悪夢

豊島与志雄




 私は時々、変梃な気持になることがある。脾肉の歎に堪えないと云ったような、むずむずした凶悪な風が、心の底から吹き起ってくることがある。先ず第一に、或る漠然とした息苦しさを覚える。何もかもつまらなくなる。会社の下っ端に雇われて、毎日午前九時から、午後四時まで、時には六時過ぎまで、無意味な数字を、算盤そろばんでひねくりまわしたり、帳簿に記入したり、そしてその間には、自分の用でもない電話をかけさせたり、ぺこぺこお辞儀をしたり、まるで機械のようになって働いて、頭と身体とを擦りへらしてしまい、そして満員の電車でもまれて、下宿に帰って、飯を食い湯にでもはいると、もう何をする気力もなく、冷たい煎餅布団にくるまって、ぼんやり寝てしまうの外はない。而もそういう生活から得らるる金と云ったら、僅かに六十円しかないので、日曜日がまわってきても、愉快な気晴しをする余裕はとてもなく、寝坊と夢想と散歩と活動写真くらいで、一日ぐずぐずに送ってしまう。一体何のために自分は生きてるのか? それを思うと、もう何もかも、自分自身も世の中も、つくづく嫌になってくる。そして一番いけないのは、こういう生活が、毎日同じように、際限もなく、末の見込や希望が一つもなく、ただだらしなく繰返されることである。そんなことを考えまわすと、息が苦しくなってきて、今にも窒息しそうな気持さえする。このままで年を取っていったらどうなるのか? 自分の若い生命はどうなるのか? せめて、大空の下で大地の上で、大きく息をでもつけたら……。然し凡てが狭苦しくて惨めである。風通しも日当りも悪い三畳の室、それから外に出ても、軒並に切取られた狭い空、薄濁りのした空気、その空気を通してくる蒼ざめた日の光、そしていつも、満員の電車、人の群、それからまた、緑の木の葉一つ見えない、地下牢みたいな頑丈な檻――数字ばかりが積み重ってる会社の室。凡てのものが、私の精神をばかりでなく、私のこの肉体をも、蒼白く萎びさしてしまう。ああせめて、力一杯にぶつかってゆけるものでもあったら……。然しこの都会の真中では、人の体力を要求するようなものは、何一つとしてない。鍬を取って掘り返すべき、一隅の地面もない。鋸や斧を振うべき、一片の木株もない。息の限り走り廻られる、広々とした草原の面影もない。そして生活は、大地を離れた繁忙な事務の中に閉じ籠められ、一つ所に動きがとれぬほど固定され、毎日同じことを繰返す機械のようになされて、額ににじみ出る汗は、筋肉を働かせることから来る力強い爽快な汗ではなくて、日光と空気とが不足して窒息してゆく、じりじりとした生汗なまあせである。それも私ばかりではない。誰も彼もみな、干乾びて痩せ細るか、脂肪がたまってぶよぶよと肥るかして、溌溂とした体力を持ってる者は一人もいない。激しい残忍さと温良さとを持ってる農夫、強い抱擁力を持ってる田舎娘、それらを思い出させるような顔付は、一つとして見当らない。精神は亡びるなら亡びるがいい、熱い血の流れてるこの肉体だけは、どんなことがあっても亡ぼしたくない! そう私は叫びたくなってくる。
 そして私の胸の底から、何だか形態えたいの知れない強暴なものが、むらむらと湧き上ってくる。何物へでもよいから、力一杯にぶつかってゆきたくなる。四股しこを踏みしめて、街路樹と押しっくらがしてみたい。眼の前につっ立ってる、板塀や石壁や屋根などに、躍り上り攀じ登ってみたい。喉が張り裂けるまで、声の限りに叫んでみたい。自分の前を通る人の頭に、握りしめた拳固を一つ、ぽかりと喰わしてみたい。動物園で、狭苦しい鉄の檻の中を、おとなしく歩き廻ってる猛獣を見ると、自分の方で堪らなく苛立ってくる。
 丁度そういう気持へ、じりじりと落ちてゆきそうな気がしてる時のことだった。それは月初めの第一の日曜日で、下宿料や其他の払いを済した後に、十六円余り残っていて、そのうちから月の小遣を差引いて、余分の金で、何をしようかと――着物も買いたかったし、芝居も見たかったし、酒も飲みたかったし、買いたい書物もあったし、其他いろんな欲望があったが、そのうちのどれを満してやろうかと――さすがに楽しい心地で考え初めた所が、その楽しい心地が一寸向を変えて、自分の心にはっきり映ってきて、自分で自分が惨めになさけなくなり、これだけが一ヶ月の労苦の報酬かと考え、その報酬にうわずった喜びをしてる自分かと考えて、それから自分の日々を眼の前に思い浮べて、堪らなく陰鬱なまた苛立たしい気持になっていった。幸福でも不吉でもいいから、力一杯胸一杯のものがほしかった。余儀なく引きずられてゆくような息苦しい生活は、思っても堪らなかった。そして私は、もう外に出る気もなくなって、その楽しかるべき日曜を、薄暗い三畳の室に寝転んで、疲憊しきった惨めな焦慮のうちに、午後の三時頃まで過してしまった。その時、国許の兄から手紙が来た。「親展」と大書してあった。何事だろう? と咄嗟に考えたが、次の瞬間には、兄はどんな手紙にも必ず「親展」と書き誌す癖があることを思い出して、何だかはぐらかされたような気持になり、別に急ぐでもなくまた急がぬでもなく、封を切って読んでみた。
