一 クリスマス
昨年のクリスマスの午後、
堀川保吉は
須田町の
角から
新橋行の乗合自働車に乗った。彼の席だけはあったものの、自働車の中は
不相変身動きさえ出来ぬ満員である。のみならず震災後の東京の道路は自働車を
躍らすことも一通りではない。保吉はきょうもふだんの通り、ポケットに入れてある本を出した。が、
鍛冶町へも来ないうちにとうとう読書だけは断念した。この中でも本を読もうと云うのは
奇蹟を行うのと同じことである。奇蹟は彼の職業ではない。美しい円光を頂いた昔の西洋の
聖者なるものの、――いや、彼の隣りにいるカトリック教の宣教師は目前に奇蹟を行っている。
宣教師は何ごとも忘れたように小さい横文字の本を読みつづけている。年はもう五十を越しているのであろう、
鉄縁のパンス・ネエをかけた、鶏のように顔の赤い、短い
頬鬚のある
仏蘭西人である。保吉は横目を使いながら、ちょっとその本を
覗きこんだ、Essai sur les ……あとは何だか判然しない。しかし内容はともかくも、紙の黄ばんだ、活字の
細かい、とうてい新聞を読むようには読めそうもない
代物である。
保吉はこの宣教師に軽い敵意を感じたまま、ぼんやり空想に
耽り出した。――大勢の小天使は宣教師のまわりに読書の平安を
護っている。
勿論異教徒たる乗客の中には一人も小天使の見えるものはいない。しかし五六人の小天使は
鍔の広い帽子の上に、
逆立ちをしたり宙返りをしたり、いろいろの曲芸を演じている。と思うと肩の上へ
目白押しに並んだ五六人も乗客の顔を見廻しながら、天国の
常談を云い合っている。おや、一人の小天使は耳の穴の中から顔を出した。そう云えば鼻柱の上にも一人、得意そうにパンス・ネエに
跨っている。……
自働車の止まったのは
大伝馬町である。同時に乗客は三四人、一度に自働車を降りはじめた。宣教師はいつか本を
膝に、きょろきょろ窓の外を眺めている。すると乗客の降り終るが早いか、十一二の少女が一人、まっ先に自働車へはいって来た。
褪紅色の洋服に空色の
帽子を
阿弥陀にかぶった、妙に
生意気らしい少女である。少女は自働車のまん中にある
真鍮の柱につかまったまま、両側の席を見まわした。が、
生憎どちら側にも
空いている席は一つもない。
「お嬢さん。ここへおかけなさい。」
宣教師は太い腰を起した。言葉はいかにも手に入った、心もち鼻へかかる日本語である。
「ありがとう。」
少女は宣教師と入れ違いに保吉の隣りへ腰をかけた。そのまた「ありがとう」も顔のように
小ましゃくれた
抑揚に富んでいる。保吉は思わず顔をしかめた。由来子供は――殊に少女は二千年
前の今月今日、ベツレヘムに生まれた
赤児のように
清浄無垢のものと信じられている。しかし彼の経験によれば、子供でも悪党のない
訣ではない。それをことごとく神聖がるのは世界に
遍満したセンティメンタリズムである。
「お嬢さんはおいくつですか?」
宣教師は
微笑を含んだ眼に少女の顔を
覗きこんだ。少女はもう膝の上に毛糸の玉を転がしたなり、さも一かど編めるように二本の編み棒を動かしている。それが眼は油断なしに編み棒の先を追いながら、ほとんど
媚を帯びた返事をした。
「あたし? あたしは来年十二。」
「きょうはどちらへいらっしゃるのですか?」
「きょう? きょうはもう
家へ帰る所なの。」
自働車はこう云う問答の間に銀座の通りを走っている。走っていると云うよりは
跳ねていると云うのかも知れない。ちょうど昔ガリラヤの
湖にあらしを迎えたクリストの船にも
伯仲するかと思うくらいである。宣教師は
後ろへまわした手に
真鍮の柱をつかんだまま、何度も自働車の天井へ
背の高い頭をぶつけそうになった。しかし一身の
安危などは
上帝の意志に任せてあるのか、やはり微笑を浮かべながら、少女との問答をつづけている。
「きょうは
何日だか御存知ですか?」
「十二月二十五日でしょう。」
「ええ、十二月二十五日です。十二月二十五日は何の日ですか? お嬢さん、あなたは御存知ですか?」
保吉はもう一度顔をしかめた。宣教師は巧みにクリスト教の伝道へ移るのに違いない。コオランと共に剣を
執ったマホメット教の伝道はまだしも剣を執った所に人間同士の尊敬なり情熱なりを示している。が、クリスト教の伝道は全然相手を尊重しない。あたかも隣りに店を出した洋服屋の存在を教えるように
慇懃に神を教えるのである。あるいはそれでも知らぬ顔をすると、今度は外国語の授業料の代りに信仰を売ることを
勧めるのである。殊に少年や少女などに
