馬の脚

芥川龍之介




 この話の主人公は忍野半三郎おしのはんざぶろうと言う男である。生憎あいにく大した男ではない。北京ペキン三菱みつびしに勤めている三十前後の会社員である。半三郎は商科大学を卒業したのち二月目ふたつきめに北京へ来ることになった。同僚どうりょう上役うわやくの評判は格別いと言うほどではない。しかしまた悪いと言うほどでもない。まず平々凡々たることは半三郎の風采ふうさいの通りである。もう一つ次手ついでにつけ加えれば、半三郎の家庭生活の通りである。
 半三郎は二年前にある令嬢と結婚した。令嬢の名前は常子つねこである。これも生憎あいにく恋愛結婚ではない。ある親戚の老人夫婦に仲人なこうどを頼んだ媒妁ばいしゃく結婚である。常子は美人と言うほどではない。もっともまた醜婦しゅうふと言うほどでもない。ただまるまるふとったほおにいつも微笑びしょうを浮かべている。奉天ほうてんから北京ペキンへ来る途中、寝台車の南京虫なんきんむしされた時のほかはいつも微笑を浮かべている。しかももう今は南京虫に二度とされる心配はない。それは××胡同ことうの社宅の居間いま蝙蝠印こうもりじるし除虫菊じょちゅうぎく二缶ふたかん、ちゃんと具えつけてあるからである。
 わたしは半三郎の家庭生活は平々凡々を極めていると言った。実際その通りに違いない。彼はただ常子と一しょに飯を食ったり、蓄音機ちくおんきをかけたり、活動写真を見に行ったり、――あらゆる北京中ペキンじゅうの会社員と変りのない生活をいとなんでいる。しかし彼等の生活も運命の支配にれるわけにはかない。運命はある真昼の午後、この平々凡々たる家庭生活の単調を一撃のもとにうちくだいた。三菱みつびし会社員忍野半三郎は脳溢血のういっけつのために頓死とんししたのである。
 半三郎はやはりその午後にも東単牌楼トンタヌピイロオの社の机にせっせと書類を調べていた。机を向かい合わせた同僚にも格別異状などは見えなかったそうである。が、一段落ついたと見え、巻煙草まきたばこを口へくわえたまま、マッチをすろうとする拍子ひょうしに突然俯伏うつぶしになって死んでしまった。いかにもあっけない死にかたである。しかし世間は幸いにも死にかたには余り批評をしない。批評をするのは生きかただけである。半三郎もそのために格別非難を招かずにすんだ。いや、非難どころではない。上役うわやくや同僚は未亡人びぼうじん常子にいずれも深い同情をひょうした。
 同仁どうじん病院長山井博士やまいはかせ診断しんだんに従えば、半三郎の死因は脳溢血のういっけつである。が、半三郎自身は不幸にも脳溢血とは思っていない。第一死んだとも思っていない。ただいつか見たことのない事務室へ来たのに驚いている。――
 事務室の窓かけは日の光の中にゆっくりと風に吹かれている。もっとも窓の外は何も見えない。事務室のまん中の大机には白い大掛児タアクワルを着た支那人シナじんが二人、差し向かいに帳簿をらべている。一人ひとりはまだ二十はたち前後であろう。もう一人はやや黄ばみかけた、長い口髭くちひげをはやしている。
 そのうちに二十前後の支那人は帳簿へペンを走らせながら、目も挙げずに彼へ話しかけた。
「アアル・ユウ・ミスタア・ヘンリイ・バレット・アアント・ユウ?」
 半三郎はびっくりした。が、出来るだけ悠然ゆうぜん北京官話ペキンかんわの返事をした。「我はこれ日本にっぽん三菱公司みつびしこうしの忍野半三郎」と答えたのである。
「おや、君は日本人ですか?」
 やっと目を挙げた支那人はやはり驚いたようにこう言った。年とったもう一人の支那人も帳簿へ何か書きかけたまま、茫然ぼうぜんと半三郎を眺めている。
「どうしましょう? 人違いですが。」