よほど暑気に相向い候処其許様にも相変らず御無事のことと存上候内方一同元気に御座候間御安心下され度父上も例の通り御達者にていつも野良に出て若者も及ばぬほど働き居られ候健作も日ましに大きくなり此頃にては外の仕事にも連れ行き居り候川の土堤などにてわるさをして困り妻女はその方に気を取られて碌に仕事に手もつかぬほどの次第に有之候晩にはいつも其許様のうわさを皆して申居候此節少しも御便りなく父上始め皆々心配につき御様子御知らせ下され度候これより追々暑くなること故水あたり食あたりなどされぬよう呉々も御用心のほど願上候庄兵衛方の女馬に子供生れて村中の者珍らしがり居り候内の馬も至極壮健にて夕方河原などを駆けさせるは面白きものに御座候万事用心第一に御成功のほど祈上候
 先の切れた筆で太く書きしるされてる兄の手紙を見ながら、私は遠い夢をでも思い起すような気で、故郷の自然を思い出した。円い石が一面に並んでる清らかな河原、青々とした広い田畑、眼の届く限り大きく拡がってる青空、空に去来する雲……その雲を見るのが私は一番好きだった。雲を見てどうするのか? と母は幼い私に向って度々云ったものだった……。
 それからそれへと思い出に耽ってるうちに、私の頭の中にはいつしか、二つの小さなものがぽつりと据えられていた。何もかも遠くぼんやりとしてる中に、その二つだけが、如何にも小さくはあるが、如何にもはっきり浮び出していた。その一つは、広い自然の中に埋もれて、額の汗で自分の食物を育て上げてる、兄の小さな姿だった。他の一つは、自然の中から根こぎにされて、都会の人波の中に溺れながら齷齪してる、自分自身の小さな姿だった。そして私は、久しぶりで人間らしいしみじみとした気持になって、兄へ手紙を書き初めた。
 所が、その手紙がどうしても出来上らなかった。一通り時候の挨拶や無沙汰の詫びなどをして、さてその次に書くべき事柄が見当らなかった。近頃の様子を知らしてくれと兄は云ってるが、何を今改まって知らせるべきことがあったろうか? 朝起きてから夜眠るまでの、毎日同じような生活をか? いやそんなことは兄が既によく知ってる事柄である。何にも変ったことはないと云えばそれまでだけれど、田舎の生活と違って都会の生活では、変らないということは文字通りに無変化を意味する。それが兄に分るものか。いや兄ばかりではない、そういう生活を自らした者以外には、誰にだって分りはしない。
 私は書きかけの手紙を裂き捨てて、立上って室の中を歩き廻ったが、そのままの足でふらりと外に出た。然し私がそうして街路を歩いたのは、ただ運動のための散歩や、苦しい思いに駆られた歩行などとは全く異った意味のものだった。私は室の中を歩き廻ってるうちに、地面の上を、しっかりした大地の上を、馬のようにぽかっぽかっと歩いてみたくなったのである。出来ることならば、冷々とした黒土の上を跣足で踏みつけてみたかった。余し外に出てみると、跣足になることが出来なかったばかりでなく、私の足は自ら、賑やかな大通りの方へ向いてしまった。
 陰欝な曇り日の、夕方近い薄ら影に包まれた街路は、妙に落付きのない雑踏を示していた。人道にも、車道にも、異った二つの調子が現われていた。やけに速力を早めた自動車や自転車と、ゆるゆると歩いてる空の荷馬車とが、不調和に入れ乱れていたし、また、煙草でもふかしながら――実際に紙巻をくわえてる者もそうでない者もあったが――ぶらりぶらり歩いてる人々と、何か風呂敷包でも下げながら――実際に荷物を持ってる者もそうでない者もあったが――慌しげに小足を早めてる人々とが、くっきりと際立っていた。それからどの電車も、停留場毎に停っては、客を吐き出したり呑み込んだりしながら、いつも溢れるばかりの満員だった。それらのごたごたした混雑の中に、干乾びたアスファルトの上に、私は自分を見出して、何のためにこんな所へ出て来たのかと、惘然としてしまった。大地の肌に触れたければ、寧ろ閑静な裏通りの方へでも行くべきではなかったか。然し都会の中には、何かしら賑やかな雑踏の方へと、渦巻き濁ったれ臭い方へと、人を引き寄せる誘いがある。それが都会の蠱惑である。
