この話の主人公は
忍野半三郎と言う男である。
生憎大した男ではない。
北京の
三菱に勤めている三十前後の会社員である。半三郎は商科大学を卒業した
後、
二月目に北京へ来ることになった。
同僚や
上役の評判は格別
善いと言うほどではない。しかしまた悪いと言うほどでもない。まず平々凡々たることは半三郎の
風采の通りである。もう一つ
次手につけ加えれば、半三郎の家庭生活の通りである。
半三郎は二年前にある令嬢と結婚した。令嬢の名前は
常子である。これも
生憎恋愛結婚ではない。ある親戚の老人夫婦に
仲人を頼んだ
媒妁結婚である。常子は美人と言うほどではない。もっともまた
醜婦と言うほどでもない。ただまるまる
肥った
頬にいつも
微笑を浮かべている。
奉天から
北京へ来る途中、寝台車の
南京虫に
螫された時のほかはいつも微笑を浮かべている。しかももう今は南京虫に二度と
螫される心配はない。それは××
胡同の社宅の
居間に
蝙蝠印の
除虫菊が
二缶、ちゃんと具えつけてあるからである。
わたしは半三郎の家庭生活は平々凡々を極めていると言った。実際その通りに違いない。彼はただ常子と一しょに飯を食ったり、
蓄音機をかけたり、活動写真を見に行ったり、――あらゆる
北京中の会社員と変りのない生活を
営んでいる。しかし彼等の生活も運命の支配に
漏れる
訣には
行かない。運命はある真昼の午後、この平々凡々たる家庭生活の単調を一撃のもとにうち
砕いた。
三菱会社員忍野半三郎は
脳溢血のために
頓死したのである。
半三郎はやはりその午後にも
東単牌楼の社の机にせっせと書類を調べていた。机を向かい合わせた同僚にも格別異状などは見えなかったそうである。が、一段落ついたと見え、
巻煙草を口へ
啣えたまま、マッチをすろうとする
拍子に突然
俯伏しになって死んでしまった。いかにもあっけない死にかたである。しかし世間は幸いにも死にかたには余り批評をしない。批評をするのは生きかただけである。半三郎もそのために格別非難を招かずにすんだ。いや、非難どころではない。
上役や同僚は
未亡人常子にいずれも深い同情を
表した。
同仁病院長
山井博士の
診断に従えば、半三郎の死因は
脳溢血である。が、半三郎自身は不幸にも脳溢血とは思っていない。第一死んだとも思っていない。ただいつか見たことのない事務室へ来たのに驚いている。――
事務室の窓かけは日の光の中にゆっくりと風に吹かれている。もっとも窓の外は何も見えない。事務室のまん中の大机には白い
大掛児を着た
支那人が二人、差し向かいに帳簿を
検らべている。
一人はまだ
二十前後であろう。もう一人はやや黄ばみかけた、長い
口髭をはやしている。
そのうちに二十前後の支那人は帳簿へペンを走らせながら、目も挙げずに彼へ話しかけた。
「アアル・ユウ・ミスタア・ヘンリイ・バレット・アアント・ユウ?」
半三郎はびっくりした。が、出来るだけ
悠然と
北京官話の返事をした。「我はこれ
日本三菱公司の忍野半三郎」と答えたのである。
「おや、君は日本人ですか?」
やっと目を挙げた支那人はやはり驚いたようにこう言った。年とったもう一人の支那人も帳簿へ何か書きかけたまま、
茫然と半三郎を眺めている。
「どうしましょう? 人違いですが。」
「困る。実に困る。第一
革命以来一度もないことだ。」
年とった支那人は
怒ったと見え、ぶるぶる手のペンを
震わせている。
「とにかく早く返してやり給え。」
「君は――ええ、忍野君ですね。ちょっと待って下さいよ。」
二十前後の支那人は新らたに厚い帳簿をひろげ、何か口の中に読みはじめた。が、その帳簿をとざしたと思うと、前よりも一層驚いたように年とった支那人へ話しかけた。
「
駄目です。忍野半三郎君は
三日前に死んでいます。」
「三日前に死んでいる?」
「しかも
脚は
腐っています。
両脚とも
腿から腐っています。」
