食道楽

冬の巻

村井弦斎




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冬の巻



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大隈伯邸花壇室内食卓真景の口絵
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大隈伯爵家おおくまはくしゃくけ温室内の食卓(口絵参照)

 我邦わがくにに来遊する外国の貴紳が日本一の御馳走と称し帰国後第一の土産話みやげばなしとなすは東京牛込うしごめ早稲田わせだなる大隈伯爵家温室内の食卓にて巻頭に掲ぐるは画伯水野年方みずのとしかた氏が丹青たんせいこらして描写せし所なり。
 この粧飾的そうしょくてき温室はいわゆるコンサーバトリーにして、東西七けん南北四間、東西は八角形をなし、シャム産のチーク材を撰び、梁部は錬鉄製粧飾金具を用ゆ。中間支柱なく上部は一尺二寸間ごとにたるきを置き一面に玻璃はりを以っておおわれ、下部は粧飾用敷煉瓦しきれんがを敷詰め、通気管は上部突出部および中間側窓と、下方腰煉瓦こしれんがの場所に設けらる。棚下の発温鉄管は室内を匝環そうかんし、冬季といえども昼間七十五度夜間五十五度内外の温度を保つ。周囲における二層の花壇には、絶えず熱帯産の観賞植物を陳列し、クロートン(布哇はわい大戟科だいげきか植物譲葉ゆずりはの類)、ドラセナー(台湾およびヒリッピン産千年木せんねんぼくの類)、サンセビラ(台湾産虎尾蘭とらのおらんの類)、パンダヌス(小笠原島へん章魚たこ)その他椰子類やしるい等はその主なるものにて、これを点綴てんせつせる各種の珍花名木は常にけんを競い美を闘わし、一度凋落ちょうらくすれば他花に換え、四時しじの美観断ゆる事なし。
 この爽麗そうれいなる温室内に食卓を開きて伯爵家特有の嘉肴珍味かこうちんみきょうす。このうちに入る者はあたかも天界にある心地ここちしてたちまち人間塵俗じんぞくの気を忘る。彩花清香せいこう眉目びもくに映じ珍膳ちんぜん瑶盤ようばん口舌をよろこばす。主客談笑の間、和気陶然わきとうぜんとして逸興いっきょう更にくる事なけん。
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第二百七十六 貴夫人の学問


 小山はおもむろに席に就き「中川君、非常に面倒で大きに弱ったがやっと今日らちいたよ」とこの一語は天の福音ふくいんとしてお登和嬢の耳に響きぬ。中川もたちま愁眉しゅうびを開き「それは全く御尽力の結果だね、さぞお骨が折れたろう」小山「ウム、実に骨が折れた。最初家庭教育の事を大原君に話して洋行の一件をすすめたら大原君も非常に賛成して是非ぜひ欧米諸国を巡回してみたい、洋行は年来の志願だから何年でもっていたいとこういうのさ。ところでお代さんの一件はどうするといったら、それはモー婚礼の期が迫っているので婚礼を済ませて行こうというから、それでは何にもならない、君を洋行させる事に尽力したのも全くその災難をのがれしめるためだ、婚礼を済ませる位なら洋行するに及ばんと広海子爵の意見と君の苦心とをくわしく話したところ、大原君のいうにはなるほどその厚意は実にありがたい、しかし僕らがお代先生と婚礼せずに洋行したらお登和嬢も僕の帰るまでは嫁に行かないで待っているつもりだろう、一方にはお代先生も待っている、そうすると僕は再び板挟みになって心の苦しみを増すばかりだ、お登和嬢の事は先日も志を打明けて中川君同胞きょうだいに申出た通り到底天から僕に授からんものとあきらめているから僕のために嫁期かきを失わんより早くほかい口を捜してもらいたい、お登和嬢の身が片付いていれば僕も安心して海外に往っていられる、場合によれば五年でも十年でも長くいられるだけ彼地かのちにいたいと大原君は海外で独身生活をしようという位の意気組いきぐみだ。そこで僕は一生懸命に君とお登和さんの志を説いてマアともかくも僕らに任せ給え、未来の事はなかなか想像通りに行くものでないから、先によってどういう風に人の運命が変化するかも分らん、行末の事は成行なりゆきに任せるとして今度は何でもお代先生の婚礼を避け給えと無理遣むりやりに大原君を説伏せてそれから外の人たちへも洋行の一件を申込んだ。案の通りお代先生の両親は婚礼を済ませて行けという。大原君の母親もその通りさ。ひとり父親が好い機会しおとしてしきりに僕の方へ賛成するが御当人のお代先生は婚礼を済ませて大原君と一緒に行こうと言い出した。大原君の洋行費は家庭教育会から出る、自分の洋行費は親たちに出してもらいたいと言出すと両親たちも海外の事情を知らんから千円までなら自分が出してもいい、それで大原さんと一緒に行けと段々事がむずかしくなって来る。僕も随分閉口して毎日のようにあの家へ出かけて手を換え品を換えて一同を説得した結果、大原君も洋行して帰れば立派な紳士になる、お代先生も大原君と婚礼すれば立派な貴夫人にならなければならんから大原君の不在るす中に東京でしっかり勉強をしたらよかろう、貴夫人になるのはそれぞれの学問がなければならん、お代先生が日本で充分勉強して貴夫人たる資格を備えた上で大原君が帰朝した時立派に婚礼した方がいいでないかとこの方案にようやく一決した。それもね、最初お代先生の両親が不同意で、貴夫人には貴夫人の学問がるというが今の貴顕紳士きけんしんしの貴夫人には素姓すじょういやしい醜業婦しゅうぎょうふが沢山いる。あれはどういう学問をしたのだとこう一本参られたには僕も閉口したね」と今の社会の濁れるは上流の家庭より始まれるなり。

第二百七十七 呼出し状


 中川「アハハハそれは一言もない。ところでどういうふうに決定したね」小山「それから僕も色々に女子教育の大切な事を説いてどうしても女は結婚前に勉強しないと後になって悔ゆる事がある、結婚後は子供こどもが出来たり家政の事に追われたりしてなかなか思うように勉強も出来ないと段々説き付けてようやくお代先生の両親を納得させた。しかるにたちまちこういう問題が起って来る。大原君が洋行するとあの家へひとりお代さんを置く訳にならん、国へ連れて戻っては勉強も出来ないし、東京でしかるべき処へ預けて充分に勉強させたい、他日大原文学士の夫人となってもはずかしくない人物に仕立したててもらいたい、それには外に頼む処もないから三年でも五年でも大原君の帰朝するまで僕に預かってくれろというのだ。僕も少々驚いたね、外の人を預かって世話をするならいいけれども、あのお代先生を預かるのは随分閉口だ。といって僕が預からんといえば今の相談が忽ち破れるかも知れず、それにお代先生をうっかりした者に預けられて他日一層大原君の迷惑になるようでは僕らの尽力した甲斐かいがない。いっその事僕の方へ預かって気長に世中よのなかの事を教えて自分の心から血族結婚の弊害を悟らせるようにした方がいいと思って、トウトウ僕が引受ける事にめたよ」中川「ヤレヤレそれはお気の毒だ、とんだ事まで背負い込んでしまったね。君の受ける迷惑は僕の方で弁償しなければならん」小山「アハハ、そんな事はどうでもいいがこういう風に事の極まった以上は一日も早く大原君を海外へ出発させねばならん。もしやぐずぐずしていてまた形勢が一変すると困る。それに両親や外の人は漸く婚礼延期を承諾したけれども御当人のお代先生がしきりに残念がって内々大原君を追廻おいまわすようだ。大原君も長くあの中にいてはまるまい。そこで一日も早く洋行させたいがその手順はどうだろう」中川「それはどうにでもなる。ちょうど昨日きのう広海子爵から手紙が来て大原君の事を家庭教育会へ持出したら誰も彼も大賛成ですみやかにその事を決定したい、ついては大原君の方はどうであると問合せに来ている。そうと極まったら僕がこれから広海子爵の処へ行って万事の手筈てはずを極めて来よう。なるべくなら大原君と同道したいな、そうすれば事が早く極まるけれども」小山「ウム、そうし給え。では僕が大原君をここへ呼ぼう。ちょいと紙と筆を貸し給え、僕が今手紙を書くから」と紙筆をいて換舌かんぜつとくしたため、中川家の下女に頼みて大原家へ持たせる。下女の立出ずる時お登和嬢送り来りてそっと注意し「和女おまえはね、なるべくお代さんやあの下女にわないようにして大原さんにその手紙を差上げておくれ。もしや知らないお方が取次に出ておいでだったら中川から来たといわないで小山さんからお使いに参りましたとそうお言いなさいよ、うっかりお代さんに知れては面倒だから」と何処までも大原のために心を配る。

第二百七十八 送別の料理


 やがて大原は使者とともに中川家へ入り来れり。家にありて如何いかなるくるしみを忍びけん、茫然ぼうぜんとしてまた平生へいぜいの元気なく「小山君、先刻さっきは大きに失礼した。あれからね、君が帰ったあとでお代先生が僕や両親の前へ出て来て手放しでワイワイ泣き出して実に困ったよ。今夜婚礼して明日ぐ洋行してもいいから婚礼だけを済ませてくれろ。そうでなければ待っている甲斐かいがない、婚礼もしないでこのまま別れるようなら首をくくって死んでしまうという騒ぎだ。僕らが何といってなだめても聞かばこそ、洋行なんぞとこしらえ事に違いない、婚礼するのがイヤだから急に小山さんを頼んで洋行の口を捜したのだ、西洋なんぞへってしまったら向うで何をするか知れやあしない、婚礼がイヤなら何でも一緒に連れて行ってくれろと強情張って張って何といっても承知しない。そうすると僕の母が先ずその方へ賛成してさかずきだけ済ませるなら今夜にも出来るとお代先生の肩を持つし、叔父おじ叔母おばもうっかりするとまたその方へ心が変りそうだから僕は実にヒヤヒヤするよ。モー一日も日本にいるのがイヤになった。明日にも海外へ飛出したいね」と大原の境遇察するに余りあり。小山も打笑い「アハハハそうだろう、今直ぐ広海子爵の処へ往って洋行の手筈てはずめて来給え。向うの方はモー出来ている。この上は万事の打合せをして洋行の期日を極めるばかりだ。中川君、広海子爵も大原君の事情を知っているから洋行の期を速める事は何でもあるまい」中川「それはどうでもなるだろう。ともかくも向うへ行って相談しなければ分らん。小山君、君も一緒に往き給え。僕と君と大原君の三人で万事を相談したら今日の内にすっかり事が極まってしまう」小山「それもそうだ、では一緒に行こう」と三人打連うちつれて広海家へおもむかんとす。お登和嬢ひそかに兄の袖をき「そうすると大原さんは二、三日内に御出発なさるようになりましょうか」と今更別るるを本意ほいなく思う。兄はその心を知らざるにあらねども大原のためには一日も洋行を延ばしがたし「まだ何とも分らんが二、三日内に出発の出来るように運びたいものだ」お登和嬢少し涙ぐみ「そうするとしばらくお目にかかる事は出来ませんね。今夜は皆さんが此方こちらへお帰りになって御飯を召上りますか」兄「ウン、少しは遅くなろうがなるべく家へ帰って飯を食べるようにしよう」お登和嬢「それならばお遅くおなりなすっても必ずお帰りになって御飯を召上って下さい。そのつもりで私が今から支度を致します。もしや急に大原さんが御出発のようになると緩々ゆるゆる御飯を差上げる折がないかもしれません」と自分の心は手製の料理を以て大原の別を送るつもり。中川よりも小山がこの言葉を聞き「お登和さん、大丈夫です。貴嬢あなたのお心はよく分りましたからいくら遅くなっても向うで御飯を食べずに帰って来ます。大原君よろこび給え、今夜はお登和さんが君にはなむけの御馳走をせられるそうだ」大原も今はいなむべきにあらず「アア有難ありがたい」

第二百七十九 鯛汁


 三人の出で行きし後お登和嬢は台所に入りて甲斐甲斐かいがいしく御馳走の支度に取かかれり。対手あいてにするは下女のおたけ、これも中川の家に奉公するお蔭にて自ら料理の趣味を覚え「お嬢様、今日はどういう御馳走をおこしらえ遊ばします」お登和嬢「そうさねー、今日は何でも大原さんのおよろこびになるような御馳走を沢山拵えて差上げたいものだ。西洋へいらっしゃるとしばらく日本料理が召上られまいから日本料理の方を余計にしてそれに西洋料理も二つ三つぜましょう。大原さんには品数の沢山ある方がいい。家のお惣菜そうざいに煮ておいた葡萄豆ぶどうまめでも何でもある物をんな出しましょう。エート最初は何か汁物を拵えたいがちょうど鯛が買ってあるからあれで鯛汁を拵えよう」下女「鯛汁はどういう風に致します」お登和嬢「この鯛汁は国々で色々な料理があるけれどもず手軽なのは鯛の骨と身を別々にして骨や頭を水から四、五時間煮出してスープを取ります。本式にすると朝から晩まで一日煮通さなければならんが急ぐ時には四、五時間でも三、四時間でもいい、その代りにお味噌が入って味噌汁になる。お味噌は一旦いったん焼いて焼味噌にしたのを擂鉢すりばちでよく摺ります。別に鯛の身を焼いてそれをむしってお味噌の中へ一緒によく摺ってそこへ今のスープを少しずつ入れてはばして行って普通なみの味噌汁より濃い位なドロドロにしてそれをまたお鍋へ入れてザット煮て出すのだよ。お薬味にねぎの細かく切ったのと陳皮ちんぴと海苔の焼いて揉んだのと紅生姜べにしょうがの刻んだのと紫蘇しその実なんぞを添えて食べる時に味噌汁へ入れて掻廻かきまわしてもよし、あったかい御飯へそのお薬味と鯛汁をかけて食べてもいいのさ。ちょいとした御馳走にはこの鯛汁に外のお料理が二品か三品あればそれでも沢山な位だ。九州辺では鯛の骨を焼いて摺り混ぜる処もある。なかなか美味おいしい味噌汁だよ」下女「オヤそうでございますか、ちょうど西洋料理の濁ったスープに似ておりますね」お登和嬢「やっぱり西洋料理から出たものだろう。九州辺のお料理は多く長崎伝来の西洋料理から出ていて進歩したものがある。関東辺のお料理よりも滋養分に富んでいるものが多い。この鯛汁なんぞは鯛のスープに鯛の実に滋養分の多いお味噌に薬味も色々交じるからなかなか滋養分があるお料理で病人の恢復期かいふくきや産婦なんぞにちょうどいいね。よく産婦には鯛の味噌汁やカマスの味噌汁を食べさせると乳が沢山出るというがつまり滋養分の多い飲料が効能のあるという訳だ。和女おまえなんぞも家にいて毎日色々なお料理を見ているから自然とお料理を覚えるけれどもこういうお料理は病人にいいとかこの御馳走は老人としよりに差し上げようとか、これは子供に食べさせたいとか一々その用い方を考えておくとお嫁に行ってからどんなにためになるか知れないよ。何でも心掛次第だ、うちにいてお料理を覚える気になったら知らず知らず沢山のお料理を覚えられるよ」下女「ホントにありがたい事でございます。イエね、お嬢様にはまだ申上げませんが先日宿下やどさがりに家へ参りました時西洋風の柔いお料理を二つ三つ拵えて父や母に食べさせましたらどんなによろこびましてございましょう。そういうお家へは此方こちらから月謝を出しても置いて戴きたい位だと申して大層ありがたがっておりました。私も一生懸命に覚えますからどうぞよくお教えなすって下さい」と下女までが食道楽にかぶれたり。
○この鯛汁を九州辺にて薩摩という。製法は国々によりて小異あり。

第二百八十 滋養スープ


 下女の熱心はお登和嬢のよろこぶ所「ホントにお料理ばかりでない、私の家にいれば何でもためになる事が覚えられて和女おまえの一生にどんな得になるか知れません。お料理だって家のお料理を覚えておくともしや和女が看護婦になっても病人のお料理がぐ出来る、看護婦にならないでも病人があった時に病人のお料理を知らなかったらどんなに困りましょう。たとい家中が無病息災で病気なんぞはした事がないと威張っても女が妊娠したら妊娠中の食物を知らなければなるまい。お産をした後は産後の食物が一番大切で肥立ひだちの良いのも悪いのも乳の出るのも出ないのも食物次第で大層違う。だから誰でも女と生れたらお料理の事を覚えておかなければなりません。今の鯛汁も西洋料理から出たといったが西洋料理でお魚のスープというとよく病人に食べさせる。お魚は鯛でもすずきでもかれいでも比目ひらめでも何でも白い身の物ならばいい。それをはらわただけ抜いてまるのまま水へ入れて暫く湯煮ゆでる。先ず大小によって一時間前後位でいい。別に例の通り白ソースを拵える順序でバター一杯を溶かしてメリケン粉一杯をよく杓子しゃくしで攪き廻しながらいためて白ソースならば牛乳をすけれどもこれは牛乳の代りに今の湯煮たスープを注してドロドロのものにする。それからお魚のスープが一合入ったらばその上へ牛のスープでも鳥のスープでもやっぱり一合注して湯煮たお魚の身をむしってなるたけ細かくしてその中へ入れて塩胡椒で味をつける。外にお魚の匂いを消すためスパイスという混ぜた香料を少し加える。もっとも病人に食べさせる時には香料を加減しなければならない。そうして弱い火へ掛けてまた一時間も煮るとお魚の身が溶けてドロドロの汁になる。それを火からおろす少し前に牛乳一合を加えて少し煮るのだ。つまりお魚の湯煮汁が一合ならば牛か鳥のスープを一合、牛乳を一合と三合の汁になる。このスープは平生のお料理に使っても味が大層好いし、病人に飲ませてもなかなか滋養分が多い。よくお医者が病人にスープを飲ませろというが牛肉屋から配達してくれる一合十銭位な白湯さゆ同様のスープを飲ませたって興奮剤にはなるけれども身体からだの滋養にはなりません。西洋で病人に飲ませるスープというのはんなこういう風に色々の材料を取合せて極く濃いような重いスープだ。牛肉から取る汁だってビーフチーといってなかなか手数のかかるものだ。それを病気の時には西洋でスープを飲むといって白湯同様なスープを飲むようではなかなか身体の滋養にならない。こんな事は病家びょうかばかりの罪でない、お医者さんさえ悪くするとスープの拵え方を知らない人も沢山ある。お魚のスープはこういうものだし、鳥のスープといえば先日広海さんのいらしった時拵えたようなボタージデアラレンといって鶏の肉の裏漉しにしたのと御飯を一旦煮て裏漉しにしたのを上等のスープでしたドロドロのものだ。あれなんぞも病人には極くいいので、滋養分は沢山ある。もっとも病人によっては飲み物ばかり与えて悪い事も沢山あるけれども大概は消化吸収が良くって滋養分の多いものをたっとぶ。和女おまえが考えても解るだろう、今までのようなおかゆ重湯おもゆを食べさせるのとこんなスープを食べさせるのと何方どっちが身体にきくだろうか」下女「それはモーお粥なんぞは足元あしもとへも追付おっつきません」
○病人に飲ましめるスープ類の料理法は付録に委し〔冬の巻付録「病人の食物料理法」〕[#「〔冬の巻付録「病人の食物料理法」〕」は底本では「〔本巻五一三ページ以下〕」]

第二百八十一 病人の食物


 病人の食物は何人なんぴとの家庭にても知らざるべからず。しかるに今の世は医師すら多く薬物療法に重きを置きて食物療法の大効あるを悟らざるなり。いわんや普通の素人しろうとは病人の食物に対して平生へいぜい何の用意もなし、おかゆ重湯おもゆに責めらるる今の世の病人こそあわれなれ。中川の下女はよくお登和嬢の言葉を解し「お嬢様、ホントにそう申すと病人のある家では食物に困りますね。長い病人になると毎日同じ物を食べさせられますからきてしまいますよ。それに日本風のお粥や重湯では第一味が悪くって無病の人でも美味おいしく食べられませんね」お登和嬢「全くそうだよ。病人の食物は無病の人よりも味を美味しく拵えなければならん。何故だというのに病人は病気のために食慾が平生よりも減じている。といって沢山物が食べられないと力が抜けて身体が余計に衰える。だから病人にはよっぽど美味しいお料理を拵えて食べさせなければならない。ところが今の世中は病人の食物が無病の人の食物よりもなお不味まずい。不味いから病人にはお食べられない。こんな気の毒な事はない。私は先年或る病人が何も食べられないといっていたから西洋風の病人食物セーゴのプデンを拵えて食べさせたら大層よろこんでんな食べてそれから力が付いて快方に向った事もある。セーゴやタピオカの料理は毎度拵えるから和女おまえもよく知っているがあれは西洋で病人食物の第一番に出て来る者だ。しかし日本人の家には平生西洋食品をたくわえてある事が沢山はなし、それに御飯の料理でも美味しい物は沢山出来るから先ず御飯のお料理を沢山覚えておく方が便利だよ」下女「オヤオヤ御飯のお料理はお粥か重湯の外にないとおもいましたが色々ございますか」お登和嬢「ありますとも、西洋料理ではお米の料理が何百種とあります。その中で病人の食物にちょうどいい物も沢山あるがブランライスプデンなんぞはどんな病人にも食べられるね」下女「それはどう致します」お登和嬢「これは本式にすると面倒だが略式にすれば日本人の家で造作もなく出来る。何処どこの家にも御飯はあるからなるたけ柔い御飯を一度煮て裏漉うらごしにしてその漉したものを大匙に山盛五杯それへ玉子の黄身を四つと砂糖を三杯と牛乳二合をよく混ぜるとドロドロのお粥のようなものが出来る。それを丼鉢どんぶりばちへ入れて鍋へ湯を沸かして丼鉢を一時間ばかり強くない火で湯煎ゆせんにするとちょうどお粥の少し固いようなものが出来て匙ですくって食べると頬が落ちるほど美味しいよ。プデンは何のでも匙で掬う位の固さにしたのがいい。このブランライスプデンを無病の人に出すのはその中へナツメッグだのシンナモンだのと香料を加えるが病人によっては香料を加減しなければならん。大抵な家だって病人があるとソレ牛乳を飲ませろ、玉子を食べさせろ、お粥を拵えろのといってこれだけの材料を使うけれどもお粥の不味まずいのに玉子の半熟に牛乳をただ飲まさせられては病人もきるからね。ことに牛乳ばかりを飲むのは無病の人にもよくない。病気のたちによっては大層悪い事がある。それだけの材料を使う位なら少し手数をかけてこのプデンを拵えて食べさせた方がどんなに悦ぶか知れないよ」下女「ホントでございますねー」と心なき身もその説に感服する。
○米の料理は秋の巻の付録に日本風五十種西洋風五十種を詳記せり〔秋の巻付録「米料理百種」〕[#「〔秋の巻付録「米料理百種」〕」は底本では「〔本巻四七二ページ以下〕」]

第二百八十二 米料理


 お登和嬢は何人にむかいても親切の心に変りなし。弟子に教ゆるも下女に教ゆるもその説く処は詳細を極む「竹や、和女おまえも料理法を習うからには略式ばかりで物足りない、念のために本式のブランライスプデンを教えてげましょう。これにはお米の粉がるよ。先ず二合の牛乳へお米の粉を大匙四杯にお砂糖を大匙三杯入れて弱い火で一時間ばかりよく煮るとドロドロしたお粥のようになります。それが出来上った時玉子の黄身を四つ入れてよくぜてそれからベシン皿へでもあるいは丼鉢どんぶりばちへでも入れてほかのプデンのようにテンパンへお湯をいでその中へベシン皿を置いてそれごとテンピの中で二十五分間位蒸焼むしやきにすると上等のプデンが出来ます。セーゴでもタピオカでもジャムやでもやっぱり同じ事で大匙二杯位を初めはしばらく水へ漬けておいてふくらんだ処を二合の牛乳へ入れて砂糖を三杯加えて三十分以上煮て出来上った時玉子の黄身を二つ混ぜてテンピの中で二十五分も蒸焼にすると病人にはどんなにいいだろう。無病の人には牛乳で煮ないでも普通なみのカスターソースを拵えてその中へ水に漬けたセーゴやタピオカを混て蒸焼にしてもカスターセーゴプデンといってなかなか美味おいしい者が出来るよ。その外私が平生へいぜい拵える挽いた肉のお料理や崩したお魚のお料理は大概な病人の食物になるからよく覚えておおきなさい」下女「ありがとうございます。お米のお料理でまだ外に病人の食べるようなものがございましょうか」お登和嬢「ありますとも、沢山あります。御飯を一旦いったん煮て裏漉うらごしにして大匙山盛六杯へ二合の牛乳と三杯のお砂糖を加えて弱い火で一時間煮詰めて出来上った時ゼラチンを四枚水でらして柔くして加えて玉子の黄身を二つ入れて少し煮ておろしたら其処そこへ白身を二つ泡立たせて混ぜてそのまま冷して固めると手軽なお米のババロームというものになって病人にはくいいよ。こういう時寒天かんてんを使うと消化が悪くって病人に食べられないけれどもゼラチンは薬に使う膠質にかわしつでおなかくとすぐに溶けるから病人にも食べられる。この外に御飯を一旦煮て裏漉にしてライスケーキも出来ればライスソフレーも出来るし色々のお料理が沢山あるけれども今はせわしいから今度また暇の時に教えてげよう。エート病人料理の話しで肝腎かんじんな今日のお料理が何処どこへか行ってしまった。大原さんは葡萄豆ぶどうまめがお好きだから昨日きのう煮ておいた葡萄豆をモー一度煮返して差上げよう。葡萄豆は昨日煮たものを今日また一度煮返すと味がいよいよ好くなるよ」下女「煮返さないでもお豆が柔くなって大層結構でございます。お豆というものは大層身体からだのお薬りになるそうでございますね」お登和嬢「アア、牛肉やお魚のない田舎には大豆だの外の豆類が沢山あって身体の養いになる。豆というものは肉類に劣らないほどの功能があるよ。しかし料理方が悪いと消化こなれないから病人に食べさせられないけれども家で煮るように外の物を入れて柔くしてあれば病人が食べても差支さしつかえがない」下女「ホントに融けるようでございますもの。私はお手伝い申したばかりでまたよくあのお料理を覚えませんが[#「またよくあのお料理を覚えませんが」はママ]丁寧ていねいに致しますとどういう風に拵えます」
○ゼラチンは痔疾の薬なり。出血を止む。

第二百八十三 葡萄豆ぶどうまめ


 お登和嬢「あれはね、く上等の大豆を一晩水へ漬けておきます。もっとも古いのと新しいのでその加減をしなければならんが古いほど長く漬けておいて翌日あくるひの朝水を換えてよく洗って少しの昆布こぶと一緒に深い鉄鍋へ入れて水を沢山して先ず半日位強くない火で気長に湯煮ゆでなければならない。水を引いてしまったらまたお湯をして緩々ゆるゆる湯煮て、半日もそうした処で一合の豆ならばお砂糖を大匙二杯半位入れて別に一寸四角位にった昆布と上等のカチ栗と小さく切った人参にんじん少しと凍蒟蒻こおりごんにゃく少しとを入れてまた二時間位気長に煮るのだ。昆布が入るから豆も昆布も双方柔くなって双方へ味が付くし外の野菜も美味しくなるが其処そこには才覚という事があって悪い昆布を入れるのと上等の昆布とは煮える時間も違うし味も違う。カチ栗も上等の品ならその時入れていいがコチコチ固いような品ならモット前に入れるがいい。昆布を二度に入れるのは豆と一緒に入れた昆布は長く湯煮ると溶けてなくなってしまう。あとから入れた昆布がちょうどやわらかになって食べられる。こうして二時間ほど煮て中の品物がんなよく煮えたと思う時お醤油したじを少し注してまた一時間ほど煮て火からおろすがお醤油はなるべくすくない位に入れないと味がからくなり過ぎて困るよ。つまり一日かかるね。その晩一度食べて翌日はまたザット煮返すとモット柔くなって美味しくなる。寒い時にこの葡萄豆を煮て翌日モー一度煮返しておくと四日や五日の副食物おかずものになってどんなに調法だろう」下女「私はお豆が好きでございますから毎日戴いてもきません。それから今朝ほど八百屋の持って参った大きな栗がございますね。あれを何かに遊ばしますか」お登和嬢「あれは栗を含ませ煮にして鯛のフクメをかけましょう。栗の含ませは先ず皮のままよく蒸してそれから皮をいて一升の栗ならば味淋みりん二合砂糖一斤塩小匙一杯半の割で弱い火へかけて気長に煮てそのままそのつゆへ漬けておけば長く持って段々味が出る。色を白く出そうと思えば白味淋に白砂糖を使うと味もなお良くなる。その栗へ鯛のフクメというものをかけるが、これは鯛を三枚におろしてその身を指の先で小さくちぎって思い入れ沢山塩を振って二時間ばかり塩漬にしておく。それから今の身を塩から出してよく洗って沸湯にえゆの中へ入れてサット湯がいてよく水気を切て布巾ふきんで堅くしぼる。そうするとバラバラになるから別の大きい鍋へ湯を沢山沸かして湯の中へ薄い鍋を入れて今のバラバラになった身を両手で揉みながら落して五、六本のはしで掻き混ぜていると湯煎ゆせん空炒からいりになるから段々水気を蒸発して細い白い糸のようなものがカラカラに干上ひあがる。それがすっかり干上った処で火から卸して栗の煮たのへ沢山かけて出すと鯛には塩気の味があり栗には甘い味があってどんなに美味しいだろう。こういうお料理は西洋で食べられないから今日は一つ上等に拵えて大原さんに御馳走しましょう」と嬢の熱心平生にことなるあり。下女もその心を知り「お嬢様、ホントに大原さんはお名残なごり惜しゅうございますね」

第二百八十四 栗料理


 大原の事といわれてお登和嬢たちまち少しく涙ぐみけるを下女は悪き事言いけりと話しをほかへ向け「お嬢様、栗の金団きんとんなんぞは以前拝見致して覚えておりますが栗を西洋料理に使う事がございましょうか」お登和嬢「ハイありますとも、西洋風にすると栗を皮のまま蒸してそれから皮をいて鉢の中へ入れておく。その上へバニラステーキといってバニラの棒を栗五合ならば二本ばかり載せておく。別に一斤の白砂糖を一合の水で煮立ててよく溶けた時熱い処を今の栗の上からかけて一晩置くと翌日あくるひは栗からつゆが出て少し濃くなっている。その液をすっかり漉し取ってまた鍋へ入れ暫く沸立てて熱い処をかけて一晩置く。その翌日あくるひもやっぱり今の通りに液を沸立てて栗へかけて一週間毎日そうしてそのまま保存しまっておくと一年過ぎても味が変らない。よく西洋から銀紙へ包んだ栗が来るがあれはそうした栗を干してよく水気を切って銀紙へ包んだのだ。近頃日本製にもその真似まねをして銀紙へ包んで立派なびんへ詰めたのがあるけれども一度煮たのを銀紙へ包むと見えて直きに腐敗してしまう。何でも料理は親切に拵えないと長く持ちません。親切に拵えたのと不親切に拵えたのとは保存もちが違うから争われないものだ」下女「全くそうでございますね。栗をちょっとしたお料理に使えますか」お登和嬢「そうさねー、バター一杯を溶かしてメリケン粉一杯をいためて牛乳一合をして塩胡椒で味をつけた白ソースを拵えて今のように蒸した栗を入れてザット煮て出してもなかなか美味おいしいよ。それから鳥のシタフェというのは若い雄鶏おんどりのおなかの中をくり抜いて蒸した栗をバターと塩とお砂糖とでえてその中へよく詰め込んで鶏の皮の切口を木綿糸で縫ってテンパン皿へ入れる。その側へ人参にんじん玉葱たまねぎの小さく切ったのを置いて鶏の上へは大匙一杯のバターを載せてテンピへ入てロースに焼くが途中で幾度いくども引出して鶏から出た汁を上へかけなければいけない。出来上って出す時にはこの汁へスープを加えて塩胡椒して少し煮た汁をかける。ロースを焼くにはお菓子と違って火は極く強い方がいい。それで一時間ほど焼いてよく火が通らなければならん。こういうものを弱い火で焼くと一時間位では火が通らず、二時間も焼いていると肉の水気がなくなって硬くなって味が極く悪い。ロースやビフステキを上手に焼くのはなかなかむずかしいものだ。今度私が余所よそへ行った時和女おまえが一つお料理を拵えて兄さんに差上げて御覧」下女「オホホそう致しましたらさぞ旦那様がお笑い遊ばす事でございましょう。お嬢様、先ほど八百屋からキザ柿をお買い遊ばしましたがあれは召上りますのですか」お登和嬢「イイエあれもお料理に使うよ、柿ナマスといって上等の御馳走が出来る。ちょうど大原さんへ差上げるのにこの上なしの珍味で、柿は西洋にない、日本の名物だ。西洋へいらっしゃると柿のお料理を召上る事が出来まいから今日は一つ美味しい柿ナマスを拵えて差上げたい」と一生懸命に料理の支度をなす処へこれも大原の一件を案じてや小山の妻君突然尋ね来れり。
○栗の西洋料理は本文の外になお数種あり。そのうち栗のマッシは日本風の金団きんとんに似たるものなるが先ず生栗一斤の皮を剥き極く柔になるまで湯煮ゆでたるを裏漉にかけバター大匙一杯と塩胡椒を加え少しの牛乳にてゆるめて弱火にかけてよく煉り混ぜるなり。
○栗のベーキドプデンも味きものなるが玉子の黄身二つと砂糖大匙二杯とをよく煉り混ぜ一合の牛乳にて弛めし処へ裏漉しの栗大匙三杯を入れてよく混ぜ合せ香料のシンナモン、丁子ちょうじの類を少し加えてベシン皿へ入れるなり。焼き方は例の通りテンパン皿へ湯を注ぎその中へベシン皿を置きあまり強からぬ火のテンピにて三十分間焼くなり。火の強きに過ぐるは出来悪し。
○栗のボイルドプデンは前の物より少し固くするものなるが玉子三つに砂糖二杯を煉り混ぜ牛乳一合を注し裏漉の栗大匙四杯を入れ香料を加えてブリキ型へ入れ湯煎にして一時間ほど湯煮るなり。火加減は強からぬがよし。火が強過ぎて湯が沸騰するとプデンにが立ち味悪し。ブリキ型のなき時は茶筒の蓋へ入れ上から布巾をかけて湯煮てもよし。このプデンにはカスターソースあるいはスポンジソースをかけて食すべし。
○前文よりも一層上等なる栗のボイルドプデンは玉子の黄身三つに砂糖大匙三杯とバター大匙一杯とを煉り混ぜメリケン粉大匙六杯と焼粉を小匙一杯加え湯煮たる栗を小さく砕きて一斤ほど入れて牛乳を大匙二杯ほど注し、三つの白身を泡立てて加え、香料のワニラなど混ぜてブリキ型へ入れるなり。これも前文の通りに湯煮てソースをかける。

第二百八十五 柿料理


 小山の妻君は良人おっとの帰宅が遅き故に大原の一件が如何いか成行なりゆきつらんと心配して来りしなり。お登和嬢に逢いて様子を問えば三人同道にて広海家へ赴きしとの事、それならばもはや案じるに及ばず、洋行の相談全く整いて大原ぬしは情実婚礼をのがれ給わんと小山の妻君もお登和嬢のために前途をよろこび「それでは皆さんも御相談が長くおなりでしょうから急にはお帰りがありますまい」お登和嬢「イイエ晩までにはお帰りになります。たとい遅くなっても晩の御飯を召上らずに帰っていらっしゃるお約束ですから只今ただいま御馳走の支度を致しております」妻君「オヤそうでございますか、それならば私もお手伝い申しましょう。もしや急に大原さんが洋行なさると貴嬢あなたの御馳走を召上られないからといって今夜は御送別と御留別ごりゅうべつを兼ねた御会食ですね。オホホ、そうでございましょう、きっとそうに違いありません。そういう訳ならそのつもりで私もお手伝いを致します。今何をお拵えなさいますか。ナニ柿ナマス、柿がお料理に使えますか。私もお手伝ながら拝見致しましょう」と嬢を促してともに台所へ入りぬ。お登和嬢は下女のみにて手廻り兼ぬる処へき手伝人を得たりと心嬉しく「奥さん、柿ナマスはキザ柿の甘いのを大根の千六本のように細く刻んで沢山の味淋へ漬けておきます。別に椎茸しいたけ簾麩すだれぶとを極く細かく切って糸蒟蒻いとごんにゃくと一緒にお味淋やお醤油したじ美味おいしく煮ておきます。それから油揚あぶらげを二枚にがして中の白い処を庖丁でこそけて取っておいてその皮だけ細く切って一緒に煮ます。大根と人参の生を千人前か何かで細くおろして塩で揉んで固く絞っておきます。それから白胡麻をって擂鉢すりばちでよく擂って今の油揚の白い処を入れてまた擂って味淋と酢と砂糖と少しの醤油で味をつけて今の品々と外に蓮根の煮たのを入れてよくえます。蓮根は蓋をして外の品々と一緒に煮ると黒くなりますから薄く切って別に塩と味淋で煮ます。貴女のお家のようの南京豆が直ぐ間に合えば白胡麻の代りに南京豆を使ってもいいのです。品物の入れ加減は大概お見計みはからいでようございますがその中で柿が一番多く入ります。色々な味へ柿の甘味が交ってどんなに美味おいしゅうございましょう。柿のお料理ではこれが一番結構のように思います」妻君「そうでございますかね、さぞ大原さんがおよろこびになりましょう。それからまだ色々の御馳走が出来ますか」お登和嬢「ハイ何でも出来るだけ沢山拵えます。上等も下等も日本風も西洋風も構いません、材料のあるだけ品数を沢山拵えて大原さんに充分召上って戴こうと存じます」妻君「オホホソラ御覧なさい」お登和嬢「アラ、そういう訳ではございませんがお惣菜そうざい料理までも一緒に出そうと存じますから里芋の極く柔い小さいのばかり蒸して鰹節かつぶしと昆布の煮汁だしを薄味にしてよくお芋を煮てその汁へ葛を引いて里芋の葛掛も拵らえましょうし、さば船場煮せんばにやイナダの餡掛あんかけもお料理致します」
○本文の柿ナマスには生柿のなき時干し柿を用いてもよし。

第二百八十六 さば船場煮せんばに


 妻君「鯖の船場煮とはどうしたお料理です」お登和嬢「鯖の船場煮は誠にさっぱりしたお料理で先ず生鯖のあたらしいのへ一塩てて二、三時間置きます。あるいは極く上等の塩鯖があればそれでも構いません。別に昆布出こぶだしの汁を美味おいしく拵えて塩とホンの少しの醤油したじとで味を付けてを少し加えます、この汁には鰹節かつぶしも味淋も砂糖も使いません。昆布の味と塩気と酸味すみだけです。別に大根を短冊に切って湯煮ゆでておきます。塩にした鯖も切身にしてちょいと汁へ入れて煮て椀へ盛る時大根を載せて今の汁をかけて出します。お汁物と煮物の仲間あいだのようなもので美味しゅうございますよ」妻君「これからは鯖が沢山出ますから宅でも拵えてみましょう、イナダの餡掛あんかけとおっしゃるのは」お登和嬢「これもイナダへ薄塩を当てて蒸しておきます。別に昆布出しの汁へ醤油と味淋で味をつけて溶き葛を入れてお魚へかけて山葵わさびを載て出します」妻君「それも美味しゅうございましょう。私どもではこの頃近所の家からよくイナやぼらきたのを貰います。その主人が投網とあみが好きでよくイナや鰡を沢山取って来てくれますがイナや鰡はどうしたのが美味しゅうございましょう」お登和嬢「きているなら湯鰡ゆぼらというお料理になさると生臭なまぐさくなくって極くさっぱりとしております。それはイナでも鰡でも活きているようなのを三枚におろして小さく切ってグラグラ沸立にたっている湯の中へくぐらせて直ぐ揚げます。それを酢醤油で食べますが薬味に生姜しょうがきざねぎ紫蘇しそなんぞを用いますと沢山食べられます。船で釣や網に参った時船中の即席料理に極くいいと申します。イナや鰡はよく味噌汁へ入れますがあれは生の身を用いるとつゆが生臭くなって不可いけません、一度焼いて入れるのに限ります」妻君「それはい事をうかがいました。イナや鰡はこれから沢山出ますけれどもさて食べ方に困るもので大きいのはお刺身にするとか小さいのは塩焼にする位なもので私どもは直きにきてしまいます。イナや鰡は色々なお料理があるとみえてよく浦賀の土蔵焼どぞうやき名古屋の饅頭焼まんじゅうやきなんぞと申しますね。あれはどう致したのです」お登和嬢「名古屋の饅頭焼はお腹の中へお味噌を詰めて焼いたのです。浦賀の土蔵焼ははらわたを出さずにそのまま丸焼まるやきにしたのです。しかしこういうお料理はその土地の魚に限るのでイナや鰡が品川湾に来ている時分はさかんに餌を食べて釣人つりてに取られる位ですから腸が臭くってとても食べられません。品川湾から段々下へ落ちて行って神奈川横浜を過ぎる時分からモー段々餌を食べなくなります。それから段々東京湾の口へ落ちて行って房州へ六分相州へ四分下ると申しますが相州へ下った魚は浦賀湾の温かい処で冬籠りを致します。その時分には少しも餌を食べません。お腹の中の汚物はんな吐いてしまって綺麗きれいなものです。それに身体からだは充分あぶらが乗って美味しくなっていますし、その魚を浦賀ではむかし一網千両の馬鹿網といって網で一度に沢山とったそうです。そういうお魚でなければ土蔵焼にしても美味しくありません。東京辺で取れたイナや鰡はとても腸ごと食べられません」と一々説明のくわしきに小山の妻君感心し「ホントに貴嬢あなたは何でもよく御存知ですねー」
○イナや鰡を西洋料理にするはフライに用いてもよし。またグレー即ち網焼にも用い、これは魚を背開きにして塩胡椒とサラダ油をかけて十分間置き焼く時塩を少し振かけバターを塗りて強火にて焼くなり。かくすれば味好し。

第二百八十七 季節の食物


 魚の料理も季節により土地によりて各々その特長あり。小山の妻君しきりに感心し「お登和さん、そううかがってみるとお魚ばかりではありませんね、お野菜でも肉類でもそういう工合ぐあいがありましょうね」お登和嬢「ありますとも、同じお魚でもワラサやワカナゴの時は夏の方が味も好くってぶりになると寒中が美味おいしいとしてあります。お野菜でも出来秋できあきに食べるのが一番身体からだにおくすりなので、お野菜や植物が出来秋に持っている成分は必ず何かその時に必要の事があるのでしょう。唐辛とうがらしが出来る時分には辛味のお料理が身体に必要ですし、梅の実のなる時分は人の身体に最も酸味すみを要する時だと申します。山にぜんまいが出る時分には人のおなかへ虫がきますし」と言うをさえぎる妻君「オヤ薇と虫と何か関係がありますか」お登和嬢「ハイ薇は駆虫くちゅうの功があります。薇の根からメンバエキスと申して大層強い駆虫剤が取れるそうでございます。ちょうどその時分には人の身体に色々な虫が生いて駆虫の必要があるのだそうです。そういう訳ですから何でも出来秋の品物を色々に料理して食べるのは自然と人の身体の薬になりましょう」妻君「そうでございますかね、してみると何でも季節季節に出来たものは食べておいた方がいいのですね。よく無花果いちじくの薬になると申しますが追々無花果が出て来ますからあれなんぞも食べておきましょう。お登和さん、無花果は何かお料理になりましょうか」お登和嬢「ハイ色々なものになります。無花果の酢煮と申すのは無花果の皮をいて大きいのなら二十位を一斤の砂糖と一合の水と大匙四杯の西洋酢とで丁子ちょうじを十粒ほど加えて弱い火で煮るのです。なかなか結構なものですよ」妻君「無花果はただ煮てもようございますね、あれをジャムにして長く置けましょうか」お登和嬢「ハイ、やっぱり外のジャムのように拵えれば出来ます。皮を剥いた無花果が一斤なら砂糖を百目振かけて三、四時間置くと砂糖が溶けてつゆが出ます。それを深い鉄鍋へ入れて最初は強い火で一時間ばかり煮る内にアクが浮いて来ますから丁寧ていねい幾度いくどすくい取ってアクが出なくなったら火をズット弱くして弱火とろびで二、三時間煮詰めるとジャムになります。西洋では無花果をして砕いて珈琲こーひーに製するそうです」妻君「そうでございますか。私も今度ジャムを拵えてみましょう。しかしお登和さん、大概なジャムは果物一斤に砂糖一斤の割ですがあれではどうも甘過ぎるようです。モー少し砂糖を減らしても構いますまいか」お登和嬢「ハイ、早く食べるのは砂糖を減らしても構いませんがその代り長く持ちません。長く持たせるものへ砂糖を沢山入れるのは防腐剤にするものです」妻君「オヤお砂糖が防腐剤になりますか」お登和嬢「お砂糖は塩にいでの防腐剤です。庖丁ほうちょうやナイフで手をった時塩を塗っておく代りにお砂糖の固まりを押付けて疵口きずぐちへよく浸み込ませておけばむような事はありません。菓物くだものや何かをお砂糖漬にするのも防腐のためです」妻君「そういうものですかね、モー葡萄ぶどうが沢山出ますがあれもジャムになりましょうね」お登和嬢「ハイ、あれも皮付のまま砂糖をかけておいて今の通りに煮てそれから裏漉うらごしへかけてモー一度煮詰めておくと何時いつまでも持ちます」妻君「私は近頃何でも菓物を煮ますが梨ばかりは煮ても美味しくなりませんね」とこれは自分の失敗らしし。
○無花果の酢煮は皮付のままにてもよし。それには一斤の無花果へ砂糖八十目、酢を大匙四杯加えて本文の如く煮るべし。

第二百八十八 牛の脳味噌


 お登和嬢「奥さんは梨をどういう風にお煮なさいます」妻君「やっぱりほかの菓物のようにお砂糖を入れて煮ました」お登和嬢「それでは甘くばかりあって美味おいしくありません。梨は全体甘味ばかりで酸味すみがありませんからお砂糖ばかりでは甘ったるくなります。あれは先ず大きい梨の皮をいてしんって四つに割って梨一斤半にお砂糖を百目入れて水を五しゃくして四十分間煮てそこへ甘くない生葡萄酒きぶどうしゅを五勺加えてまた二十分間煮ます。そうしてめてから戴くとなかなか結構です」妻君「なるほど葡萄酒で煮たらば美味しくなりましょう。この頃は西洋梨といって長い形のコチコチした石のように堅いのがありますがあんまり堅過ぎて煮なければ食べられませんね」お登和嬢「イイエ、あれはく柔くって味の好いものです。堅いようなのを買って糸でくくって風通しの好い処へ釣るしておくと二、三日目か四、五日目位でちょうどいい食べ頃が来ます。手で触ってみると柔くなっていますからそれを召上るとどんなに美味しゅうございましょう。とても日本の梨は遠く及びません。ちょうど梨と林檎りんごの味を一緒に持っているようです。その代り食べ頃はたった一日か二日でその時食べないときに腐敗しかけて酸味すみびます。そうなるとモー食べられません。よく世間の人が西洋梨を堅い堅いといいますが全く食べ頃を知らんからです。マンゴーでもマングスタンでもライチーでもんなその通りちょうどいい時に召上らないと菓物の王だとか女王だとかいう味が致しません」妻君「それで分りました。やっぱり此方こちらが悪いのですね。お登和さん、先日良人やど貴嬢あなたから三十銭料理や二十銭料理を教えて戴きまして宅へ帰ってから一々みんな試みてみましたが大層経済に出来てどんなによろこびましてしょう。そのうちでも二十銭のサンドウィッチ料理なんぞは大層社中の賞賛を博したそうです。あれから宅では十八銭のブリスケ料理だの牛の尾の料理だのと徳用なお料理ばかり致しますがその外に臓物ぞうもつ料理は皆んな直段ねだんやすくって味が好いと伺ったそうです。全体牛の臓物料理と申しますとどういうものでございましょう」お登和嬢「そうでございますね、上の方から申せば第一がこうしの頭です。頭一つを四十五銭から六十銭位までで買えます。大牛の頭も買えない事はありませんけれども大牛の頭は切りほどくのに面倒ですから大概犢を買います。大牛のは脳味噌とか舌とかいって別々に買う方が便利です。犢なら頭一つで脳味噌も取れれば舌も取れますし、顔の皮の美味しい処も取れて大層徳用です」妻君「牛の脳味噌は大層お薬だと申しますがどうして拵えます」お登和嬢「ハイ牛の脳味噌は大層なエキス分を含んでいますから興奮の効が多いそうです。脳味噌はトントお豆腐のように柔いものでそれをザット塩湯煮しおゆでにして薄い膜をぎまして薄く切ります。それへ塩胡椒してメリケン粉をつけて玉子の黄身へくるんでパン粉をつけてバターでフライにするのが一番軽便で美味しゅうございましょう。そのほか色々のお料理に出来ますけれども食べ慣れないお方は気味をるがって召上らないようです。西洋人は一週間に一度お薬のつもりで食べる人が多いそうです」
○梨はこの外に焼梨という料理あり。そは焼林檎の如くしんをくり抜きバターと砂糖を詰めテンピの中にて二時間ほどロース焼にするなり。よく気長に焼くべし。
○牛の脳味噌はコロッケーにもすべし。それには一旦湯煮て細かく切り固き白ソースへ混ぜ塩胡椒を加えて冷まし、それを丸めてメリケン粉をつけ玉子の黄身にてくるみパン粉をまぶして油にて揚げる。これにトマトソースをかけて食すれば一層上等なり。

第二百八十九 牛の臓物ぞうもつ


 妻君「牛の脳味噌と聞くと何だか気味が悪いようですね。追々食べ慣れたら平気になるかもしれません。それから顔の皮というのはどう致します」お登和嬢「顔の皮と申して頭の皮も何の皮もんな食べられますが、それを最初塩でよくんでヌルヌルをってしまってよく洗って、深い鉄鍋の中へ水と一緒に入れて少し塩を加えて人参にんじん玉葱たまねぎなんぞを入れて強くない火で四時間ばかり湯煮ゆでます。そうすると皮が大層柔くなります。別の鍋でバター一杯をいためてコルンスタッチ一杯をよくいためてスープを五しゃく瓶詰びんづめのトマトソースを一合加えて塩胡椒で味を付けて今の皮をその中へ入れて一時間ほど煮ますと美味おいしいシチューが出来ます」妻君「牛の舌はいつでもシチューに致しますが外にお料理がございますか」お登和嬢「ハハ色々ございますが軽便なのはやっぱりシチューにする時のように最初舌を塩でよく揉んでヌルヌルを除って洗って深い鍋へ水と一緒に入れて人参玉葱を加えて強くない火で四時間湯煮ます。湯煮上った処でザラザラした厚皮をいで別にバターで粉をいためて牛乳をして塩胡椒で味をつけた白ソースを拵えます。その白ソース一合へ玉子の黄身を二つ入れてツブツブの出来ないようによく混ぜて丸のまま今の舌を入れて弱い火で一時間煮ます。イザ出す時薄く切って油で揚げたジャガ芋か何かの野菜を附合せにして汁をかけますがこれは舌のフルカセーです」妻君「ジャガ芋を揚げるのはどう致します」お登和嬢「ジャガ芋を拍子木形ひょうしぎなりに切ってサラダ油でよく揚げて熱い内に塩胡椒を振りかけます」妻君「それで頭のお料理が出来ました。今度は何になります」お登和嬢「そうですね、レバーといってこうしの肝臓のお料理があります。犢の肝臓はやすい物で大きなのが一つ十五銭位一斤余あります。それを生のまま三分位の厚さに切って塩胡椒してメリケン粉を叩きつけてバターでフライにしますが柔くってなかなか結構です。これへ野菜を附合せにして芥子からしソースをかけるとなお美味しくなります。芥子ソースはフライにした時出た汁へメリケン粉を入れてよくいためてスープを加えて溶き芥子を入れて酢を少ししたものです。豚のベーコンを湯煮て薄く小さく切ってこのソースへ入れて一緒にレバーへかけて戴くとなお上等になります」妻君「レバーは私も一度食べた事がありますが脳味噌ほど気味が悪くありません。その次は」お登和嬢「トライプといって牛の胃袋のお料理もあります。これも最初塩で揉んで洗って人参玉葱と一緒に四時間湯煮て、それを小さく切りますがその時黒いポツポツの処を除かないといけません。それから今の皮のようにトマトソースを拵えて一時間煮てシチューにしてもよし、あるいは白ソースで煮てもようございます」妻君「その次は」お登和嬢「キドネー即ち腎臓です。これは俗にケンネーといいまして牛の生脂きあぶら即ちケンネー脂の中に包まれています。最初生のまま細かく切って沸湯にえゆへザット入れて一度沸上にえあがったら直ぐ出してブラウンソース即ちバターでメリケン粉を黒くなるまでいためてスープを注して味を付けたもので火を弱くして少し煮るのです」妻君「その次は」

○牛の舌は本文の如く湯煮たるものを薄く切り白ソースかあるいはトマトソースをかけて食すればボイルドタンなり。その残物は翌日フライにしてもよし、フエタスにするもよし、崩してメンチトースあるいはコロッケーにもなすべし。
○犢の肝臓はロースにするもよし。それには肝臓へ豚のベーコンを処々へ差し込み塩胡椒を振りバターを載せて二十分間法の如くロース焼にするなり。
○舌は犢か羊を上等とす。豚の舌も牛の如くに料理すれども味は少しく劣れり。
○胃袋は大牛を良しとす。
○キドネー即ち腎臓は羊を上等とす。