「困る。実に困る。第一革命かくめい以来一度もないことだ。」
 年とった支那人はおこったと見え、ぶるぶる手のペンをふるわせている。
「とにかく早く返してやり給え。」
「君は――ええ、忍野君ですね。ちょっと待って下さいよ。」
 二十はたち前後の支那人は新らたに厚い帳簿をひろげ、何か口の中に読みはじめた。が、その帳簿をとざしたと思うと、前よりも一層驚いたように年とった支那人へ話しかけた。
駄目だめです。忍野半三郎君は三日前みっかまえに死んでいます。」
「三日前に死んでいる?」
「しかもあしくさっています。両脚りょうあしともももから腐っています。」
 半三郎はもう一度びっくりした。彼等の問答に従えば、第一に彼は死んでいる。第二に死後三日みっかている。第三に脚は腐っている。そんな莫迦ばかげたことのあるはずはない。現に彼の脚はこの通り、――彼は脚を早めるが早いか、思わずあっと大声を出した。大声を出したのも不思議ではない。折り目の正しい白ズボンに白靴しろぐつをはいた彼の脚は窓からはいる風のために二つとも斜めになびいている! 彼はこう言う光景を見た時、ほとんど彼の目を信じなかった。が、両手にさわって見ると、実際両脚とも、腿から下は空気を掴むのと同じことである。半三郎はとうとうしりもちをついた。同時にまた脚は――と言うよりもズボンはちょうどゴム風船のしなびたようにへなへなとゆかの上へ下りた。
「よろしい。よろしい。どうにかして上げますから。」
 年とった支那人はこう言ったのち、まだ余憤よふんの消えないように若い下役したやくへ話しかけた。
「これは君の責任だ。いかね。君の責任だ。早速上申書じょうしんしょを出さなければならん。そこでだ。そこでヘンリイ・バレットは現在どこに行っているかね?」
「今調べたところによると、急に漢口ハンカオへ出かけたようです。」
「では漢口ハンカオへ電報を打ってヘンリイ・バレットの脚を取り寄せよう。」
「いや、それは駄目でしょう。漢口から脚の来るうちには忍野君のどうが腐ってしまいます。」
「困る。実に困る。」
 年とった支那人は歎息たんそくした。何だか急に口髭くちひげさえ一層だらりとさがったようである。
「これは君の責任だ。早速上申書を出さなければならん。生憎あいにく乗客は残っていまいね?」
「ええ、一時間ばかり前に立ってしまいました。もっとも馬ならば一匹いますが。」
「どこの馬かね?」
徳勝門外とくしょうもんがい馬市うまいちの馬です。今しがた死んだばかりですから。」
「じゃその馬の脚をつけよう。馬の脚でもないよりはい。ちょっと脚だけ持って来給え。」
 二十はたち前後の支那人は大机の前を離れると、すうっとどこかへ出て行ってしまった。半三郎は三度さんどびっくりした。なんでも今の話によると、馬の脚をつけられるらしい。馬の脚などになった日には大変である。彼は尻もちをついたまま、年とった支那人に歎願した。
「もしもし、馬の脚だけは勘忍かんにんして下さい。わたしは馬は大嫌だいきらいなのです。どうか後生ごしょう一生のお願いですから、人間の脚をつけて下さい。ヘンリイなんとかの脚でもかまいません。少々くらい毛脛けずねでも人間の脚ならば我慢がまんしますから。」
 年とった支那人は気の毒そうに半三郎を見下みおろしながら、何度も点頭てんとうを繰り返した。
「それはあるならばつけて上げます。しかし人間の脚はないのですから。――まあ、災難さいなんとおあきらめなさい。しかし馬の脚は丈夫ですよ。時々蹄鉄ていてつを打ちかえれば、どんな山道でも平気ですよ。……」