半三郎はもう一度びっくりした。彼等の問答に従えば、第一に彼は死んでいる。第二に死後
三日も
経ている。第三に脚は腐っている。そんな
莫迦げたことのあるはずはない。現に彼の脚はこの通り、――彼は脚を早めるが早いか、思わずあっと大声を出した。大声を出したのも不思議ではない。折り目の正しい白ズボンに
白靴をはいた彼の脚は窓からはいる風のために二つとも斜めに
靡いている! 彼はこう言う光景を見た時、ほとんど彼の目を信じなかった。が、両手にさわって見ると、実際両脚とも、腿から下は空気を掴むのと同じことである。半三郎はとうとう
尻もちをついた。同時にまた脚は――と言うよりもズボンはちょうどゴム風船のしなびたようにへなへなと
床の上へ下りた。
「よろしい。よろしい。どうにかして上げますから。」
年とった支那人はこう言った
後、まだ
余憤の消えないように若い
下役へ話しかけた。
「これは君の責任だ。
好いかね。君の責任だ。早速
上申書を出さなければならん。そこでだ。そこでヘンリイ・バレットは現在どこに行っているかね?」
「今調べたところによると、急に
漢口へ出かけたようです。」
「では
漢口へ電報を打ってヘンリイ・バレットの脚を取り寄せよう。」
「いや、それは駄目でしょう。漢口から脚の来るうちには忍野君の
胴が腐ってしまいます。」
「困る。実に困る。」
年とった支那人は
歎息した。何だか急に
口髭さえ一層だらりと
下ったようである。
「これは君の責任だ。早速上申書を出さなければならん。
生憎乗客は残っていまいね?」
「ええ、一時間ばかり前に立ってしまいました。もっとも馬ならば一匹いますが。」
「どこの馬かね?」
「
徳勝門外の
馬市の馬です。今しがた死んだばかりですから。」
「じゃその馬の脚をつけよう。馬の脚でもないよりは
好い。ちょっと脚だけ持って来給え。」
二十前後の支那人は大机の前を離れると、すうっとどこかへ出て行ってしまった。半三郎は
三度びっくりした。
何でも今の話によると、馬の脚をつけられるらしい。馬の脚などになった日には大変である。彼は尻もちをついたまま、年とった支那人に歎願した。
「もしもし、馬の脚だけは
勘忍して下さい。わたしは馬は
大嫌いなのです。どうか
後生一生のお願いですから、人間の脚をつけて下さい。ヘンリイ
何とかの脚でもかまいません。少々くらい
毛脛でも人間の脚ならば
我慢しますから。」
年とった支那人は気の毒そうに半三郎を
見下しながら、何度も
点頭を繰り返した。
「それはあるならばつけて上げます。しかし人間の脚はないのですから。――まあ、
災難とお
諦めなさい。しかし馬の脚は丈夫ですよ。時々
蹄鉄を打ちかえれば、どんな山道でも平気ですよ。……」
するともう若い
下役は馬の脚を二本ぶら下げたなり、すうっとまたどこかからはいって来た。ちょうどホテルの給仕などの
長靴を持って来るのと同じことである。半三郎は逃げようとした。しかし両脚のない悲しさには容易に腰を上げることも出来ない。そのうちに下役は彼の
側へ来ると、白靴や
靴下を
外し出した。
「それはいけない。馬の脚だけはよしてくれ給え。第一僕の承認を
経ずに僕の脚を
修繕する法はない。……」
半三郎のこう
喚いているうちに下役はズボンの右の穴へ馬の脚を一本さしこんだ。馬の脚は歯でもあるように右の
腿へ
食らいついた。それから今度は左の穴へもう一本の脚をさしこんだ。これもまたかぷりと食らいついた。
「さあ、それでよろしい。」
二十前後の支那人は満足の微笑を浮かべながら、爪の長い両手をすり合せている。半三郎はぼんやり彼の脚を眺めた。するといつか白ズボンの先には太い
栗毛の馬の脚が二本、ちゃんともう
蹄を並べている。――
半三郎はここまで覚えている。少くともその先はここまでのようにはっきりと記憶には残っていない。
何だか二人の支那人と喧嘩したようにも覚えている。また