第二百九十 見世物の種


 臓物ぞうもつ料理も尽くる事なし、お登和嬢める色なく「その次はハート即ち心臓のお料理で心臓にはあないております。先ずパンを四半斤しはんぎん位皮の固い処を切捨てて真中まんなかの柔い処ばかり水に漬けてしぼってそれへ大きな玉葱の細かく切ったもの二つぶりとパセリの細かく刻んだもの大匙一杯と玉子の黄身二つと塩胡椒とをよく混ぜ合せて今の孔へ詰めて塩胡椒を振かけてバターを載せてテンパン皿へ入れます。その周囲まわりへ人参や玉葱の小さく切ったものを置いてテンピへ入れて四十分間強い火でロース焼にします。何のロースでもこういう風にしますと肉の味と野菜の味とバターの溶けたのが一緒になって下へまりますから幾度いくども幾度も引出して大匙でそのつゆを肉の上へかけながら焼きます。それが出来上った時肉を出してその汁の中へバターを入れてメリケン粉を真黒くなるまでいためてスープとセリー酒を少しして塩胡椒で味をつけてよく煮て丁寧ていねいにすればその汁を水嚢すいのうして肉へかけて出します」妻君「その次は」お登和嬢「これでおなかの中の物はおしまいです。今度は下へ行って尾のお料理ですが先日小山さんにお教え申しましたから御存知でしょう。それからすねはスープになりマルボンといってずいも取れますし、足の先のお料理も結構です。足のきは生のまま四時間湯煮ゆでて骨と肉とを別にしてその肉を今のお料理のようにトマトソースか白ソースで煮込みます」妻君「そうすると足の先から頭の先まで捨てる処はありませんね」お登和嬢「少しも捨てる処はありません。西洋人は肉料理よりも臓物料理を好む人がある位で食べ慣れると美味おいしいものです。しかし我邦わがくにではまだ臓物の食べ方を知らない人が多いため美味おいしい臓物も腸と一緒に肥料屋に売られたり、あるいは胃袋なんぞは折々香具師やしの材料となって縁日の見世物みせものになるそうです。大きな胃袋へ水を一杯詰めて裏返して置くとちょうど頭のような処が先にあり手足のような処もあり何とも訳の分らない化物ばけもののような形になるそうです。それを見世物師が何処どこの海で取れました何という珍らしい動物でござると名をつけて一銭二銭の見料を取って見せるのです。よく縁日の見世物を気をけて御覧なさい。黒い牛のような化物の看板が出ていますよ。あれが牛の胃袋です。西洋ではお料理にして食べられるものが我邦では見世物に出るので随分おかしいではございませんか。それから見世物にじゃこつだといってよく出ているのがあれも牛の軟骨をかためたのだそうです。そんなものを見るために一銭二銭の金子かねを払って嬉しがっているのは多く頑是がんぜない子供ですが、まことに浅ましい事ではございませんか。文明流の家庭教育は子供に博物学上の智識を与えて牛はこういうものである。胎生動物と卵生動物の区別はこうであると事物の真相を教えてらなければならんのに牛の胃袋や骨を以て子供をあざむいて金銭をむさぼるなんぞとは実に乱暴とも野蛮とも申しようがありません。ああいう処を改良して行くのが教育家の仕事でありましょうけれども今までは家庭教育にさえ重きを置かなかった位ですからそんな処まで手が届きません。大原さんが西洋からお帰りになって家庭教育の必要をお唱えになったらばその時こそ始めて子供の幸福も出て来ましょう」と物に感じてはとかく心を大原の身辺にする。
○心臓は犢の物を上等とす。

第二百九十一 娘の理想


 小山の妻君も同感なりけん「ホントに大原さんの力を以て我邦わがくにの家庭教育を改良したらさぞ世中よのなかが清くなって楽しい事でございましょう。しかしそれも大原さん一人の力では隅から隅まで行届く訳に参りません。是非ぜひとも貴娘あなたが内から助けて婦人社会を感化なさらなければ大原さんの功を全くする事が出来ますまい。私は一日も早く大原さんと貴嬢あなた奥床おくゆかしい御夫婦におなりなすってお二人揃って世中を感化なさる処を拝見したいと思いますよ。オホホ何ですって、そんな事は望まれないって。今度こそ大丈夫です、大原さんが洋行なすっておしまいなさればモー決して御心配はありません。お代さんの方は私ども夫婦が引受けてきっと始末を付けますから誰が何といっても今度はモー貴嬢と大原さんの間を妨げるものはありません。大原さんの御帰朝が待遠しかったら貴嬢もあとから西洋へいらっしゃいまし。貴嬢が西洋へいらっしゃりたければそれこそどんな機会もありましょう。やっぱり家庭教育の取調をなすってもよし。料理法の研究をなすってもよし。どの口も直ぐ出来ますよ。ホントにいっその事そうなさいましな」と段々話しが先走りする。お登和嬢あまりにこの話を進めらるるがいとわしく「私はモーモー決して先の事は何とも考えません。私なんぞが浅果あさはかな智恵を以て未来の事を考えても決して解るものでないそうですからかえって考えない方が楽でございますよ。ネー奥さん、人は誰でも先の事を考えたがりますけれども滅多めったに物事が考え通りになったためしがありません。それは考えるのが悪いのでない、まだ考えるだけの智識と経験を蓄えないでただ無闇むやみに考えるからだとよく兄が申しますよ。譬えば海岸へ出て海の水のおだやかで広々した処を見ると誰でも心持こころもちになって海の真中まんなかへ出てみたいような気がします。小舟に乗って海の中へ出ると海岸で眺めた時よりは案外に波のウネリが大きくって舟は揺れる、心持が悪くなる、オヤオヤこんなつもりではなかったとたちまち怖くなって来る処へ風が起り雨が降って海が荒れ出して来ると舟が今にも顛覆ひっくりかえりはしないかと思って生きた心持のしないような事もあります。現に私も国にいる時分折々海へ出てそんな目に逢った事もございます。そうなると海が恐くなっていやになって最初に考えた事とはまるで違ってしまいます。兄がよくそのたとえを人の事に取ってこう申します。それは全く最初の考えようが悪いので海は一年中たいらおだやかなものでない。時あって風も起り波も荒くなるのが海の持前もちまえだ。それを無経験の内は何時いつでも平に穏なものと思っているから風にい波に遭うと非常に驚く。最初から海の事をよく知っていて今日は穏だがもし途中で風が出たらこうして避けると用意して乗出せば少し位の風波ふうはがあっても決して驚かない。今の青年男女がまだ社会へ出ない内に学校の窓から社会を望むのはちょうど無経験の人が初めて岸辺から海を望むようなものだ。社会は何時でも春の海のように穏なものと思って何の用意もなく乗出してみると忽ち風も出ればなみも起る。そこでおおい狼狽ろうばいして社会をうらみ世をののしり、いわゆる厭世主義えんせいしゅぎの悲哀観を起すようになる。まことに不心得千万な事だ。ことに今の女学生や浮気娘うわきむすめの間には自分勝手な理想という言葉が流行してヤレ我が理想にかなった良人おっとを持ちたいとか我が理想に適った家庭へ嫁入したいとかいうがまだ社会を知らない娘時代にどうして理想なぞが立てられるものか。ちょうど海岸に立って理想的の無風むふう無波むはな海へ乗出したいというに同じ事で、そんな海は世界にない。ないと忽ち世を罵る。これも不心得の第一だ。何でも娘の時分は我儘わがままな心と生意気なまいきな心をつつしんで老功者の教えにしたがうものと心掛けなければならん。老功者の唱える理想を実行するものと覚悟しなければならん。娘時代に我が理想なぞという生意気な心を出すのは他日たじつ身を不幸の地におとしいれるもとだとよく兄が申しますから私は決して未来の事を自分では考えません」とこれがお登和嬢の平生へいぜいの覚悟。

第二百九十二 世の風波ふうは


 かかる物語は多少経験のある婦人にこそよく解し得らるるなり。小山の妻君さも我意を得たる如くうなずきて「ホントにそうおっしゃれば世中よのなかの事は今のお話の通りですよ。私なんぞもやっぱり学校の窓から社会を眺めて自分勝手な理想を立てた方ですが今になって考えてみるとホントにおかしいようでございます。私ばかりでありません、その時分の学校友達はんな同じような事を考えたものです。ちょうどお話のように理想の海といったら風もなく波もなく一年中たらいの水のようにおだやかでそこへ乗出して幸福の岸へ着いたらさぞ楽しいだろうというように考えたものです。ところで世中へ出てみるとまるで娘の時分に思った事と反対で海でも無風無波という日は滅多めったにありません。たまにあれば暴風雨の起る前兆位なものです。その代り風をしのぎ波を凌いでその海を渡って行くのが航海者の楽しみである通りに私どもが風波の荒い世中を凌いで行くのもまた一つの楽しみです。しかしそれは娘時代に決して想像の出来ない事で、娘時代に想像したものよりはモットたのしみの深い幸福の多いものですけれども、最初に無風無波の理想を持っていたものが社会の海へ乗出して始めて風波にう時は誰でも一度驚きます。その時の心掛次第で女の幸不幸がわかれるのでしょうが娘の時代に何の覚悟もなかった人は多く自ら不幸の地におちいります。私自身の事を考えてみても色々な事がございますよ。私の実家さとは少し地位もあり資産もあった方ですから私は浮世の風波を知らずに育って学校へ入ってからもその時分の教育法で無闇むやみ突飛とっぴ高尚こうしょうな事ばかり習ったものです。高尚というのは悪い事でありますまいけれども中川さんの風流亡国論の通りに何でも風流がかった事を高尚と心得てその実は迂遠うえんな学科ばかり稽古けいこしたものです。それが縁あって小山文学士の処へ参るようになりましたからそれこそ娘心の理想では良人おっととともに毎日風流を楽んであるいは歌をみ詩を作りあるいはともに天下の名所旧跡を歴遊してあくまで風雅な生活をしようと思っておりました。ところが恥をお話し申さなければお解りになりません、私が嫁に参って第一に驚きましたのは書生上りの貧乏世帯びんぼうじょたいです。家は狭いし道具はすくないし、何事も足らぬがちで私は何となく鼻がつかえるような気がたしました。実家にいて広いやしきに住んで奉公人を沢山使った身が急に島流しにでも逢ったような気がして心細く感じました。そうすると嫁にいって三日目にたった一人の下女が急に病気になって宿へ下がりました。良人やどは社へ出て不在るすですし、晩になっても御飯の副食物おかずこしらえる事が出来ません。近頃のように学校時代から料理の事を仕込まれていれば狼狽うろたえもしませんけれども副食物拵おかずごしらえは奉公人の役目位に思っていた私ですからサアどうする事も出来ません。それでも良人が帰えって来て食べる物がなかったら困るだろうと思って九死一生の大奮発をしてお吸物すいもののような物を拵えてみましたが実に入れるものがありません。八百屋へ買物に行くという勇気は出ず、ひとりで困っている処へ門の前を豆腐屋が通ります。あれでも買おうとざるを持って裏口まで出たのはようございますけれども声を出して豆腐屋を呼ぶ事が出来ません。豆腐屋ーと呼捨てにしていいものか、豆腐屋さーんと尊敬して呼ぶべきものか、何といっていいのか訳が分らんで考えている内に豆腐屋はズンズン通り過ぎてしまうではありませんか。ホントにあんな困った事はありません。娘時代の理想に豆腐屋を呼留める言葉まで考えておく人は滅多めったにありますまいからね」お登和嬢も思わず「オホホ」と笑い出しぬ。

第二百九十三 身の上話


 小山の妻君もともに笑い「オホホ、そういうわけで豆腐屋を呼びくなってその晩は里芋の堅いのをお吸物の実に入れて大層良人やどに笑われましたがそれから毎日一生懸命に副食物拵えの稽古です。それも私ばかりでありません、ほかの学校友達を聞いてみますのに大概誰でもお嫁に行って同じような経験をしたそうです。商人の妻になったものが八百屋を呼捨にして横柄だと悪くいわれたり、軍人の妻になったものが魚屋さーんと丁寧に言って良人おっといましめられたり、色々な奇談がございますよ。畢竟ひっきよう良人の資格によって妻たるの覚悟を定めなければならんという思慮がないので、何でも娘時代の理想通りに押通そうとするから間違うのでございましょう。おしゅうとめさんとの衝突しょうとつもやっぱりそれから起るのが多いようです。娘の理想にかなった良人さえすくな世中よのなかですもの、娘の理想に適うようなお姑さんが滅多にある気支きづかいもありません。私は舅姑しゅうと郷里きょうりにおりましたから此方こちらでは夫婦差向さしむかいでございましたが二十日ばかり過ぎるとある時良人やどが家の近所で車から落ちて右の腕を怪我けがしました。それを宅へ持ち込まれた時には私もただ狼狽ろうばいするばかり、疵口きずぐちへどういう手当てあてをしていいものだかどうしていいか訳が分りません。医者を呼びにっても急には来てくれず、ホントニまりましたよ。西洋の女学校では必ず看病学や繃帯ほうたいの仕方を教えると聞いていますが私どもの理想に良人おっとの怪我を手当するなんぞという事は夢にもありません。小式部こしきぶが言下に歌をんだとか曹建そうけん七歩しちほの詩を作ったという事は習い覚えていますけれども怪我をした時即座の応急療法をほどこすというような実用の学科は一つも習った事がありません。さいわいに良人の怪我が極く軽いので一週間ばかりの後に全快しましたけれどもその時の私の驚きはまだ忘れません。あれが海へ乗出して急に大風にったようなものですね、オホホ。しかしそう申すと嫁に参ってから悪い事ばかりあって懲々こりごりしたように聞えますが一方には段々良人の情愛が解って参りますし、良人の価値ねうちも知れて来ましてこれもやっぱり娘時代にはとても想像の出来ない幸福を感じました。ですからい方角も悪い方角もんな娘時代の理想以外です。そうしている内にちょうど二月ばかり過ぎますと私の身に取って一大打撃が参りました。忘れもしませんあの時の事は、良人やどの不在に妙な人が尋ねて来て奥さんにでもいいからお目にかかりたいと申しますので逢ってみますと、今まで人の噂に鬼の如く聞いていた高利貸です。是非ぜひ今月の末までに三百円の金子きんすを返済しろ、返済が出来なければ訴えると厳重の談判です。私は良人が帰ったらお返事をしようと幾分いくぶんか腹もたちましたからケンモホロロに追返しましたけれどもその時の心持と申すものは今に忘れませんよ。小山は物堅い人物と聞いて嫁に来たけれどもやっぱり以前は放蕩ほうとうでもして高利貸の金を借りていたのか、そう思えば机の抽斗ひきだしに芸者の写真が一枚大切そうにしまってあったがあれがお馴染なじみというものかしらんなんぞと余計な嫉妬心しっとしんまで起してその時ほど心の悲しく浅ましく思った事はありません。家庭の幸福も何もたちまち消えてしまったような気がして良人の帰るまでは心のうちで泣いておりました」と始めて聞きし身の上話しにお登和嬢も耳新しく覚え「オヤ、そんな事がおありになりましたか」

第二百九十四 大打撃


 人世じんせい風波ふうはは思いもうけぬ方面より起る。小山の妻君熱心に「マアどうぞしまいまでよく聞いて下さい。それが全く私の邪推じゃすいで、娘時代の理想に良人おっとが高利貸に責められるというような事も想像しませんからただ驚きのあまり色々な邪推を起したのです。極端まで邪推をたくましくしたのです。そういう時にい方角へ考える事は決してありません。悪い方へばかり考えてひとりで悲しくなりました。晩になって良人やどが帰りましたからその話しをしますと良人も少々困ったふうで、あれがいよいよって来たか、あれは友達の借金へ判をしたが連帯責任になっているから此方こっちへ来たのだ。本人は遠方へっていてとても返金の見込はなし、自分が何処どこまでも責任を負わねばならんとしきりに思案をしております。私はその時済まない事ですがまだ良人を疑いました。友達の借金なら貴郎あなたかぶる訳もありますまい。貴郎も少しは手伝ってお遣いなすったのでしょうと串談じょうだんのように気を引いてみましたけれども決してそうでないといいます。それならば机の抽斗ひきだしにある芸者の写真はどうしたのですと痛くない腹まで探りますと、その友達があの芸者におぼれて堕落したから非常に苦諫くかんして手を切らせて遠方へ友達をったのだ、その時友達の手から取上げた写真だとこう申します。それでもまだ私は充分に信用しません。平生へいぜい嘘をかない良人だけれどもこの事ばかりは怪しい位に疑っておりました。人の妻となって良人を疑ぐる位物悲しく情けない事はありません。良人の言葉を信用する事が出来ない位なら天下に何を信用する事が出来るだろう。実に浅ましいものだとあの時位不愉快に思った事はありません。そうしますと良人が翌日あくるひ高利貸の家へ出向いて色々談判した末三百円を月賦げっぷで返す事にめて参りました。それからと申すものは毎月の収入をほとんど半分かく高利貸の方へ取られる始末、さなきだに私の目から見ると物足りない貧乏世帯びんぼうじょたいがいよいよ物足りなくなって私は始めて辛いという感じが起りました。過ぎ去った事はとがめないにしてもそれがために私までが長い間苦しい思いをしなければならんかと口惜くちおしくなりまして、三百円位の金子きんすなら私の実家さとへ話して出しておもらいなさい、私が口を添えれば必ず出しますからと良人にすすめましたけれども承知しません。自分は女房の実家へ金を借りに行くほどの意気地いくじなしでもない、自分の責任は自分で果すといって一生懸命にほか反訳物ほんやくものまで引受けて遊ぶ処も遊ばないで一年ばかりは借金返しにくるしんでいました。その内に此方こちらの中川さんや外のお友達がいらしってのお話しにようやく事の真相が私にも解りまして良人の言葉は嘘でない、全く堕落した一人のお友達を助けるためにその人の借金まで背負って独りで苦むのだとうたがいの心はすっかり晴れましたが、サアそうなると良人やどや私どもの苦しむのが馬鹿馬鹿しくって溜まりません。自分に何の罪もなくって他人のためにこんな苦しい想いをして借金を返してるなんて何という損な事だろう、うまく掛合ったら返さないでも済みそうなものだ、良人があんまり正直過ぎると私の浅果あさはかな心からひそかに不平を起した位です。それでもマア辛抱しんぼうして一年足らずの内に漸くその借金を返してしまうとそれから三月みつきほど過ぎてその本人のお友達が突然台湾から帰って来て、実に君の恩は忘れない、僕も台湾で少し金をこしらえたから君の損害はこの通り弁償する、金銭の損害は弁償しても君の迷惑は弁償し尽せない、その恩は末長く報ずるといってそれから後台湾へ帰りましたけれども良人を兄とも親とも思って何事も親切にしてくれます。一方には高利貸連中が小山さんなら何時いつでも安利やすりで金をお貸し申すと大層な信用で、それが四方八方へ広まって小山の物堅い評判は段々たかまりました」

第二百九十五 小言こごとの愉快


 小山の妻君「ネーお登和さん、その時私は生涯忘れられないほど愉快を感じた事があります。それは私が実家の父に叱られましたので、その叱られたのが何よりの愉快です。以前小一年ばかり借金返しに苦しんでいる時分には私も折々実家へ参って母に愚痴ぐちを申した事もあります。それを父がよく知っておりましてある時私に申しますには和女おまえほど不心得なものはない、小山さんが他人の借金を背負って苦しんでいる時にナゼ折々うちへ来て愚痴をこぼした、愚痴を漏すべき事がない、本来なら小山さんのありがたい事を感じてその身の幸福を悟らなければならない、もしも小山さんが自分の責任をのがれるような工風くふうをするとかあるいは和女おまえたのんで家へ金を借りに来るような意気地いくじのない人であったら、それこそ和女が不平を起しても仕方がないが小山さんの仕方は実に男らしい、自分の責任は自分で果すという立派な覚悟のある人物だ、友達に対してすらその通りであるから妻に対してはなおその上の覚悟を持ているだろう、即ち人の良人おっととなってはあくまでも良人たるべき責任を尽す人だ、してみると和女の身に取ってこれほどありがたい幸福な事はないでないか、世中に何が役に立たんといって何事にも自分の責任を遁れたがる人位腑甲斐ふがいないものはない、ほかへ対して責任を遁れたがる人は我が家庭に対しても主人たり良人たるべき責任を尽さない人だ、世間には男子の癖にそういう意気地なしが多いけれども小山さんは実に珍らしい、その小山さんの真価ねうちを悟らないでかえって不平をいうとは重々じゅうじゅう和女の不埒ふらちだ、以来何事があっても小山さんの言う事にそむいてはなりませんと私は散々叱られましたがその時の嬉しゅうございましたこと、モットモット叱られてもいいと思いました。それからのちは宅の父も小山の事を知った人へ吹聴ふいちょうして我が婿むこはこういう人物でござると自慢を申すのです。あの広海子爵なんぞは最初実家の父が小山を紹介致しましたので」お登和嬢「アラそうでございますか、それではやっぱりその事が私どもへまで関係しているのですね」妻君「ハイ、世中よのなかは妙なものでございますよ。それから私も始めて我身の幸福な事を感じましたが一つくなれば外の事も段々好くなるものでその事の信用から小山の地位も次第に進みますし色々な幸福が諸方から舞込まいこんで参ります。もしも以前借金で責られた時私の思った通りに責任をのがれる工風したり実家さとの親に金を借りたりするような小山でしたらば私も決してこんな幸福は得られないのです。つまり私をして一時苦しい目に逢わせてくれたような良人おっとですから私の幸福になったのですが娘時代の理想にそんな事は決して考えられません。勿論もちろん世間の娘には私よりも見識のある人があってそういう場合に、よくこそ他人の借金を引受けてくれる、よくこそ物足りない貧乏世帯から半分の収入を借金の方へ廻してくれる、実に有難い人だと感じる事があるかもしれませんが先ずマアすくない方でしょう。いわゆる娘心の浅果あさはかな理想から申しましたら私と同様にあるいは良人を疑がったりあるいは馬鹿らしいと思ったりするような事がないとも限りますまい。私ですらその通りですから娘時代の理想なんぞがあんまりあてになるものでありません。世間の娘を持った親やあるいは女子を教育するものはよくそういう事に注意して女の子に生意気な心を出させないようにしなければなりませんね」とこれこそ最も有力なる経験説。

第二百九十六 松茸まつだけ


 この時門前を「松茸や松茸」と売り歩く声聞えたり。お登和嬢にわかに心付き「オーそうだ松茸を買って大原さんに御馳走しましょう。竹や松茸売を呼んで来ておくれ」と下女に命じて松茸を買わしむ。やがて松茸売は下女とともに台所へ来れり。お登和嬢自ら出でて松茸を点検するに小山の妻君も心得のためとてともに出で来り「お登和さん、品が良ければ私も少し買いますがその松茸はどうでございます」とお登和嬢に問うに嬢よりも松茸売の商人が進み出で「奥様、この松茸が悪いと申したら外に良いものはありません。その代りお直段ねだんは少し高うございますけれども京都の本場で、昨日きのうれた品ですからこの通りまだにおいが抜けません」と売物屋の説明あてにはならず、お登和嬢一々籠を取りて中の松茸を指にてつまみ「小山の奥さん、松茸をお買いなさる時には何でも最初にじくを指で摘んで御覧なさい。茎が固くってしっかりしていれば新しくって虫もいないのです。茎がやわらかで押すとへこむようなのは古いのです。新しくってもたちの悪いのはえている時から虫がいます。虫のいるようなのは新しくってもいけません。それに笠が開いたのもいけません。やっぱり椎茸しいたけと同じように笠の開かない肉の厚いのがよいのです。オヤオヤこの松茸は大層良いのと悪いのとが混ぜてあるね。良いのが一つ位上に置いてあって周囲まわりのはんな悪い。一舟ひとふね一舟になっているけれども良いのだけらせるなら買いましょう」と急所を指されて商人も閉口せしが前の広言に対していやとも言われず少し直段を高くして択取よりどりに任せんという。お登和嬢一つ一つ択り出して小山の妻君に説明し「この中には西京さいきょうの松茸も少しばかり混っていますが大概は江州ごうしゅうから美濃みの辺の松茸のようです。西京の松茸は匂いが高いばかりでなく茎が短くって太く肥えています。外のはせて長うございます。同じ西京といって西京ばかりでありません。その近所の山々から沢山出ましてその中にたち善悪よしあしはありますけれどもどうしても本場と申すだけ西京辺のは全体に良いようです。もっとも伊勢の播摩山はりまやまの松茸なんぞははるかに西京のより上等だと申しますが沢山採れませんから外へ売出しません。今は東京へも諸国から松茸が参ります。東の方は上州太田の金山かなやまが名所でその近傍きんぼう野州やしゅう唐沢山からさわやま辺まで松茸が出るそうですが西は濃州のうしゅう三州江州辺から沢山参ります。それがんな売物屋の手へ入ると西京の松茸と名をつけてしまいます。何にせよ戴いてみると味が違うから仕方がございません。この品物の中には昨日の朝れたのも少しはありますが古いのも沢山ですから今私が新しいのばかり択り出しました。松茸は昼中ひるなか採った物より朝早くまだ草の露のある内に採ったのが味もよし匂いも高いとしてあります。ここへ択り出したのは皆んな上等ですから御入用ならこのうちをお持ちなさいまし」と今択り出したる松茸を盆の上に載せて妻君の前に置く。妻君それを売物屋の品と見比べ「なるほどこういう風に択ってみると上等と下等は大層違いますね」売物屋泣かぬばかりに「こういう御客様ばかりあっては商売人は上ったりだ」と代金を受取り悄々すごすごと帰り去る。

第二百九十七 松茸山


 松茸売の去りし跡にて小山の妻君今かいし松茸を打眺うちながめ「お登和さん、ホントに今だして下すった松茸は良い品物ばかりですね。何故なぜ良い品ばかり揃えて直段ねだんを高くしてうらないでしょう。わざわざ良い品と悪い品と一緒にしてあるから択出よりだすのに骨が折ます。松茸ばかりではありません。今の世中よのなかは何をかうのでも油断をすると悪い品物ばかり押し付けられます。何一つ安心して買う事が出来ません。ホントに困ったものです」と到る処このへいあり。お登和嬢も歎息し「商売人に信用を重んずる心の出ない内は仕方がございませんね、しかし商売人ばかりも責められません。客の方で品物を鑑別みわける力がないと良い品物を持って行っても売れない事があります。奥州の或る地方へ色の白い塩を持って行くとこの塩は白いからきが悪いといって嫌うそうです。仕方がないからわざわざ白い塩を一旦いったん泥の上へあけて俵を結び直して深川からその地方へ送るというはなしもありますが世人せじんの智識が進歩しないとそんなものです。何事も無智識無経験という事が一番困るので西京さいきょうの松茸山へ素人しろうとりに入ると竹篦たけべらで地を掘ってこれから出ようというく小さな松茸まで採ってしまったり、極く若い松茸を踏みつぶしてしまったり、その損害は一通りでありません。だから素人を山へいれるのはよほど高い代価をもらわなければ引合ひきあわないといいます。松茸ばかりでありません。東京の近傍きんぼうでは初茸はつだけが沢山採れてスープにでもすると味は大層いものですが秋になって初茸を出そうとするには六月頃から松の落葉をかずにそのまま置いてわらを振り撒いておくと秋になって雨の降ったのちに大きな上等の初茸が沢山出ます。それを素人に取らせると根の土も一緒に引抜いてしまいますから再び其処そこへ出なくなります。なれたものは根の上からポクリと折り取るようにして根の先の土を動かさずにおきますからまた雨が降ると幾度いくどでも出て幾度でも採れます。松露しょうろを採ってもその通りです。無経験の人は後の事を構わず、不親切に採りますから松茸でも初茸でもその土地がとんだ損害を受けます。後の事を考えずに一時に物を多く取りたがるのは人の品性の低い証拠で商人が一時の暴利をむさぼるため大切な得意先を一度で懲々こりごりさせるのと同じようなものです」小山の妻君「なるほどそういう事もありましょうね。松茸は全体どういう土地にあるのがいいのでしょう」お登和嬢「松茸は赤土山で松の木が二十年位から四、五十年位った処が多いとしてあります。それより木がわかくっても出ず、それより古くなっても出なくなります。しめじは木の稚い処へ出ますけれども松茸はそういう処へ出ません。それに南向きの温い処へ出る松茸は肉が厚くって味も好うございますけれども日の当らない処へ出るのはせて味が悪うございます」小山の妻君「松茸採りは大層面白いものだといいますがツイまだ一度も参った事がありません。来年は太田の金山かなやまへでも御一緒に参ってみたいものです。秋に山へ参ると松茸のほかに色々なきのこが出ていて面白うございましょうね」お登和嬢「ハイ、それこそ何十種何百種という位変った茸が出ていますれども、うっかりしたものを採って食べると大毒があってよく死にますから知らない茸を食べるものでありません」
第二百九十七 松茸山の挿画

第二百九十八 きのこの毒


 小山の妻君「お登和さん、きのこうちでどういうものが食べられるのでしょう」お登和嬢「そうですね、松茸や初茸の外に椎茸しいたけやしめじは勿論もちろんですが栗茸、岩茸、鼠茸、舞茸なんぞというのは食べられますね」妻君「よく俗に縦裂たてざけのするのは食べられるとか銀の物を一緒に煮て黒くならなければ食べられるとか、あるいはお米粒を一緒に煮て黒くならないのは毒がないと申しますがそうでしょうか」お登和嬢「イイエイイエ、その俗説があてになりません。かえってそんな事をいうためにこれは縦裂がするから大丈夫だなんぞといって大毒なものを食べて死ぬ人があります。現在私が幾度いくども試してみました菌の中で、一番の激毒を持っている蠅取茸はいとりだけというものがあります。東海道辺の松林には折々出ていますが大きな菌です。それをとって火の上であぶると笠や茎からつゆが出て一種のにおいを放ちます。それをお皿の上にさかさにして笠の裏を出して砂糖を少し振りかけておくと蠅がその匂いをぎつけて沢山あつまって来てそのつゆめます。五分間も嘗めているとコロリコロリその場でたおれて見ている内に四十も五十も蠅が取れます。大磯や平塚辺には折々あるそうですから今度あの辺へ遊びにいらしったら試して御覧なさい。面白く蠅が取れます。しかるにその菌は立派に縦裂もしますし、私は銀貨と一緒に長く煮てみましたが少しも黒くなりません。ある時にわとりがその死んだ蠅を四十も五十も一度に食べてしまいましたから、オヤオヤ大変だ今にあの鶏も死ぬだろうと思っていますと鶏は平気なもので翌日あくるひになっても何ともありません。そこでうたがいが起りました。蠅には毒になっても鶏には毒にならないのか、それとも蠅を殺す分量では鶏を殺すまでに至らないのかとも思いました。にしろ四、五十の蠅をんな食べたのですから毒の分量もすくなくはありません。どういうわけだろうと或るお医者に尋ねましたところ下等動物は毒物に対して色々な免毒性を持っている、鶏は阿片性あへんせいの毒に対して他の動物よりも非常に感じが鈍い、ほとんど免毒性を持っているというべき位だ、蠅取菌はいとりきのこの毒質はムスカリンといって阿片性だからそれで鶏へは感じが薄いといわれました。物を知らないと色々の疑いが起りますし、とんだ間違まちがいも出来ます。鶏が死なないから人間も大丈夫だろうなんぞとそんなものを食べたら大変です。あるいは鶏も今の菌の毒を蠅から受けて少し胸が苦しい位に思ったか知れませんが鶏なんぞは自然作用で解毒の草や土や知っていますからそんなものを食べて毒を消す事もありましょう。何にしろ菌を食べる時は菌に対する智識がなければならず、鶏を飼う時は鶏に対する智識がなければなりません。或る素人の家で自分の家の鶏が風邪かぜいてせきをするからと発汗剤の水揚散さるちるさんを飲ませたそうです。あとでお医者に聞いたら大笑いで、鶏は決して水分を分泌しない動物だ、どんな薬を用いても汗の出る気支きづかいがないという事でした。物を知らないと色々な間違が出来ますよ」と話しは四方八方へ飛廻とびまわるに小山の妻君もけむに巻かれたり。

第二百九十九 松茸料理


 松茸まつだけの講釈は聞き得たり。この上は松茸の料理法をとわんと小山の妻君「モシお登和さん、その松茸は何のお料理になさいます」お登和嬢「そうでございますね、これで松茸の御飯をきましょう。松茸は最初加減かげんに切ってしばらく塩水へ漬けておきます。松茸ばかりでありません、初茸でも何でも暫く塩水へ漬けておいてから料理するのは殺虫の功があります。それをよく洗って一旦いったん美味おいしく下煮をしてそのつゆへ醤油と味淋と水とを加えてお釜の底へ煮た松茸を入れて御飯をその汁で炊きます。手軽にするのは並の御飯を炊いておひつへ移す時煮た松茸と汁とをよく混ぜて出しても構いません。く上品にして松茸の香気を保たしめるには桜飯さくらめしを炊いて吹きかけた時生の松茸を入れて普通よりも長く蒸らしておきます。松茸の御飯には必ずお豆腐のお汁を添えますがお豆腐は松茸の刺撃を中和させる功があるのです。あるいはお豆腐と松茸とをお汁にしたり、初茸とお豆腐とのお汁が出来たりするのもそのわけで、人によると松茸によって大層逆上のぼせる人があります。そういう人はお豆腐と一緒に食べると酔わないと申します。松茸の中へ茄子なすへたを入れるのも解毒の功がありましょう。松茸の甘酒漬を出す時にはそのあとで必ず茄子の漬物を出すのも毒消しのつもりです」妻君「松茸の甘酒漬と申すのはどう致します」お登和嬢「松茸の大きいのばかりってじくばかりを塩水へ漬けてあらっ蒸籠せいろうで蒸します。それを濃い甘酒へ漬けて四、五日置いて食べる時短冊たんざくに切って出します」妻君「松茸にも色々なお料理がありましょうね」お登和嬢「ハイ、蒸松茸むしまつだけと申しますのは大小に限らず茎笠ともに今のようにして蒸します。それを切って生姜味噌しょうがみそ胡麻ごま味噌で食べると結構でございます。蒸す代りに湯煮ゆでて湯松茸にしてこうするのもありますがこの湯煮ゆで加減やむし加減が少し工合ぐあいもので足りなくてもならず過ぎてもならずちょうど好い程にしないと味が出ません。それから焼松茸やきまつだけと申すのが大層美味おいしいものですがそれはあまりに開き過ぎない松茸を丸のままよく塩水で洗って濡紙ぬれがみへ包んで火の中の灰へしばらく埋めておきます。気長にしてよく松茸が蒸焼にならなければいけません。好い時分に取出して水の中で紙を取ってよく洗って指で根元から裂いて皿へ入れてそれへお醤油したじ橙酢だいだいずをかけて戴きます、橙がなければゆず醤油でも構いません。松茸田楽でんがくは串へ刺して焼いて山椒味噌さんしょうみそなんぞをつけたのです。そのほか贅沢ぜいたくにしますと大きい笠ばかりを取って茎は別にして笠の裏へお魚の摺身すりみを詰めて蒸揚むしあげたのを裏白松茸うらじろまつだけと申しますし、土瓶蒸どびんむしだの、蒲鉾かまぼこだのと色々変った料理がございます」妻君「如何いかがでしょう、松茸の西洋料理がございますか」お登和嬢「ハイ、西洋料理にしますと一つはソース煮ですね。それは松茸を塩水へ漬けて洗って一旦蒸してそれから野菜のソース煮のように例の白ソースで煮込みます。松茸のフライも結構なものですがこれは笠ばかりを使います。大きな笠ばかりを取って指で薄皮をグルリといて、それを塩水へ暫く漬けておいてよく絞って水気を切ってバターでジリジリとげて塩胡椒を振ります。松茸のロースは二つに割って薄皮を剥いてバターと塩胡椒を振ってテンピの中でロースに焼きます。あるいはベシン皿の中へ松茸を一かわ並べてバターと塩胡椒をつけてまた松茸を並べてバターと塩胡椒をかけて二、三段にしてテンピで焼いてもようございます」としきりに語りかけるかたわらに下女は薩摩芋さつまいもの皮を剥きながら「お嬢様、お芋も何かお料理になりますか」

第三百 薩摩芋


 お登和嬢「アハハそれはお芋の酢煮すににしますから大根の千六本のように細く切っておくれ」と下女に命ずるを小山の妻君不審がり「お登和さん、お芋の酢煮というのがありますか」お登和嬢「ハイ、それは薩摩芋の皮をいて千六本のように細く切りまして水でよくアク出しをしてしばらく酢に漬けておきます。一時間も過ぎましたらその酢へお湯を二倍位して少しの塩と加減かげんなお砂糖を加えてよく煮ます。味が変って結構なものでございますよ」妻君「そうですか、早速宅でも致しましょう。お登和さん、薩摩芋は西洋料理になりましょうか」お登和嬢「なりますとも、西洋料理にしますと薩摩芋とバターが合物あいもので味が大層好くなります。お芋のフライは薩摩芋の皮を剥て薄く切って最初はサラダ油でよく気長に揚げます。それから一旦いったんざるの上へ取って今度はフライ鍋へバターを溶かしてその中へ今揚げたお芋を入れて塩胡椒を振ってえるようにしてザッと揚げますとどんなに美味おいしくなりますでしょう。これにはフレッシバターか上等のバターを使わないといけません。それからこうしたのも美味しゅうございます。湯煮ゆでたお芋を輪切にしてベシン皿かあるいは丼鉢どんぶりばちの底へ一かわ並べてその上へバター大匙一杯に砂糖を大匙一杯に塩胡椒を好いほどかけてまたお芋を一側並べてまたバターやお砂糖を今のように置いてモー一側お芋とバターを置いてつまり三段にして一番上へバターを沢山載せてブリキ皿へ入れてテンピの中で強い加減の火で焼きます。少し焼くとバターが溶けてブリキざらあふれ出ますからそれを引出ひきだしてはさじすくって上からかけてちょうど肉類のロースを焼くように幾度いくどもそうして三十分間も焼きますと出来上ります。これはなかなか美味しい御馳走です。並のロースは薩摩芋を丸のままテンピの中で焼きますが普通の焼芋よりは大層味が出ます。食べる時勝手に切ってバターや塩胡椒をかけても結構です。それから薩摩芋のソフレーと申しますのは一旦湯煮て裏漉うらごしにしたお芋を大匙五杯に玉子の黄身三つに砂糖を大匙三杯とこれだけよくよく混ぜてそれに玉子の白身三つぶりの泡立てたのを加えてテンピの中で二十五分間焼きます。リッキスウィトポテートといいますのは薩摩芋を拍子木に細く切って今のフライのようにサラダ油で揚げてまたバターで揚げるのです。薩摩芋のプデンも美味しいものですがそれは玉子の黄身二つへ砂糖を大匙二杯加えてよく混ぜて牛乳一合と湯煮て裏漉しにしたお芋を大匙四杯入れてシンナモンの粉即ち肉桂にっけいの粉を小匙に軽く一杯とグローブス即ち丁子ちょうじの粉を小匙に軽く一杯加えてんなよく混ぜ合せてベシン皿か丼鉢どんぶりばちへ入れてテンピの中で二十五分間焼きます。今頃は栗がありますから栗を湯煮て裏漉しにして今の通りな分量にして焼いても栗のプデンが出来ます。栗と申せば生栗なまぐりのアクを取って細く刻んでお刺身の妻にしても結構ですが栗のアクを取るのは皮を剥いたまま葛粉の中へ半日でも一日でも漬けておきます。そうすると生栗の渋気がすっかり取れますよ」妻君「そうでございますかね。栗のプデンや薩摩芋のプデンも早速こしらえてみましょう。時にお登和さん、私どもは毎度使い慣れていますから大匙一杯小匙一杯という事がよく分りますけれども田舎の人なんぞにはよく分らない事があります。大匙一杯というとどの位な分量になりましょう」と世間往々この問あり。
○西洋料理に用ゆる薩摩芋は赤色の水芋を良しとす。

第三百一 さじの分量


 慣れぬ人に料理法を教ゆるは思い掛けぬ処にて間違まちがいを生じやすし。お登和嬢もその意をりょうし「なるほどそうでございますね。田舎なんぞで大匙や中匙がなかったらその分量に困るかもしれません。しかし料理の分量は幾度いくたびも経験してこの位がちょうどいいというほどを我が心で悟るようにならなければ匙ではかってもますで量ってもなかなかうまく参りません。何故なぜと申すのに同じ大匙一杯と申しても量る品物によって一々その分量が違います。大匙というのは西洋で野菜匙という大きな匙で、メリケン粉を並に量ると先ず二十杯で一きんになります。山盛やまもりにすると十六杯位で一斤になります。しかしメリケン粉もふるったのですと大匙で並に三十杯量らなければなりません。即ち二杯と三杯と同じ事になります。水を量る時には大匙八杯で一合になります。中匙というのはスープに使う匙でメリケン粉を量ると大匙の半分以上あります。即わち大匙の七割位ありますが水で量るとちょうど大匙の半分です。小匙と申すのは茶匙の事でメリケン粉で量ると小匙三杯が大匙一杯になりますが水で量ると小匙四杯がちょうど大匙一杯になります。バターなんぞはスリ切りで大匙に十六杯が一斤になり、お砂糖も篩わないのが十六杯で一斤、篩ったのが二十杯位の割になります。お砂糖と申せば西洋料理でお砂糖一斤にメリケン粉一斤というと粉も百二十お砂糖も百二十目即ちえい一斤です。たとえばジャムを煮る時菓物くだもの一斤に砂糖一斤といいますのは双方とも百二十目の事です。赤茄子あかなすとか無花果いちじくとか酸味のすくない菓物は菓物一斤に砂糖百目といいますから外の物よりも少しお砂糖の寡い割です。それを砂糖屋から黙ってお砂糖を一斤といって買って来て菓物屋から菓物を一斤といって買って何の気も付かずにジャムを煮たら甘過ぎて食べられなかったという人がありました。お砂糖の方は百六十目で菓物の方が百二十目ですからそれでは甘過ぎて食べられません。全体我邦わがくにには百六十目一斤だの百二十目一斤だのと同じ一斤に相違のあるのは国の文明が進歩しない印で実に不便この上なしです。尺にも鯨尺くじらじゃく曲尺かねじゃくとがありますし、同じ一尺といっても二寸ほどの差があるのです。こんな事こそ早く政府の力で一定させて下さるといいのですね。しかし同じ鯨尺で反物たんものを測っても人によって延尺のびじゃくの癖があり縮尺つまりじゃくの癖があるようなもので、同じメリケン粉やお砂糖を大匙何杯で量るにも人によって手加減が違いますからとても一様に参りません。大匙何杯と教わったからその通りにお砂糖を入れたが甘過ぎたとか甘味が不足したとかいいますけれどもそれはその人の手加減にもあるので、即ち料理の一番大切なほど加減かげんという事です。自分で研究してその程と加減を覚えなければなかなか一度位で美味おいしいお料理が出来るものでありません」と人を教うるものは常にかかる苦痛あり。小山の妻君も嬢の心を察し「全くそうでございましょうね、一度聞いた位で試験してみてそれでよく出来ないと教えようが悪いというのは習う人の無理ですね。或る書生さんが自転車の書物を買って二度も三度も読み返してモー自転車の乗り方を覚えたと自転車を買って乗ったところが転覆ひっくりかえって一尺も先へ出なかったという話しがあります。何ほど自転車の事が書物でくわしく書いてあってもそれを読んだばかりで稽古けいこもせずに自転車へは乗れません。料理の事もその通りでございましょう」と世には往々この自転車乗じてんしゃのりに似たる事多し。

第三百二 詰換物つめかえもの


 ひとり自転車の事のみにあらず。世の青年子弟が一の学校を卒業すれば天晴あっぱれ自ら何の事もべしと信じ、無経験の身を以て大胆なる事業にあたり遂に失敗して世をうらみ自ら苦むもの比々ひひとしてなこれなり。小山の妻君はさすがに経験のあるだけお登和嬢の言葉に服し「お料理の事は段々習って行くほど面白くなりますがその代り段々むずかしくなって何処どこまで習ってもこれでいいという際限がありません。今のお話しのように同じ一斤のお砂糖を使ってもお砂糖のたちによって大層味が違いますね」お登和嬢「そうですとも。同じ一斤のお砂糖でもアクが強くってきの良いのもありますし、アクがすくなくって甘味の淡泊なのもあります。ジャムにはアクの寡いザラメ糖が淡泊で良うございます。車糖くるまとうを使う時はそのつもりで少し分量を減じなければなりません。赤砂糖のようなアクの強いものを一斤も入れたらそれこそ甘ったるくって食べられません。お砂糖ばかりでなく塩もその通りで塩を小匙に一杯といいましてもアクの強い日本の塩と上等の西洋塩とは大層な違いですから一々その使うもので加減しなければなりません。といって家庭の料理に毎日最上等の舶来塩を使わないでも日本の赤穂塩あこうじおで出来ますがその程と加減を覚えるのが肝腎かんじんです。舶来の上等食塩ともうした処が市中で売っているのはほとんど大概和製食塩の詰換つめかえびんと商標だけが舶来なのです。本物の中味は滅多めったにありません」妻君「オヤオヤそうでございますか。道理でこの頃の食塩は品が悪いと思いました」お登和嬢「食塩を皿へ出して空気にてておくと二、三日ですっかり湿りが来るようなのは和製の悪い品です。上等のものは乾燥が充分ですから決して湿りません。食塩ばかりでなく、何でも舶来の上等といって舶来の壜へ入れて舶来の商標を張って上等物のようにこしらえてありながら中味は和製の詰換になっているものが沢山あります。西洋酢なんぞは殊にはなはだしいもので葡萄酒ぶどうしゅの腐ったのや麦酒びーるの腐ったものを大きな樽へ溜めておいてそれを酢に製して西洋酢の壜へ詰め換えてあります。丸で西洋酢の美味おいしい味はありません。丁子ちょうじや胡椒や芥子からしは大概日本製の詰換です。舶来の壜へ詰め換えた品を食品屋から一壜二十銭で買う位なら薬種屋やくしゅやへ行って同じ分量を一袋で買うと六銭でくれます。世人がまだ西洋食品に慣れませんからふうの悪い西洋食品屋では好き自由な事をしています。フライを拵える時にサラダ油が良いと申しても詰換の悪いサラダ油を買いますと臭くって胸に持って胡麻油ごまあぶらよりもなお悪いのが沢山あります。それで直段ねだんは胡麻の油の三倍も高く取ってもうかる儲かるとよろこんでいます。実に今の世の不徳義な商人ほど不埒ふらちなものはありません。その食品屋が西洋人の家から注文される時は割合に悪い品物を持って行きません。西洋人は使い慣れて品物の善悪よしあしが分りますから悪い品物はぐ突戻して受取りません。それはそれは厳重なものです。日本人の家だと贋物にせもの見顕みあらわされるまでは一年でも二年でも悪い品物を売付けて儲かる儲かると悦んでいます。見顕わされても日本人の家では制裁がゆるくって先日の品は悪かったから今度は良いのを持って来い位なものです。壜の口を開けてみて悪いから突戻すというような西洋風は滅多めったにありません。私どもが西洋料理を世にひろめると西洋食品が沢山売れて来ます。食品屋は大きに悦んで益々商売に勉強すれば殊勝ですが、益々悪い事をして暴利をむさぼるようではかえって西洋料理の発達を妨げます。西洋食品を使う人はよくその品物を検査しなければいけません」と深く商人の不徳義をいきどおる。
○サラダ油は同じ大きさの壜にて下等は六十銭位の品より上等は壱円六、七十銭まであり。よくあらためて買うべし。

第三百三 商人の嘘


 商人の不徳に憤慨するはひとりお登和嬢のみにあらず。小山の妻君も平生へいぜい自ら実験する所あり「お登和さん、ホントに今の世は商人の言葉ほど信用の出来ないものはありません。何でもその場限りの嘘をいて平気でいます。食品屋ばかりでなく何一つ買っても商人の言葉は信用されませんから一々その品物を検査しなければなりません。先日も或る宝石屋へ行って宝石入の指環ゆびわを買いましたが最初の時は番頭が応対して日本製の品物でも細工が上手になっていますから決して宝石の抜け出す気支きづかいがありませんと真珠入の指環を売付けられました。帰って来るとその翌日指環の真珠がぐ抜けて落ちましたからその見世みせへ行って小言こごとを申しますと今度は主人が出て来て、日本製の品はドウも足が弱くって中の石が抜けたがります、舶来の品物は決して抜けませんから舶来の物をお買いなさいと以前よりも高い品物を売付けようとします。よく平気でそんな事が言えたものですね。客に隙間すきまがあれば少しでも儲けようという浅ましい根性なのです。客に対して親切という心は少しもありません。親切義しんせつぎのない商人から決して物を買う気になりませんね。ほかの品物はともかく食品屋だの外の食物の商売人に親切義のないほど人の身体からだに危険な事はありません。お客の身体が好くなろうが悪くなろうが死のうが生きようが構わないで少しでも余計な金を儲けようと不衛生な品物を売るような商売人は実に国の賊です。こんな事は何とか政府で取締とりしまりの方法がないものでしょうか。それとは少し違いますけれども私の家では御存知の通り毎日牛肉を配達させますから物の試験に十日間続けて毎日同じ霜降しもふりロースを取った事があります。ところが毎日少しずつ味が変って美味おいしいのが一度か二度ありましたが美味しくないのは同じ霜降でも肉がこわくって味がなくして並肉より悪いのが来ます。ナゼこんなに硬いだろうと聞きますと肉が新しいからだと申します。それならばと食頃たべごろの日までおいてみてもやっぱり硬くっていけません。同じ代価を払って同じ霜降を買うのにどうしてあんなに味が違いましょう」お登和嬢「それは少々御注文なさる方もお悪いのです。牛肉に霜降という部分はありません。霜降だの鹿だのというのは肉へ脂身あぶらみが霜を降ったようにさしている処を言うのでロース肉の美味しい処にも霜降の部分がありますし、ショーランドといって胸の処の硬い肉にも霜降がありますし、バラーの処にも霜降の部分があります。ロースの霜降を持って来れば煮ても焼いてもやわらかですがショーランドの霜降を持って来られると硬くって仕方がありません。しかしショーランドの霜降は幅がせもうございますから双方を比べてみると分ります」妻君「なるほど、そううかがえば小さく切って持って来た時はいつでも硬くって不味まずいようです。それでは牛肉を注文する時一々その肉の名を指してらなければなりませんね。肉の名はいくつ位ございましょう」お登和嬢「西洋人の言うようにくわしくければ沢山ありますが先ず一通りに区別しても二十五、六はございましょう」妻君「オヤオヤそんなに沢山ありますか」

第三百四 牛の図


 お登和嬢は立って我が机の抽斗ひきだしより一枚の紙片を取出し来り「奥さん、ここに牛の切図きりずがありますからこれを御覧なさいまし。先ず首の方から見て参りますとネックレブにチャックレブにレブロースという所が三つ並んでいます。これは首から肩の肉で牛肉の中では悪い部分です。その中にも首の方へ近いネックレブが一番悪くってチャックがその次レブロースが少し好くなります。ネックは下等のスープにでもするよりほかに使い道がありません。チャックとレブロースはコーンビーフといって、塩漬肉にするか骨附きのビフステキにするか、下等のロースにでもする位なものです。或る華族さんはこのレブロースをヒレ肉だといって一年の余も毎日牛肉屋から売付けられたお方があります。ヒレとレブロースとは直段ねだんが半分も違います。この三つのレブは皮の方にあって悪い処ですけれどもちょうどレブロースの真中まんなかしんのようになってまるい長い肉が少しばかりあります。それをスタンデンドブーフといって、牛肉中の一番美味おいしい所です。ヒレ肉よりも美味うまいのです。少し肉はこわい方ですが料理方りょうりかたで大層美味おいしくなるもので西洋人が大層好みます。三つのレブの次即ち背の肉がサラエンロースの三番同じく二番同じく一番と三つならんでいます。これが先ず上肉でロースに適当の処です。そのうちでも一番の処が美味うまいので西洋では一番の処が二番よりも高いのですけれども我邦わがくにではそんな区別もありません。この三つは背の皮の下にありますがこの肉の下にヒレ肉という上等の処があります。即ち俗にいう内ロースで一頭の牛で八きんか九斤位より多くはありません。一頭の牛から十五斤も二十斤もヒレ肉を出すような牛屋がありましたらばそれは必らず外の肉をぜるので今のようにレブロースがける事もありましょう。本物のヒレ肉はすくないものでロースにしてもビフテキにしてもあるいはビフテキプデンにしてもカツレツにしても第一等の味を持っています。その代り煮込にこみものには適当しません。シチューなんぞには不適当です。ヒレ肉の下の処がケンネ生脂なまあぶらに包まれていてその脂の中に腎臓じんぞうがあります。今度は腰の方でランの一ランの二ランの三としてあります。このランは柔くってビフテキに適当の処です。ことにランの一、二が好いので三は肉が悪くなります。ランの次がイチボの三角肉で肉は硬い代りに大層味があってボイルドビーフにするとく結構です。ボイルドビーフの外にはコーンビーフにも使います。それからももとなって上のランド上のベインはビフテキなんぞに使いますし下のランド下のベインは挽肉ひきにくといって肉挽器械にくひききかいで挽いてフーカデンとかコロッケとかいうものに致します。肉挽器械で生肉を挽いて料理する時は肉が細かくなりますからヒレ肉やロースの上等を使わないでもこの辺の悪い肉がちょうど適当しています。その下がすねの肉でスープに適当ですし、その先が足でボイルドに致します」と一々委しく図面の説明。
第三百四 牛の図の挿画
注意 この切図と各部の名称価格等は『食道楽』夏の巻付録に委しければ読者ついらるべし〔夏の巻付録「西洋食品価格表」〕[#「〔夏の巻付録「西洋食品価格表」〕」は底本では「〔上巻五六九ページ〕」]

第三百五 肉の区別


 小山の妻君牛の図を見て感服し「一口に牛肉といいますけれどもこんなに色々区別がありますかね。ももからおなかへ来まして骨なしフランク骨付フランクという所がありますね。これはどういう所です」お登和嬢「これはモー悪い処で多く脂身あぶらみ交りです。しかしシチュウにするバラーはこの中のあばらの方にあるのです。それからまた首の方へ戻って来てショーランドの一、二、三とありますがこれも挽肉ひきにくで肉挽器械へかける処です。その下にラットルランドという所がありましてこれはボイルドかコーンビーフに致します。一番下が毎度お話し申すブリスケでボイルドに致しますとく徳用な所です」と肉の適不適は料理によりて一々異るなり。小山の妻君しきりに図面を眺め「考えてみると私どもは迂闊うかつなものですね。牛肉とさえ言えば何処どこでも同じ事だと思って内ロースをシチューにしたり、こわい肉をビフテキにしたりして毎度失敗しくじっていました。それに以前は内ロースに霜降しもふりロース上等に並肉位よりは区別を知らなかったのです。今でも世間ではそういう名で牛肉を売っていますが全体何の部をいったものでしょう」お登和嬢「私も一々それを見ませんからよく存じませんが東京辺の悪い牛肉屋では今の図にあるネックレブ、チャックレブ、ブリスケ、下のランド、下のベインなんぞを並肉として売りますし、上のランド、上のベイン、ショーランドの一部が上肉ですし、ショーランドの大部分がロースですし、霜降しもふりになっている処が内ロースだそうです。もっとも上等の牛肉屋ではそんな事もありますまいけれども牛の一頭をほふると上の半分は屋敷行き下の半分は牛鍋屋行きと申すそうですから自然とそういう区別が出来るのでございましょう。その代り牛肉屋にもそれぞれ長所があって東京の牛肉屋では牛の生肉を薄く紙のようにる事が名人で西洋人が驚くそうです。日本人の牛肉を薄く截るのは一種の技術だと申すそうです。それは鍋で出す時鍋の上へ広く張りばす必要があるのと薄く截って配達するからです。牛肉は薄く截ると大層目方が殖えますから截る手数をかけても薄く截って売った方が徳です。買う人は截ったのを買うより截らないのを買って家で料理して截った方が大層徳です。しかし東京の牛肉屋は肉の各部を斫別きりわける事が下手です。それは横浜が上手で多く西洋人へ売りますからヒレならヒレ、サラエンならサラエンとその部分を斫別けて持って来るそうです。東京の牛肉屋ではランもイチボも一緒に切って誠に部類別が面倒です。これから追々お客の方でも肉の名を指して買うようになりましたら自然と区別も出来て参りましょう」妻君「それに追々寒くなりますと沢山買っておけますがどうしておくのが一番長くちましょう」お登和嬢「新聞紙へ包んで高い処へるしておくのが一番です。冬の寒い時はほふってから五、六日目がちょうど食べ頃ですから新しい肉は五、六日置いてから料理しなければなりません」妻君「オヤ、そんなに置くものですか。新しい肉と古いのとはどうして鑑別みわけます」お登和嬢「新しいものは色が赤黒くって指で押してもへこまない位に硬いものです。二、三日過ぎると色が段々桃色になって肉がゆるんで来ます。その頃は色が白みを帯びて押すとへこむほど柔くなります。冬でもあったかい処にあると早く弛みますし、時候によっても違いますから一々その場合を考えなければなりません」