 するともう若い下役したやくは馬の脚を二本ぶら下げたなり、すうっとまたどこかからはいって来た。ちょうどホテルの給仕などの長靴ながぐつを持って来るのと同じことである。半三郎は逃げようとした。しかし両脚のない悲しさには容易に腰を上げることも出来ない。そのうちに下役は彼のそばへ来ると、白靴や靴下くつしたはずし出した。
「それはいけない。馬の脚だけはよしてくれ給え。第一僕の承認をずに僕の脚を修繕しゅうぜんする法はない。……」
 半三郎のこうわめいているうちに下役はズボンの右の穴へ馬の脚を一本さしこんだ。馬の脚は歯でもあるように右のももらいついた。それから今度は左の穴へもう一本の脚をさしこんだ。これもまたかぷりと食らいついた。
「さあ、それでよろしい。」
 二十前後の支那人は満足の微笑を浮かべながら、爪の長い両手をすり合せている。半三郎はぼんやり彼の脚を眺めた。するといつか白ズボンの先には太い栗毛くりげの馬の脚が二本、ちゃんともうひづめを並べている。――
 半三郎はここまで覚えている。少くともその先はここまでのようにはっきりと記憶には残っていない。なんだか二人の支那人と喧嘩したようにも覚えている。またけわしい梯子段はしごだんころげ落ちたようにも覚えている。が、どちらも確かではない。とにかく彼はえたいの知れないまぼろしの中を彷徨ほうこうしたのちやっと正気しょうきを恢復した時には××胡同ことうの社宅にえた寝棺ねがんの中に横たわっていた。のみならずちょうど寝棺の前には若い本願寺派ほんがんじは布教師ふきょうし一人ひとり引導いんどうか何かを渡していた。
 こう言う半三郎の復活の評判ひょうばんになったのは勿論である。「順天時報じゅんてんじほう」はそのために大きい彼の写真を出したり、三段抜きの記事をかかげたりした。なんでもこの記事に従えば、喪服もふくを着た常子はふだんよりも一層にこにこしていたそうである。ある上役うわやくや同僚は無駄むだになった香奠こうでんを会費に復活祝賀会を開いたそうである。もっとも山井博士の信用だけは危険にひんしたのに違いない。が、博士は悠然ゆうぜんと葉巻の煙を輪に吹きながら、巧みに信用を恢復かいふくした。それは医学を超越ちょうえつする自然の神秘を力説したのである。つまり博士自身の信用の代りに医学の信用を抛棄ほうきしたのである。
 けれども当人の半三郎だけは復活祝賀会へ出席した時さえ、少しも浮いた顔を見せなかった。見せなかったのも勿論、不思議ではない。彼の脚は復活以来いつのにか馬の脚に変っていたのである。指の代りにひづめのついた栗毛くりげの馬の脚に変っていたのである。彼はこの脚を眺めるたびに何とも言われぬなさけなさを感じた。万一この脚の見つかった日には会社も必ず半三郎を馘首かくしゅしてしまうのに違いない。同僚どうりょうも今後の交際は御免ごめんこうむるのにきまっている。常子も――おお、「弱きものよ汝の名は女なり」! 常子も恐らくはこの例にれず、馬の脚などになった男を御亭主ごていしゅに持ってはいないであろう。――半三郎はこう考えるたびに、どうしても彼の脚だけは隠さなければならぬと決心した。和服を廃したのもそのためである。長靴をはいたのもそのためである。浴室の窓や戸じまりを厳重にしたのもそのためである。しかし彼はそれでもなお絶えず不安を感じていた。また不安を感じたのも無理ではなかったのに違いない。なぜと言えば、――
 半三郎のまず警戒したのは同僚の疑惑を避けることである。これは彼の苦心の中でも比較的楽なほうだったかも知れない。が、彼の日記によれば、やはりいつも多少の危険とたたかわなければならなかったようである。
「七月×日 どうもあの若い支那人のやつはしからぬ脚をくつけたものである。おれの脚は両方とものみ巣窟そうくつと言ってもい。俺は今日も事務をりながら、気違いになるくらいかゆい思いをした。とにかく当分は全力を挙げて蚤退治のみたいじ工夫くふうをしなければならぬ。……