画本や
玩具を与える傍ら、ひそかに彼等の魂を天国へ誘拐しようとするのは当然犯罪と呼ばれなければならぬ。保吉の隣りにいる少女も、――しかし少女は
不相変編みものの手を動かしながら、落ち着き払った返事をした。
「ええ、それは知っているわ。」
「ではきょうは何の日ですか? 御存知ならば云って御覧なさい。」
少女はやっと宣教師の顔へみずみずしい
黒眼勝ちの眼を注いだ。
「きょうはあたしのお
誕生日。」
保吉は思わず少女を見つめた。少女はもう
大真面目に編み棒の先へ目をやっていた。しかしその顔はどう云うものか、前に思ったほど生意気ではない。いや、むしろ可愛い中にも
智慧の光りの
遍照した、幼いマリアにも劣らぬ顔である。保吉はいつか彼自身の微笑しているのを発見した。
「きょうはあなたのお誕生日!」
宣教師は突然笑い出した。この
仏蘭西人の笑う
様子はちょうど人の
好いお
伽噺の中の大男か何かの笑うようである。少女は今度はけげんそうに宣教師の顔へ目を挙げた。これは少女ばかりではない。鼻の先にいる保吉を始め、両側の男女の乗客はたいてい宣教師へ目をあつめた。ただ彼等の目にあるものは疑惑でもなければ好奇心でもない。いずれも宣教師の
哄笑の意味をはっきり理解した
頬笑みである。
「お嬢さん。あなたは
好い日にお生まれなさいましたね。きょうはこの上もないお誕生日です。世界中のお祝いするお誕生日です。あなたは今に、――あなたの
大人になった時にはですね、あなたはきっと……」
宣教師は言葉につかえたまま、自働車の中を見廻した。同時に保吉と眼を合わせた。宣教師の眼はパンス・ネエの奥に笑い涙をかがやかせている。保吉はその幸福に満ちた
鼠色の眼の中にあらゆるクリスマスの美しさを感じた。少女は――少女もやっと宣教師の笑い出した理由に気のついたのであろう、今は多少
拗ねたようにわざと足などをぶらつかせている。
「あなたはきっと
賢い奥さんに――優しいお母さんにおなりなさるでしょう。ではお嬢さん、さようなら。わたしの降りる所へ来ましたから。では――」
宣教師はまた前のように一同の顔を見渡した。自働車はちょうど人通りの烈しい
尾張町の辻に止まっている。
「では皆さん、さようなら。」
数時間の
後、保吉はやはり尾張町のあるバラックのカフェの隅にこの小事件を思い出した。あの
肥った宣教師はもう電燈もともり出した今頃、何をしていることであろう? クリストと誕生日を共にした少女は
夕飯の
膳についた父や母にけさの出来事を話しているかも知れない。保吉もまた二十年
前には
娑婆苦を知らぬ少女のように、あるいは罪のない問答の前に娑婆苦を忘却した宣教師のように小さい幸福を所有していた。
大徳院の
縁日に
葡萄餅を買ったのもその頃である。
二州楼の大広間に活動写真を見たのもその頃である。
「
本所深川はまだ灰の山ですな。」
「へええ、そうですかねえ。時に
吉原はどうしたんでしょう?」
「吉原はどうしましたか、――
浅草にはこの頃お姫様の
婬売が出ると云うことですな。」
隣りのテエブルには商人が二人、こう云う会話をつづけている。が、そんなことはどうでも
好い。カフェの中央のクリスマスの木は綿をかけた
針葉の枝に
玩具のサンタ・クロオスだの銀の星だのをぶら下げている。
瓦斯煖炉の
炎も赤あかとその木の幹を照らしているらしい。きょうはお目出たいクリスマスである。「世界中のお祝するお誕生日」である。保吉は食後の紅茶を前に、ぼんやり
巻煙草をふかしながら、
大川の向うに人となった二十年
前の幸福を夢みつづけた。……
この数篇の
小品は一本の巻煙草の煙となる間に、続々と保吉の心をかすめた追憶の二三を記したものである。
二 道の上の秘密
保吉の
四歳の時である。彼は
鶴と云う女中と一しょに大溝の往来へ通りかかった。黒ぐろと
湛えた
大溝の向うは
後に
両国の
停車場になった、名高い
御竹倉の
竹藪である。
本所七不思議の一つに当る
狸の
莫迦囃子と云うものはこの藪の中から聞えるらしい。少くとも保吉は誰に聞いたのか、狸の莫迦囃子の聞えるのは勿論、おいてき堀や
片葉の
葭も御竹倉にあるものと確信していた。が、今はこの気味の悪い藪も狸などはどこかへ
逐い払ったように、日の光の
澄んだ風の中に黄ばんだ竹の
秀をそよがせている。
「坊ちゃん、これを御存知ですか?」
つうや(保吉は彼女をこう呼んでいた)は彼を顧みながら、人通りの少い道の上を
指した。
