商賈聖母

芥川龍之介




 天草あまくさはらの城の内曲輪うちくるわ。立ち昇る火焔。飛びちがふ矢玉。伏しかさなつた男女の死骸しがい。その中に手を負つた一人の老人。老人は石垣の上に懸けた麻利耶マリヤの画像を仰ぎながら、高声に「はれるや」をとなへてゐる。
 忽ち又一発の銃弾じうだん
 老人はのけざまにたふれたぎり、二度と起き上る気色は見えない。白衣の聖母は石垣の上から、黙黙とその姿を見下してゐる。おごそかに、悠悠と。
 白衣の聖母? いや、わたしは知つてゐる。それは白衣の聖母ではない。明らかに唯の女人である。一朶いちだ薔薇ばらの花を愛する唯の紅毛の女人である。見給へ。その女人の下にはかう云ふ金色の横文字さへある。ウイルヘルム煙草商会、アムステルダム。阿蘭陀オランダ……





底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について