「八月×日 俺は今日きょうマネエジャアの所へ商売のことを話しに行った。するとマネエジャアは話のうちにも絶えず鼻を鳴らせている。どうも俺の脚のにおいは長靴の外にも発散するらしい。……
「九月×日 馬の脚を自由に制御せいぎょすることは確かに馬術よりも困難である。俺は今日午休ひるやすみ前に急ぎの用を言いつけられたから、小走こばしりに梯子段はしごだんを走り下りた。誰でもこう言う瞬間には用のことしか思わぬものである。俺もそのためにいつのにか馬の脚を忘れていたのであろう。あっと言う間に俺の脚は梯子段の七段目を踏み抜いてしまった。……
「十月×日 俺はだんだん馬の脚を自由に制御することを覚え出した。これもやっと体得して見ると、畢竟ひっきょう腰のあい一つである。が、今日は失敗した。もっとも今日の失敗は必ずしも俺の罪ばかりではない。俺は今朝けさ九時前後に人力車じんりきしゃに乗って会社へ行った。すると車夫は十二銭の賃銭ちんせんをどうしても二十銭よこせと言う。おまけに俺をつかまえたなり、会社の門内へはいらせまいとする。俺は大いに腹が立ったから、いきなり車夫を蹴飛けとばしてやった。車夫の空中へ飛びあがったことはフット・ボオルかと思うくらいである。俺は勿論後悔こうかいした。同時にまた思わず噴飯ふんぱんした。とにかく脚を動かす時には一層細心に注意しなければならぬ。……」
 しかし同僚どうりょう瞞着まんちゃくするよりも常子の疑惑を避けることははるかに困難に富んでいたらしい。半三郎は彼の日記の中に絶えずこの困難を痛嘆している。
「七月×日 俺の大敵は常子である。俺は文化生活の必要をたてに、たった一つの日本間にほんまをもとうとう西洋間せいようまにしてしまった。こうすれば常子の目の前でも靴をがずにいられるからである。常子は畳のなくなったことを大いに不平に思っているらしい。が、靴足袋くつたびをはいているにもせよ、この脚で日本間を歩かせられるのはとうてい俺には不可能である。……
「九月×日 俺は今日道具屋にダブル・ベッドを売り払った。このベッドを買ったのはある亜米利加アメリカ人のオオクションである。俺はあのオオクションへ行った帰りに租界そかいの並み木のしたを歩いて行った。並み木のえんじゅは花盛りだった。運河の水明みずあかりも美しかった。しかし――今はそんなことに恋々れんれんとしている場合ではない。俺は昨夜ゆうべもう少しで常子の横腹をるところだった。……
「十一月×日 俺は今日洗濯物せんたくものを俺自身洗濯屋へ持って行った。もっとも出入りの洗濯屋ではない。東安市場とうあんしじょうの側の洗濯屋である。これだけは今後も実行しなければならぬ。猿股さるまたやズボン下や靴下にはいつも馬の毛がくっついているから。……
「十二月×日 靴下の切れることは非常なものである。実は常子に知られぬように靴下だい工面くめんするだけでも並みたいていの苦労ではない。……
「二月×日 俺は勿論寝る時でも靴下やズボン下を脱いだことはない。その上常子に見られぬように脚の先を毛布もうふに隠してしまうのはいつも容易ならぬ冒険である。常子は昨夜ゆうべ寝る前に『あなたはほんとうに寒がりね。腰へも毛皮を巻いていらっしゃるの?』と言った。ことによると俺の馬の脚も露見ろけんする時が来たのかも知れない。……」
 半三郎はこのほかにも幾多の危険に遭遇そうぐうした。それを一々枚挙まいきょするのはとうていわたしのえるところではない。が、半三郎の日記の中でも最もわたしを驚かせたのはしもに掲げる出来事である。