第三百六 色々の牛


 何事も研究せざれば真相を知りがたし。小山の妻君一々質問し「お登和さん、寒くなりますと牛肉を井戸へ釣るしたり氷箱こおりばこへ入れたりしないでもようございましょうか」お登和嬢「さようです。モー涼しくなったらばかえって牛肉を冷さない方がいいのです。地上の温度よりも無理に冷しておくと外の空気に触れた時直ぐ腐敗しますからかえって損です」妻君「近頃は宅でもこうしの肉を買って料理に使いますが犢の肉もやっぱり一週間位けますか」お登和嬢「イイエ犢の肉は牛肉よりも食頃たべごろが速いのでく寒い時でもほふってから三、四日目位でございます」妻君「犢の肉はやっぱり大牛おおうしのように牝牛めうしの方がいいのでしょうか」お登和嬢「犢の時は孰方どちらも同じ事ですが大概おすばかりでめす滅多めったほふりません。その代り大牛になりますと牝の肉が良いので牡はほとんど食用になりません。市中では折々牡の肉をまぜて売る事がありますけれども牡の肉はこわくって味がなくってとてもたべられません。その癖牡の方は舌でも尾でも牝の倍位な大きさがあって直段は半分よりやすいものですから折々素人しろうとだまされます。現に私のしった家で舌を注文した処が大層大きくって直段の廉い舌を持って来たそうです。これは大層徳用だと思って料理してみたら何ほど煮ても硬くって食られなかったと申しますが、全く牡の舌を売り付られたのです。尾もその通り牡のは牝の倍もありますがとても食られません」妻君「そうでございますかね、牛は全体どういうのが美味おいしゅうございましょう」お登和嬢「場所で申せば神戸牛といって中国筋の者が良いので上総かずさ房州ぼうしゅうから出る地廻じまわりは味が悪うございます。同じ場所の牛でも激しく労働させた牛は味が悪くって楽にしている牛が味も良いのです。それも老牛の肉は同じ牝でも味が大層悪いので、よく牛肉屋から老牛のヒレ肉やロース肉を持って参りますけれども硬くって料理に使えません。若牛のロース肉と老牛のロース肉とを並べてみますと老牛の方は筋が深く肉へ入っていて肉の幅がせもうございます。牛肉のお料理をこしらえる時にはそういう処からしらべて参らなければなりません。よく世間の人は何処どこの牛肉屋がやすいとか高いとかいって肉の分量ばかりかれこれ申しますがあれこそ料理の趣味がない証拠で分量の多寡たかよりも品質の良否よしあしを選ばなければなりません。同じロースを買っても若牛の肉と老牛の肉とは大層な違いがあります。それを客の方では肉の良否に注意しないで沢山ある方が廉いと思っていますから自然と牛肉屋の方も発達しない訳です。老牛でなくとも乳牛ちちうしが病気になってそれをほふった肉も沢山あります。乳牛の肉はいけません。牛には乳牛と食牛しょくうし耕作牛こうさくうしとの区別があって乳牛は乳を取るのに適していますけれども食用には不適当です。その肉を食用にすると味がありません。私は以前神戸辺にもおりましたがあの辺で並の牛肉を料理しましても東京の上肉よりはるかに優っています。一つは牛の種類が良いからですし、一つは中国筋で牛をう者が労役させると直段ねだんが廉くなりますから極くいたわって牛を使います。関東では牛のたおれるまで追使おいつかってそれからつぶします。ちょうど鉄道馬車の馬と貴顕の乗馬と違うようなもので肉の味も非常に違います。関東の牛では飼育法をあらためたら上等の肉を得られない事はありますまい」

第三百七 きた学問


 一口に牛肉といえど種類により場所によりてその質のことなることかくのごとし。小山の妻君説明を聞て我が智識の増したるをよろこび「お登和さん、こういうお話を伺うのがきた学問と申すのですね。私なんぞが以前一生懸命に学んだ事は死んだ学問の方が多いので生活上の役に立つものは滅多めったにありません。もっとも生活上の事ばかり知っていればそれでいいという訳でありませんけれども女の身は誰でも生活問題の事をよく覚えてそれからその上の学問をしなければなりません。私どもの娘時代には女学生のうちにこういう人がありました。自分は読書が大好きだからお嫁にっても読書ばかりさせてくれるような良人おっとを持ちたい、その代り三度三度食べるものはどんなに不味まずくっても構わない、衣服きものらなければほか贅沢ぜいたくもしない、ただ読書の材料と時間を与えてくれればそれで満足すると自慢顔に話したものです。外の人たちもそれに同意したり賛成したりしてさも高尚らしいように思ったのです。なるほど読書は悪い事でありますまいけれども生活問題に必要な書物かきものを読んで食物の事を衛生上から研究するとか、育児の事を生理学上から調査するとかいうなら他日人の妻となり母となった時の役に立ちますが、食物や衣服は何でも構わん、ただ読書がしたいというのは何のために読書するのでしょう。つまり恋愛小説を読むとか、似非えせ風流にふけるとか、女学生の口真似くちまねをすれば我が理想を高潔神聖にするとかいう位なものです。女の身として生活問題を度外視するのは女の恥辱と申さなければなりません。何を食べても構わないから書物が読みたいというのは女の本分を忘れた言葉で何を食べたら人の身体からだのためになるか、子供を育てるためになるか、そういう書物を読みたいと言わなければなりません。悪くすると子供は蒼蠅うるさいから欲しくない、育児なんぞはイヤな事だというような人も出ます。私は貴嬢あなたに色々の事を伺うので近頃にわかに生活上の智識を増したような気がしますがナゼ昔の娘時代に活きた学問をしなかったろうと悔しく思います。先日も良人やどが米国の料理学校の試験問題を伺って私に委しく話しましたが私はナゼ娘の時代にそういう事を試験してもらわなかったろう、ナゼそういう事を教えられる幸福がなかったろうと残念に思いました。あれなんぞがホントの活きた学問で一度覚えておけば毎日役に立つ事です。あの中にイーストで製したパンは何故なにゆえに消化良きやという問題もありましたが西洋ではパン一つ焼くのでも学理上から委しく調べてあるのですね。我邦わがくにでは毎日お米を食べながらお米は人の身体にどういう作用をするか、御飯とおかゆはどういう風に消化されるか、そういう風な事を委しく教える学校もありません。ホントに考えてみれば今の女子教育はなさけないほど迂闊うかつですね。といってそういう私もお米の事を少しも存じません。お登和さん、お米の事を学説の上からいったらどういうものでしょう」と段々質問も高尚に進む。

第三百八 米の説明


 質問を受けてお登和嬢微笑びしょうを含み「オホホ、私もくわしい事はよく存じませんが先ず荒増あらましを申せばお米は草の実でもみという皮をかぶってその皮をくと中に若い芽があります。米粒を御覧になると先の方のとがった処にきいろいような黒いような芽のようなものがありましょう。白米にするとあの芽をつぶしますがそれでもよく見ると、きいろいようなものが小さく残ります。あれがお米の本尊様で外の部分はあの芽を保護するために出来ているのです。人間の食物とする白い澱粉質でんぷんしつの物はあの芽をやしなうための滋養分です。米粒を地の中へけばその芽が発生して外の処から滋養分を吸収するまで籾の中で若芽を養っている食物です。あの事を学問上で胚乳はいにゅうと申しますからちょうど人間の乳のようなもので即ち米の若芽の乳です。玉子で申せばちょうど黄身で、白身が鳥の身体になるまで黄身がそれを養っているのと同様です。黄身は白身の食物です。お米の胚乳は若芽の食物です。人間はその若芽を摺潰し食物を奪うようなものですが、最初から食物に出来ている胚乳ですから人が食べても身体からだの滋養分になるのです」と仮初かりそめの話にも小山の妻君感服し「なるほどね、そう伺ってみるとお米の功能が始めて分ります。わたくしばかりでありません、誰でもお米を食べる人が一度その事を聞いたらなるほどと感心して生涯忘れる事はありますまい。しかるに私どもは今までとんと知りませんでした。毎日お米をいたり料理したりして食べていても無我夢中でおりました。料理を教える先生でも先ずそういう原理から説明して御飯の炊き方を教えるというような人は滅多めったにありますまい」お登和嬢「オホホ、今の世にそういう事をおっしゃっても少々無理ですがしかし今年の夏富士へ登山した人の話しに富士山の上で御飯を炊くとグラグラ沸立にえたっていても御飯が生煮なまにえで何ほど長く煮てもよく出来ない、どういう訳だろうと帰って来て料理の先生に聞いたが先生にも説明が出来なかったという事でした」妻君「ヘイ、それはどういう訳でしょう。多分沸騰点ふっとうてんが違うからですね、先日の試験問題にもそういう事がありました。水の沸騰点と牛乳の沸騰点との比較がございましたね」お登和嬢「さようです。西洋の料理学校で煮物の事を教授する時には必ず物の煮えるという原理から教えるので料理法の初歩に水は水平線上で二百十二度が沸騰点、六百尺の高さを加えるごとに一度ずつ減ずるとありますから一万二千尺の富士山では二十度だけ沸騰点が低くなる訳です。富士山の上は例外ですけれども東京で物を煮るのと信州の軽井沢で物を煮るのとは寒暖計で四、五度ほどの相違が出来ましょう。カステラのホンザーをこしらえるのも東京と札幌辺とは同じ温度の日でも空気の湿度の差でよほど工合ぐあいが違わなければなりません。気候と料理の関係は大切なものだと申しますが私なんぞはまだ一向委しい事を存じません。これから追々勉強して覚えるつもりです」と嬢の深く謙遜するに小山の妻君「貴嬢あなた位よく御存知ならモー沢山でありませんか」お登和嬢「どう致しまして。西洋の料理学校で料理の初歩に教える原理さえ私はまだよく存じませんもの。それで料理が出来るなんぞと嗚呼おこがましい事は申されません。これから追々稽古致しましょう」と何人も物を学ぶ時はこの覚悟なかるべからず。

第三百九 パンだね


 学業の進歩するとせざるとは平生へいぜいの覚悟如何いかんにあり。お登和嬢の心掛の殊勝なるに感じて小山の妻君もにわかに奮発し「貴嬢あなたさえそういうお覚悟でいらっしゃるなら私なんぞはに継いで勉強しても追付おっつきません。これからモットモット身を入れてお料理の事を習いましょう。お登和さん、私どもでは毎日食パンを配達させておりますが家で軽便に食パンをこしらえる法がございましょうか」お登和嬢「食パンはむずかしゅうございます。無理に拵えて出来ない事はありませんけれども食パン屋が近所におありならば配達させた方が御便利です。食パンを上手に拵えるのはパン焼竈やきがまどがなければなりません。さもなければ西洋風のストーブですがとても充分とは参りません。ましてテンピなんぞで上等に拵える訳になりませんけれどもしかし一通りは拵らえ方を知っておいて物の試験に一度や二度焼いて御覧なさるのもお稽古になりましょう。全体食パンにも英国風や仏蘭西風や米国風や色々の種類があります。その製造法もそれぞれ少しずつの相違があって手数をかければ際限がありません。日本で行われるのは多く英国風で先ずパンだね即ちイーストという物が第一の材料です。それは最初拵えたものへ少しずつ拵え足して行って段々古くなるほどよく醗酵はっこうして来ると申しますからちょうど鰻屋うなぎやのタレのようなものです。食パン屋が近所におありならば食パン屋から今のパン種を買ってそれでパンをお焼きなさるのが一番便利ですけれども食パン屋のない地方では自分でパン種を造らなければなりません。パン種にも色々の製法があってよく麦酒びーるを混ぜる人もあります。白米とこうじで拵える法もあります。そんな事は先ず黒人くろうとの仕事で素人しろうとに不便ですから一番軽便な法を申上げましょう。第一に必ず入用いりようなものがホップス即ち葎草りっそうといって麦酒の種に使う草です。少し苦みを持っていて醗酵性の強いものです。食品屋へ行くと何処どこにでも売っていますからそれを買っておおきなさい。そこで水一升の中へジャガ芋を一斤半、お砂糖を大匙二杯、塩を大匙一杯入れて火にかけて沸立にたった処へ今のホップスをほごして大匙に山盛一杯加えて一時間ほど煮ます。これは軽便法で全体はホップスを別に煮てそのつゆで外の物を煮るのが順序ですけれどもんな一所に煮ても構いません。火からおろしてよくめた処へメリケン粉を大匙四杯入れてよく混ぜて裏漉うらごしにかけます。その裏漉にかけたつゆびんへ詰めて一週間ばかり寝かしておきますが中で醗酵して壜の口から吹出しますからよく壜の栓を糸で縛って大丈夫にしておかなければいけません。壜はさかさにして置くか横にして置くのに限ります。イーストばかりでなく麦酒でも葡萄酒ぶどうしゅでも炭酸水でも醗酵性の物は逆さに置くか横に置くものです。このパン種はパン屋へ行けば何時いつでも出来ていますから買って来ると造作もありません。つまり日本の麹のようなものですね。これがなければどうしてもパンは出来ません。田舎なんぞではよく麹やお味噌を拵え慣れていて物を醗酵させる経験がありますからかえってパンを上手に拵える人があります。東京の人はそういう事に慣れませんせいか誠に下手です。東京の悪い食パンよりは田舎の食パンの方が上手に出来ている事も毎度あります。小山の妻君「それでは東京の人にむずかしくって田舎の人に容易やさしいような者ですね」

第三百十 食パンの製法


 お登和嬢「ずそうです。それを毎日少しずつ使ったら少しずつこしらえてして行くと段々パンだねがなれて好くなります。いよいよパンを拵えようという時には大きな木鉢へ今のパン種を一合いで水四合を加えてメリケン粉一きんを入れて湯煮ゆでた薩摩芋の大きいのを一本裏漉うらごしにして混ぜます。それから木の杓子しゃくしで休みなくまわしてるようにするのですがこれがむずかしいもので随分骨が折れます。段々と煉っているとちょうど生麩なまぶのようになって来てブツリブツリと中が泡立ちます。そうして煉って煉って煉り抜く事がおよそ四、五十分間ですね。よく煉り上ったと思う時分にメリケン粉を一握りつかんでパラパラとその上へ振かけて木鉢の上へ大きな布巾ふきんおおうようにかけます。これはあったかくして蒸らせるのですから布巾の代りにフランネルか毛布けっとならなお結構です。その木鉢をく温い処へ八時間ほどそうっと置きます。先ず火鉢の脇とか温い戸棚ならなおいいので寒暖計八、九十度の処へ置かなければいけません。八時間ののち出してみるとブツブツと醗酵していますからその中へメリケン粉二きんを加えてよく混ぜると饂飩うどんの少し柔い位なものが出来ます。それを大きな俎板まないたかのし板の上へ置いて両手で力限りに二十分間もでっちます。即ち饂飩をねるようによくでっちます。こんな事は田舎いなかの人の方が都会の人よりよっぽど上手です。二十分間もでっちたらばそのまま木鉢の中へ入れてメリケン粉をパラパラと振かけてまた布巾をかけて今の通りな温い処へ二時間置きます。二時間過ぎてみると膨れて柔くなっていますからそれを板の上へ取って打粉うちこ代りにメリケン粉を振かけてモー一度十分間ばかりよくでっちるとちょうど好い加減な柔かさの物が出来ます。それを大きくでも小さくでも好き自由に切ってパンの型へ入れて上へ布巾かあるいは毛布けっとをかけて今の通りの温い処へ一時間ほど置きますと今度はズンズン膨れ上って大きくなっています。パンは焼く前に膨れていなければなりません。焼いてから膨れるのはホンの二分位なもので焼かない前に大概膨れておるようでなければいけません。それへ手水てみずをバラバラと振かけてテンピの中へ入れたら強い火を四方からよくあたるようにして大きいパンならザット一時間位、小さければ三、四十分間位焼きます。ストーブならモット早く出来ます。テンピで一時間かかるものはストーブで三、四十分間なら出来ます。先ず一通りこれが食パンを拵える順序で朝早く食パンを焼くには前の晩から用意して夜中に二度起きてでっちなければなりません。この割合で拵えたパンは悪い食パン屋のパンよりも色が白く出来て味が良うございます。その代り最初の煉り方と途中のでっち方に念を入れなければなりません。悪い食パンはパン種の分量を多くしてその力で膨らせますから色が赤黒く出来てイーストのにおいがして美味おいしい味がありません。つまり煉り方とでっち方でよく膨らせたのが上等です。もしや焼く前によく膨れていなかったらそれを一旦いったん蒸してそれから手水を振ってザッと焼いても出来ます。食パンばかりは同じ原料を使っても上手と下手とで大層な味が違います。骨は折れますけれども今度一つ試して御覧なさい。貴女あなたのお家の女中さんは田舎の人で饂飩うどんやお蕎麦そばを上手に打つとうかがいましたからそういう人に煉らせたりでっちさせたりしたならばかえってよく出来ましょう」
○パン料理五十種は秋の巻の付録にくわし〔秋の巻付録「パン料理五十種」〕[#「〔秋の巻付録「パン料理五十種」〕」は底本では「〔本巻四九九ページ以下〕」]

第三百十一 小麦の粉


 小山の妻君「ハイ、宅の下女はあの通り鬼とも組みそうな田舎者で力もありますからきっと上手にパンをねましょう。あの下女は不思議に饂飩うどんやお蕎麦そばをよく打ちます。宅ではいつも下女に手打饂飩や手打蕎麦をこしらえさせますがそれを食べ慣れますとモー買ったものは不味まずくって食べられません。饂飩は小麦粉をるのが肝腎かんじんで粉が悪くっては美味おいしく出来ませんね。名古屋の饂飩が美味しいというのもあの辺の小麦粉が良いのだそうです。宅では折々米利堅粉めりけんこで饂飩を打ちますが色が白くって綺麗きれいでございます。味も日本の饂飩よりは軽くって美味しゅうございますけれども時によるとどうしてもつながらないでポツポツれる事があります。あれはどういうわけでしょう」お登和嬢「ハイ、米利堅粉の饂飩では私も色々苦しみました。全体米利堅粉は西洋の小麦であの通り細かい粉になっていますから日本の小麦粉よりも余計によく繋がらなければなりません。しかるに極く上等のメリケン粉はかえって繋がりが悪くって中位の処がかえって良く繋がります。中等の粉でもその産地によって繋がりのいのと悪いのがあります。和製のメリケン粉なら大概よく繋がって饂飩には適当しています。その代りパンに焼くと舶来の粉のように好く出来ません。これは畢竟ひっきょう小麦の性質が違うからで西洋の小麦粉は粘着力ねばりけすくのうございます。パンに焼いたり菓子に焼いたりする時は粘着力の寡いほど良く膨れて浮き上りますから上等のメリケン粉ほど粘着力が寡いのです。その代り饂飩にしては繋がりません。日本の小麦粉は粘着力が非常に多うございますから饂飩にすると良く繋がりますけれどもパンや西洋菓子に焼くと誠に浮き方が悪くって味がモチモチします。日本の小麦粉で製したカステラと上等のメリケン粉で製したカステラとを食べ比べてみると一方は軽くって淡泊ですし、一方は重くってモチモチします。饂飩に打ってもそういう違いがあってメリケン粉の方はどうしても淡泊です。それに日本の粉で饂飩を打つ時は塩水を入れますが米利堅粉へ塩水を入れるとなお繋がりが悪くなります。それも粉の性質が違うからでございましょう。一口に米利堅粉の饂飩は軽い代りに味が悪い、日本の饂飩は重い代りに味が良いと申しますけれども、原料の善悪と製法の上手下手で一概にそうは申されません。同じメリケン粉でも伊太利いたりー仏蘭西ふらんすの南部の方から出るのは気候風土が日本に似ているせいか大層粘着力が多くって饂飩には極く上等です。西洋の孔明あなあき饂飩と俗に申しますマカロニは伊太利製を上等としてありますがつまりその国の小麦粉が饂飩に適しているからでしょう。市中の食品屋へは多く米国製のマカロニが来ています。伊太利製や仏蘭西製の上等は滅多にありません。その味の悪い事と申したらポツポツして粘着気ねばりけがありません。これもやっぱり小麦粉の性質にるのでしょう。奥さんのお家で饂飩をお打ちなさるのはどういう風になさいますか」小山の妻君「さようですね、メリケン粉一升へ玉子を三つ入れて水を少しして固い位にねて濡れた布巾へ包んでお座敷か台所の温かいような処へ半日ほど置きます。それからちょいと捏ね直してしてりますがそうすると饂飩がフックリ出来て大層軽くなります。やっぱりちょうどパンを捏ねて寝かすようなものですね」と品はことなれども理は同じ。
○西洋にはマカロニの外にラピオリとて平打饂飩に似たるもあり。ジャミセージとて素麺に似たるもあり。多くはスープの実に用ゆ。

第三百十二 有毒時期


 饂飩うどんの製法を聞きてお登和嬢も感心せり「なるほどそれは美味おいしゅうございましょうね。最初に柔くねたのは軽くって味がありません。固く捏ねて寝かしておいて自分で柔くなったのは軽くって味が良うございましょう。しかし一番大切なのは粉の性質でメリケン粉の中でも粘着力ねばりけの強いのをらなければいけません。その代りその粉でパンやカステラを焼くと良く出来ませんから饂飩に打つメリケン粉とパンやお菓子にするメリケン粉とは別々の品を買わなければなりませんね」小山の妻君「日本の小麦粉はどういうわけで粘着力が多いでしょう」お登和嬢「それは日本の空気に湿気の多いためどの澱粉質でんぷんしつにも糊精こせいという成分が多いからだそうです。小麦粉ばかりでありません。お米もその通りで日本のお米は御存知の通り糊精分が多くって大層粘着力があります。俗に南京米なんきんまいという外国の米は粘着力がなくってポソポソします。外国米の御飯ならば裏漉うらごしに掛けられますが日本米の御飯は一旦いったん煮るとかるとかしないと粘着ねばいて裏漉しに骨が折れます。ジャガ芋なんぞでも日本のは大層粘着力が強いようです。そのほか色々の物にそういう違いがあると申しますが食物ばかりでありません。生糸きいとも日本のは大層ゴム質が多くって西洋のはすくないそうです。或るお医者は同じ暑さの時に日本では西洋ほど日射病の沢山ない訳は人の皮膚ひふに粘着性が強いからだと申します。してみると人間の身体からだや皮膚も西洋人と違うのでございましょう。もっとも人の皮膚は同じ人種のうちでも食物の栄養で大層違う位ですから風土が違えば必ず相違がありましょう。粗食する人の皮膚は枯れてポソポソしているように見えますし、衛生的の食事をしている人は誰が見ても沢々つやつやして潤沢うるおいが多いようです。そのほか日本の土地にあるものは何でも気候と風土の影響を受けないものはありません。ことに食物はなおさらで舶来のビスケットや西洋菓子が日本へ来て食品屋の店頭に飾られるとぐに味が変ってしまいます。先頃米国の或る会社で如何いかなる気候に逢っても決してしめらないというビスケットを売出して大層な好評を得ました。しかるに日本へ輸入したものはぐに湿気しめりけを受けて柔くなっています。とても佐賀のマルボーロのように梅雨つゆしのいでも潤らないという訳に参りません。小麦やお米の新しいのに毒があると申すのも或る人の研究では湿気の多いため発芽力が強過ぎるからだという説もあります」妻君「オヤ、麦と米の新しいのは毒がありますか」お登和嬢「ハイ、小麦の新しいのを直ぐ粉にして饂飩に打ちますと食べたものが腹痛を起します。お米の方も新米は胃腸を害します。人よりも馬は大層新米の毒にてられるそうで馬に新米を食べさせると病気になるそうです。ジャガ芋の芽にはゾラニンという毒質を生じますから色のあかい芽の処は料理の時に切って捨てたり用心深い人は発芽の時のジャガ芋を食べません。何の食物でもその有毒時期を避けるのが料理法の心得です。牡蠣かきは五月が有毒時期になり、渓間たにまの鯉は夏が有毒時期になり、いのししなんぞは寒い時ばかりが食べられるので秋と春は大層肉の毒質が強いそうです」小山の妻君「オヤオヤ、猪の肉は毒ですか」

第三百十三 肉の毒質


 お登和嬢「ハイ、猪の肉は冬の寒い時食べても人の腫物できものきずぐにうみを持つ位で大層刺撃性の強いものです。その代り味はなかなか結構で上等の御馳走にしてありますが料理法が悪いと身体からだを害します。こと半煮なまにえの物を食べるのとあたらしい肉を料理するのが一番悪うございます。西洋料理では猪の肉を一週間以上置かなければ決して料理に使いません」小山の妻君「一週間も置いたら肉が腐りは致しませんか」お登和嬢「一週間置いて腐るようなあったかい季節には猪を食べません。冬の寒い時ばかりに限ります。それも上等にするとブランデーへ漬けておいてそれから料理します」妻君「ナゼ鮮しい肉は毒分が強いのでしょう」お登和嬢「私にもくわしい事は解りませんが猪は大層好んで蛇を食べるそうです。殊に蝮蛇まむしは猪の御馳走で暖い時分には蝮蛇ばかり捜して歩くそうです。猪ばかりでありません。蛇を食物とする動物は何でも肉の中に同じような強い刺撃性を持っています。鳥で申せばきじ山鳥やまどりは蛇を食べますから雉と山鳥は冬の寒い時に殺してからやっぱり一週間の後でなければ食用になりません。雉や山鳥の肉も猪の肉と同じように腫物や疵口は膿を持たせます。母親が雉の肉を食べると翌日あくるひ乳呑児ちのみごの顔へ発疹ふきでものが出来るという事はよく聞いております。魚でもさけますと大きな※(「魚+完」、第4水準2-93-48)やまめ渓間たにまの鯉は蛇を食べますから鮭や鱒を食べると三年過ぎた古疵ふるきずが再発すると申す位で腫物や疵には大毒です。何でも蛇を食べる動物の肉には同じような刺撃性を持っていて人の血液に変化を起させるのだと申します。或る西洋医者は食物問題に注意しないで外科の病人がほとんど疵口のなおった時猪を食べてもよいかと尋ねたら肉食は結構だ、肉芽にくがが早く発生するから肉食をなさい、猪でも豚でも構わないとこういったそうです。その病人は安心して猪の肉を少し食べると翌日から疵口へ膿を持て大層悩みました。この事は私の親戚にあった事で私もよく存じております。今の西洋医者はとかく食物問題に不注意で、昔の漢家のように病気の毒断どくだてという事をやかましく申しませんが何の病気にも食物の影響は薬に優る位ですから毒断が肝腎かんじんです。ことに猪のような毒質の多い肉を悪疫質あくえきしつの人や発疹はっしんのある人が食べたら大変な害を受けます。しかし一週間も置いた肉と鮮しい肉とその毒質に強弱の差があるのは肉の古くなるほど毒質が分解作用を受けて勢力を弱めるのだと申します。勿論もちろん同じ猪でも肉の毒質はそれぞれことなっていて沢山蛇や蝮蛇を食べた猪と穀物や野菜ばかり食べた猪とは大層な違いがありましょうから誰は鮮しい猪の肉を食べて少しも害を受けなかったという説は証拠になりません。誰は河豚ふぐを食べてあたらなかったから河豚は無毒だというに同じ事です。不幸にして毒のある河豚を食べれば必ず中ると同様に毒質の強い猪の肉を食べれば必ず害を受けます。むかしから猪に毒のある事は知っていたので日本料理でも猪へは毒消しというものを何か加えます。多くの場合は味噌で煮ますが味噌の蛋白質たんぱくしつはちょうど豆腐の蛋白質が松茸の刺撃成分を吸収するように猪の肉の刺撃成分を吸収するかもしれません。大根と煮るのも何か功がありましょう。大根はあの通り一種の成分を持っていて物を分解させますから」小山の妻君「私の郷里くにでは猪を生姜しょうがと煮ますよ」

第三百十四 鮮肉の毒


 猪と生姜しょうがは食物上の一問題なり。お登和嬢「サアその事は私も色々に研究してまだよくわけが分りません。関東へんでは猪と生姜を食べあわせの禁忌いみものだと申して大層嫌います。伊勢や紀州の方へ参りますとそれと反対に生姜を猪の毒消しだといって一緒に料理します。毒消しが本当でしょうか、禁忌が本当でしょうか、よくお医者にも聞いてみますがまだ適当の説明を得ません。しかし生姜と猪は何か一種の作用を起すに違いない事は豚に生姜を食べさせると中毒を起して死にます。猪も豚も同じ者ですから何か変った化学作用を生ずるにちがいありません。食物の配合はんでも化学作用に帰するので猪の肉をブランデーへ漬けておくと味が良くなるばかりでなく幾分いくぶんか毒質の分解作用を起しましょう。それはちょうど蝮蛇まむしをアルコールや焼酎しょうちゅうへ漬けて人が飲むのと同じ事で猪の毒質が蛇や蝮蛇より生ずるとすれば猪の肉をブランデーへ漬けるのも自然と配合法が似ております。蝮蛇のうちにも毒質のおいのとすくないのがありましてアルコールや焼酎へ漬けた時肉の縮まるのは良いし肉のゆるむのは悪いと申します。猪の肉にも一々検査したら毒質の違いがありましょうけれども何にしろ寒くない時と鮮しい肉は決して食べるものでありません」小山の妻君「そういうものですかね、私は猪でも雉子きじでも鮮しいほど好いと思っておりました。私ばかりでありません。世間の人も大概は新鮮な肉の方をよろこびましょう。こときじなんぞは古くなるとはねが抜けて来てそんなのはモー食べられないと思っていました」お登和嬢「そこに肝腎かんじんな事があります。古いのが良いと申して腐ったのではありません。秋や春の雉子はきに腐りますから一週間も置くと段々背中の色が青くなって来ます。背中の色の青くなったのは全く腐ったしるしで、決して食べられません。その時分のきじはおなかの中によく蛇の消化しないのがあります。胃袋の中をあらためると大概少しずつ蛇の肉の残りがあるものです。そんな雉の鮮しい肉を食べたらそれこそ必ず血液へ有毒成分を受けます。一週間置いても腐らないような寒い時でなければ決して料理に用いられません。その代り一週間も置くと羽は段々抜けやすくなります。羽の抜けるのは構いません。ただ羽が抜けやすくなるとモーきに腐るのですからその前食べ頃をうしなわないようにしなければなりません」妻君「そううかがって始めて分りました。遠州の或る田舎では蛇の味噌漬を珍味の御馳走に数えるそうですが蛇の肉は味噌へ漬けてから三年目でないと食べられない、新しいのはまだれていないから毒だともうしますが馴れないというのはつまり毒質が分解されないという事ですね。それに味噌へ漬けるのもやっぱり毒消しになるので猪の肉を味噌で煮るのと同しような訳でしょう」お登和嬢「ハイそうに違いありません。お味噌の蛋白質が外の物の刺撃成分を吸収するのでしょう。お味噌は豆ですからお豆腐の成分が松茸や初茸の刺撃成分を吸収すると同じようでございましょう」
○西洋料理にも蛇を用ゆる事あり。多くはブランデーに漬けて葡萄酒等にてシチューにする由。本文と同じ理ならん。

第三百十五 酒の酔


 小山の妻君「そううかがって考えてみると食物の作用は面白いもので、お豆腐と松茸というような事もただ味を出すばかりでなくたがいに化学成分を中和させる功があるのですね。よく世間の人はお豆腐で酒を飲むと酔いが遅いと申しますがやっぱりそんなわけでしょうか」お登和嬢「ハイ、同じ道理だろうと存じます。松茸も人を酔わせるもの、お酒も人を酔わせるもの、お豆腐の蛋白質たんぱくしつはその酔わせる刺撃成分を吸収しますから酔いが遅いでしょう。しかしお豆腐が一旦いったん吸収しても人のおなかで段々消化されれば吸収したものを吐き出しましょうけれどもその時間が長いため刺撃の力を大層弱めます。お豆腐ばかりでありません。生玉子でお酒を飲んでも酔いが遅いと申します。それは玉子の蛋白質がアルコール分を吸収するからで、下戸げこの人にブランデーを飲ませようとしては我慢がまんにも飲みませんが生玉子と混ぜてランブランという薬品にすると下戸でも楽に飲めます。それと同じように焼酎しょうちゅうをそのまま下戸に飲ませられませんが焼酎の中へお豆腐を一日漬けておくと誰にでもその焼酎が楽に飲めます。そのほか柿とお酒が一緒になると酔いが遅いと申しますし、酒に酔った時柿を食べると酔が醒めるというのも柿の収斂性しゅうれんせいがアルコール分を吸収するからであの甘い樽柿はその作用から出来ています。外の菓物を酒樽へ入れても酒の気をあれほどに吸収しませんけれども柿はあの通りすっかり吸ってしまいます。その外とち小楊子こようじくわえながら酒を飲むと酔わないとか、テンポコ梨の実をみながらお酒を飲むと酔わないとか申すのもやっぱりその物にアルコール分を吸収せられるからでしょう。それと反対に椎茸酒といって椎茸を酒へ入れてかんしたり初茸や松茸を食べながらお酒を飲むと双方とも同じ性質だから酔いが激しゅうございます。唐辛子とうがらし芥子からしでお酒を飲んでもその通り。魚類のはらわたなんぞは大概刺撃性の強いものですからアラ酒といって甘鯛のアラへお酒をかけて飲むと早く酔いますし、松魚かつお塩辛しおからの事は酒盗しゅとうという位ですし、海鼠腸このわた海胆うにも酒を酔わせます。もっとも海胆は腸でありません。海栗かぜという貝の卵巣らんそうですけれども刺撃性が強いと見えます。何でも食物を料理する時は中へ入れる品物の性質を知っていてその配合を定めなければなりません。それが料理法の一番肝腎かんじんな処です」と嬢もまた時あって長広舌をふるう事あり。小山の妻君いよいよ感心し「なるほど伺ってみると段々面白くなります。世間の人は何でも新しいものが食物に適当だと思って猪でもきじでも新しいほどよろこぶ人もありましょうが新しいのでかえって毒なものもあり、古くって悪いものもあり、一々その物の食べ頃を知らなければなりません。鶏卵けいらんでさえ産みたては料理に使えないで三十六時間過ぎた処が食べ頃だと伺いましたが小麦の新しいのも悪いしお米の新しいのも悪いし、猪や雉の鮮しいのも悪いし豚の鮮しいのも定めて悪いでしょうね」お登和嬢「豚も冬ならば四、五日位、あったかい時でも涼しい処へなるたけ長く置かなければいけません」妻君「しかしお野菜なんぞは大概新しい方が好いようですね。私どもでは新蕎麦しんそばが大好きでよく宅で蕎麦の新しいのを打たせますが新蕎麦はどういうものでしょう」と今は一々食物の食べ頃を問わざるべからず。

第三百十六 新蕎麦しんそば


 蕎麦は日本の名物なり。ことに信州の産を以て良品となす。お登和嬢は西国さいこくの人いまだ蕎麦の事にくわしからず「そうでございますねー、お蕎麦の方はよく存じませんが別に新蕎麦が害になると聞きません。よく信州の新蕎麦と申す位ですから新蕎麦は結構なものでございましょう」小山の妻君「ハイ、結構ですとも。お蕎麦ばかりは宅で打ちましたのを食べますとどうしても外のは食べられません。今度私どもへいらっしゃいましたら下女に打たせて御馳走致しましょう。その代り前の日からそういって下さいませんと出来ません。宅では信州から上等の粒蕎麦つぶそばを取寄せてイザ打とうという前に碾臼ひきうすで碾かせます。碾いた粉を一晩置くとモー味が悪くなりますからその日に打たせます。碾いた粉にも一番粉二番粉三番粉と段々区別がありまして一番粉と申すのは一番先へ出たく上等の分です。それは色が白くって綺麗きれいで、それで打った生蕎麦きそばはやっぱり色が白うございます。よく人が生蕎麦は色が黒いと申しますけれどもあれは蕎麦殻そばがらの交った三番粉位を使いますから皮の黒い色が出るので上等の蕎麦粉は色の白いものです」お登和嬢「そうでございますかね。蕎麦粉というと大概は少し鼠色になっているように思いましたがやっぱり粉が悪いのですね」妻君「鼠色の粉は上等の品でありませんけれども色の白い粉は家で碾かせるより外に得られません。家で碾かせますと一番先へ出た粉を極く細かいふるいにかけてそれを一番粉と申しますから色が白うございます。売物屋では大概その篩い残りをまた碾いて篩い、モー一度碾いて篩って三番まで位を一番粉に混ぜますので鼠色になります。それから後に出たのが二番粉三番粉となりますから家でこしらえた五、六番粉が売物屋の二番粉三番粉になるのです」お登和嬢「お蕎麦はどういう風におうちなさいます、やっぱり少しは小麦粉をつなぎにおまぜなさいますか」妻君「イイエ決して小麦粉を混ぜません。少しでも小麦粉を混ぜたらまるでお蕎麦の味が悪くなります。信州の極く上等のお蕎麦なら碾いた粉をそのままお湯ばかりでねられるのもあります。その代り一晩置くとモー繋がりません。碾きたての粉でもお湯ばかりで捏ねるのはやっぱり葛切くずきりをお湯ばかりで捏ねるように特別の熟練がりますから大概は玉子を繋ぎに入れます。先ず一升の蕎麦粉へ玉子を九つか十位入れてそれだけで捏ねてします。それを直ぐにって湯煮ゆでますがどんなに美味おいしゅうございましょう。こう致したのは翌日まで置いても売物屋のお蕎麦のように柔く伸びません。ただ極く細く截るのが手際てぎわですけれどもそれはそれは味が良うございます」お登和嬢「今度一つ御馳走して戴きましょう。お蕎麦のおつゆはどういう風にお拵えなさいます」妻君「これも上等にすると際限がありませんが私どもでは先ず一合のお湯を沸立にたたせて鰹節かつぶしを沢山入れて煮出にだしを取ってそれへ味淋を一合に醤油おしたじを一合ですからつまり三等分ですね。もし味淋やお醤油が悪くって好い味が出なかったらホンの少しのお砂糖を加えてよく煮てんなして用います。お蕎麦が良く出来てもお汁が悪いと何にもなりません」お登和嬢「そうでございますとも。田舎へ行って生蕎麦の美味おいしいのを出されてもお汁の悪いので困る事があります。やっぱり西洋料理に掛汁の味がむずかしいようなものでしてね」とかかる長話しにふけりて既に夕暮を過ぎたれども先にでたる三人はいまだ広海家より帰り来らず。
○西洋料理にては蕎麦粉をケーキ、マッフン、ワッフル等に使う。

第三百十七 パイの皮


 三人はいまだ帰らざれども堅く約せし事あれば必ず食事前に帰宅せんとお登和嬢熱心に御馳走の用意をなし「小山の奥さん、ただ今私がパイをこしらえますから一つ御覧下さい。パイというお菓子は素人しろうとにむずかしいものですが饂飩うどんやお蕎麦そばを打つ人にはきに覚えられます。やっぱり木鉢きばちいたと展し棒を使うので、上等にすると石の展し板が熱を持たないで良いのです。しかしお蕎麦の展し板や展し棒があればそれでも出来ます。これもお家で試して御覧遊ばせ」妻君「ハイ、早速致してみましょう。木鉢でも展し板でも何でもありますからパンとパイは下女に拵えさせましょう。私はパイ物が大好きです。だが出来の悪いのは脂濃あぶらこくって胸に持っていけません。同じパイでも上等と下等とはあの位味の違う物もありませんね」お登和嬢「全くそうでございますよ、手際てぎわ一つで美味しくも不味まずくもなりますから西洋菓子の中では一番むずかしいものとしてあります。形だけはパイに似たものを拵える人は沢山ありますけれども口へ入れてポロポロと溶けるような軽いパイは滅多めったにありません。パイにも色々の種類があります。一番上等はバターで拵えたものです。その次はケンネあぶら即ち牛の生脂なまあぶらで拵えます。一番下等は豚の脂のラードで拵えますがこれは味が悪くって胸に持ちます。私は今バターのを一つ拵えて御覧に入れましょう。バターで拵えたパイは売物屋にありません。売物屋ではケンネやラードを使う所が多いようです。先ず御覧なさいまし。こういう風に木鉢の中へメリケン粉を三斤取ります。それへ玉子の黄身を二つと塩を小匙に一杯と水を大匙八杯ほど入れて饂飩をねるようによくこねます。これもあったかい日には水で捏ねられますけれども極く寒くなるとお湯で捏ねます。寒い時はお湯でないとメリケン粉の粘着力ねばりけが出ません。ちょうど固さも捏ねた饂飩位にしてこの通り展し板の上へ取って打粉うちこいて展し棒で少しずつ展して行きますが饂飩のように四方へ広く展しません。幅は一尺位にして長く帯のように向うへ展します。この展し方は饂飩や蕎麦を打つ人なら分りますけれども決して厚い処と薄い処のないように平均に展して先ず二分位の厚みに展してしまいます。慣れない内は棒へ力を入れますから薄い処が出来たり厚い処が出来たり幅が広くなったり狭くなったりして困ります。こういう風に長く帯のように展せたらば玉子の白身を刷毛はけで上の一面へ敷きます。それから極く上等のにおいのないようなバターをその上へ一面に平らに塗ります。塗るのは大きなナイフでようございます。これもバターが多過ぎてならずすくなくってもなりませんが先ず紙十枚位の厚さに塗るという心持こころもちっていると自然と覚えられます。しかし夏の暑い日にはバターが直ぐに溶けて来て流れ出しますから素人に出来ません。黒人くろうとでも夏は石の展し板の上で手速く拵えないとよく出来ません。このお菓子はバターやメリケン粉へ温度を持たせないように手速く拵えるのがむずかしいのです。そこでバターが一面に塗れましたら両方の端からグルグルと二寸位の幅にまいて行って真中まんなかでピタリと合せてたたみます。ちょうど帯を双方から畳んで行く心持でなさると間違まちがいがありません。これまでは誰でもむずかしくはありませんがこれからが段々むずかしくなるので、今畳んだものへ打粉を振ってまた展し棒で少しずつ展して以前のように向うへ長く帯のように展します。そうするとちょうどバターが皮の間へ挟まれて皮と一緒に薄く展ばされる訳です。この時展しようが悪いと皮が破れてバターが顔を出します。顔を出したらモーいけません。皮が破れなくって手速くしないとバターが溶け出して横から流れます。それでもいけません」と講釈しながら拵える手際好てぎわよさ。

第三百十八 林檎りんごのパイ


 小山の妻君は一生懸命にお登和嬢のなさんようを眺め「それではつまり二枚の厚い紙の間へバターを挟んだようにするのですね」お登和嬢「ハイ、そうです。それを前のような二分位の厚さにしたらまた玉子の白身を敷いてバターを塗ります。それをまた前の通りに双方から畳んでまた展します。そうすると皮もバターも大層薄い物になって前の時が紙十枚の厚さならば今度は紙五枚の割合になりますから少し手際てぎわが悪いときに皮が破れます。それへまた玉子の白身とバターとを塗って双方から畳んでモー一度展します。つまり三度塗って展しますが今度こそ皮もバターも何枚となく合さって極く薄いものですから展し方がむずかしゅうございます。それに一番しまいですから幅も広くして厚さは五厘位即ち一分の半分ですね、半紙を十枚かさねた位のものにしなければなりません。つまり饂飩うどんを展したようになるのです。これがパイの皮になるのでペースと申しますが二斤の粉ならばバターが一斤ります。こういう風に出来た皮を色々なものに使いますが、先ず一番容易たやすいのをお目にかけましょう。ここにパイを抜くブリキの型がありますけれども茶筒ちゃづつふたで構いません。ちょうど塩煎餅しおせんべいを抜くように茶筒の蓋でまるい煎餅ぐらいなペースを抜いて菓物くだもののジャムを何でも構いませんから小匙に一杯ほど真中まんなかへ置いて柏餅かしわもちのようにピタリと双方から合せます。かたちもちょうど柏餅です。その合せ目へ玉子の白身をよく塗りつけてブリキ皿へバターを敷いて並べてテンピの中で十分間焼くとジャムパープスというお菓子が出来ます。テンピの火加減ひかげんは普通の処でようございますが玉子の白身を合せ目へ丁寧ていねいに塗らないと中のジャムが吹き出します。白身を塗ってもジャムを沢山入れ過ぎると吹き出しますからその注意をしなければなりません。これは誰にでも出来ます。それからこのペースで林檎りんごを焼くと林檎のダンブルといって大層たいそう美味おいしいお菓子が出来ます。それには先ず林檎の皮をいてしんをくり抜いてその中へバターを小匙に一杯と砂糖を小匙に二杯入れます。別に今のペースを銭車ぜにぐるまという器械があればそれでりますし、なければナイフで大きく四角に截り取って林檎を四方から包んで弱い火のテンピで四十分間焼きます。もっとも林檎の大小でその時間を加減しなければなりません。これをお皿へ盛って食べる時にはフークで皮ともによく崩して混ぜますと林檎の味と皮の味が大層美味しくなって西洋人の非常によろこぶものです。モット上等にすればそれへクリームをかけて戴きますと何とも言われない味になります。それから林檎のパイも結構なものでそれには林檎一斤の皮を剥いてしんって一つを四つ切りにして直ぐに水の中へ放します。水へ入れずにおくと林檎のアクで白が赤くなります。それを大匙二杯の砂糖と大匙一杯の水で二十分間煮てそれからパイ皿へ入れます。その上へ今のペースを蓋にしてやっぱり同じペースで花の形や葉の形を飾りにしますがその時銭車が要ります。しかし飾りはなくっても構いません。それをテンピの中で二十五分間焼いたのが林檎のパイです。パイには色々の種類があって菓物くだものも入れれば肉類も入れますし何でも中へ入れますがこうしたのがつまりパイというものです」
○林檎のパイには生林檎を用いても味好し。それは先ず林檎の皮を剥き心を取り極く薄く小さく切りたるものへ砂糖をかけて一時間置きその後汁を絞ってパイの中へ入れて法の如く焼くなり。
○パイには林檎の外に桃、李、杏、無花果いちじく等は煮たるものを入れ、苺は生のものへ砂糖をかけて前文の如く用ゆ。蜜柑は皮を剥き輪切にして生のまま用ゆ。

第三百十九 ターツ菓子


 お登和嬢「菓物くだもののパイは何でもこういうふう一旦いったん煮たものを入れてペースをかぶせて焼くのですし、南瓜とうなすやジャガ芋は一旦湯煮ゆでるか蒸すかして玉子と牛乳と砂糖で混ぜてペースをかけるのですし、肉類のパイはシチューに煮たものかあるいは肉を崩してソースでえたものへペースをかけて焼きます。肉の上にこの皮があるだけ一層味が良くなるのでビフテキのパイもありますし、こうしのパイもありますし、鳥のパイもありますし、魚のパイも何でも出来ます。しかしパイよりも上等にするとオロアンというお料理になりますがそれはのちにお話し申すとして林檎のターツというものをお目にかけましょう。ターツは今のペースを上下うえしたへ敷いてひらたく焼いた菓子です。林檎なら皮をいてしんって先ず二つ割にしてそれから薄く切って林檎一斤に砂糖を大匙五杯入れてよく混ぜ合せて十分間ほど置きますと林檎のつゆみ出して砂糖が溶けます。それからターツ皿があれば結構ですしなければテーブル皿でも構いません。その底へ今のペースを敷いて林檎の水気を切って入れてまたペースを上へ被せてテンピの中で四十分間焼きます。市中ではよく小さいターツを売っていますがあれならモット時間をはやくして出来ます」小山の妻君「市中で売っている西洋菓子は大概シュークリームにケーキ類にターツ類とまっているようですが買ったターツの悪い品は脂濃あぶらっこくってモチモチして胸に持っていけませんね」お登和嬢「あれはラードでペースをこしらえるからでしょう。ペースは上手に出来ると少しも脂濃くありません。口へ入れるとボロボロと軽く崩れます。それでなければペースの功能がありません。このペースでパテーなんぞを拵えて御覧なさい。ラードを入れたのはニチャニチャ歯へ付いて美味おいしくも何ともありません」妻君「パテーとはどういうものです」お登和嬢「パテーとはペースの皮をまた双方からたたんで五位に厚くして一旦パテー型で抜きます。パテー型の代りに茶筒の蓋を使っても構いません。そうするとお饅頭まんじゅう位な円いものが出来ます。今度は小さいパテー型かあるいは小さいブリキ筒でお饅頭のような物の中ほどを底の近所まで押込みます。つまり底だけ残して中をくり抜くのですからそのつもりに型を一旦押し込んでそっと抜き出すとちょうどお饅頭の上へじゃが出来たようになります。その上へ一面に玉子の黄身を塗ってブリキ皿へ入れてテンピの中で四十分間焼きますが今の物が倍位にふくれて高くなります。なんのペースでも焼いた時よく膨れなければいけません。よく膨れるとモー饅頭のかたちでなくってうすのような形になります。蛇の目の印をつけた処は双方別に膨れて取りよくなりますからとがった刃物はもので中の蓋をちょいとがすと直ぐ剥がれます。その蓋は大切にしておいて蓋の下の柔い処即ち蛇の目の中身だけホジクリ出すと楽に出ます。つまり搗臼つきうすの穴のようになるのです。その中へ軽便けいべんにすれば玉子の湯煮ゆでたのを少さく切って白ソースでえたものを詰めてもよし、鳥の肉でも牛の肉でもあるいは海老えびや魚が大層結構ですが一旦煮るか蒸すかして白ソースや玉子ソースで和えたものを詰めて今取った中身の蓋を載せて出しますと大層上品な御馳走になります」

第三百二十 パイの別法


 小山の妻君「今うかがってみればそういう物を外で戴いた事がありますけれども脂濃あぶらこくって食べられませんでした」お登和嬢「それは材料の悪いせいこしらかたが下手なのでしょう。よく出来たパテーは軽くって美味おいしいもので日本人の口にはよく合いますから誰でも一度召し上るとお好きになります。今御覧の通り幾重いくえにも幾重にもして焼いたものですから横から見てちょうど紙を幾百枚もかさねたようにならなければいけません。紙を累ねたようでなくって上も下もひっついているようなのはあぶらが顔を出したので味も重くなります。そういうのは一向いっこう美味しくありませんけれども世間にはそんなパテーの方が多いのです。このパテーの皮は一度拵えて直ぐ焼いておくと冬は一週間以上十日や十五日位保存とっておけますから食べる時中身を詰めるばかりでどんなに調法だか知れません。私どもでは寒くなると大概この皮だけ拵えておきます。しかし皮が出来たら直ぐ焼いておかないといけません。今日拵えて翌日焼くと一晩のうちに脂が顔を出して大層重くなります。焼いて中身を掘出す時柔い処を捨てるに及びません。温い処へお砂糖をかけて戴くと結構です。最初の一、二度はお拵えなさるのに御面倒ごめんどうでしょうがペースさえ上手に出来ていれば少し慣れるとパテーは何でもありません。パテーの通りでモット大きく拵えてその中へしぎの肉だの鴨だの、鳥のササ身だののお料理を詰めたのが先刻申したオロアンという上等の肉料理です」とペースの応用もつくる処なし。小山の妻君熱心に聞き覚え「お登和さん、西洋料理の味はパイと赤茄子あかなすにあると申す人がある位ですからパイの皮も是非ぜひ拵え方を存じておらなければなりませんね。しかしバターを一斤ずつも使うと随分高いものになります。普通なみの処は何で拵えますか」お登和嬢「普通のペースは牛の生脂なまあぶら即ちケンネ脂で致します。それも生脂の使い頃がありまして牛を殺してから冬は一日二日ののち夏は三、四日の後がいいのです。新らしいものは脂がかたまりませんから使えません。一日二日置くと凝まります。冬の方が早く凝まって夏の方が遅いのですがケンネのペースはバターのよりも一層むずかしくってその代り上等に出来さえすればバターの品に劣りません。下手に出来るとラード製のようなニチャニチャしたペースになります。先ずケンネ脂を小さく切って裏漉うらごしにして少し煉るとバターよりも固い位なものが出来ます。別にバターの時のようなメリケン粉と玉子と塩と水とで饂飩うどん位な固さの物をねてこれは厚さ三分位に大きく四方へひろげてしておきます。今のケンネ脂を手で薄く押してその皮の真中まんなかへ置いて四方から風呂敷で包むように引包みますが包みようが悪いと脂が顔を出しますからよく気を付けて包まなければなりません。それから今度こそ帯のように長く展して行って打粉うちこを振って双方から畳んで、そのまままた展してまた畳んで三度あるいは四度位展します。バターの方は一度一度に塗りますがケンネ脂は最初に包むばかりであとはそれを幾重いくえにも展します。これもやっぱり熟練が肝腎かんじん[#「肝腎で」は底本では「肝賢で」]ことに夏は手速くしないと出来ません」小山の妻君「それでケンネ脂の分量は何ほど入れます」お登和嬢「寒い時ほど多く脂を入れます。冬は粉一斤にケンネ一斤即ち等分でようございます。暖い時は段々脂を減らして粉六分に脂四分の割に致します。これも少しお慣れになるとちょうどいい工合ぐあいがお分りになりましょう」とかかる料理は説明にもまた骨が折れる。