 私はその蠱惑にかかって、ただぼんやり歩いてるうちに、ひしと心に迫る淋しさを覚えてきた。そしてしきりに顧みさせられる自分自身の姿は、自然から根こぎにされ都会から窒息されかかってる、惨め極まるものだった。深い憂欝に胸が塞がれて、何とも云えない息苦しさを肉体的にまで覚え初めた。然し私とても、愛する妻や子や温い家庭があり、またはやさしい恋人があったら……否そういうものはなくとも、変化と余裕とのある生活と金とさえあったら、揚々として都会の大通りを活歩したかも知れない。或はそういう生活と金とが、私一人の所有でなくとも、せめて万人の共有であって、私も自分の分前だけそれを享有することが出来たら、私は恐らく息苦しさを覚えないで済んだであろう。……そんなことを考えながら、而も遠い夢の国のことをでも考えるような風に考えながら、私は益々自分自身や凡てのものが忌々しくなってきた。そして窒息する者が四肢を振り動かすような、そんな風な身振で、通行人の頭を殴りつけるか、街路樹にぶつかってゆくか、何かしら異常な力一杯なことがしてみたくなった。また初ったなと自分でも気付きながら、疾走する自動車を見送っては、活動写真で見た通りに、それを一挙に爆発し粉砕してみたかった。そして恐らく、自分自身が最も爆発したかったのかも知れない。
 然し、そのまま何事もなかったら、私はわくわくしながらも、いつしか力無く首垂れて、すごすごと下宿へ帰ってゆき、翌日また出勤するために、おとなしく眠ってしまっただろう。所が……。偶然ほど恐ろしいものはない。偶然の一寸したきっかけで、人の心は右か左か方向を変えてしまうことがある。私の知ってる或る男は、柿を取るために大きな柿の木の頂に登って、落ちると危いなと思いながら、両手で枝にしっかとつかまった拍子に、熟した柿が一つぽたりと落ちたのを、ちらりと見た瞬間に気が変って、両手を離してしまったので、その高い所から転げ落ちて、足を挫いたことがある。また、私が間接に知ってる或る男は、自殺を決心して鉄道線路へ出かけ、暮れて間もない淡い月の光に、轢死すべき場所を見定め、汽車が来たならば飛び込もうと、傍の藪影に潜んで待っていると、足許から小さな蛇が匐い出して、線路の上をのっそりと乗り越していったので、何ということもなく気が変って、死ぬのを止してしまったことがある。
 それはそれとして、私が憤ろしい眼をじっと前方に見据えて、人道の端を歩いていると、一匹の小さな仔犬が、雑閙の間にまぎれて、丸く反らした尻尾の先を打振りながら、車道の中へよたよたと下りていった。真白な毛並に赤のぶちがある、円々と肥った仔犬だった。可愛いい犬だな、と思ってると、其処へ一台の自動車が疾走してきて、あっというまに、太々しい警戒喇叭の音と鋭い犬の悲鳴とが、同時に起った。そして一寸振返った運転手の、没表情な顔付をのせてる自動車は、一時ゆるめた速力をまた取返して、つつーと走り過ぎてゆき、その後にぱっと立つ油煙の中から、ふいに仔犬が飛び出してきた。飛びだしてまたも一度飛び上ったが、それからころころと転げて、なお鳴き続けながら、今度は三足で起き上って、血の滴る一本の後足を引きずって、よろけながらも案外早く、暗い路次の中へ消えていった。五六人の者が立止って、ぶらりと垂れて血の滴る仔犬の足を、ぼんやり見送っていた。私もその一人だった。犬の姿が路次の中に消えると、私は我知らず其処まで走っていった。奥深そうな狭苦しい暗い路次であって、きゃんきゃんいう仔犬の悲鳴が、路次一杯に反響して吐き出されてきた。と思ったのは僅かな間で、やがてしいんと静まり返った。その静けさから、私はぞっと身が竦むような感じを受けた。
 やがて私は、両手を懐につっ込んで、一歩一歩踏みしめるような足取りで歩き出した。折り挫かれた仔犬の足の痛みを、自分の身内に感じていた。そしてまた、ああいう人通りの中で、犬の足を轢いたまま無事に逃げてゆけるとすれば、兎に角早く逃げさえすれば、何をしたって大丈夫だ、とそんなことも考えていた。それからまた、何かしら血腥い異常な興奮にも駆られていた。昔子供の頃田舎で、蛙を捉えてきて蛇に呑ませ、円く脹らんだ蛇の喉元を木片で逆にこすり上げて、蛙をまた吐き出させ、半死半生の蛙が漸くに飛んで逃げるのを見て、髪の毛がぞっとするような喜びを味った、あれと同じような、残忍な毒々しい興奮だった。
 そして暫くして私は、自分が或る一人の男の後をつけてることに気付いた。それは肺病やみらしく痩せ細ってる、背広をつけた中年の男だった。古ぼけた麦稈帽の下から、日に透したら血管が浮いていそうな耳朶と[#「耳朶と」は底本では「耳孕と」]、艶のない蒼ざめた頬の皮膚とが、ちらちらと見えていて、そのあたりへ、私の眼は熱っぽく据えられており、私の両の拳は、懐の中で握りしめられていた。私はその男の横っ面を、がーんと一つ引っ叩いてやるつもりだったらしい。何故だったか?……余りに人間が多すぎる。機械的な生活に窒息されかかってる人間が多すぎる。そして、この男も自分自身も、余りに惨めすぎる。出口がほしい、この息苦しさからの出口がほしい……。そういった感じに私は浸り込んでいた。
