汽車で露西亞や獨逸を過ぎて巴里へ來ると、先づ目に着くのは佛蘭西の男も女もきやしやな體をして其姿の
自分が佛蘭西の婦人の姿に感服する一つは、流行を追ひながら而も流行の中から自分の趣味を標準にして、自分の容色に調和した色彩や形を選んで用ひ、一概に盲從して居ない事である。自分は三四着の洋服を作らす參考にと思つて目に觸れる女の服裝に注意して見たが、色の配合から
又感服した一つは、身に過ぎた
歐洲の女は何うしても活動的であり、東洋の女は靜止的である。靜止的の美も結構であるけれど、何うも現代の時勢には適しない美である。自分は日本の女の多くを急いで活動的にしたい。而うして、其れは決して不可能で無い許りか、自分は歐洲へ來て見て、初めて日本の女の美が世界に出して優勝の位地を占め得ることの有望な事を知った。唯其れには内心の自動を要することは勿論、從來の樣な優柔不斷な心掛では駄目であるが、其れは教育が普及して行く結果現に穩當な覺醒が初まつて居るから憂ふべき事ではない。但し女の容貌は一代や二代で改まる物で無いと云ふ人があるかも知れないが、自分は日本の女の容貌を悉く西洋婦人の樣にしようとは願はない。今の儘の顏立でよいから、表情と肉附の生生とした活動の美を備へた女が殖えて欲しい。髮も黒く目も黒い日本式の女は巴里にも澤山にある。外觀に於て巴里の女と似通つた所のある日本の女が何が巴里の女に及び難いかと云へば、内心が依頼主義であつて、自ら進んで生活し、其生活を富まし且つ樂まうとする心掛を缺いて居る所から、作り花の樣に生氣を失つて居る事と、もう一つは、美に對する趣味の低いために化粧の下手なのとに原因して居るのでは無いか。日本の男の姿は佛蘭西の男に比べて隨分粗末であるが、まだ其れは可いとして、日本の女の裝飾はもつと思ひ切つて品好く派手にする必要があると感じた。
松岡氏と良人と自分がアンリイドの停車場からロダン先生を訪ふ爲にムウドン行の汽車に乘つたのは、初めて詩人レニエ先生を訪うた日の午後であつた。此汽車は甲武線の電車の樣に、街の中を行きながら家竝よりは一段低く道を造つた所を走るのである。短距離にある市内の
「ジヤポネエズジヤポネエズ」
と云つて、一汽車の客が皆左の窓際へ集つて眺めるのであつた。自分は秋草を染めたお納戸の絽の着物に、同じ模樣の薄青磁色の絽の帶を結んで居た。停車場の驛夫にロダン先生の家へ行く道を聞くと、彼處をずつと行けば好いと云つて岡の下の一筋道を教へて呉れた。馬車などは一臺もない停車場である。眞直に突當つてと云はれた道が何處迄も果ての無い樣に續いて居る樣なので、自分は男達に後れない樣にして歩きながら時時立留つて汗を拭いては吐息さへもつかれるのであつた。松岡氏と良人とは逢ふ人毎に目的の家を尋ねて居る。逢ふ人毎と云つても一町に一人、三町に二人位のものであることは云ふ迄もない。粉挽小屋の職人までが世界の偉人を知つて居て、
「ムシユウ・メモトル・ロダン」
と問ひ返して、其返事を與へる事に幸福と誇りとを感じて居るらしいのを見ると、自分は涙ぐましいやうな氣分にもなるのであつた。
眞赤な土がほろほろと……
だらだら坂の二側 に
アカシヤの樹のつづく路。
あれ、あの森の右の方、
飴色をした屋根と屋根、
あの間から群青 を
ちらと抹 つたセエヌ川。
涼しい風が吹いて來る、
マロニエの香と水の香と。
之が日本の畑なら
青い「ぎいす」が鳴くであろ。
黄ばんだ麥と雛罌粟 と、
黄金にまぜたる朱の赤さ。
誰 が挽き捨てた荷車か、
眠い目をして路ばたに
じつと立つたる驢馬 の影。
「ロダン先生の別莊は。」
問ふ二人より側に立つ
キモノ姿のわたしをば
不思議と見入る野良男 。
「ロダン先生の別莊は
ただ眞直に行きなさい。
木の間からその庭の
風見車 が見えませう。」
巴里から來た三人の
胸は俄にときめいた。
アカシヤの樹のつづく路。
だらだら坂の
アカシヤの樹のつづく路。
あれ、あの森の右の方、
飴色をした屋根と屋根、
あの間から
ちらと
涼しい風が吹いて來る、
マロニエの香と水の香と。
之が日本の畑なら
青い「ぎいす」が鳴くであろ。
黄ばんだ麥と
黄金にまぜたる朱の赤さ。
眠い目をして路ばたに
じつと立つたる
「ロダン先生の別莊は。」
問ふ二人より側に立つ
キモノ姿のわたしをば
不思議と見入る
「ロダン先生の別莊は
ただ眞直に行きなさい。
木の間からその庭の
巴里から來た三人の
胸は俄にときめいた。
アカシヤの樹のつづく路。
やつと其道の盡きる處まで來た。其處は自分達の今乘つて來たのとは異ふ別の汽車道の踏切である。そして一層人氣のない寂しい道へ自分達は出た。二町程來た時前を行く人を呼んで松岡氏が尋ねると、ロダン先生の邸は直ぐ此處の左で、其處に門がある、そしてずつと奧に家があると云ふのであつた。見ると牧場の柵の樣な低い木の門が其處にある。マロニエの木が隙間もなく青青と兩側に立つて居た。然し人の通ふ道の上には草が多く生えて居る。右の
「一寸お待ち下さい」
と云ひながらその人は又自分達を中門の中まで案内して置いて母家の窓の下へ寄つて夫人に聲を掛けた。自分はこんな事をも面白くもゆかしくも思つた。大藝術家の夫人が窓越しに弟子の話すのを許すと云ふさばけた
「奧さんがお目に掛りますからお待ち下さい」
と弟子は云つて、又自分達をもとの製作室に
「船にお乘りになるのが好いでせう。奧さんがお許し下すつたら私がその船乘場までお送りしませう」
と弟子は云つた。その言葉の中にも夫人をどんなに尊敬して居るかと云ふ事が見えてゆかしい。ロダン夫人は無雜作に一方口の入口から入つて來られた。背の低い婦人である。白茶に白いレイスをあしらつた
「よくいらつしつた」
と云はれた。松岡氏が自分に代つて面會を許された喜びを述べた。夫人の頭髮は白金の樣に白い。
「一寸お待ちなさい」
と云つて、夫人は母屋の方へ行かれた。暫くすると露の滴る紅薔薇の花を澤山持つて來られた。
「二三日雨が多かつたものですから、わたしの庭の一番好い花を切つたのですけれど、この通なんですよ」
と云つて、夫人は花を自分に渡された。自分は心のときめくのを覺えた。夫人は自分達を船乘場まで馬車で送らせると云つてその用意を命ぜられるのであつた。其間に椅子へお座りなさいなどと自分の爲に色色と心を遣はれた。製作場の向側にはギリシヤ
(六月廿日)