「二月×日 俺は今日午休ひるやすみに隆福寺りゅうふくじ古本屋ふるぼんやのぞきに行った。古本屋の前の日だまりには馬車が一台止まっている。もっとも西洋の馬車ではない。藍色あいいろほろを張った支那馬車である。馭者ぎょしゃも勿論馬車の上に休んでいたのに違いない。が、俺は格別気にも止めずに古本屋の店へはいろうとした。するとその途端とたんである。馭者はむちを鳴らせながら、「スオ、スオ」と声をかけた。「スオ、スオ」は馬をあとにやる時に支那人の使う言葉である。馬車はこの言葉の終らぬうちにがたがた後へさがり出した。と同時に驚くまいことか! 俺も古本屋を前に見たまま、一足ひとあしずつ後へ下り出した。この時の俺の心もちは恐怖と言うか、驚愕きょうがくと言うか、とうてい筆舌ひつぜつに尽すことは出来ない。俺はいたずらに一足でも前へ出ようと努力しながら、しかも恐しい不可抗力のもとにやはり後へ下って行った。そのうちに馭者の「スオオ」と言ったのはまだしも俺のためには幸福である。俺は馬車の止まる拍子ひょうしにやっとあとずさりをやめることが出来た。しかし不思議はそれだけではない。俺はほっと一息しながら、思わず馬車の方へ目を転じた。すると馬は――馬車をいていた葦毛あしげの馬はなんとも言われぬいななきかたをした。何とも言われぬ?――いや、何とも言われぬではない。俺はその疳走かんばしった声の中に確かに馬の笑ったのを感じた。馬のみならず俺ののどもとにも嘶きに似たものがこみ上げるのを感じた。この声を出しては大変である。俺は両耳へ手をやるが早いか、一散いっさんにそこを逃げ出してしまった。……」
 けれども運命は半三郎のために最後の打撃を用意していた。と言うのはほかでもない。三月の末のある午頃ひるごろ、彼は突然彼の脚のおどったりねたりするのを発見したのである。なぜ彼の馬の脚はこの時急にさわぎ出したか? その疑問に答えるためには半三郎の日記を調べなければならぬ。が、不幸にも彼の日記はちょうど最後の打撃を受ける一日前に終っている。ただ前後の事情により、大体の推測すいそくくだせぬこともない。わたしは馬政紀ばせいき馬記ばき元享療牛馬駝集げんきょうりょうぎゅうばだしゅう伯楽相馬経はくらくそうばきょう等の諸書に従い、彼の脚の興奮したのはこう言うためだったと確信している。――
 当日ははげしい黄塵こうじんだった。黄塵とは蒙古もうこ春風しゅんぷう北京ペキンへ運んで来る砂埃すなほこりである。「順天時報じゅんてんじほう」の記事によれば、当日の黄塵は十数年来いまかつて見ないところであり、「五歩の外に正陽門せいようもんを仰ぐも、すでに門楼もんろうを見るべからず」と言うのであるから、よほど烈しかったのに違いない。然るに半三郎の馬の脚は徳勝門外とくしょうもんがい馬市うまいち斃馬へいばについていた脚であり、そのまた斃馬は明らかに張家口ちょうかこう錦州きんしゅうを通って来た蒙古産の庫倫クーロン馬である。すると彼の馬の脚の蒙古の空気を感ずるが早いか、たちまち躍ったり跳ねたりし出したのはむしろ当然ではないであろうか? かつまた当時は塞外さいがいの馬の必死に交尾こうびを求めながら、縦横じゅうおうけまわる時期である。して見れば彼の馬の脚がじっとしているのに忍びなかったのも同情にあたいすると言わなければならぬ。……
 この解釈の是非ぜひはともかく、半三郎は当日会社にいた時も、舞踏か何かするように絶えず跳ねまわっていたそうである。また社宅へ帰る途中も、たった三町ばかりの間に人力車じんりきしゃを七台踏みつぶしたそうである。最後に社宅へ帰ったのちも、――なんでも常子の話によれば、彼は犬のようにあえぎながら、よろよろ茶のへはいって来た。それからやっと長椅子ながいすへかけると、あっけにとられた細君に細引ほそびきを持って来いと命令した。常子は勿論夫の容子ようすに大事件の起ったことを想像した。第一顔色も非常に悪い。のみならず苛立いらだたしさに堪えないように長靴ながぐつの脚を動かしている。彼女はそのためにいつものように微笑びしょうすることも忘れたなり、一体細引を何にするつもりか、聞かしてくれと歎願した。しかしおっとは苦しそうにひたいの汗を拭いながら、こう繰り返すばかりである。