 その時、私はふと足を止めた。眼の前の惨めな男を殴りつけるという意志に、次第にはっきり気付いてきて、実際それを決行するかも知れないという恐れから、無理に引離した自分の視線が、丁度向う側の、硝子器具を商う店の中に落ちたのだった。金魚鉢や其他の容器を並べた棚、コップの類を並べた棚、花瓶や電気の笠や其他の装飾品を並べた棚、一番奥には、鏡の類を立並べた台、その外いろんなものが所狭いまでに並んでいて、真中の上りがまちに、頭の頂の禿げかかった番頭が一人、ぽつねんと坐っていて、それらのものの上方に、幾つもの電燈が煌々とともされ――実を云うと、私はその時に初めて、もう電燈や瓦斯が店先や街路についてるのを気付いたのだったが――その光がまた、凡ての硝子器に反映して、店の中がまるできらきらした玻璃宮を現出していた。そして可笑しなことには、私の頭の中がまた、胸の中はもやもやと沸き立ってるにも拘らず、それらの硝子器と同じに、冴え返って澄みきっていた。地震でもして、その玻璃宮がめちゃめちゃに壊れたら、胸の中もすーっとするかも知れない、などと私は馬鹿げたことを考えたが、それは実は馬鹿げたことではなくて、いやに真剣だった。構うものか、やっつけてやれ! そう私は咄嗟に決心してしまった。そしてすぐに実行した。息苦しく鬱積してきた自分の気持に、何かの出口を穿たずには、どうしてもいられなかったのである。
 硝子店と反対の側の正面から、少しわきに寄った所に、薄暗い横町があった。私はその横町にはいっていって、暫くして何気ない風に屈みながら、両手に小石を一つずつ拾い取り、その手を袂の中に忍ばせて、また横町の出口まで戻ってきた。大通りを通る人々のうち、横町の方へ眼を配る者はいなかったし、薄暗い横町の中には、人影も見えなかった。或は私の方を見てる者があったとしても、私はその注意の僅かな隙間を窺って、やはり決行していただろう。横町の出口につっ立って、一寸あたりを見廻して、私は右手を振上げざま、向うの硝子店の中の大鏡を目標に、力の限り投げつけてやった。続いてすぐに、左手のやや大きな石塊いしころをも、右手に取って投げつけた。石は何処に落ちたか分らなかったが、ぱっと硝子の壊れる気配がして、次にはやや大きく、硝子の破片が四方に乱れ飛ぶ、痛快な響とも光ともつかない擾乱が、静まり返ってる玻璃宮の中に起った。とその瞬間に、番頭がすっくと立上った。馬鹿に背の高い大男で、私の方をまともにじっと睨みつけたようだった。
 それだけのことを見て取って、何故にか、私は膝頭がぶるぶる震えるのを覚えた。そして結果をよく見定める隙もなく、つと身を飜して、足を早めて逃げ出した。横町を暫く行って、右に曲りまた左に曲って、出来るだけ跡をくらまそうとした。その時私の気持には、雑多なものが入り乱れて、さっぱりけじめがつかなかった。胸の中に洞穴があいたように、すーっと風が吹き通っていた。頭の中が熱くほてっていた。何かしらしきりに気懸りなものがあった。はらがしっかりと落付いてるのに、足取りが妙に浮わついて乱れていた。どう逃げたら一番安全かと、そんなことを頭の片隅で考えていた。この都会の隅々まで警察の手が行き渡ってることを、私は新聞紙上でよく知っていた。まごまごしてる場合でないと思った。自分の下宿にじっとしてるのが、一番安全だという気がした。遠い曲りくねった迂回をしながら、私は下宿へ帰ってきた。そして下宿の格子戸に手をかけてから、私は初めて後を振返ってみたのである。それまで一度も後が振向けなかった。
 お上さんが出て来て、食事は? と聞いたのに対して、もう済してきたと私は答えた。それから自分の室に暫くじっとしていたが、どうも心の落付が悪くて、皆の――と云っても、素人下宿のことで下宿人は三人しか居なかったが――皆の集合室みたいになってる茶の間へ出て行った。哲学を研究してるとかいう大学生が一人、長火鉢の前で退屈そうに煙草を吹かしていた。お上さんは隅っこの方で針仕事をしていた。私は大学生の向うに長火鉢の側に坐った。そして二人で、大凡次のような対話をした。
「一体、何かある興味のために、と云っちゃ変ですが、まあ或る気持のために、……例えば、人を殺すとしましたら、その人殺しは、他の場合よりも罪が重いものでしょうか。」
「さあ、僕は専門家でないから、罪の軽重は分りませんが、そういう殺人でもやはり、立派な殺人には相違ありませんね。」
「それでも、金を盗むためとか、何かそんな風な人殺しよりは、まだたちのいい人殺しじゃありませんでしょうか。」
「たちがいい……とも云えるかも知れませんが、或はまた、一層たちが悪いとも云えるかも知れませんね。なぜなら、単なる興味や気分のために人殺しをするような奴は、動物に近く人間に遠いとも云って差支えないほど、極端に残忍な性格の者に相違ないからです。それに第一、殺人そのものが罪悪ですから、金銭のためであろうと、興味のためであろうと、そんなことは余り問題にはならないでしょう。興味のために行われる事柄で、立派に罪悪となるのもありますからね。一例を拳ぐれば、強姦なんかは、何のために行われると君は思いますか。」