土埃の乾いた道の上にはかなり太い線が一すじ、薄うすと向うへ走っている。保吉は前にも道の上にこう云う線を見たような気がした。しかし今もその時のように何かと云うことはわからなかった。
「何でしょう? 坊ちゃん、考えて御覧なさい。」
これは
つうやの
常套手段である。彼女は何を尋ねても、
素直に教えたと云うことはない。必ず一度は
厳格に「考えて御覧なさい」を繰り返すのである。厳格に――けれども
つうやは母のように年をとっていた
訣でもなんでもない。やっと十五か十六になった、小さい
泣黒子のある
小娘である。もとより彼女のこう云ったのは少しでも保吉の教育に力を
添えたいと思ったのであろう。彼も
つうやの親切には感謝したいと思っている。が、彼女もこの言葉の意味をもっとほんとうに知っていたとすれば、きっと昔ほど
執拗に何にでも「考えて御覧なさい」を繰り返す
愚だけは
免れたであろう。保吉は
爾来三十年間、いろいろの問題を考えて見た。しかし何もわからないことはあの賢い
つうやと一しょに大溝の往来を歩いた時と少しも変ってはいないのである。……
「ほら、こっちにももう一つあるでしょう? ねえ、坊ちゃん、考えて御覧なさい。このすじは一体何でしょう?」
つうやは前のように道の上を
指した。なるほど同じくらい太い線が三尺ばかりの距離を置いたまま、
土埃の道を走っている。保吉は厳粛に考えて見た
後、とうとうその答を発明した。
「どこかの子がつけたんだろう、棒か何か持って来て?」
「それでも二本並んでいるでしょう?」
「だって
二人でつけりゃ二本になるもの。」
つうやはにやにや笑いながら、「いいえ」と云う代りに首を振った。保吉は勿論不平だった。しかし彼女は全知である。云わば Delphi の
巫女である。道の上の
秘密もとうの昔に
看破しているのに違いない。保吉はだんだん不平の代りにこの
二すじの線に対する驚異の情を感じ出した。
「じゃ何さ、このすじは?」
「何でしょう? ほら、ずっと向うまで同じように二すじ並んでいるでしょう?」
実際
つうやの云う通り、一すじの線のうねっている時には、向うに横たわったもう一すじの線もちゃんと同じようにうねっている。のみならずこの二すじの線は薄白い道のつづいた向うへ、永遠そのもののように通じている。これは一体何のために誰のつけた
印であろう? 保吉は
幻燈の中に
映る
蒙古の
大沙漠を思い出した。二すじの線はその大沙漠にもやはり細ぼそとつづいている。………
「よう、
つうや、何だって云えば?」
「まあ、考えて御覧なさい。何か二つ
揃っているものですから。――何でしょう、二つ揃っているものは?」
つうやもあらゆる巫女のように漠然と暗示を与えるだけである。保吉はいよいよ熱心に
箸とか手袋とか
太鼓の棒とか二つあるものを並べ出した。が、彼女はどの答にも容易に満足を表わさない。ただ妙に微笑したぎり、
不相変「いいえ」を繰り返している。
「よう、教えておくれよう。ようってば。
つうや。
莫迦つうやめ!」
保吉はとうとう
癇癪を起した。父さえ彼の癇癪には
滅多に
戦を
挑んだことはない。それはずっと
守りをつづけた
つうやもまた
重々承知しているが、彼女はやっとおごそかに道の上の秘密を説明した。
「これは車の輪の
跡です。」
これは車の輪の跡です! 保吉は
呆気にとられたまま、
土埃の中に断続した二すじの線を見まもった。同時に大沙漠の空想などは
蜃気楼のように消滅した。今はただ泥だらけの荷車が一台、寂しい彼の心の
中におのずから車輪をまわしている。……
保吉は
未だにこの時受けた、大きい教訓を
服膺している。三十年来考えて見ても、
何一つ
碌にわからないのはむしろ一生の幸福かも知れない。
三 死
これもその頃の話である。
晩酌の
膳に向った父は
六兵衛の
盞を手にしたまま、何かの拍子にこう云った。
「とうとうお
目出度なったそうだな、ほら、あの
槙町の
二弦琴の
師匠も。……」
ランプの光は
鮮かに黒塗りの
膳の上を照らしている。こう云う時の膳の上ほど、美しい色彩に
溢れたものはない。
保吉は
未だに
食物の色彩――
脯だの
焼海苔だの
酢蠣だの
辣薑だのの色彩を愛している。もっとも当時愛したのはそれほど
品の
好い色彩ではない。むしろ
悪どい
刺戟に富んだ、
生なましい色彩ばかりである。彼はその晩も膳の前に、
一掴みの
海髪を枕にした
めじの
刺身を見守っていた。すると
微醺を帯びた父は彼の芸術的感興をも物質的欲望と解釈したのであろう。
象牙の
箸をとり上げたと思うと、わざと彼の鼻の上へ醤油の