第三百二十一 ドロップス


 教ゆる者の説明如何いかねんごろなるも学ぶ者が熱心に練習せざれば料理の道をきわがたし。さいわいに小山の妻君は料理を学ぶに一生懸命なり「お登和さん、それからラードでこしらえるのはどう致します」お登和嬢「それはバターの時の通りにしてバターの代りにラードを一々塗ります。しかしラードの時は大概手軽な胡麻化ごまかし料理にするかたが多いようです。それはメリケン粉一斤ならラード四十目ですから即ち三分の一の分量をただイキナリ粉の中へ混ぜて玉子の黄身一つと小匙一杯の塩と焼いた時ふくらせるために焼粉やきこを大匙半分位入れて水でねて一度すばかりです。それを直ぐペースに使いますからこういうのを召上るとモチモチして歯へ付いて食べたあとが胸に持って一度で懲々こりごりなさいましょう。パイばかりは拵え方で味が非常に違います。ペースがあるだけ物の味が良くなる処を悪くするとかえって不味まずくします。ラードのペースなんぞはお拵えにならない方がようございましょう」小山の妻君「そうですかねー。何でも西洋菓子は家で拵えるとモー買ったのが食べられません。カステラなんぞも家で拵えたのと市中で買ったのは大層味が違いますね」お登和嬢「市中のカステラは玉子がすくなくって粉が多くって折々は乱れた玉子も交っていますから泡立てるわけになりません。多くは粉と玉子と擂鉢すりばちで擂るそうですから手製のカステラよりも味が重くって胸に持ちます。あのカステラをケーキの種に使うと西洋人は菓子でないパンだといって食べないそうです。何でもお家で上手にお拵えなさるほど心持こころもちの好い事はございません」妻君「この頃は市中でドロップスというお菓子を売っていますね。あめの固まったような小さなものの中に菓物くだものの味が交っていてよく壜詰びんづめになってあります。あれなんぞも家で出来ましょうか」お登和嬢「あれは何の造作もありません。菓子屋で使う浮粉うきこというものを買って来れば誰にでも出来ます。浮粉はかたちを拵える粉で菓子屋には何処どこにでもありますけれども素人しろうとに売る事をいやがります。大きな乾物屋でお買いなさい。それをひらたい箱へ詰めてドロップスの型を押します。譬えば銀杏いちょうで横に押すと銀杏の形ちが半分出来ます。指で押せば指の形が出来ます。ドロップスの形は半分だけ模様があって半分はにもありません。つまりそうして拵えるからです。浮粉がなければコルンスタッチでも出来ます。その型を小さくいくつも押しておいて原料は一斤の白砂糖へ水を大匙四杯位入れて弱い火で一時間ほど煮ます。その煮加減が工合もので水の中へボタリとらしてみて直ぐ飴のように固まればちょうどいいのです。それを火からおろして菓物のシロップならば大匙二杯位加えますしレモンの絞汁しぼりじるならやっぱり二杯位ですがレモンなら小匙に一杯半位です。シャンパンとかマルシキムとかいう酒類ならば大匙一杯位です。それを加えて混ぜて今の浮粉の中へちょいちょいといでくと一時間位で固まってドロップスが出来ます。しかし砂糖の煮方が悪いと一旦飴のようになったものが一月ひとつきも過ぎない内に砂糖にえってボロボロします。和製のドロップスにボロボロするのが多いのは煮方が粗末なのです。何でもあんなキャンデー類の菓子は砂糖に返るといけません」妻君「そうですか。早速宅で致してみましょう。時にお登和さん、私はあんまり遅くなりますからモーおいとまを致します。皆様もその内にはお戻りになりましょう」お登和嬢「マアいいでございませんか。御一所ごいっしょに御飯を召上っていらっしゃいまし」としきりに引留めて人々の帰りを待ちけるに夜に入りて中川小山大原の三人広海家より戻り来りぬ。

第三百二十二 母の不足


 ここにおいてお登和嬢が心をめたる御馳走は早速人々の前に持出もちいだされたり。客も主人もな食卓を囲みぬ。客の大原はことに今日の御馳走を賞翫しょうがんし「お登和さん、僕もいよいよ四、五日内に海外へ出かけますから今日は昔の大原に立戻って腹の裂けるほど御馳走を戴きます。中川君、今日はカロリー表の制限を許してくれ給え。お登和さんの御馳走で食傷しょくしょうしてもサラサラうらみと思わんからね」中川「アハハ僕らも随分腹が減ったよ。広海さんが是非ぜひ食事を差上げると言われたけれども家に御馳走の支度したくがあるといって断わったもののこんなに遅くなろうとは思わなかった。お登和や、広海さんの所で今度の日曜日にいよいよ食道楽会を開く事にまったがちょうど大原さんの洋行もぐだから一つには大原さんの送別会を兼ねるのだ。その日には和女おまえにも早く来て手伝ってもらいたいという事だ」お登和嬢「ハイハイお手伝い申しましょうとも」と勇んで答うるは大原への心尽し。小山の妻君はお登和嬢のためにおもんぱかる所あり「ネー中川さん、私は先刻さっきもお登和さんに申上げたのですが大原さんの洋行なさるのちにお登和さんも西洋へいらっしゃれるような御工風ごくふうをなすったら如何どうでしょう。家庭教育を取調べるにしても女の方がかえってよく解る事もありましょうし、食物の事を取調べるにもお登和さんがいらっしゃればこの上なしです。私は家庭教育研究会のためにも大原さんの外にお登和さんを洋行おさせなさる方が利益だろうと存じます。今直ぐという訳になりませんでも大原さんのおあとから是非お登和さんを洋行おさせなさいな」と熱心にすすむる所あり。良人おっとの小山も賛成し「これは名案だ、この上なしの名案だ。今の我邦わがくにに最も欠乏しているものは何であるというに母である。健全なる未来の国民を養成すべき母がないのだ。しかるに世人せじんは教育教育と騒いでいるけれども多くは父の方ばかりだ。母を作るために絶叫しておるものははなはすくない。その癖家庭教育とか小児の感化とかいう事は母の任務に属する。家庭教育研究のためには男子を洋行させるよりもむしろお登和さんのような婦人を洋行させる方が得策というべし。一つにはお登和さんのためにもなり一つには国家のためにもなる。失礼ながらお登和さんの洋行費位は何処どこからでも出るよ。広海さんの方で出来なければ誰に話しても僕が調達する。どうだね中川君、一つこの事を奮発しては」と今は仮初かりそめの話しにあらず。中川は即座にも答え兼ねたり「ハア、その事はいずれ後の話しさ。大原君のあとからお登和を洋行させるというと何だか其処そこに秘密があるように思われてもならん」小山「それは君にも似合わん。秘密がなければ構わんでないか。ナニも同行するという訳でなし。大原君が欧羅巴よーろっぱにいる時お登和さんは亜米利加あめりかにいるという風にしたら誰が何というものか。それに家庭教育の事はなかなか広い問題だから大原君一人の力でとても充分調査が出来ないよ。大原君とお登和さんとが手を分けて調査しなければとても好結果は得られんよ。決して私情を以て斟酌しんしゃくする場合でない。国家のためにお登和さんの洋行を必要とするのだね」と小山夫婦は熱心に説き勧むる。中川は無言。大原は聞くや聞かずや人々の談話を余所よそにして一生懸命に御馳走を飽食ほうしょくしている。当人のお登和嬢このはなしを耳にしながらわざと台所へ隠れて容易に出で来らず。

第三百二十三 経世論けいせいろん


 お登和嬢の心は知るよしもなけれども客の小山はなお熱心に説く所あり「ネー中川君、僕の考えでは大原君一人に家庭教育全体の取調を任せるのもはなはだ無理だと思う。家庭教育は実に広い問題だ。何の事にも関係している。イヤ関係する位でない、社会全体の事一としてその根本を家庭より発せざるはなし。一口に一国の文明というけれども家庭を基礎としない文明は皮相の文明だ。先ず人の家庭が文明に進んでそれから社会を文明に進めたものでなければ真の文明と言われまい。政治だってその通り、人の家庭が立憲制度のようになって夫婦兄弟親子の間に各々その分限を守る習慣が出来、幾人いくにんの家族があってもたがい相侵あいおかさないで一家団欒だんらん和気靄々わきあいあいとするようにならなければ政治上の立憲制度も到底円滑に行われんよ。ところで今の政治家を見給え、口には立憲とか非立憲とか殊勝らしい事を言うけれども果してその家庭が立憲制度になっているかしらん。一国の代議士と言われる人で平生へいぜいさかんに立憲論を唱えながら家にあっては酒道楽にふけり女道楽にすさ言語同断ごんごどうだん乱暴狼藉らんぼうろうぜき朝から晩まで我が家庭に対して非立憲の行為をしている横道曲よこみちまがるごとき人物が政治家の中にないとも限らん。そんな世中よのなかにどうして立憲政治がうまく行われよう。実業界もまたその通りさ、ヤレ株式組織だの会社組織だのと共同の事業は沢山起るけれども株主や役員たる人に果してよく共公心きょうこうしんがあるだろうか。我が家庭に対してすら共公心もなくおもりもなく何でも主人一人のわがままを通すような根性ではどうして共公の事業を遂げる事が出来ようか。市街鉄道の大騒動なんぞはその好的例でないか。人の家庭に共同心が充実するようにならなければ実業界の共同事業も到底円満に発達せんね。それにモー一つこういう事がある。我邦の政治家は明治の初年から国民に殖産興業をすすめて富を作れ作れと奨励した者だ。ことに日清戦争後は戦勝の余熱に乗じて中央銀行すら開放主義をった位、さかんに興業熱を鼓舞こぶした。実業家も無闇むやみ金儲かねもうけ金儲といって騒いだ。それがため一時は殖産興業も発達した、富も作れた、金も儲かった、ところがそれは一時の夢となって覚めての後は不景気にくるしむ事ほとんど十年、寄ってたかって青い息ばかり吹いている。あれはちょうど人に大食をしろしろと勧めたようなものだね。勧められたものはただ無闇に腹一杯物を食べて一時は美味おいしいとか面白いとか思ったろうがあとで胃病を起して五年も十年も悩んだと同じ事だ。人の身体に消化吸収の力を養わないで無闇に大食をさせたらその大食はかえって害になる。国民の品性道徳を養わないで無闇に金儲を勧めるのはかえって国民の害になる。ちょうど放蕩息子ほうとうむすこに金儲をさせたようなものだ。ソレ金が儲かった、ドシドシ遊べと図に乗って儲けた金の二倍も三倍もつかってしまう。随分実業家の息子にはそういう人もあるよ。畢竟ひっきょう親が悪いのだ。先ず息子の品性を養わないで金儲をしろしろと教えるからそんな事になる。国民もその通り富を消化吸収する力がなくって不時ふじに富を得たらばその国民はかえって益々堕落するばかりだ。富は国民の腹の中を素通りしてたちまち外へ出てしまう。国民の身体はそれがため胃病を起して営養不良になる。我国の有様ありさまは全くこの通りに違いない。それではどうしたらいいだろう。先ず国民の品性道徳を高めて人の家庭を改善した上秩序的に富を得る道を講ずべしだ。古人は衣食足りて礼節を知るといったが僕からいうと先ず礼節を知らしめてのち富を作るべしだ。野蛮人に衣食を足らしめても礼節は起らん。人を野蛮界から文明界へ導いておいてその上で殖産興業を教ゆべしだ。今までの勧業政策や殖産主義は根本において間違った処があると思う。こういう風に論じて行くと大原君の家庭教育取調一件は政治の根本にもなり実業の根本にもなりそのほか文学美術あらゆる方面の根本になるから到底一人や二人の力に及ばんでないか」と滔々とうとうたる経世の大議論。

第三百二十四 小児の不幸


 小山の大議論は主人の中川も客の大原もともに首肯しゅこうする所あり。中にも平生へいぜい沈黙なる大原はここに至りて何を感じけん突然顔をげ「小山君、それは全く君の言う通りに違いないが僕はそういう広い問題を取調べるよりもかえってく小さい問題から取調べて段々大きな事に及ぼすつもりだ。譬えば文明国の家庭では小児がどういう風に発達して大人になるかという事を調べたらこれが第一番の根本だろう。小山君からいつぞや小児の洋服という話しを聞いた事もあるが洋服で育てると和服で育てるのとどういう差がある、食物の関係はどうである、それから段々大きくなってどういう風に育てられるかとこういう点を調べるのが家庭教育の根本だと思うね」と大原もまた確乎かっこたる意見あり。中川案をち「それだそれだ、それがもっとも今日の急務に違いない。もしも人の発達の径路を調べたら我邦わがくにの小児ほど不幸なものはあるまい。食物と衣服と家屋の三点は無論だけれどもそれを別にして我邦の小児は言語を知るという事について非常の困難がある。英国人の小児が人を招く意味を現わしたい時には誰に向ってもカム即ち来れという一語を知っていればそれで済む。我邦の小児は犬を呼ぶ時ワンワンコイコイと教えられる。友達に向って誰さんコイコイというと叱られる。おいでなさいとかおいでと教えられる。もしや親たちに向って母様かあさまコイコイというと大層たいそう叱られる。その時はいらっしゃいと言わなければならん。物を欲しがる時何をおくれと教えられる事もあるし頂戴ちょうだいと教えられる事もある。親たちの真似まねをして何をよこせといって叱られる事もある。英語ならば誰に向ってもギーヴミーの一語で済む処を我邦の小児は三通りも四通りも言語を覚えなければならん。少し大きくなって文字を習うとサテ一層の困難だ。英語で人を招く意味にカムという一語を覚えれば文章に書く時でも手紙を書く時でもやはりそのことばを使えるけれども我邦では手紙にコイコイともおいでとも書けない。ヤレ御入来ごじゅらい下され、御来車ごらいしゃ下され、御抂駕ごおうが下され、御来臨ごらいりん下され、御賁臨ごふんりん下されなんぞと一つ事を十通りも知らなければならん。譬えばスナワチということばにもそくの字があり、ないの字があり、そくの字があり、便べんの字があり、ヨルという詞にもいんの字があり、の字があり、えんの字があり、※(「馮/几」、第4水準2-3-20)ひょうの字があり、きょの字があり、の字がある。言葉の時に英国人の小児より四倍も五倍も苦しんだ上に文字の時も十倍も二十倍もくるしまねばならん。自分で書く時は誰に向っても簡便な文字で押通す事も出来るがそれを一々知っていなければ人の文章を読む事が出来ない。ことに困難を感ずるのは今のいわゆる自称文学者とか自称美文家とかいう先生たちの文章だ。僕らごとき専門の文学者でさえ振仮名ふりがなあてにしなければ読む事の出来ない文字が沢山ある。わかりやすい文字で書けば誰にでも読めるものをわざわざむずかしい文字を並べて無理な振仮名をつけてある。振仮名を読んでみてああなるほどこう読ませるのかとようや合点がってんするような場合がある。意味を現わすのが文字の本能であるべきにわざわざ意味の現われないように書いてある。モー一つは聞いて解らない文字が沢山ある。譬えば新体詩なんぞになんじと書いてナと読ませてナのおもかげとかナの姿とか読ませる。文字を見ずにただ聞くとはなが幽霊になったようだ。少年時代に散々困難した上大きくなって他人の意思を知ろうとするとまたまたこんな困難をなければならん。僕の如きはなるたけ人に解りやすく文章を書こうと思うのにわざわざ解りにくく書きたがる人がある。言語文章は意思を伝える道具だからなるたけ透明で解りやすくなければならん。硝子箱がらすばこへ物を入れたように中の品物が見えかねばならん。しかるに我邦の文章とか文学と言われるものは鉄板をかさりにしてある。エッキス光線かラジューム線でなければ中の品物を見る事が出来ないよ。アハハ」とこの先生折々奇矯ききょうの事を言う。

第三百二十五 人の言葉


 中川の言葉は奇矯ききょうなれども大原は深く感ずる事あり「中川君、我々が今までその困難を感じて来たのは仕方もない。また今の文学者連中がひとりでよがっているのもその人の道楽としてじょすべきだが将来の小児にその困難を感ぜしめるのは如何いかにも気の毒だね。それらの点は僕もよく取調べて他日我邦わがくにの言語文章を平易簡単に一定させるようにしたいね」中川「ところでそこに誤解されてならん事がある。世人せじんはよく平易簡単というと一番短いいやしい言語に傾きたがるからそれを注意しなければならん。なんじというのは長いからナで沢山だという事になっても困るさ。僕の主張は人を呼ぶのにナンジとかアナタとかオマエとかキサマとか幾通いくとおりもある言葉を一つに定める時はその中の一番丁寧ていねいな言葉にめようというのだ。僕が子供を持ったら誰に向ってもアナタと呼ばせる。下女下男から親兄弟に向っても他人を呼ぶのにアナタの一語を知っていれば済むようにしたい。もっとも外から色々な事を教えられてなかなか思い通りに行くまいけれども物を望む時は誰に向っても頂戴ちょうだいといわせる。人を招く時は誰に向ってもいらっしゃいと言わせる。犬に向ってもワンワンいらっしゃいと言わせる。コイコイと言うよりいらっしゃいという方がむずかしいに違いないけれども幾通りも覚える困難に比べれば一つだけ丁寧な言葉を覚えさせるのは何でもない。英語だってアナタという言葉とナンジという言葉と二通りあったが今では丁寧の方のアナタばかり使ってナンジという言葉は廃された。英語では犬に物を言う時でもアナタだ。つまり人の言葉は丁寧なかつ綺麗きれいな言葉に一定させなければならん。今の恋愛小説には華族の姫君が、アタイこうしてよとかイヤだワとかどうしたのよとかよくってよとか下等社会の俗語を使っているのも折々見えるがああいう言葉は文明の最も進歩しない野蛮人の言葉だ。簡単でなければ舌のまわらないという動物性の言葉だ。これも小説ばかりではあるまい。実際にそんな賤しい言葉を口にする姫君や令嬢が一人や二人はあるのかもしれん。女ばかりでない、男の言葉はなお乱暴だ。書生さんの中には我が両親に向って僕は何処どこって来たよなんぞと折助言葉おりすけことばく人がある。舌に病気があって往って来ましたとか往って参りましたとか言えないのであるまいし、まるで礼儀も作法もなくなっている。家庭教育はそういう点を第一に正さなければならん。無用な言葉は廃して一番上品な言葉一つ知っていれば済むようにして行かねばならん。人に備わる美という点はそこにあるだろう。今の文学者は一方にアタイいやだワというような動物的の言葉を書き一方に仮名かながなければ読めないようなむずかしい文字を並べて純文学だとか美文だといっているがなるほど双方の極端を寄せてあるからアルカリ性と酸性とを中和させる量見かも知れないね」ここにいたって客の小山笑い出し「アハハ君の攻撃も随分皮肉だね。それでは家庭教育論が文学論になってしまう」中川「イヤさ、これが家庭教育に大関係あり。文明の進歩した清潔なる家庭に果して猥褻わいせつなる小説や淫靡いんびなる文学をるるやいなやという点を大原君に調べてもらわなければならん」大原「よろしい必ず調べよう。その外にまだあるかね」

第三百二十六 育児法


 中川「あるともあるともまだ沢山ある。子供を育てるには翫具おもちゃの種類画本の良否行儀作法の仕込方しこみかた読書や習字の稽古けいこなんぞと必要な点が沢山あって一朝一夕いっちょういっせきに説き尽せないが君に一つ調べてもらいたいのは家庭教育の主義と方針だね。近頃は小児を育てるのに放任主義とか自由主義とかいう大間違おおまちがいの言葉が流行してそれがために小児が非常の不幸におちいるようだ。西洋で放任とか自由とかいうのは圧制とか干渉とかいう言葉に対照したので料理法でいえば強い火加減ひかげんに対して弱い火加減を用いるというわけだろう。即ち或る程度を指したのだ。それを我邦わがくにの人は何でも気儘きまま勝手に育てなければ放任でない自由でないと心得て大切な子供を野放のばなし同様に育てるものが多い。実にとんでもない不心得と言わなければならんね。動物を飼っても知れるでないか。野放しの犬と教育した犬とはいずれが上等であるか。藪鶯やぶうぐいすと飼った鶯とはいずれが妙音を発するだろうか。人に譬えても訓練した兵士と訓練しない兵士といずれが上等だろうか、誰にだって分りそうなものだ。つまり子供を野放しに育てるのは野蛮風だ。文明に進むほど規律的に発育させなければならん。行儀作法や言葉づかいという事に最も重きを置いて上品に優美に育て上げなければならん。ただそこにほど加減かげんという事があって圧制に過ぎてもならず放任に過ぎてもならず、物を教えるにも注入的では小児の脳を悩ますから誘導的に啓発するという工合がある。ちょうど料理する時強きに過ぎず弱きに過ぎざる火加減でなければケーキやシューがふくれないと同じ事だ。しかし誰にもなその加減が出来る訳でないから平生へいぜいの心得がる。僕の考えでは小児を育てるにむしろげんに失するもかんに失してはならん。干渉に過ぎても放任に過ぎてはならんと思う。今の世の社会に立って何のなにがしといわれる人物をただしてみ給え。父親に厳しく仕込まれたとか母親が賢婦人であったとかあるいは祖父母か兄弟に感化されたとか大概家庭教育のお蔭を受けない人はない。野放しに育って大業をなした人はほとんど世界中にあるまい。よく自然に任せるの自由に任せるのというが人の子を猿に預けたら、決して人間並の者は出来んぜ。しかるに我邦は自由とか放任とかいう言葉が流行するため父兄がそれを誤解して自分の子供を野放しに育てる。野蛮人の子だか下等社会の子だか分らないように育てる。中流以上の良家の子弟にさえ野放し育ちが沢山ある。小児ばかりでない。大きくなった娘や息子、書生さんや女学生を見ても野放し育ちが沢山あるでないか。行儀作法も知らず言葉遣いは下等人物同様で一挙一動がことごとく感情まかせという動物性の人間もすくなくない。実に野蛮界の有様ありさまを現出しているね。といってくの幼年時代から厳しくしろとは言わんが段々生長するほど子供には制裁を加えなければならん。世人せじんは二、三歳の小児を大層撫育ぶいくするが段々大きくなるほど放任してしまう。それが大間違で段々大きくなるほど制裁を加えなければならん」大原「少し待ち給え、君のように言うと人の子供は幾歳いくさいになるまで家庭教育の必要があるね」

第三百二十七 三十歳の小児


 家庭教育の年限は一問題なり。中川もきょうに乗じ「それは一々子供の情態によって違う場合もあるが先ず誰にも応用すべき標準はだね、僕の主義からいえば女の子は嫁に行くまで、男の子は四十歳までだろう」大原「ナニ四十歳、してみると僕らもまだ家庭教育を受ける身分だ」中川「勿論もちろんさ。人の生涯に小児の時代が二度ある。一つは家庭の小児、一つは社会の小児だ。三十歳近くまで学校教育を受けてそれから初めて社会へ生れるのは社会の小児になるのだ。家庭の小児も野放しにしておけないと同様に社会の小児を野放のばなしにしておくほど不心得な事はあるまい。せがれがモー学校を卒業しましたから安心だというが学校を卒業したのは社会に対する初声うぶごえげたので、まだう事も立つ事も出来ない人間を野放しに置かれてまるものでない。親の目から見れば社会に向って二度目のお産をするのだからいよいよ益々監督を厳重にしなければならん。男の三十歳前後は生涯の運命がわかれる時で野放しにされても僥倖ぎょうこうにして明るい道へしたものは出世の山へ進めるけれども暗い道へ匍い込んだら段々深い谷へ落ちるばかりだ。処世の事もその通りであるが僕の最も心配するのは人の生命がこの時代に大変化を起す事だね。ここに医者の調べた正確なる統計表がある。日本全国の人口をその年齢と対照するに児童の数が一番多くってその次ぎは順序よく減じて行く中にただ一つ三十五歳以上四十歳以下という時代に男女とも急劇の減少がある。この時代がほかの年齢よりも一番多く人の死ぬ時だ。それから先きは再び平均して行く。この時代の生存者は次の時代の生存者よりすくない。四十歳以上四十五歳までの人が我邦に千人あるとすると三十五歳以上四十歳までの人は九百人よりない割合だ。順序からいえば若い人の方が老年の人より多くなければならんが三十五歳以上四十歳までが特別に寡い。医者はこの時代を以て人の最も危険なる時期という。それは畢竟ひっきょう多くの人が三十前後に不養生をするからだ。飲食の不養生は勿論もちろん精神の不養生も何の不養生もちょうど社会に生れた小児時代に多い。その時代には体格も気力も旺盛おうせいのように見えるから何の不養生をしてもさほどに弱らない。何をたべても平気だよ。三日位徹夜したって何ともないと無闇むやみ威張いばってわざわざ極端な不養生を自慢するのがちょうどこの時代の人たちだ。その不養生が積もりつもって三十五歳以上四十歳以下の年齢に不治ふちの病気を発する。その時になってモー後悔しても追付おっつかない。これは畢竟監督者なしに社会へみ落されて野放しにされるからだ。何ぼ放任主義がいいといって一、二歳の小児を台所へ手放しにしてみ給え。毒な物でも何でも口へ入れるだろう。三十歳前後の男子が社会へ野放しにされるのはちょうどそれと同じ事だ。生命の上からいってもその通りだが事業の上から言っても三十歳前後の人は多く無理ばかりする。僥倖で小さな成功をするとさも自分の技倆ぎりょうのように慢心してたちまち手一杯な仕事にかかる。それがために生涯の大失敗を招くもの比々ひひとしてなこれなりさ。四十歳までは誰でも小児時代勉強時代と心得なければならん。四十歳を越してからはじめて社会の大人になれる。しかるにその小児時代を野放しにするほどあわれむべき事はない。親がなければ親戚しんせきの老功者に監督してもらうとかあるいは誠実なる先輩に保護を頼むとか、何でも一人の監督者を得なければならん。親があったら我子の四十歳になるまでは充分の家庭教育を施して社会の大人に仕上げてらなければ親の役目が済まんでないか」とあいも変らず奇矯ききょうなる一家言かげん

第三百二十八 門前の人


 主人の言葉奇なりといえども深く人生の事をあじわいなば争いがたき事実の存するあらん。客の小山き口実を得たりと思い「中川君、四十歳までの家庭教育を取調べるとなったら大原君が十人あってもまだ足らんよ。ここにおいてお登和さんの洋行がいよいよ必要なる事を悟るね」中川「アハハそれは随分お登和を洋行させて食物問題や家庭問題を調べたら多少のる所があるかもしれない。しかし今急に何ともめられんね」小山「ナニも急ぐ事はない。来年になっても構わんからその方針にしておき給え」中川「だがね、大原君の洋行した後にお登和が西洋へ行くとなったらお代さんの方からどんな苦情が出て大原君が迷惑するかもしれん。大原君の事がなくってお登和を洋行させるなら僕も望む所だけれども。ネー大原君、君は定めし迷惑するだろう」大原「そうさ、僕は迷惑しないとも限らんがしかし僕の事があるためお登和さんの洋行を妨げるのもお気の毒だね。僕は別に関係せんよ」小山の妻君が笑い出し「お登和さんが洋行なさればお代さんも負けない気になって洋行するというかもしれません。お代さんに西洋まで追駆おいかけられては大原さんもお困りでしょうね」大原「それこそ大迷惑」と談笑の声高かりけるに小山の妻君フト耳をそばだて「あんまり大きな声をなすってもしやお代さんが立聴たちぎきしているといけませんよ。どうも先刻さっきから門の外を人がったり来たりするようですがもしやお代さんではありますまいか。大原さん、ちょいと窓からのぞいて御覧なさい」といわれて大原立って窓外そうがいを眺め「アアそうです、お代さんと下女と門前に立っています。僕はモーえりましょう。中川君大きに御馳走さま」とそこそこにいとまを告げ恐る恐る中川家の門をでたるに門前に立てるお代嬢、今日は前日のごとき元気なく、そっと大原の側に寄り「満さん、あんまり遅いから心配して迎いに来たのよ」と打萎うちしおれて悲し気に言う。大原も少しく哀れを催し「ツイはなしが長くなって遅くなりました」と優しく答えぬ。お代嬢いよいよ悲し気に「満さんはイツ西洋とかへ行くの」大原「いずれ四、五日内です」お代嬢「アラ四、五日内なの、わしも先刻さっき父様に頼んで西洋へってもらう事にしたワ、小山さんの所で二月ふたつき三月みつき色々な事を習ったら来年あたり西洋へ行ってもいいって」大原驚き「貴嬢あなたが洋行なさるって、それは大変、西洋へ行くなら第一西洋の言葉を覚えなければなりません。とても二月や三月でそれが覚えられるものでもなし、それに男の洋行と違って女の洋行は入費も非常にかかります」お代「父さんが千円位は出してもいいって」大原「千円や二千円でとても洋行の出来るものでありません。第一に女の洋服からこしらえなければなりません。貴嬢は小山さんの家で一生懸命に勉強していらっしゃい」お代嬢「じゃ満さんはイツ帰るの」大原「先ず三年間の約束です」お代嬢「三年なんて長いこんだねー」とシクシク泣きながら満の手をりて我家へともない行く。
第三百二十八 門前の人の挿画

第三百二十九 花飾り


 これより数日の後食道楽会の第一回は大原満の送別会を兼ねていよいよ広海子爵の家に開かれたり。参集の時刻は午後一時、来会者はな約束を重んじて一人も遅刻せるものなし。妻や娘をともなえる老人連は多く家庭教育会の会員なり。英気勃々ぼつぼつとして我こそ姫君の選に預からんと心ひそかに期する所あるは独身者の若紳士なり。中川兄妹は主人方の手伝い役、小山夫婦は来客の間を周旋しゅうせんし、大原満は快然かいぜんとして得意の色あり。料理法研究のためにとて中庭に仮の料理場を設け、テンピ、七輪、西洋鍋に至るまで来客のる前に順序く並べられ、篤志とくしの料理人両三輩各受持の仕事に取かかる。座敷の広間には長き食卓へ清らけき布をかけ、卓上の器物はいうも更なり、花瓶にしたる美しき花々はおのずから人の眼をよろこばしむ。席上に年若き紳士あり、金縁きんぶち眼鏡めがねを眼の上ならで鼻の上のあたりにせながら眼鏡越しに座敷の隅々まで眺め廻し「オイ中川君、少し君の説明を聞きたい事がある。君は平生へいぜい何でも実用主義を唱えて風流は国の害だとか美文は教育のさまたげだとかしきりに我が党を攻撃されるが、この卓上に花を飾ってあるのは何の訳だね。この花もつまんで食べるという実用主義か、それとも卓上の装飾か」と言葉にかどを立てて詰問きつもんするは同じ学校の出身にてつむじの曲りし人なんめり。中川は微笑を含み「無論装飾のためだ。しかし無用の装飾でない、実用の装飾だ」若紳士「これは面白い、食べられもしない花を飾って実用の装飾というからは天下何者か実用ならざらん。君はここにいたって我党の主義に降参したかね」と妙に中川へつっかかる。中川は好んで対手あいてにもせず「大層たいそうむずかしくなって来た。別に何の意味でもない、ただ会食の時に人々の眼を悦ばしめるため花が飾ってあるのさ」若紳士「よろしい、それならば風流も人の心を悦ばしめるため、美文も人の心を悦ばしめるためだからそれを無用とはどういう次第だ」と頻に責めかけられて中川も今は黙っていられず「僕は風流と美文を無用とは言わない。似非えせ風流は亡国のもとい、似非美文は子弟教育の害になるという。しかしそれは今ここで説明する場合でないが食卓に花を飾るのは食事の愉快を増さしむるためだ。君なぞは食物を舌でばかり味わうと思うから間違まちがっている。食物の味を心に感ずるのは眼と鼻と舌との三つである。盲目者は別にして誰でも先ず食物に対すれば眼を以てその体裁ていさいる。如何いかに味の良い御馳走でも盛り方が乱雑で皿が不潔であったらば食べる気にならん。第一に人の食慾を起さしめるものは眼の働きだ。その次は鼻で皿の中からこうばしいにおいが鼻をかすめればそこで一段の食慾を起す。悪い匂いが鼻をいたらたちまち胸が悪くなる。鼻の働きが済んだ後初めて口へ入れて舌であじわうという順序だから食物の味は眼と鼻と舌の三つで感ずる。眼もそれほどに大切だから食卓の上へ花の飾りをする。食卓へ花を飾るばかりでない。大隈伯爵家のごときは有名なる花壇室内に食卓を設けて西洋人を饗応きょうおうせられる事がある。西洋人は日本一の御馳走といって悦ぶそうだが冬の寒い日に百花※(「火+曼」、第4水準2-80-1)らんまんたる温室内で天下の珍味を御馳走になったらそれほど愉快な事はあるまい。食卓へ花を飾るのに何の不思議があるね」とおだやかに答えられて若紳士はしばらく口籠くちごもりぬ。

第三百三十 心の趣味


 さりながらこの若紳士は容易に引込ず「中川君、それではね、食卓を飾るのに西洋風の粗雑なつかしの花を用いずとも我邦わがくにには古来より練習した活花いけばなの特技があるでないか。遠州流でも古流でも池の坊でもその一流にって清楚せいそなる花を食卓へ飾ったら葬式の造花然つくりばなぜんたるこの掴み挿しに勝る事万々ばんばんだ。それとも活花は風流に属するから君の主義に合わんかね」と執念しゅうねく争いて中川をへこまさんとするは子爵家の姫君に対してひそかに野心ありと見えたり。他の人々もこの問答を面白く感じぬ。老人連の中には若紳士の説を喜ぶものもあり。中川が如何いかに答うるやと窃にその様子をうかがっている。子爵家の姫君玉江嬢も心配顔に中川の顔を打眺うちながめぬ。中川も少しく考うる所あり「サアそれはチト面倒な問題だ。西洋風の花飾も完全無欠とは言えないが日本風の活花とは主とする所が違う。西洋風のはおもに色の配合を主としてあって美しい花の色で人の眼をよろこばしめる。日本風の活花は形を主としてあって形の巧拙こうせつで人の心に趣味を感ぜしめる。時と場合によっては形を主とした方が趣味の深い事もあろうが多数の人の食会する食卓の上の飾りとしては形の力到底色の力に及ばんね。色の光線は遠くに達してその範囲が広い。たとえば遠方の山に桜が一本美しく咲いていても美の光りはる者の眼に映ずる。同じ場所に同じ大きさの松があって枝振えだぶり如何いかに面白くとも数歩の近くへ寄らなければその奇を賞する事が出来ない。それに色の美は直ちに人の眼に映ずる。形の奇は判断力を費さざればその奇を賞する事が出来ん。食卓の上において外の事へ判断力を費す如きはかえって人の心を労せしめるのだ。外の場合はともかく、食卓の上は活花よりむしろ花の色を美しく配合した方が適当するだろう。一万円のあたいある万年青おもとを一つ置いてあっても遠方からは見えず趣味のない人に価値も分らんからね」若紳士「それでは趣味が人間に不必要であろうか。満座の人が高尚な趣味を持っていたらば無趣味なものより趣味のある物が悦ばれるだろう」中川「それは趣味の種類による。今の世中よのなかは我が娘に料理の趣味を教える親よりも活花の趣味を教える方が多い。家政や育児の趣味を教えるよりも国文や歌の趣味を教える方が多い。それが僕のいわゆる風流亡国で先ず実用の趣味を覚えてから後に外の事を習わなければならん。君は食卓の上に活花が置いてあったらくその趣味を解し得るだろうが食物に対しては果してそれ以上の趣味を持っているかね。活花を見てこれは遠州流これは古流と一々鑑別するほどならばこの料理は仏蘭西風ふらんすふうこの料理は英国風えいこくふうと一々その味を判定するだろうね。活花に天地人てんちじんの原則がある通り食物には生理上の原則がある。君は活花の原則を知っていて食物の原則を知らないとは言われまい。ネー君今中庭で料理人が白い菓子をこしらえている。見給え、まるい型へ入れてテンピで焼く所だ。あれを君は御存知か」と食物問題へ引込まれて若紳士は何とも答うるあたわず。さりながら外の人もまたその菓子を知るものなし「中川さん、あれは何でございます」と問いかけしは側にいたる老婦人。

第三百三十一 白い菓子


 中庭にては料理人がしきりに料理の最中なり。スープを煮るものあり、魚の肉を裏漉うらごしにするものあり、あるいは菓子を焼くものあり、来会者は多くこの前にあつまりて熱心にその様子を見物する。中川も老婦人に問われて中庭の方へ進み「今焼いておりますのはレデーケーキ即ち貴婦人のお菓子と申すので西洋では婚礼の時かあるいはほか祝日いわいびに用います。あれは外のお菓子と違ってコルンスタッチ即ち玉蜀黍とうもろこしの粉が入りますから味が軽くって大層上品です」老婦人「どうして拵えますか」中川「それは私よりも妹の方がくわしゅうございますから説明させましょう」とお登和嬢を呼びて菓子の製法を語らしむ。嬢は老婦人の前に材料の品々を持ち来りて一々ねんごろに説明し「カステラや外の西洋菓子がお出来になればあれも素人しろうとに出来ない事はありませんが拵え加減かげんが面倒で幾度いくたびも試して御覧遊ばしませんとなかなか良い味に参りません。あれには先ず兜鉢かぶとばちのようなものへバターを大匙に五杯取りまして上等のお砂糖を大匙に五杯入れて玉子廻しの器械でよく泡立てるようにります。バターと申しても匂いのあるバターではいけません。よく水でさらしてこの通り匂いが少しもない品を使いませんとお菓子が重く出来ます。そのバターとお砂糖を根気く煉っておりますと段々色が白くなって遂には真白になります。何のお菓子を拵える時でも最初バターとお砂糖とを混ぜます時はこういう風に色の白くなるまで煉らなければなりません。煉るものは鉄線はりがねの玉子廻しかさもなければおはしを五、六本片手に持ってよく丹念に掻き廻わしてもいいのです。バターが煉れましたらば別にメリケン粉を大匙十二杯とコルンスタッチと申してこういう白い粉を大匙六杯と焼粉を大匙に軽く一杯ですから八分目位でようございます。それをんな混ぜてふるっておいてカルワイセージという香料かそれがなければ代りにナツメッグの粉を少し加えます。その混ぜた粉を少しずつ今のバターへ加えて牛乳をやっぱり少しずつしてホンのだますように今の玉子廻しでいて行きます。この時力を入れて混ぜてはいけません。そうするとメリケン粉の粘着力ねばりが出てお菓子が重くなります。つまりカステラを拵えるのと同じ事です。こうして幾度いくどにも粉と牛乳とを注してそれだけの粉へ牛乳を一合も使えばちょうどよろしゅうございます。それが好い加減にけましたらば別に玉子の白身四つぶりを本式に泡立ててやっぱり少しずつメリケン粉を振りかけながらその中へ三、四度位に混ぜてブリキの菓子型へ移してテンピの中で一時間ほど焼きます。火の加減は強くも弱くもないちょうどカステラの通りでようございますがよく出来ますと軽くってやわらかで何とも言えない上品な味になります。悪く出来ますとモチモチして歯へ付きます」と何人なんぴとにも解るよう叮嚀ていねいに説明する。子爵の姫君玉江嬢側へ寄り「その外にまだコルンスタッチで拵えるお菓子がございましょうか」お登和嬢「そうですね、シルバーケーキ即ち銀のお菓子と申すのはバター一杯半にお砂糖三杯を今のようにしてメリケン粉五杯にコルンスタッチ一杯に焼粉を小匙半分入れてレモンかバニラを少し加えて玉子の白身を三つ泡立てて入れます。それで四十分位焼きますがレデーケーキに似たものです」と語る側にて前の老婦人「どうも西洋料理は玉子ばかりりますね」

第三百三十二 家庭の養鶏


 この苦情は何人よりも多く聞くところ、このたびは中川が進み出で「如何いかにも西洋料理は玉子を多く使います。玉子一つは牛乳一合に劣らんほどの滋養物ですから玉子の使い高によって国の文野ぶんやが知れると申す位、くわしく調べた統計表によると日本人は人口一人に付いて一年に十三個の玉子を使う割です。米国人は一人が百二十ほどを使い仏蘭西ふらんす巴里ぱりーでは一人で二百五十個を使う勘定です。一つは富の程度が違うからですが一つは外国に家庭の養鶏という事がさかんなためです。巴里で一年中使う玉子の半分以上は家庭のとりが生んだものだと申します。仏蘭西ばかりでありません、英国でも前のヴィクトリヤ女皇じょこうが自ら宮中に養鶏所を設けられて国民一般に家庭の養鶏を契励せられました故近来は大層さかんになりました。米国人もその通りで、西洋では大きな養鶏所も沢山ある上に大概な人は家庭の養鶏を実行しております。現に横浜の外国人中にも養鶏は大流行をしていますし、築地つきじ辺の外国人も沢山鶏を飼っています。どうしても玉子を沢山使う時には家庭で鶏を飼った方が経済上非常の利益がありますしかつ新鮮な玉子を得られます。高い代価を払って石油臭い上海玉しゃんはいだまなぞを買うに及びません。かつ家庭の養鶏は子供たちに動物学上の智識を与える便利ともなり廃物の利用ともなり色々な徳がありますから私は世人に向っておおいにその事をすすめたいと思います」老婦人「そうでございますか。しかし鶏を飼いますには広い地所がなければ出来ませんね」中川「イイエ、広い地所がるようではとても西洋人に出来ない事です。西洋の都はそれこそ土一升に金一升と申す位の高い土地ですからそこで広い地所を取れません。つまり西洋で家庭の養鶏がかくまでに進歩したのはく狭い地所で多くの鶏を飼う事が進歩したからです。今の我邦わがくに有様ありさまならどんな家でも一坪や二坪の地所を養鶏場に出来ない事はありますまい。一坪即ち一けん四方の地所があれば五羽の鶏は楽に飼えます。二坪あれば十羽の鶏に沢山です。それで人一人の廃物を利用すれば一羽の食料に足りるとしたもので芋の頭や大根の尾のように平生へいぜい掃溜はきだめへ捨てられるものが鶏のになりますからこの位徳用な事はありません。廃物利用の第一番です。家内が五人あれば廃物で五羽の鶏が飼える勘定で産卵鶏の好い種類を飼いますと一羽が一年に二百個以上の玉子を産みます。おす一羽めす四羽として二四が八百の玉子を取れます。平均一日に二つ半位な割になりましょう。もしや二坪の地面を養鶏場にして十羽を飼えば毎日五つずつの玉子を一年中取れる勘定ですから何に使っても自由です。西洋風の食事をしようと思えば家庭で養鶏をしなければなりません。玉子を取る外に肉用鶏を飼えば何時いつでもつぶして食用になりますし、あるいは去勢術を習ってケーポンも出来ますし、羽を溜めて羽蒲団はねぶとんにもなりますし、それはそれは色々の利益がございます。西洋のように土地の高い国で平生身体からだの忙しい人たちが家庭に鶏を飼ってその利益を受けていますから我邦のように安い土地で庭や中庭へ鯉と錦魚きんぎょを飼うほどの余裕があるのに実用なる鶏を飼えない事はありません。鯉や錦魚は何ほどの利益を家庭へ与えましょう。池やタタキをこしらえる費用でどんな立派な養鶏場でも出来ます。私はこれを見ても世人が風流にばかり流れて実用にうとい事を歎息致します」と折に触れて風流亡国論がずる。

第三百三十三 鶏小屋とりごや


 養鶏の必要を説かれて老婦人よりもその良人おっとなる老紳士おおいに感服し「なるほど、そううかがってみると家庭の養鶏はなかなかの利益がありますね。鯉や錦魚を飼って眺めるよりも鶏を飼って毎日玉子を食べた方が人の身体からだのためになります。もっとも養鶏場を庭先へ設けて池の代りにする事も出来ますまいが一坪や二坪の地所ならば何処どこへでもこしらえる事が出来ます。私どもでも早速一つ養鶏を実行致しましょう。家内が玉江さんから折々西洋料理や西洋菓子の製法を習いますと首尾好しゅびよく出来る時は四つか五つの玉子で済みますけれども出来損じて二度も三度もり直しますとたちまち十五、六の玉子を使います。あとになって玉子の代価を勘定して西洋菓子は高くかかるとよく苦情を申しますが家へ十羽も鶏を飼っておけば惜気おしげなく玉子を使えます。しかしよほど熟練しなければ狭い処で多くの鶏を飼えますまいな」中川「イイエ、別段にむずかしい熟練もりません。規則通りな鶏小屋を拵えて丹念に面倒を見て遣れば誰にでも出来ます」老紳士「その規則通りという事がむずかしいでしょう」中川「イイエ、上等にすれば際限もありませんけれども極く手軽にすれば無造作なものです。第一の必要が高燥で日当りの好い土地ですから物置ものおき檐下のきしたで南向きの処を択べばそれで沢山です、先ず其処そこを一坪竹矢来たけやらいかこいます。一坪なくとも奥行四、五尺位でも構いません。檐下でなければ上の方へ高さ四、五尺位に屋根を作ります。その屋根の下へ太い止まり木を横に渡します。止まり木の代りに平たいヌキ板をたいらに渡しても構いません。この止まり木が細いと足をつからせて病気になりますからなるたけ太い方がいいのです。止まり木の高さに規則があるので産卵鶏即ち玉子を産ませる種類の鶏は高さを三尺から四尺までの間に致します。肉用鶏ですとモット低くして一尺から二尺の間に致します。止まり木の上へ二尺ばかりへだてて屋根を作りますから屋根の高さも止まり木の高さに順じなければなりません。その止まり木の長さは鶏が五羽ならば三尺余十羽ならば六尺余です。それから屋根の下の四方を手軽にすれば炭俵すみだわら二枚合せて止まり木を真中まんなかにして囲います。もっとも一方がハメ板ならば三方を囲うばかりです。これが鶏の寝室で夜はその中へ寝るのですが下の方は何にもありません。鶏は下から上へ飛び上ったり上から下へ飛び下りたり自由になります。それから砂を地へ一面に敷きます。砂があると鶏は毎日砂を浴びて羽虫をりますし、糞が溜まっても砂へ包まれて乾燥しますから鶏が病気になりません。それで鶏の種類は上等にすれば純粋種じゅんすいだねのレグホンかハンバークを雄一羽に雌四羽位お買いなさい。この種類が日本の気候に適して身体も丈夫ですし玉子もよく産みます。ハンバークの方は玉子が小さい代りに一年で二百三、四十産みます。レグホンは玉子が大きくって二百位産みます。これも大きい鶏を買っては損です。最初は生れて百日位のひなを買って二月ほど養うとモー直ぐに玉子を産み出します。雛で買って一羽八十銭位ですから五羽で四円ですね。純粋でない雑種ですと一羽四十銭五羽で二円位です」となかなかくわしき養鶏談。

第三百三十四 鶏の


 老紳士は養鶏談を熱心に聞き「そこで餌はどう致します」中川「その餌が即ち廃物利用なので、人の食物のくずです。魚のアラが極く上等ですし牛肉の屑でも魚の骨でも野菜の屑でも何でも掃溜はきだめへ捨てるものを大きな鍋へ入れて水から一時間も煮てそれをります。夏と冬とでその材料も違わなければなりませんがちょうど人の食物と同じ事ですから人が季節によって食べるものは鶏にも適当なので、つまり人の食物の屑さえ与えれば自然とその季節に応じて行きます」老紳士「毎日餌を煮て遣るのが少し面倒ですな、生物なまものはいけませんか」中川「生物はいけません。生物を長く与えると色々な病気を起します。うぐいすを飼っても摺餌すりえを拵える位ですから鶏の餌を煮る位何でもありません。つまり慣れです。慣れてしまえば火のあった処へかけておくばかりで少しも面倒でありません。鶯の摺餌よりよほど楽です。こと我邦わがくにの人は平生へいぜい火鉢ひばちの火を遊ばせておくでありませんか。万年スープでもかけるか鶏の餌でもかけなければ火鉢の火は何の用をなしません。それも腐ったものなぞを煮ると匂いがしていけませんけれども腐ったものは鶏にも毒ですから腐らない内に煮るのです。しかし人手がなくって餌を煮られないという場合には掃寄はきよまいか小麦のしいななんぞを与えてもようございます。つまり粒餌つぶえで小鳥を飼うようなものです」老紳士「そうすると直段ねだんが高くなりましょう」中川「粒餌にして一羽の食料が一日三厘位で済みますから一年に二百の玉子を産ませると玉子一つの餌代が五厘ばかりに当ります。もっとも前のような煉餌ねりえでも材料が不足だったらば煮る物の中へ米糠こめぬかやフスマやあるいは麦糠などを加えて遣ります。ただ急劇に食物を変化させるのは禁物で昨日きのうまで煉餌を与えた者が今日から急に粒餌ばかりをたべさせると当分の内玉子をうみません。ちょうど上流社会で小児の乳母うば田舎いなかから抱えて何でも滋養分を食べさせなければならんと肉や魚の御馳走を無闇むやみに与えると食物の変化で乳母の乳が出なくなるようなものです。鶏を育てるのも小児を育てるのも同じような事が沢山ありますから婦人が養鶏をすると大層育児法の発明を致します。西洋で家庭の養鶏が上流社会に行われるのも一つは動物の発達を研究する材料です」老紳士「なるほどそうでございましょう。清少納言せいしょうなごんも鶏の雛を愛らしきものに数えた位で鶏を育てるのは興味が多いに違いありません。そこで餌は一日何ほど与えます」中川「鶏が食べて少し残す位遣るのです。不足してはいけません。百日余の雛で一合余、大きくなって二合余位の分量でしょう。別に鶏小屋の中へは飲水のみみずを入れておきますがその水の中へ釘の折れとか鉄の屑を入れておくと鉄分が鶏の薬になります。折々は青菜あおなの柔い草を与えなければなりませんし、夏になると消炭けしずみを粉にして餌に混ぜて一週間に一度位与えなければなりません。消炭の粉は腹の中を掃除します。しかし多過ぎてはいけません、少しでいいのです」老紳士「それで玉子はどういう風に産み出しますか。私の友人も先年二、三羽の鶏を放し飼にした事がありますが玉子を何処へ産むか分らんので大きに困ったと申します」と段々話しが実地に進む。

第三百三十五 鶏の病気


 中川も熱心に「それは最初習慣を付けないからです。にわとり初産ういざん肝腎かんじんで、ひな鶏冠とさか紅色あかみを増して来るとモー産み出す前ですから産卵箱というものを少し高い処へこしらえてらなければなりません。石油箱へわらを詰めれば沢山です。それを地上二尺位の処へ作り付けて藁の上へほかの玉子を一つ置いて遣ります。擬製ぎせいの玉子といって陶器製の玉子もそれがために出来ています。とりはそれを見ると必ずその中へ産んで外へ産みません。放し飼ではなおさらこの習慣が肝腎で人の知らない処へ産んで人が長く取らずにおくと外の鶏が食べてしまう事も毎度あります」老紳士「一度産み出すと毎日産みましょうか」中川「そうです、産み初めると四日間位毎日産んで一日休んでまた四日間産むという順序になります。一年のうちで冬になると産み方がすくなくなりますし、羽の抜けかわる時にもしばらく休みます。外の種類の鶏は巣に付くという事があってその時も暫く玉子を産みませんがレグホンとハンバークは巣に付きません。その代り玉子は人工孵卵器ふらんきで孵化させなければなりません」老紳士「鶏小屋の掃除はどうします」中川「毎日一度ずつ中をいてふんって遣ればこの上なしですけれども砂が入れてあれば夏は二日目冬は一週間目位でようございます」老紳士「素人しろうとが飼うと病気をした時困りますね」中川「今申上げた通りに飼えば滅多めったにというよりほとんど病気になる事はありません。にわとりの病気は多く飼う人の不行届ふゆきとどき横着おうちゃくから起ります」老紳士「私の友人が以前飼った時分はよくノドケとハナゲという病気になったそうです」中川「あれはとり感冒かぜです。ノドケにはのどの中をテレビン油でふいやります。それは筆の代りに鳥の羽の中ほどをむしって先の方をちょう位なかたちに残してテレビン油をつけて喉の中をグルリと拭くのです。ハナゲは酢を温めて鼻を洗ってテレビン油を付けておくと双方とも大概なおります」老紳士「鶏はよく下痢げりを起すそうですね」中川「あれは鶏の胃腸病で鶏冠とさかの色が白みを帯びて来ます、鶏の食物は澱粉質でんぷんしつが多うございますから高峯博士のタカジャスターゼを与えるのが一番です」老紳士「夏になると鶏が霍乱かくらんのようになって急に死ぬ事がありますね」中川「それは二通りあります。一つは日射病のようなもので鶏冠が黒くなってしおれて急に弱って半日位でたおれますが何でも夏は平生鶏冠に注意して少しでも色が黒くなりかけたら唐辛子とうがらしの粉を口へ割り込んで水を呑ませて涼しい処へ置けば大概助かります。モー一つは脳充血のような病気で急にトサカの色が変ってバタバタして一時間位で倒れます。それには早く脇の下の静脈をって血を出せば助かります」老紳士「それぞれ療治法りょうじほうのあるものですな。鶏一羽が一代に何ほど玉子を産みましょう」中川「今の鶏で先ず千位です。即ち五年間の余産んでいますけれども三年を過ぎると産卵力が減じます」老紳士「鶏小屋へはよくいたちが来たり蛇が来たりしていけませんが何か防ぐ法がありますか」中川「鼬けには硝子板がらすいた鮑貝あわびかいのような光るものを三方へ釣るしておきます。蛇よけには小屋の周囲まわり煙草たばこの粉をいておきます」老紳士「なるほどね、そういう風に色々くわしく伺ってみれば誰にでも出来そうです。早速一つ養鶏を始めましょう」中川「しかし一場いちじょうの談話位ではとても委しい事を申上げられません。西洋の料理法には必ず養鶏法の伴うものですから私も近い内に家庭の養鶏法と題する書物をあらわすつもりです。委細いさいの事はそれを御覧下さい」

第三百三十六 鶏の割方さきかた


 養鶏談の長かりけるうちに眼前の料理場にてはレデーケーキも美事みごとに出来上り、一人の料理人はとり俎板まないたに載せてその肉をき始めたり。前の老紳士再び中川に向い「鶏を飼う事ばかり覚えても鶏を食べる法が分らんとたのしみになりません。今あの料理人がこしらえている鳥は何のお料理になりますか」中川「あれはアスペーキゼリーというお料理ですが皆さんは料理人の鶏を拵える処を御覧遊ばせ。鶏の料理は是非ぜひとも鶏の割き方を覚えなければなりません。今あの料理人が三百目ほどの雄鶏おんどり俎板まないたの上へ仰向あおむけに置きました。先ず庖丁ほうちょうって背の方の首の処をちょいとりまして中へ指を入れて鶏の前胃ぜんい抽出ひきだしました。あの通りスルスルと楽に出ます。これは殺す前に二十四時間食物を与えないで前胃を空虚にしてあるから楽に抜けます。鳥屋から夕方に買った鶏は前胃に食物が充ちていてなかなか急に抜けません。その次は頭を切り取ってのどの処から不潔物を抜き出しました。その次は肛門の処を截って腹の中の臓腑ぞうふを残らず抽出しました。あの長いのが俗にいう百ヒロで鶏の腸です。赤黒いようなものが鶏の肝臓です。肝臓に着いている薄黒い小さいものが胆嚢たんのうです。おおきい固いのが後胃即ち俗にいう砂胆すなぎもです。ここで皆さんによく御注意を願いたいのはあの肝臓の大きさです。この鶏は無病息災むびょうそくさいであったから肝臓の大きさも三百目に相応していますが十羽の鶏を割いて見ると三、四羽は必ず肝臓肥大を起しています。色も少し悪くって大きさが身体からだ不相応です。肝臓肥大は鶏に最も多いものでその肉を食べるのに差支さしつかえはありませんけれどもあの肝臓を食べると害になります。しかるにむかふう食物通くいものつう鶏肝けいかんといって大層肝臓の料理をよろこんだものです。もっとも味はなかなかありますけれども自ら鶏を割いて健全なる肝臓を取出したのでなければ決して食用になりません。それから肝臓の側の胆嚢が肥大しているのも沢山ありますし、はなはだしいのは胆石病を起しているのもあります。将来家庭の養鶏がさかんになって肉用鶏まで家で飼えば病鳥を料理するうれいもありませんけれども今の世中よのなかはうっかり鶏を買うと病鳥が多いのです。つまり病気になった鶏をドシドシつぶして売出すからです。その外に多い病気が気管病と肺病で鶏を割いて見ると俗にいうドリ即ち肺臓が変色しているのも沢山あります。世俗でドリを食べると毒だと申すのはその変色が多いから自然と注意するようになったので健全なる肺臓即ちドリは決して毒になりません。あのドリばかりを好んで食べる人もあります。さて只今ただいま料理人が鶏をよく洗って再び俎板へ載せました。これからのかたが大切なので、上手に截れば楽に肉が取れて何の造作ぞうさもありませんけれども下手に截って一つ順序を間違えると肉が彼方あっちへ付き此方こっちへ付きして始末になりません。よくあの順序を御覧なさい」と人々をうながして鶏の割き方を見物せしむ。

