、さりとて偽善者だと名乗つてそれを打消すにも価ひしないと自分を侮つてゐる。然し悪に対する自分の態度は寸毫も仮借しない激烈を極めてゐる。邪悪といふものは真黒々で、そこには一点の光明を認めることが出来ない、そして此暗黒は光りのあるところに陰の必ず伴ふ如く、善に伴つてゐる。否寧ろ暗い夜に灯火をつけるやうに、大きな暗は小さな光りを隠くさんとする。是は今日の文壇に主潮を為してはゐないかと思はれる人道主義的傾向とも、又有りふれた道徳観念とも正反対である。自分には今、どんな堕落した人間の裡にも神の光りを認める偉大なドストイエヴスキイの亜流で世の中が満ちてゐるやうに見える。その証拠は此観念を裏切る典型の一人を描かうものなら、批評家は直ぐに、うまくは描けたが、もつと人間らしいところを見てやるべきと言ふ。即ち文学者たる者は、その作に、お菓子に砂糖のいるやうに、きつと甘いところを添ふべきことになつてゐるのだ。自分もクロポトキンだつたか誰かゞいつたやうに、ロムブロオゾオの所謂る罪人型の人間は先天的にはゐないものと信じてゐる。けれども悪いものを悪いまゝに描き、又悪いことを悪いと痛撃するに何の容赦も要らないものと思つてゐる。或は言ふ人があるかも知れない。お前は同じ人間に善と悪とが対立してゐることを忘れて、只その悪ばかりを見るからいけないのだ。そんな見方は人間を
汚涜し、生命を殺すものだと。自分もそれを思はぬではない、いやそれを思へばこそ恥しくも、恐しくもなるのだ。然しそれでも自分は今日の正義の声は余りに、かしましい拙悪な吹奏者の喇叭のやうに、その底に或る不協和な、
擽つたい何ものかゞ聞きとれると白状しないではをられない。自分は人性を善なりと大掴みにきめてかゝれないと同時に、その反対に悪なりとも断言することを躊躇するものだが、誰も彼も皆正義人道の擁護者らしく見えるときに、自分の汚ない心は皮肉な嘲笑を催して、それぢや是を見ろと現実暴露といふ昔
流行つたアナクロニズムをやつてみ度くなる。そしてあらゆるものがカリカチユア化してみえる。自分も
恁心理は一種病的で、医学上の露出狂 Expositionmania のやうなもので、何れも立派に着かざり、万物の霊長とは之だぞと取繕つて坐つてゐる真中に、容赦なく、赤裸々の醜をさらけ出して、皆を座に堪へぬまで赤面させ自分は
後で指弾と、冷罵と、憫笑とを、播いた収穫として投げ返されると知つて、自分が恁
病に罹つてゐるのではないかと思ふと堪らなく恥しくもなる、がそれはまだ治癒の望みもある、絶望ではない、併し本当の厭人厭世となつたら、なかなかそのやうな生優しいものではない。「惜みなく愛は奪ふ」を読んだとき、自分はその行先にある此暗い深淵が大きな咽喉を開いて自分を一歩々々その方へ吸ひ寄せてゐることを、愕然として悟つた。語彙の概念に捕はれ易い自分は虚無といふ幻想的な非実在の名を以て此深淵を称ふことは出来ないが、其処には総てが否定で、絶望であるといふ、自分の此観照に目醒めて、驚きかつ顫ひをのゝいたとき、更に自分はその死の谷への道を安んじて、恰も生命の門に進むが如く、平然と寧ろあらゆる空しき影に無限の希望を置き、喜びをさへ感じて生きてゐる矛盾を、無頓着を、冷淡を、倦怠を痛感して、此処に改めて自分に対する反抗と、嫌悪の念が
むづの走るが如く、心に湧き起つた。そして自分は此急激な霊の嘔吐を押へる対症療法として、短時間のうちに、今まで漠然として感じてゐたことを、どうか纏まりをつけねばならなくなつた。どんなふうに解決をつけたか、それを詳しくいふことになれば、如何に一夜づけでも十枚や二十枚では書き足りないから、只一言にして尽くすことにすれば、それは至極平凡なもので、
武郎君の「我は知る、故に我は在る」よりも、もうちつと前なる意識に溯つて「我は感ず、故に我はある」sencio, ergo sum といふ生存の根帯を肯定して次には「在る」という事実はその終りが死であらうと、滅亡であらうと、又その「在る」道程が美であらうと、醜であらうと、善であらうと、悪であらうとに論なく、あらんとするその慾望であつて、我を中心に見た、一切のものは之に根ざしてゐる。此慾望を指して人は愛とよぶもまた憎みといふもそは関するところでない。そは一本質の只形を異にした現はれに過ぎないのだから。ツウルゲーニエフが「煙」の中で、誰だつたかに「私は限りなく露国を愛するが故に、限りなく露国を憎む」と言はしたやうに、生きんとする生命の促進から起つた執着があればこそ、厭人も厭世も、憤りも憎みもあるのだ。若しその慾がなくなつたら、そのときこそは生きてはゐられないときである。
恁う考へたとき自分が生きてゐること、憎みながら、厭ひながらも生きてゐる理由が分つたやうな気がした。恥づることも、恐るゝこともいらないやうに思つた。自分が世を厭ひ、憎むといふことはその実、生に対する執着が深いからである。憎むことが深ければ深い程、生命の力は強いのである。それは矢張り愛ではないかと或は人はいふかも知れない。
或はさうであらう。それは視点の相違である、愛を力説する人は、金を砂中に拾ひ上げる人だ。憎みを主張する人は鉱石を熔炉に投じて、金塊から不純の分子を潔める人だ。何れにしても同じことだ。只何れにするも不徹底が一番にいけない。その時愛は偽善となり、憎みはカリカチユアとなる。自分は信ず何時何処でも偉大な人の多くはミスアンスロツプであるか、さもなければ境遇上から、又は能動的に求めて、霊肉の苦行を経た人であると。象牙の椅子に
倚りて、民の疾苦を説く政治家の態度を学ぶフイランスロプは盲目的な獣類の愛、非常に Selfish-ness を含む危険に陥り易い。今我々の間には斯るフイランスロツプが甚だ多くはないだらうか。自分はこれを厭ふ余りにその反端のカリカチユーリストになつたではあるまいか。しかし他人のことはどうでもかまはない。自分は今後此立場から大に厭人的の
苦がい憎悪を吐き散らして呉れようと決心した。そして若し生命そのものが愛といふものであるならば、此苦い憎悪の中から、
棘と、渋皮の奥なる甘い栗を取り出すやうに、美味な純真な愛に到達しようと思ふ。
尤も生物の死滅は個体として、種属として、又全体より見て、如何にしても免れぬことで、生命の飛躍といひ、霊魂の不滅といふも、そは只
奇しき夢を見るべく運命づけられた人間のあこがれの幻影で、愛は
美酒の一場の酔に過ぎないことは、千古の鉄案として動かせないのであるが、我れ感じ、我れ生きて、なほ只生きんと衝動の波に押しすゝめられて行く間は、せめては冷たく、堅く、物凄い真理のゴルゴンの見えぬやう、愛なる酒に酔うて、幻滅に開かんとする眼を
眩まして置かう。自分には「虚無に立脚した力強い肯定も」出来ねば、「絶望の法悦」も味ははれぬ身であるから、
輪廻を想うて非常な悒鬱、絶望に陥りかけたニイチエか Uacht Zum Nille を高調し、そこに悦ばしい生命の隠遁所を発見したやうに憎悪を通じて自己肯定へ進まう。
(大正九・八「新潮」)