匂のする
刺身を出した。彼は勿論一口に食った。それから感謝の意を表するため、こう父へ話しかけた。
「さっきはよそのお師匠さん、今度は僕がお目出度なった!」
父は勿論、母や伯母も一時にどっと笑い出した。が、必ずしもその笑いは
機智に富んだ彼の答を了解したためばかりでもないようである。この疑問は彼の自尊心に多少の不快を感じさせた。けれども父を笑わせたのはとにかく
大手柄には違いない。かつまた
家中を陽気にしたのもそれ自身甚だ愉快である。保吉はたちまち父と一しょに出来るだけ大声に笑い出した。
すると笑い声の静まった
後、父はまだ微笑を浮べたまま、大きい手に保吉の
頸すじをたたいた。
「お目出度なると云うことはね、死んでしまうと云うことだよ。」
あらゆる答は
鋤のように問の根を
断ってしまうものではない。むしろ古い問の代りに新らしい問を芽ぐませる
木鋏の役にしか立たぬものである。三十年
前の保吉も三十年
後の保吉のように、やっと答を得たと思うと、今度はそのまた答の中に新しい問を発見した。
「死んでしまうって、どうすること?」
「死んでしまうと云うことはね、ほら、お前は
蟻を殺すだろう。……」
父は気の毒にも
丹念に死と云うものを説明し出した。が、父の説明も少年の論理を
固守する彼には少しも満足を与えなかった。なるほど彼に殺された蟻の走らないことだけは確かである。けれどもあれは死んだのではない。ただ彼に殺されたのである。死んだ蟻と云う以上は格別彼に殺されずとも、じっと走らずにいる蟻でなければならぬ。そう云う蟻には
石燈籠の下や
冬青の木の根もとにも出合った覚えはない。しかし父はどう云う
訣か、全然この差別を無視している。……
「殺された蟻は死んでしまったのさ。」
「殺されたのは殺されただけじゃないの?」
「殺されたのも死んだのも同じことさ。」
「だって殺されたのは殺されたって云うもの。」
「云っても何でも同じことなんだよ。」
「違う。違う。殺されたのと死んだのとは同じじゃない。」
「
莫迦、何と云うわからないやつだ。」
父に
叱られた保吉の泣き出してしまったのは
勿論である。が、いかに叱られたにしろ、わからないことのわかる道理はない。彼はその
後数箇月の間、ちょうどひとかどの哲学者のように死と云う問題を考えつづけた。死は不可解そのものである。殺された蟻は死んだ蟻ではない。それにも
関らず死んだ蟻である。このくらい秘密の
魅力に富んだ、
掴え所のない問題はない。保吉は死を考える度に、ある日
回向院の
境内に見かけた二匹の犬を思い出した。あの犬は入り日の光の中に反対の方角へ顔を向けたまま、一匹のようにじっとしていた。のみならず妙に
厳粛だった。死と云うものもあの二匹の犬と何か似た所を持っているのかも知れない。……
するとある火ともし頃である。保吉は役所から帰った父と、薄暗い
風呂にはいっていた。はいっていたとは云うものの、体などを洗っていたのではない。ただ胸ほどある
据え風呂の中に恐る恐る立ったなり、白い
三角帆を張った
帆前船の処女航海をさせていたのである。そこへ客か何か来たのであろう、
鶴よりも年上の女中が一人、
湯気の立ちこめた
硝子障子をあけると、
石鹸だらけになっていた父へ
旦那様何とかと声をかけた。父は
海綿を使ったまま、「よし、今行く」と返事をした。それからまた保吉へ顔を見せながら、「お前はまだはいってお
出。今お母さんがはいるから」と云った。勿論父のいないことは格別帆前船の処女航海に
差支えを生ずる次第でもない。保吉はちょっと父を見たぎり、「うん」と
素直に返事をした。
父は体を拭いてしまうと、濡れ手拭を肩にかけながら、「どっこいしょ」と太い腰を起した。保吉はそれでも頓着せずに帆前船の三角帆を直していた。が、
硝子障子のあいた音にもう一度ふと目を挙げると、父はちょうど
湯気の中に
裸の背中を見せたまま、風呂場の向うへ出る所だった。父の
髪はまだ白い
訣ではない。腰も若いもののようにまっ
直である。しかしそう云う後ろ姿はなぜか
四歳の保吉の心にしみじみと寂しさを感じさせた。「お父さん」――一瞬間帆前船を忘れた彼は思わずそう呼びかけようとした。けれども二度目の硝子戸の音は静かに父の姿を隠してしまった。あとにはただ湯の
匂に満ちた
薄明りの広がっているばかりである。
保吉はひっそりした据え風呂の中に茫然と大きい目を
開いた。同時に従来不可解だった死と云うものを発見した。――死とはつまり父の姿の永久に消えてしまうことである!