第三百三十七 五つの肉


 当日の会衆はな料理研究の熱心家とて中川の講釈を聞くや一同ここにあつまり注意して中庭の料理場を見物する。料理人は左の手にフークをり右の手に料理用のナイフを持ち先ずフークを以てにわとりの体を抑えナイフを腰にてて軽く腰のつが截放きりはなしぬ。中川再び説明を始め「諸君、今料理人がフークとナイフで鶏を扱うのはちょいと素人しろうと真似まねも出来ませんから素人は手で扱っても構いません。もっとも西洋婦人はよくフークで扱うものがあります。多年の熟練で素人に出来ない事はありませんけれども我邦わがくにの婦人たちはまだ鶏のかたをさえ御存知ない人が多い位ですからよくあの順序を御覧遊ばせ。べて鳥の身体からだは五つに載り別けるのが法です。大きい鳥でも小さい鳥でも法則の通り五つに別けて行けば極く楽に肉や骨がなれますけれども一つ法にはずれると肉が骨へついて始末になりません。五つに截り別ける第一として素人ならば先ず鳥を俎板まないたの上へ仰向きに置いて左の手で胴を抑えながら先ず腰車の骨をがすように截り離すとあの通り足やももが楽に取れます。左右の腿を取りましたらば今度は親指と人差指とて鳥の手即ち羽の骨を引出すようにして肩の骨の蝶番ちょうつがいを截り放します。こういう風に引出す心持こころもちにしていると蝶番いが直ぐ離れます。御覧遊ばせ今料理人がちょいとナイフできったと思うとすぐ肩の骨が二つに離れました。見ているとあの通り優しいようですが自分で致すとなかなかむずかしくって容易にあの蝶番いが見当りません。うっかり蝶番いでない処を截ると大きい骨ですから容易に截れもせず、骨が截れても肉が離れず、非常に困難するものです。最初手でよく探ってみて蝶番いを見出さねばなりませんが、小さい丸い骨が二つ並んでいます。その骨と骨とのあいだへ庖丁を入れると直ぐに左右へ別れます。骨を截るのでありません、両方から合せてある骨を離すのです。骨が離れると肉も一緒に離れます。そこで料理人は胸の肉へたてに庖丁を入れて肩の処をきました。あの通り手の肉がスルスルと離れて別になります。この順序が西洋風と日本風と違う所で日本風は胸へ庖丁を入れません。あのまま肩へ手をかけて肉をがすようにすと胸のき肉と称する処がともに離れて手の方へ着いて来ます。西洋風は抱き肉を胴へ着けて料理に使いますから庖丁を入れて胴へ残るようにしておきます。抱き肉は牛肉のサラエンロースでその下にササミがありますのはちょうど牛肉のヒレです。西洋料理では鳥のササミをヒレと申します。料理人は今左の肩を取りましたから今度右の肩を取ります。ソラ直ぐにあの通り取れました。あれでとり身体からだが二つの手とふたつの足と胴との五つになります。あの通りにすれば誰がいても極く無造作です。その次に筋抜きという事を致します。腿の骨を肉の上からトントンと叩いて砕いておいて膝の下即ち脛の裏を庖丁でたてに裂くと八本の筋が其処そこあつまっています。その筋へ指をかけて抜き出すと腿の肉にある白い筋が一度に抜けまして肉が柔かく食べられます。こういう事は鳥屋で致しませんから鳥屋の肉はこわいのです。何でも鳥は家で拵えなければ美味おいしく出来ません」

第三百三十八 切売きりうりの肉


 来会者の一人進みで「なるほどおっしゃる通り鳥屋でかった肉はどうしても味がありません。肉がこわいばかりでなく肉に味がありません。あれはどういう訳でしょう」中川「それは致方いたしかたもありません。鳥屋では沢山の鳥をこしらえるので一々親切に肉の味を保存させる事が出来ないのです。第一に鳥屋では毛を引く時熱湯の中へ入れます。そうすると毛はがすように抜けますが味のあるエキス分はんな出てしまいます。それからその鳥を水の中へ漬けておきます。実に乱暴千万で味はまるで抜けてしまいます。ことつぶしたばかりの鳥を湯や水へ入れると一層味が抜けます。鳥屋の方では味の抜ける事は構いません。水へ漬けておくと自然と肉へ水分を含んで量目めかたふえるし容積かさも大きくなります。鳥鍋屋の肉が鍋に一杯あると思って火へかけると急に縮まるのは肉に水分を含ませてあるからです。その肉を切売にする時には俎板まないたの上へも水を流し庖丁ほうちょうへも水をつけます。一つはそうすると肉が切りやすいからです。それを客に渡す時はまたまた竹の皮を水でらしてその中へ水だらけの肉を入れますからまるで鳥の肉の水漬みずづけを食べるようなもので如何いかに料理しても味のあろうはずがありません」前の客「なるほどそれで分りました。今のお話に潰したての鳥を湯や水へ漬けると一層味が抜けるとおっしゃいましたがどういう次第です」中川「それはあたらしい肉のエキス分が出てしまうからです。牛でも鳥でもそのほか何の肉でもエキス分が沢山あって肉のまだ鮮しいうちはそのエキス分が分解作用を受けないから肉の外にあります。それゆえに鮮しい肉は味がないので牛ならば今頃は四、五日目鳥ならば二、三日目になりますとエキス分が肉の中に分解されて味も好く肉も柔くなりますが、鮮しい内に水へ漬けられるとエキス分は肉中で分解されないで水へ出て来ます。その代りスープを取るにはなるたけ今のエキス分を余計水へ出させますから鮮しい肉に限ります。牛肉の食べ頃は四、五日目だといってその肉をスープにしては味が出ません。牛でも鳥でもスープは鮮しい肉ほど良いのです。それに肉の食べ頃といっても料理方で違います。煮るものは一日早く用いて焼くものは一日遅く用います。今頃の鳥ならば昨日きのうの朝潰したものを今夜食べるなら煮てボイルドにするが適当ですし、明日はロースかカツレツにするのがいいのです」前の客「してみると鳥の肉の切売を買う事は無駄むだですな。潰してあるのを一羽買って来て家で拵えた方がたしかでしょう」中川「潰してあるのも油断がなりません。悪い鳥屋へ行きますと色々な細工物があります。一つは俗にポンコツと申してせた老鶏ろうけいを殺してから胸の骨をコツコツと叩き砕いて俯向うつむきにしておきますと肩の肉が胸へ下って来て肥えた鳥のように見えます。潰し鳥を買う時には第一に胸の骨が満足なるやいなやをしらべなければなりません。モー一つは首の処から口で空気を吹込みます。これはとりばかりでありません。うずらなんぞは多く空気を吹込んで売っています。ふくれて肥えたようでもその実は空気で膨脹ぼうちょうしているのです」と言われて聞く人驚くばかり。

第三百三十九 危険な肉


 この時まで前の若紳士は中川の言葉に何かすきあれかしとうかがいおりしがにわかに進みでてさも嘲弄ちょうろうするごと口気こうき「中川君、君も随分不条理な事を言うね。鳥ののどから空気を吹込んで一時は空気枕のようにふくれても口を離せば再び空気はシューと出てしまってちょうどつぶれた空気枕同様になる。それを防ぐには空気を吹込んだ後鳥の喉を糸でくくらねばならんがマサカ糸で括った鳥はあるまい。君のはなしは随分訳が分らんよ」と先程の意趣返しにうまく一本突込んだつもり。中川打笑うちわらい「空気枕と鳥の身体からだとは訳が違う。鳥の身体が空気枕のように膨らんでいれば誰にでも直ぐその奸策かんさくを見付けられるけれども、鳥の身体へ空気を強く吹込むと筋肉間の薄い膜を破って空気は小さな隙間すきまへ進入する。しかるに今の破れた膜は粘着性に富んでいるからたちまちまた密着してその空気を洩らさない。譬えば大きな水泡みずぶくれが人の皮膚ひふへ出来た時針の先位でちょいと突いてあなけても少し水が出ると忽ち皮の膜が密着して出なくなるようなものだ。鳥の体中へ空気を吹込んでおいて鳥の身体をさかさに持っていると空気は上へ上へと侵入して筋肉の間に停まってしまう。しかし吹き込んだ空気が残らず停まるのではない。幾分いくぶんか戻って外へ出るが残りの幾分は中へ侵入して鳥の身体を大きく膨らせる。その空気が一番多く侵入する所はわきしたか腰の附け根だからそこを押えてみると空気の吹込んであるのはブクブクと気泡あわが動く。うずらなぞを買ったらよく試験してみたまえ、清潔の空気ならばまだいいけれども人の口から臭い息を吹込まれるから溜まらない。肺病患者の息であったら忽ち病菌を植え付けるだろう。考えてみると気味の悪いものさ」とこの説明を聞きて若紳士は忽ち口をつぐみぬ。外の人々はいよいよ感心し「中川さん、まだ外にそういう奸策がございましょうか」中川「さようです、老鶏の爪を切って若鳥に見せたり、病鳥を殺して売ったり随分危険な事が多いものです。或る地方で出来る鳥肉の鑵詰かんづめは多く虎列剌これらかかった鳥を製したので、鳥の虎列剌はその地方の特有病になっています。毎年必ず或る季節に虎列剌で鶏が沢山たおれますからその肉を鑵詰にします。衛生警察の進歩しない我邦わがくにでは食品を買うのによほど注意しなければなりません。鶏を買うならきておるのを買って来て家で潰すのに限ります。我邦に滞在する西洋人はほとんど死んだ鶏を買いません。よほど信用した人の手からでないと潰し鳥を買いません。横浜辺にいる支那人ですら死んだ鶏を買いません。必ず活きたのを買って家でほふります。大きい鶏を一羽買うと小勢こぜいの家では始末に困りましょうが食用に適するのは二、三百目の鶏ですから一羽買っても二、三日の料理に使えますし、直段ねだんも牛のヒレ肉一斤と大差はありません。一番損なのは切売の肉を買うのです」客の一人「そこで鳥の肉の鮮しいのと古いのとはどうして鑑別みわけが付きましょう」中川「肉を押えてうごかしてみると分ります。潰したての鳥は肉と骨と筋とんな別々になっているように肉だけクルクルと動きます。二、三日過ぎると肉が骨へ着いて前のように動きません。それにこわさとやわらかさとも違います」客「そうでございますかね。鶏の肉を手軽で美味おいしく食べる西洋料理法があるなら一つ二つ教えて下さいませんか」

第三百四十 鳥の米料理


 中川「とりの料理は沢山ありますがちょいと手軽に出来て日本人の口に合うのが日耳曼風ぜるまんふうのボイルドチキンライスです。それは鶏を一羽なりあるいは大きい鶏ならばももだけでも構いません。なるべく若鶏で肉の柔いのを殺してから一昼夜半過ぎたのがいいのです。即ち昨日きのうの朝潰したら今日の晩位です。その肉を水とともに鍋へ入れて塩を少し加えて弱い火で一時間以上湯煮ゆでます。最初にその中へ玉葱たまねぎを丸のまま人数だけ入れて鳥とともに湯煮ますが玉葱が大層美味おいしくなります。今度は鳥を一旦いったん出してその湯煮汁でお米を固い位のおかゆになるまで煮ますとスープの味と塩気とが浸みてどんなに美味しくなりましょう。そのお粥をお皿へ盛って鳥の肉を上へ置いて玉葱を添えて出しますがその上から白ソースを掛ければなお結構です。白ソースはバター一杯でメリケン粉一杯をいためて牛乳一合をして塩胡椒で味をつけたものです。この料理はよく日本人の口に合って洋食嫌いの人にでもよろこばれますし、ことに病人に食べさせるとくようございます。西洋人は少しおなかの工合が悪いかあるいは風邪かぜでも引くとチキンブローかあるいはこのお料理を食べます。極く無造作むぞうさですから皆さん一つお試しなすって御覧なさい」客「ところで今あの料理人がこしらえているのは何というお料理です」中川「あれはアスペーキゼリーといってなかなか面倒なお料理です。にわとりのササミを一旦いったん肉挽器械にくひききかいで挽いて石臼いしうすいてよく筋を取って裏漉うらごしに致します。その肉が百目あるなら玉子の黄身一つにセリー酒が大匙二杯、クリーム大匙三杯を加えて塩胡椒で味をつけて杓子しゃくしでよく煉ります。それをブリキの型へ入れて弱火で一時間湯煎ゆせんにして蒸します。蒸せたか蒸せないかを知るには小楊子こようじかあるいは外の細いものを真中へ通してみて何も附かなければよし、生々なまなましい処が附いて来ればまたしばらく蒸します。何を蒸すのでもこういう風にして検査しなければなりません。これだけでも既に立派な御馳走になりますが今日のは別にゼリーを添えます。ゼリーは牛のスープ一合へセリー酒を大匙一杯、ウシタソースを中匙一杯らしたゼラチン五枚を入れて塩胡椒で味をつけてその中へ玉子の白身一つをからともに割り込んでよく皆な掻き混ぜて火へかけます。玉子はアクを取るためですから冷たい処へ入れなければなりません。何でも玉子でアクを取る時には一旦いったんさまして玉子を入れてよく掻き廻してそれからまた火へかけなければなりません。それを少し煮たらブリキ型へ入れてさまして固めるのがゼリーです。それを小さく拍子木ひょうしぎに切って鳥の蒲鉾かまぼこのようなものへ添えます」客の一人「さぞ美味おいしゅうございましょう。外の料理人もにわとりを拵えていますがあれは何になります」中川「あれは鳥のシューカナペールと申して塩湯煮しおゆでにした鶏の肉を細かく切って固い白ソースで西洋松露せいようしょうろ西洋菌せいようきのこやハムの刻んだのと一緒にえてそれをトースパンへ蒲鉾形かまぼこなりに塗ってメリケン粉へ転がして玉子の黄身へくるんでパン粉をつけてバターでフライするのです」と実物について説明する時来会者のうちより進み出でたる一人「中川さん、鳥のついでに伺いますが私は銃猟じゅうりょう道楽で毎度野山の獲物えものを沢山持って帰りましても料理方に困ります。どうぞ少し野締物のじめものの料理を教えて下さいませんか」

第三百四十一 鳥の食べ頃


 銃猟じゅうりょう道楽は天下に多し。走獣そうじゅう飛禽ひきん捕獲ほかくするの術は日に新しきを加うれどもその獲物えものの料理法を頓着とんじゃくするものははなはまれなり。中川は何を問われても説明の労をいとわず「よくこそそういう所へお気が付かれました。鳥獣とりけものを取る事を知って食べる事を知らなければ折角せっかくの獲物の価値ねうちがありません。世間の人は何でも新しい肉がいいと思って今日った獲物をその日に料理する事がありますけれどもあれでは肉の味がなくって何の御馳走にもなりません。鳥でも獣でも何でも肉類には食べ頃という事があります。新し過ぎてもならず古過ぎてもならず、ちょうど身体中からだじゅうのエキス分が肉中に分解されて肉に味が充満する時を食べ頃としますがその種類によって少しずつ違います。先ず小鳥類のうち田鴫たしぎ雲雀ひばり水鶏くいなひよ金雀ひわ椋鳥むくどりつむぎ、雀なぞは殺してから中を一日置いて三日目を食べ頃としますし、うずら山鴫やましぎ、カケスなぞは四日目を食べ頃とします。かも小鴨こがも山鳩やまばとうさぎさぎ五位鷺ごいさぎ鴛鴦おしどりなぞは五日目ないし六日目を食べ頃としますがそのうちで鳩は腐敗の遅い鳥ですから七、八日目位になっても構いません。きじ、山鳥、がんは七日目ないし八日目です。鹿、いのしし、熊、猿、白鳥、七面鳥は八日目以上を食べ頃としたものです。もっともこれは東京の冬の気候で申しますから暖国ではそれより短くし寒国では長くしなければなりません」と説明を聞いて猟天狗りょうてんぐ先生不審がり「なかなか面倒ですな。鴨なぞの食べ頃が雉山鳥よりも早いのはどういう訳でしょう」中川「べて木の実や穀類を食物とする動物は肉の腐り方が遅い方です。魚類を食物とする鳥は肉が早く腐ります。鳩の肉は長くって鴨の肉が早く腐るのもそれがためでしょう。それに鴨や雁のような水禽すいきんは山にいる鳥よりも胃中へ入って肉の消化が大層悪いものです。料理する時は一々その心持こころもちで消化の良いようにしなければなりません」猟天狗「そううかがうといよいよ面倒になって来る。しかし物によっては五日も六日も置くと腐って来て困りますね」中川「腐るようにしておいてはいけません。鳥でも獣でも涼しい高い処へ吊るしておくに限ります。下へかしておいては二日つ者も一日で腐ります。としくれになると鴨や雁を籠詰めにして進物にするのをもらった人がつるしておけばようございますがそのままとこの温い処へ飾っておいて二、三日過ぎて外の家へ転送する事があります。悪口に死んだ鴨二、三軒飛ぶ歳の暮かなというようなのは食べ頃にならない内から肉がモー腐って来ます。あんな心ない事はありません。全体腐敗しやすい食物を歳暮の進物にするのは衛生に無頓着な証拠です。何ほど高価な鴨や雁でも腐ったものを貰っては何の役に立ちません。鳥屋で鳥類を買っても悪くすると十日も十五日も過ぎた鳥を売っています。腹から尻の方へ手を当ててみて非常にるんでいるような鳥は決して新らしいものでありません。鳥の肉は殺した時がやわらかで一両日過ぎると脂肪が固まりますから腹の辺が固くなります。それを過ぎるとまた弛るんで来て、その次は腐敗するという順序ですから自分が撃った鳥なら格別、お歳暮に貰ったり鳥屋から買ったりした物はよくその肉をしらべなければなりません。十日も前から鳥屋にブラ下っているようなものはたとい腐らないまでも食べ頃を通り過ぎて味がありません。腐るにしても吊るしてある鳥は足の方から先へ痛んで来ますから早い内なら胸の抱肉だきにくとササ身だけまだ食べられますけれども下に置いてある鳥は腐りが直ぐ肉の中へ通ってまるで食べられません。何の鳥でも背中へ腐りが廻って皮に青い色を帯びて来たら決して食べるものでありません」
第三百四十一 鳥の食べ頃の挿画

第三百四十二 小鳥料理


 猟天狗りょうてんぐ先生は中川の説明にて発明する所あり「なるほど研究してみると面白いものですな。西洋人の家には折々鳥をさかさに吊るしてありますがあれはどういう訳です」中川「あれは早く肉をゆるませるためです。四日目に食べる鳥をお客のあるため三日目に使わなければならんという時、鳥の足を上にして首を下に吊るしておくと肉が早く弛みます。その代り早く腐敗しますから長くは置けません。長く置くには首を上にして吊るします。もしや布巾ふきんでもかけるなら布巾が肉へ触らないようにしないと触った所から早く腐ります」猟天狗「ところで中川さん、我々銃猟仲間は遠方へ出猟して五日も六日も滞在する時古く撃った鳥を持って帰るのに困りますからはらわたを抜いて炭を詰めますがあれでも味は変りますまいか」中川「遠方へ送るのに炭を詰めるのは腐敗の予防法で仕方がありませんけれどもエキス分を炭へ吸収されますから幾分いくぶんか味が劣ります」猟天狗「料理の方では小鳥の焼き加減がむずかしいと聞いていました。鳥によって焼き加減が違いますか」中川「鳥ばかりでありません。肉類は一々違います。先ず大別すれば三通りの焼き方がありまして、雀、田鴫たしぎつぐみ椋鳥むくどり雲雀ひばり水鶏くいなひよ金雀ひわ、カケス、山鴫やましぎ、山鳩、鴨、小鴨、がん、牛、羊なぞはあまり焼き過ぎない方が良いとしてあります。うずらと鹿とししは焼け過ぎてもならず、焼け過ぎないでもならず、ちょうどよく火が通らなければいけません。きじ、山鳥、兎、さぎ五位鷺ごいさぎ鴛鴦おし、熊、猿、白鳥、七面鳥、にわとりこうしなぞは焼け過ぎた方が良いので生焼なまやけを非常にみます」猟天狗「むずかしいものですね。小鳥の中では何が一番美味おいしいでしょう」中川「西洋では雲雀を小鳥の王といって雲雀のパイは大層な御馳走に数えられますが我邦わがくにの雲雀は取れ場所によって味が少しずつ違うようです。勿論もちろん鶉でも場所と季節で味が違います。先ず雲雀に鶉それから鴫なぞが美味おいしいものでしょう」猟天狗「小鳥の料理法は沢山ありましょうね」中川「それこそいく十種と数え尽されないほどあります。く手軽にすれば塩胡椒を振ってバターで十分間位もフライしてパンへせて出しますし、あるいは背開きにして塩胡椒を振って鉄網かなあみの上でバターを塗りながら十分間焼いてグレーにもします。しかし野鳥類の料理はサルミーといって骨のソースで煮込にこんだのが美味いので、それは鶉でも鴫でも山鴫、雉、山鳥、水鶏の類を胸の肉ばかり別に取っておいて、残った肉や骨をよくたたきます。それからバターでジリジリといためて玉葱たまねぎ人参にんじんセロリーの細かく刻んだのをぜてまたよくいためて狐色になった処へコルンスタッチを少し入れて今度は中の品物がんなげる位にいためます。つまりブラウンソースをこしらえるのですからコルンスタッチやバターはその分量で見計みはからいます、そこへセリー酒を大匙一杯にスープを一合の割合でしてトマトソースを大匙一杯入れて塩胡椒で味をつけて一時間半煮ます。もしも略式にすればセリー酒がなくっても構いませんし、このソースを裏漉うらごしにして直ぐ鳥の肉を入れて一時間も煮れば極く手軽なサルミーになります。しかし上等にすると鳥の肉も別にセリー酒大匙三杯、スープ大匙三杯、バター大匙一杯に塩胡椒で味をつけて弱火で三十分煮ます。それから出た汁をソースへ交ぜてまた弱火で鳥を三十分間煮ます。モー一層上等にすると、この中へ葡萄酒ぶどうしゅを入れてソースを二度も漉して鳥を煮ます」

第三百四十三 しし料理


 猟天狗「なかなか面倒な料理ですな、セリー酒を入れたり葡萄酒を入れたりしてはきじ一羽のお料理でも大層高くなりますね」中川「アハハ、そのお話しが私に分りません。貴君方あなたがたが上等の二連銃をたずさえて汽車に乗って遠い所へ雉子打きじうちにお出掛なさると随分費用もかかりましょう。旅店やどやへ泊って酒を飲んで、中には芸者までげる人もありますが帰って来て御計算なすったら雉一羽が何円に当ります。少くとも一羽の雉を撃つのに五円や十円はかかりましょう。中には一羽の雉が四、五十円に当るといった人もあります。撃つためには五円も十円もつかって料理するためには十銭二十銭を高いとおっしゃいますか。先日も或る銃猟者にししの料理を話してブランデーかシャンパンをお使いなさいと申したら大層高いといいましたがその人はこの前の猟期に三度も遠方へ猪猟に行って三度目に小さな猪を一頭捕って来ました。その一頭の入費を計算すると百六十何円に当るそうです。捕るまでには百六十円もかけて料理する時には一円二円を惜むというのがどうも不思議です。私の考えには捕る方の入費をモー少し減じて食べる方へ廻したらばさぞ美味おいしい御馳走が出来ましょう。捕る時は自分一人のたのしみ、食べる時は家内団欒だんらん一家一族への御馳走になります」猟天狗頭をき「アハハ、そういわれると一言いちごんもありませんがしかし我々は撃つまでが楽みで撃ってしまえばモー食べないでいい位です。今のお話しに猪の事がありますが猪へはどういう風にブランデーを使います」中川「ロースにする前にブランデーへ一両日も漬けておいてバターを載せて焼いて焼き上った時シャンパンをかけます。あるいは外の料理にしてブランデー大匙二杯へセロリーと人参にんじん玉葱たまねぎとセージとルリーとタイムを入れて西洋酢を五しゃくセリー酒五勺赤葡萄酒一合を加えてその中へししの上肉三斤を漬けて一夜置きます。翌日あくるひそれを出して弱い火でジリジリと三時間もフライにすれば上等の御馳走になりますが素人しろうとに面倒ですから一度フライにしておいて今の汁で一時間ほど煮込んでもようございます。モット手軽な料理にすれば猪の肉を一旦フライしてブラウンソースへセリー酒を入れてシチューのように煮込んでもようございます。ブラウンソースはバター一杯でメリケン粉一杯を黒くなるほどいためてスープ一合をして塩胡椒で味をつけたのです。猪を煮る時はこれへセリー酒を大匙二杯加えます」猟天狗「猪はまだ色々の料理になりますか」中川「やっぱりグレーにでもロースにでも、チャップにでも、ビフテキのようにでも色々に使います。しかし猪は豚のように一旦いったん湯煮ゆでておいて角煮とかソボロとか支那風の料理にしても結構です。猪の新しい生肉なまにくをそのまま鍋へ入れてジリジリと煮たり焼いたりするのは実に乱暴千万です。猪は背中のロースかイチボでないと美味しくありません、手の処はこわい肉ばかりでとんと味がありません」猟天狗「鹿はどういう風に料理します」中川「西洋料理にすれば猪の通りです。日本料理では鹿煮といって猪や鹿へ味噌を入れて煮ますがあれもなかなか結構です」猟天狗「熊の肉は何の料理が良いでしょう」中川「熊はビフテキとカツレツが良いようですね」猟天狗「そんな野獣類には何か附合物つけあわせものまっていますか」中川「ハイ猪、鹿、熊、兎、猿なぞの肉へはカレンズソースをかけますし、雁、鴨、七面鳥なぞにはクラムベルソースや林檎りんごソースをかけますし、雉、山鳥へは野菜のソースをかけます。つまり衛生上の配合で果物か野菜を用います」と何事にも衛生上の原則が行わる。
○猪の肉は豚の肉の通り脂肪分を煮ても溶けざるものが上等なり。
○西洋料理にては七、八百目位の小猪を珍重す。これは丸のままロースに焼くなり。

第三百四十四 うさぎのシチュー


 衛生法の原則にかなわざれば文明の料理となしがたし。猟天狗りょうてんぐ先生もしきりに感心し「我々は今まで鳥獣とりけものを撃つ事ばかり知って食べる事を知らなかったのです。鳥や獣へ菓物くだもののソースをかける事なぞは夢にも思いませんでした。そのソースのこしらかたは面倒ですか」中川「イイエ決して面倒な事はありません。林檎りんごならば水と砂糖で煮てそれを汁ともに裏漉うらごしにして掛けます。クラムベルは山桃のような実ですが生ならばやはり煮てセリー酒を少し加えますし、鑵詰かんづめのゼリーならばそのまま裏漉しにしてもいいのです。カレンズはゼリーになったのが食品屋にありますから一鑵のゼリーへセリー酒五しゃくを混ぜて裏漉しにして少し塩を加えてかけます。これはロースばかりでありません、グレーでもカツレツでも何でもそういう肉の料理へかけると味も出ますし消化を助けます」猟天狗「鳥や獣を煮る料理は色々ありますか」中川「ハイ、種類によって煮る事もあります。煮るといってもシチューにするのとボイルドにするのと料理法が違いまして、ボイルドは無造作むぞうさですけれども雁や鴨のようなものは用いません。同じ兎でも山兎はシチューが良し地兎はボイルドが良いとしたものです。先ずボイルドにするものは鹿、いのししきじ、山鳥、うずら、猿、地兎位なものでその煮方は手軽にするととりのボイルドと同じように水へ塩を加えて玉葱たまねぎ人参にんじんを入れて鳥や獣の好い加減に切った肉を入れて一時間以上煮ます。それが煮えたら別に牛か鳥のスープで御飯をけば結構ですが普通の御飯へ載せても構いません。その上から白ソースとか赤茄子あかなすソースとか適宜のソースをかけて食べます。シチューの方は小鳥類でも水禽みずとりでも獣でも何の肉でも適当しないものはありません。鳩でも鶉でもしぎでも鴨でも猪、鹿、熊、猿に至るまでシチューにすると大層美味おいしくなります。シチューの拵え方は手軽にすると何の肉でも先ずバターでジリジリといためておいて一旦いったんそれを出してフライ鍋の中へ再びバターを加えてメリケン粉を黒くなるほどよくいためて牛か鳥のスープをして塩胡椒を加えればブラウンソースが出来ます。それを深い鍋へ移して前の肉を入れて弱い火で一時間の余も煮込みます。しかしそれは極く略式です。西洋料理の一名物といわれる兎のシチューなどは先ず兎の皮を丁寧ていねいいて兎の毛を肉へ着けないようにします。肉へ毛が着くと臭くなっていけません。それから兎の肉を一寸四角位に切って一合の赤葡萄酒あかぶどうしゅへ西洋酢を五勺加えて玉葱、人参、セロリー、セージ、タイムなぞを入れてその中へ兎の肉を一昼夜漬けておきます。翌日それを出して水気を切ってバターで黒くげるほどにいためます。よくいためたら肉を出して前の通りにフライ鍋へバターを足してメリケン粉を黒くなるほどいためてスープ一合と赤葡萄酒一合をして塩胡椒を加えて別に鍋へ移します。その中へ先ず兎の肉を入れて別にバターで焦げるほどフライした玉葱を五つ六つと皮を剥いてフライした小蕪こかぶを五つ六つ加えて一時間余も弱火とろびで煮ます。小蕪は兎に合い物でこういう風に料理したのが兎のシチューですけれどもまだ上等とは申されません。西洋人が珍重ちんちょうするのは血のソースで煮た兎といいまして兎を切る時大切に心臓の近所の血をしぼり取ります。日数を経たものは凝結かたまっていますが一羽の兎から五勺位出ます。それを今の汁へ混ぜて煮込んだのが兎料理の第一等としてあります。その次は兎のボイルドで水一升に玉胡椒十粒、ルリーの葉二枚、玉葱八つ、西洋人参八つ入れて塩胡椒で味をつけて兎一羽の肉を入れて一時間余弱火とろびで煮ます。よく煮えたらそれを出して別にバター大匙一杯でメリケン粉一杯をいためて牛乳一合をして塩胡椒と西洋酢を大匙一杯にケッバスといってを少し加えたソースをかけます。一緒に煮た人参と玉葱は附合せにします。こうすると兎の匂いが致しません。べてシチューやボイル料理は今日煮て翌日あくるひ食べる方が味も良くなります」猟天狗「随分大層な御馳走ですな」
○このソースの代りにジャムを肉に添えて食するもよし。

第三百四十五 手軽料理


 中川「アハハ、それも銃猟じゅうりょうに行って兎一羽を撃つ費用から比べたら何でもありますまい。随分今の銃猟紳士は兎猟に行って旅店やどやへ泊って晩酌ばんしゃくにビールや葡萄酒ぶどうしゅの一本位傾ける事も毎度ありましょう。それよりも家へ帰ってその葡萄酒で兎を料理したら家族一同が珍味にきます。何の遊びでも家族一同を楽しましめる心掛こころがけでなければ文明流と申されません。男子の遊び事は多く自分一人の楽しみになって困ります」としきりに長談義をなしけるに坐中より一人進み出で「中川さん、銃猟家先生のように自分で大金を費して兎やきじを取って来る人には上等料理も適当てきとうでしょうが中にはもらった雉を料理したりあるいは買って食べる人もあります。私どもは郷里から毎年雉を沢山貰いますが無造作むぞうさに手軽く料理する法がありましょうか」中川「さようですね、シチューでもボイルドでも今申したように無造作な拵らえ方もありますけれども誰にでも手軽く出来て割合に味の良いのはアイルシチューでございましょう。これは雉に限りません、外の鳥でも出来ます。しかし鴨や雁にはいけません。先ず雉ならばとりのように五つにいて背中の処をまた二つに切りますから都合六つになります。それを鍋へ入れて玉葱を六つにジャガ芋を十ばかり加えて上等にすれば牛か鳥のスープを四合しますがその代りに四合の白湯さゆでも構いません。それへ塩を加えて一時間半弱い火で煮ます。それから今のジャガ芋を半分即ち五つばかり出して裏漉うらごしにして今の汁へ混ぜてドロドロにします。それがアイルシチューでつまりジャガ芋のソースです。まだそのほかにフルカセーという手軽な料理もあります。これも色々な鳥に応用が出来まして雉でも山鳥でも肉を捌いてから一旦バターでザット揚げます。しかしこがしてはなりません。焦ないようにフライにします。それから肉を出してあとへバターを足してメリケン粉をあまり黒くならないようにいためて牛乳をして塩胡椒で味をつけた白ソースを作ります。白ソースの時にはメリケン粉を黒くならないほどにいためますし、黒ソースの時には黒くなるほどいためますからよくその区別をお覚えなさい。今の白ソースの中へフライした肉を入れて一時間余も煮ますが丁嚀ていねいにすると煮えた時肉を出してソース一合へ玉子の黄身を二つの割でツブツブの出来ないように混ぜてそれを裏漉しにして肉へ掛けます。この料理は鳥や獣ばかりでありません、鯛でも比目ひらめでも白い身の魚ならんな結構です。つまり一旦フライにして白ソースで煮るだけの事です。もしもこのフルカセーをモー一層上等にしようと思えばピシャネールという料理になります。それは今の通りに鳥の上肉即ちササ身の処をフライにしてからセリー酒を大匙三杯加えて三十分間その肉を煮ます。別に白ソースを拵えてクリーム一合を注して西洋きのこに西洋松露しょうろ仏蘭西豆ふらんすまめなぞを加えて一時間煮て肉へかけます。ソースは少し固めにします。これにもやはり魚を使って構いませんが鴨や雁は用いません。雉と山鳥のシチューを拵える時には黒ソースの中へセリー酒を加えるとなお味が良くなります」猟天狗先生再び前に進み「中川さん、僕が雉を撃ちに行くと一羽十円以上かかりますから家へ帰ったら上等の料理にしてみましょう。雉を一番美味おいしく食べる料理は何ですか」

第三百四十六 きじのロース


 中川もまた応接に忙しし「さようですね、雉の肉を美味く食べようとするならロースが一番でしょう。ロースやビフテキというと誰にも楽に出来るようですけれどもかえってほかの面倒な料理よりむずかしいので、牛肉のビフテキが上手に焼ければ料理法の卒業証書を出せるという位です。先ずロースにするものはよほどよくその食べ頃を知らなければなりません。雉子きじならば殺してから六日目にはボイルドにしてもいい位に肉がゆるみますけれどもまだロースに適当しません。その翌日位でなければロースにちょうどいいというまでに弛みません。これもあったかい時と寒い時と北国と南方で違いますからその斟酌しんしゃくをしなければなりませんが随分世間には殺したばかりの牛肉をロースやビフテキにするという間違った事もあります。注意して肉類を取扱うとモーこれは弛んだとか弛まないとか手で触って解るようになります。牛肉なぞは弛ませ方が肝腎かんじんで寒い時はただ置いても五、六日位で弛みますけれども夏は一両日置いても弛むより早く腐ります。腐らせないように弛めるのが料理人の一番苦心する処で、ことにロースを焼く時は一番その弛ませ加減が大切です。そこで雉を手軽なロースにするのは外のロースの通り丸のまま一羽の肉の上へバターを載せて強い火のテンピで焼きながら五分間ごとに抽出ぬきだしてつゆをかけて五十分間も焼くと出来ます。それを上等にしますと、豚の脂身あぶらみを二、三分位の厚さに切ってなるたけ大きく鳥の上へ載せて焼きます。モー一層上等にすると鳥の肉をいくしょも切って豚の脂身をし込みます。そうしてその上へ大匙一杯のバターを載せて強い火で焼きますがテンピなら五十分間位ストーブなら四十分間位です。その間には五分間ごとに抽出ぬきだしてよくつゆをかけなければなりません。しるの掛け方を怠ると肉の表面が乾燥してげるようになります。上の固くなったロースはく出来の悪いのです。今の肉が焼けた時一旦いったん抽出してセリー酒を上へかけてフレッシバターを載せてモー一度五分間ばかり焼くと雉の上等なロースが出来ます」猟天狗「それではさぞ美味しくなりましょう。ソースはやはり菓物くだものを用いますか」中川「菓物でもようございますが雉には玉葱にソースが合い物です。それは玉葱一つを細かく切って一合の牛乳へ入れて塩胡椒とバター中匙一杯とを加えてパン四半斤の中身ばかりを手で揉み砕いて混ぜます。それを三十分煮て雉のロースへ添えます。全体このソースは別の器へ入れて出すのが本式で肉へかけるのは略式です。雉のロースには焼く時に雉の肉汁じゅーすやバターやセリー酒が溶けたその汁を肉の上へ沢山かけて出しますからソースは別の器へ入れて添えなければなりません。上等にするとモー一つ添えるものがあります。パンの砂即ちブレッドサンドといってパン粉を拵える時ふるいの方へ残った荒いパンくずへ少し塩を混ぜてそれが大匙二杯あったらばバターを中匙一杯溶かしてパリパリするほどにり付けます。雉の肉を皿へ盛る時それを下へ敷いて出します。パンのパリパリするのと肉と一緒に食べますから大層味が良くなります。これが先ず雉料理の第一等でしょう。そのほか手数をかけて贅沢ぜいたくにすればパイにもなり、パテーにもなり、オロアンにもなり、ゲムパイにもなり、テンパロデにもなります」
○雉の肉は腹部の小羽が楽に抜ける時を食べ頃とす。

第三百四十七 鴨のロース


 猟天狗「オット少しお待ち下さい、そう無闇むやみに知らない名前を並べられては覚える事も出来ません。まずパイというのはパイの皮をかぶせて焼いたのですか」中川「さようです、雉ならば白ソースでフルカセーのように煮たものへ湯煮玉子ゆでたまごを輪切にして加えます。それをパイの皮のペースでかぶせて普通のパイのように焼きます。これにはシチューやボイルドにした物でも構いません。一度はフルカセーやシチューで食べて残った物をこうしてもようございます」猟天狗「雲雀ひばりのパイというお話しがありましたがそれも同じ事ですか」中川「雲雀やうずらのようなものはサルミーかシチューにしたものへ西洋松露しょうろ西洋きのこ、それに豚のベーキンを小さく切って混ぜます」猟天狗「パテーとはどうしたものです」中川「これもボイルドにした雉のササ身ばかりを細かく切って、ハムの細かく切ったのと、仏蘭西豆ふらんすまめや西洋松露と混ぜて別の白ソースでえてパテーの中へ入れます。オロアンの方はフルカセーにしたササ身ばかりへ色々の物を混ぜて入れます。ゲムパイやテンパロデはゼリーを入れて焼くものでなかなか素人しろうとに出来ません」猟天狗「鴨なぞもパイやパテーにしますか」中川「鴨はパイとオロアンにしますがパテーには致しません。鴨は白いソースで煮ませんからフルカセーにも致しません」猟天狗「鴨もやっぱりロースにしましょうね」中川「はい雉のロースの通りでようございますがこれには林檎りんごのソースが合い物です。モット上等にすれば林檎を鴨の腹へ詰めてロースに焼きます。それは先ず生の林檎を六つ位好い加減な大きさに切ってパン四半斤の中身ばかりと混ぜて塩胡椒を加えて鴨の腹へ詰めます。これをロースにすれば林檎のソースはりません」猟天狗「鶉やしぎの腹へ雁の肝を詰めて焼いたのは非常の御馳走だと聞ましたがそんな料理がありますか」中川「それは随分贅沢ぜいたくなお料理で雁臓がんぞう即ちフォーグラーというものは多く鵞鳥がちょうの肝だそうですが横浜で買うと大鑵が七円五十銭小鑵が一円五十銭します。大鑵といっても真の雁臓は真中に少しばかりあるので周囲まわりこうしの崩し肉が詰まっています。大概その犢も一緒に雁臓といって使いますけれども真の雁臓ばかりを詰めたら鴫一羽に一円五十銭以上入ります。そのほか鴫や鶉はゼリーで包んだエンビルビューというお料理もあります。上等にすると際限がありません」猟天狗「西洋人はししの肉を大層好むそうですがあれを極く美味しく食べるにはどうしましょう」中川「いのししの肉の好い味を食べるには最上のロース肉を十五日間も寒い処へ置いてしんまでゆるめます。十五日も置くと表面うわかわは弛み過ぎますから表面を削り取って中の心ばかりを先ほど申したようにブランデーやシャンパンでロースにしたりグレーにします。先ず二斤の肉ならば一斤は削り取って一斤を食べますから半分無駄むだになります。しかしそうするには肉の鑑別みわけが出来ないといけません。三枚肉のような処を十五日も置いては食べられません。牛ならばスタンデンドブーフのように肉がこわくって味のある処を択ばなければなりません。一口に何の肉は美味しいとか不味まずいとか申しますけれども肉の使い方や料理方を知った人の評でなければなかなかあてになりません。とりでも上肉はササ身ですが美味しいのは腿肉ももにくです。その代り腿はこわいから柔くして食べないと味が出ません。牛のスタンデンドブーフはヒレ肉より美味しいのですけれども弛るめて使う事を知らなければ硬くって味がありません。鳥や獣でも取れた場所で味が違い、一発で撃ったのと手疵てきずを負わせたのと味が違い、網で捕ったのと鉄砲で撃ったのと味が違いますから充分に料理法を研究しなければ決して美味しい御馳走は食べられません」とこれこそまことの食道楽。

第三百四十八 食医しょくい


 食道楽会の来賓らいひんは中川の説明を聞きつつ中庭の料理場を眺めて実地の模様を目撃せしが誰もな料理熱心なる連中とて心に発明する処すくなからず、これこそ誠に食道楽会の賜物たまものなれと人々たがいよろこえり。ほどなく晩餐ばんさんの用意も整いけるに主人の広海子爵会衆をあつめて開会のことばを述べぬ。子爵は先ず食道楽会の由来と将来の希望とを告げ「さて皆さん、今も申した通り全国各地に食道楽会が勃興ぼっこうして食物問題の研究がさかんになれば我邦わがくにの人は将来何ほどの利益をけるか知れません。我邦の事物は追々文明に向うと申しながら食物問題は今まで一向進歩しません。料理の点においては支那人にさえ一歩を譲らねばならん位です。支那人がむかしから料理の事を大切にした証拠は周の世に食医疾医しついというものがあって食医の官は疾医の上におりました。食医とは毎日の食物を研究する医者で大層に尊敬せられたものと見えます。なるほど人間は滅多めったに病気にはかかりません。強壮な人は生涯薬を飲まないでも済みます。しかるに食物は一日もなかるべからず、毎日食物の影響を身体に受けていますから疾医より食医がたっとまれたのは無理でありません。食医が段々進歩したら大概な病気は未前みぜんに防ぐ事も出来ましょう。疾医が段々ひまになって食医がひとり繁昌するようにならなければいけません。遠い昔の支那ですらその通り、西洋でも近頃は薬物療法より食物療法に重きを置いて既に食物療法専門の病院も出来ておるそうです。独逸どいつの有名なるベーリング氏は本年九月の万有学会で結核病の発生に関する研究報告を致しましたが肺結核発生の本元即ち素因そいんは乳児の乳汁にありといわれました。ことに結核菌を有する牛乳を小児に飲ましむるは最も危険なりと主唱しました。その証例に牛乳のみを以て小児を養育する地方の小児死亡数は母乳のみを以て養育する地方の死亡数より五十倍多いという事をげてあります。即ち一方が一人死ぬ時は一方が五十人死ぬ割合です。それからモー一つの発明として結核菌の経路は呼吸器に非ず腸なりと言われました。即ち今までの学説で呼吸器から肺病の細菌を吸い込むと信じましたけれどもベーリング氏の研究ではその細菌が食物と共に一旦いったん腸へ附着して体中からだへ吸収せられるという事です。ベーリング氏の演説には他の大家の賛成もあって医学社会の大評判となりましたが我邦なぞも人が牛乳を飲み出してから結核病が多くなったのを思うと少々気味が悪いでありませんか。ここに至って益々食医の必要を感じます。もしも食医が常に検査して悪い牛乳を人に飲ませなかったらば肺病患者がたちまち減少して疾医の門前雀羅じゃくらを張るに至りましょう。牛乳ばかりでありません、何の病気も多くは口から入ります。口から入って後病気になって騒ぐよりは口へ入れない前に食物で予防する方がたしかでしょう。我邦は勿論食医と申す者もありませんし、文明流の医者先生すら多くは食物問題に対してはなはだ冷淡のように思います。イヤこの事は医者の力を待つべきものでありません。各人自ら食物問題を研究して衛生法にかなう食物を調理しなければなりますまい。モー一つ古人に対してずべき事があります。我邦でも以前は客に料理屋の物を出すと、今日は家内不手廻ふてまわりでよんどころなく他へ料理を申付けました。お気味がお悪うございましょうけれどもと断ったものです。しかるに今は手料理でございますからお口に合いますまいと断る。まるで反対です。味が悪くも手料理ほど客に対しての心尽しはありますまい。将来は誰でも食物問題を研究して手料理を客に出すような習慣に致したいものです」となおしきりに食物研究の人生に必要ある事を説けり。

第三百四十九 料理入費


 広海子爵は食物研究の必要を説きたる後「そこで今日の料理について一言を申上げなければなりません。今日の会費は二円と定めてありますがその二円をことごとく料理の材料に向けて其処そこにある通りのメニュー即ち献立表を作りました。第一がマルボントースといって牛のずいの料理、第二が仏蘭西豆ふらんすまめのスープ、第三が比目ひらめのパンデポーソンといって蒲鉾かまぼこのようなもの、第四がポーレーシューカナペールと申して鳥の肉の料理、第五がヒレビーフゴーダンといって牛肉のロース、第六がアスペーキゼリーといって鳥の寄物よせもの、第七がポンチシャンパンと申して酒を固めたもの、第八がアスペラガスのクリームソース、第九が七面鳥のロース、第十がサラダロアイヤル、第十一がカビネットプデン、第十二がアイスクリーム、と外にお菓子がレデーケーキにデザートに水菓子に珈琲こーひーとそれに卓上の花飾りまでを加えまして一人前一円八十九銭で出来ました。残りの十一銭を炭代に廻しても二円の原料を費せば何時いつでもこれだけの御馳走が出来ます。もしも料理屋へ御注文なすったら一人前に五、六円を払ってもあるいはこれほどに親切な料理は出来ないかもしれません。ここに原料買入の精密なる帳簿がありますからお望みのお方はよく御覧下さい。私の宅でこしらえたからこんなに安く出来たとかあるいは不足分を私から持出したろうと思召おぼしめしてはなりません。今日お頼み申した料理人諸氏が何よりの証拠です。今日以後何人なんぴとがかかる会合を催しても三十人で二円ずつを原料と炭代へお廻しになれば何時いつでも今日の通りなお料理を拵ると申しています。もっとも料理人の手当は別ですけれども原料は案外に安いものでありませんか。二円の原料で少し高過ぎるとお思いなさるなら一円ずつの原料にしても随分立派な御馳走が出来ます。あるいは五十銭の原料でも西洋料理一通りの献立が出来ます。今日の会合は食道楽会の発会ですから二円の原料で随分立派な御馳走を拵えましたが必ずしも世人せじんをしてこれにならわしめようとは申しません。あるいは原料一円の食道楽会を起すもよし、五十銭三十銭の会合を起すもよし、中には一層上等にして三円五円の会合をもよおす人も出来ましょう。今の世には歳の暮になると料理屋の二階で忘年会とかいうものを開いて酒を飲み芸者を揚げ狂歌乱舞顛倒淋漓てんとうりんり、野蛮人の状態をなしててんとしてじざるものが沢山あります。春になっても不規律な新年宴会が流行しますし、知名の紳士が海外へ往復するとおたがいに迷惑を感じながら時の流行はやりで料理屋楼上に送別会とか留別会とかを開きます。それほど無用の入費があるならば忘年会にも新年宴会にもあるいは送別留別懇親の宴会にも今日のような食道楽会を開く方がようございましょう。一面には食物問題の研究となり一面には家族的の交際となって何ほどの利益だか知れません。現に今日のごときも私方わたくしかた心持こころもちでは大原満君の送別会を兼ております。私は大原君の健在ならん事を祈ると同時に大原君が家庭教育取調とりしらべの任をおわって海外から御帰朝なさる時分には我邦の社会にもまた野蛮的の飲酒会さけのみかい淫猥いんわいなる宴会のあとを絶って今日の如き清潔なる食道楽会が全国各地に勃興ぼっこうしつつあらん事を希望致します」

第三百五十 骨の髄


 主人公が開会の辞終りて会衆は各々設けの席に着きぬ。中に最もよろこがおなるは先に中川と争いし近視眼の若紳士なり。右の隣席に当家の姫君玉江嬢あり、今日こそ西洋の交際法にならいて婦人のために食事の世話をなし、運好くば姫君の選びに預からんとひそかに機会を待っている。第一に出で来れるは皿に盛りたるマルボントース、若紳士はここなりと頼まれもせぬに塩壺を取り「サア玉江さん、塩は如何いかがです、薬味やくみも取って差上げましょうか。オヤ薬味壺が出ていない。オイ中川君中川君、見渡す処この卓上に薬味壺が出ていない。ウシターソースは何処どこにある、もしや御失念になったのではあるまいか」としきりにキョロキョロ見廻している。中川打笑うちわらい「イヤ、こういう御馳走に薬味壺は出さんよ。ウシターソースをかけなければ食べられんようなお料理はないから安心し給え」と説明されて若紳士おおい手持無沙汰てもちぶさたなり。玉江嬢も余計なお世話と言わぬばかり「塩味もちょうど好くなっております」とひそかに隣人の軽挙を笑う。彼方かなたの席には小山の妻君がお登和嬢と並びし事とて一々料理の説明を聞き「お登和さん、このマルボントースはやわらかで結構ですがどうしてこしらえます」お登和嬢「これはスープを拵えます時その中へ牛のすねの骨を人数だけ入て一時間煮て出します。そのずいはしで突出して塩胡椒を加えてトースパンへせましたのです。時によって骨ごと布巾ふきんつつんでお客に出す事もあります」小山の妻君「私はスープが一番先へ出る者と思いましたがスープの前にこういうものが出ますかね。オヤ今度はスープが参りましたよ、仏蘭西豆ふらんすまめのスープですね。これはどうしてあります」お登和嬢「これは牛の脛から取りましたので、スープにはほふりたての新しい肉がいいのです。古くなるほどエキス分が肉に分解されますからスープに出しません。先ず牛の脛の新しいのを六きんだけ骨ともに塩と胡椒を加えて玉葱たまねぎ人参にんじんセロリーを混ぜて三升の水で四時間煮ます。例の通り浮いて来るアクを取りながら弱い火で煮まして、別に仏蘭西豆の鑵詰かんづめ五つほどをつゆともに裏漉うらごしに致します。それから深いソース鍋へバターを大匙二杯溶かしてコルンスタッチ大匙二杯をげないようにザットいためて今のスープをしてその上へ豆の裏漉を混ぜて塩胡椒で味をよく付けてまた一時間ほど弱い火にかけておきます。それをんな一緒に漉して深い鍋に入れて牛乳を四合加えて少し温めて出しましたのが三十人前のスープです。中の実がコロトンと申してパンのサイの目を揚げたものです。このスープも上等にしますと牛乳を三合にしてフレッシバターを半斤入れてクリームを一合泡立てて加えますとなお味がよくなります。オヤ今度はお魚のバンデポーソンが参りました。これは先ず西洋風の蒲鉾かまぼこかハンペンのようなもので比目ひらめの身が二百目あるならばそれをって裏漉しにしてバターを大匙一杯玉子の黄身一つと塩胡椒とを入れてよく煉ります。それへ牛乳を五しゃくクリーム五勺と西洋松露しょうろ少しとセリー酒を大匙二杯加えてまたよく煉って型へ入れますが型がなければ茶筒のふたでも何でも出来ます。それを本式にすればテンパンへ湯を入れてその中へ置いてテンピの中で三十五分ほど蒸焼きにします。略式にしてお湯で蒸しても構いません」妻君「二百目で何人前出来ます」お登和嬢「十五人前出来ます」妻君「かけてあるソースは」お登和嬢「ソースはノルマンデと申して白ソースの中へ小海老の湯煮ゆでたのや西洋きのこに仏蘭西豆に西洋松露を混ぜたものです」と食べながらの講釈もまたいそがしし。

第三百五十一 牛肉の食頃たべごろ


 その次にでたるは先に中川が説明せる鳥のシューカナペールなり。それに続いてヒレ肉のロースが出で来る。中川の隣席に坐せる猟天狗先生しきり賞翫しょうがんし「中川さん、このヒレ肉は特別に味があって今までこんな美味おいしいヒレ肉を食べた事がありません。これも一つは料理方によりましょうが全く例の食べ頃という事がありましょうね」中川「あります、牛肉の食べ頃は場所によって違いまた料理によって違います。全体なら牛肉屋の方で責任を以て食べ頃の肉を売らなければなりません。ビフテキにするとかロースにするとかいえばその食べ頃になった肉を持って来なければなりませんけれども我邦わがくにの牛肉屋は今日ほふったものをその日に売出す事もある位ですから買う人の方で肉をゆるめる必要が起ります。それも夏と冬とは大層な相違で夏は早く腐りますから素人しろうとの家へ長く置けませんけれども冬は素人の家で自分の好き自由に弛められます。牛肉の中でも新しいほど好いのはスープにするすねの肉ばかりで、その外は何にするのでも冬なら二、三日以上置かなければなりません。その中でヒレ肉は屠ってから四日目か五日目が食べ頃です。ロースにビフテキのランや崩し肉のベイン、ショーランドなどは一週間目位でないと味が出ません。モット美味く食べようとするには大片おおきれを十日ほど置きますけれどもそれは素人に保存法が面倒ですから先ず一週間位としておきましょう」猟天狗「シチューやボイルドにするのはモット早くってもいいでしょうね」中川「そうです、長く煮るものは煮るために弛みますから二、三日目位で使っても構いません」猟天狗「カツレツにするのは」中川「やはり一週間目です」猟天狗「臓物ぞうもつ料理といって脳味噌や肝臓を使いますがあれも二、三日置かなければなりませんか」中川「イイエイイエ、臓物はく新しいほどいいのです。決して古いものを食べてはいけません。臓物はゆるめる必要がない上に早く腐敗しますから少しでも古いと思ったら食べるものでありません。脳味噌でも胃でも心臓でも肝臓でも腎臓でも何でも新鮮なのに限ります」猟天狗「牛肉を一週間も置くにはどうします」中川「先ず大片のまま買わなければいけません。薄く切ったのは長く置けません。二斤か三斤の大片を二、三日で使うならば皿へ載せて涼しい処へ置いてもようございますがモット長く置くには涼しい処へるします。風の当る処は肉が乾燥しますから料理の時に削り取らなければなりません。なるたけ風に当てないようなすずしい処がいいのです。西洋人の家には肉を入れる戸棚が出来ています。新しい肉と古い肉とを一緒に置いてはいけません。一方が腐り始めるとぐ一方の新しい方へ伝染します。牛肉ばかりでありません。何でも食物の保存法は台所に大切な問題で浅草海苔を箱から出して二、三日置けばベトベトに湿ります。それは誰でも御存知ですけれども牛肉の保存法には無頓着むとんちゃくな人が多い。これというのが浅草海苔はむかしから使って知っているが牛肉はまだ経験が少ないためでしょう。浅草海苔も台処へ投げ出しておけないと同様に牛肉も適当の保存法を加えなければなりません。今申したのは冬の寒い時の事で春や秋の暖い時分にはそれに準じて食べ頃の期日を短縮しなければなりません。また暖国と寒国でもその工合を斟酌しんしゃくしなければなりません」