嶮しい
梯子段を
転げ落ちたようにも覚えている。が、どちらも確かではない。とにかく彼はえたいの知れない
幻の中を
彷徨した
後やっと
正気を恢復した時には××
胡同の社宅に
据えた
寝棺の中に横たわっていた。のみならずちょうど寝棺の前には若い
本願寺派の
布教師が
一人、
引導か何かを渡していた。
こう言う半三郎の復活の
評判になったのは勿論である。「
順天時報」はそのために大きい彼の写真を出したり、三段抜きの記事を
掲げたりした。
何でもこの記事に従えば、
喪服を着た常子はふだんよりも一層にこにこしていたそうである。ある
上役や同僚は
無駄になった
香奠を会費に復活祝賀会を開いたそうである。もっとも山井博士の信用だけは危険に
瀕したのに違いない。が、博士は
悠然と葉巻の煙を輪に吹きながら、巧みに信用を
恢復した。それは医学を
超越する自然の神秘を力説したのである。つまり博士自身の信用の代りに医学の信用を
抛棄したのである。
けれども当人の半三郎だけは復活祝賀会へ出席した時さえ、少しも浮いた顔を見せなかった。見せなかったのも勿論、不思議ではない。彼の脚は復活以来いつの
間にか馬の脚に変っていたのである。指の代りに
蹄のついた
栗毛の馬の脚に変っていたのである。彼はこの脚を眺めるたびに何とも言われぬ
情なさを感じた。万一この脚の見つかった日には会社も必ず半三郎を
馘首してしまうのに違いない。
同僚も今後の交際は
御免を
蒙るのにきまっている。常子も――おお、「弱きものよ汝の名は女なり」! 常子も恐らくはこの例に
洩れず、馬の脚などになった男を
御亭主に持ってはいないであろう。――半三郎はこう考えるたびに、どうしても彼の脚だけは隠さなければならぬと決心した。和服を廃したのもそのためである。長靴をはいたのもそのためである。浴室の窓や戸じまりを厳重にしたのもそのためである。しかし彼はそれでもなお絶えず不安を感じていた。また不安を感じたのも無理ではなかったのに違いない。なぜと言えば、――
半三郎のまず警戒したのは同僚の疑惑を避けることである。これは彼の苦心の中でも比較的楽な
方だったかも知れない。が、彼の日記によれば、やはりいつも多少の危険と
闘わなければならなかったようである。
「七月×日 どうもあの若い支那人のやつは
怪しからぬ脚をくつけたものである。
俺の脚は両方とも
蚤の
巣窟と言っても
好い。俺は今日も事務を
執りながら、気違いになるくらい
痒い思いをした。とにかく当分は全力を挙げて
蚤退治の
工夫をしなければならぬ。……
「八月×日 俺は
今日マネエジャアの所へ商売のことを話しに行った。するとマネエジャアは話の
中にも絶えず鼻を鳴らせている。どうも俺の脚の
臭いは長靴の外にも発散するらしい。……
「九月×日 馬の脚を自由に
制御することは確かに馬術よりも困難である。俺は今日
午休み前に急ぎの用を言いつけられたから、
小走りに
梯子段を走り下りた。誰でもこう言う瞬間には用のことしか思わぬものである。俺もそのためにいつの
間にか馬の脚を忘れていたのであろう。あっと言う間に俺の脚は梯子段の七段目を踏み抜いてしまった。……
「十月×日 俺はだんだん馬の脚を自由に制御することを覚え出した。これもやっと体得して見ると、
畢竟腰の
吊り
合一つである。が、今日は失敗した。もっとも今日の失敗は必ずしも俺の罪ばかりではない。俺は
今朝九時前後に
人力車に乗って会社へ行った。すると車夫は十二銭の
賃銭をどうしても二十銭よこせと言う。おまけに俺をつかまえたなり、会社の門内へはいらせまいとする。俺は大いに腹が立ったから、いきなり車夫を
蹴飛ばしてやった。車夫の空中へ飛び
上ったことはフット・ボオルかと思うくらいである。俺は勿論
後悔した。同時にまた思わず
噴飯した。とにかく脚を動かす時には一層細心に注意しなければならぬ。……」