「それは無論情慾のためでしょう。」
「そうです。所がその情慾というものが、興味というものとどれだけの差がありますか。比較的弱い情慾は単なる興味と同じものです。ただ人間の性質上、殺人は多く金銭や嫉妬や怨恨から行われ、強姦は多く情慾や興味や一時の気分から行われるだけで、そしてどちらも、立派に罪悪を構成するじゃないですか。動機よりも行為の性質が根本の問題でしょう。」
「そうですかね。では人殺しはそれとしまして、例えば、或る気持から他人の品物を毀すとしましたら、それでもやはり重い罪になりますでしょうか。」
「ええ、立派な器物毀損罪ですね。一寸考えると、悪戯いたずらに毀してやれというくらいな気持で、他人の器物を毀すようなことはよくありますが、器物と云って軽蔑するのが間違いです。僕一個の考えですが、世の中に凡そ一定の形を具えてるものはみな尊敬すべきです。生命のあるものは勿論ですが、無生の器具でも、それにはみな、それを拵らえ上げた人間の労力が籠っているものです。例えて云えば、貨幣は単なる紙や金属ではなくて、人の労力を具体化したものであると同じように、器物もみな、それを拵らえ上げた人間の労力を具体化してるものです。だから器物を毀すということは、人間の労力を毀すことで、本当の意味から云えば、可なり重い罪悪になるのが当然です。」
「けれどそれを拵らえた人は、もうそれだけの代価を得てるじゃありませんか。」
「それは得ています。その代り、それを買い取った人は、それだけの金を、云いかえれば、それだけの労力を、支払ってるじゃないですか。器物は何処へいっても、その所有者の労力を具体的に示しているものです。」
「そういうことになりますと、世の中のものは何一つ、どんな不用なものでも、少しも毀してはいけないことになりますね。」
「まあそうです。自然と毀れるものは仕方ないが、進んで毀すということは、何についても罪悪です。毀すよりは打捨ててしまう方が本当です。極端に云えば、髯を剃ることだって一の罪悪になるかも知れません。」
「それでもあなたは、二三日おきには髯を剃っていられるじゃありませんか。なぜ長くおのばしなさらないのですか。」
「まだなかなかそこまでの修養は出来ませんね。その代り、僕はこの通り髪を長くもじゃもじゃに伸して、なるべく刈らないようにしています。それに、或る程度までの罪悪は生きる上に仕方ありません。第一物を食うということが罪悪ですからね。まあ、自分のものは自分の勝手に処置して、その代り他人のものには指一本触れない、というくらいの所で妥協するより外はないでしょう。」
「それなら、他人のものに指を触れることが、生きる上に必要だったら、どうでしょう。」
「そんな必要があるものですか。」
「いえ時によるとあるかも知れません。そうしなければどうしても生きてゆけない、といったような気持も……。」
「それは必要な気持ではなくて、贅沢な気持です。贅沢から世の中は面倒くさくなるんです。贅沢心さえなければ、人間は安んじて生きてゆけるものです。」
「そうでしょうかしら?」
「そうですとも!」
 そこで私達の話は、その問題から離れてしまったが、私の心はいつまでもその問題に絡みついていた。この大学生はいやに理屈だけは達者だが、実際のことは何にも分らないのだと、私は強いて考えようとしたし、また確かにそうだと感じもしたが、それでも彼の言葉のうちで、私の心を打つものが残っていた。私は贅沢な苦しみをしてるのではあるまいか、贅沢な興味から硝子店へ石を投ったのではあるまいか、そんなことが疑われだしてきた。否そうではない、と心でも感じ頭でも肯定してみたが、何だかじっと落付いていられなかった。その上、自分は警察の手で追跡されてはしないかしらという、馬鹿げたぼんやりした不安が残っていた。そして凡てのことがごったになって、私をまたある硝子店の前へおびき出そうとしていた。兎に角、結果をはっきりと見てみたい、そういう要求がむずむずしてくるのを、私はどうすることも出来なかった。
 そして暫くして、私は外に出かけたのだった。それは実に変梃な気持だった。恐いもの見たさの気持とも違うし、待ち焦れてじりじりしてる気持とも違うし、何だかこう蜘蛛の糸にでも搦められて、歯をくいしばってるようなものだった。そして私は何故か、また遠い廻り道をした上で、硝子店へ行ってみた。そしてひょっくりその前に出て眺めてみると、喫驚して立止ってしまった。
 硝子店の内部は、私が石を投ずる以前の有様と、少しも変ってはいなかった。元通りに品物が並び、元通りの番頭が控え、元通り電燈がともって、やはり煌々とした玻璃宮で、ただ二人連れの客が何か買物をしてるのだけが違っていた。それでは、私の投げた二つの石は中まで達しなかったのだろうか? いやそんな筈はなかった。硝子の破片が飛び散って番頭が立上るのを、私は確かに見届けておいたのである。……そうだ、何もかもすぐに、綺麗に取片付けられてしまったのだ。私が逃出してるうちに、以前通りの有様に飾られてしまったのだ。私は忌々しさと絶望との余りに、暫くつっ立って見つめていた。それから横町を少し引返して、また石を拾おうとした。その動作に自ら気付いた時、急に不安な恐怖を覚え初めた。