四 海
保吉の海を知ったのは五歳か六歳の頃である。もっとも海とは云うものの、
万里の大洋を知ったのではない。ただ
大森の海岸に
狭苦しい
東京湾を知ったのである。しかし狭苦しい東京湾も当時の保吉には驚異だった。奈良朝の歌人は海に寄せる恋を「
大船の
香取の海に
碇おろしいかなる人かもの思わざらん」と歌った。保吉は勿論恋も知らず、万葉集の歌などと云うものはなおさら一つも知らなかった。が、日の光りに
煙った海の何か妙にもの悲しい神秘を感じさせたのは事実である。彼は海へ張り出した
葭簾張りの茶屋の手すりにいつまでも海を眺めつづけた。海は白じろと
赫いた帆かけ船を
何艘も浮かべている。長い煙を空へ引いた二本マストの汽船も浮かべている。翼の長い
一群の
鴎はちょうど猫のように啼きかわしながら、海面を斜めに飛んで行った。あの船や鴎はどこから来、どこへ行ってしまうのであろう? 海はただ
幾重かの
海苔粗朶の向うに青あおと煙っているばかりである。……
けれども海の不可思議を一層
鮮かに感じたのは
裸になった父や
叔父と
遠浅の
渚へ下りた時である。保吉は初め砂の上へ静かに寄せて来るさざ波を怖れた。が、それは父や叔父と海の中へはいりかけたほんの二三分の感情だった。その
後の彼はさざ波は勿論、あらゆる海の
幸を享楽した。茶屋の手すりに眺めていた海はどこか見知らぬ顔のように、珍らしいと同時に
無気味だった。――しかし
干潟に立って見る海は大きい
玩具箱と同じことである。玩具箱! 彼は実際神のように海と云う世界を玩具にした。
蟹や
寄生貝は
眩ゆい
干潟を
右往左往に歩いている。浪は今彼の前へ一ふさの海草を運んで来た。あの
喇叭に似ているのもやはり
法螺貝と云うのであろうか? この砂の中に隠れているのは
浅蜊と云う貝に違いない。……
保吉の享楽は壮大だった。けれどもこう云う享楽の中にも多少の寂しさのなかった
訣ではない。彼は従来海の色を青いものと信じていた。両国の「
大平」に売っている
月耕や
年方の
錦絵をはじめ、当時流行の
石版画の海はいずれも同じようにまっ
青だった。殊に
縁日の「からくり」の見せる
黄海の海戦の光景などは黄海と云うのにも
関らず、毒々しいほど青い
浪に白い浪がしらを躍らせていた。しかし目前の海の色は――なるほど目前の海の色も沖だけは青あおと
煙っている。が、
渚に近い海は少しも青い色を帯びていない。正にぬかるみのたまり水と選ぶ所のない
泥色をしている。いや、ぬかるみのたまり水よりも一層
鮮かな
代赭色をしている。彼はこの代赭色の海に予期を裏切られた寂しさを感じた。しかしまた同時に勇敢にも
残酷な現実を承認した。海を青いと考えるのは沖だけ見た
大人の誤りである。これは誰でも彼のように海水浴をしさえすれば、異存のない真理に違いない。海は実は代赭色をしている。バケツの
錆に似た代赭色をしている。
三十年前の保吉の態度は三十年後の保吉にもそのまま
当嵌る態度である。代赭色の海を承認するのは一刻も早いのに越したことはない。かつまたこの代赭色の海を青い海に変えようとするのは
所詮徒労に
畢るだけである。それよりも代赭色の海の
渚に美しい貝を発見しよう。海もそのうちには沖のように一面に青あおとなるかも知れない。が、将来に
れるよりもむしろ現在に安住しよう。――保吉は予言者的精神に富んだ二三の友人を尊敬しながら、しかもなお心の一番底には
不相変ひとりこう思っている。
大森の海から帰った後、母はどこかへ行った帰りに「
日本昔噺」の中にある「
浦島太郎」を買って来てくれた。こう云うお
伽噺を読んで
貰うことの楽しみだったのは勿論である。が、彼はそのほかにももう一つ楽しみを持ち合せていた。それはあり合せの水絵具に一々
挿絵を
彩ることだった。彼はこの「浦島太郎」にも早速彩色を加えることにした。「浦島太郎」は一冊の
中に
十ばかりの挿絵を含んでいる。彼はまず浦島太郎の
竜宮を去るの図を
彩りはじめた。竜宮は緑の屋根瓦に赤い柱のある宮殿である。
乙姫は――彼はちょっと考えた
後、乙姫もやはり衣裳だけは一面に赤い色を塗ることにした。浦島太郎は考えずとも
好い、漁夫の着物は濃い
藍色、
腰蓑は薄い
黄色である。ただ細い
釣竿にずっと黄色をなするのは
存外彼にはむずかしかった。
蓑亀も毛だけを緑に塗るのは
中々なまやさしい仕事ではない。最後に海は代赭色である。バケツの
錆に似た代赭色である。――保吉はこう云う色彩の調和に芸術家らしい満足を感じた。殊に
乙姫や
浦島太郎の顔へ薄赤い色を加えたのは
頗る
生動の
趣でも伝えたもののように信じていた。
保吉は
々母のところへ彼の作品を見せに行った。何か
縫ものをしていた母は老眼鏡の
額越しに挿絵の彩色へ目を移した。彼は当然母の口から
褒め言葉の出るのを予期していた。しかし母はこの彩色にも彼ほど感心しないらしかった。
「海の色は
可笑しいねえ。なぜ青い色に塗らなかったの?」
「だって海はこう云う色なんだもの。」
「
代赭色の海なんぞあるものかね。」
「大森の海は代赭色じゃないの?」
「大森の海だってまっ
青だあね。」
「ううん、ちょうどこんな色をしていた。」
母は彼の
強情さ加減に驚嘆を
交えた
微笑を
洩らした。が、どんなに説明しても、――いや、
癇癪を起して彼の「浦島太郎」を引き
裂いた
後さえ、この疑う余地のない代赭色の海だけは信じなかった。……「海」の話はこれだけである。もっとも
今日の保吉は話の
体裁を整えるために、もっと小説の結末らしい結末をつけることも困難ではない。たとえば話を終る前に、こう云う
数行をつけ加えるのである。――「保吉は母との問答の中にもう一つ重大な発見をした。それは誰も代赭色の海には、――人生に横わる代赭色の海にも目をつぶり易いと云うことである。」
けれどもこれは事実ではない。のみならず満潮は大森の海にも青い色の
浪を立たせている。すると現実とは代赭色の海か、それともまた青い色の海か?
