市の中心を
女。そこでこれ切りおしまいにいたしましょうね。まあ、お互に成行に任せた方が一番よろしゅうございますからね。つまりそうした時が来ましたのですわ。さあ、お別れにこの手にキスをなさいまし。これからはまたただのお友達でございますよ。
男。さよう。どうも思召通りにするより外ありません。
女。ともかくもお互の間に愉快な、わだかまりの無い記念だけは残っていると云うものでございますね。二人は惚れ合っていました。キスをしました。
男。いかにもおっしゃる通りです。(女の手に接吻す。)
女。そこでわたくしはこの道を右に参りましょう。あなたは少しの間ここに立って待っていらっしゃって、それから左の方へおいでなさいまし。せっかくお別れをいたす日になって、宅にでも見附けられると、詰まりませんからね。
男。いかさま。そんならこれで。
(二人ともなお立ち止まりいる。)
女。なぜいらっしゃらないの。
男。実はお別れをする前に少し伺っておきたい事があるものですから。
女。そう。さあ、なんでもおっしゃいましよ。
男。あの始めてタトラでお目にかかった時ですね。あの時はお内の御主人がどんな方だか知らなかったのでございますね。あなたは婦人のお友達二三人とあっちへ避寒に来ていらっしゃったのです。
女。ええ。
男。それからですね。どんな風に事柄が運んで行ったと云うことはあなたもまだ覚えていらっしゃるでしょう。ブダペストへ参ってからも、わたくしはあなたと御交際を続けて行きました時も、まだ御主人がどんな方だか知らなかったのですね。
女。ええ。
男。そのころある日の事ですが、あなたはわたくしに写真を一枚お見せになりましたね。それがすばらしい好男子だったのです。あなたのおっしゃるには、「これが、わたくしの夫ですから、よく見ておおきなさい」と云うことでした。わたくしは仰せの通りよく拝見しました。その写真の男は Dorian Gray と云う青年はあんなだったかと思うほど美しくて、Edward 七世はあんなだったかと思うほど様子がよかたのです。髪は波を打っています。眉は秀でています。優しい目に男らしい権威がある。口はグレシアの神の像にでもありそうな恰好をしているのですね。わたくしはあの時なんとも言わずにいましたが、あの日には夕食が
女。大方そうだろうと存じましたの。
男。実は夜寝ることも出来なかったのです。あのころはわたくしむやみにあなたを思っていたでしょう。そこで馬鹿らしいお話ですが、何度となく床から起きて、鏡の前へ自分の顔を見にいったのですね。わたくしも自分がかなり風采の好い男だとは思っていました。しかしまあ世間普通の好男子ですね。世間でおめかしをした Adonis なんどと云う
女。それはわたくしに分かっていましたの。
男。夜寝られないと、わたくしは夜どおしこんな事を思っていました。あんな亭主を持っているあなたがわたくしをなんになさるのだろうと云うのです。それからもしや御亭主が馬鹿ではあるまいかと思ってみました。いったんはそう思って自分を慰めてみましたが、また思ってみると、自分だって世間並の男一匹の智慧しか持っていないのに気が附かずにはいられなかったのですね。それに反してあの写真の男の額からは、才気が
女。それも分かっていましたの。
男。そこで服を一番いい服屋で
女。ええ。まだ覚えていますの。
男。それからわたくしはあなたをちょっとの間も手離すまいとしたのですね。あなたが誰と知合になられたとか、誰と芝居へおいでになったとか云うことを、わたくしは一しょう懸命になって探索したのです。あのころ御亭主は用事があってロンドンへ往っておいでになると云うことでしたから。
女。ええ。あの時のあなたの御様子は、まあ、そんな風でございましたのね。
男。それからどうなったかお考えなすって御覧なさい。ある日あなたがおいでになって、御亭主が帰られたとおっしゃったでしょう。そこでどうにかして一度御亭主に逢わせて下さいと云って、わたくしは歎願しましたね。しかしどうしてもあなたは聴きませんでしたね。するとある日の事、たしか午後にわたくしの所にいらっしゃった時でした。あなたは手紙をお落しなすったのです。わたくしはお帰りになったあとで気が附きました。その手紙に書いてあった文句はこうでした。「明日のオペラ座の切符手に入り候に付、主人同道お誘いに参り
女。おや。そうでしたか。あの手紙はあなたの所で落しましたのですかねえ。
男。ええ。そうでした。ところでわたくしのためにはそれが好都合だったのです。翌日わたくしが急いでオペラ座へ往って見ますと、お母あ様と御夫婦とでちゃんと桟敷にいらっしゃったのですね。
女。そこで。
男。それをあなた平気でわたくしにお聞きになるのですか。
女。ではどんなにして伺えばよろしいのでしょう。
男。だって驚くじゃありませんか。あの時わたくしには始めて分かったのです。まあ、あなたが
女。おやおや。
男。あなただってあれが御亭主でないとはおっしゃられないでしょう。
女。ええ。宅の主人ですとも。
男。わたくしはあなたの御亭主を知っていた友達に聞いてみて、確めたのです。
女。ええええ。宅の主人に相違ございません。
男。まあ、それはそれでよろしゅうございます。そこでなんだってあんな狂言をなすったのです。あのお見せになった写真の好男子は誰ですか。
女。あの写真はロンドンで二シルリングかそこらで買ったのでございます。わたくしも誰の写真だか存じません。いずれイギリスのなんとか申す貴族だろうと存じますの。
男。そこでなぜそれを。
女。それはあなたお分かりになっていらっしゃるじゃございませんか。あれを御覧にいれた方がわたくしには都合がよろしかったのですもの。御承知の通り、わたくしの狂言はすっかり当りましたでしょう。あなたあの写真と競争をお始めなすってから、男前が五割方上がりましたよ。あの写真があなたをせびるようにして、あなたから出来るだけの美しさや、御様子のよさや、才智を絞り出してくれたのでございますね。あの頃わたくし全くあなたに惚れていましたの。ですからあなたの長所が平生の倍以上になったのがどんなにか嬉しゅうございましたでしょう。
男。なるほど。旨くたくらんだものですね。しかしやっぱり女の智慧です。
女。なぜでございますの。
男。でも手紙を一本落しなすったばかりで、せっかくの趣向がこわれてしまったじゃありませんか。手紙を拾った翌日あなたの御亭主の正体が分かる。あなたの
女。(小声にて。)そんならあなたはわたくしのような
男。なんですと。
女。夫を持っていて色をしようと云う女に、手紙の始末ぐらいが出来ないものでございましょうか。あなたのお考えなさるように、わたくしがやたらむしょうに手紙を落しなんかしようものなら、わたくしもう
男。なんですと。そんならあなたはわざとあの手紙を落したとおっしゃるのですか。
女。それは知れた事じゃございませんか。
男。(呆れて。)そんならなんのためにお落しなすったのです。
女。それもあなたには知れているはずじゃございませんか。あなたに宅の主人をお目に掛けて、あなたの恋をさましてお上げ申したのですわ。
男。それがなんになるのですか。
女。それはわたくし悲劇が嫌だからでございますの。ちょうどいい時節が来たので、手紙を落します。するとあなたが段々わたくしに構わないようにおなりなさる。そこで平和の
男。しかしなぜわたくしの恋をさまさなくてはならないのですか。
女。それでございますか。それはわたくしがもうあの写真を外の人に見せたからでございますの。ね、お分かりになりましたでしょう。男の方と云うものは、写真一枚と手紙一本とで勝手に扱うことが出来ますの。男心と云うものはそうしたものでございますからね。Maupassant が notre cur と申した、その男心でございますね。(男の呆れて立ち