「早くしてくれ。早く。――早くしないと、大変だから。」
 常子はやむを得ず荷造りに使う細引を一束ひとたば夫へ渡した。すると彼はその細引に長靴の両脚をしばりはじめた。彼女の心に発狂と言う恐怖のきざしたのはこの時である。常子は夫を見つめたまま、ふるえる声に山井博士の来診らいしんを請うことをすすめ出した。しかし彼は熱心に細引を脚へからげながら、どうしてもその勧めに従わない。
「あんなやぶ医者に何がわかる? あいつは泥棒だ! 大詐偽おおさぎ師だ! それよりもお前、ここへ来て俺の体をおさえていてくれ。」
 彼等は互にき合ったなり、じっと長椅子に坐っていた。北京ペキンおおった黄塵こうじんはいよいよ烈しさを加えるのであろう。今は入り日さえ窓の外に全然光と言う感じのしない、にごったしゅの色をただよわせている。半三郎の脚はその間も勿論静かにしているわけではない。細引にぐるぐるくくられたまま、目に見えぬペダルを踏むようにやはり絶えず動いている。常子は夫をいたわるように、また夫を励ますようにいろいろのことを話しかけた。
「あなた、あなた、どうしてそんなに震えていらっしゃるんです?」
なんでもない。何でもないよ。」
「だってこんなに汗をかいて、――この夏は内地へ帰りましょうよ。ねえ、あなた、久しぶりに内地へ帰りましょうよ。」
「うん、内地へ帰ることにしよう。内地へ帰って暮らすことにしよう。」
 五分、十分、二十分、――時はこう言う二人の上に遅い歩みを運んで行った。常子は「順天時報じゅんてんじほう」の記者にこの時の彼女の心もちはちょうどくさりつながれた囚人しゅうじんのようだったと話している。が、かれこれ三十分ののちついに鎖のたれる時は来た。もっともそれは常子の所謂いわゆる鎖の断たれる時ではない。半三郎を家庭へ縛りつけた人間の鎖の断たれる時である。濁った朱の色をかせた窓は流れ風にでもあおられたのか、突然がたがたと鳴り渡った。と同時に半三郎は何か大声を出すが早いか、三尺ばかり宙へ飛び上った。常子はその時細引のばらりと切れるのを見たそうである。半三郎は、――これは常子の話ではない。彼女は夫の飛び上るのを見たぎり、長椅子ながいすの上に失神してしまった。しかし社宅の支那人のボオイはこう同じ記者に話している。――半三郎は何かに追われるように社宅の玄関へおどり出た。それからほんの一瞬間、玄関の先にたたずんでいた。が、身震みぶるいを一つすると、ちょうど馬のいななきに似た、気味の悪い声を残しながら、往来をめた黄塵こうじんの中へまっしぐらに走って行ってしまった。……
 そのの半三郎はどうなったか? それは今日こんにちでも疑問である。もっとも「順天時報」の記者は当日の午後八時前後、黄塵に煙った月明りの中に帽子ぼうしをかぶらぬ男が一人、万里ばんり長城ちょうじょうを見るのに名高い八達嶺下はったつれいかの鉄道線路を走って行ったことを報じている。が、この記事は必ずしも確実な報道ではなかったらしい。現にまた同じ新聞の記者はやはり午後八時前後、黄塵をうるおした雨の中に帽子をかぶらぬ男が一人、石人石馬せきじんせきばの列をなした十三陵じゅうさんりょう大道だいどうを走って行ったことを報じている。すると半三郎は××胡同ことうの社宅の玄関を飛び出したのち、全然どこへどうしたか、判然しないと言わなければならぬ。