所詮は我々のリアリズムも甚だ
当にならぬと云うほかはない。かたがた保吉は前のような無技巧に話を終ることにした。が、話の
体裁は?――芸術は諸君の云うように何よりもまず内容である。形容などはどうでも差支えない。
五 幻燈
「このランプへこう火をつけて頂きます。」
玩具屋の主人は金属製のランプへ黄色いマッチの火をともした。それから
幻燈の
後ろの戸をあけ、そっとそのランプを器械の中へ移した。
七歳の
保吉は息もつかずに、テエブルの前へ及び腰になった主人の手もとを眺めている。
綺麗に髪を左から分けた、妙に色の蒼白い主人の手もとを眺めている。時間はやっと三時頃であろう。玩具屋の外の
硝子戸は一ぱいに当った日の光りの中に絶え間のない人通りを
映している。が、玩具屋の店の中は――殊にこの玩具の
空箱などを
無造作に積み上げた店の隅は日の暮の薄暗さと変りはない。保吉はここへ来た時に何か気味悪さに近いものを感じた。しかし今は幻燈に――幻燈を映して見せる主人にあらゆる感情を忘れている。いや、彼の後ろに立った父の存在さえ忘れている。
「ランプを入れて頂きますと、あちらへああ
月が出ますから、――」
やっと腰を起した主人は保吉と云うよりもむしろ父へ向うの
白壁を指し示した。幻燈はその白壁の上へちょうど
差渡し三尺ばかりの光りの円を
描いている。柔かに黄ばんだ光りの円はなるほど月に似ているかも知れない。が、白壁の
蜘蛛の巣や
埃もそこだけはありありと目に見えている。
「こちらへこう
画をさすのですな。」
かたりと云う音の聞えたと思うと、光りの円はいつのまにかぼんやりと何か映している。保吉は金属の熱する
匂に一層好奇心を
刺戟されながら、じっとその何かへ目を注いだ。何か、――まだそこに映ったものは風景か人物かも判然しない。ただわずかに見分けられるのははかない
石鹸玉に似た色彩である。いや、色彩の似たばかりではない。この白壁に映っているのはそれ自身大きい石鹸玉である。夢のようにどこからか
漂って来た薄明りの中の石鹸玉である。
「あのぼんやりしているのはレンズのピントを合せさえすれば――この前にあるレンズですな。――
直に御覧の通りはっきりなります。」
主人はもう一度及び腰になった。と同時に石鹸玉は見る見る一枚の風景画に変った。もっとも日本の風景画ではない。水路の両側に家々の
聳えたどこか西洋の風景画である。時刻はもう日の暮に近い頃であろう。
三日月は右手の家々の空にかすかに光りを放っている。その三日月も、家々も、家々の窓の
薔薇の花も、ひっそりと
湛えた水の上へ
鮮かに影を落している。人影は勿論、見渡したところ
鴎一羽浮んでいない。水はただ
突当りの橋の下へまっ直に一すじつづいている。
「イタリヤのベニスの風景でございます。」
三十年後の保吉にヴェネチアの魅力を教えたのはダンヌンチオの小説である。けれども当時の保吉はこの家々だの水路だのにただたよりのない寂しさを感じた。彼の愛する風景は大きい
丹塗りの
観音堂の前に無数の
鳩の飛ぶ
浅草である。あるいはまた高い時計台の下に鉄道馬車の通る銀座である。それらの風景に比べると、この家々だの水路だのは何と云う寂しさに満ちているのであろう。鉄道馬車や鳩は見えずとも
好い。せめては向うの橋の上に一列の汽車でも
通っていたら、――ちょうどこう思った
途端である。大きいリボンをした少女が一人、右手に並んだ窓の一つから突然小さい顔を出した。どの窓かははっきり覚えていない。しかし大体三日月の下の窓だったことだけは確かである。少女は顔を出したと思うと、さらにその顔をこちらへ向けた。それから――
遠目にも愛くるしい顔に疑う余地のない
頬笑みを浮かべた? が、それは
掛け
価のない一二秒の間の出来ごとである。思わず「おや」と目を見はった時には、少女はもういつのまにか窓の中へ姿を隠したのであろう。窓はどの窓も同じように
人気のない窓かけを
垂らしている。……
「さあ、もう
映しかたはわかったろう?」
父の言葉は茫然とした彼を現実の世界へ呼び戻した。父は葉巻を
啣えたまま、
退屈そうに後ろに
佇んでいる。
玩具屋の外の往来も
不相変人通りを絶たないらしい。主人も――綺麗に髪を分けた主人は
小手調べをすませた
手品師のように、妙な蒼白い
頬のあたりへ満足の微笑を漂わせている。保吉は急にこの幻燈を一刻も早く彼の部屋へ持って帰りたいと思い出した。……
保吉はその晩父と一しょに
蝋を引いた布の上へ、もう一度ヴェネチアの風景を映した。