しかし
同僚を
瞞着するよりも常子の疑惑を避けることは
遥かに困難に富んでいたらしい。半三郎は彼の日記の中に絶えずこの困難を痛嘆している。
「七月×日 俺の大敵は常子である。俺は文化生活の必要を
楯に、たった一つの
日本間をもとうとう
西洋間にしてしまった。こうすれば常子の目の前でも靴を
脱がずにいられるからである。常子は畳のなくなったことを大いに不平に思っているらしい。が、
靴足袋をはいているにもせよ、この脚で日本間を歩かせられるのはとうてい俺には不可能である。……
「九月×日 俺は今日道具屋にダブル・ベッドを売り払った。このベッドを買ったのはある
亜米利加人のオオクションである。俺はあのオオクションへ行った帰りに
租界の並み木の
下を歩いて行った。並み木の
槐は花盛りだった。運河の
水明りも美しかった。しかし――今はそんなことに
恋々としている場合ではない。俺は
昨夜もう少しで常子の横腹を
蹴るところだった。……
「十一月×日 俺は今日
洗濯物を俺自身洗濯屋へ持って行った。もっとも出入りの洗濯屋ではない。
東安市場の側の洗濯屋である。これだけは今後も実行しなければならぬ。
猿股やズボン下や靴下にはいつも馬の毛がくっついているから。……
「十二月×日 靴下の切れることは非常なものである。実は常子に知られぬように靴下
代を
工面するだけでも並みたいていの苦労ではない。……
「二月×日 俺は勿論寝る時でも靴下やズボン下を脱いだことはない。その上常子に見られぬように脚の先を
毛布に隠してしまうのはいつも容易ならぬ冒険である。常子は
昨夜寝る前に『あなたはほんとうに寒がりね。腰へも毛皮を巻いていらっしゃるの?』と言った。ことによると俺の馬の脚も
露見する時が来たのかも知れない。……」
半三郎はこのほかにも幾多の危険に
遭遇した。それを一々
枚挙するのはとうていわたしの
堪えるところではない。が、半三郎の日記の中でも最もわたしを驚かせたのは
下に掲げる出来事である。
「二月×日 俺は今日
午休みに
隆福寺の
古本屋を
覗きに行った。古本屋の前の日だまりには馬車が一台止まっている。もっとも西洋の馬車ではない。
藍色の
幌を張った支那馬車である。
馭者も勿論馬車の上に休んでいたのに違いない。が、俺は格別気にも止めずに古本屋の店へはいろうとした。するとその
途端である。馭者は
鞭を鳴らせながら、「スオ、スオ」と声をかけた。「スオ、スオ」は馬を
後にやる時に支那人の使う言葉である。馬車はこの言葉の終らぬうちにがたがた後へ
下り出した。と同時に驚くまいことか! 俺も古本屋を前に見たまま、
一足ずつ後へ下り出した。この時の俺の心もちは恐怖と言うか、
驚愕と言うか、とうてい
筆舌に尽すことは出来ない。俺は
徒らに一足でも前へ出ようと努力しながら、しかも恐しい不可抗力のもとにやはり後へ下って行った。そのうちに馭者の「スオオ」と言ったのはまだしも俺のためには幸福である。俺は馬車の止まる
拍子にやっと
後ずさりをやめることが出来た。しかし不思議はそれだけではない。俺はほっと一息しながら、思わず馬車の方へ目を転じた。すると馬は――馬車を
牽いていた
葦毛の馬は
何とも言われぬ
嘶きかたをした。何とも言われぬ?――いや、何とも言われぬではない。俺はその
疳走った声の中に確かに馬の笑ったのを感じた。馬のみならず俺の
喉もとにも嘶きに似たものがこみ上げるのを感じた。この声を出しては大変である。俺は両耳へ手をやるが早いか、
一散にそこを逃げ出してしまった。……」
けれども運命は半三郎のために最後の打撃を用意していた。と言うのはほかでもない。三月の末のある
午頃、彼は突然彼の脚の
躍ったり
跳ねたりするのを発見したのである。なぜ彼の馬の脚はこの時急に
騒ぎ出したか? その疑問に答えるためには半三郎の日記を調べなければならぬ。が、不幸にも彼の日記はちょうど最後の打撃を受ける一日前に終っている。ただ前後の事情により、大体の