第三百五十二 豚とこうし


 猟天狗「牛肉の事はそれでよく解りました。豚なんぞはどういうものでしょう」中川「豚は牛肉よりも早く腐りますから概して食べ頃が短い方です。しかし東京辺で売るような大きな豚の肉は冬の寒い時で五日以上置かなければなりません。もっともそれはロースなぞの事で煮るものはモット早くしても構いません。屠殺とさつしてから二、三日目にはモー使ってもようございます。長崎辺で使うような小豚は二日目から三日位が食べ頃ですし去勢した豚は二日目が食べ頃です。全体東京辺では豚の使い方に無頓着むとんちゃくで、売る者も買う人もただ豚の肉といって通していますけれども牛にも大牛と犢と牝牛の区別があるように豚にも大豚の肉と小豚の肉と去勢豚の肉と区別して使わなければなりません。その肉のうちにもロースがあり三枚肉があり腿肉ももにくがあります。ただ豚の肉といっては食べ頃も使い道も分りません。牛肉もその通りで素人しろうとはよく牛の肉のく上等をくれろと牛屋へ買いに行きますがサラエンロースも上等ですしヒレ肉も上等ですし、スタンデンドブーフは一番上等です。しかるにスタンデンドブーフなんぞはこわい肉でゆるめ方を知らずに使ったら腿や腰の中肉に劣ります。ヒレが良いといってもほふりたてのヒレをぐ料理したら美味おいしい味がありません。といって古い肉を買って来て四日も五日も置いたらたちまち腐ってしまいます。食べ頃の幾日いくにち目というのは屠った日より勘定するので買った日でありませんから間違ってはなりません。少し慣れると新しい肉と古い肉とは一見して解りますが慣れない人は肉を買う時これは屠ってから幾日目になると牛肉屋に聞かなければなりません。横浜で西洋人に売込む牛肉屋なぞは黙っていても新らしい肉を持って行きません。食べ頃にならない肉を持って行けば忽ちお得意を失います。その代り買う方でもロースをくれとかビフテキをくれとか肉の名を指して注文します。東京辺ではまだ買う方も売る方も曖昧あいまいとしていて折角せっかくい味を持っている肉も不適当の料理にされています。何でも肉の使い道と食べ頃とを覚えなければ料理の功能がありません」猟天狗「なるほどね、我々なぞもきじを撃つには何号弾を用いるとか舞い立ちはどうとか飛切とびきりはこうとかそういう区別はあくまでも研究しながら今まで雉の食べ方を研究しなかったようなものです。そこでこうしなんぞはどういうものでしょう」中川「犢は大牛よりもズット早く腐ります。食べ頃の日数は大牛の半分と見ていいので大牛の肉を六日目に食べる時分なら犢の肉は三日目が食べ頃になります」猟天狗「近頃は羊の肉も流行しますが羊はどういうものでしょう」中川「羊は一番腐りの遅いもので冬は一週間から十日位が食べ頃です。もっともシチューなぞにはモット早く用いて構いませんけれどもチャッブやロースにするのは一週間以上の処ですね」猟天狗「羊には大層美味おいしい肉を買い当てる時と大層不味まずくって臭い匂いのあるのがあります。あれはどういう次第でしょう」中川「それは野羊やぎの肉を混ぜるからです。羊も支那から来るのが一番上等で肉の味も結構です」猟天狗「ところでこのヒレビーフゴーダンはどういう風なお料理ですか」中川「少しお待ち下さい。饒舌しゃべってばかりいると御馳走を食べる事が出来ません」とナイフをりて皿に向いぬ。
○牛肉の弛ませ方は牛肉屋に吊しある大肉と小売にしたる小片とは時日に非常の相違あり。なるべくは牛肉屋にて大肉のまま弛ませたるものを良しとす。

第三百五十三 ヒレの焼方


 中川は一皿をきっしおわりて再び説明を始めたり。「このヒレ肉は三十人前に牛一頭振とうぶり即ち七きんほどを用いてあります。ヒレ肉は左右に二本あって一本が大概三斤半位です。その肉の周囲まわりには筋やあぶらがありますから丁寧ていねいに切捨てて正身しょうみばかりにします。その正身へ五寸おき位にナイフの先で切口を付けて豚の脂肉あぶらみの細く切ったのを一々刺し込んでありますがこれは略式にすると脂身一枚を肉の上へ載せて落ちないように糸でくくっても構いません。この肉をテンパンへ入れて塩胡椒を振かけて肉の周囲に玉葱たまねぎ人参にんじんセロリーとルリーの葉の細かく刻んだのを置きます。肉の上へは大匙一杯の西洋酢をかけて大匙二杯のバターを載せてテンピへ入れますが、五分間ごとに抽出ひきだしてテンパンの中のジュースを肉の上へかけなければなりません。火は強い方でテンピなら二十五分間ストーブなら二十分間位焼きます。出来た時肉を大皿へ盛って今のテンパンにある汁はそのまま火の上へ置いてセリー酒大匙二杯にスープ大匙三杯を加えて塩胡椒で味をつけて一旦いったんします。それを今の肉へかけて附合せには別に湯煮ゆでたジャガ芋や人参の小さく繰り抜いたものと西洋きのこ仏蘭西豆ふらんすまめと西洋松露しょうろなぞを一旦バターでいためて肉の周囲へ綺麗きれいに並べます。これも略せば肉のジュースをそのままかけてもよし、モット上等にすれば野菜の附合せ物をフレッシバターで充分によく味つけておきます」猟天狗「よく料理の中にフレッシバターやフレッシクリームという事がありますがどうしてこしらえます」中川「それは別段にむずかしい事でありません。先ず今朝しぼった一升の牛乳をなるべく浅い広い鉢へ入れて一日かあるいは一昼夜も涼しい処へ置くとクリーム即ち乳皮にゅうひというものが上へ浮いてかたまります。ちょうど固い甘酒のようなものです。それを小孔こあないている杓子しゃくしすくい取って暫く水気をらしているとクリームばかり残ります。こうして一旦クリームを取って残った乳をそのまま半日ほど置くと、第二の乳皮が浮きますから今のように再び掬い取ります。こうして取ったのが即ちフレッシクリームでオートミルや外のマッシへかけて砂糖を混ぜて食べると非常に美味おいしいものです。きたての御飯へ砂糖とクリームをかけても結構で西洋人が大層好きます。クリームを食べ慣れると牛乳は水っぽくって食べられません。しかし牛乳の脂肪分ですから沢山食べ過ぎると腹に持ちます。このフレッシクリームを半日ほど水へ冷しておいて玉子廻しで十五分間も泡立てるとやはり玉子のように雪が出来ます。それを料理に使ったり菓子に使ったりしますが一旦泡立てたものをそのまま構わず、四十分間も泡立てていると今度はその泡が消えて段々固く凝結かたまって水分と別れて来ます。これが即ちフレッシバターでんの造作がありません。クリームを泡立てる時ちょうどいい処で止めないとバターになって困る事があります。しかしバターを取るにはモー一日位置いてからの方がよいので、今朝の乳なら明日の朝クリームに取り、明後日あさっての朝バターに取るとします。このバターをパンへつけて食べるとそれこそ頬の落ちるほど美味うございます。クリームは菓物くだものの煮たのや林檎りんごの焼いたのへかけても結構ですし、いちごなぞを食べるにはクリームに限ります。それを泡立てて菓子に使う時は純粋のクリームでないと泡立ちません。少しでも水気が混ってはならず、淡過うすすぎてもならず、また牛乳から掬い取ったばかりでは泡立ちません。水へ冷して三、四時間置かなければなりません。クリームは塩気と油気を嫌いますから泡立てる時少しでも塩気と油気の器についていないものを択ばなければなりません。砂糖を混ぜるには先ずクリームを五分間も泡立ておいてそれから砂糖を加えてまたよく泡立ます。悪い牛乳屋から持て来た下等のクリームは何ほど廻しても泡立ちません」
○牛乳より急ぎてクリームを取らんとする時は鍋に入れ弱き火にて一時間ほど湯煎にして本文の如く掬い取るべし。しかし味は本式の品に劣る。

第三百五十四 牛乳の良否


 猟天狗先生再び質問を始め「クリームやバターを取るには牛乳の良否で違いましょうね」中川「勿論もちろん大層な相違です。脂肪量の多い牛乳はびんへ入れたまま三時間も置くとクリームが口の処へかたまって壜をさかさにしても牛乳が流れ出ません。そういう牛乳からですと一升に一合二しゃく位のクリームが取れます。バターにすると一斤の三分一位取れます。悪い牛乳ですと一升からクリームが七、八しゃくより取れません。上等の牛乳は乾燥食料で養った牛に限りますがそれから取ったクリームは色が白く出来ます。青草などを与えた牛の乳から取るとクリームの色が黄みを帯びます。我邦わがくにでは牛乳屋が衛生思想のないために春から夏へかけると無闇むやみに牛へ青草を与えます。春から夏のクリームが黄色を帯びるのはそれがためですけれどもこういう牛乳を小児に与えるのははなはだ危険で、小児はそれがために胃腸を害して下痢げりを起します。小児がいわれなくして下痢を起したら必ず牛乳をあらためて御覧なさい。牛乳の色が幾分いくぶんか青みを帯びて質がうすくって生のまま舌であじわうと渋味を強く感じるのは青草を多く与えたのです。独逸どいつなぞでは乾燥食料の牛乳で厳重に殺菌したものでなければ決して小児に与えません。その点は厳重なものです。先ほども広海子爵の御演説中にベーリング氏の牛乳論がありましたが小児に牛乳を飲ましめるは非常の注意を要します。我邦のように公徳心の乏しい世の中ではなおさら危険千万でありませんか。外の食料品も勿論ですけれどもことに牛乳はよほど厳重に検査をして用いなければなりません。衛生思想の進んだ独逸なぞでは商人が信用を重んじて自分の方で悪い牛乳を売りません。有名なるボルレーの牛乳店なぞでは大器械を以て一々厳重に殺菌したものでなければ決して配達しないそうです。十五日間は決して腐敗せぬという保険付だそうです。その店の牛乳には色々の区別があって上等というのは乾燥食料を与え毎日平野に一定の運動をなさしめ獣医をして毎週一回牛の健康診断を行わしむるものとしてあります。我邦の牛乳屋に自分から獣医をして毎週一回牛の健康診断を行わしめるものがありましょうか。政府の検査をさえ避けたがるような牛乳屋にどうして良質の牛乳がありましょう。実に独逸国の有様ありさまうらやましいといわねばなりません。毎日平野に一定の運動をなさしめるという箇条かじょうが特に出してあるのは牛乳の質に大関係を及ぼす事で、既に本年の夏やんごとなき宮様方が箱根のみやしたへ成らせられた節に乳牛を二頭東京から宮の下へ連れて行って当座の事だから狭い牛小屋へつないでありました。しかるに医官方が毎日乳を検査せられると質が段々悪くなり乳の出る分量もすくないからその原因を調べてみたら全く運動不足の結果だそうです。これは牛ばかりでありません、小児に乳を飲ませる母親も美味美食にきたからといって良い乳が出る訳でない。毎日一定の運動をしてその滋養分を消化吸収しなければ何の役に立ちません。イヤ母親ばかりでなく誰でもその通り滋養物を口へばかり入れても運動が不足しては体中へ吸収されません。ここにおらるる食道楽会の諸君にお注意申すのはどうぞ今日の御馳走を口へばかり入れずに体中へお入れ下さい。第一の口よりも第二の口へ沢山吸収して戴きたい」と時に取ってのたわむごと
○牛乳を沸騰せしめてクリームの外に黄色の油が浮き出ずるは運動不足の牛より搾れるものにて小児等に飲ましむべからず。
○小児に乳を飲ましめる母親が運動不足する時は乳の質悪くなりて多くは小児の便秘を起すものなり。

第三百五十五 牛乳の相場


 この一言に坐客ざかくきょうもよおし「賛成賛成、我々も以来は第一の口でばかり御馳走を食べずに第二の口から吸収するように致しましょう。しかし中川さん、クリームやバターを一升の牛乳から一合位取るのでは随分高いものになります。一合が四銭としても一升四十銭、四十銭の牛乳を毎日のように使ってはなかなか入費がかかります。何とか工風くふうがないものでしょうか」というものあり。中川「それも一つの問題で我邦わがくには牛乳の相場が非常に高いのです。独逸どいつでは今のようにした上等の牛乳でさえ一リートル即ち五合五しゃくが我が二十五銭に当りますから一升一合で五十銭、一升で四十五銭余です。その次がやはり乾燥食料を与えて毎月一回獣医の診断を受けしめるものとしてあって一リートル二十銭即ち一升が三十六銭余です。この二種を小児養育料ととなえてこれより悪いのは小児に与えません。ところで第三等の牛乳は少くとも毎三か月一回獣医に診断せしむるものにて脂肪量少くとも百分の三以上を要すとしてありますからちょうど我邦現在の牛乳に相当していましょう。我邦の悪い牛乳は脂肪が百分の三以下で自分から獣医に診断させる事もありませんが先ずこの辺の処を比較してみるのに、独逸では一リートル九銭即ち一升が十六銭余一合が一銭六厘余の割合です。ナント安いものでありませんか。なおその下に脂肪量の少い牛乳で一升九銭の分と一升七銭と五等までにわかってあります。それで客が突然牛乳を持って来て分析試験を請求すれば何時なんどきでも無代で分析試験に応ずる事になっていますから決して不正な事は出来ません。独逸と我邦とは事情も違いますけれどもモー一層牛乳屋が勉強して牛乳の販売商を増加したらば今より廉価れんかに牛乳を売る事が出来ましょう。現に此方こちらの広海さんでは懇意な牛乳屋に特約なすって飲料にする牛乳はろし相場即ち一升二十五銭でお買入れになりますし、クリームやバターをお取りなさるのは一日の余り物をお買入れなってそれよりも非常にお安いそうです。牛乳屋では余り物が出来るために高く売らなければならんので、毎日余ったものが残らず売れさえすれば背負い込むうれいがありません。その代り一升余れば一升持って来る。二升余れば二升持って来ると先方の随意に任せてありますけれども世間多数の人が家でクリームやバターを製して毎日一升も二升も使うようになれば牛乳の代価もズット減じるでしょう。牛乳の良否よしあしと代価の高下こうげは国家問題です。もしもベーリング氏の説の通りに結核病の素因そいんが牛乳にありとすれば我邦の如き衛生思想の乏しい社会では政府が自ら牛乳搾取業を始めて純良牛乳ばかりを世人せじんに安く供給することあだかも痘苗とうびょう血清けっせいの如くしなければなりますまい。煙草たばこを官業にするのしないのと騒いでいますけれども国家的の衛生問題から申したら煙草よりも牛乳の供給を官業にしてもらいたい。国内に結核病者ばかり沢山えたら一国の損失は非常のものでしょう。それを考えたらむしろ国費を以て良乳を廉価に供給すべしとこう申した処が到底行われませんけれども政府の当局者はその位な意気組いきぐみを以て牛乳事業を監督してもらいたいものです」とあいも変らぬ長談義ながだんぎの中に前なる皿はいつの間にか新しき品とかわれり。

第三百五十六 琴一曲


 新しき品はアスペーキゼリーの鳥料理、それに続いてシャンパンのポンチもでたり。アスペラガスへクリームソースをかけたるものも出でたり。クリームソースとは白ソースにフレッシクリームを混ぜたるもの、ここにおいて衆客しゅうかくは中川に聞きたるクリームの真味を賞しぬ。野菜料理の次が七面鳥のロースなり。製法は外の肉の上等ロースに同じけれども前胃に豚とこうしの砕き肉を詰めたるは一段の味を添えぬ。続いて出でたるサラダロアイヤルは林檎りんごとセロリーの細かく切りたるを上等のマイナイスソースにてえたるもの。アイスクリームはパインナプルの味を含み、レデーケーキは先に衆客が目撃せし所。外にデザートの干菓子ひがしあり林檎に柿の果物あり。珈琲こーひーはモカの上等を用い、一品一物なこれ卓上の珍ならざるはなし。食事おわりて会衆が暫く休息せし後主人の広海子爵は当日の余興にとて姫君の玉江嬢に琴一曲を弾ぜしめたり。妙音清調会衆はな天国に遊びし心地ここちせしが主人公もまた多年のたしなみとて観世流の謡曲羽衣はごろもうたい出しぬ。客の中には覚えず声に和して手拍子を取るもあり。子爵は元来声自慢、一揚一抑いちよういちよく法にかないて四壁に透徹するばかりなるが漁夫と天人の問答に至りて一段と力をめ「この衣を返しなば舞曲ぶきょくをなさでそのままに天にや上り給うべき」「イヤ疑いは人間にあり、天にいつわりなきものを」と謡い半ばにハタと声をとどめ「諸君、我輩が平生へいぜい羽衣の曲を愛するのはこの一句にあります。イヤ疑いは人間にあり、天にいつわりなきものをと。この句ほど高遠雄大にして光風霽月せいげつの如きものが滅多めったにありましょうか。日本の文学はさておき世界中の美文をあつめてもこの上に出ずる句はありますまい。これこそ実に世界的の美文で天下万世ばんせいに誇るべきものです。人の心は誰もかくこそありたけれ。大原君が海外へおもむいて外国人に接する時は常にこの句を以て日本人の精神となし給え。イヤ疑いは人にあり我れに偽りなきものをと、その心を以て世に立たば何人も間違いはありません。食道楽会の精神も其処そこにあります。衛生法にかないたる食物を以て身体を養えば心も自ら高遠雄大になりましょう。食物はひとり身を養うばかりでなく、心もまた食物で養われます」と興に乗じてうたた感慨を説く。座中の一客感歎し「いかにも主人公のお説の通り、我々のもよおしたる食道楽会は単に人の口腹こうふくよろこばしめるためではなく、これにって人の脳髄精神をも高潔正大になさしめる会合です。食物が人の体中に消化吸収せられなければ人の脳髄も養分を取る事が出来ません。しかるにこの消化吸収という事が一問題で、同じように料理した食物をきっしても人の体質や境遇によっておおいに吸収消化の度をことにしましょうが平生どういう風に心掛けたらいいでしょうか。即ち食道楽会の大眼目とする事がありましょう。これは食物問題の根本ですから是非ぜひ一つ中川君の御説明をうかがいたい」とまたしても中川の長広舌ちょうこうぜつうながす。
第三百五十六 琴一曲の挿画

第三百五十七 程と加減


 ここに至りて中川は再び例の長広舌をふるい始めたり「そのお尋ねがなくとも私は一度諸君に食道楽の本領即ち食物問題の大眼目となるべき心得方をお話し申したいと存じていました。食物の事を一々別々に説明しては際限もありませんがただ一つ何の場合にも応用の出来る心得方はほど加減かげんを知るという事です。大食に過ぎてもならず、少食に過ぎてもならず、肉食にへんしてもならず、菜食に偏してもならず、何事にも一番大切なのが程と加減を悟るので、これはコンモンセンス即ち常識のある人が注意して物を考えれば誰にでも自然と解ります。人の心にこの二、三日腹工合はらぐあいが悪いが少し肉類を食べ過ぎたように思われるとかあるいは食物に不都合はないけれども運動に不足したらしいとか大概は察しられます。もしや自分で察し得られんでもほかの人が平生へいぜい程と加減に注意しているとその過不及かふきゅうも自然と解るもので、妻君が家の旦那は甘い物ばかりこの頃沢山召上るけれどもチト甘味が過ぎはしないかと気の付く時は必ず良人おっとが一時性の糖尿病を起す時です。何ぼ肉類が良いといってもそんなに沢山召上てはお毒になりませんかと外の人に忠告される時は必ず食物の偏頗へんぱを招いているのです。食物は消化吸収の良いものに限るといって三度三度柔い物ばかり食べていると胃の機械的作用が弱って来てお香物こうのものとお茶漬けが欲しくなる。その時は必らずお香物やお茶漬けの分子に欠乏しているのです。お茶漬けサラサラと一口にいう位で胃中に粘着性ねばりけの多い時はお茶漬けでサラサラと胃を洗いますから大層心持も良し、消化吸収が良くなる事もあります。といって坐職の人や脳を使う人が毎日お茶漬飯を食べると運動不足のために不消化を起しますから何でも人の境遇によってその程と加減を違えなければなりません。つまり自分の心で自分の身に適した程と加減を考えるのが一番確かです。それからまた何ほど食物ばかり吟味しても戸外運動が不足したら消化吸収の力がありません。これは諸君もよく御承知でしょうけれどもその運動にも程と加減があって食後ただちに激烈な運動をすると非常に胃を害します。そういう時には腹が突張って痛くなりますから自分でも直ぐに分ります。あるいは運動に過ぎて心身を疲労させると消化吸収の力は非常に衰えます。昔しの早飛脚が着いた時に先ずおかゆを与えなければならん。急に御飯を食べさせると死ぬと言伝いいつたえたのは疲労した人に不消化物を与えるなといったいましめです。運動の不足は最も人の身体からだに禁物ですが運動の過度もやはり禁物で、運動にも程と加減があります。人の身体に食物の良く消化吸収されるのは何事も程と加減に合った時です。衛生上の原則や生理上の原則を誰でも一々記憶きおくする[#「記憶する」は底本では「記臆する」]訳になりますまいから食物問題に対しては程と加減が一番大切だと心得ていらっしゃい。そうすれば自然と衛生法にかないます」と最も解りやすき戒めなり。聴く人皆な感心し「なるほどお説の通り程や加減を知るのが食物問題の大眼目に違いありません。しかしこれは食物問題のみならず天下の事何者かその戒めにそむきましょうぞ。私は今のお言葉を百事に応用してこれから生涯守りましょう」と深く中川の言に服するものあり。中川がかくまで人に重んぜらるるを見て最前の若紳士たちましゃくに触りけん「オイ中川君」と何か挑むような口気こうきにて呼かけたり。

第三百五十八 心の愉快


 若紳士は何かにつけて中川を突込つっこまんと「中川君、君の話しは大層上手だがいわゆる八方美人主義で一向要領を得ない。程や加減が誰にでも悟り得られれば君のお談義を聞くに及ばんがそれを悟るのがむずかしいから困難する。それよりも万人が万人ぐ行えるような心得を聞きたいね。誰にでも同じように実行の出来る訓言があるならばその方を伺いたいね。エ、中川君。モー一層実際的の心得はないかね」と妙に人を嘲弄ちょうろうするような口気こうきあり。中川は少しも驚かず「アハハ、程や加減では君に解らんかね。僕はコンモンセンス即ち常識のある人なら大概解ると思ったがあるいは君のように解らん人が出来るかもしれない。それならば御注文通り万人が万人すぐに行える心得を言って聞かせよう。それは外でもない。消化吸収の力は最も多く人の精神作用に支配せられるから人は何時いつでも我が心を愉快に持っていなければならんという事だ。何ほど腹が減っていても食事に対する時我が心に外の事の心配があっては食物の味も解らず、食べた物が消化しない。たとい心配でなくとも食物に対する時外の事を考ていてはならん、心を外へ向けるとそれだけ消化力を失う訳だ。よく昔の人は食物に頓着とんちゃくしないという事を英雄豪傑の外見みえにした。食物の味はどうであろうともそんな小さな事をかれこれ言わん。自分の頭にはモット大きな問題があるぞと言わぬばかりに食物問題を軽蔑けいべつしたものだ。なるほどそれが英雄豪傑かもしれんが食物の味が解らんような英傑は自分の身を重んずる事を知らんから決して大事業を成し遂げられない。これは大きな間違いだろうと思うね。食物に対した時は外の事を考えないで食物の味を賞翫しょうがんする事の出来る人がその心に綽々しゃくしゃくたる余裕もあるので真の英雄豪傑と言うべきだ。心配が胸につかえて食物の味が解らんような豪傑は一向ありがたくない。今の人たちにも食物に無頓着むとんちゃくな事を自慢する者があるけれども僕には一向訳が分らんよ。誰でも食物に対する時は外の方へ心を向けずに食物の味を賞翫しなければならん。それが消化吸収の力を養うべき第一の根本だね。もっともその事は食物に向った時ばかりでない。人は平生へいぜい愉快の心を持っているほど胃腸の働きがさかんになる。それに反して一年中心配ばかりしているとそれがために胃腸の働きが弱くなる。或る医者が我国のお嫁さんの病気は大概胃腸病に原因する、それはお嫁さんの境遇が余計な心配を忍ぶからだろうといったが一理ある言葉だと思う。我国の人は平生へいぜい心を不愉快に持つ癖がある。それも一つは文学のへいで我国の文学は病的文学と称すべきものだ。何でも世中よのなかを悲観的に観察して愚痴ぐちや不平ばかり並べている。ことに風流に関するほど一層の悲観的になる。月をて悲しむ、秋に逢って悲しむ、虫の声を聴いて悲しむ、何を見てもただ無闇むやみに悲しむのが風流の癖だ。あれでは胃と腸がさぞ悪くなるだろう。今の文学者の言論文章を読んでも多くは不平怨嗟えんさの声だ。ヒステリー患者のよまいごとに似ていて不平や怨嗟の声を発するのが文学者の本領と心得ている。御当人は仕方がないとしても社会の人がそれを読んでその不平や悲みに伝染するから困る。伝染の極端が華厳けごんたき飛込とびこむという事になるからいよいよ困る。そういう有様ありさまでは無病の人までが段々消化吸収の力を弱くするようなものだ。これはず今の病的文学を改良しなければならんが世を文明に進めんと欲すれば誰でも人は平生愉快の心を持っていなければならん。ことに食事の時は愉快の心を以て食物を味わねばならん。これが食物に関して誰にでも応用の出来る心得だ」と再度の説明に席客ざかく[#「席客は」はママ]いよいよ感服する。若紳士ひとり苦い顔して「それはなお無理だ」と叫び出したり。

第三百五十九 我が覚悟


 若紳士は中川を説破せんとて一生懸命なり「中川君、人の心の愉快と不愉快とはその境遇にあるさ。不愉快の境遇にある人へ心を愉快に持てといっても無理でないか」中川「イヤ、そうでない。人の心の愉快と不愉快とはその境遇よりもむしろその覚悟にある。勿論もちろん境遇に幸不幸の区別がないとはいわんが大概な人はその覚悟によって心を愉快に持てると思う。先ず手近い話しが人は誰でも自分の職業を神聖として楽しまねばならん。職業に高下貴賤こうげきせんの別はない。労動力役りょくえきといえども神聖なる職業だ。天下の人がな各々自分の職業を楽しんで熱心に勉強したらば毎日その心も愉快でたされるだろう。しかるに今の世の人は自分の業務をさえ愉快に実行しない者もある。それが第一に人の心の愉快と不愉快の別れる処だ。僕が自分の事を例に出すのもおこがましいが僕なぞは文筆を以て社会を感化するのが何よりの楽みだね。実に人生無上むじょうの愉快だね。自分の業務を愉快に楽しんでいるから口広い事を言うようだけれども一年三百六十日一日として我が業務を怠った事がない。からすの鳴かぬ日はあっても僕が業務を休んだ日は一度もない。それも一年や二年の事でない。君らを始め世間の人が皆知っている通り僕が文筆に従事してより永年の間に自分の怠りで業務を休んだ事はいまだかつて一日もない。休むどころか愉快に駆られて毎日業務以外の仕事までをする。勿論これは人の道として当然の事だ。日に三度の食事をなすと同様に我が業務をつくさねばならんのが人たるの務めだ。しかるに世間には三度の食事を満足に食べていながら自分の業務を満足に尽さない人もある。それよりもはなはだしいのは自分の務めを満足に尽さないで他人の事をかれこれ批評したり社会に向って不平を唱えたりする人もある。それはチト得手勝手な不平であるまいか。自分が業務を尽さなければ社会から不平をいわれても仕方がない。それを自分の方から社会にむかって不平を言うとは実に乱暴千万だね。自分の業務をさえ尽し得られない人は他人の事を批評したり社会に不平を唱えたりする資格がないのだ。文明の世には言論よりも実行を貴ばねばならん。先ず自分から人たるのつとめを実行しておいて他人の事をも言ねばならん。実行の人は常に愉快の心をもっておられるが不実行の人は多く不平や怨嗟えんさの声を発するようだね。勿論もちろんいまの世に誰も不平を言うなとは申さん。或る場合には不平の力で社会を改良する事もあろうけれども無用の不平は愚痴ぐちおちいる。言わないでもいい事へ一々不平を言うのは愚痴だ。愚痴ほど人の心を不愉快にして消化吸収の力を害する者はない。僕はドウも今の人に平生愚痴の心が多過ぎると思う。たとえば海に臨んでヤレ波が高いのヤレ風が荒いのと歎きかなしむのは愚痴だ。何ほど愚痴をこぼしても愚痴の声で波や風はしずまらない。それよりもこの波をしのいで大海を渡るには千とんの船を造らねばならん。イヤ千噸ではまだ小さい。一万噸二万噸の船を造ろうとこういう風に心掛けたらついには波や風を何とも思わなくなる。人もその通り我が体力心力のすくない時はちょうど船の噸数が寡いと同様で社会の風波をしのぐのに困難する。我が体力と心力とを増加して一万噸二万噸の大きさにすれば激浪怒濤げきろうどとうの中を平気で乗り廻わせる。世間には往々我が噸数の過少なるをかえりみないでいたずらに風浪の高きをうらむという人がないとも限らん。厭世主義えんせいしゅぎや悲観主義はそういう事からも起るのであるまいか。それが即ち愚痴というものだ。とにかく人は誰でもその体力と心力とを増加して一万噸にも二万噸にもするような心掛けでいなければならん。体力と心力とは何を以て増加する。即ち平生の食物にありだ。さればこそ人は一日も僕の主張する食道楽を忘れてはならん、アハハ」と何処どこまでも我田わがたへ水を引く。若紳士も最早もはや争う力なし。ひとり愉快に堪えざるは中川に心を寄する玉江嬢。

第三百六十 新結納しんゆいのう


 この夜食道楽会の会衆も散じて後小山夫婦に大原中川の兄妹は跡片附あとかたづけの手伝いにとて残りしが小山は折を見て中川を閑室かんしつへ招き「中川君、ちょいと少し相談がある。ほかでもない広海子爵は今日を吉日として万事の相談を遂げておきたいといわれるが、第一は兼て僕らの志願たる雑誌発行の一件だ。子爵が何程いくらでも資本を出すから世界人道のため来春を期して一大雑誌を起したらどうだとの事だ。無論君も同意だろうね」中川「勿論もちろんさ。僕は一日も早く世人をして幸福愉快なる心にならしめん事を望むね。今のような有様では折角せっかく食物衛生を天下にすすめても厭世観えんせいかんや悲哀観の流行するため人の元気沮喪そそうして食物を消化吸収するの力なく、その自体じたい中毒ちゅうどくで脳を刺撃するから人の神経が過敏症の病的となって不平怨嗟えんさ嫉妬しっと愚痴ぐちそんな事ばかり言って日を送る有様だ。僕は人道雑誌発行の一日もゆるがせにすべからざるを思うね」小山「大原君にも海外から家庭教育上の通信をしてもらえば好都合さ。それからモー一つはお登和さんを三年間ばかり洋行させたい。それも子爵が入費を出すから国家のために洋行させてはどうだといわれる。外の事情は問うに及ばん。子爵がお登和さんに洋行を依頼するから御本人さえ承諾したら君は異存を言われまいというわけだ」中川「ウム、それは当人の心は任せてもいいが急の事では少し困る」小山「イヤ事が決してさえいればそれでいい。モー一つは結婚問題、即ちこれは僕の方からねて子爵へ申出して承諾を得ている事だが、あの玉江嬢を君にもらってくれ給えというのだ。食道楽会を兼ねて婿むこを選定するのも今日の一度で沢山だそうだ。是非ぜひ一つ君に貰ってくれろと先方の望みだがどうだね」中川「よろしい、それも異存はないがしかし僕は兼ねて主張する一事件がある。即ち結婚前には双方の男女が信認すべき医士に身体検査をしてもらってその検査証を交換するのだ。今の世にはその慣例がないから不幸にして病的の人と結婚する危険がある。肺病は勿論だが最も社会に害毒を流すものは花柳病かりゅうびょうでそれがために病的の子孫を生ずるのは一家の大不幸だ。その外に恐るべき遺伝病と伝染病は沢山ある。僕は世人が結納を取交わせる代りに身体検査証を取かわせる事の最大急務なる事を信ずるね。僕も検査証を差上げるから玉江嬢からも検査証を貰いたい。しかしそれで事はまっても今は約束だけにとどめて結婚は先ず、二、三年の後だ。何となれば僕の方にもまだ人の良人おっととなり親となるべき準備がない。一の家庭を作るにはそれだけの資本を蓄えなければならん。借金をして女房を貰うような事ではとても家庭の幸福を受けられない。玉江嬢の方もまだ人の妻となるには早過ぎる。妻となればたちまち親となるべき覚悟がなければならん。妻となって家政を調理し、親となって子女を育するにはモー二、三年の修業を要する。僕の言う事はこれだけだ。子爵によろしく取次いでくれ給え」と中川の返答竹を割りたるごとし。小山はその事を子爵に伝え席を改めてなお将来の事を談じぬ。
 超えて数日大原は海外へ出発したり。中川と玉江嬢は楽しき月日のもとにあり。これより世間に流行するは衛生上より研究したる和洋料理の食道楽。
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付録



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病人の食物調理法


 およそ各種の病人に食物ほど大切な事はありません。一方に医者の薬を浴びるほど飲んでも一方で食物の注意を怠ればそれがためになおるべきやまいも急に癒らず、場合によると薬の効目ききめを打消して一層病を重くする事もあります。病気によっては薬を飲まないでも食物療法ばかりで癒る種類が沢山あります。如何いかなる病気も食物の影響をこうむらないものはありません。
 しかるに我邦わがくに有様ありさまは医師ですらまだ食物療法に注意する人がすくない位ですから素人しろうとの家では病人があると何でもおかゆ重湯おもゆを食べさせて滋養物には玉子と牛乳をそのまま与えるばかりのように思っています。玉子や牛乳は病人に悪い訳でありませんけれども毎日料理法を変えて行かなければ病人がきてしまいます。一月ひとつき二月ふたつきもお粥や牛乳ばかり飲まされては食慾が減じて身体からだに力が付きません。病人は普通の人よりも食慾がすくないからそれに与える食物は普通の人に与えるよりも一層美味おいしく料理しなければなりません。しかるに我邦の有様は病人の食物というと何でも味のない物ばかりです。病人こそ可哀想かあいそうでありませんか。
 病人の食物をえらぶ事は医師の指図を受けなければなりませんが択んだ食物を料理する方法は各人が自ら研究しなければなりません。同じ品物でも料理法次第で消化吸収が良くも悪くもなりますし、同じ料理でも味の良いのと悪いのとで病人の食べる分量に大差が出ます。一口に物がよく食べられる病人は大丈夫だという位で消化力の許す限り多くの滋養分を食べられれば病人が衰弱しません。ことに重い病気や激しい病気に堪えるのは多く食物の力です。
 病人に食物を与える目的も色々ありまして第一には胃腸病患者のように消化吸収の良いものを択ぶ事です。第二には病後の恢復期かいふくきや衰弱の予防のために滋養物を多く与える事です。第三には食物の成分を変化させて病気をなおす事です。たとえば糖尿病には糖分を禁じて肉食をすすめるとか腎臓病じんぞうびょうには肉食を禁じて菜食を勧めるとかいう場合です。第四には衰弱した諸機能を奮励せしめるために興奮性のスープや珈琲こーひーのようなものを用ゆる場合もあります。第五には産前産後のように乳へ影響する食物を択ばなければならん事もあります。産褥中さんじょくちゅうの母親が少しでも悪い物を食べると当人には何の影響がなくっても小児がたちま下痢げり便秘べんぴを起すようなものでよほど注意しなければなりません。
 それから同じ病気でも第一は年齢によって食物を斟酌しんしゃくしなければなりません。若い人は新陳代謝が活溌ですから消化力もさほどに衰えませんが老人は病気にかかると忽ち消化力が衰えますから消化の良いものを与えるのが必要です。第二は体力によって食物を加減しなければなりません。体力のさかんな人と弱い人では食物を消化吸収する力が大層違います。第三は体質によっても食物を斟酌しなければなりません。神経質の人と脂肪質の人とは同じ病気中でも食物の配合を少しずつ違えるのが必要です。第四は習慣によっても斟酌を加えなければなりません。平生へいぜい好きな物は少し位不消化物でも病人に何の害を与えない事もありますし、平生嫌いな物は消化を良く料理しても病人の胃に堪えられない事もあります。さてこう申すと大層むずかしくって容易に食物を定める事が出来ないようですけれどもこの道理を胸に入れて食道楽の本文にある通り程と加減に注意すれば大きな間違いも起りません。平生の食物にも程と加減が大切ですが病人の食物にはことに大切です。
 さて病人の食物といっても数限りもありませんがここへ出しておく料理は大概な病人に応用する事が出来ますから病人のある家では必ずお医者に相談してこの中のどれがいいかという事をお尋ねなさい。お医者や看護婦も平生この料理法を研究しておいて病家の人たちへすすめるようにしたら必ず病人の幸福になりましょう。
 
第一 重湯おもゆ
 今までは大病人に必ず重湯を飲ませました。重湯もこしらかた次第で滋養分が違います。上等にすると白米一合を洗って水五合を加えて弱火で気長に一時間半以上煮なければなりません。出来上ったら水嚢すいのうして塩を加えて病人に与えます。その濃さ加減は病人によって斟酌しんしゃくしなければなりません。
 
第二 チキンブローの重湯
 我邦わがくにの大病人はお米の重湯を食べますが西洋ではチキンブローの重湯を用います。チキンブローとは三百目位の雛鶏ひなどりを骨ともに細かく切って大匙二杯のお米と一緒に五合の水へ入れて塩を小匙一杯加えて弱い火で三時間以上気長に煮たものです。西洋人は風邪かぜでも引くとぐこのチキンブローを食べますが大層身体からだが温まってくすりだと申します。大病人にはこのチキンブローをしてその重湯だけ食べさせます。普通の重湯よりは味も良いようですから病人には好かれましょう。
 
第三 白粥しらかゆ
 我邦わがくにでは重湯の次に多く白粥を用います。これも上等にするとお米を洗って直ぐ水と少しの塩を加えて弱火とろびで気長に煮なければなりません。ぎ置きのお米と強火でいたものは味が良く出来ません。
 
第四 炒米いりごめの粥
 白粥は粘着性ねばりけが多くって胃の悪い病人に適しませんからその時は炒米の粥を用います。これは西洋風にすると米を洗いません。先ず麻の布巾ふきんのようなもので米をゴシゴシこするようにいて炮烙ほうろくか鉄鍋で狐色にります。そこで一合の米へ五合ほどの水を加えて弱い火で一時間半以上煮ますが七輪で煮ると火を弱くしても水をよく引きます。ストーブでは水を引きません。水の加減は七輪の時と火鉢の時とストーブの時とで一々斟酌しんしゃくしなければなりませんがここへは多く七輪やテンピの加減を出しておきます。この炒米の粥は洗った米を用いても構いません。
 
第五 オートミルの粥
 西洋には我邦わがくにの粥に似た食物が沢山あります。先ずオートミルといって燕麦からすむぎ挽割ひきわりにしたようなものが鑵入かんいり袋入ふくろいりとになって食品屋に来ております。それを大匙へ山盛二杯だけ水で一度洗って水一合を加えて湯煎鍋ゆせんなべへ入れます。別に大きな鍋で湯を沸かしてその中へ入れて一時間半以上湯煎にします。この時鍋の中のオートミルをまわしてはいけません。そのままそうっと湯煎にすると柔くなりますからそこで塩を加えて味をつけます。それから裏漉うらごしへかけて漉すと舌へ当らないほど柔くなりますから砂糖を振かけて牛乳をかけて病人に与えます。場合によっては牛乳を用いないで砂糖ばかりでも構いません。これは大層味の良いものです。
 
第六 オートミルのマッシ
 これは前の通りにして裏漉にしないものを食べる事です。略式にすると湯煎ゆせんにもしません。鉄鍋へ湯をグラグラ沸立にたたせておいて洗わないオートミルを少しずつバラバラと落しては片手でグルグルとまわし皆んな入れてしまったら底へかないように絶えず掻き廻している事がおよそ四十分位です。それで味を加えて直ぐ食べられますから軽い病人にはこれでもいいのです。モー一つの法は前の晩からオートミルを水へ漬けておいて翌朝鍋で掻き廻しながら四十分間煮ても出来ます。こういう西洋食品は新しいのと古いので煮える時間が大層違いますから最初買入れる時よくその品物を択ばなければなりません。新しいものは掻廻しながら煮ると三十分間で柔くなります。店晒たなざらしになっていたような古いものは四十分間でも柔くなりません。その他バレーやロールオーツ、あるいはジャミヤの類もな同じ事です。古過ぎて中に虫のいるような品は食用になりません。
 
第七 バレーの重湯
 これは西洋の麦です。一合へ四合の水を加えてお米の通りに煮て塩を加えてして重湯に取ります。
 
第八 バレーの粥
 これも水で洗って大匙山盛二杯を一合五勺の水で、二時間煮ます。塩で味を付けて牛乳と砂糖で食べます。前の晩から水に漬けておいてもいいのです。
 
第九 ロールオーツの粥
 は燕麦からすむぎつぶしたもので我邦わがくにの潰し麦に似ております。味はオートミルよりも少し軽くなりますがこれは洗わないで湯煎ゆせんにします。その分量はオートミルほど水を引きませんから一合の水へ大匙山盛二杯半入れて三十分湯煎にすればオートミルよりも早く柔くなります。そこで塩を加えて裏漉にかけてやっぱり砂糖と牛乳で食べます。味が軽い方ですからオートミルよりもこの方を好む人もあります。
 
第十 ロールオーツのマッシ
 も略式のオートミルのように洗わないロールオーツを今の分量だけ沸立にたった湯の中へバラバラとまわしながら落して、ダマにならないように絶えず掻き混ぜていると三十分間で出来ます。そこで塩を加えておろして砂糖と牛乳で食べます。べてマッシ類は冬ならば一度こしらえておくと二、三日は少し水を加えて温めて幾度いくどにも食べられます。
 
第十一 コルンスタッチの粥
 は玉蜀黍とうもろこしの粉から製するのでちょうど我邦の葛湯くずゆ葛煉くずねりの通りなものです。これは先ず一合の牛乳を沸立にたたせておきます。別に大匙一杯半のコルンスタッチを冷い牛乳かあるいは水で葛をくように釈いて沸立った牛乳の中へよく掻き混ぜながら入れて五分間ほども絶えず掻き廻しているとドロドロに固まりますからホンの少しの塩を加えて砂糖と牛乳をかけて食べます。く無造作に出来るもので腸の悪い病人なぞには極くいいようです。
 
第十二 アロルートの粥
 これも我邦の葛に似てモット粘着性ねばりけの強いものです。製法と分量はコルンスタッチの通りです。
 
第十三 セーゴのマッシ
 セーゴとは西崑米さいごんまいといって我邦の道明寺糒どうみょうじほしいに似た小さいまるい粒で、煮ると粘着性ねばりけのない葛のようになります。これは大匙二杯のセーゴを水で洗って一合の牛乳へ入れて四十分間煮るとやわらかになりますから少しの塩を加えて砂糖と牛乳をかけて食べます。病人によっては大層たいそう美味おいしがって好むものです。
 
第十四 タピオカのマッシ
 もセーゴに似て少し大粒の固まったものです。セーゴよりも固い物ですから四十分間水へ漬けておかなければなりません。それを洗って水をよく切って大匙二杯を一合の牛乳で四十分間煮てセーゴの通りに食べます。西洋の胃腸病患者はよくこのセーゴやタピオカを食べております。
 
第十五 ジャミヤのマッシ
 これは粟粒あわつぶに似たようなもので外の品より少しザラザラしますが味はなかなか結構です。先ず大匙二杯を洗って一合の水で三十分間湯煎ゆせんにしますが食べ方はオートミルの通りです。
 
第十六 フハリナのマッシ
 は普通の澱粉性のマッシよりも滋養分が多く消化も良いとしてあって西洋では多く病人や小児の食物にします。麦から製したものでオートミルの通りに料理します。
 
第十七 ハムネーのマッシ
 これは玉蜀黍とうもろこしを砕いたものです。少しブツブツする気味はありますけれども味は良うございます。前の晩から水へ漬けておいて翌朝これを洗って一合の水へ大匙三杯入れて気長に弱火で二時間湯煎ゆせんにしなければなりません。もしも略式にして鍋で煮るなら四十分間絶えずまわします。煮えた時塩味をつけて砂糖と牛乳をかけて食べます。
 
第十八 クラックホイートのマッシ
 は麦製でやはりブツブツしますがこの方は水を引きますから前の晩から水へ漬けておいて大匙山盛二杯を一合の水へ入れて弱火とろびで二時間湯煎にして塩味をつけて砂糖と牛乳とで食べます。
 さてここへ出したクラックホイート、ハムネー、ジャミヤ、タピオカその他の西洋食品は『食道楽』夏の巻の付録にその価格表を出してありますからよく御覧なさい〔夏の巻付録「西洋食品価格表」〕[#「〔夏の巻付録「西洋食品価格表」〕」は底本では「〔上巻五五〇ページ〕」]
 
第十九 玄米のマッシ
 は消化力の良い病人でないと与えられませんが滋養分は大層あります。先ず玄米をよくいて碾臼ひきうすいて粉にして炮烙ほうろくで狐色になるまでります。それを大匙二杯だけ一合の牛乳へ入れて塩と砂糖を加えて一時間半煮ておろす時玉子の黄身を混ぜてもよしあるいは塩味だけにして食べる時砂糖と牛乳をかけてもいいのです。
 
第二十 米の粉のマッシ
 これは普通の米の粉を玄米の粉の通りに拵えます。
 
第二十一 スープの粥
 秋の巻の付録米料理百種の中に出ております〔秋の巻付録「米料理百種」の「日本の料理の部」の「第五 スープの粥」〕[#「〔秋の巻付録「米料理百種」の「日本の料理の部」の「第五 スープの粥」〕」は底本では「〔本巻四七四ページ〕」]
 
第二十二 牛乳の粥
 前同様です。
 
第二十三 軽便ミルクトース
 も秋の巻の付録パン料理の部に出ております〔秋の巻付録「パン料理五十種」の「第七 軽便ミルクトース」〕[#「〔秋の巻付録「パン料理五十種」の「第七 軽便ミルクトース」〕」は底本では「本巻五〇二ページ」]
 
第二十四 ビフチー
 世間にはよく病人にスープを飲ませて滋養になると思う人がありますけれども普通のうすいスープは興奮性があるばかりで滋養分は多くありません。大病人に飲ませるのはビフチーに限ります。これは上等にすると牛肉のランという処を一斤買って脂身あぶらみのない赤身だけをけずるようにく細かく切って深い壺へ入れます。それへ塩を小匙半分位加えてよくぜて水をホンの少し即ち大匙一杯も入れてそのまま一時間も置くと肉のエキス分が段々溶けて来ます。今度はその壺へふたをして沸立にたっておる湯の中へ入れて一時間半ないし二時間ばかり湯煎ゆせんにすると極く濃い汁が出ますから布巾ふきんしてモー一度塩加減をしてその汁だけ病人に飲ませます。この中へ柔い御飯を入れて実にするとなお味がよくなります。玉子の黄身を入れて混ぜてもようございます。それは病人の様子次第で斟酌しんしゃくしなければなりません。
 
第二十五 略式のビフチー
 は今の肉一斤を細かく切って塩を小匙に半分と水を沢山即ち一合ほど入れて直ぐそのまま二時間ほど湯煎にしてモー一度塩味を見ます。この方は直ぐ煮る代りに前のよりも時間を長くしなければなりません。
 
第二十六 舶来のビフチー
 西洋からく小さな壺へ入れた煉薬ねりやくのようなビフチーが来て食品屋に売っております。その効能は手製の新しいものに及びませんけれども急ぐ時にはそれを湯で溶かして塩味を付けて飲ませてもいいのです。飲む事の出来ない大病人には水で溶かずにそのまま少量をオブラードへ包んで飲ませる事もあります。このビフチーは牛肉のエキス分を煮詰につめて製したものです。
 
第二十七 鶏肉けいにくエキス
 ビフチーは味が少し重い方ですから淡泊な味を好む病人には鶏肉エキスがいいのです。これも製法はビフチーの通りで三百目位の雛鳥ひなどりの上肉即ち赤身ばかり一斤を細かく切って塩を小匙に半分と大匙一杯の水を加えて一時間置きます。それから壺へ蓋をして一時間半以上湯煎ゆせんにしてしてまた塩加減をして病人に与えます。こういう飲料はなるべく美味おいしい味にして病人に飲ませないと病人が飲むに堪えません。味を付けては悪るかろうなんぞと不味まずいものを無理に飲ませてはかえって病人の滋養になりません。何でも病人がよろこんで食べるようなものを与えるのが看護の務めです。
 
第二十八 略式の鶏肉エキス
 は前のような雛鶏を骨ともによく叩いて塩少しと一合の水とを加えて二時間以上湯煎にして漉します。しかしこれもビフチーの略式も効能は上製の品に及びませんからなるべく病人には上製の方を与える事です。病人の食物を調理するのに手数のかかるのを面倒がるようでは看護の甲斐かいがないので病人に不親切といわざるをえません。何となれば看護人が手数を省くだけ病人の胃と腸が消化吸収に手数を要するからです。何でも食物は病人の胃腸を労させないように拵えなければなりません。
 
第二十九 鰹節かつぶしエキス
 これ我邦わがくにの特有物で鰹節かつぶしから製します。まず上等の鰹節をおよそ一合ほど削って一合の水を加えて壺へ入れて二時間湯煎ゆせんにします。それをして醤油で味を付けてまた煮ると我国の人の口によく合うようです。
 
第三十 鶏肉スープ
 スープ類は機能の弱った病人を興奮させるために用いますが鶏肉スープの方が牛肉のスープより味が軽くって病人に好かれます。鶏肉スープを製するには三百目位の新しい雛鶏ひなどりを骨ともにブツブツに切って水四合と小匙一杯の塩を加えて深い鉄鍋で沸立にたてます。その時アクが上へ浮いて来ますからよくすくい取ってそれから玉葱たまねぎ人参にんじんなんぞを一つずつ入れて弱い火で三時間以上煮ます。スープを煮るのは火加減が大切で決して強火を用いてはなりません。弱火とろびで気長に肉中のエキス分を出させないと好い味になりません。出来上ったらそれを漉して味加減をします。
 
第三十一 牛肉のスープ
 は新しいぎゅうすねを骨とも一斤小さく切って四合の水と小匙一杯の塩とを加えて沸立にたった時アクを取って玉葱たまねぎ人参にんじんを入れて三時間以上弱火とろびで煮ます。それをして味加減をして出しますが多くの病人にはこういうスープよりも色々の品物を混ぜた濁ったスープの方が滋養分も多いし味も結構です。
 
第三十二 仏蘭西豆ふらんすまめのスープ
 は大層味の好いもので、前にある牛や鳥のスープが出来ましたらば別に鑵詰かんづめの仏蘭西豆を一鑵だけそのまま裏漉うらごしにします。それを鍋へ入れて一合五しゃくのスープをしてホンの少しの塩と小匙一杯の砂糖を加えよくまわしてく弱い火へかけます。沸立った処へ五勺ほどの牛乳を加えてよく掻き混ぜて五分間も煮たらおろす前に玉子の黄身一つを入れて手速く掻き混ぜます。この混ぜ方が悪いと玉子がダマになったり煮え過ぎたりしていけません。玉子を入れたら直ぐ卸して出します。こうすると味も大層くなりますし、玉子に牛乳に豆と三種の滋養物がスープへ加わりますから滋養分も多くなります。このスープを食べる時柔い御飯を少し入れて実にしても結構ですし、パンのサイの目に切ったのを入れてもようございます。このスープは病人用ですが普通の人に出すのはバター一杯でコルンスタッチ一杯を狐色にいためて一合五勺のスープを注して裏漉の豆を加えて塩胡椒の味加減をしてそれから牛乳五勺を注して出す前に玉子の黄身一つを混ぜます。つまり二合のスープが出来ます。仏蘭西豆の代りに豌豆えんどうの柔いのを煮て漉して混ぜてもいいのです。これで普通は六人前になります。
 
第三十三 隠元豆いんげんまめのスープ
 も前のに似たものでよく湯煮ゆでた隠元豆を裏漉しにして大匙五杯ほど一合のスープへ加えます。そこで塩味をして五勺の牛乳をしますがこれには玉子の黄身を入れません。玉子の黄身を前のスープへ入れるのはザラザラするのをなめらかにするためで隠元は仏蘭西豆ほどザラザラしませんから玉子を入れないでもいいのです。しかし入れても構いません。
 
第三十四 かぶのスープ
 は大きい蕪を四つばかり皮をいて小さく切ってやわらかに湯煮ます。それから水をよく切って裏漉しにして一合のスープへ混ぜて十分間ばかり煮た処へ塩味を加減して火からおろす前に玉子の黄身一つを前の通りに入れます。このスープには牛乳を用いません。
 
第三十五 ホウレン草のスープ
 はホウレン草の青い葉だけよくやわらか湯煮ゆで一旦いったんしぼって水を切って擂鉢すりばちでよく擂ります。それを裏漉にして一合のスープの中へホウレン草もやはり一合位入れ十分間ばかり弱火とろびで煮て塩味を付けてから大匙四杯の牛乳を混ぜます。これは出す前に玉子の黄身を一つ入れた方がいいのです。
 
第三十六 人参にんじんのスープ
 西洋人参でも日本の人参でもよく湯煮て裏漉しにして大匙四杯位を一合のスープへ混ぜて暫く煮た時玉子の黄身一つを加えて出します。これには牛乳を用いません。
 
第三十七 玉葱たまねぎのスープ
 は玉葱を一斤半即ちおよそ八つばかりよくベトベトになるまで湯煮て水を切って裏漉しにして一合のスープへ混ぜてまた少し煮ます。これも牛乳を用いませんで塩味をつけた後出す前に玉子の黄身一つを法のごとく混ぜます。
 
第三十八 キャベツのスープ
 は大きいキャベツ一つを湯煮て裏漉しにして一合のスープへ加えて十分間ばかり弱火とろびで煮た後塩味を付けて出す前に玉子の黄身一つを混ぜます。これも牛乳はりません。
 
第三十九 花キャベツのスープ
 花キャベツとはカリフローワという大きな白い花ですがその大きいのを一つ湯煮て裏漉しにして一合のスープへ加えます。十分間も弱火とろびで煮た時塩味を加減して五勺ほどの牛乳をして出す前に例の如く玉子の黄身一つを混ぜます。
 
第四十 セロリーのスープ
 は八本ほど湯煮て裏漉しにして前のように一合のスープへ加えます。これには牛乳を用いません。出す前に玉子の黄身一つを混ぜます。
 
第四十一 玉蜀黍とうもろこしのスープ
 これは大層美味しいもので舶来の鑵詰コルンを用います。それを直ぐ裏漉しにして一鑵だけを一合五勺のスープへ混ぜて十分間ばかり弱火とろびで煮た後塩味をつけて牛乳を五勺注します。つまり二合のスープになります。これは出す前に玉子の黄身を入れてもよし、入れないでも構いません。
 