 半三郎の失踪しっそうも彼の復活と同じように評判ひょうばんになったのは勿論である。しかし常子、マネエジャア、同僚、山井博士、「順天時報」の主筆等はいずれも彼の失踪を発狂はっきょうのためと解釈した。もっとも発狂のためと解釈するのは馬の脚のためと解釈するのよりも容易だったのに違いない。難を去ってにつくのは常に天下の公道である。この公道を代表する「順天時報」の主筆牟多口氏むだぐちしは半三郎の失踪した翌日、その椽大てんだいの筆をふるってしもの社説をおおやけにした。――
「三菱社員忍野半三郎氏は昨夕さくゆう五時十五分、突然発狂したるが如く、常子夫人のむるをかず、単身いずこにか失踪したり。同仁どうじん病院長山井博士の説によれば、忍野氏は昨夏脳溢血のういっけつわずらい、三日間人事不省じんじふせいなりしより、爾来じらい多少精神に異常を呈せるものならんと言う。また常子夫人の発見したる忍野氏の日記に徴するも、氏は常に奇怪なる恐迫観念を有したるが如し。然れども吾人ごじんの問わんと欲するは忍野氏の病名如何いかんにあらず。常子夫人の夫たる忍野氏の責任如何にあり。
「それわが金甌無欠きんおうむけつの国体は家族主義の上に立つものなり。家族主義の上に立つものとせば、一家の主人たる責任のいかに重大なるかは問うを待たず。この一家の主人にしてみだりに発狂する権利ありや否や? 吾人はかかる疑問の前に断乎だんことして否と答うるものなり。試みに天下の夫にして発狂する権利を得たりとせよ。彼等はことごとく家族をあとに、あるいは道塗どうと行吟こうぎんし、あるいは山沢さんたく逍遥しょうようし、あるいはまた精神病院飽食暖衣ほうしょくだんいするの幸福を得べし。然れども世界に誇るべき二千年来の家族主義は土崩瓦解どほうがかいするをまぬかれざるなり。語にいわく、其罪をにくんで其人を悪まずと。吾人はもとより忍野氏にこくならんとするものにあらざるなり。然れども軽忽けいこつに発狂したる罪はを鳴らして責めざるべからず。否、忍野氏の罪のみならんや。発狂禁止令を等閑とうかんに附せる歴代れきだい政府の失政をも天にかわって責めざるべからず。
「常子夫人の談によれば、夫人は少くとも一ヶ年間、××胡同ことうの社宅にとどまり、忍野氏の帰るを待たんとするよし。吾人は貞淑ていしゅくなる夫人のために満腔まんこうの同情をひょうすると共に、賢明なる三菱みつびし当事者のために夫人の便宜べんぎを考慮するにやぶさかならざらんことを切望するものなり。……」
 しかし少くとも常子だけは半年ばかりたったのち、この誤解に安んずることの出来ぬある新事実に遭遇そうぐうした。それは北京ペキンの柳やえんじゅも黄ばんだ葉を落としはじめる十月のある薄暮はくぼである。常子は茶のの長椅子にぼんやり追憶に沈んでいた。彼女のくちびるはもう今では永遠の微笑を浮かべていない。彼女のほおもいつのにかすっかり肉を失っている。彼女は失踪した夫のことだの、売り払ってしまったダブル・ベッドのことだの、南京虫なんきんむしのことだのを考えつづけた。すると誰かためらい勝ちに社宅の玄関のベルを押した。彼女はそれでも気にせずにボオイの取り次ぎに任かせていた。が、ボオイはどこへ行ったか、容易に姿を現さない。ベルはその内にもう一度鳴った。常子はやっと長椅子を離れ、静かに玄関へ歩いて行った。
 落ち葉の散らばった玄関には帽子ぼうしをかぶらぬ男が一人、薄明うすあかりの中にたたずんでいる。帽子を、――いや、帽子をかぶらぬばかりではない。男は確かに砂埃すなほこりにまみれたぼろぼろの上衣うわぎを着用している。常子はこの男の姿にほとんど恐怖に近いものを感じた。