推測は
下せぬこともない。わたしは
馬政紀、
馬記、
元享療牛馬駝集、
伯楽相馬経等の諸書に従い、彼の脚の興奮したのはこう言うためだったと確信している。――
当日は
烈しい
黄塵だった。黄塵とは
蒙古の
春風の
北京へ運んで来る
砂埃りである。「
順天時報」の記事によれば、当日の黄塵は十数年来
未だ
嘗見ないところであり、「五歩の外に
正陽門を仰ぐも、すでに
門楼を見るべからず」と言うのであるから、よほど烈しかったのに違いない。然るに半三郎の馬の脚は
徳勝門外の
馬市の
斃馬についていた脚であり、そのまた斃馬は明らかに
張家口、
錦州を通って来た蒙古産の
庫倫馬である。すると彼の馬の脚の蒙古の空気を感ずるが早いか、たちまち躍ったり跳ねたりし出したのはむしろ当然ではないであろうか? かつまた当時は
塞外の馬の必死に
交尾を求めながら、
縦横に
駈けまわる時期である。して見れば彼の馬の脚がじっとしているのに忍びなかったのも同情に
価すると言わなければならぬ。……
この解釈の
是非はともかく、半三郎は当日会社にいた時も、舞踏か何かするように絶えず跳ねまわっていたそうである。また社宅へ帰る途中も、たった三町ばかりの間に
人力車を七台踏みつぶしたそうである。最後に社宅へ帰った
後も、――
何でも常子の話によれば、彼は犬のように
喘ぎながら、よろよろ茶の
間へはいって来た。それからやっと
長椅子へかけると、あっけにとられた細君に
細引を持って来いと命令した。常子は勿論夫の
容子に大事件の起ったことを想像した。第一顔色も非常に悪い。のみならず
苛立たしさに堪えないように
長靴の脚を動かしている。彼女はそのためにいつものように
微笑することも忘れたなり、一体細引を何にするつもりか、聞かしてくれと歎願した。しかし
夫は苦しそうに
額の汗を拭いながら、こう繰り返すばかりである。
「早くしてくれ。早く。――早くしないと、大変だから。」
常子はやむを得ず荷造りに使う細引を
一束夫へ渡した。すると彼はその細引に長靴の両脚を
縛りはじめた。彼女の心に発狂と言う恐怖のきざしたのはこの時である。常子は夫を見つめたまま、
震える声に山井博士の
来診を請うことを
勧め出した。しかし彼は熱心に細引を脚へからげながら、どうしてもその勧めに従わない。
「あんな
藪医者に何がわかる? あいつは泥棒だ!
大詐偽師だ! それよりもお前、ここへ来て俺の体を
抑えていてくれ。」
彼等は互に
抱き合ったなり、じっと長椅子に坐っていた。
北京を
蔽った
黄塵はいよいよ烈しさを加えるのであろう。今は入り日さえ窓の外に全然光と言う感じのしない、
濁った
朱の色を
漂わせている。半三郎の脚はその間も勿論静かにしている
訣ではない。細引にぐるぐる
括られたまま、目に見えぬペダルを踏むようにやはり絶えず動いている。常子は夫を
劬わるように、また夫を励ますようにいろいろのことを話しかけた。
「あなた、あなた、どうしてそんなに震えていらっしゃるんです?」
「
何でもない。何でもないよ。」
「だってこんなに汗をかいて、――この夏は内地へ帰りましょうよ。ねえ、あなた、久しぶりに内地へ帰りましょうよ。」
「うん、内地へ帰ることにしよう。内地へ帰って暮らすことにしよう。」
五分、十分、二十分、――時はこう言う二人の上に遅い歩みを運んで行った。常子は「
順天時報」の記者にこの時の彼女の心もちはちょうど
鎖に
繋がれた
囚人のようだったと話している。が、かれこれ三十分の
後、
畢に鎖の
断たれる時は来た。もっともそれは常子の
所謂鎖の断たれる時ではない。半三郎を家庭へ縛りつけた人間の鎖の断たれる時である。濁った朱の色を
透かせた窓は流れ風にでも