中空の三日月、両側の家々、家々の窓の
薔薇の花を映した一すじの水路の水の光り、――それは皆前に見た通りである。が、あの愛くるしい少女だけはどうしたのか今度は顔を出さない。窓と云う窓はいつまで待っても、だらりと下った窓かけの
後に家々の秘密を封じている。保吉はとうとう待ち遠しさに堪えかね、ランプの具合などを気にしていた父へ
歎願するように話しかけた。
「あの女の子はどうして出ないの?」
「女の子? どこかに女の子がいるのかい?」
父は保吉の問の意味さえ、はっきりわからない様子である。
「ううん、いはしないけれども、顔だけ窓から出したじゃないの?」
「いつさ?」
「玩具屋の壁へ映した時に。」
「あの時も女の子なんぞは出やしないさ。」
「だって顔を出したのが見えたんだもの。」
「何を云っている?」
父は何と思ったか保吉の額へ手のひらをやった。それから急に保吉にもつけ景気とわかる大声を出した。
「さあ、今度は何を映そう?」
けれども保吉は耳にもかけず、ヴェネチアの風景を眺めつづけた。窓は薄明るい水路の水に静かな窓かけを映している。しかしいつかはどこかの窓から、大きいリボンをした少女が一人、突然顔を出さぬものでもない。――彼はこう考えると、名状の出来ぬ
懐しさを感じた。同時に従来知らなかったある嬉しい悲しさをも感じた。あの
画の幻燈の中にちらりと顔を出した少女は実際何か
超自然の霊が彼の目に姿を現わしたのであろうか? あるいはまた少年に起り易い
幻覚の一種に過ぎなかったのであろうか? それは勿論彼自身にも解決出来ないのに違いない。が、とにかく保吉は三十年後の
今日さえ、しみじみ
塵労に疲れた時にはこの永久に帰って来ないヴェネチアの少女を思い出している、ちょうど何年も顔をみない初恋の
女人でも思い出すように。
六 お母さん
八歳か
九歳の時か、とにかくどちらかの秋である。陸軍大将の
川島は
回向院の
濡れ
仏の
石壇の前に
佇みながら、
味かたの軍隊を
検閲した。もっとも軍隊とは云うものの、味かたは
保吉とも四人しかいない。それも
金釦の制服を着た保吉一人を例外に、あとはことごとく
紺飛白や
目くら
縞の
筒袖を着ているのである。
これは勿論国技館の影の
境内に落ちる回向院ではない。まだ
野分の朝などには
鼠小僧の墓のあたりにも
銀杏落葉の山の出来る
二昔前の回向院である。妙に
鄙びた当時の景色――江戸と云うよりも江戸のはずれの
本所と云う当時の景色はとうの昔に消え去ってしまった。しかしただ
鳩だけは同じことである。いや、鳩も違っているかも知れない。その日も濡れ仏の石壇のまわりはほとんど鳩で一ぱいだった。が、どの鳩も
今日のように
小綺麗に見えはしなかったらしい。「門前の
土鳩を友や
樒売り」――こう云う
天保の俳人の作は必ずしも回向院の
樒売りをうたったものとは限らないであろう。それとも保吉はこの句さえ見れば、いつも濡れ仏の石壇のまわりにごみごみ群がっていた鳩を、――
喉の奥にこもる声に薄日の光りを
震わせていた鳩を思い出さずにはいられないのである。
鑢屋の子の川島は悠々と検閲を終った
後、目くら縞の懐ろからナイフだのパチンコだのゴム
鞠だのと一しょに
一束の
画札を取り出した。これは
駄菓子屋に売っている
行軍将棋の画札である。川島は彼等に一枚ずつその画札を渡しながら、四人の部下を任命(?)した。ここにその任命を公表すれば、
桶屋の子の
平松は陸軍少将、巡査の子の
田宮は陸軍大尉、
小間物屋の子の
小栗はただの
工兵、
堀川保吉は
地雷火である。地雷火は悪い役ではない。ただ工兵にさえ出合わなければ、大将をも
俘に出来る役である。保吉は
勿論得意だった。が、
円まろと
肥った小栗は任命の終るか終らないのに、工兵になる不平を訴え出した。
「工兵じゃつまらないなあ。よう、川島さん。あたいも地雷火にしておくれよ、よう。」
「お前はいつだって俘になるじゃないか?」
川島は
真顔にたしなめた。けれども小栗はまっ赤になりながら、少しも
怯まずに云い返した。
「嘘をついていらあ。この前に大将を
俘にしたのだってあたいじゃないか?」
「そうか? じゃこの次には大尉にしてやる。」
川島はにやりと笑ったと思うと、たちまち小栗を
懐柔した。保吉は
未にこの少年の
悪智慧の鋭さに驚いている。川島は小学校も終らないうちに、熱病のために死んでしまった。が、万一死なずにいた上、幸いにも教育を受けなかったとすれば、少くとも今は年少気鋭の市会議員か何かになっていたはずである。……