 凡てのことが、硝子一枚距てたように、自分と或る程度まで没交渉に冴え返っていたが、その中から、ふいに私の頭へ躍り込んできたものがある。それは私が辿った道筋だった。石を投げてから下宿へ戻るまでの道筋と、下宿からまた出かけてきた道筋とが、不気味なほどはっきりと眼に見えてきた。それはうねうねとしてる二筋の縄で、その両端が、一方は下宿に他方は今立ってる横町に、結び合わされていた。その同じ道筋の上を、何度もくるくる歩き廻るだろう自分の姿が、頭に映ってきた。
 私は堪らなくなって、何かに反抗するような気勢で、そのくせ、自分を引入れようとしてる二筋のつながった道から逃げ出すように、大道りへ飛出して、向うの硝子店をじろりと見やりながら、暫く歩いてみたが、もう我慢が出来なくなって、通り過ぎる電車に飛び乗ってしまった。
 さて何処へ行こうかと考えてるうちに、車掌がやって来ると、私はすぐに切符を差出して、都会のうちの最も雑踏し蒸れ返り酔い爛れた方面を、前から予定の目的地ででもあるように名指したのだった。その後で、其処へ行くという志がはっきりして来た。そんな場所へでも行って、人込の中に自分を溺らしてしまうのが、その時の私の気持にぴたりと合った。
 二度乗換えをして向うに着くまで、私はもう何も考えまいとつとめた。電車を降りてからも、心当りの安価な飲食店の方へ、真直に歩いていった。そして、ぐらぐらする木の腰掛の上に腰を下して、労働者や貧乏くさい学生などの間に狭まって、一人でしきりに酒を飲んだ。もっと安価にもっと強烈なものを飲ましてくれる、カフェーの類はいくらもあったけれど、さすがにカフェーと名のつく所へははいれなかった。白い大理石やエプロンの女給などの空気よりも、薄暗い狭苦しい土間の方が、その時の私には親しみ深く思われたのである。
 そして酒を飲みながら私は、贅沢じゃない、贅沢じゃない、とそんなことを心の中で繰返していた。贅沢や気紛れであって堪るものか。他人にとってはそう見えても、私にとっては真剣なのだ。而も私のそうした苦しみの底からの反抗が、殆んど常軌を逸した行為が、何を以て報いられたか。この都会は、私が投じた波紋を平然と呑み込んで、小揺ぎ一つしなかったのだ。私がたとい幾度石を投げ込もうと、あの硝子店はすぐ元通りの姿で輝き出すことだろう。そして私一人が恐れおののいて、下宿と横町とでしめくくられた同じ道筋を、競馬の馬のようにぐるぐると逃げ走ることだろう。何というちっぽけな惨めさだろう! 一層のこと、この身体もこの生活も、そっくり都会の中に呑み込まれて、その泥土の中に埋まってしまうがいい。
 けれども、空っ腹に酒が廻るに従って、底濁りのしたうずうずしたものが、私の身内に頭をもたげてきた。今迄の鬱悶が多く精神的なものであるとするならば、此度のは多く肉体的なものだった。私はあたりの人々を見廻した。そして、底光りのする眼を輝かしてる労働者達の、どす黒い血潮を頭の中に映してみた。自然を奪われている彼等都会労働者等の生活が、如何に悲惨であるかを、私は自分がよく知ってる田舎の農夫生活と比較して、ほぼ想像することが出来た。またその悲惨な生活から醸される咽っぽい淫蕩な雰囲気をも、ほぼ想像することが出来た。人間は容易なことでは、何もかも萎びきるものではない。何かしら獣的な溌溂とした力強いものが、たとい不健全ではあっても頑丈なものが、何処かしらに湧き立ってるものである。高笑いをして舌なめずりをしてる、労働者等の幅広い肩を、私は小突き廻してやりたかった。
 活動写真が済んでしまった頃とみえて、騒々しかった表の人通りが、いつしか静まり返っていった。私は急いで残りの酒と肴とを平らげて、ぷいと外に出た。蒸し蒸しするどんよりした晩だった。空もじっとりと汗ばんでるかと思われた。煤けたままを拭き込まれて黒光りのしてる大黒柱、そういった気持を私は力強く懐いて、狭いうねうねした路次の方へ滑り込んでいった。出口のない息苦しい生活にいじめつけられた私のうちにも、なお強烈な熱っぽい力が残っていた。私は見当り次第のとある家へ、こちらからはいるともなく誘い込まれるともなく、よろよろとした酔っ払いの足取りで、臆面もなくにゅーっとはいっていった。
「誰でもいいから一人来てくれ。」
 云いすてて私は二階の狭い室に通った。が実は、誰でもいいのではなかった。私が求めているのは、健かな豊満な、殴りつけてもびくともしないような、そして抱擁力の強い肉体をであった。然しまさか、肥っちょの大きいのをとは註文しかねた。運を天に任せる気で待っていると、否待つまでのことはなく、私のすぐ後からやって来たのは、要求とはまるで反対の、身長も身柄も貧弱な小女であった。栄養不良で発育不完全な、いじけきった者のように思われた。