煽られたのか、突然がたがたと鳴り渡った。と同時に半三郎は何か大声を出すが早いか、三尺ばかり宙へ飛び上った。常子はその時細引のばらりと切れるのを見たそうである。半三郎は、――これは常子の話ではない。彼女は夫の飛び上るのを見たぎり、
長椅子の上に失神してしまった。しかし社宅の支那人のボオイはこう同じ記者に話している。――半三郎は何かに追われるように社宅の玄関へ
躍り出た。それからほんの一瞬間、玄関の先に
佇んでいた。が、
身震いを一つすると、ちょうど馬の
嘶きに似た、気味の悪い声を残しながら、往来を
罩めた
黄塵の中へまっしぐらに走って行ってしまった。……
その
後の半三郎はどうなったか? それは
今日でも疑問である。もっとも「順天時報」の記者は当日の午後八時前後、黄塵に煙った月明りの中に
帽子をかぶらぬ男が一人、
万里の
長城を見るのに名高い
八達嶺下の鉄道線路を走って行ったことを報じている。が、この記事は必ずしも確実な報道ではなかったらしい。現にまた同じ新聞の記者はやはり午後八時前後、黄塵を
沾した雨の中に帽子をかぶらぬ男が一人、
石人石馬の列をなした
十三陵の
大道を走って行ったことを報じている。すると半三郎は××
胡同の社宅の玄関を飛び出した
後、全然どこへどうしたか、判然しないと言わなければならぬ。
半三郎の
失踪も彼の復活と同じように
評判になったのは勿論である。しかし常子、マネエジャア、同僚、山井博士、「順天時報」の主筆等はいずれも彼の失踪を
発狂のためと解釈した。もっとも発狂のためと解釈するのは馬の脚のためと解釈するのよりも容易だったのに違いない。難を去って
易につくのは常に天下の公道である。この公道を代表する「順天時報」の主筆
牟多口氏は半三郎の失踪した翌日、その
椽大の筆を
揮って
下の社説を
公にした。――
「三菱社員忍野半三郎氏は
昨夕五時十五分、突然発狂したるが如く、常子夫人の
止むるを
聴かず、単身いずこにか失踪したり。
同仁病院長山井博士の説によれば、忍野氏は昨夏
脳溢血を
患い、三日間
人事不省なりしより、
爾来多少精神に異常を呈せるものならんと言う。また常子夫人の発見したる忍野氏の日記に徴するも、氏は常に奇怪なる恐迫観念を有したるが如し。然れども
吾人の問わんと欲するは忍野氏の病名
如何にあらず。常子夫人の夫たる忍野氏の責任如何にあり。
「それわが
金甌無欠の国体は家族主義の上に立つものなり。家族主義の上に立つものとせば、一家の主人たる責任のいかに重大なるかは問うを待たず。この一家の主人にして
妄に発狂する権利ありや否や? 吾人はかかる疑問の前に
断乎として否と答うるものなり。試みに天下の夫にして発狂する権利を得たりとせよ。彼等はことごとく家族を
後に、あるいは
道塗に
行吟し、あるいは
山沢に
逍遥し、あるいはまた精神病院
裡に
飽食暖衣するの幸福を得べし。然れども世界に誇るべき二千年来の家族主義は
土崩瓦解するを
免れざるなり。語に
曰、其罪を
悪んで其人を悪まずと。吾人は
素より忍野氏に
酷ならんとするものにあらざるなり。然れども
軽忽に発狂したる罪は
鼓を鳴らして責めざるべからず。否、忍野氏の罪のみならんや。発狂禁止令を
等閑に附せる
歴代政府の失政をも天に
替って責めざるべからず。
「常子夫人の談によれば、夫人は少くとも一ヶ年間、××
胡同の社宅に
止まり、忍野氏の帰るを待たんとするよし。吾人は
貞淑なる夫人のために
満腔の同情を
表すると共に、賢明なる
三菱当事者のために夫人の
便宜を考慮するに
吝かならざらんことを切望するものなり。……」
しかし少くとも常子だけは半年ばかりたった
後、この誤解に安んずることの出来ぬある新事実に
遭遇した。それは
北京の柳や
槐も黄ばんだ葉を落としはじめる十月のある
薄暮である。常子は茶の
間の長椅子にぼんやり追憶に沈んでいた。彼女の
唇はもう今では永遠の微笑を浮かべていない。彼女の
頬もいつの