「開戦!」
この時こう云う声を挙げたのは
表門の前に陣取った、やはり四五人の敵軍である。敵軍はきょうも弁護士の子の
松本を大将にしているらしい。
紺飛白の胸に赤シャツを出した、髪の毛を分けた松本は開戦の
合図をするためか、高だかと学校帽をふりまわしている。
「開戦!」
画札を握った保吉は川島の号令のかかると共に、誰よりも先へ
吶喊した。同時にまた静かに群がっていた鳩は
夥しい
羽音を立てながら、大まわりに
中ぞらへ舞い上った。それから――それからは
未曾有の激戦である。
硝煙は見る見る山をなし、敵の砲弾は雨のように彼等のまわりへ爆発した。しかし
味かたは勇敢にじりじり敵陣へ
肉薄した。もっとも敵の
地雷火は
凄まじい
火柱をあげるが早いか、味かたの少将を
粉微塵にした。が、敵軍も大佐を失い、その次にはまた保吉の恐れる唯一の工兵を失ってしまった。これを見た味かたは今までよりも一層猛烈に攻撃をつづけた。――と云うのは勿論事実ではない。ただ保吉の空想に映じた
回向院の激戦の光景である。けれども彼は落葉だけ明るい、もの
寂びた
境内を
駆けまわりながら、ありありと硝煙の
匂を感じ、飛び違う砲火の
閃きを感じた。いや、ある時は大地の底に爆発の機会を待っている地雷火の心さえ感じたものである。こう云う
溌剌とした空想は中学校へはいった
後、いつのまにか彼を見離してしまった。
今日の彼は
戦ごっこの中に
旅順港の激戦を見ないばかりではない、むしろ旅順港の激戦の中にも戦ごっこを見ているばかりである。しかし
追憶は幸いにも少年時代へ彼を呼び返した。彼はまず何を
措いても、当時の空想を再びする無上の快楽を捉えなければならぬ。――
硝煙は見る見る山をなし、敵の砲弾は雨のように彼等のまわりへ爆発した。保吉はその中を
一文字に敵の大将へ飛びかかった。敵の大将は身を
躱すと、一散に陣地へ逃げこもうとした。保吉はそれへ追いすがった。と思うと石に
躓いたのか、
仰向けにそこへ
転んでしまった。同時にまた勇ましい空想も
石鹸玉のように消えてしまった。もう彼は光栄に満ちた一瞬間前の地雷火ではない。顔は一面に鼻血にまみれ、ズボンの膝は大穴のあいた、
帽子も何もない少年である。彼はやっと立ち上ると、思わず大声に泣きはじめた。敵味方の少年はこの騒ぎにせっかくの激戦も中止したまま、保吉のまわりへ集まったらしい。「やあ、負傷した」と云うものもある。「仰向けにおなりよ」と云うものもある。「おいらのせいじゃなあい」と云うものもある。が、保吉は痛みよりも名状の出来ぬ悲しさのために、二の腕に顔を隠したなり、いよいよ懸命に泣きつづけた。すると突然耳もとに
嘲笑の声を挙げたのは陸軍大将の川島である。
「やあい、お母さんて泣いていやがる!」
川島の言葉はたちまちのうちに敵味方の言葉を笑い声に変じた。殊に大声に笑い出したのは地雷火になり
損った小栗である。
「
可笑しいな。お母さんて泣いていやがる!」
けれども保吉は泣いたにもせよ、「お母さん」などと云った覚えはない。それを云ったように
誣いるのはいつもの川島の意地悪である。――こう思った彼は悲しさにも増した
口惜しさに一ぱいになったまま、さらにまた
震え泣きに泣きはじめた。しかしもう
意気地のない彼には誰一人好意を示すものはいない。のみならず彼等は口々に川島の言葉を
真似しながら、ちりぢりにどこかへ
駈け出して行った。
「やあい、お母さんって泣いていやがる!」
保吉は次第に遠ざかる彼等の声を憎み憎み、いつかまた彼の足もとへ下りた無数の鳩にも目をやらずに、永い間
啜り泣きをやめなかった。
保吉は
爾来この「お母さん」を全然川島の発明した
とばかり信じていた。ところがちょうど三年以前、
上海へ上陸すると同時に、東京から持ち越したインフルエンザのためにある病院へはいることになった。熱は病院へはいった
後も容易に彼を離れなかった。彼は白い
寝台の上に
朦朧とした目を開いたまま、
蒙古の春を運んで来る
黄沙の
凄じさを眺めたりしていた。するとある
蒸暑い午後、小説を読んでいた看護婦は突然
椅子を離れると、寝台の側へ歩み寄りながら、不思議そうに彼の顔を
覗きこんだ。
「あら、お目覚になっていらっしゃるんですか?」
「どうして?」
「だって今お母さんって
仰有ったじゃありませんか?」
保吉はこの言葉を聞くが早いか、
回向院の
境内を思い出した。川島もあるいは意地の悪い
をついたのではなかったかも知れない。
(大正十三年四月)