「君は一体いくつになるんだい。」
 四角な薄汚い餉台の前に坐った女へ、私はそう尋ねかけてみた。
「十四よ。」
 黒いしみのある味噌歯を出して薄笑いをしながら、女は尻上りの調子で答えた。
「十四……それにしちゃあよく伸びたものだね。」
「何が?」
「僕はまた十七八くらいかと思った。」
「そう。」
 気乗りのしない返辞をして、彼女は私の方をじろじろと見ていた。私もその顔を見返してやった。下卑た凸額おでこの下に、どんよりした眼が凹んでいたが、口許のあたりに、濡いのある初々しさが漂っていて、だらりと餉台の上に投げ出されてる、手首から指先の肉附など、十四歳と云うのも満更嘘ではなさそうだった。
「十四やそこいらで、どうしてこんな所へ出たんだい。」
「家が困ったからよ。」
「辛くはないかい。」
「そりゃあ辛いわよ、姉さん達が私に苦労かけないようにって、名指しでないお客には、いつも私を先に出してくれるけれど、それが却って私、嫌で嫌で仕様がないわ。いつもくたぶれてるせいか、眠くって堪らないのよ。」
「おい、滅多なことを云うなよ。客の前でそんな口を利くってことがあるか。」
「あら、御免なさい。」
 眉根を挙げ眼をぱっちり見開いて、頸筋をしなやかにかしげながら、小娘にしては喫驚するような嬌態しなをしてみせた。
「こんな商売を初めてから、どれくらいになるんだい。」
「まだやっと二月ふたつきよ。」
「嘘だろう。十四というのは本当かも知れないが、二月というのは嘘だ。」
「いいえ、本当よ。」
 十四歳というのに、多少興味を覚え出して、いろいろへまなことを尋ねかけてきた私は、そこで妙に気持がはぐれて、そのまま口を噤んでしまった。彼女も黙っていた。暫くすると、彼女はわざと子供子供した甘ったれた調子で云い出した。
「私お腹が空いちゃったから、何か食べさして下さらないこと?」
「そんなら鮨でも取ったらいいだろう。ついでにお酒を一本添えて貰うといいな。」
 彼女は立上りかけたが、俄にまた腰を下した。
「あなた、今晩泊っていっていいんでしょう。」
「いけないよ。」
「なぜ?」
「帰らなけりゃならない。」
「そんなら、一時間……」と云いかけて彼女は一寸考え込んで、「二時間ばかりにしとくわ。ね、いいでしょう。」
 私がぼんやり見返した眼に、彼女は一寸笑みを含んだ眼付を投げつけておいて、大儀そうに階段を下りていった。
 私は一人つくねんと、二十分ばかりも――或はもっと短かかったかも知れないが――空の餉台と一緒に待たせられた。仰向けに寝転んで、煙草を吹かしながら、煤けた天井の、雨漏りの跡らしい汚点を見つめてるうちに、もうそのまま永久に身を動かしたくないような気持へ、底深く沈み込んでいった。何のためにこんな家へやって来たのか? もう先程の情慾も消え失せてしまって、都会の一隅の見馴れない室に、ぽつりと投り出された自分自身だった。やがて彼女が鮨の皿と銚子と豌豆豆の小皿とを運んできても、私はやはり寝そべったまま身を起そうともしなかった。酒が冷えてしまうと再三促されてから、漸く上半身を起した。
「怒ったの?」
 私は返辞をしなかった。
「どうしたのよ、黙りこくってて。何か怒ったの?」
「あんなに待たせられてさ、腹も立とうじゃないか。」
「ほんとに御免なさい。お誂えのものがなかなか来なかったんですもの。」
 そして私が杯を取上げると、彼女はそのお誂えの鮨をむしゃむしゃ食べ初めた。
「あら、まだ怒ってるのね、こんなに謝ってるのに。」
「謝り方が足りないよ。」
 心にもないすね方をしてはみたものの、実はそんな所に気持がこだわってるのではなかった。じっとしてるのが堪らなくなった。
「ねえ、君は、僕が一緒に連れて逃げると云ったら、ついてくるかい。」
「ええ、いくわ。」
「じゃあ、一緒に死のうと云ったら?」
「死んだって構わないわ。」
「そんなら、君だけを僕が締め殺すと云ったら?」
「いやあよ、一人っきりじゃ!」
「とうとう本音を吐いたね。締め殺してやるからこっちにお出でよ。」
「いくもんですか。」
「屹度来ないね。」
「ええ。」
 高慢ちきな鼻をつんと反らして、凹んだ眼で睥み返してくるのを、私はつと身を起して引捉え、膝の上に抱き上げてやった。力を籠めて掴んだら折れそうな、肉のつかない細い腕だった。ただ乳房だけが着物の上からも、むっちりと膨らんで感ぜられた。そして私は、ふふんと云った顔付で身体を任してるこの小さな娘を、どうしてくれようかと残忍な方法を考え廻した。それは虐げられた者に対する腹癒せであり、また自分自身に対する腹癒せであった。
 それから私は、帰ると云ってた言葉も忘れて、夜明け近くまでうとうとと眠った。