間にかすっかり肉を失っている。彼女は失踪した夫のことだの、売り払ってしまったダブル・ベッドのことだの、
南京虫のことだのを考えつづけた。すると誰かためらい勝ちに社宅の玄関のベルを押した。彼女はそれでも気にせずにボオイの取り次ぎに任かせて
措いた。が、ボオイはどこへ行ったか、容易に姿を現さない。ベルはその内にもう一度鳴った。常子はやっと長椅子を離れ、静かに玄関へ歩いて行った。
落ち葉の散らばった玄関には
帽子をかぶらぬ男が一人、
薄明りの中に
佇んでいる。帽子を、――いや、帽子をかぶらぬばかりではない。男は確かに
砂埃りにまみれたぼろぼろの
上衣を着用している。常子はこの男の姿にほとんど恐怖に近いものを感じた。
「何か御用でございますか?」
男は何とも返事をせずに髪の長い頭を垂れている。常子はその姿を
透かして見ながら、もう一度恐る恐る繰り返した。
「何か、……何か御用でございますか?」
男はやっと頭を
擡げた。
「常子、……」
それはたった一ことだった。しかしちょうど月光のようにこの男を、――この男の正体を見る見る明らかにする一ことだった。常子は息を
呑んだまま、しばらくは声を失ったように男の顔を見つめつづけた。男は
髭を伸ばした上、別人のように
窶れている。が、彼女を見ている
瞳は確かに待ちに待った瞳だった。
「あなた!」
常子はこう叫びながら、夫の胸へ
縋ろうとした。けれども
一足出すが早いか、
熱鉄か何かを踏んだようにたちまちまた後ろへ飛びすさった。夫は破れたズボンの下に毛だらけの馬の脚を
露している。
薄明りの中にも毛色の見える
栗毛の馬の脚を
露している。
「あなた!」
常子はこの馬の脚に
名状の出来ぬ
嫌悪を感じた。しかし今を
逸したが最後、二度と夫に会われぬことを感じた。夫はやはり悲しそうに彼女の顔を眺めている。常子はもう一度夫の胸へ彼女の体を投げかけようとした。が、嫌悪はもう一度彼女の勇気を圧倒した。
「あなた!」
彼女が三度目にこう言った時、夫はくるりと背を向けたと思うと、静かに玄関をおりて行った。常子は最後の勇気を振い、必死に夫へ追い
縋ろうとした。が、まだ
一足も出さぬうちに彼女の耳にはいったのは
戞々と
蹄の鳴る音である。常子は青い顔をしたまま、呼びとめる勇気も失ったようにじっと夫の
後ろ姿を見つめた。それから、――玄関の落ち葉の中に
昏々と
正気を失ってしまった。……
常子はこの事件以来、夫の日記を信ずるようになった。しかしマネエジャア、同僚、山井博士、
牟多口氏等の人びとは
未だに
忍野半三郎の馬の脚になったことを信じていない。のみならず常子の馬の脚を見たのも
幻覚に陥ったことと信じている。わたしは
北京滞在中、山井博士や牟多口氏に会い、たびたびその
妄を破ろうとした。が、いつも反対の
嘲笑を受けるばかりだった。その
後も、――いや、最近には小説家
岡田三郎氏も誰かからこの話を聞いたと見え、どうも馬の脚になったことは信ぜられぬと言う手紙をよこした。岡田氏はもし事実とすれば、「多分馬の
前脚をとってつけたものと思いますが、スペイン
速歩とか言う妙技を演じ得る
逸足ならば、前脚で物を蹴るくらいの変り芸もするか知れず、それとても
湯浅少佐あたりが乗るのでなければ、果して馬自身でやり
了せるかどうか、疑問に思われます」と言うのである。わたしも勿論その点には多少の疑惑を抱かざるを得ない。けれどもそれだけの理由のために半三郎の日記ばかりか、常子の話をも否定するのはいささか
早計に過ぎないであろうか? 現にわたしの調べたところによれば、彼の復活を報じた「
順天時報」は同じ面の二三段下にこう言う記事をも掲げている。――
「
美華禁酒会長ヘンリイ・バレット氏は
京漢鉄道の汽車中に
頓死したり。同氏は
薬罎を手に死しいたるより、自殺の疑いを生ぜしが、罎中の
水薬は
分析の結果、アルコオル類と判明したるよし。」
(大正十四年一月)