第四十二 アテチョーのスープ
 アテチョーとはツクいもに似た西洋種の薯で味の良いものです。その薯を一斤だけ皮をいて四十分間湯煮て水を切って裏漉しにして一合のスープへ混ぜて十分間煮た後塩味をつけて牛乳を大匙二杯加えます。これは出す前に例の如く玉子の黄身一つを混ぜなければなりません。
 
第四十三 アスペラガスのスープ
 は濁ったスープの中でも上等の料理です。先ず鑵詰かんづめならばそのまま裏漉しにして一鑵分を一合五勺のスープへ混ぜて少し煮て塩味をつけた後大匙三杯の牛乳を加えて出す前に玉子の黄身一つを混ぜます。これは病人の模様次第で普通のスープのようにバター一杯でコルンスタッチ一杯を狐色にいためてスープを注した後アスペラガスや牛乳なぞを加えた方が大層味も良くなります。こればかりでありません。ほかの野菜スープもなその通りにした方が味は良くなります。アスペラガスは生ならば湯煮て穂先の柔い処を裏漉しにします。
 
第四十四 トマトスープ
 は赤茄子あかなすの事ですが生ならば二斤ほどのトマトを一つ一つ二つに割って種や汁を絞り出して水を少しも入れずに弱い火で四十分間煮ます。それでも水が出ますから水を切って裏漉しにして一合のスープへ混ぜて十分間煮て塩味の外に砂糖を小匙一杯ほど加えて出します。鑵詰の物はそのまま水を切って裏漉しにします。これには牛乳も玉子もりません。
 
第四十五 ビーツのスープ
 ビーツを皮の付いたまま水から二時間湯煮て皮を剥いて裏漉しにします。それを大匙五杯だけ一合のスープへ混ぜて少し煮て出す前に玉子の黄身一つを混ぜます。牛乳は要りません。
 
第四十六 ジャガ芋のスープ
 は芋の皮をいてやわらかに湯煮て水を切って裏漉しにして大匙五杯ほど一合のスープへ混ぜます。ほかの事は前の通りで玉子一つだけ入れます。
 
第四十七 鳥と米のスープ
 は大層たいそう病人のよろこぶもので先ず半斤ほどの鶏肉けいにくの上等を三十分間ばかり湯煮ておきます。それを細かく刻んで大匙二杯の御飯とともに擂鉢すりばちへ入れてよく擂って裏漉にかけます。それから一合のスープへ混ぜて十分間ほど煮て塩味をつけたら五勺ほどの牛乳を加えて出します。玉子は要りません。
 
第四十八 魚と米のスープ
 これも魚の身を一旦いったん湯煮ておいて御飯とともにって裏漉しにしますがその割合は魚七分に御飯三分です。それを半斤位と思うほど一合のスープへ混ぜて弱火とろびで少し煮て塩味をつけて牛乳五勺を加えます。これには白焼しらやきにした魚を使っても構いません。
 
第四十九 たいの頭のスープ
 は極く淡泊な味の良いもので大きな鯛の頭と鯛の骨ばかりを水から一日煮ます。それへ塩味をつけてまた少し煮て出しますが鯛の肉を入れると味が悪くなりますし、少くも半日以上煮なければ良い味が出ません。
 
第五十 レモンのグラスカスター
 病人はとかくのどかわいてい味の物を好みますがそれには菓物くだもののグラスカスターを与えると大層美味おいしく感じます。その製法は先ず玉子の黄身二つへ砂糖大匙二杯を加えてよく煉り混ぜておいて牛乳一合を少しずつ注してそれを器ごと湯の中へ入れて湯煎ゆせんにしながらよく掻き廻します。掻き廻しようが悪いと固まってブツブツが出来ますし、煮過ぎてもいけません。ちょうど半熟と思う位に掻き廻していると好い加減なドロドロの物になりますから火よりおろして掻き廻しながら冷まします。冷めた処でコップへ半分いで生レモン一個の汁だけ絞り込んで別に残った白身を泡立ててその上へ載せて出しますと匙でその白身と中の品物を掻き混ぜながら食べます。どんなに美味しゅうございましょう。あるいは生レモンの代りにレモン油とライムジュースを入れてもようございます。酸味すみの加減はその時の場合で自由になります。
 
第五十一 あんずのグラスカスター
 は前の通りなカスターを拵えておいて生の杏ならば砂糖を入れて煮て裏漉しにしたものを大匙に一杯半加えて前の通りに致します。鑵詰かんづめの西洋杏ならば水を絞って裏漉しにします。上等の乾杏ほしあんずならば煮て裏漉しにします。
 
第五十二 桃のグラスカスター
 生桃ならば砂糖を入れて煮て裏漉しにしますし、鑵詰ならばそのまま裏漉しにして前の通りにカスターへ入れます。その分量は大匙に一杯半位です。
 
第五十三 いちごのグラスカスター
 生の苺をそのまま直ぐ裏漉しにして一杯半ほど前の通りにカスターへ混ぜます。
 
第五十四 梅のグラスカスター
 生梅を砂糖でよく煮て裏漉しにして前の通り一杯半用います。
 
第五十五 パインナプルおなじ
 パインナプルは裏漉しにしたものを大匙一杯位でようございます。
 
第五十六 だいだい
 橙の汁を絞って好いほどに入れて出来ます。
 
第五十七 蜜柑みかん
 蜜柑の汁も前の通りに出来ます。
 
第五十八 すもも
 これも煮て裏漉しにして一杯半入れます。
 
第五十九 巴丹杏はたんきょう
 これも煮て裏漉しにして一杯半入れます。
 
第六十 珈琲こーひー
 興奮性を嫌わない病人には珈琲こーひーのグラスカスターも結構ですがこれは前のカスターの中へ濃く煎じ出した珈琲を大匙一杯加えます。
 
第六十一 生葡萄なまぶどう
 これは生のまま直ぐ裏漉しにして一杯半入れます。このほか何の菓物くだものを適宜に用いて構いません。
 
第六十二 レモンのゼリー
 前のグラスカスターの味が重過ぎるという病人には菓物のゼリーを与えてもよろこびます。これは先ずゼラチン即ち西洋にかわ四枚を水の中へ三十分間漬けておきます。別に一合の水へ大匙二杯の砂糖を加えて火にかけて沸立にたたせます。沸立った処へ今のゼラチンを入れてよく溶けたらば大きな生レモン二つの汁を絞り込んで直ぐに布巾ふきんで漉します。それを四角な器へ入れて水の中で冷しておくと二、三時間で固まりますから羊羹ようかんのように切って病人に与えてもようございます。生レモンの代りにレモン油とライムジュースを入れても出来ます。ゼラチンは消化の速いものですがこの場合に寒天かんてんを使うと消化が大層悪くなります。寒天で製したものは病人の食物に用いられません。ゼラチンも冬は三枚半位で出来ます。
 
第六十三 蜜柑のゼリー
 は中位の蜜柑六つの汁を絞って前の通り一合のゼラチン水へ入れて固めますが汁が少しえますからゼラチンを五枚使います。
 
第六十四 あんずのゼリー
 生の杏は煮てその汁ともに裏漉しにします。鑵詰かんづめのものはそのまま汁ともに裏漉しにします。それが一合あれば砂糖を適宜に加えて火にかけて水に漬けたゼラチン四枚を入れてさまします。乾杏ほしあんずの煮たのを汁ともに固めても出来ます。
 
第六十五 苺のゼリー
 これは生苺へ砂糖をきほどかけて一時間ほど置くと沢山の汁が出ます。それを汁ともに裏漉しにして一合の中へゼラチン四枚を入れて沸立って溶けたらば直ぐ冷して固めます。固める時器の中へ生の苺を混ぜてもいいのです。苺は生でも消化が良くって大抵な病人に用いられます。
 
第六十六 桃のゼリー
 生の水蜜桃すいみつとう天津桃てんしんももならば皮をいて一斤へ一合の水と大匙三杯の砂糖を入れて一時間煮たものを裏漉しにします。それが一合ならばゼラチン四枚を入れて前の通りに固めます。鑵詰かんづめの桃はそのまま裏漉しにして用います。
 
第六十七 巴丹杏のゼリー
 前の通りにして出来ます。その他の菓物も大概その通りにします。
 
第六十八 葡萄酒ぶどうしゅのゼリー
 は先ず水一合へ大匙三杯の砂糖を入れて沸かして水に漬けたゼラチン四枚を入れてそこへ上等の生葡萄酒きぶどうしゅ大匙二杯を加えて前の通りに固めます。
 
第六十九 ポートワインのゼリー
 これも葡萄酒の通りです。
 
第七十 スープのゼリー
 はスープ一合にゼラチン四枚を入れて前の通りに固めます。
 
第七十一 林檎りんごのジャム
 西洋では病人見舞によく手製のジャムを贈りますがジャムはパンへ付けてもカステラへ付けても何にでも用いられて病人には調法です。ジャムの中でも林檎なぞはく結構で、これは皮付のまま四つ位に切ってしんって一斤の林檎なら百目位の砂糖をかけて三時間ほど置きます。そうすると砂糖が溶けて林檎のつゆが出ますからそのままそっくり深い鉄鍋へ入れて最初は強火で煮るとアクが浮きますからそれを幾度いくどにも丁寧にすくい取ってアクがいよいよ出なくなったら今度は火を弱くして一時間以上煮ます。それから裏漉しにしてつゆはゼリーに取り身の方はそのまま器へ入れて目張めばりをしておくと長くちます。林檎にも酸いのと甘いのがありますから砂糖の入れ方はそれで加減しなければなりません。長く保たせるには砂糖を多くして菓物と同じ分量に致します。林檎の皮を剥かずに煮るのは皮の間から膠質にかわしつが沢山出て味が良くなるからです。
 
第七十二 林檎のゼリー
 前の通りに煮て出たつゆ布巾ふきんで漉してまた四十分間湯煎ゆせんにして四角な器へ入れて二、三日置くと自然と凝結かたまってゼリーになります。これは林檎りんごの皮からゼラチンと同様な膠質にかわしつが出るからで上等の林檎など良く出来ます。このままっておけば林檎のシロップで何時いつでも温めて溶かせば用いられます。
 
第七十三 いちごのジャム
 これは生の苺へザラメ糖を同じ分量だけ掛けて三時間置いて前の通りの順序で煮ますが決して中を掻き廻してはいけません。苺の形が崩れるとジャムの価値ねうちがなくなります。また火が強過ぎると後になって砂糖がザラザラとかたまります。これは裏漉にしません。身の方をそのまま器へ入れておきますが形が崩れないで色が好くって砂糖がかたまらなければ上等のジャムです。つゆの方はびんへいれてまた四十分間湯煎ゆせんにして固く栓をしておくと苺のシロップになります。これも湯冷ゆさましの水へ混ぜて飲ませると病人に結構です。
 
第七十四 菓物くだもののジャム
 前にある林檎や苺のジャムが出来ればほかの菓物も大概その方法で出来ます。即ち桃のようなものは林檎に似て膠質にかわしつがありますから林檎の通り皮をかずに煮ますし、葡萄なぞも皮も剥かずに苺の通りでジャムもシロップも取れますし、蜜柑みかんなぞは皮ともに薄く切って暫く砂糖へ漬けて前のように煮るのと皮を剥いて身だけ潰して煮るのと二つの法があります。つまり皮ともに煮たものはあとで裏漉しにしますし、皮を剥いて煮るもの即ち無花菓いちじくのようなものは形を崩さないようにします。
 
第七十五 菓物のシチュー
 とは菓物の煮た事を申すので、これも二ようの煮方があります。一つは直ぐに食べたりあるいは外の料理に使うためです。林檎でも桃でもそれに似た物は皮をいてしんって四つ位に切って直ぐ水の中へ放します。これはアクを抜くので色の赤くならないためです。アク出しをしないと煮てから色が赤くなります。それを水から出して外の水をきほどに加えて砂糖を適宜に入れて弱い火で気長に柔くなるまで煮ますがアクが浮いたらすくい取らなければなりません。こうしたのは色が沢々つやつやとしています。モー一つの法は長くたせるように煮るので最初によく菓物の水気を拭き取って庖丁や手にも水気のないようにして菓物の皮を剥いて程好ほどよく切ってそのまま砂糖をかけて二、三時間置くと砂糖が溶けて菓物の液を呼び出します。それを弱い火にかけてアクを掬い取りながら気長に煮ます。つまり水気が混じると早く腐りますからそれを防ぐためです。こうしたのは夏でも四、五日ぐらいちます。この通り柔く煮た菓物は病人の種類によって大層悦びますがそれをブラマンジに添えて食べるとなお一層の御馳走になります。
 
第七十六 ブラマンジ
 は葛餅くずもちに似たようなもので先ず一合の牛乳を沸かして大匙二杯の砂糖を加えます。別にコルンスタッチを軽く大匙二杯ほど冷たい牛乳かあるいは水で葛をくように釈かしてその中へしてよく掻き廻しながら五分間ばかり煮るとドロドロになります。ちょうど葛が返える通りですが葛よりも少し長くかかります。それをブリキの型かあるいは外の器へ入れて一時間も置くと葛餅のように固まります。病人次第で火からおろした時レモン油かワニラのような香料を加えると一層結構です。我邦の葛をコルンスタッチの代用にしても出来ます。これだけでもなかなか結構ですが菓物のシチューを添えて食べると酸味すみと甘味でいよいよ美味おいしくなります。
 
第七十七 玉子のブラマンジ
 は前の通り牛乳と砂糖と葛の原料が煮えた時玉子の黄身一つをダマにならないように掻き混ぜて固めます。もしそれをモー一層軽く上品にしたければ火から卸した時残った白身をよく泡立てて混ぜて固めます。
 
第七十八 米のブラマンジ
 はコルンスタッチを用いません。大匙二杯の米を二合の牛乳で火を弱くして気長に二時間余煮て砂糖を大匙三杯加えます。おかゆの少し固い位にならなければいけません。それへ玉子の黄身を二つ入れてダマにならないように掻き混ぜて器へ入れて冷ましておくとそのままで固まります。
 
第七十九 米の粉のブラマンジ
 も前の通りですが分量は大匙二杯の米の粉を一合の牛乳で一時間煮て砂糖を大匙二杯と玉子の黄身一つを加えます。これにも前のにも白身を泡立ててあとから入れて構いません。
 
第八十 セーゴのブラマンジ
 は水で洗ったセーゴ大匙二杯を一合の牛乳へ入れて砂糖大匙二杯を加えて四十分間弱火とろびで煮ます。煮えた時玉子の黄身一つを混ぜて前のように固めます。
 
第八十一 タピオカのブラマンジ
 はタピオカを四十分間水へ漬けてやわらかにしておきます。それを一合の牛乳へ入れて砂糖大匙二杯を加えて四十分間煮て玉子の黄身一つを加えます。
 
第八十二 アロルート同
 これは分量も拵え方もコルンスタッチの通りです。
 
第八十三 カスタープデンの一
 病人の食物にプデン類は多く用いられますがカスタープデンにも焼くのと蒸すのとがあります。焼く方は玉子の黄身二つへ砂糖大匙二杯入れてよく煉り混ぜます。色の白くなるほど煉らなければいけません。そこへ一合の牛乳を少しずつ幾度いくどにもしてよく混ぜて香料を少し加えたのが原料です。この原料をベシン皿かあるいは丼鉢どんぶりばちへ入れてテンパン即ちブリキ皿の中の湯の注いである処へ置いてテンピの中で二十分間焼きます。こうすると底の方は湯煎ゆせんになって上の方から焼けますから底へげ付きません。火加減は中位です。焼けたと思う時間にく細いはしをプデンへ通してみると焼けない時には生々しいものが着いて来ます。箸が少しも汚れなければモー出来たのです。このまま食べてもよろし、モー一層美味おいしくするにはテンピから出した後上へ一面にジャムを塗ります。プデン類は温い処を食べてもよしあるいは翌日になって冷めたいのを食べても味が良いものです。
 
第八十四 カスタープデンの二
 これは湯煎の方ですが前の通りな原料を深い茶碗へ入れてふたをするかあるいは布巾ふきんかぶせて広い鍋で三十分間湯煎にします。しかし火を強くして湯がコトコト沸立にたつようではいけません。そうするとプデンにあなきます。この原料には玉子の黄身ばかりとしてありますが白身を入れても悪い事はありませんけれどもプデンがズット固くなって味も劣ります。
 
第八十五 セーゴプデン
 はセーゴを大匙一杯よく洗って水に三十分間漬けておいてカスタープデンの原料の中へよく混ぜ込んで前の通りに焼くとも蒸すともします。
 
第八十六 タピオカプデン
 も前の通りですがこれはえますから中匙一杯を洗って一時間水に漬けて用います。
 
第八十七 米のプデンの一
 これは極く略式にすると柔い御飯を大匙一杯位前の原料へ混ぜて焼きます。
 
第八十八 米のプデンの二
 これは中等の製法で、先ず牛乳一合の中へ大匙二杯の御飯を入れて弱い火で一時間ほど煮るとおかゆのようになります。それを火からおろして大匙二杯の砂糖を加えて玉子の黄身二つをよく混ぜて前の通りにテンピで焼きます。これもあとで上へジャムを塗ると結構です。このプデンは匙ですくって食べる位のやわらかさがいいのです。
 
第八十九 米のプデンの三
 これは蒸す方の製法ですが前の例より玉子を多くして玉子の黄身四つに大匙三杯の砂糖を煉り混ぜて一合の牛乳をして大匙二杯の御飯を加えます。それを湯煎にすると固く出来ますからカスターソースや外のソースをかけて食べます。
 
第九十 米のプデンの四
 これは上製で、先ず大匙一杯の米を大匙五杯の牛乳へ二時間漬けておいて大匙一杯の砂糖を加えて弱火とろびにかけておかゆになるまで柔く煮ます。それからベシン皿へ移して前の通りの方法でテンピで焼きますがこれには玉子を入れるに及びません。
 
第九十一 米の粉のプデン
 は大匙一杯の米の粉を一合の牛乳で一時間半ほど煮て砂糖大匙二杯に玉子の黄身二つを加えて法の如くテンピで焼きます。これも蒸す時は玉子を多く入れます。
 
第九十二 ジャミヤプデン
 はカスタープデンの通りに玉子の黄身二つへ大匙二杯の砂糖を煉り混ぜて牛乳一合をします。別にジャミヤを大匙一杯半ほどよく洗って二十分間水へ漬けておいてその水を絞って今の原料へ混ぜてカスタープデンの通りに焼きます。
 
第九十三 ジャミセージプデン
 これは西洋の素麺そうめんのようなものです。それを大匙三杯ほど三十分間も湯煮ますが最初水が沸立つ時よく掻き廻さないと底へ沈んでげ付きます。それがよく湯煮ゆだったらば水を切ってカスターの原料へ混ぜて前のように焼きます。
 
第九十四 マカロニプデン
 これは西洋の孔明あなあ饂飩うどんです。長いのを四本ばかり一寸位ずつに折ってげ付かせないように一時間ほど湯煮ゆでて前の通りカスターの中へ入れます。
 
第九十五 珈琲こーひープデン
 は濃く煎じ出した珈琲を大匙二杯だけカスターの中へ入れます。
 
第九十六 チョコレートプデン
 はチョコレートの削ったもの大匙一杯ほどを一合の牛乳で煎じて一旦いったん冷ましておきます。別に玉子の黄身二つと砂糖大匙一杯とをよく煉り混ぜてその中へ今のチョコレートを少しずつ幾度いくどにも混ぜてカスターの通りに焼きます。チョコレートは甘いものですから砂糖がすくないのです。
 
第九十七 ビスケットプデン
 これはソーダビスケといって軽い煎餅せんべいのようなものです。それを四枚だけ一時間ほど牛乳一合の中へ漬けておきます。別に玉子の黄身二つと大匙二杯の砂糖を煉り混ぜて今の物を加えてカスターの通りに焼きます。これにはソーダビスケのくずを使ってもいいのです。
 
第九十八 トースプデン
 はパンを二分位の厚さに切ってそれを二きれだけはじの固い処を切り捨ててまた二つずつに切ってベシン皿へ並べます。その上からカスタープデンの原料を注いで二十分間そのまま置いて例の通りに焼きます。
 
第九十九 パンのプデン
 はパン二片を水に十五分間漬けておいてそれを絞って水を切ってカスターの中へ手でみ込んでよく混ぜて焼きます。これは病人のよろこぶもので上等にするとパンを牛乳へ漬けておきます。
 
第百 レモンプデン
 は生レモン一つの汁をカスターの中へ絞り込んでそれからレモンの皮を半分ほど山葵卸わさびおろしで卸し込んで焼きます。
 
第百一 南瓜とうなすプデン
 は一片の南瓜を湯煮て水を切って裏漉しにしてそれを前のカスターの中へ混ぜて焼きます。
 
第百二 ジャガ芋プデン
 これも湯煮て裏漉しにして前の通りにします。
 
第百三 薩摩芋さつまいもプデン
 前の通りで出来ます。芋なぞは繊維が多くって外の料理では病人に向きませんがこうすると食べられます。
 
第百四 牛の挽肉ひきにく
 大概な病人は身体からだの営養を恢復かいふくするために肉類を食べる必要がありますけれども我邦わがくにの人の胃腸は穀食に慣れていて肉類に対する消化力の弱いため肉の料理はよほど注意してこしらえなければなりません。病人料理には牛肉のうちでも一番柔い部分即ち腰のランという処なぞが適当です。それもほふりたての新しい肉ではいけません。ちょうどい食べ頃にゆるんだ肉であぶらや筋のない処を買ってそれを先ず肉挽器械にくひききかいへかけて一度挽きます。挽いて出た肉をまたその器械へかけてモー一度挽き、丁寧にすれば三度挽くと肉が極く細かになってほとんど舌へも歯へもさわりません。よく世間では肉を俎板まないたへ載せて庖丁でトントン叩いて細かくする人がありますけれどもあれは俎板の木屑きくずが肉へ混って病人に良くありません。今のように肉挽器械で二度も三度も挽くのに限ります。さてこうした肉は色々な料理になりますからその製法を述べましょう。
 
第百五 挽肉のビフテキ
 は前の挽肉が一斤ほどありましたらばそれへ塩を振かけて玉葱の小さいのを一つ山葵卸わさびおろしでり込んで別に薄く切ったパンを水へつけて絞って中身ばかりをみ込みます。そこで肉と玉葱とパンをよくね混ぜて五つ位にけますが一つ一つ手でまるめて平たく押して饅頭まんじゅうのようなものをこしらえます。それからフライ鍋へバターを敷いて今の物を狐色になるまで焼きます。こればかりで食べると少しポソ付きますから肉を出したあとで鍋の中へスープを大匙一杯して塩で味をつけてそれをビフテキの上へかけます。
 
第百六 挽肉のカツレツ
 は前の通りにして丸めた肉へメリケン粉をマブして玉子の黄身をつけてパン粉でくるんでサラダ油で揚げます。これは上等にするとトマトソースを拵えてかけます。
 
第百七 挽肉のシチュー
 は前の通りに肉と玉葱とパンと混ぜたものを小さい団子だんごに丸めて一度バターでいためておきます。それを鍋から出したらあとの鍋へバターを少し加えてメリケン粉を大匙一杯いためてスープを二合注します。この時もし壜詰びんづめのトマトソースがあればそれを大匙一杯加えるとなお良いのです。それへ塩味をつけて今の肉を入れて弱い火で気長に一時間煮ます。別にジャガ芋と西洋人参を柔く湯煮ゆでておいてその中へ入れてまた三十分煮ますからつまり一時間半煮て食べるのです。
 
第百八 挽肉のアイルシチュー
 は前の通りな団子をフライせずに直ぐ深い鍋へ入れます。それへスープかあるいは水を三合ほどして皮をいたジャガ芋六つばかりと中位な玉葱四つばかり入れて塩で味をつけて一時間ほど弱い火で煮ます。煮えた時ジャガ芋を半分即ち三つだけ出して裏漉うらごしにして今のしるへ混ぜてまた五分間煮て出します。
 
第百九 挽肉のフーカデン
 は前のように肉と玉葱とパンをねた中へ生玉子一つを加えてまた捏ねて小判形に押し付けてブリキ皿へ入れます。その周囲まわりへ細かく刻んだ玉葱一つと西洋人参一つとをグルリと並べて肉の上にはバターを大匙一杯載せてテンピの中へ入れて強火で四十分間焼きます。その間は五分間ごとにブリキ皿を引出して肉から出た汁を匙で肉の上へかけないと肉の表面がこわくなって味がありません。この料理にはジャガ芋の湯煮ゆでたのを添えて出します。
 
第百十 挽肉のコロッケー
 はランの肉を半斤ほどそのままバターでよくいためます。それから肉挽器械にくひききかいでよく挽いておきます。今のフライパンへバターを少し加えて細かく刻んだ玉葱たまねぎ一つとメリケン粉大匙一杯とを入れてよく黒くなるまでいためてスープを一合します。これにも壜詰びんづめのトマトソースを大匙一杯加えるとなお美味おいしくなります。その中へ前の肉を入れて弱い火で三十分間煮ると段々水を引いてドロドロになりますからそこへ玉子の黄身一つを入れてよく掻き混ぜて冷まします。冷めたらば手で八つ位に細長く丸めて例の通りメリケン粉をつけて玉子の黄身をつけてパン粉へくるんでコロッケーにフライします。
 
第百十一 挽肉と芋のコロッケー
 は前の通りにして煮た原料へジャガ芋を裏漉しにして芋三分肉七分の割で混ぜて塩味をつけてねて前の通りにコロッケーに揚げます。玉子はりません。
 
第百十二 挽肉と米のコロッケー
 は前の通りに拵えた原料へ御飯を加えて三十分間煮て玉子の黄身を混ぜて冷めたら十位に丸めてコロッケーに揚げます。
 
第百十三 メンチライス
 はコロッケーの原料のように半斤の肉を一度フライして肉挽器械にくひききかいで挽きます。そのフライ鍋へバターを加えて刻んだ玉葱一つとメリケン粉一杯とを黒くなるまでよくいためてスープを一合加えてそれへ今の肉を入れて三十分間弱火とろびで煮ます。別に柔い御飯を炊いてその上へ今の肉を汁ともにかけて出します。
 
第百十四 メンチトース
 は前の通りに煮たものをトースパンへ沢山載せて出します。
 
第百十五 メンチポテト
 は湯煮て裏漉しにしたジャガ芋へ牛乳と塩を混ぜてマッシにしてその上へ前の通りに煮たメンチ肉を載せて出します。
 
第百十六 メンチボール
 は一度フライして挽いた肉へ裏漉しにしたジャガ芋を四分肉六分の割で混ぜて塩味をつけて玉子の黄身一つ入れてよくねて六つ位の饅頭形まんじゅうがたに丸めてバターでよくフライして出します。
 
第百十七 ドライハイシ
 は前のような割合で芋と肉を混ぜた中へ牛乳を大匙二杯加えてよく混ぜてそれをフライパンのバターの敷いてある処へ一度にあけて色の付くまで焼いて出します。
 
第百十八 ボイルドチキン
 病人には牛肉よりも鶏肉の方が消化も良くって味も軽いものですがしかしそれもとりによるので三百目位の雛鶏ひなどりでよく肥えた足のきいろいのでなければいけません。その鶏を五つ位にいて五合の水で玉葱四つを加えて塩味をつけて一時間湯煮ゆでます。最初沸立にたつ時アクの浮くのをすくい取らなければなりません。よく湯煮ゆだったらば一旦鶏を出してその汁で米を五勺ほどおかゆになるまで炊いて皿へ盛る時お粥の上へ鶏肉を載せ玉葱を添えて出します。上等にするとその上へ白ソースをかけますがそれはバター一杯でメリケン粉一杯を狐色にいためて牛乳を一合して塩で味をつけたものです。
 
第百十九 ロースチキン
 これもやはり三百目位の雛鶏を丸のまま塩を振りかけてバターを載せて細かく刻んだ玉葱と人参を周囲まわりへ置いてテンピの中へ入れて五分間ごとにつゆをかけながら強火で四十分間焼きます。出来た時肉を出してテンパン皿へスープを大匙三杯注して塩味をつけて肉へかけます。
 
第百二十 チキンブロー
 は前のような雛鳥を骨ともに細かく切って大匙二杯のお米とともに五合の水へ入れて塩味をつけて三時間弱火とろびで煮ます。これも沸立つ時浮いて来るアクをすくい取らなければなりません。
 
第百二十一 とりのフルカセー
 は前のように三百目位の雛鳥の肉を骨ともにボツボツ切ってもあるいは五つにいたままでもようございますがそれを塩湯で一時間ほど湯煮ゆでます。別にバター一杯でメリケン粉一杯をいためて牛乳一合をして塩味をつけた白ソースをこしらえて別に湯煮てある玉葱を二つ三つ入れて三十分間煮ます。もしも牛乳が足りなかったら水を半分加えてもいいのです。出す前に玉子の黄身一つを混ぜればなお結構です。
 
第百二十二 鶏のアイルシチュー
 これもスープの中へ鶏の生肉をいれてジャガ芋と玉葱を加えて塩味をつけて一時間煮た後ジャガ芋を半分裏漉うらごしにして混ぜたものです。第百八のアイルシチューを御覧なさい。
 
第百二十三 鶏の挽肉料理
 鶏も雛鳥でなければ肉が硬いものですから大きい鶏ならばあぶらのない処を肉挽器械で挽いて牛肉の挽肉料理の通りになさい。
 
第百二十四 羊のシチュー
 羊は味も軽くって美味おいしいものですからよく病人料理に用いられます。これには羊のバラー肉を小さく切って一旦いったんバターでフライしておきます。その肉を出してバターを足してメリケン粉を黒くなるまでいためてスープをして塩味をつけて玉葱人参を入れて今の肉を弱火とろびで四時間煮ます。牛肉のバラーをこの通りにしても牛肉のシチューになります。
 
第百二十五 マトンブロー
 は羊をチキンブローの通り米とともに四時間煮て出す時に牛乳五しゃくを加えます。
 
第百二十六 羊のアイルシチュー
 とりの通りです。
 
第百二十七 ボイルドフィッシ
 魚は味が軽くって病人の口に合いますがその中でもボイルドフィッシは我邦わがくにの人の好む料理です。これは白い身の軽い魚を塩湯煮しおゆでにするかあるいは蒸しておいて第百十八にあるような白ソースをかけて出します。魚の時はそのソースへ湯煮玉子ゆでたまご輪切わぎりを混ぜるとなお味が良くなります。
 
第百二十八 魚のケズレー
 は白い身の魚を湯煮ておきます。フライ鍋へバターを溶かして今の魚を手でむしって大匙四杯位入れたらば御飯を大匙三杯位入れて塩を振ってげないようによく掻き廻していためます。これも出す前に湯煮玉子を二つばかり薄く切って混ぜるとなお味が良くなります。
 
第百二十九 ケズレーのパイ
 は前の通りにいためた物の中へ牛乳を大匙二杯加えてよく混ぜてベシン皿へ入れてパン粉を振かけてテンピの中で二十分間焼いたものです。
 
第百三十 魚のコロッケー
 魚のケズレーが残ったらば翌日には玉子の黄身を一つ入れて丸めてコロッケーになります。また普通のコロッケーは白ソースを作って湯煮ゆでた魚をむしって入れて生玉子の黄身を混ぜます。
 
第百三十一 半熟玉子
 玉子は重い病人に不適当ですけれども恢復期かいふくきには多く玉子を使います。その中で半熟玉子が一番良いので、在来のように沸立にたった湯の中へ三分間位入れておくのは白身ばかりが半熟になって黄身は半熟になりません。白身も黄身も半熟にするのはちょいと指を入れられる位の湯即ち摂氏の七十度位華氏の百五、六十度の湯へ玉子を三十分間入れておきます。これが真正の半熟で味も良し功能も多いものです。
 
第百三十二 半熟玉子別法
 は沸立にたっている湯へ玉子をホンの三十秒位即ち半分間入れてそのまま鍋を火からおろして火の側の温い処へ五分間置きます。これでも黄身まで半熟になりますが最初鍋の端からすべらせるように入れないと玉子が割れます。沢山の玉子は一々入れると前のがえ過ぎますからざるへ玉子を入れてそっと沸煮にえゆの中へ入れます。
 
第百三十三 スカンボロエッグス
 玉子へ塩を加えてよくぜて牛乳少しとバターを少し入れてり付けます。ちょうど日本風の炒玉子いりたまごと同じ事です。
 
第百三十四 オムレツの一
 は玉子へ塩と少しの牛乳をしてよくかき混ぜてフライ鍋で焼くと手軽に出来ます。
 
第百三十五 オムレツの二
 本式のは玉子へ塩を加えてよく掻き混ぜてフライ鍋のバターの中へいではしでグルグル掻き廻すと段々ふくれます。その時鍋の柄を片手に持ち片手で柄をトントンと叩くとオムレツが段々端へ寄ってその時鍋をのようにあおればひとりで柏餅かしわもちのようになります。これには牛乳も何も入れないでよくやわらかふくれますが少し熟練じゅくれんを要します。
 
第百三十六 オムレツの三
 前のものよりモット上等にすると玉子の黄身ばかりへ少し塩を加えてよくよくって、白身を別に泡立てて混ぜてフライ鍋へいでからよく掻き廻して前の通りにすると大層ふくれます。これはソフレオムレツといって温い内に食べるものです。
 
第百三十七 肉入オムレツ
 は挽肉ひきにく玉葱たまねぎをバターでいためて溶いた玉子へ混ぜてオムレツに焼きます。
 
第百三十八 ハム入オムレツ
 はハムを刻んで玉葱とともにいためて玉子の中へ混ぜてオムレツに焼きます。
 
第百三十九 米のオムレツ
 御飯を玉子へ混ぜておいて前の通りに焼きます。
 
第百四十 野菜入オムレツ
 玉葱のいためたものを入れてもよし、赤茄子あかなすの皮をいて生のまま小さく切って入れてもよし。外の物を見繕みつくろって入れてもいいのです。
 
第百四十一 マカロニシチュー
 伊太利いたり製か仏蘭西ふらんす製の上等なマカロニを四本ばかり一寸位に折って湯煮ゆでます。湯煮る時沸立ったら掻き混ぜて浮かせないと底へ沈んで焦付こげつきます。別にバター一杯でメリケン粉一杯を黒くいためてスープ一合と壜詰びんづめのトマトソース大匙二杯を加えたソースで今のマカロニを一時間煮ます。
 
第百四十二 ポストム珈琲こーひー
 普通の珈琲は興奮性が強くって大概な病人に不適当ですから病人には多く麦から製したポストム珈琲を用います。これは普通の珈琲の通りにせんじ出せばいいのです。
 
第百四十三 豆入麦湯
 珈琲と同じく茶も病人に悪いものですからその代りには大豆を入れた麦湯が良いものです。それは大豆を麦同様に黒くなるほどって麦と半分ずつ入れて長く煎じ出します。甘味があって味も結構です。
 
第百四十四 ココア
 チョコレートは興奮性が強過ぎますから病人にはココアを用います。これはココアを小匙に二杯と角砂糖二つとを一合の牛乳へ入れてよく掻き廻して沸立にたたせます。沸立って双方がよく溶ければそれでいいのです。
 
第百四十五 レモネード
 は色々の製法があります。手軽なのは生レモン一つのつゆを絞って砂糖を混ぜて沸湯にえゆぎます。
 
第百四十六 シロップ水
 は菓物くだもののシロップへ湯冷ゆざましの水かあるいは白湯さゆして飲みます。
 
第百四十七 牛乳のゼリー
 ゼリーの事は前に色々出ていますがまだ外に牛乳一合へ大匙二杯の砂糖を加えて沸立たせてその中へ水に漬けたゼラチン四枚を入れて少し煮て冷まして固めても病人にいいものです。
 
第百四十八 スポンジゼリーの一
 これは前のような牛乳のゼリーを冷まして半ばかたまった処へ玉子の白身を泡立ててよく混ぜて今度は本式に固めます。半凝まりの処へ入れないと白身が一方へ寄ってよく混ざりません。
 
第百四十九 スポンジゼリーの二
 これは前の通りな原料へ玉子の黄身を入れて冷まして半凝まりの処へ前のように白身を泡立てて混ぜます。
 
第百五十 ココアのゼリー
 第百四十四にある通りなココアを煮て水に漬けたゼラチン四枚を加えて前の通りに固めます。
 
第百五十一 チョコレートゼリー
 これは削ったチョコレート大匙一杯へ角砂糖二つ加えて一合の牛乳で煮てゼラチン四枚を入れて例の如く固めます。
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戦地の食物衛生


 
第一 病気の敵
 今や我邦わがくに露西亜ろしあに向って膺懲ようちょういくさを起しました。我が海陸軍は連戦連勝の勢いでしきりに北亜の天地を風靡ふうびします。しかし露西亜も大敵だからこの戦争は二年も三年も続くものと覚悟しなければなりません。戦争が長きに渡ると我が軍隊その他の出征者は病気の敵と戦わなければなりません。むかしより長い戦争には戦場で討死する人よりも病気で死ぬ人が多いとしてあります。病気で死ぬのは犬死いぬじにで何の役に立ちません。我が出征者は先ず身体からだを大切にして病気の敵に勝たなければ戦争においても最後万全の勝利をる事が出来ません。勝利のもとは身体にあります。身体の基は食物にあります。食物の衛生に注意するのは敵人に勝つの大根本でありましょう。
 
第二 飲用水
 戦地に在って第一に注意しなければならんのが飲用水です。赤痢せきりとか虎列剌これらとかその他恐るべき流行病は大概飲用水から起ります。全体なら一度沸騰わかした水のほかは決して飲まないのに限りますけれども戦地ではその事を実行出来ない場合もありましょう。生水を飲む時は必ず消毒剤とともに飲まなければなりません。しかし人は習慣次第で生水を飲まないでも済むものです。外の食物をきっしておればその中に多少の水分がありますから水を飲まないでも済みます。殊に疲労してのどかわいた時は水を何ほど飲んでもその渇きが止まりません。そういう時は水を口へ入れて幾度いくど含嗽うがいするに限ります。飲んではいけません。飲むとかえって後の渇きを増します。この事は人の習慣で段々慣れると一日水を飲まずに済みます。現にその習慣のある人は冬の日に猟銃りょうじゅうを肩にして一日山野を跋渉ばっしょうしても決して水を飲みません。サンドウィッチや弁当を食べたのち谷川の水で口をすすぎさえすれば一日奔走ほんそうしておっても決して水を飲むに及びません。夏の炎天に山を登るのでも今の通りにしておれば水を飲まずに済みます。
 かわいた時水を飲むのは病毒を嚥下のみくだすという危険があるばかりでなく、胃中へ水がまって吸収されませんから非常に消化器を害します。多くの胃病は流動物の飲み過ぎから起るという位で、たとい無毒の水でも渇くに紛れて沢山飲み過ぎてはなりません。つまり身体からだを大切にするのは水を飲まない習慣を養うのが第一です。
 
第三 食物
 飲用水の次に注意すべきは食物です。これも戦地では贅沢ぜいたくな物を食べるとか衛生的の物をこしらえるとかいってもとてもそうは参りません。場合によれば石の交った御飯を食べなければならん事もあります。しかし何の食物でも衛生的に食べるという習慣を養わなければなりません。即ちよくくだいて胃中へ送るという習慣です。これはどんな場所でも何の場合でも自分の心掛こころがけ次第で出来ない事はありません。よく嚼んで食べると一度に多くの分量を食べ過ぎる事もありませんから自然と衛生法にかないます。食物は沢山食べたから身体からだの営養になるというわけでありません。つまり食べた物をよく消化吸収しなければ身体の養いにならぬ事は食道楽の本文に出ている通りです。あるいは敵を前にいてそんな優長な事が出来るかという人もありましょうけれども敵を前において物を食べるような事は毎日あるものでありません。一年も二年も戦地にる間平生へいぜいその心掛を忘れなければ必ず身体のためになります。
 
第四 食物の種類
 軍隊の人々は隊の支給がありますから自分の好みを言うことも出来ませんがしかしそれでも自分の心掛次第でその分量や配合を加減する事も出来ましょう。冬の寒い時に脂肪分しぼうぶんの食物が必要な事は勿論もちろんですが夏の暑い時でも脂肪分が不足すると色々な病気を起します。野菜が不足すれば便通が悪くなりますし、疲労した時に糖分を食べると早く恢復かいふくします。そのほか春はい物が良し、夏は辛い物が良しという風に食物の配合法は食道楽の本文に毎度出ていますからそれを応用するように心掛けるのが一番です。戦争だから食物なぞはどうでも構わんというのは不心得な事で、戦争の時は平生よりも食物に注意して身体を大切にしなければなりません。米国の軍隊に四か条の心得という事があってその第一は「兵の食物」としてあります。食物のいと悪いとは何ほど兵気へいきに関係するか知れません。しかし善い食物といっても贅沢ぜいたくな美食をしろというのでありません。衛生法にかなった食物が大切だという事です。
 
第五 酒
 陣中に酒を用ゆる事は或る場合に必要もありますが、しかし酒を飲み過ぎると必ず身体からだを害します。ことに冬の寒い時に酒を飲むのは非常の害があるので一時は寒気をしのぐようでもそのあとが一層寒気を感じてこごえたり病気を起したりします。食道楽の本文にもある通り酒でも食物でもほど加減かげんを忘れてはなりません。
 
第六 応急の手当
 軍隊の中にいたりあるいは負傷しても病院にいる時は医者も看護人もありますから色々の注意が行届きましょうがしかし隊を離れて負傷などをした者が民家に入ってひとりで手当をするような場合にはその時の心得がなければなりません。
 先ず負傷して疵口きずぐちへ応急の手当をするには塩かまたは上等の砂糖を沢山塗り付けると防腐の功があります。塩や砂糖はどんな処でも得られない事はありません。
 出血の長く止まらない時にはゼラチン即ち西洋にかわを湯で溶かして飲むと止血しけつの功がありますけれども西洋膠なぞは滅多にありません。その代り支那しなには海鼠きんこがありますからそれを煮て食べても止血の功があります。
 戦地では身体を冷すためよく痔疾じしつが起ってくるしむものです。痔の出血をとめるにも今のゼラチンを食べるのが一番良いとしてあります。医者の薬にもゼラチンを使う位ですからそういう場合には膠質にかわしつの物を択んで食べるのが良いので今の海鼠でもあるいは牛や豚のすねから足にも膠質が多いものです。菓物くだものならば林檎りんごや桃の皮と身との間に膠質が沢山あります。つまり膠質は血を濃くするもので局処の出血にゼラチンを注射する事もある位です。
 疵口なぞをいやす時には辛子からしのような刺撃性の物を食べてはいけません。
 
第七 寝冷ねびえの害
 これは食物に関係がないようですけれどもしかし消化器の力を弱めて胃腸の病気を起すのは寝冷が一番悪いので、夜寝る時腹部を冷さないようにしなければなりません。夏は木綿もめんを腹へ巻き冬はフランネルを腹へ巻いて寝るのが一番です。睡眠中に腹を冷すと胃や腸を害して急性の下痢げりを起します。何でも胃と腸が健全でなければ身体の勇気も出ませんから食物衛生を守るのが戦地では一番大切な事です。
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食道楽料理法索引


索引さくいんは五十おんわかちたり、読者どくしゃ便利べんり正式せいしき仮名かなによらず、オとヲ、イとヰ、のるいちかきものにれたり、

アの部

赤茄子あかなすスープ         春   第三十 万年スープ
あんず羊羹ようかん           春   第八十一 手製菓子
あじわらび            夏   第百十九 わらびのアク
アナゴの蒲焼かばやき         夏   第百三十九 鯛料理
油揚あぶらげ玉子煮たまごに         夏   第百四十 玉子料理
あんず蒸物むしもの           夏   第百四十三 赤茄子飯あかなすめし
赤茄子飯あかなすめし           夏   第百四十三 赤茄子飯あかなすめし
あせくすり            夏   第百七十九 野菜の功
あわびのトロロ          夏   第百七十九 野菜の功
あわびのフクラ         夏   第百七十九 野菜の功
昆布こんぶ           秋   第百九十二 昆布こんぶスープ
あゆ料理りょうり           秋   第百九十四 鮎とこうし
あゆ蒸焼むしやき           秋   第百九十四 鮎とこうし
あゆのグレー          秋   第百九十四 鮎とこうし
あゆのフエタス         秋   第百九十四 鮎とこうし
アスペラガス料理りょうり       秋   第百九十八 大立腹おおりっぷく
あゆ酢煮すに           秋   第二百十二 魚のグレー
あゆの三ばい醤油じょうゆ         秋   第二百十二 魚のグレー
あゆ甘露煮かんろに          秋   第二百十二 魚のグレー
あゆすし            秋   第二百十三 旅の弁当
赤茄子あかなすサンドウィッチ     秋   第二百十三 旅の弁当
鯵料理あじりょうり            秋   第二百十八 あじ料理
あじのスープ          秋   第二百十八 あじ料理
あじ酢煮すに           秋   第二百十八 あじ料理
あじもの          秋   第二百十八 あじ料理
あじ蓼酢たでず           秋   第二百十八 あじ料理
あじ蓼蒸たでむし          秋   第二百十八 あじ料理
あじ味噌焼みそやき          秋   第二百十八 あじ料理
あじ醤油干しょうゆぼし          秋   第二百十八 あじ料理
あじのロース          秋   第二百十八 あじ料理
あじのロール          秋   第二百十八 あじ料理
あじ姿酢すがたず           秋   第二百十八 あじ料理
あじ摺身すりみ           秋   第二百十八 あじ料理
アラローツプデン[#「アラローツプデン」は底本では「アロルートプデン」]       秋   第二百二十一 食物の成分
家鴨あひるのロース         秋   第二百二十一 食物の成分
家鴨あひるのグレー         秋   第二百二十一 食物の成分
家鴨あひるのシチュー        秋   第二百二十一 食物の成分
赤茄子あかなすスープ         秋   第二百二十五 赤茄子あかなす
赤茄子あかなす肉詰にくづめ         秋   第二百二十五 赤茄子あかなす
赤茄子あかなすのジャム        秋   第二百三十二 赤茄子ジャム
赤茄子あかなす羊羹ようかん         秋   第二百三十二 赤茄子ジャム
アイスクリーム        秋   第二百四十四 アイスクリーム
赤茄子あかなすスープ(手軽てがる)     秋   第二百四十七 二十銭料理
赤茄子あかなす詰物つめもの         秋   第二百四十九 三十銭料理
あわ立方たてかた           秋   第二百五十四 泡の立ち方
油揚飯あぶらげめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第十 油揚あぶらげ飯」
あゆすし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第四十六 あゆの鮨」
あわ赤飯せきはん           秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第五十 あわの赤飯」
赤茄子あかなすソース         秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第六 赤茄子あかなすソースのペラオ飯」
赤茄子飯あかなすめし           秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第七 赤茄子飯」
蛤蜊あさりのライスカレー      秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二十一 蛤蜊あさりのライスカレー」
アスペラガストース      秋付録 パン料理五十種の「第十一 アスペラガストース」
アンチョビトース       秋付録 パン料理五十種の「第十五 アンチョビトース」
赤茄子あかなすサンドウィッチ     秋付録 パン料理五十種の「第二十七 赤茄子あかなすサンドイッチ」
アスペーキゼリー       冬   第三百三十六 鶏の割方さきかた
アロツートのかゆ        冬付録 病人の食物調理法の「第十二 アロルートの粥」
アテチョーのスープ      冬付録 病人の食物調理法の「第四十二 アテチョーのスープ」
アスペラガスのスープ     冬付録 病人の食物調理法の「第四十三 アスペラガスのスープ」
あんずのグラスカスター      冬付録 病人の食物調理法の「第五十一 あんずのグラスカスター」
あんずのゼリー          冬付録 病人の食物調理法の「第六十四 あんずのゼリー」
アイルシチュ(挽肉ひきにく)     冬付録 病人の食物調理法の「第百八 挽肉のアイルシチュー」
アイルシチュ(にわとり)      冬付録 病人の食物調理法の「第百二十二 鶏のアイルシチュー」

イの部

いも昆布こんぶ           春   第十九 人の噂
芋入餅いもいりもち            春   第十九 人の噂
胃病いびょう食物しょくもつ          春   第四十六 病気全快
苺酒いちござけ             春   第四十九 イチゴざけ
イチボにく           春   第五十五 イチボ
いちご葡萄酒ぶどうしゅ          夏   第百四十二 菓子料理
いちご菓子かし           夏   第百四十二 菓子料理
イチボの徳用料理とくようりょうり       夏   第百七十五 徳用料理
伊勢海老いせえびのコロッケー     夏   第百八十 海老料理
伊勢海老いせえび料理りょうり        夏   第百八十 海老料理
イナの味噌焼みそやき         秋   第二百十八 あじ料理
いちごのジャム          秋   第二百三十二 赤茄子ジャム
いわしのフエタス         秋   第二百四十七 二十銭料理
いわしのグレー          秋   第二百四十九 三十銭料理
いわし料理りょうり           秋   第二百五十八 いわし料理
いわし粟漬あわづけ           秋   第二百五十八 いわし料理
いわし煮付につけ           秋   第二百五十八 いわし料理
いわし味噌煮みそに          秋   第二百五十八 いわし料理
いわしのバターげ        秋   第二百五十八 いわし料理
いわし酢煮すに           秋   第二百五十八 いわし料理
いわし糠漬ぬかづけ           秋   第二百五十八 いわし料理
いわし照焼てりやき           秋   第二百五十八 いわし料理
烏賊飯いかめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第三十七 烏賊いか飯」
いわしのサンドウィッチ      秋付録 パン料理五十種の「第三十三 いわしのサンドイッチ」
イナダの餡掛あんかけ         冬   第二百八十六 さば船場煮せんばに
無花果いちじくのジャム        冬   第二百八十七 季節の食物
育児法いくじほう            冬   第三百二十六 育児法
炒米いりごめかゆ           冬付録 病人の食物調理法の「第四 炒米いりごめの粥」
隠元豆いんげんまめのスープ        冬付録 病人の食物調理法の「第三十三 隠元豆いんげんまめのスープ」
いちごのグラスカスター      冬付録 病人の食物調理法の「第五十三 いちごのグラスカスター」
いちごのゼリー          冬付録 病人の食物調理法の「第六十五 苺のゼリー」
いちごのジャム          冬付録 病人の食物調理法の「第七十三 いちごのジャム」

ウの部

うなぎ中毒ちゅうどく           春   第四十三 うなぎの中毒
うなぎ蒲焼かばやき           春   第四十三 うなぎの中毒
梅干うめぼしこう           春   第五十 梅干の功
梅干うめぼし煮方にかた          春   第五十一 水道の水
独活うど酢煮すに          春   第八十 岡目八目おかめはちもく
梅干酢うめぼしず            春   第八十六 豚料理
梅羊羹うめようかん            秋   第百九十九 梅料理
うめのソース          秋   第百九十九 梅料理
うめ煮物にもの           秋   第百九十九 梅料理
うめ素麺そうめん           秋   第百九十九 梅料理
うめのジャム          秋   第百九十九 梅料理
うめのシロップ         秋   第百九十九 梅料理
うめいと            秋   第百九十九 梅料理
うなぎのシチュー         秋   第二百十二 魚のグレー
うなぎのソース         秋   第二百十二 魚のグレー
うなぎのフライ          秋   第二百十二 魚のグレー
うなぎのバターき        秋   第二百十二 魚のグレー
うなぎ寄物よせもの           秋   第二百十二 魚のグレー
うしした            秋   第二百四十二 寄せ物[#「第二百四十二 寄せ物」は底本では「第二百四十四 アイスクリーム」]
うしのシチュー       秋   第二百五十 牛の尾
うしあたまのシチュー       秋   第二百五十 牛の尾
うしあたまのプロー[#「プロー」は底本では「ブロー」]        秋   第二百五十 牛の尾
うしのスープ        秋   第二百五十 牛の尾[#「第二百五十 牛の尾」は底本では「第二百五十三 玉子廻し」]
ウグイのすし          秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第四十七 うぐいの鮨」
牛乳飯ぎゅうにゅうめし            秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二十五 牛乳飯」
うし脳味噌のうみそ          冬   第二百八十八 牛の脳味噌
うし臓物ぞうもつ           冬   第二百八十九 牛の臓物ぞうもつ
うしした            冬   第二百八十九 牛の臓物ぞうもつ
うし胃袋いぶくろ           冬   第二百八十九 牛の臓物ぞうもつ
うし腎臓じんぞう           冬   第二百八十九 牛の臓物ぞうもつ
うし心臓しんぞう           冬   第二百九十 見世物の種
饂飩うどん             冬   第三百十一 小麦の粉
うさぎのシチュー         冬   第三百四十四 うさぎのシチュー
うめのグラスカスター      冬付録 病人の食物調理法の「第五十四 梅のグラスカスター」
うし挽肉ひきにく           冬付録 病人の食物調理法の「第百四 牛の挽肉ひきにく

エの部

豌豆えんどうスープ          春   第三十 万年スープ
海老えびスープ          夏   第百四 味自慢
豌豆えんどうスープ          夏   第百三十七 玉子麩たまごぶ
豌豆えんどうのソース        夏   第百七十九 野菜の功
海老えびのコロッケ        夏   第百八十 海老料理
海老えびのフエタス        秋   第百九十四 鮎とこうし
海老えびのサラダ         秋   第二百十六 ライスカレー
豌豆飯えんどうめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第十六 豌豆えんどう飯」
海老飯えびめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第二十七 海老えび飯」

オの部

多福豆たふくまめ           春   第二十四 秘伝
オイスタークリーム      春   第三十一 牡蠣かき料理
オートミルのマッシ      春   第七十四 色々の朝食あさめし
オムレツ           秋   第二百八 蒸し料理
重湯おもゆ             冬付録 病人の食物調理法の「第一 重湯おもゆ
オートミル          冬付録 病人の食物調理法の「第五 オートミルの粥」
オムレツの一         冬付録 病人の食物調理法の「第百三十四 オムレツの一」
オムレツの二         冬付録 病人の食物調理法の「第百三十五 オムレツの二」
オムレツの三         冬付録 病人の食物調理法の「第百三十六 オムレツの三」