 眼を覚すと、五燭の電燈が変に赤くぼんやりとしていて、遠い汽笛の音や何かの響が、夜明け近い気配を齎らしてきた。私は上半身を起して、傍に寝乱れている小娘の顔を見守った。取返しのつかない気恥しいことをしてしまった、というような忌々しさが湧き上ってきた。私は女を揺り起そうとした。彼女は片手をうんと伸して、心持ち薄目を開きかけたが、またすやすやと眠ってしまった。私は本当に起き上って、帯をしめ直して煙草を吸った。そしてまた女を揺ぶった。それでも彼女は眼を開かなかった。私はそのまま逃げ出してしまいたかった。雨戸をそっと開いて逃げていっても、誰にも気付かれないかも知れない、と思う心が自分ながら浅間しくなって、も一度強く女を揺ぶり、眼を覚しかけた所を、更に頬辺ほっぺたを一つ叩いてやった。彼女は喫驚して飛び起き、私をまじまじと眺めていたが、ふいに云い出した。
「あなた私をった。」
「打ったさ。いくら揺ぶっても起きないじゃないか。眼が覚めなけりゃも一つ打ってやろうか。」
「なに、打つなら打ってごらん。さあ打てるものなら、打ってごらん。」
 彼女はまだ昨夜の続きを夢みているらしかった。小娘に似てもつかない焼け瀾れた淫蕩な眼付で、私の方へじりじりと迫ってきた。私はぞっと冷水を浴びたような気がした。眼を見張りながら、思い切って彼女の頬辺へ平手打ちを喰わした。そして今にも彼女から掴みかかって来られるものと、その身構えをしたが、彼女は変にくしゃくしゃな渋め顔をして、息をつめてるかと思うまに、ぽろりと大粒の涙を落して、それをきっかけにわっと泣き出してしまった。私は呆気にとられて、訳が分らなくなった。まるで小さな子供のような彼女の泣きじゃくりを、惘然と眺める外はなかったが、次の瞬間には、自分でも変な気持になって、はらはらと涙をこぼした。その後からなお激しく涙が出て来た。
 やがて私は、涙を払って立上った。汚い煎餅布団につっ伏して泣いている、腰帯一つの小娘の姿を、上からじろりと見下して云った。
「もう帰るよ。」
 女は駄々っ児のように首を振った。
 私はその背中に屈み込んで、やさしく肩に手をやりながら、またくり返した。
「もう帰るよ。夜が明けたんだ。」
 それから私は、咋夜の勘定残りの、なけなしの五円札を取出して、それを彼女の手に握らした。
「少いけれど、取っといてくれ。……おい、もう帰るよ。夜が明けたんだ。」
 彼女は涙にぬれた顔を上げて、私の方を見た。私が立上ると、彼女も自動人形のように立上った。そして、踏段の軋る急な階段を、私の後について下りてきて、下駄を出してくれ、表の戸を開いてくれた。その無言の彼女の方へ、私はもう振向きもしないで、さよなら、と云い捨てたまま外へ飛び出した。
 曇り空の下のどんよりした薄明りに、漸くそれと知られる、まるで夕暮のような夜明けだった。私は力無い危っかしい足取りで、曲りくねった小路をつきぬけ、近くの公園へ辿りついて、池の近くのベンチに坐った。昨日から曇ったままの暗い陰鬱な空、ぼーっとめしいた薄ら明り、濁ったままどんよりと湛えてる池の水、黙りこくった剥げちょろの建物、凡てが重々しく私の心にのしかかってきた。
 私は長い間身動きもしなかった。汚い忌わしい臭気に染みながら、身体の内部のものがすっかり吐き出されてしまったような、変に頼りない空しさを覚えた。その空しさに眼をつぶっていると、何処からか冷々とした風が流れてきた。私は夢からさめたように顔を上げた。何とも云えない気持だった。灰汁あくを払い落した病後の力無い健かさとも、またはすっかり圧倒されつくした疲憊の極とも、何れとも分たない清々すがすがしさだった。そして私は思うさま胸の奥底まで、冷たい空気を吸い込んだ。吸い込んではまた吸い込んだ。軽々と胸の底まで息の出来ることは、何よりも一番いいことだ。私はベンチに腰を掛けたまま、両足をばたばたやってみた。
 その時何かしら下駄の先に、冴えた音を立てるものがあった。屈み込んでよく見ると、一銭銅貨が一つ落ちていた。私は何気なくそれを拾い上げてみたが、神……というものがあればその神から、恵まれたもののような気がして、袂の中にしまい込んだ。そして立上って、何だか急に悪寒を覚えながら、まだ電車もない遠い道を、下宿の方へ帰っていった。





底本:「豊島与志雄著作集 第二巻(小説2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」未来社
   1965(昭和40)年12月15日第1刷発行
初出:「改造」
   1923(大正12)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年8月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について