「何か御用でございますか?」
 男は何とも返事をせずに髪の長い頭を垂れている。常子はその姿をかして見ながら、もう一度恐る恐る繰り返した。
「何か、……何か御用でございますか?」
 男はやっと頭をもたげた。
「常子、……」
 それはたった一ことだった。しかしちょうど月光のようにこの男を、――この男の正体を見る見る明らかにする一ことだった。常子は息をんだまま、しばらくは声を失ったように男の顔を見つめつづけた。男はひげを伸ばした上、別人のようにやつれている。が、彼女を見ているひとみは確かに待ちに待った瞳だった。
「あなた!」
 常子はこう叫びながら、夫の胸へすがろうとした。けれども一足ひとあし出すが早いか、熱鉄ねってつか何かを踏んだようにたちまちまた後ろへ飛びすさった。夫は破れたズボンの下に毛だらけの馬の脚をあらわしている。薄明うすあかりの中にも毛色の見える栗毛くりげの馬の脚をあらわしている。
「あなた!」
 常子はこの馬の脚に名状めいじょうの出来ぬ嫌悪けんおを感じた。しかし今をいっしたが最後、二度と夫に会われぬことを感じた。夫はやはり悲しそうに彼女の顔を眺めている。常子はもう一度夫の胸へ彼女の体を投げかけようとした。が、嫌悪はもう一度彼女の勇気を圧倒した。
「あなた!」
 彼女が三度目にこう言った時、夫はくるりと背を向けたと思うと、静かに玄関をおりて行った。常子は最後の勇気を振い、必死に夫へ追いすがろうとした。が、まだ一足ひとあしも出さぬうちに彼女の耳にはいったのは戞々かつかつひづめの鳴る音である。常子は青い顔をしたまま、呼びとめる勇気も失ったようにじっと夫のうしろ姿を見つめた。それから、――玄関の落ち葉の中に昏々こんこん正気しょうきを失ってしまった。……
 常子はこの事件以来、夫の日記を信ずるようになった。しかしマネエジャア、同僚、山井博士、牟多口氏等むだぐちしらの人びとはいまだに忍野半三郎おしのはんざぶろうの馬の脚になったことを信じていない。のみならず常子の馬の脚を見たのも幻覚げんかくに陥ったことと信じている。わたしは北京ペキン滞在中、山井博士や牟多口氏に会い、たびたびそのもうを破ろうとした。が、いつも反対の嘲笑ちょうしょうを受けるばかりだった。そのも、――いや、最近には小説家岡田三郎おかださぶろう氏も誰かからこの話を聞いたと見え、どうも馬の脚になったことは信ぜられぬと言う手紙をよこした。岡田氏はもし事実とすれば、「多分馬の前脚まえあしをとってつけたものと思いますが、スペイン速歩そくほとか言う妙技を演じ得る逸足いっそくならば、前脚で物を蹴るくらいの変り芸もするか知れず、それとても湯浅少佐ゆあさしょうさあたりが乗るのでなければ、果して馬自身でやりおおせるかどうか、疑問に思われます」と言うのである。わたしも勿論その点には多少の疑惑を抱かざるを得ない。けれどもそれだけの理由のために半三郎の日記ばかりか、常子の話をも否定するのはいささか早計そうけいに過ぎないであろうか? 現にわたしの調べたところによれば、彼の復活を報じた「順天時報じゅんてんじほう」は同じ面の二三段下にこう言う記事をも掲げている。――
美華禁酒びかきんしゅ会長ヘンリイ・バレット氏は京漢けいかん鉄道の汽車中に頓死とんししたり。同氏は薬罎くすりびんを手に死しいたるより、自殺の疑いを生ぜしが、罎中の水薬すいやく分析ぶんせきの結果、アルコオル類と判明したるよし。」
(大正十四年一月)





底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月5日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について