カの部

カステラなべ        春   第十 豚の刺身
干瓢かんぴょう煮方にかた          春   第二十三 お豆腐
牡蠣かきのフライ         春   第三十一 牡蠣かき料理
カツレツ手軽法てがるほう        春   第四十二 カツレツ
カロリーひょう          春   第四十五 食餌箋しょくじせん
軽焼餅かるやきもち            春   第八十三 小児の食物
海藻類かいそうるい分析表ぶんせきひょう         春付録 日用食品分析表の「○海草類」
貝類かいるい分析表ぶんせきひょう          春付録 日用食品分析表の「○貝類」
かき玉子たまご           夏   第九十 お吸物
かれい餡掛あんかけ           夏   第百十二 お稽古けいこ
松魚料理かつおりょうり           夏   第百三十八 松魚かつお料理
松魚かつお刺身さしみ          夏   第百三十八 松魚かつお料理
松魚かつおたたき          夏   第百三十八 松魚かつお料理
松魚かつお煮付につけ          夏   第百三十八 松魚かつお料理
かわナマス           夏   第百三十九 鯛料理
カステラ           夏   第百六十六 上等のカステラ
カスターソース        夏   第百七十七 豆腐素麺とうふそうめん
カツレツ           秋   第百九十一 上等料理
がん肝料理きもりょうり          秋   第百九十七 鳥料理
かきの功            秋   第二百 菓物くだものの効
カステラ           秋   第二百四 軽便法
カップカスター        秋   第二百三十一 暑中の飲物
カップケーキ         秋   第二百四十 安直主義[#「第二百四十 安直主義」は底本では「第二百四十八 ペラオめし」]
カステラ菓子がし         秋   第二百五十七 カステラ菓子
カステラのソース       秋   第二百五十七 カステラ菓子
カステラのプデン       秋   第二百五十七 カステラ菓子
カビネットプデン       秋   第二百五十七 カステラ菓子
蒲鉾飯かまぼこめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第二十六 蒲鉾かまぼこ飯」
鴨飯かもめし             秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第二十九 鴨飯」
かい柱飯はしらめし           秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第三十一 貝の柱飯」
凱旋飯がいせんめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第三十九 凱旋がいせん飯」
牡蠣飯かきめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第四十 牡蠣かき飯」
牡蠣雑炊かきぞうに           秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第四十一 牡蠣雑炊ぞうすい
カレンズめし          秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第三十一 カレンズ飯」
カビヤサンドウィッチ     秋付録 パン料理五十種の「第三十四 カビヤサンドイッチ」
カビヤブレッド        秋付録 パン料理五十種の「第三十五 カビヤブレッド」
カナペール          秋付録 パン料理五十種の「第四十五 カナペール」
カマスの味噌汁みそじる        冬   第二百七十九 鯛汁
かきナマス           冬   第二百八十五 柿料理
家庭かてい養鶏ようけい          冬   第三百三十二 家庭の養鶏
かものロース          冬   第三百四十七 鴨のロース
鰹節かつぶしエキス          冬付録 病人の食物調理法の「第二十九 鰹節かつぶしエキス」
かぶのスープ          冬付録 病人の食物調理法の「第三十四 かぶのスープ」

キの部

牛乳ぎゅうにゅう飲方のみかた          春   第四十四 流動物
牛乳ぎゅうにゅう検査法けんさほう         春   第四十四 流動物
去勢鶏きょせいどりにく          春   第五十二 無類の珍味
牛肉ぎゅうにく味噌吸物みそすいもの[#ルビの「みそすいもの」は底本では「みそずいもの」]        春   第八十五 軽い鍋
牛肉ぎゅうにく酢味噌すみそ         夏   第百十二 お稽古けいこ
牛乳ぎゅうにゅう検査けんさ          夏   第百二十三 牛乳の検査
牛肉ぎゅうにく餡掛あんかけ          夏   第百四十一 肉料理
黄身素麺きみぞうめん[#「黄身素麺」は底本では「黄身素麭」]           夏   第百七十六 夏向なつむき料理
胡瓜きゅうり葛引くずひき          夏   第百七十八 胡瓜きゅうり茄子なす
胡瓜きゅうり糠味噌漬ぬかみそづけ        夏   第百七十八 胡瓜きゅうり茄子なす
胡瓜きゅうり肉詰にくづめ          夏   第百七十八 胡瓜きゅうり茄子なす
牛乳ぎゅうにゅう蒸物むしもの          秋   第二百八 蒸し料理
キャベツまき          秋   第二百十八 あじ料理
牛肉崩ぎゅうにくくず料理りょうり         秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
牛肉ぎゅうにく煮加減にかげん         秋   第二百二十六 チース料理
牛乳ぎゅうにゅう沸騰点ふっとうてん         秋   第二百六十八 料理の教授法
牛乳ぎゅうにゅうかゆ           秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第六 牛乳の粥」
牛肉飯ぎゅうにくめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第三十 牛肉飯」
牛肉ぎゅうにくのライスカレー      秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第十八 牛肉のライスカレー」
牛乳飯ぎゅにゅうめし            秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二十五 牛乳飯」
牛肉ぎゅうにく区別くべつ          冬   第三百五 肉の区別
雉子きじ料理りょうり          冬   第三百四十五 手軽料理
雉子きじのロース         冬   第三百四十六 きじのロース
牛乳ぎゅうにゅう良否りょうひ          冬   第三百五十四 牛乳の良否
牛乳ぎゅうにゅう相場そうば          冬   第三百五十五 牛乳の相場
牛乳ぎゅうにゅうかゆ           冬付録 病人の食物調理法の「第二十二 牛乳の粥」
牛肉ぎゅうにくのスープ         冬付録 病人の食物調理法の「第三十一 牛肉のスープ」
キャベツのスープ       冬付録 病人の食物調理法の「第三十八 キャベツのスープ」
牛乳ぎゅうにゅうのゼリー         冬付録 病人の食物調理法の「第百四十七 牛乳のゼリー」

クの部

葛入餅くずいりもち            春   第四 南京豆
胡桃餅くるみもち            春   第六十九 長手紙
慈姑くわい揚物あげもの          春   第八十五 軽い鍋
菓物類くだものるい分析表ぶんせきひょう         春付録 日用食品分析表の「○果実類」
慈姑くわいのシンジョ        夏[#「夏」は底本では「春付録」]   第百三十七 玉子麩たまごぶ
慈姑くわい金団きんとん          夏   第百五 世の流行
葛麺くずめん             夏   第百七十六 夏向なつむき料理
葛切くずきり             夏   第百七十六 夏向なつむき料理
クッキービスケ        秋   第二百七 ビスケット
菓物くだもののシロップ        秋   第二百三十一 暑中の飲物
クリーム           秋   第二百四十六 クリーム
菓物くだもののポンチ         秋   第二百四十六 クリーム
枸枯飯くこめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第十九 枸枯くこ飯」
栗飯くりめし             秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第二十一 栗飯」
クロソースのペラオメシ    秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第三 黒ソースのペラオ飯」
くだにく            秋付録 パン料理五十種の「第二十三 砕き肉のサンドイッチ」
クリームサンドウィッチ    秋付録 パン料理五十種の「第三十二 クリームサンドイッチ」
くりふくマセ         冬   第二百八十三 葡萄豆ぶどうまめ
栗料理くりりょうり            冬   第二百八十四 栗料理
栗金団くりきんとん            冬   第二百八十四 栗料理
くりのプデン          冬   第三百 薩摩芋
クリーム           冬   第三百五十三 ヒレの焼方
クラックホイート       冬付録 病人の食物調理法の「第十八 クラックホイートのマッシ」
菓物くだもののジャム         冬付録 病人の食物調理法の「第七十四 菓物くだもののジャム」

ケの部

ケーポン料理りょうり         春   第五十四 肉の味
玄米げんまいかゆ           春   第五十六 玄米のかゆ
検乳器けんにゅうき          夏付録 台所道具の図
ケンネあぶら           冬   第三百二十 パイの別法
玄米げんまいのマッシ         冬付録 病人の食物調理法の「第十九 玄米のマッシ」
鶏肉けいにくエキス          冬付録 病人の食物調理法の「第二十七 鶏肉けいにくエキス」
鶏肉けいにくスープ          冬付録 病人の食物調理法の「第三十 鶏肉スープ」
ケズレーのパイ        冬付録 病人の食物調理法の「第百二十九 ケズレーのパイ」

コの部

昆布こぶたけ         春   第十四 廃物利用
珈琲コーヒーせんかた         春   第十四 廃物利用
五味ごみ             春   第三十四 五味ごみ
こうしのシブレ          春   第五十五 イチボ
コーンミル[#「コーンミル」は底本では「コルーンミル」]         春   第七十五 十日に十色といろ
牛蒡ごぼう柔煮やわらかに          春   第八十五 軽い鍋
穀物類こくもつるい分析表ぶんせきひょう         春付録 日用食品分析表の「○穀類」
根菜類こんさいるい分析表ぶんせきひょう         春付録 日用食品分析表の「○根菜類」
こめのプデン          夏   第八十九 米料理
こめのオムレツ         夏   第八十九 米料理
こめのフライ          夏   第八十九 米料理
こめのコロッケ         夏   第八十九 米料理
胡麻醤油ごまじょうゆ           夏   第百十八 御熱心
珈琲コーヒーがい           夏   第百二十四 食物の性質
五目鮨ごもくずし            夏   第百三十二 五目鮨ごもくずし
牛蒡ごぼう天麩羅てんぷら          夏   第百四十 玉子料理
コロッケー          夏   第百七十五 徳用料理
五色ごしきゼリー          夏   第百七十八 胡瓜きゅうり茄子なす
珈琲挽コーヒーひき          夏付録 台所道具の図
犢料理こうしりょうり            秋   第百八十六 鮎の料理
こうしのチャップ         秋   第百八十六 鮎の料理
こうしのカツレツ         秋   第百八十六 鮎の料理
こうしのシチュー         秋   第百八十六 鮎の料理
こうしのフルカセー        秋   第百八十六 鮎の料理
こうしのロース          秋   第百八十六 鮎の料理
コロッケー          秋   第百九十一 上等料理
昆布こぶスープ          秋   第百九十二 昆布こんぶスープ
こうしのシブレ          秋   第百九十四 鮎とこうし
珈琲コーヒーのアイスクリーム     秋   第二百 菓物くだものの効
珈琲コーヒーブラマンジ        秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
こめプデン[#「米プデン」は底本では「米フデン」]           秋   第二百二十八 老人の食物
コールポーク[#「コールポーク」は底本では「コールボーク」]         秋   第二百四十一 冷肉れいにく料理
こうしあたま            秋   第二百五十 牛の尾
コルンスタッチの菓子かし     秋   第二百五十 牛の尾
こうしした            秋   第二百五十 牛の尾
珈琲コーヒーケーキ          秋   第二百五十三 玉子廻し
米料理こめりょうりしゅ          秋付録 米料理百種
五目飯ごもくめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第二十五 五目ごもく飯」
コジャ            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第四十九 こじゃきねり」
こめのコロッケー        秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第十四 米のコロッケー」
こめさかなのコロッケー      秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第十五 米と魚のコロッケー」
こめ牛肉ぎゅうにくのコロッケー     秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第十六 米と牛肉のコロッケー」
こめさかなのケズレー       秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第十七 米と魚のケズレー」
こめのスープ          秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二十三 米のスープ」
こめ朝飯あさめし         秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二十六 米の粉の朝飯あさめし
こめのフライ          秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第三十三 米のフライ」
こめのフエタス         秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第三十四 米のフエタス」
こめのオムレツ         秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第三十六 米のオムレツ」
こめのソフレオムレツ      秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第三十七 米のソフレオムレツ」
こめ菓子かし           秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第三十八 米のソフレ」
こめのソフレ        秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第三十九 米の粉のソフレ」
こめのブラマンジ        秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第四十一 米のブラマンジ」
こめのバハローム        秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第四十二 米のバハローム」
こめのスポンジゼリー      秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第四十三 米のスポンジゼリー」
こめのプデン          秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第四十五 お米のプデン(蒸すもの)」
こめのプデン        秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第四十七 米の粉のプデン」
コロトン           秋付録 パン料理五十種の「第四十六 コロトン」
こうしのレバー          冬   第二百八十九 牛の臓物ぞうもつ
こめ功能こうのう           冬   第三百八 米の説明
小鳥料理ことりりょうり           冬   第三百四十二 小鳥料理
コルンスタッチ        冬付録 病人の食物調理法の「第十一 コルンスタッチの粥」
こめのマッシ        冬付録 病人の食物調理法の「第二十 米の粉のマッシ」
珈琲コーヒーのグラスカスター     冬付録 病人の食物調理法の「第六十 珈琲こーひー同」
こめのオムレツ         冬付録[#「冬付録」は底本では「秋付録」] 病人の食物調理法の「第百三十九 米のオムレツ」
ココア            冬付録 病人の食物調理法の「第百四十四 ココア」
ココアのゼリー        冬付録 病人の食物調理法の「第百五十 ココアのゼリー」

サの部

薩摩芋さつまいも梅干和うめぼしあえ         春   第十八 芋料理
薩摩芋さつまいも茶巾絞ちゃきんしぼり       春   第十八 芋料理
薩摩芋さつまいもせん          春   第十八 芋料理
薩摩芋さつまいものフライ        春   第十八 芋料理
薩摩芋さつまいも蒸物むしもの         春   第十八 芋料理
薩摩芋さつまいも            春   第十九 人の噂
里芋さといも煮方にかた          春   第二十二 芋章魚いもだこ
薩摩芋さつまいも菓子かし         春   第八十一 手製菓子
サワラの玉子たまごソース      春   第八十六 豚料理
魚類さかなるい分析表ぶんせきひょう[#「分析表」は底本では「分拆表」]          春付録 日用食品分析表の「○魚類」
サワラのやき        夏   第百五 世の流行
サワラのフライ        夏   第百十二 お稽古けいこ
さかな葛炊くずたき          夏   第百十九 わらびのアク
さかな湯引ゆびき           夏   第百三十九 鯛料理
莢豌豆さやえんどう煮物にもの         夏   第百四十 玉子料理
さけ試験しけん           夏   第百六十二 酒の試験
サラダ            夏   第百七十五 徳用料理
さかなのケズレー         秋   第百九十四 鮎とこうし
さかなのオムレツ         秋   第二百八 蒸し料理
さかなのグレー          秋   第二百十二 魚のグレー
サンドウィッチ        秋   第二百十三 旅の弁当
さかな淡雪あわゆきソース        秋   第二百十八 あじ料理
さかなのシタフェ         秋   第二百三十三 下等肉
三十せん料理りょうり          秋   第二百四十九 三十銭料理
薩摩芋さつまいもかゆ          秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第八 薩摩芋の粥」
桜飯さくらめし             秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第九 桜飯さくらめし
里芋飯さといもめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第十三 里芋飯」
薩摩芋飯さつまいもめし           秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第二十二 薩摩芋飯」
鯖鮓さばず             秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第四十五 さば鮨」
サフランめし          秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第八 サフラン飯」
さかなのライスカレー       秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二十 魚のライスカレー」
サラダサンドウィッチ     秋付録 パン料理五十種の「第二十九 野菜サンドイッチ」
さかなのサンドウィッチ      秋付録 パン料理五十種の「第三十一 魚のサンドイッチ」
さば船場煮せんばに          冬   第二百八十六 さば船場煮せんばに
薩摩芋さつまいも酢煮すに         冬   第三百 薩摩芋[#「第三百 薩摩芋」は底本では「第二百九十九 松茸料理」]
薩摩芋さつまいも西洋料理せいようりょうり       冬   第三百 薩摩芋
さけ豆腐とうふ           冬   第三百十五 酒の酔
さかなこめのスープ        冬付録 病人の食物調理法の「第四十八 魚と米のスープ」
さけのゼリー          冬付録 病人の食物調理法の「第六十八 葡萄酒ぶどうしゅのゼリー」
さかなのコロッケー        冬付録 病人の食物調理法の「第百三十 魚のコロッケー」

シの部

シチウ            春   第二十三 お豆腐
シチューなべ        春   第二十四 秘伝
椎茸しいたけ             春   第二十六 名物
馬鈴薯じゃがいも[#「馬鈴薯の」は底本では「馬歳薯の」]煮方にかた         春   第三十二 料理の原則
食物しょくもつ原則げんそく          春   第三十二 料理の原則
心臓病しんぞうびょう食物しょくもつ         春   第四十六 病気全快
ジャーマントース       春   第七十五 十日に十色といろ
醤油しょうゆ検査法けんさほう          春   第七十六 醤油しょうゆ検査法
したのシチュウ         春   第七十九 三十六品
食品しょくひん分析表ぶんせきひょう[#「分析表」は底本では「分拆表」]          春付録 日用食品分析表
椎茸飯しいたけめし            夏   第九十 お吸物
松露豆腐しょうろどうふ           夏   第百十二 お稽古けいこ
シュークリーム        夏   第百四十二 菓子料理
しろソース           夏   第百七十九 野菜の功
食器しょくき価格表かかくひょう          夏付録 西洋食器類価格表
食品しょくひん価格表かかくひょう          夏付録 西洋食品価格表
塩昆布しおこんぶ            秋   第百九十二 昆布こんぶスープ
白瓜しろうりのフエタス        秋   第百九十四 鮎とこうし
ジンジャービスケ       秋   第二百七 ビスケット
ジャムのサンドウィッチ    秋   第二百十三 旅の弁当
吃逆しゃっくりくすり           秋   第二百二十三 吃逆しゃっくりの薬
シャッパッパイ[#「シャッパッパイ」は底本では「シャッバッパイ」]        秋   第二百二十五 赤茄子あかなす
暑中しょちゅう飲物のみもの          秋   第二百三十一 暑中の飲物
シロップ           秋   第二百三十一 暑中の飲物
シタフトマト         秋   第二百三十一 暑中の飲物
白瓜料理しろうりりょうり           秋   第二百五十 牛の尾
タン・シチュー[#「タン・シチュー」は底本では「シターシチュウ」]        秋   第二百五十 牛の尾
したのフルカセー        秋   第二百五十 牛の尾
ジャムロール         秋   第二百五十六 お茶菓子
ジャムケーキ         秋   第二百五十七 カステラ菓子
試験問題しけんもんだい           秋   第二百六十三 試験問題
白粥しらかゆ             秋付録[#「秋付録」は底本では「秋」] 米料理百種「日本料理の部」の「第二 白粥しらかゆ
紫蘇飯しそめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第十四 紫蘇しそ飯」
椎茸しいたけ飯            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第十五 椎茸しいたけ飯」
しろソースのペラオメシ     秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二 白ソースのペラオ飯」
ジュースソースペラオメシ   秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第四 肉汁ジュースソースのペラオ飯」
ジャムカップライス      秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第四十四 ジャムカップライス」
ジャムライスプデン      秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第四十八 ジャムライスプデン」
食麺麭しょくぱん製法せいほう         秋付録 パン料理五十種の「第一 食パンの製法」
ジャーマントース       秋付録 パン料理五十種の「第五 ジャーマントース」
ジャムサンドウィッチ     秋付録 パン料理五十種の「第二十六 ジャムサンドイッチ」
ジャムトースプデン      秋付録 パン料理五十種の「第四十一 ジャムトースプデン」
滋養じようスープ          冬   第二百八十 滋養スープ
シルバーケーキ        冬   第三百三十一 白い菓子
シューカナペール       冬   第三百四十 鳥の米料理
猪料理ししりょうり            冬   第三百四十三 しし料理
白粥しらかゆ             冬付録 病人の食物調理法の「第三 白粥しらかゆ
ジャミヤのかゆ         冬付録 病人の食物調理法の「第十五 ジャミヤのマッシ」
馬鈴薯じゃがいも[#「馬鈴薯の」は底本では「馬歳薯の」]スープ        冬付録 病人の食物調理法の「第四十六 ジャガ芋のスープ」
シロップすい          冬付録 病人の食物調理法の「第百四十六 シロップ水」

スの部

スープなべ         春   第三十 万年スープ
水道すいどうみず           春   第五十一 水道の水
スタンデンドビーフ      春   第五十五 イチボ
スリ立汁たてじる           夏   第百十八 御熱心
スポンジケーキ        夏   第百四十三 赤茄子飯あかなすめし
すみビスケ           夏   第百六十七 炭ビスケ
スポンジソース        夏   第百七十七 豆腐素麺とうふそうめん
スポンジゼリー        秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
スープ            秋   第二百四十九 三十銭料理
スープ            秋   第百九十 中等料理
ズイキえ          秋   第二百六十九 鳥の汁
スープのかゆ          秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第五 スープの粥」
スライストース        秋付録 パン料理五十種の「第四 スライストース」
スカンボロトース       秋付録 パン料理五十種の「第九 スカンボロトース」
すもも[#「すももの」は底本では「すももの」]グラスカスター      冬付録 病人の食物調理法の「第五十八 すもも同」
スープのゼリー        冬付録 病人の食物調理法の「第七十 スープのゼリー」
スカンボロエッグス      冬付録 病人の食物調理法の「第百三十三 スカンボロエッグス」
スポンジゼリー        冬付録 病人の食物調理法の「第百四十八 スポンジゼリーの一」

セの部

ゼリーの寄方よせかた         夏   第百七十八 胡瓜きゅうり茄子なす
セリーしゅソース[#「セリー酒ソース」は底本では「ゼリー酒ソース」]        秋   第百九十一 上等料理
セーゴプデン         秋   第二百二十一 食物の成分
セーゴブラマンジ       秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
ぜんまいこう            冬   第二百八十七 季節の食物
西洋梨せいようなし食頃たべごろ         冬   第二百八十八 牛の脳味噌
セロリーのスープ       冬付録 病人の食物調理法の「第四十 セロリーのスープ」

ソの部

雑煮ぞうに大根だいこん          春   第一 腹中ふくちゅうの新年
ソースなべ         春   第八十五 軽い鍋
蚕豆そらまめ羊羹ようかん          夏   第百四十三 赤茄子飯あかなすめし
蕎麦そばのケーキ         秋   第二百七 ビスケット
ソーダ松魚がつお料理りょうり       秋   第二百十七 ソーダ松魚がつお
ソーダ松魚がつお白焼しらやき       秋   第二百十七 ソーダ松魚がつお
ソーダ松魚がつお切身付焼きりみつけやき     秋   第二百十七 ソーダ松魚がつお
ソーダ松魚がつお摺身すりみ       秋   第二百十七 ソーダ松魚がつお
ソーダ松魚がつお簾煮すだれやき       秋   第二百十七 ソーダ松魚がつお
ソーダ松魚がつお蝋燭焼ろうそくやき      秋   第二百十七 ソーダ松魚がつお
ソフレー           秋   第二百二十九 ソフレー
ソドル            秋   第二百三十一 暑中の飲物
蚕豆飯そらまめめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第十七 蚕豆そらまめ飯」
蕎麦そば打方うちかた          冬   第三百十六 新蕎麦しんそば
蕎麦そばつゆ           冬   第三百十六 新蕎麦しんそば
セーゴのマッシ        冬付録 病人の食物調理法の「第十三 セーゴのマッシ」

タの部

大豆餅だいずもち            春   第十九 人の噂
章魚たこ柔煮やわらに          春   第二十二 芋章魚いもだこ
玉葱たまねぎスープ          春   第三十 万年スープ
玉子たまご半熟法はんじゅくほう         春   第三十七 鶏卵たまごの半熟
玉子たまご善悪よしあし          春   第三十八 玉子の善悪よしあし
田毎豆腐たごとどうふ           春   第四十一 田毎豆腐たごとどうふ
大根だいこんフロフキ         春   第四十一 田毎豆腐たごとどうふ
たいスープ           春   第四十八 たいスープ
玉子たまご牛乳ぎゅうにゅう淡雪あわゆき       春   第七十四 色々の朝食あさめし
タピオカ[#「タピオカ」は底本では「タビオカ」]とセーゴ       春   第七十五 十日に十色といろ
沢庵たくあんこう           春   第七十五 十日に十色といろ
タンシチュー         春   第七十九 三十六品
たい塩辛煮しおからに          春   第八十六 豚料理
玉子たまごソース          春   第八十六 豚料理
たけ昆布こんぶ         夏   第百四 味自慢
玉子たまごのハハソづけ        夏   第百四 味自慢
玉子たまご半熟はんじゅく          夏   第百四 味自慢
たけ梅和うめあえ        夏   第百十二 お稽古けいこ
たけ餡掛あんかけ         夏   第百十八 御熱心
たいのゴーレン         夏   第百十九 わらびのアク
玉子麩たまごぶ            夏   第百三十七 玉子麩たまごぶ
たい味噌汁みそしる          夏   第百三十七 玉子麩たまごぶ
たいのソース         夏   第百三十九 鯛料理
たい玉子酢たまごす[#「玉子酢たまごす」は底本では「玉子鮓たまごず」]          夏   第百三十九 鯛料理
たけ漬物つけもの         夏   第百四十 玉子料理
たい揚物あげもの           夏   第百七十九 野菜の功
玉子たまご淡雪あわゆき          秋   第二百六 玉子の雪
玉子たまごゆき           秋   第二百六 玉子の雪
玉子たまごのサンドウィッチ     秋   第二百十三 旅の弁当
玉子たまごのブラマンジ       秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
たい難波煮なんばに          秋   第二百六十九 鳥の汁
大根飯だいこんめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第十二 大根飯」
たけめし           秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第二十 竹の子飯」
鯛飯たいめし             秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第三十二 たい飯」
たい胡麻汁飯ごまじるめし         秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第三十三 鯛の胡麻汁ごまじる飯」
たい汁掛飯しるかけめし          秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第三十四 鯛のしるけ飯」
田毎飯たごとめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第三十六 田毎たごと飯」
たい雀飯すずめめし           秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第四十八 鯛の雀鮨すずめずし
玉子たまごソースのペラオメシ[#「ペラオメシ」は底本では「ベラオメシ」]    秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第五 玉子ソースのペラオ飯」
玉子たまごのライスカレー      秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二十二 玉子のライスカレー」
玉子たまごトース[#「玉子トース」は底本では「玉子ソース」]          秋付録 パン料理五十種の「第八 玉子トース」
玉子たまごのサンドウィッチ     秋付録 パン料理五十種の「第二十 玉子のサンドイッチ」
鯛汁たいじる             冬   第二百七十九 鯛汁
たいのフクメ          冬   第二百八十三 葡萄豆ぶどうまめ
ターツ菓子かし          冬   第三百十九 ターツ菓子
タピオカのマッシ       冬付録 病人の食物調理法の「第十四 タピオカのマッシ」
玉葱たまねぎのスープ         冬付録 病人の食物調理法の「第三十七 玉葱たまねぎのスープ」
たいのスープ          冬付録 病人の食物調理法の「第四十九 たいの頭のスープ」
だいだいのグラスカター       冬付録 病人の食物調理法の「第五十六 だいだい同」
玉子たまご半熟はんじゅく          冬付録 病人の食物調理法の「第百三十一 半熟玉子」

チの部

チョコレートブラマンジ    秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
チース料理りょうり          秋   第二百二十六 チース料理
チースフエタス        秋   第二百二十六 チース料理
チーストース         秋   第二百二十九 ソフレー
チーストロン         秋   第二百二十九 ソフレー
チースソフレー        秋   第二百二十九 ソフレー
チョコレートカステラ     秋   第二百四十三 手軽な菓子
チーケーキ          秋   第二百五十五 珈琲こーひーケーキ
茶碗鮨ちゃわんずし            秋   第二百七十 茶碗鮨ちゃわんずし
茶粥ちゃがゆ             秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第七 茶粥ちゃかゆ
チキンブロー         秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第十二 チキンブロー」
チキンライス         秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第十三 チキンライス」
チースメシ          秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第三十二 チース飯」
チーストース         秋付録 パン料理五十種の「第十四 チーストース」
チースサンドウィッチ     秋付録 パン料理五十種の「第三十 チースサンドイッチ」
チキンブローの重湯おもゆ      冬付録 病人の食物調理法の「第二 チキンブローの重湯」
チキンブロー         冬付録 病人の食物調理法の「第百二十 チキンブロー」
チョコレートのゼリー     冬付録 病人の食物調理法の「第百五十一 チョコレートゼリー」

ツの部

テの部

テンピノ          春   第十 豚の刺身
デプロマーテ         秋   第百九十九 梅料理
テンピノ取扱とりあつかい         秋   第二百五十五 珈琲こーひーケーキ

トの部

とりソボロ           春   第十九 人の噂
トウバニク[#「トウバニク」は底本では「トリバニク」]          春   第三十三 東坡肉とうばにく
トウスパンの食方たべかた       春   第四十八 たいスープ
とりのミドリニ         春   第八十六 豚料理
鳥類とりるい分析表ぶんせきひょう          春付録 日用食品分析表の「○鳥肉類」
豆腐とうふ吸物すいもの          夏   第九十 お吸物
とりつめ            夏   第百十一 こわい肉
豆腐とうふのフライ         夏   第百四十 玉子料理
とり山葵醤油わさびじょうゆ         夏   第百四十一 肉料理
とりのソース         夏   第百四十一 肉料理
トマトソース         夏   第百七十五 徳用料理
豆腐素麺とうふそうめん           夏   第百七十七 豆腐素麺とうふそうめん
とりスープ           秋   第百九十三 鳥スープ
南瓜とうなすのプデン         秋   第二百八 蒸し料理
南瓜料理とうなすりょうり           秋   第二百十 南瓜とうなす料理
南瓜とうなす胡麻酢ごます         秋   第二百十 南瓜とうなす料理
南瓜とうなすの三杯酢ばいず         秋   第二百十 南瓜とうなす料理
南瓜とうなす葛掛くずかけ          秋   第二百十 南瓜とうなす料理
南瓜蒸とうなすむし            秋   第二百十 南瓜とうなす料理
南瓜とうなすのパイ          秋   第二百十 南瓜とうなす料理
冬瓜とうがん塩漬しおづけ          秋   第二百十一 野菜の煮物
冬瓜とうがんとソボロ         秋   第二百十一 野菜の煮物
冬瓜とうがん胡麻酢ごまず         秋   第二百十一 野菜の煮物
冬瓜とうがん葛掛くずかけ          秋   第二百十一 野菜の煮物
泥鰌どじょうのフライ         秋   第二百十二 魚のグレー
ドーナツ菓子かし         秋   第二百十八 あじ料理
ドライハッシ         秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
とりこめのコロッケ       秋   第二百二十五 赤茄子あかなす
トマトスープ         秋   第二百二十五 赤茄子あかなす
トマトシチュー        秋   第二百三十一 暑中の飲物
トーストプデン        秋   第二百四十八 ペラオめし
とり摺立汁すりたてじる          秋   第二百六十九 鳥の汁
豆腐飯とうふめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第十一 豆腐飯」
鳥飯とりめし             秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第三十五 鳥飯」
トルコめし           秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第十 土耳古とるこ飯」
とりのライスカレー       秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第十九 鶏肉けいにくのライスカレー」
トースパン          秋付録 パン料理五十種の「第二 トースパン」
とりのサンドウィッチ      秋付録 パン料理五十種の「第二十五 鶏肉けいにくサンドイッチ」
とりのシタフェ         冬   第二百八十四 栗料理
ドロップス          冬   第三百二十一 ドロップス
とり割方さきかた           冬   第三百三十六 鶏の割方さきかた
玉蜀黍とうもろこしのスープ        冬付録 病人の食物調理法の「第四十一 玉蜀黍とうもろこしのスープ」
トマトスープ         冬付録 病人の食物調理法の「第四十四 トマトスープ」
とりこめのスープ        冬付録 病人の食物調理法の「第四十七 鳥と米のスープ」
ドライハイシ         冬付録 病人の食物調理法の「第百十七 ドライハイシ」
とり[#「鳥の」は底本では「烏の」]フルカセー        冬付録 病人の食物調理法の「第百二十一 とりのフルカセー」
とりのアイルシチュー      冬付録 病人の食物調理法の「第百二十二 鶏のアイルシチュー」

ナの部

南京豆なんきんまめ汁粉しるこ         春   第四 南京豆
南京豆なんきんまめ和物あえもの         春   第四 南京豆
南京豆なんきんまめ豆腐とうふ         春   第四 南京豆
南京豆なんきんまめ成分せいぶん         春   第四 南京豆
南京豆なんきんまめ煮物にもの         春   第四十一 田毎豆腐たごとどうふ
なまり中毒ちゅうどく           春   第五十一 水道の水
菜類なるい分析表ぶんせきひょう          春付録 日用食品分析表の「○葉茎菜類並ニ瓜※(「くさかんむり/(瓜+瓜)」、第4水準2-86-59)類」
茄子なすのソース        夏   第百七十八 胡瓜きゅうり茄子なす
茄子なすのフライ         夏   第百七十八 胡瓜きゅうり茄子なす
茄子なすのフエタス        秋   第百九十四 鮎とこうし
梨子なしこう           秋   第二百 菓物くだものの効
茄子なす刺身さしみ          秋   第二百十一 野菜の煮物
なし煮方にかた           秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
茄子なす鍋田楽なべでんがく         秋   第二百七十 茶碗鮨ちゃわんずし
茄子なす辛漬からしづけ          秋   第二百七十 茶碗鮨ちゃわんずし
茄子なすの百一づけ         秋   第二百七十一 茄子の性質
梨子なし煮方にかた          冬   第二百八十八 牛の脳味噌

ニの部

肉漿にくしょう             春   第三十二 料理の原則
肉挽器械にくひききかい         夏[#「夏」は底本では「春」]   第百四十一 肉料理
重鍋じゅうなべ          春   第八十五 軽い鍋
人参にんじん酢煮すに          春   第四十一 田毎豆腐たごとどうふ
妊婦にんぷ食物しょくもつ          春   第四十六 病気全快
肉類にくるい分析表ぶんせきひょう          春付録 日用食品分析表の「○獣肉類」
錦玉子にしきたまご            夏   第百四十 玉子料理
肉類にくるいサンドウィッチ      秋   第二百十三 旅の弁当
二十せん弁当べんとう          秋   第二百三十九 二十銭弁当
二十せん料理りょうり          秋   第二百四十七 二十銭料理
肉類にくるいごろ         冬   第三百四十一 鳥の食べ頃
人参にんじんのスープ         冬付録 病人の食物調理法の「第三十六 人参にんじんのスープ」
肉入にくいりオムレツ         冬付録 病人の食物調理法の「第百三十七 肉入オムレツ」

ヌの部

ネの部

ノの部

海苔汁粉のりじるこ           春   第五 嫁捜よめさが
脳味噌のうみそのフライ        秋   第二百五十 牛の尾
脳味噌のうみそのコロッケ       秋   第二百五十 牛の尾
ノルマンデ          冬   第三百五十 骨の髄
パインナプルのグラスカスター 冬付録 病人の食物調理法の「第五十五 パインナプルおなじ

ハの部

バラーのシチウ        春   第二十三 お豆腐
麺麭ぱん餡掛あんかけ          春   第三十三 東坡肉とうばにく
麺麭ぱん食方たべかた          春   第四十八 たいスープ
麺麭ぱん餡掛あんかけ          春   第七十四 色々の朝食あさめし
はす梅干和うめぼしあえ          春   第八十五 軽い鍋
ハムエッグ          春   第八十六 豚料理
ハムのシチュー        夏   第百十九 わらびのアク
はす詰物つめもの           夏   第百四十 玉子料理
ハムのサコニ         夏   第百四十一 肉料理
バターの晒方さらしかた         夏   第百六十五 さらしバター
ハッビスケ          夏   第百七十四 試験
麺麭ぱんのフエタス        秋   第百九十四 鮎とこうし
バナナの[#「バナナ」は底本では「パナナ」]フエタス       秋   第百九十四 鮎とこうし
バタービスケ         秋   第二百七 ビスケット
ハムサンドウィッチ      秋   第二百十三 旅の弁当
バターケーキ         秋   第二百五十六 お茶菓子
バターのかゆ          秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第四 バターの粥」
初茸飯はつだけめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第二十四 初茸飯はつだけめし
蛤飯はまぐりめし             秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第二十八 はまぐり飯」
ハムめし            秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二十九 ハム飯」
麺麭料理ぱんりょうり五十しゅ        秋付録 パン料理五十種
バタートース         秋付録 パン料理五十種の「第三 バタートース」
麺麭ぱんのフエタス        秋付録 パン料理五十種の「第十七 パンのフエタス」
麺麭ぱんのジャムフエタス     秋付録 パン料理五十種の「第十八 パンのジャムフエタス」
麺麭ぱん赤茄子あかなすのシチュー    秋付録 パン料理五十種の「第十九 パンと赤茄子あかなすのシチュー」
ハムのサンドウィッチ     秋付録 パン料理五十種の「第二十一 ハムのサンドイッチ」
パテミーサンドウィッチ    秋付録 パン料理五十種の「第二十四 パテミーサンドイッチ」
麺麭粉ぱんこ製法せいほう         秋付録 パン料理五十種の「第三十七 パン粉」
麺麭ぱんのプデン         秋付録 パン料理五十種の「第三十八 パンのプデン(蒸す法)」
麺麭ぱんのカビネップデン     秋付録 パン料理五十種の「第四十二 パンのカビネットプデン」
麺麭ぱんのシャントリー      秋付録 パン料理五十種の「第四十三 パンと林檎りんごのシャントリー」
麺麭ぱんソース          秋付録 パン料理五十種の「第四十七 パンソース」
麺麭ぱんのホースミート      秋付録 パン料理五十種の「第四十八 パンのホースミート」
麺麭ぱんのシタフェ        秋付録 パン料理五十種の「第四十九 パンのシタフェ」
麺麭ぱんのフライシタフェ     秋付録 パン料理五十種の「第五十 パンのフライシタフェ」
麺麭種ぱんだね製法せいほう         冬   第三百九 パンだね
麺麭ぱん製法せいほう          冬   第三百十 食パンの製法
パイのかわ           冬   第三百十七 パイの皮
パテー            冬   第三百十九 ターツ菓子
パイの別法べっぽう          冬   第三百二十 パイの別法
バレーの重湯おもゆ         冬付録 病人の食物調理法の「第七 バレーの重湯」
ハムネマッシ         冬付録 病人の食物調理法の「第十七 ハムネーのマッシ」
はなキャベツのスープ      冬付録 病人の食物調理法の「第三十九 花キャベツのスープ」
巴丹杏はたんきょうのグラスカスター    冬付録 病人の食物調理法の「第五十九 巴丹杏はたんきょう同」
巴丹杏はたんきょうのゼリー        冬付録 病人の食物調理法の「第六十七 巴丹杏のゼリー」
ハムいりオムレツ        冬付録 病人の食物調理法の「第百三十八 ハム入オムレツ」

ヒの部

ビフテキのにく         春   第三十一 牡蠣かき料理
比良目ひらめ梅干酢うめぼしず        春   第八十六 豚料理
挽茶ひきちゃ羊羹ようかん          夏   第百五 世の流行
ビフテキ           秋   第百九十一 上等料理
雛料理ひなりょうり            秋   第百九十五 とりひな
挽茶ひきちゃのアイスクリーム     秋   第二百 菓物くだものの効
ビスケット          秋   第二百七 ビスケット
ひや珈琲こーひー           秋   第二百三十 赤茄子の味
ビーフスカラップ       秋   第二百三十三 下等肉
ビスケット          秋   第二百四十三 手軽な菓子
肥前飯ひぜんめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第四十二 肥前ひぜん飯」
肥前ひぜん押鮨おしずし          秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第四十四 肥前の押鮨おしずし
ピシャネール         冬   第三百四十五 手軽料理
雲雀ひばりのパイ          冬   第三百四十七 鴨のロース
ヒレにくのロース        冬   第三百五十一 牛肉の食頃たべごろ
ヒレの焼方やきかた          冬   第三百五十三 ヒレの焼方
ひつじにく            冬   第三百五十二 豚とこうし
病人料理びょうにんりょうり           冬付録 病人の食物調理法
ビフチー           冬付録 病人の食物調理法の「第二十四 ビフチー」
ビーツのスープ        冬付録 病人の食物調理法の「第四十五 ビーツのスープ」
挽肉ひきにくのビフテキ        冬付録 病人の食物調理法の「第百五 挽肉のビフテキ」
挽肉ひきにくのカツレツ        冬付録 病人の食物調理法の「第百六 挽肉のカツレツ」
挽肉ひきにくのシチュー        冬付録 病人の食物調理法の「第百七 挽肉のシチュー」
挽肉ひきにくのアイルシチュー     冬付録 病人の食物調理法の「第百八 挽肉のアイルシチュー」
挽肉ひきにくのフーカデン       冬付録 病人の食物調理法の「第百九 挽肉のフーカデン」
挽肉ひきにくのコロッケー       冬付録 病人の食物調理法の「第百十 挽肉のコロッケー」
ひつじのシチュー         冬付録 病人の食物調理法の「第百二十四 羊のシチュー」

フの部

ぶた寄生虫きせいちゅう          春   第九 豚料理
ぶた上等じょうとう刺身さしみ         春   第九 豚料理
ぶた刺身さしみ           春   第十 豚の刺身
ぶたのソボロ          春   第十 豚の刺身
ぶた炒豆腐いりどうふ          春   第十 豚の刺身
豚饂飩ぶたうどん            春   第十一 門違かどちが
ぶた大根だいこん           春   第十一 門違かどちが
ぶたとマカロニ         春   第十一 門違かどちが
ぶた角煮かくに           春   第三十二 料理の原則
蕗味噌ふきみそ            春   第四十一 田毎豆腐たごとどうふ
ぶり梅餡うめあん           春   第五十六 玄米のかゆ
豚饅頭ぶたまんじゅう            春   第八十六 豚料理
ぶたたけ          春   第八十六 豚料理
ぶたはまぐり            春   第八十六 豚料理
ふき白和しらあえ           夏   第百十八 御熱心
フライシュウ         夏   第百四十三 赤茄子飯あかなすめし
プデンがた         夏付録 台所道具の図
ふな甘露煮かんろに          秋   第二百十二 魚のグレー
フランチソース        秋   第二百十六 ライスカレー
ブラマンジ          秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
ブリスケにく          秋   第二百三十三 下等肉
ブリスケのボイル       秋   第二百三十三 下等肉
ブリスケの冷肉れいにく        秋   第二百三十三 下等肉
ぶたのロース          秋   第二百四十一 冷肉れいにく料理
ぶたのソボロめし         秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第三十八 豚のそぼろ飯」
ブラウンライススープ[#「ブラウンライススープ」は底本では「ブラランライススープ」]     秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二十四 ブラウンライススープ」
プラムライス         秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二十八 プラムライス」
豚飯ぶためし             秋付録[#「秋付録」は底本では「秋」] 米料理百種「西洋料理の部」の「第三十 豚飯」
ブレッドミルク        秋付録 パン料理五十種の「第十六 ブレッドミルク」
フライブレッド        秋付録 パン料理五十種の「第四十四 フライブレッド」
ブランライスプデン      冬   第二百八十一 病人の食物
ブランライスプデン      冬   第二百八十二 米料理
葡萄豆ぶどうまめ            冬   第二百八十三 葡萄豆ぶどうまめ
葡萄ぶどうのジャム         冬   第二百八十七 季節の食物
フルカセー          冬   第三百四十五 手軽料理
フォーグラー[#「フォーグラー」は底本では「フォーグスー」]         冬   第三百四十七 鴨のロース
ぶたこうし            冬   第三百五十二 豚とこうし
フレッシバター        冬   第三百五十三 ヒレの焼方
フハリナマッシ        冬付録 病人の食物調理法の「第十六 フハリナのマッシ」
フランスまめのスープ      冬付録 病人の食物調理法の「第三十二 仏蘭西豆ふらんすまめのスープ」
葡萄ぶどうのグラスカスター     冬付録 病人の食物調理法の「第六十一 生葡萄なまぶどう同」
葡萄酒ぶどうしゅのゼリー        冬付録 病人の食物調理法の「第六十八 葡萄酒ぶどうしゅのゼリー」
ブラマンジるい         冬付録 病人の食物調理法の「第七十六 ブラマンジ」
プデンるい           冬付録 病人の食物調理法の「第八十三 カスタープデンの一」

ヘの部

ヘットの手軽てがる製法せいほう       夏   第百六十四 食物の臭気
ベシンざら         夏付録 台所道具の図
ヘットの製法せいほう         秋   第二百十七 ソーダ松魚がつお
ペラオめし           秋   第二百四十八 ペラオめし[#「第二百四十八 ペラオめし」は底本では「第二百四十九 三十銭料理」]
ペラオめし           秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第一 ペラオめし
ペラオチキンめし        秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第十一 ペラオチキン飯」
ベーキントース        秋付録 パン料理五十種の「第十 ベーキントース」

ホの部

※(「魚+弗」、第3水準1-94-37)ほうぼう吸物すいもの          夏   第九十 お吸物
鳳蓮草ほうれんそう料理りょうり         夏   第百七十九 野菜の功
ポンチ            秋   第百九十八 大立腹おおりっぷく
ポテットミート        秋   第二百十三 旅の弁当
ぼら味噌焼みそやき          秋   第二百十八 あじ料理
ホンザー           秋   第二百五十七 カステラ菓子
ボタージデアラレン[#「ボタージデアラレン」は底本では「ポタージアラレン」]       冬   第二百八十 滋養スープ
ぼら土蔵焼どぞうやき          冬   第二百八十六 さば船場煮せんばに
ぼら饅頭焼まんじゅうやき          冬   第二百八十六 さば船場煮せんばに
ボイルチキン         冬   第三百四十 鳥の米料理
鳳蓮草ほうれんそうのスープ        冬付録 病人の食物調理法の「第三十五 ホウレン草のスープ」
ボイルチキン         冬付録 病人の食物調理法の「第百十八 ボイルドチキン」
ボイルドフィッシ       冬付録 病人の食物調理法の「第百二十七 ボイルドフィッシ」
ポストム珈琲こーひー         冬付録 病人の食物調理法の「第百四十二 ポストム珈琲こーひー

マの部

マカロぶた         春   第十一 門違かどちが[#「第十一 門違かどちがい」は底本では「第三十 万年スープ」]
万年まんねんスープ          春   第三十 万年スープ
豆炒麦湯まめいりむぎゆ           春   第七十五 十日に十色といろ
丸煮玉子まるにたまご           夏   第百四十 玉子料理
マッフン           夏   第百七十四 試験
マフンがた         夏付録 台所道具の図
マンゴー           秋   第二百 菓物くだものの効
マングスタン         秋   第二百 菓物くだものの効
マイナイソース[#「マイナイソース」は底本では「マイナイスソース」]       秋   第二百十六 ライスカレー
マカロニチース        秋   第二百二十六 チース料理
マルボントース        秋   第二百四十九 三十銭料理
松茸飯まつだけめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第二十三 松茸飯」
鮪飯まぐろめし             秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第四十三 まぐろ飯」
松茸まつだけ             冬   第二百九十六 松茸まつだけ
松茸料理まつだけりょうり           冬   第二百九十九 松茸料理
松茸飯まつだけめし            冬   第二百九十九 松茸料理
マルボントース[#「マルボントース」は底本では「マルポントース」]        冬   第三百五十 骨の髄
マトンブロー         冬付録 病人の食物調理法の「第百二十五 マトンブロー」
マカロニシチュー       冬付録 病人の食物調理法の「第百四十一 マカロニシチュー」

ミの部

味噌餅みそもち            春   第五 嫁捜よめさが
水飴みずあめ             春   第二十六 名物
蜜柑みかん葛掛くずかけ          春   第四十二 カツレツ
蜜柑みかんのフライ         春   第五十六 玄米のかゆ
蜜柑みかん丸煮まるに          春   第八十四 小児の衣服
蜜柑みかん寄物よせもの          夏   第百四十二 菓子料理
ミルクババローム       秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
ミルクトース         秋付録 パン料理五十種の「第六 ミルクトース」
ミルクトース         冬付録 病人の食物調理法の「第二十三 軽便ミルクトース」
蜜柑みかんのグラスカスター     冬付録 病人の食物調理法の「第五十七 蜜柑みかん同」
蜜柑みかんのゼリー         冬付録 病人の食物調理法の「第六十三 蜜柑のゼリー」

ムの部

ムツのフライ         春   第五十 梅干の功
ムツの酢漬すづけ          春   第八十六 豚料理
ムツのシタフェ        秋   第二百三十三 下等肉
蒸麺麭むしぱん            秋付録 パン料理五十種の「第三十六 蒸しパン」

メの部

メンチトース         秋   第二百二十五 赤茄子あかなす
めし炊方たきかた           秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第一 めしかた
めしのマッシ          秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第二十七 飯のマッシ」
メンチトース         秋付録 パン料理五十種の「第十二 メンチトース」
メンチトースコロッケ     秋付録 パン料理五十種の「第十三 メンチトースコロッケー」
メンチライス         冬付録[#「冬付録」は底本では「秋付録」] 病人の食物調理法の「第百十三 メンチライス」
メンチトース         冬付録 病人の食物調理法の「第百十四 メンチトース」
メンチポテト[#「メンチポテト」は底本では「メンチボテト」]         冬付録 病人の食物調理法の「第百十五 メンチポテト」
メンチボール[#「メンチボール」は底本では「メンチポール」]         冬付録 病人の食物調理法の「第百十六 メンチボール」

モの部

もち切方きりかた           春   第十九 人の噂
モカの珈琲コーヒー          春   第五十六 玄米のかゆ
もも煮方にかた           秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
もものグラスカスター      冬付録 病人の食物調理法の「第五十二 桃のグラスカスター」
もものゼリー          冬付録 病人の食物調理法の「第六十六 桃のゼリー」

ヤの部

ヤマメのフライ        春   第五十 梅干の功
ヤマメのソースカケ      春   第五十 梅干の功
焼林檎やきりんご            夏   第八十九 米料理
山吹魚やまぶきうお            夏   第百四 味自慢
野菜やさいのソース        秋   第二百十一 野菜の煮物
野菜やさいサンドウィッチ      秋   第二百十三 旅の弁当
野菜飯やさいめし            秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第九 野菜飯」
野菜やさいのサンドウィッチ     秋付録 パン料理五十種の「第二十九 野菜サンドイッチ」
野菜やさいのオムレツ        冬付録 病人の食物調理法の「第百四十 野菜入オムレツ」

ユの部

湯豆腐ゆどうふ            春   第二十三 お豆腐
百合ゆり天麩羅てんぷら         夏   第百五 世の流行
湯鰡ゆぼら             冬   第二百八十六 さば船場煮せんばに

ヨの部

嫁菜飯よめなめし            秋付録 米料理百種「日本料理の部」の「第十八 嫁菜よめな飯」

ラの部

ライスカレー         夏   第百五 世の流行
ライスカレー         秋   第二百十五 旅店りょてんの衛生
ライスブラマンジ       秋   第二百二十四 西洋の葛餅くずもち
ライスプデン         秋   第二百二十八 老人の食物
ライスソフレー        秋   第二百二十九 ソフレー
ライムジュース        秋   第二百三十一 暑中の飲物
ランのコロッケ        秋   第二百四十七 二十銭料理
ライスプデンのソース     秋付録[#「秋付録」は底本では「秋」] 米料理百種「西洋料理の部」の「第五十 ライスプデンのソース」

リの部

琉球りゅうきゅう塩豚しおぶた          春   第十 豚の刺身
琉球りゅうきゅう塩豚料理しおぶたりょうり        春   第十 豚の刺身
林檎りんご淡雪あわゆき          春   第十四 廃物利用
林檎りんごフライ          春   第十四 廃物利用
林檎りんごフライの上等じょうとう       春   第十五 昨夜の夢
林檎りんごのフライ         夏   第八十九 米料理
林檎りんごのフライ上等じょうとう       夏   第百四十一 肉料理
林檎りんご丸焼まるやき          夏   第百四十一 肉料理
林檎素麺りんごそうめん           夏   第百七十七 豆腐素麺とうふそうめん
林檎りんごゆき           夏   第百七十七 豆腐素麺とうふそうめん
林檎りんごのフエタス        秋   第百九十四 鮎とこうし
リソウ            秋   第二百二十五 赤茄子あかなす
料理りょうり原則げんそく          秋   第二百六十六 料理の原則
林檎りんごこめゆき         秋付録 米料理百種「西洋料理の部」の「第四十 林檎りんごと米の雪」
林檎りんごのパイ          冬   第三百十八 林檎りんごのパイ
林檎りんごのダンブル        冬   第三百十八 林檎りんごのパイ
林檎りんごのターツ[#「林檎のターツ」は底本では「林檎のダーツ」]         冬   第三百十九 ターツ菓子
林檎りんごのジャム         冬付録 病人の食物調理法の「第七十一 林檎りんごのジャム」
林檎りんごのゼリー         冬付録 病人の食物調理法の「第七十二 林檎のゼリー」

ルの部

レの部

蓮根れんこん白煮しらに          春   第八十五 軽い鍋
レモンしぼりの        夏付録 台所道具の図
レモンすい           秋   第二百三十 赤茄子の味
レモネード          秋   第二百三十 赤茄子の味
レモンゼリー         秋   第二百四十三 手軽な菓子
レデーケーキ         冬   第三百三十一 白い菓子
レモンのグラスカスター    冬付録 病人の食物調理法の「第五十 レモンのグラスカスター」
レモンのゼリー        冬付録 病人の食物調理法の「第六十二 レモンのゼリー」
レモネード          冬付録 病人の食物調理法の「第百四十五 レモネード」

ロの部

ロールオーツ         春   第七十五 十日に十色といろ
ロース            春   第八十四 小児の衣服
ロールキャベツ        秋   第二百十八 あじ料理
ロールパン          秋   第二百十九 下駄げたと帽子
ロースのサンドウィッチ    秋付録 パン料理五十種の「第二十二 ロースのサンドイッチ」
ロールオーツのかゆ       冬付録 病人の食物調理法の「第九 ロールオーツの粥」
ロースチキン         冬付録 病人の食物調理法の「第百十九 ロースチキン」

ワの部

山葵わさび             春   第二十六 名物
ワッフル           春   第八十二 ワッフル
ワッフルなべ        春   第八十二 ワッフル
わらび灰汁あく           夏   第百十九 わらびのアク
わらび白和しらあえ[#ルビの「しらあえ」は底本では「しらあい」]           夏   第百十九 わらびのアク
わらび甘酢あまず           夏   第百十九 わらびのアク
山葵わさびソース          夏   第百七十五 徳用料理
食道楽料理法索引 終





底本:「食道楽(下)」岩波文庫、岩波書店
   2005(平成17)年8月19日第1刷発行
   2008(平成20)年11月5日第4刷発行
   「増補註釋 食道楽 冬の巻」報知社出版部
   1904(明治37)3月28日発行
   1904(明治37)4月10日5版発行
底本の親本:「食道楽」報知社出版部
   1903(明治36)〜1904(明治37)年刊
初出:「報知新聞」
   1903(明治36)年1月〜12月
※挿絵は、水野年方(1866―1908)によります。
※「菓物」と「果物」、「こーひー」と「コーヒー」の混在は、底本通りです。
※「大隈伯邸花壇室内食卓真景の口絵(fig52355_01.png)」は、柴田書店刊の復刻版「増補註釋 食道楽 冬の巻」から複製したカラーの画像です。底本では白黒です。
※底本の「料理法索引」は「岩波書店が底本の親本の「料理法索引」を整理した」とあるため、底本を使用せず、項目と並び順は、柴田書店刊の復刻版「増補註釋 食道楽 冬の巻」の「食道楽料理法索引」を底本としました。従って「食道楽料理法索引」の注記にある「底本」とは、この柴田書店刊の復刻版「増補註釋 食道楽 冬の巻」のことです。
「増補註釋 食道楽 冬の巻」は旧字旧仮名で書かれているため、「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて表記をあらためました。
 本文の文字使いにあわせて、「鰺」は「鯵」、「※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)」は「煮」、「附」は「付」にあらためました。
「増補註釋 食道楽 冬の巻」の「食道楽料理法索引」では、項目の参照先として巻の名(春夏秋冬など)と頁数を示していますが、本テキストでは岩波文庫版にある巻の名と見出し番号と見出し表題を載せました。
入力:砂場清隆
校正:川山隆
2013年7月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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